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第77話 『アルベスタンへ』

 いよいよ訪れた旅立ちの時。

 ロザリー達はそれぞれ、思い思いにロンデニオン最後の日を過ごした。

 その際、ちょっとした騒動がロンデニオン城であったのだが、ロザリーはそこでの出来事を頑なに語ろうとはしない。へそを曲げた彼女を見る限り、彼女を中心に大人達が巻き起こした珍事件である事に間違いないだろう。

 その時の様子はまたいつか紹介するとして、それによって別れの寂しさが吹き飛んだのも事実である。彼女達は再び旅立つ事を世話になった者達に告げ、出国の途につく。そのため自由都市デュオロンは、いつにもまして騒がしくロザリー達を見送る人であふれていた。


「父さんって意外と顔が広かったのね。まさか、テンプルナイツまでこんなに見送りに来てくれるなんて……」

「俺を何だと思ってんだ。だがまあ、あいつらを動かしたのはむしろお前の方だろう。ここに来てからの活躍はラインハルトの親父から聞いたぜ。まったく、まだまだ尻の青い小娘だと思っていたが、すっかりデカくなっちまってな」

「やめてよ、父さんまで」

「別に、尻の事じゃないぞ。一応」

「……どういう事?」


 そんな英雄ロザリーの旅立ちと言うことで、今回はテンプルナイト直属の騎士団が馬車を出してくれる事となった。彼女達が乗るのは車の城(ヴァーゲンブルク)と呼ばれる、堕龍(だりゅう)のものよりもさらに豪華な造りの馬車である。これならマコト達を含めた大所帯でも問題なさそうだ。


「ロザリー!」

「ああ、アニエス。お見送り、あなたも来てくれたのね」

「当然でしょ? 私にとっての一大事だもの」


 しばらく会えなくなると聞いて、今は王宮で暮らしているアニエスもまた養父ルドルフと共に駆けつけてくれていた。


「本当に行っちゃうんだ。これから、さみしくなるね」

「ええ……」


 流石の彼女も今回は引き留めるような事はしない。すでにお互いの置かれている立場を十分すぎるほど理解しているのだ。

 あれから彼女は政治に携わる(かたわ)ら、自由都市ペティエルにある大学へと通っているという。そこで法律等の勉強を重ねつつ、貴族である養父のコネクションを通じ、ローランドに残る多くの貴族達をまとめ上げようと働きかけているらしい。


「聞いたよ。お姫様を助けに行くんだってね。これで私達、魔女解放同盟にもいよいよ旗印ができるわけだ」

「魔女解放同盟?」

「ふふっ。前に言ってた、私達の組織の名前。すでに有力な各地の領主や、ローランド王族の遠い血縁である貴族方の署名も貰ってるわ。さらにボルガード王に取り入ってロンデニオンの内部にも食い込んだ。あの方、特に一つの勢力に肩入れしなさそうに見えて、マレフィカの事すごく気に入ってくれているよ。もちろんロザリーの事もね。デュオロンが変わった事で、ずいぶん色んな事を見直すきっかけになったってさ」

「それは私だけの力ではないわ。みんな……特にサクラコが頑張ってくれた事よ」

「そうだね……あ、サクラコ!」


 アニエスは先に馬車へと乗り込んでいたサクラコへと手を振った。二人は逃げてばかりだったこれまでの人生から、共に脱却した同士でもある。サクラコも笑顔でそれに応えると、後ろで堕龍の黒胴着達のむせび泣く声が聞こえた。


「正直言うとね、なんだかこのまま、あなたが遠くに行っちゃう気がしてるんだ。でも、信じてるから。きっとまた会えるって」

「あなたもきっと、次に会うときはもっと偉くなっているはずね。寂しいのはお互い様だわ」

「ロザリー……」


 窓の奥からはちらりと、サクラコの隣に位置するパメラが覗く。その顔は一応笑顔を作ってはいるが、どこかそわそわとしている事は一目瞭然である。


「ぷっ。聖女様がやきもち焼くから、今回はいってらっしゃいのキスは我慢ね」

「もう……何でキスする前提なのよ。じゃあ、元気で」

「ロザリー、もう一度言うよ。私を、水底から助けてくれてありがとう。ふふっ、それじゃ頑張ってね!」


 案の定ちらちらとパメラがこちらを見ている。そろそろ行かなければまたご機嫌ナナメな道中となりそうだ。ロザリーは後ろ髪を引かれつつ、馬車へと乗り込んだ。


「お姫様救出記念のパーティー、絶対呼んでよねー!」


 すでに成功した気になっているアニエスに見送られ、ロザリーはロンデニオンの人々へと改めて別れを告げた。


(アニエス……本当に救われたのは、むしろ私の方よ)


 拒絶から始まった関係も、今では何より心強いものへと変わっている。そして、ここで出会えた多くの人々も。こうやって出会いの一つ一つを大事にしていく事が、孤立した状況であるマレフィカを変える道なのだとロザリーは強く実感した。


「さてと、みんな乗ったか? じゃあ例の所まで出してくれ」

「了解しました!」


 ブラッドの合図で駆け出す馬車。御者として案内するのは、デモンブレッド・ゴーラウンドにてトリスタンの代表騎手を努めたサディクである。


「あちらの土地は我々の庭みたいな物です。無事騎士団務めになったこのトリスタンスコーピオも、早速の仕事に張り切ってますよ!」

「ああ、あなた、あの時の! あの子の鬼気迫る走りも、よく覚えているわ」

「フフ、流石にロザリー殿とシュヴァイツァーには敵いませんがね」

「なんだお前、もしかしてレースに出たのか? クソッ、だったら有り金全部賭けたってのによ!」

「もう、簡単に言って。ものすごく大変だったんだから……」


 あの熾烈を極めたレースで三着を取った彼ならば道中も安心というもの。一方、中はというとすでにロザリーとマコトの両チームで大賑わいだ。


「わあー、みんなずっと手を振ってくれてる。ううっ、嬉しいなあ」

「ほらマコト、見てください、冒険者ギルドの人達です! それに教会の子供達もいますよ!」

「あ、あの女の人だ。べーっ」


 マコト達もそれぞれ、思い思い出会った人々に別れを告げる。そこには長らく面倒を見てくれたギルド長や、いつか共に戦った冒険者達もおり、それぞれ再会を誓う言葉を掛けてくれた。


「ふん、あの街はメリルには少し騒がしい。これでせいせいするというものだ」

「お姉様、こんな時くらい正直になってもいいんですよ。グラーネと別れるの、寂しかったんですよね」

「それは……そうなのだ。う、うわーん!」


 見慣れた街が遠ざかる。最初に転がり込んだ貧民宿と故郷オルファの人々。お世話になった商店街に、様々な事件が起きた冒険者ギルド。そして、愛馬と共に駆けた城下。色々な想いをそこへと置いて、魔女達はまだ見ぬ景色を目指した。


「アンアン!」


 そんな時ふと、感傷的になっていたロザリーへと元気な鳴き声がかかる。


「イブ、どうしたの?」


 今回はもちろん長旅になるため、忍犬イブも連れてきている。彼女も少しずつサクラコと修行を重ね、その体はほんの少し(たくま)しくなっていた。別れの際、特にお世話になった堕龍のボス、ファレンなどは男泣きまでする始末。この子は街のアイドルであると共に、彼らの酷く(すさ)んだ心を癒やす存在でもあったらしい。それもきっと、今後はシュヴァイツァーが代わって役目を果たしてくれるだろう。


「クーン」

「ふふっ。あなたも寂しいのに、慰めてくれるのね」


 そんな気丈に振る舞うイブを気に入ってか、ブラッドは普段見せないような顔で彼女の相手をしてあげた。


「よーしよし、良い子だ。しかし、犬なんか飼ってるんだな、お前等」

「はい、色々ありまして。今でこそまだ子犬ですが、私がきっとこの子を立派な忍犬にしてみせるつもりです!」

「無茶を言う……どう見ても愛玩用だろ、これ」


 そう意気込むサクラコを見て、きょとんとしたイブへと少しばかりの同情を覚えるブラッドであった。


「しかしお前、イブっつうのか。見たところイヅモの犬なのに、ずいぶんとハイカラな名前して」

「悪かったわね。その名前付けたの、アタシなんだけど」

「ハハ、そういやお前、たしか魔法少女ってやつだったな。そういやあの猫はどうした? フリフリと一緒に捨てたのか?」

「なっ、そんな訳ないでしょ! いや、フリフリは捨てたけど……ってロザリー! この親父めちゃくちゃ失礼なんだけど!」

「ほらほら、ケンカしないの。ティセも犬に噛まれたと思って、ね」

「言うに事欠いて自分の親を犬扱いかよ……」


 イブと共に仲良く並ぶドーベルマンのようなブラッドを見て、思わずロザリーが吹き出す。


「ふっ、んふふ、あはははっ!」


 珍しく年相応に大笑いするロザリー。箸が転がってもおかしい年頃というあれである。


「ロザリー? だめだこれ、ツボ入ってるわ」

「こんなに笑うロザリーさん、初めて見ました……」

「ごめんなさい、何だか楽しくなっちゃって……ふふ」

「ちっ、人の顔みて笑う奴があるか」

「ロザリー、良かったね。ずっと夢だったお父さんと……ううん、お義父(とう)さんとまた再会できて。ねえ、お義父さんもそう思うよね?」


 パメラは謎の圧を発しながら、ふて腐れたブラッドの手を握りしめた。どういうわけか、彼女から有無を言わさぬ迫力を感じる。


「あ、ああ……まあ、そうだな」

「お義父さんにはね、もっといいお報せもあるんだけど、これはもう少し先の方がいいかな。いきなり色んな事が起こるとびっくりするもんね」

「何だ気味が悪い。おい、この娘、ちょっと変だぞ! それにびっくりするほど手が冷てえ!」

「そんなに照れなくても。うふふ、うふふふ……」


 どこかねちっこいパメラの笑い声が馬車に響いた。聖女は冷徹な二面性を持つと噂には聞くが、まさかこの顔がそれではと彼の額に冷や汗が流れ出す。


「お姉ちゃんずるい! 私もブラッドさんの手、にぎにぎしたいー!」

「うん、じゃあソフィアもこっちおいで。二人で挟んじゃえ」

「やったあ! ロザリーさんはお姉ちゃんに譲ったけど、ブラッドさんまでは譲らないんだから」

「まったく、こいつら何の話をしてやがんだ……」


 両隣を聖女ーズに占拠され、とうとう囚われの不審者となったブラッド。どうも所在なさげな彼は、なんとも情けない顔でこちらに助けを求めている。これ以上おもちゃになった父を見たくない事もあり、ロザリーは助け船を出してあげる事にした。


「そ、そういえば父さん、昨日ボルガード王と謁見したんでしょ? 何を話したの?」

「あー。昔の事とか、色々とな。あいつら、雁首そろえて皆で俺をおだてまくる。居心地が悪いったらないぜ。……まあ、今も同じようなもんだが」


 結局ブラッドは面倒くさそうにそう返すだけである。どうも過去の戦いは英雄(たん)じみた仰々(ぎょうぎょう)しい話として伝えられているため、それがむずがゆいのだそうだ。その話になると決まってお尻をポリポリとかくだけであるが、今はソフィアにその手を握られており身動きもできない。


「そっかあ、ブラッドさん、名の知れたレジェンドですもんね」

「逆に、何でそんな人がアルベスタンにも入れないのよ」

「姫が囚われている今、ローランド関係者は特に取り締まりが厳しいんだよ、わかりきったことだ」


 また面倒そうに返すブラッド。ティセはムッとした顔でロザリーの隣に腰掛けた。


「ロザリー父、やっぱ愛想ワルッ!」

「これでも昔よりは丸くなったのだけどね……」

「はあ? 今でこれならどんなだったのよ、一体」

「そうね。その名の通り父さんが通る所、必ず血の雨が降ったらしいわ。それで素行に難があるっていう事で、騎士団には正式に加入できなかったとかなんとか」

「おい誰だ、そんな酷い事言った奴は。俺は自分から入らなかったんだよ、規律に縛られるのは面倒だしな」


 二人のちょっかいを軽くあしらっていたブラッドだが、どうやら自分の噂話にずっと聞き耳を立てていたようだ。


「誰って、キルに聞いたのよ。父さんの事、ずいぶんと楽しそうに語っていたわ」


 キル。ロザリーの所属していた逆十字の副団長であり、ブラッドの一番弟子でもあったキリーク゠シュバイツァー。忠義心に厚く心優しい騎士で、ロザリーの憧れの人でもある。


「彼は、いつも父さんを目標にしていたわ。でも、結局はそうなりきれなかった。でもね、だからこそ、そのおかげで今の私がいる。そして、このパメラがいるの」

「うん……だから、その人の代わりに、私はロザリーを守るって決めたの。私にとってもすごく、大切な人だよ」


 聖女暗殺の作戦を一丸となって遂行していた逆十字にあって、最後まで正しい道を模索していた人。自分はあの人の機転で今こうしているのかもしれないと、ロザリーは改めて彼の精神性に尊敬の念を抱く。それはあの時命を狙われたパメラもまた、同じであった。


「キル……か。あいつはあいつで似合いもしねぇ名前しやがってな……」


 昔を思い出すように遠い目をするブラッド。ロザリーはそれ以上何も言えずに、静かな時と共に過ぎゆく景色をただ眺めるのであった。






 マレフィカ達を乗せた馬車は、すでにロンデニオンを遠く離れた。しかし道中は快適な乗り心地で、揺れも少なく長旅の疲れすら感じさせない。という訳で一同は目指す目的地へはほぼ、何事もなく平和に辿り着くことができた。強いて言うならば、マコトが持参のお弁当箱を広げ始めた時に車内が騒然となったくらいである。


 ここは国境をやや過ぎた、アルベスタンとの中継地点。まだ温帯の緑もちらほらと散見されるが、目的の場所はこれより南の砂漠地帯にある。つまりここから馬車での移動はほぼ不可能となるため、一旦降りて積み荷をラクダへと載せ替える必要があるのだ。じわじわと気温も上がり、いよいよロザリーは異国へと来たのだと実感した。


「では、ブラッド殿にロザリー殿。ご武運を!」

「ああ、お疲れさん。何かあれば連絡をよこす。まあ、国同士の(いさか)いにまではしないつもりだがな」


 騎士達が役目を終え、帰路に就く。あくまでこの作戦は内密に行わなければならないため、今後はしばらく自分たちだけで行動する必要がある。その手引きの為、まずはここでブラッドの知り合いと会う手順となっていた。


「ふうー、それにしても熱いですね。ちょっと休んでいきましょうか」

「ああ、ここまで来たんだ、せっかくだしチャイでも飲んでいくか。だがあまりゆっくりもしてられんぞ、こうしている間にも、姫さんの身に何が起きているか分かったもんじゃないからな」

「は、はい。ほらアンジェ、急いでみんなの分買ってきて。はぐれても私の位置はベルで分かるでしょ」

「なんです? チャイって。ま、とりあえず行ってきますー」


 と、空を飛べるアンジェを使いに出し、ちょっとした待合場所にて一同は知り合いという人物の到着を待つ事にした。


「おーい、ブラッド! こっちだこっち」


 少し待つと、遠くから一人の男性が現れた。ロザリーも見覚えがある、多少くたびれた男。元ローランド騎士団親衛隊隊長、クロウ゠デニールである。

 小走りでこちらに向かう彼の、半分ほど前へ垂らしたやや長めのブロンドの前髪が揺れる。背格好は中肉中背、それをぴっちりとした柔軟性のある黒のボディスーツに、砂汚れの目立つ親衛隊の白のでに覆っている。そして何より目を引くのは、その背に携えた長槍である。男前といえば男前だが、性格が三枚目であるためか未だ独り身らしい。彼は元々ローランド出身の騎士であり、ブラッドとしては魔王退治からの長い付き合いである。


「クロウ、お前今まで何をしていた! 姫さんの事はお前に任せていたはずだ!!」


 ブラッドはそんなクロウを見るなり怒声を飛ばした。それまで遠足気分ではしゃいでいた皆に緊張が走る。


「すまんっ! それについては俺が一番俺を殴ってやりたい。だが(いた)し方なかった……。姫様にああまで言われちゃあ……」


 クロウはすかさず土下座しながらそう弁明すると、砂を叩きつけ、唇を噛みしめる。


「まあ、こいつらも少しゆっくりさせてやりたい。続きはここで一服した後、お前達の拠点で話そう」

「ああ……俺たちのキャンプはここから少し行ったオアシスにある。何もない所だが歓迎するよ」

「……しかしアンジェの奴、遅いな。マコト、あいつに行かせたのは間違いじゃないのか?」

「うーん。つい、いつもの癖で」

「お前達の関係性、なんとなく察するものがあるな……」


 新しく出会うあれこれに興味をそそられるばかりのパメラは、特に先ほどから気になっていた事をロザリーに訪ねる。それは、ずばり美味しいものの予感がするのだ。


「ロザリー、チャイって何?」

「そうね。チャイっていうのは、甘くてとっても美味しいお茶よ。簡単に言うとミルクティーね。きっとあなたも気に入るんじゃないかしら」

「わあっ、楽しみ!」


 その反面、それを聞いたマコトは途端に顔面をこわばらせる。


「あっ、そういえば甘いやつだった、それ!」

「そうだけど……マコト、どうしたの?」

「あの子、甘いものに目がなくて! 今頃きっと……」


 マコトが何かを言いかけた途端、どこからか鐘の音が聞こえた。これは確か、アンジェの持つ天使のベルの音である。


「ふいー。マコトー、ただいま戻りましたー。ぐえっぷ」


 悪い予感は的中した。彼女は見るからにお腹を膨らませながら、残り少なくなったボトルを片手に空から舞い降りたのだ。


「き、君は……」


 流れるような金色(こんじき)の髪と、御使いを思わせる純白の翼。そしてその肢体を惜しげもなく晒すようなレオタード。それを見たクロウの口から、思わず恍惚のため息が漏れる。


「何です? このおじさん」

「う、美しい……。君、もしかすると、天使、ではないか?」

「そうですが、何か?」

「ああっ! 何という光栄、生きて再び天使に会えようとは!」


 クロウは神に祈りを捧げたかと思うと、チャイでベトベトのアンジェの手を取り、何を血迷ったかそこに口づけをして見せた。


「ぎゃあ、気持ち悪い!」

「き……きもち、わるい?」

「ああ、そういえばこいつ、天使狂いだったな。アンジェ、気の毒だが犬にでも噛まれたと思って諦めろ」

「ぷっ」


 以前の事を気にしてか、ブラッドはロザリーの文句を引用してみせた。その途端、またもクロウがくたびれたラブラドールか何かに見え、口元を押さえるロザリー。


「くく……」

「ろ、ロザリーちゃん? 何がおかしいんだい?」

「ちょ、ちょっと……今来ないで」

「ひどいじゃないか、久しぶりに会ったってのに。クロウおじさんって、いつも慕ってくれていたよね? ほら、言ってごらん、せーの、クロウおじさーん」

「んふっ、あはははっ!」


 情けない顔で迫ってくる様子がたまらず、再会の安心感と合わせロザリーはとうとう吹き出してしまった。


「がーん……。俺ってそんなに変な顔してる? ショックすぎてこれじゃ、ショックじも喉を通らないよ」


 炎天下の下、ちょうど良い寒風が吹いた。マコトは故郷にもいる似たようなおじさんを知っているだけに、どうにも不安が隠せない。


「ねえブラッドさん、ほんとに大丈夫なのかな? この人」

「うーむ、これでも他に並ぶ者のない程の槍の達人なんだぜ。どの伝記でも俺のライバル扱いとして書かれているのは気に入らんが……」

「こんなのただの変態ですっ、アンジェはもうお嫁に行けません!」


 どうやら手にこぼしたチャイを舐めとった箇所を、ピンポイントで吸われたらしい。まさに出会って五秒で間接キッス(合体)である。


「そんな事よりもこのチャイ、中身全然入ってないじゃない。アンタ、全部飲んだでしょ」

「うっ……そうです! おじさん、お詫びとしてアンジェの代わりに持ってきてください。ほら、急ぐんですよ!」

「は、はいー!」


 哀れ、クロウはアンジェにすら袖にされ、有無を言わさず彼女の使い走りと化した。と同時に、少女達の中での絶対的なヒエラルキーが決定した瞬間であった。


「ああ、姫様……。これはあなたを守れなかった俺への罰でしょうか……ううっ」






 一息ついた一行は荷物をラクダに載せ替え、クロウの案内で新たな拠点へと向かった。


「さあ、ここが俺たちの拠点だ。便宜上、俺たちはリトルローランドと呼んでいる」


 着いたのは砂漠地帯にポツンと取り残されたようなオアシス。どうやらここはローランド人達の難民キャンプのようだ。辺りを見渡すと、着の身着のままの一家や小さな子供達が心配そうにクロウを見つめる姿があった。クロウはそれらに、逐一笑顔を返す。


「クロウおじちゃん、食べ物、買ってきてくれた?」

「ああ、たくさん買ってきたぞ。お前ももうお兄ちゃんなんだ。年下の子にも、ちゃんと分けてやるんだぞ」

「はーい!」


 どこか疲れた顔をしているクロウだが、彼には彼で守らなければならない物があるのだろう。察するにあまりある光景だ。


「うう、まるで人の分も全部飲んだアンジェが悪いみたいじゃないですか、変態おじさんのくせに」

「そりゃ悪いでしょ。反省なさい」

「ひゃい、ごめんチャイ……」


 ここには点々と羊の皮で出来たコテージのような住居がいくつも建っており、そこから覗く人々の姿は大半がやせこけている。おそらく病人もいるのだろう。


「みな、疲れているわね」

「うん……。私にも、できることはあるのかな……」

「パメラ……」


 つぶやくようなパメラの声を聞く。ロザリーは彼女の手をそっと握った。


「とりあえずここが君たちの寝泊まりする場所だ。長老達に失礼がないように、まずは挨拶を頼む」


 集落の中心にある土くれで造られた簡素ながら一際大きな住居は、皆が寝泊まり出来るだけのスペースは確保されていた。ここがこれからの住処となるのだ。


 ロザリー達はさっそく広間に通され、そこで到着を待ちわびたかのように長老達が出迎え歓迎してくれた。ただ、ここで一番偉いはずの彼らだが、その姿から貧しさは一目で見て取れた。しかしこれでも、アルベスタン本国にて奴隷として生活していた頃より遙かにマシだという。そう語る彼らの目からは、未だ死を受け入れていない生の光を感じた。


「久しぶりだな、元老院のじじい共。雁首そろえて元気そうじゃないか……なんてな。かく言う俺もくたばりぞこなっちまったよ、ハハ」


 長老達と顔を合わせるなり、ぶっきらぼうにそう言い放つブラッド。しかしそれこそが彼なりの優しさである事は、ここにいる誰しもが知るところである。


「それで、こいつは娘のロザリーだ。こいつをはじめ、役に立ちそうなマレフィカも連れてきた。じじい共、これでもう安心だぞ」

「どうも、紹介に預かりましたロザリーと申します。マレフィカを代表して、我が主クリスティア姫の奪還をここにお約束いたします。その間、しばらくこの子達がご迷惑をおかけすると思いますが、どうかお許しくだされば幸いです」

「お前、相変わらず堅いなあ……」

「何よ、父さんが失礼すぎるのよ」


 姫のお気に入りだったあの小さな少女がたくましく成長し、騎士となるべく舞い戻った。元老院の生き残りである彼らは、この光景に涙せずにはいられない。


「おお、おお……おめおめと生き延びた甲斐があったというものだ。まさか、こんな日が来ようとは……」

「うむ、あのブラッド殿が娘さんまで連れて来てくれるとはのう。この時のため、ワシらは命を繋いだのだな」

「それもこれも、全て姫様のおかげじゃ。姫様はその身を捧げ、我々を奴隷の身から解放してくれたんじゃ」


 長老達は口々に皆、そう話す。親衛隊長としてクロウもそれに続けた。


「ああ。だが、クリスティア様は自分を責めた。民にこんな暮らしを強いているのは力の無い自分のせいだと。ちくしょう、違うのによう」

「今嘆いても詮無きことだ。で、どんな状況だ? 中は」


 ブラッドにも少しばかり焦りが見える。クロウはその焦りを共有するかのように、苦々しく答えた。


「ああ、なんとも言えないな。今、アルベスタンは変革期なんだ。長い間国を支配していた前王が死に、跡継ぎが王位を継承したばかりだけに不安定な状況には違いない。元々ここは強権的統治国家だったが、新たな王によりその傾向はさらに強まったように見える。いや、暴走状態と言った方がいいか。今までは曲がりなりにも、統制の取れた国だったはずなんだが……。そもそも国王の交代劇自体、ここ百年以上なかったというからな。よく分からん国だよ」

「つまり、跡継ぎがどうしようもない暴君だという事か……」

「ああ。姫様が難民の待遇改善を訴えに訪れた時、どうも気に入られちまったみたいでな」

(きさき)にでもするっていうのか!?」

「分からん……だが今、姫様はコロッセオの見世物になっているらしい。奴は犯罪者と奴隷達での殺し合いを楽しむ下衆(げす)野郎と聞いた。姫様もおそらく……」


 怒りに静かに震えるクロウ。ブラッドも思わず立ち上がる。


「なに……!? やはりこれは急いだ方がいいな」

「ええ……!」


 これまで二人の会話を黙って聞いていたロザリーだったが、いよいよ我慢の限界であった。


「父さん、今すぐにでも乗り込むわ! 姫がそんな事……考えたくもない!」

「オッケー、派手にやってやろうじゃん」

「わ、私も微力ながら助太刀いたしますっ」


 そのまま勢いよく飛び出しそうなロザリー達だったが、ひとまず冷静さを取り戻したブラッドが制止する。


「まあ、待て。このまま行ってもミイラ取りがミイラだ」

「ああ、ロザリーちゃん。君の気持ちはよく分かる。君と姫様はとても仲が良かったからね……だけど、姫様も昔の姫様じゃない。俺の持つ全てを伝えた。今じゃユリウス様にも勝ると劣らない十字槍の達人クラスだ。少し、冷静になってくれ」


 ユリウス様、というのは槍の名手で名を馳せた心優しきローランドの王子。故人である。


「わ、分かったわ……でも、どうすればいいの?」

「まずは作戦通り、お前達の中で数人、奴隷になりすまし潜入してもらいたい。さすがに人数が多いと怪しまれるからな。うーむ、サクラコは諜報(ちょうほう)に長けているだろうから安心としても……あまり丈夫じゃない奴は行かせられんな」


 ブラッドは、あーでもないこーでもないと唸りながらロザリー達をそれぞれ見やる。


「そうだな……ロザリー、マコト、サクラコ、メリル。ここはお前達4人にまかせるか。それとアンジェ、お前はこっちと向こうを繋ぐ連絡役になってくれ。ヘマはするなよ」

「は、はい~」


 妥当な所だ。もしパメラが指名されたらどうしようかと思うところである。


「危なくなったら、無理はするな。構わず逃げてこい」

「分かったわ。私はともかく、この子達に無茶はさせない」

「わー、緊張してきた。ロザリーさん! どうぞよろしくお願いします!」


 マコトがこちらをまっすぐに見つめる。こうして見ると、とても頼りになる子だ。芯は自分なんかよりもずっとずっと強いと感じる。ロザリーは堅く握手を交わした。


「ぶるぶる。ちょっと怖いけど、が、がんばります!」

「震えているなサクラコ。……安心しろ、貴様はメリルが死なせん」


 かつては殺し合いをした二人も、今では互いの得手不得手を知り尽くした戦友である。下手な間柄よりよっぽど信頼できるというものだろう。


「お姉様ぁっ! シェリルも一緒に行くぅ~!」


 そんな中、シェリルがしなを作ってダダをこね出した。この双子は今までほぼ離れたことがないという。急に離ればなれで心配するなというのも、無理からぬ話ではある。


「お前は潜入には目立ちすぎる、ダメだダメだ」

「シェリル、少しの間お留守番だ。ここで良い子にしているのだ」

「はぁい……しゅん」


 という訳で、ひとまずこの面子で潜入作戦を行う事が決定した。

 作戦の概要はこうだ。ロザリー達が奴隷となりアルベスタンへ潜入。そこで情報を集めつつ、しばらく奴隷区にて潜伏する。同じ奴隷の身、そうすれば姫に接触するチャンスはきっと訪れるだろう。

 姫さえ救出する事が出来れば、何も恐れることはない。ブラッド達がなんとでもしてくれるはずだ。それに加え、クロウもこう見えて伝説級(レジェンド)の一人なのだから。


「まあ、奴隷とかなんなくてよかったけどさ。その間アタシ達は何してればいいのよ」

「お前達にはここで炊き出しなんかをやってもらうか。見ての通り老人や子供ばかりだからな。きっと助かるはずだ」


 居残り組、基本魔法職であるティセ達は確かに潜入向きではない。とはいえ、活躍の場を失ったのが気に入らないのか、小間使いのような仕事を押しつけられたのが気に入らないのか、ティセはブーブー文句を言っている。


「つまり戦力外ってコト? なんかムカつくわね」

「あー、正直な所を言うと、お前も立場上は一国の姫だろ。そんな危険な事させられると思うか?」

「そういう事なら……まあ、しゃあないか。サクラコ、少し不本意だけどここはアンタに任せる。絶対に負けんなよ!」

「はっ、はい! ティセさんも、お元気で……!」


 なんだかんだ言いつつ信頼し合う二人は、互いに想いを託し合う。そんな様子を見て、パメラもたまらずにロザリーへと駆け寄った。


「ロザリー、気をつけてね。私ずっと祈ってるから」

「ありがと、パメラ……あなたもソフィア達と仲良くね」

「うん!」


 しばしの別れである。二人はその温もりを忘れぬよう、しばらく抱きしめ合う。そして意外にもその手を先に離したのはパメラであった。まるで、親離れを(うなが)すかのように強い目でロザリーを送り出す彼女を見て、ブラッドは二人の関係性を改めて認識した。


「ロザリー、悪いな。俺としても不本意だが、ここはお前に託すしかない。聖女……いやパメラか、少しばかり辛抱してくれるか」

「うん。止めたって、ロザリーは行くと思うから」

「ふっ、そうだな。それからロザリー、出発の準備ができるまでの間、俺に付き合え。久しぶりに稽古をつけてやる」

「父さんと……? ええ、こっちからもお願い! 私の力がどこまで通用するか、試してみたいの!」

「よし、そんじゃクロウ、4人分の変装用の衣装と数人の奴隷役を準備しといてくれ。俺たちの用が済み次第、出発だ」


 そう言うと、二人は剣を手に外へと消えていった。父と子、数年ぶりに訪れた水入らずの時間である。騎士団時代から相変わらずの関係に、思わずクロウは苦笑してしまう。


「あいつら、ほんと親子だな。ちょっと妬けるぜ。流石に俺も子供が欲しくなってしまったよ」

「それは……別に変な意味じゃないですよね? アンジェの方を見てますけど」

「え? マコトちゃん、何を言ってるんだ君まで! 俺はだな、ブラッドとずっとライバル同士でやってきてだな、ちょっとした対抗意識が芽生えたというか……」

「いーや、分かったもんじゃありませんよ。この人、いきなりアンジェにキスしてきたロリコンなんで」

「な、なにを言ってるんだね、アンジェちゃん!!」


 クロウの顔面が蒼白に染まった。皆の規範であるべきの親衛隊長に、まさかの疑惑が生まれた瞬間である。後にその誤解は長老達を巻き込んだ珍騒動へと発展した事は言うまでもない。


「ちょっと何なんです、長老様までそんな目で……。誰か、弁解を……ロザリーちゃん、助けてー!」




 一方、無言で荒野を行く二人。決して何者も入り込めない、剣に生きた者だけが分かるひりついた空気が流れる。やがて言葉を待たずして、ブラッドは背中の剣に手を掛けた。


「行くぜ、ロザリー」

「……!!」


 阿吽の呼吸で剣を抜くロザリー。親と子、互いに流れる血の絆を確かめ合う死闘が今始まった。


―次回予告―

 父の背を追い、娘は己の強きを知った。

 娘の想いを背負い、父は己の弱きを知った。

 剣戟と共に砂塵に舞うは、言葉にならぬ積日の追懐。

 

 第78話「父と子と」

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