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僕以外の人類はVR空間に移住した  作者: 佩ロッシュ
イブ1
12/48

†††


 終末への予兆は、様々なところに現れた。

 天文学や地理の観測データなどは当初測定ミスを疑われるほど顕著だったらしいが、僕が人の身で体感できた異常は、やはり春の次が秋だったことだろうか。

 世界の危機が判明し、多くの研究が中止を迫られる中、人員を補強される分野もあった。


 例えば、僕が関わっている高速計算機についての研究もそうだ。

 所謂スーパーコンピュータは、死にゆく太陽の問題を如何にして科学的に対処するにせよ、莫大な計算力が必要になることは明らかだったからだ。

 日を追うごとに気温は低下し、朝は明るさを失っていく。

 夏や雨季にも大雪が降る頃になると、人口減少の加速度は増すばかりで止まる様子は見られなかったが、それでも人類は何も手を打てずにいた。

 他の星に移住するだの、第二の太陽を造るだのといった大言壮語が大真面目に議論されたが実現することはなく、地球は雪に包まれていく。

 ついに万策尽きたとなると、世界各国は手を組み特別チームが結成されることになった。

 寒さに弱いものは命を落とすか入院している中、研究者もどんどん希少になり、僕みたいな若すぎる末端にも白羽の矢が立つことになる。

 人類を救う作戦がどんなものであっても、自分の仕事は変わらない。

 限りある資源の中で最高の演算機を用意するだけ。

 だから専門外であろうミッション内容には特に気にせず、淡々と孤独に仕事をこなしていた。

 そう、この瞬間までは、ずっとそれが続くと思い込んでいたのだった。



「ねえ、貴方がアオさん? サーバーの担当者って聞いたのだけど」



 研究所に人が増えても静かなままだった僕のブースに、珍しく女性の声が飛び込んできた。

 その気品を感じる音色には、どこか寂しさも含まれているように聞こえる。

 だから人見知りする方の自分でも、シンパシーを感じて物怖じせずに応答することができた。



「はい、僕がアオです。なにか追加の仕様でもありましたか」



 椅子から立ち上がって振り向くと、胸にイブと書かれたプレートをぶら下げた女性研究者がいた。

 背は僕よりわずかに低いだけだから、自然と目線が合う。

 人に話しかけられることは滅多にない。

 全てオンラインでデータを共有すれば済むことだからだ。

 人を殺すほどの寒さの中、部屋を出て無駄に会議などしたくはない。


 だけど僕が驚いたのはわざわざこの女性が来訪したことよりも、彼女の容姿の方だった。

 肩に届く真っ直ぐな黒髪に対照的な、白いカジュアルシャツ。

 紺のタイトパンツ。それだけ。

 ここ最近はずっと、断熱材がたっぷり仕込まれたコートを着込んでいる自分には、そんな恰好をする機会は二度とないと思う。



「イブといいます。以降よろしく。それで早速、仕様の件で打ち合わせがしたいのだけど」



 凍り付いている自分を尻目に、彼女はきびきびと動いてノート型デバイスが映すデータをこちらに見せつけてくる。

 まさかこのまま打ち合わせを始めるつもりなのだろうか。



「イブさん、ですか。まずは、その、寒くないですか? 設定温度を上げますか?」



 この僕しかいないブース内は、防寒対策をしっかりしている場合の暖房設定になっている。

 少し前なら一般的なビジネススタイルだったかもしれないが、氷の世界となった今、イブの服装は水着と変わらない。

 この特別プロジェクトに集められた研究者は変人が多いと聞くが、彼女はその中でも群を抜いているだろう。



「お構いなく。特に問題ないので。それよりも、今すぐ本題に入りたいのだけど」



 女性は男性よりも寒さに強いと聞いたことがあるが、これは別格だろう。

 こんな薄着で出歩いているのは、他にザイトくらいしかこの館内にはいないと思う。

 無駄な感心をしている僕を無視して、イブはホログラム上のテキストをいくつも展開させて矢継ぎ早に説明をし始めた。



「これを、こうして欲しいの。いつまでにできる? 希望は明日中」

「ちょっと待ってください。僕はイブさんほど優秀じゃないんだ。最初から順を追って説明してくれますか」



 僕の情けない言葉を聞いても彼女は顔色一つ変えずに、勝手に椅子に座って表示させるテキストの変更を行っていく。



「貴方は大分若そうだし、この時代、生き残っているだけで優秀だと思うけど。最初から説明した方が早いなら、そうするわ」



 彼女の素早い手の動きで、僕のブースにあるデバイスは一斉に資料を表示させていく。

 プロジェクトの内容は理解している。

 ゲームのような世界に、今生存している全人類の意識を移して体感時間を引き延ばす作戦。

 これ以上ない最高の現実逃避だが、今現実的な案はこれしかないという。



「表示させるグラフィックの解像度がどこまでいけるか知りたいの。人間の目は五億画素の処理能力があるとも、数百万でも十分補完できているとも言われるけど、今のサーバーの処理能力としてはどこまでいけるか、分かる?」



 てきぱきと白いか細い指を振り回して、ぽかんとした僕に懇切丁寧に説明してくれる。



「ええと、ログインする人が少ない内は、十分いけると思うけど……グラフィックの見え方は現実と寸分違わない方がいい、ってことかな?」

「それは勿論そう。でも人間の脳は器用だから、多少荒くてもいいと思う。もしそうならリソースは他に回したい。こればっかりはテストしてみないとね」



 こういう感覚的な問題は理屈ではない部分も多い。

 試行を重ねて違和感がないと思うレベルを探らないといけない。

 しかしこんなことを聞いてくるということは、このイブという研究者はグラフィック関係の担当ということか。



「イブさんは画像処理が専門ですか」



 開発中のサーバー仕様書を引っ張り出している間、無音を嫌ってか、僕の口から勝手に質問が飛び出てきた。



「そうだけど。前に顔合わせしたはずだけど、憶えていない? 貴方は、確か難病解明が専門だったはず」

「……そう、でしたか。すみません」



 わざとらしく頭をかき、そっぽを向く。

 だけど本当に憶えていないから仕方がない。

 だって太陽をなんとかするプロジェクトだと思っていたのに、ゲームの世界を作ると聞かされたのだ。様々なものがどうでもよくなっていた。



「いえ、あやまらないで。私そういうの、好き」



 全く予想外の答えが返ってきて、反射的に彼女の顔を見つめる。

 好意的な言葉に反して、冷たいままの表情がそこにあった。



「私も、人間が嫌いだから」



 連続して、全てに冷え切ったような音声が聞こえてくる。

 彼女は勝手に僕の気持ちを代弁してくれているようだった。




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