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僕以外の人類はVR空間に移住した  作者: 佩ロッシュ
イブ2
21/48

 †††



「私はこれから毎日、デアイサーの練習があるから。もうここにはあまり来られないと思う」



 勝手に置いていった私物を両手に抱えて、イブは無表情のまま立ち去ろうとする。

 このブースを占拠していた荷物が奇麗に消えると、以前より寂しく思え居たたまれなくなる。

 僕は、こんな現状を肯定したくはない。

 僕自身は、人と深く関わることを好まない。

 彼女は僕に輪をかけて人が嫌いだ。

 だから僕が何を言ったって、彼女は受け入れてくれないだろう。

 それでも今言っておかないと、彼女はこのまま氷の監獄へ消え去ってしまいそうだった。



「イブさん、話がある」

「……何?」



 振り返った彼女の顔には、拒絶の相がはっきりと見える。

 だけど僕は、止まる気にならなかった。



「現実に居残るのは、やめてくれ」

「誰かが残らないといけないことよ。アオだってよく分かっているでしょう」



 溜息とともに、イブは何の感情も籠っていない声を吐き出した。



「誰でもいいなら、僕でもいい」



 握り締めた拳が、わなわなと震える。

 極寒の世界へ飛び込むことなど、彼女を失うことに比べたら、大したことではなかった。



「私は、私の世界を守るためなら、なんでもする」



 イブは僕の言葉を無視するように吐き捨てて、そのままブースから出て行った。

 彼女があのVR空間に、強い思い入れがあることは知っている。

 だけど、自ら身を投げるほどだとは思わなかった。

 結局、僕は彼女の心の強さに勝てず、後を追いかけることもできなかった。


 ドームの天蓋に届きそうなサーバーの頂点を、じっと見上げる。

 苦労したが性能も耐久性も予定通りで、開発者としては少しだけ気持ちがいいものだ。

 だけど、予想外のトラブルで全てが台無しになってしまうかもしれない。

 しかも、そのせいでイブと永遠の別れになるかもしれない。

 その二つの思いが交互に入れ替わって、僕の心臓に波を起こしているように思える。



「なんだぁ、アオ、お前も見に来てんのか」



 大男がのっしのっしと近づいてくると、水飛沫がブーツに蹴飛ばされて拡散する。

 水浸しの床は、事態の深刻さをそのまま表していた。



「ザイトさん、あのデアイサーの作業は、僕でもできますか」



 自身のグローブが指さす先は、ドリル形状の両手をぶら下げた猫背のロボットがある。

 排水溝に発生した氷山にアームを交互に突き刺し、砕氷作業を行う作業は、すっかりこのサーバー群の風物詩となっていた。



「ああん? お前、道路があった頃に車を運転したことあるか? それと大差ねぇよ」

「じゃあ、少しレクチャーしてもらえれば問題なさそうですね」

「そうは言っても、アオ、お前はもうすぐ向こうへ行くんじゃないのか?」



 ザイトが髭顎を持ち上げて示す方向には、サーバーがある。

 VR空間のことを向こう側だと、僕達現実側の人間はよく言っている。

 サーバーを覆う強固な外装が、まるで人類を二分しているようだ。

 それが本当に、越えられない壁となってイブを一人にさせてしまうことになる。



「ザイトさん。僕をここに残してください。イブの代わりに」

「もう決まったことだ。まあ、そればっかりは早い者勝ちだな」

「だから、こうしてザイトさんに直接頼んでいるんですよ」



 ザイトの半開きの眼を直視すると、それに応じてか彼の顔が強張った気がした。



「本気……か。でもそれはイブも同じだ。もうイブが現実に残って、他は向こうで小さいトラブル対応。それで予定を組んで準備もしてある。今更変えられない」

「本当に、変えられませんか……何があっても」

「そりゃあ、でっかい問題がまた起きたら、計画も見直すが……おい、変なこと考えるなよ」



 ザイトが驚くくらい、僕は深刻な顔をしているようだった。

 様々な思念が頭の中でせめぎ合って、ポーカーフェイスを保つ余裕なんて僕にはなかった。



「いえ、大丈夫ですよ」

「そう、か……ま、なんにせよ、お前が作ったこのでっけえサーバーの中に全人類が住むんだ。もっと誇らしくしろ。何も後ろめたいことはねぇ」



 ザイトは多分、僕が残りたがる理由を、女性一人残すのは忍びないからだと思っている。

 だけど本当は違う。

 本当はもっと利己的で情けなく人間臭いものだった。

 そしてそれはイブが最も嫌うものなのだろう。



「この中に人は住みませんよ。離れたところにある安置施設で、全人類の体を冷凍保存するんです」



 だから、イブも全人類と隔離されて、氷の世界で凍え死ぬまで奉仕することになる。

 各施設が少し離れているのは地熱や電力関係の名残らしいが、そんなことどうでもよく、許せない気持ちになった。



「例えも分かんねえやつだなぁ」



 ザイトの言葉はあまり頭に入ってこなかった。

 それよりも、次に起こすべき行動――、グラフィック関係担当であるイブが、本来の業務に専念しないといけないようなトラブル――それがどんなものかと立案することに、僕の脳神経全てを注いだ。



「アオ、貴方に教えておく」



 久しぶりにイブが僕のブースに顔を見せた。

 遠巻きから彼女の顔は毎日見ていたが、不思議と日々充実しているようだった。

 これから辛い目に沢山遭うというのに、いくら変人の類といっても常軌を逸しているように思えた。



「それは何、イブさん」



 こんなに近くにある眩しい瞳を見たくはなかった。

 だから、自然とイブの手にぶら下がった荷物に目が行った。



「これ? これはね、世界の鍵よ。知っているのは貴方と私だけになる」



 子供の悪戯じみた話に、僕はまるで要領を得ず、ずっとそのアルミケースを凝視した。



「どういう意味?」



 ずかずかと奥まで入り込んできて、イブはそのアタッシュケースを開いて見せる。

 確認できたのはメッシュポケットと、小さな鍵が一個転がっているだけだった。



「本当に鍵が入っているけど、何の鍵?」

「サーバー群のね、中枢となっている一基があるでしょう? そこにロックがかかっている小窓があるから、これで開くと、スイッチングハブが出てくる。そこで各種調整ができるの。例えばVR空間の物理演算オフとか、ログイン制限とか、かなり高い権限が必要なこともできるようになっている」

「……なんなの、それ。初めて聞いたよ。それで、どうして僕にそんなこと教えてくれるの」



 彼女が過去に押し付けてきた、サーバーの仕様を思い出そうとする。

 言われてみれば確かに、そんな物騒な機能を仕込んだ記憶も、脳の片隅に潜んでいる気がしてきた。

 そんな隠し財宝を、まるで冥途の土産と言わんばかりに。

 本当は仮死状態になるのは僕達の方で、現実で生き残るのはイブの方なのに。



「私はこれから手術や調整があるから。もうVR空間にトラブルがあっても、すぐに対処できない。だから、アオが向こうに行くまでの間だけでも、鍵を持っていて欲しい」



 そう言ってイブはアルミ製アタッシュケースを閉じて、僕のブースの奥に設置していった。

 何でもできる、世界の鍵か。

 それを知った刹那、すぐにやるべきことが固まった。

 だけど、踏み留まろうとする自分もいる。

 少しだけ頬を緩めたイブの顔を見ると、それを歪ませるようなことはしてはいけない気がしたのだ。

 全く情けない男だ。

 後押しが必要だなんて。

 これからのことを自分で決められない。

 そう思うと、次の言葉を発するのに、勇気なんてものは欠片も必要なかった。



「イブさん、僕と一緒にVR空間へ行って欲しい」



 僕が言葉を発すると、このブース内の時間が凍り付いたように止まってしまう。

 その魔法が解けるのに、少しだけ時間を要した。



「……私は、現実に残る」



 駆ける足音が、遠くへと去っていく。

 拒絶の言葉だけが、僕のブースに残されていった。


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