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『ごめんなさい。お仕事の邪魔しちゃって』
『いえ。自分の仕事はVR空間の方々の要望をお聞きすることですから』
『そう言ってもらえると助かるなあ。さっきの人が言ってたけどさ、サーバーとか見てもいいなら、見せて欲しいな』
『問題ないとのことですから、構いませんが』
特許も機密も何の意味もなくなった世界なのだから、隠すことはないのだろうが、部外者が見ても面白いものだろうか。
しかし自分にとっては、可能ならば見たくはない代物だった。
見飽きるほど時間を共にし、今の状況を作り出した原因なのだから。
それを電脳の住人に見せるとなると、鈍った心臓が少し痛む思いがする。
『やったー! お仕事優先してもらって構わないから、カメラ回してね!』
『しかし、そちらのお時間の方は大丈夫ですか? 今だって相当お待たせしているのでは』
『大丈夫だよ。カフェにいるから待つのは苦じゃないし、アオさんの返事が来るまで、他の調べものしたりしてるし』
『メアリさんがそう仰るのなら、いいのですが。しかしサーバー機器を見てもあまり楽しいものでもないと思います』
『んー。それはアオさんはそう思うかもだけどさー、わたしみたいなVR空間の人から見れば、世界の根幹がどうなっているか、興味があるものだよ』
『そういうものですか』
そっけない返事をしてしまうほど、自分には日常過ぎるものだった。
毎日砕氷作業を行わないといけない世界なのだから、そんな大層なものではないと思う。
いつものようにデアイサーを駆動させ、扉の奥へカメラを向けながら中へと進入していく。
『あれ、いきなり行き止まりじゃない?』
目の前の壁は視界を遮り、室内全体を見渡すことは不可能になっている。
見上げればどこが天辺かはすぐには分からない。
これほど高いビルは、VR空間にもそうそうないのではないか。
地下の大空洞に、オフィス街が丸ごと開発されような見た目をしている。
『いえ、これがサーバー機器ですよ』
『えー! すごい大きいね、それにいっぱい!』
VR空間で起きる全ての物理現象をエミュレートし、それを現実よりもはるかに速い速度で演算させる。
当然、理論上不可能なことなので、不必要な計算はオミットしてはいる。
だけどそれでも天地創造レベルの離れ業を成し遂げるためには、学園都市と言えるほどの建造物群が必要だ。
そこへ近づけば、ほんのりとした熱気がデアイサー内部にも侵入してくる。
計算機に負荷がかかって発生した廃熱だ。
通常ならばこんな設備を冷やすためにも別途巨大な空調施設が必須になるのだろうが、生憎この氷の世界ではそんなもの必要が無い。
凍え死にそうな環境がもたらした数少ない利点だ。
高熱による不具合など一切考えずに、高速演算をひたすら行わせることができる。
ただ、霜の問題が別途発生してしまい、結局面倒を見ないといけない設備になってしまった。
『これが現実にある、VR空間の本当の形ってことかー』
メアリは感心したように頷き、何度も見上げるような素振りを見せた。
『別にこれ一基だけではないですよ。他にもVR空間の地方の数だけあって、それぞれ天候や時間を計算し、磁力も重力もメッシュ単位で処理して、現実との差を感じさせないようになっています』
『はえーすごいなー。人類はそこまでやるんだ』
『それはそうですよ。ここで生み出されるものが第二の地球になるのですから。快適に違和感なく半永久的に過ごせるよう、ヒトの英知を結集させて作り上げました。大変だったんですよ』
こんな言い方をしてしまったので、メアリは当然の質問を返してくる。
『アオさんも開発に関わったの?』
『自分は、この機器の担当者だったのですが、問題があって』
そこまで言って我に返る。
聞かれたから素直に答えてしまったが、言う必要がないことだ。
自分が、今ここにいる経緯なんて、わざわざメアリに語ることもない。
『ふーん。やっぱり技術屋さんなんだ』
『……ええ、まあそうです』
『じゃあ、昔のこと、憶えている? 人間のアオさんのこと』
『いえ、なぜですか』
どうしてメアリは、急にそんなことを言うのか。
そう思って彼女のログに一瞥すると、すぐに答えを得る。
彼女は暇を持て余してか、サーバー施設の来歴情報を個人ウィンドウで斜め読みしていたようだ。
それに目を通せばここが誰に作られたのか分かるだろう。
よく見ると彼女のコーヒーカップも空になり、周りは水滴だらけ。
ついさっきまで満タンだったはずのカップは瞬時に様変わりを遂げる。
自分と彼女の時間は、もう違う。
自分は彼女にすぐさま返事できているつもりでも、実際には、メアリに似合わない調べものをさせてしまうほど待たせてしまっているのだ。
『色々調べているみたいですが、何か勉強されているのですか』
『ええと、うん。将来何するかまだ決めていなくて。だからまずは興味のあることを調べているんだよ』
『サーバーに興味が?』
『あー、サーバーというより、このVR空間自体かな。他の人はどう考えているのかなー、とか』
『はあ』
『だってさー、不思議じゃない? 現実には地球とか宇宙とかあるんだろうけど、こっちにはそういうものはないのに、それでもわたしたちは生きている』
時間が有り余った人達が、安全なところで哲学ごっこに興じるというのは理解できる。
だけど彼女が思う疑問なんかは、本来すでに解消されているはずなんだ。
VR空間へのログイン前に散々講習会やら説明会を開いており、サーバーの中で生きるということに関して知識を得ていることになっている。
だけど、病気のせいで意識のなかったメアリには、そういった経験が一切ない。
何も知らないまま電脳の世界に放り込まれて、きっと自分には想像できない苦労を沢山したのだろう。
そう思うと、勝手に優しい音色が自分の口から溢れてきた。
『メアリさん。次はきっと本当のメアリさんの姿をお見せします。何があっても安置所に行きましょう』
『急にどうしたの? 嬉しいけども、無理しないでね』
とびっきりの微笑みを見せられて、自分は思わずデアイサーの足を速める。
答えるべき言葉が見つからず、ただただデアイサーの操作に集中した。
相変わらずにこにこ笑顔の彼女に、巨大サーバー群を見せて回ると、黙っていた彼女が口を開く。
『なんか同じのがたくさんあるけど、わたしって、どのサーバーにいることになるの?』
メアリの位置情報は、東洋を模した都市部を指している。
前回も同じ場所だったから、そこで生活の基盤を築いたのだろう。
なんでもありのVR空間とはいえ、引越せばコストもかかるし、申請も山のようにあるため、多くの人がどこかに定住する。
『メアリさんを計算しているサーバーは、恐らく大分遠くにありますね。近くで見たいのですか?』
『あーそうなんですか。いえ、お仕事優先してください。気にしないで』
『申し訳ありません』
代わり映えしないサーバーの谷底を歩き、ザイトから支持された現場に向かう。
『かなり時間が経ったと思いますが、大丈夫ですか?』
メアリの手元に空のコーヒーグラスが三つも並んでいる。長時間カフェに居座る申し訳なさに、追加注文したのだろうか。
『あー大丈夫、大丈夫、勉強しているし』
ならば切断すればいいのに、と意地悪な気持ちではなく、親切心でそう思う。
勉学に集中した方が、こんな凍った世界で震えている男を眺めるよりもよっぽど実入りがあるだろう。
『あー、アオさん、あのね』




