虐げられたい王妃の画策は………………
書きたかったから書いたった。
「新しく側妃を迎える事にした」
その日私室にてグラストファイド王国の国王である、リーンデルツは少しも後ろめたい感情の無い声でそう宣言した。
明日は晴れだな位の声音で、だ。
リーンデルツのその発言に眉を顰めたのは、言われた相手であるアンジェリカ王妃では無かった。 アンジェリカ―――――――アンジェはリーンデルツの発言に黙って頷いた。
その了承ととれる動きに、アンジェの侍女やリーンデルツの側仕えでさえ息をのむ。
何故ならばアンジェとリーンデルツは結婚してまだ半年であり、常識的に考えても側妃を娶る場合は1年は期間を開けるのが通例であったからだ。
「アデロ公爵がうるさくてな。 あ奴を黙らせるためにその娘を側妃に迎える」
リーンデルツは再度事も無げに言い放つ。 実際うるさい相手を黙らす手立てに過ぎないと思っているだけなのだろう。
アデロ公爵はグラストファイド王国の宰相であり、リーンデルツの父王の代から仕える家臣であった。 しかし国に忠実というよりも己れの野心に忠実であり、最初は自身の娘を王妃にしようと画策していた。
だがリーンデルツが王妃に迎えたのは、隣国であるミリッツァリア帝国の姫であったアンジェであった。
己れの計画が狂ったため、うるさくリーンデルツに噛み付いているのは明白である。
侍女や側仕えたちは、リーンデルツが好きで側妃を娶る訳では無いと知ったのだが、文句ひとつ言わず黙って頷いたアンジェに「お痛わしい」や「王妃様が気にされる事はございませんわ!」「誰が何と言おうと正当な王妃様はアンジェリカ様、ただお1人りのみに御座います!」などと慰めの言葉を吐いていた。
しかし、しかしである。 当のアンジェはというと
(くぅぅ~~~………………さ、最高ですわ! これよ! これなのよ! 王妃であるのに特別扱いされない、むしろ少し蔑ろにされるこの感じですわ! 良いわ! 私がずっと求めていたのはこれなのよ!!)
身体に駆け巡る感激という名の刺激に、ただただうち震えていた。
そう、アンジェは少し…………いや、かなり変わった癖を持った少女であった。
(やりましたわ! 前々から掴んでいた情報通りね! アデロ公爵が狙っていた王妃の座を奪えば、娘を側妃に捩じ込んで来ようとするのは目に見えていましたわ! そのためにワザワザお父様にリーンデルツ様との婚姻を斡旋してもらったのですもの! こうで無くては、今後の私の計画が狂ってしまいますもの!)
アンジェの計画とはこうだ。
まずアデロ公爵の娘を王妃にする計画を掠め取る。 そしてその娘をリーンデルツの側妃にさせ後宮に入れる。 アデロ公爵に言い含められている娘はアンジェを虐めたり、罵ったりと悪意のある行動を起こすに違いない。 だがそれこそがアンジェの狙いであり望みでもあった。
そう、アンジェはミリッツァリア帝国の姫という高い地位にありながら、常々他人から虐められたり罵倒されたり、更には命の危険に晒されたりしたいという…………そういった特殊な癖を持っていた。
母国ではその高貴過ぎる身分と、とある行いのせいで、それはそれは大切にされ万人に傅かれて来た。 しかしアンジェが求めているのは皆から大切に扱われる事などでは無かった。むしろ真逆で、酷く扱われたり蔑ろにされたりと、とにかく他者から虐げられたかった。
アンジェのこの特殊な癖の目覚めは偶然であった。
アンジェが8歳のころ、1歳上の兄であるガイルディア皇太子と離宮でかくれんぼをしている最中にとある事を目撃したのが始まりであった。
アンジェがガイルディアから隠れるため、離宮の廊下を小走りで駆けていると、近くからガシャーーンと何かが割れる音がした。
どうやら左の部屋から聞こえてきた様だ。 アンジェは興味本意で室内をコッソリと覗きビクリと身体を震わせた。
「あ、貴女…………とんでもない事を仕出かしてくれたわね!!」
「も、申し訳御座いません!」
「謝って済む問題では無いわ! この花瓶はデルフィーネ様の御気に入りでこの世にふたつと無い物なのよ!!」
「………ヒッ…………わ、わた……私はどうしたら………」
余りの出来事にメイドはカタカタと小刻みに震え出す。
「……………貴女は間違いなく牢に入れられるでしょう」
「そ、そんな…………そんな…………………」
同僚のメイドの脅すような言葉に絶望に顔を歪める。
「それだけで済めば良いけれど?」
止めでも刺す気なのかと、問いたい位に追い討ちを掛ける同僚のメイド。
「…………えっ?」
「花瓶を割った咎が貴女の家にまで及ぶ可能性もあるわ」
「そ、それはっ………それだけは止めて頂きたく…………」
「残念だけどそれを判断するのは私では無いの」
「うわぁぁぁぁ~~~~~~~」
その泣き出したメイドのこの世の終わりみたいに嘆き、悲しむ姿にアンジェは心底羨ましいと感じた。 普通ならば痛ましいとか可哀想といった気持ちを感じる場面でその相手に嫉妬したのだ。
アンジェは産まれてこの方、泣きわめくほどに感情を揺らした事が1度も無かった。
もちろん嬉しい楽しいという感情は沢山感じた事があった。しかし悲しい、悔しい、辛いなどの負の感情を持ち合わせた事が殆ど無かった。
それは娘を溺愛する皇帝のせいでもあったのだが、アンジェが知る事はきっとない。
そんなアンジェは床に這いつくばり、恥も外聞もかなぐり捨てて号泣するメイドに、羨望と嫉妬の混じった眼差しを向ける。
(何故でしょう………あんなに感情的になれるなんて彼女は凄いなぁ………羨ましいなぁ………。 それに床に這いつくばるメイドの姿は何かとても………とても魅力的な気がするの。 1度で良いから私もあの様な姿になってみたいものだわ)
そう感じた事が始まりといえば、始まりだったのだろう。
アンジェはソッと部屋に入ると、泣いているメイドに声を掛けた。
「どうしたの? 何故泣いていているの?」
「ア、ア、アンジェリカ様!?」
「姫様、何故ここにいらっしゃるのですか!?」
メイドたちが驚愕した様に慌てて駆けよってくる。
「ねぇ……答えて。 何故貴女は泣いているの?」
本当はさっきからずっと覗いていたのだ。メイドが何故泣いているかなど、とうに知っているアンジェ。 でもさも今来たばかりだから泣いている理由が分かりませんのよ私風に聞く。
だってコッソリと覗いていたのはバレたくないからだ。
「いえ、姫様がお気になさる必要は……………」
「…………わた………私が…………皇妃様の………大切な花瓶を…わ、割ってしまったのです」
泣いているメイドとは別のメイドが、咄嗟に隠そうとしたのに本人が気丈にも、自分で申告してしまった。
「花瓶?」
「……………はい。 こちらです」
諦めたのか他のメイドが割れた花瓶を指し示す。
確かにアンジェの母であるデルフィーネの御気に入りの逸品だった。 しかし形あるものはいずれ壊れるものだ。 永遠にあるものはなど在りはしない。 そのいずれが今だったと言うだけだ。 アンジェは幼いながらその事をきちんと理解していたし、壊したメイドが隠蔽しようとしなかった事に好感をもった。
アンジェは真っぷたつに割れた花瓶を持ち上げると、そのまま床へと落とした。
ガシャンッ。 花瓶は粉々に砕けた。
「ひ、姫様!? 何をなさって……………」
メイドが驚いて声を上げるが、視線ひとつで黙らせた。
「お母様には私がお兄様と遊んでいて割ってしまったと報告しておいて」
「姫様…………ですが…………」
「私がそれで良いと言ったのよ。 そうしてちょうだい」
そうメイドに厳しく命じ、未だに床で震えているメイドにこう告げた。
「貴女や貴女の家族の命が花瓶と同等では無いわ。ましてやそれ以下では決してないの。 でもそうね、これからは十分に気を付けるべきだけどね」
「ひ………ひめさ………ま………姫さまぁ………ううっ………」
泣いていたメイドは顔を真っ赤にして、涙ぐみさっきよりも更に大きな声で泣き出し、周囲のメイドは感極まったかの如く、アンジェを尊敬の眼差しで見詰めていた。
アンジェとしてはここで泣いていたメイドが喜ぶと思ったのだが、何故だかまた泣き出した事にひたすら困惑していた。 もちろん表情には一切出ていなかったので、この場の誰にも気づかれはしなかったのだが。
その後花瓶を割った罰として、デルフィーネによってアンジェは私室に軟禁され、大嫌いな刺繍を延々と刺すはめになったのだが、嫌なのに強要されると楽しい様な? と、よくわからない感情に心を揺さぶられたのであった。
その感覚に味をしめたアンジェは、メイドや侍女の失敗を赦してまくって居たら、国内での評判がうなぎ登り。 付いたふたつ名が【ミリッツァリア帝国の慈悲深き姫君】という恥ずかしい名であった。
実際はメイドや侍女を庇うと、デルフィーネから罰を貰えたり教育係のナデネ女史からキツく叱責を受けられたからだ。まったくもって慈悲の気持ちからでは無い。 己れの特殊な癖をみたすための打算的な行動であった。
そんな目覚めたアンジェは成人である16歳になって、どこかに嫁がねばならなくなってしまった。
アンジェは国内の貴族に嫁ぐつもりが毛頭無かった。 ミリッツァリア帝国は一夫一婦制であり、ドロドロとした後宮で他者から陥れられたり、蔑まれたりしたい願望が爆発しそうだった。
デルフィーネからの罰やナデネ女史の叱責程度では、もうみたされ無くなっていたのだアンジェは。
アンジェは隣国の冷徹で合理主義のリーンデルツに白羽の矢を立てた。
ちょうどかの国は一夫多妻制であり、後宮も兼ね備えており、野心溢れる公爵が居りどうやら娘を王妃にしたい様である。
お飾りな王妃を演じれば、きっとあちらから喜んでアンジェに色々してくれるに違いない。
そんなウキウキワクワクしているアンジェを見て、父であるミリッツァリア帝国皇帝ランドルフはそんなにリーンデルツの事が好きなのかと、酷く落ち込み、万が一いや、億が一 リーンデルツがアンジェを泣かせる様な事があったら隣国を攻め滅ぼそうと心に誓っていた事をアンジェは知らない。 そしてランドルフもアンジェがむしろ泣かされたいがためにリーンデルツへと嫁ごうとしているなど知るよしも無かったのであった。
それにより両国の間で大きな争いは起きる。
ミリッツァリア帝国内で人気の高い【慈悲深き姫君】を王妃に迎えた癖に、たった半年で側妃を娶ろうとしたリーンデルツに帝国民たちは激怒した。
その筆頭がぶちギレたランドルフ帝であったのは言うまでもないのであった。
かくして虐げられたい王妃であるアンジェの画策は………………………
失敗に終わったのであった。
その後のオマケ
アンジェ→身を呈してリーンデルツを庇った。もちろん愛しているからとかそんな理由ではない。むしろ大勢から責められて(攻められて)大層羨ましかった。 だから本音がつい漏れちゃった「お願いです! リーンデルツ様を責めないで! 責めるなら私を! どうかっ! どうかっ!!」
涙ながらに切々と訴えた。
【慈悲の姫君】の切なる願いにより争いは収まった。
しかし勘違いしてはいけない。
アンジェはただ単に責めるならば私にしてと、言っただけである。 特殊な癖の持ち主だから!
リーンデルツ→身を呈して庇ってくれるアンジェに惚れ………………無い。
冷静に何故隣国と争いになったのか分析する。すると直ぐに理解するアンジェが原因だと。
面倒くさい者を背負い込んだと感じるが、後の祭りである。 今後は隣国の顔を立ててアンジェの取り扱いに注意するようになる。 しかし最後までアンジェの特殊な癖には気付かない。
鋭いのか鈍いのか。何とかは紙一重。
アデロ公爵→野心を断たれ茫然となる。 その後息子に職を譲り隠居する。
アデロ公爵の娘→争いのどさくさでミリッツァリア帝国のマッチョ将軍に拐われる。 両者共に一目惚れ。 幸せに暮らす。
ランドルフ帝→アンジェを溺愛し過ぎて隣国を攻め滅ぼそうとするやべー奴。 リーンデルツは大嫌いなままだが、アンジェに子供ができると大層喜んだ。 今度は孫にメロメロになる。
デルフィーネ妃→常識人。夫であるランドルフの暴走の後始末を粛々とした才女。
ナデネ女史→常識人。 アンジェを叱責出来る数少ない人間。実はランドルフの異母姉。 未婚。
ガイルディア→のんびり暢気な皇太子。ただし怒らせると恐ろしい人物。 国内の侯爵家の幼馴染みの令嬢と結婚する。 特筆する箇所は無いが臣下にも民にも愛される皇帝になる。
泣いていたメイド→アンジェに絶対の忠誠を誓う。メイドから侍女へとランクアップし、アンジェの嫁入りにも着いてきていた。 名前は出ていないが今後もきっと出ない。
アビー&ベルトラ→アンジェとリーンデルツの子供たち。
双子の姉弟。 本編には一切出てきていない。
アビーは食欲旺盛。ベルトラは好奇心旺盛。
ちなみに登場人物の容姿や姿は特に決めてません。好きに想像して頂けたら幸いです。