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第76話 『救出』

 ロザリーとマコト、それぞれのマレフィカ達にとってかけがえのない人物、ブラッドが訪れた日の夜。

 ロザリーは腕によりをかけ、改めて父へと手料理を振る舞う事にした。今回はマコトも助手として調理場に立つ。皆としてはその事が唯一の懸念であったが、ロザリーの的確な指示はマコトによる独創的な発想の付けいる隙もなく、見たところ完璧な料理が次々と仕上がった。


「さあ父さん、ずっとろくなもの食べてなかったんでしょ? どうぞ召し上がれ」

「ど、どうでしょうか、私もちょっとだけ手伝ったんですが。いつかした、美味しいものを食べさせてあげるって約束、忘れてませんよね」

「ふむ……」


 相変わらず娘の料理の腕は天井知らずだ。剣よりもこちらの方にこそ天賦の才があるなど、剣の師でもある身としては歯がゆい所である。


「どれどれ、俺の舌は厳しいぞ」


 最初は軽く前菜から頬張る。なるほど、まずは酸味の効いた白身魚のカルパッチョで食欲を増進させる狙いだ。集中して味わうと、やはり繊細な味付けの中にも、マコトによる大胆さがある。普通であれば欠点だが、それが不思議と自分の舌には合うらしい。


「なるほど」


 ブラッドは一言だけそう放つと、次のスープへと手を伸ばした。

 野菜と共に長時間煮込んだのであろう味わい豊かなコンソメの風味が口に広がり、体の芯も温まる。ここにもまた、マコトの“何か”が含まれていた。


「おかしい、いつもより味を感じるな」

「それって……」


 回りくどい父の褒め言葉であろうか。ロザリーは続けて、メインディッシュの肉料理をもてなす。それと同時に、彼女はとっておきの赤ワインを隣に添えた。


「これは……オリビアが好きだった銘柄か」

「ええ。どうせなら、母さんと三人で一緒にと思って……」

「ふ、そうだな」


 ブラッドはグラスを手に取り、宙へと掲げた。そして少しだけそれを含み、鼻に抜ける懐かしい香りを楽しんだ。

 親子水入らず。ロザリーとブラッド、そして今は亡きオリビア。これもロザリーの力か、どこか記憶の中の彼女がそこにいるようで、テーブルを囲む幸せそうな三人が皆には見えたような気がした。


「なんだ、お前らも食え。俺は見世物じゃないぞ」

「そうね。みんなもほら、座って」

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」


 一つ席を空け、それぞれ思い思いに椅子へと腰掛ける。そこからは味もヘチマもなく、ただ騒がしいだけの晩餐となった事は言うまでもない。

 存分にフルコースを堪能したブラッドは、汚れた口周りを拭いつつ深くため息をつく。


「美味かった。ずいぶん腕をあげた……いや、それだけではない。想いのようなものが伝わる、久方ぶりのいい食事だった。しかし何か以前と違うな。マコト、お前なんか変なもんでも入れたか?」

「とんでもないですっ、これはきっとロザリーさんの素敵な力ですよ! 心に想いを伝えるっていう」

「かも、しれないわね。料理って、どうしても食べる人へ想いを込めてしまうものだから」

「そうか、お前もようやく力に目覚めたか。となると、ますます頃合いだな……」


 そこそこに食事も終盤となった頃、ブラッドは再びワインに手を伸ばしつつ、ある話を切り出した。


「ロザリー、お前にも言ってなかった話なんだが」


 片付けを始めていたロザリーの返事も聞かず、彼は遠い目をして語り出す。


「オレは昔、ガキの頃の話だが、魔王の軍にいたんだ」

「……っ」


 ロザリーは思わず食器を片付ける手を止めた。父が傭兵として各地を渡り歩いていた事は聞いていたが、それ以前の話はあまりその口から聞かされてはいなかった。そもそも自分語りなど珍しく、父の武勇伝も人づてに聞いた物ばかりである。この話も、王に聞かされ初めて知ったほどだ。


「え、ええ……以前、王様から聞いたわ」

「そうか、とんだおしゃべりな王だな。まあ、それなら色々と説明する手間が省けたが」

「でも、どうしてそんな……父さんの口からも、理由が知りたいわ」

「ああ。簡潔に言うと兄が魔に取り憑かれ、魔物を率いる将軍の座についた為だ。いつか正気にもどしてやろうと俺も魔軍へと入り、ずっとその機会をうかがっていたんだよ。そんな時、あいつと出会った。マコトの親父だ。あの頃はオレもちょっとばかり絶望していた時期でな。あいつにはずいぶん助けられたもんだ」


 ロザリーとマコトは思わず目を合わせた。それぞれの父親の出会い、そして、今の自分達の出会い。すべてがここへと繋がっている事に、少し感傷的になる。


「だが、あいつは魔王を倒すとさっさと向こうに帰っちまった。そんな訳でな、オレは残されたマコトに受けた借りを返すつもりだ。少なくともこいつの目的地であるイヅモまでは、なんとしても無事送り届けたい」


 それを聞いたロザリーは、素直に良かった、と思う。その力でこの子達の力になってあげて欲しいと切に願った。


「とまあ、俺の考えは話したが、お前達は今後どうするんだ?」

「うん……私達もマコト達と少し旅を共にしようと思っているのだけど、最終的に私達はガーディアナと戦う。これは、絶対に避けては通れない道だから」

「そうか……まあ、そんな事だろうと思ったぜ。だが……今のままでは話にならんぞ、奴らはそれこそ数が桁違いだからな」


 そう。彼の言うとおり、戦おうにも戦力差が大きくずっと二の足を踏み続けている状況なのだ。歴戦のブラッドから見れば、これも少女達だけのおままごとに等しいだろう。


「そこで、だ。お前達、これから俺と一緒にアルベスタンに向かうぞ」


 アルベスタン。それは奇遇にも、マコト達と次に旅する予定の国の名前である。


「なんだ、ブラッドさんもそこに用事があるんですね。一足遅ければ私たち、もう少しでそこに向かってた所でしたよ」

「そうか、そりゃ危ない所だったな。あそこは子供が旅行気分で行くところじゃない」


 ブラッドの言う通り、そこは自由都市にいてもあまりいい噂を聞かない国でもある。トリスタンというお隣の都市が開いていた飽食(ほうじき)という祭りからも分かるように、あちらは貧富の差が大陸では随一(ずいいち)であり、王族などの支配階級から果ては奴隷階級までを区分した、細かな階級制度まであるという。

 何より、入国するだけでも厳しい審査や、それをくぐり抜ける裏金が必要とあって、自分達の力のみでは入ることも出来ない場所であった。


「私たちも色々調べてはみたんだけど、どうにも入国が難しいらしいの。もしかして父さん、何か当てがあるの?」

「うーむ。無いわけでもないが……。まあ、いざとなれば強引に入ればいいだろう」

「ダメです! また罪もない人を斬るつもりですか!?」


 マコトによる制止。これまでもこんなやりとりがあった事は想像に難しくない。


「“あるべすたん”ですか……あそこの警備は私も抜けられませんでしたよ。ですがご安心を、策はありますので」


 待ってましたとばかりに立ち上がり、自信満々でそう語るのはサクラコである。


「そうだわ! サクラコ、あなた逆にイヅモからここまで来たのだから、一度はそこを通ってきたはずよね?」

「はい、それはそれは長い道のりでした……。聞くも涙、語るも涙で」

「どーでもいいから、そういうの」


 と、すかさずティセがつっこむ。この流れはもはや二人の芸風と化している。サクラコもわざとボケているきらいまで見受けられた。


「それで、どうやってそこをくぐり抜けたの?」

「どうって、許可証があったので……。私の任は上からのお達しでしたので、幕府による通行手形が出されていたのです」

「長くもなんともないわ。おまけにどこに涙要素があるのよ」

「えへへ……」

「と、言うことは、もうその任務は降りたはずよね……。だったらもう入れないじゃない」


 ロザリーの予想だにしない返しに、サクラコは唖然とした顔を見せた。


「そ、そうでした!! その件がまだ幕府に届いてないとしても、これを使う事は道義に反します!」

「バーカ。そもそもそれ、一人用でしょうが」


 ペシーン! サクラコの額へと、容赦のないツッコミが入る。


「サクラコ、なんだか同情します……」

「うう、アンジェさーん……」


 結局振り出しである。すると今までのやりとりを興味なさそうに聞いていた双子が、初めて口を挟んだ。


「入国する金がないのか。ならばメリル達が手に入れてきてやろう」

「ここ、小金持ち多いから、シェリルにかかれば楽勝よん」

「だめだめ、却下却下ー! そんな事、私が許しません! あと賭け事ももう駄目だからね!」

「ダメなのか、マコトが言うのならダメなのだ。ではあれしかあるまい」


 アレもダメ、コレもダメ、それならばと最後にメリルが語った方法とは……。


「「ええっ、奴隷になる――!?」」


 そう、それは入国のための最終手段。自ら奴隷となりアルベスタンの支配下に置かれる者は、特例で入国が許可されるのである。奴隷となったその後については、彼女たちですらも知らないという。


「暗殺者に身を置く我々の中には、日々に疲れ果て、自由を求めあらゆる手で組織を抜け出そうという者も少なくない。その内の方法の一つとして、アルベスタンへ奴隷となり身を隠すというものがあるのだ」

「シェリル、それだけは嫌だったの。シェリルはお姉様だけの物だもん」

「ふふふ、安心しろ、誰にも渡すものか。お前はメリルだけのものだ」

「お姉様ーん!」


 この姉妹は時折二人の世界へと旅立ってしまう。こうなってはしばらく放っておくほかない。


「まあ、そういう事だ。あるにはあると言っただろ。さすがに顰蹙(ひんしゅく)を買うと思い、俺も言わなかったんだが……」


 ブラッドは気まずそうに娘達を見た。奴隷と言えばもちろん、富裕層の相手をする娼婦なども含まれるだろう。まあ、彼女達ほどの見た目ならば引く手あまたである。特にソフィアなどは……と考えた所、彼女もどうやら同じ考えに至ったらしい。


「奴隷なんて……私、どこかの大金持ちに見初められて売られてしまうのね。私の大事なもの、ブラッドさんのためにずっと取っておいたのに……」

「ソ、ソフィア……?」

「だってだって、こんな事いうのもなんだけど私……美人でしょ。あ、違うの! みんながブスだなんて言ってるんじゃないんだよ!? でもやっぱり……ごめんなさい、こればかりは私のせいじゃなくて……神が与えた不可抗力というか……」


 彼女の一人芝居に、そこはかとなく白々しい空気が流れる。ここはみんなのツッコミ役、ティセの出番である。


「ねえ、何言ってるのこいつ……。またおかしくなったんじゃないでしょうね?」

「ふふっ、そうだね、ソフィアかわいいもんね」

「やっぱりそう思う? おね、パメラさんも私ほどではないけど、結構かわいいと思うよ」

「はあ? 前にブスって言ってなかったか?」

「えー? 言ってませんけどー。ねえ、お姉ちゃん」

「ふふ、思いっきり言ったけどね」


 パメラは猫でもあやすようにソフィアをなでなでした。以前ならば考えられない光景である。一人、それを気に入らなそうに眺めるシェリル。


「ソフィアたん、30点のくせに生意気……。あ、聖女様はまだ成長途中と言うことで80点と言った所ですう」

「どうしていっつも私だけ低いの! じゃあ、誰が100点満点なわけ!?」

「この中だと、ロザリー様かな。あなた、勝てる所ある?」


 シェリルはここぞとばかりにソフィアへと詰め寄る。わざとやっているのか、その豊満な胸がぐいぐいとソフィアに押しつけられ、彼女はみるみると小さくなっていく。


「うう……たしかに」


 ソフィアは十五歳、シェリルはその一つ上の十六歳だという。それでこのプロポーション。自信も失うというものだろう。むしろ十七歳のロザリーよりも発育がいいほどだ。


「シェリル、100点は言い過ぎよ。私なんて筋肉が多いし……お尻も……」


 地味に100点と言われたロザリーは照れながら、ちら、とソフィアの方を見る。すると顔を真っ赤にしたソフィアはブラッドの影に隠れてしまった。パメラとは違い、二人の関係はあれから少し気まずい関係のままだ。


「ではシェリル、我は……お前から見て何点だろうか」

「お姉様は、一億点!」

「はっはっはー!」


 年頃満開の娘達の会話に、ブラッドはあきれ顔のまま口を開く。


「お前等、なんというか、気が抜けるなあ……」


 そうこぼすと、急に真面目な顔つきになり強引に結論を出した。


「まあ、お前達の目的の為にはあの国にどうしても行かねばならん、手段を選んでなどいられんな。それで行こう」


 と、まさかの奴隷ルート決定である。これには皆大ブーイング。


「あー、うるさいうるさい。大丈夫だ、嫌な奴にまで無理はさせんから。実はな、ローランドの姫さんが今、アルベスタンに囚われていると聞いた。そこで、お前達が奴隷として潜入し救出する。姫さんの求心力があれば、きっとガーディアナに対抗する力になるはずだ」

「姫が……!? そんな! それは本当なの?」


 ロザリーは身を乗り出して真偽を問いただした。ローランド王家、唯一の生き残りであるクリスティア姫。戦時中、地下を通り城から抜け出した後の消息はロザリーもずっと気になっていたところである。


「ああ、俺も耳を疑った。ローランドがガーディアナの統治下となり、圧政によって民の暮らしも見る影のないものとなってしまったのは知っているな。ここへ来る途中に俺も訪れたが、今では人の居ない廃墟ばかりだ。お前もここへ来る道中、見ただろう。真にガーディアナの教徒となれない者に対する奴らの仕打ちは凄惨を極める。その結果、それに耐えかねた大量の難民が生まれた。大半はここや近隣に移り住んだというが、特に寄る辺なき難民はアルベスタンにも押し寄せ、今や奴隷同然の扱いを受けているという。そんな自国の民の暮らしを姫さんが黙っていられるわけがない。難民の解放と引き替えに、自身の身柄をアルベスタン王家に差し出した、という訳だ」


 ノブレスオブリージュ。いつの世も、真に高貴な者が全ての責任を取るべく動く。その結果、彼らの栄華は長くは続かない。それを利用し、弓を引く者達の方が遙かに多いからだ。


「くっ……」

「悔しいか。それも全ては、俺達が負けたからだ」


 その言葉にフラッシュバックのように甦るあの光景。そして脚に受けた傷の痛み。


「俺はあの戦いで負傷したが、ある組織に助けられた。奴らは確か、救済の聖母団とか言ったな。ガーディアナでありながら戦争の負傷者などを受け入れ、分け(へだ)て無く医療活動をしているという中立組織だ」

「救済の……聖母団……」


 パメラがつぶやく。どこか思い当たる事があるのだろうか。


「俺はしばらくそいつらと行動を共にし、各地の戦線を回っていた。もちろん、ガーディアナに借りを返すためにな。そこに聖女誘拐事件の報せを聞いた。ギュスターの親父が創ったという、逆十字の壊滅もな。そっからは我も忘れガーディアナに乗り込み、マコト達も知っての通りの結果だ。そしてようやくゆっくりできた所に、姫さんに関する情報をつかんだって訳よ。おそらくまだ無事だろうが、俺としては一刻も早く助け出したい」

「クリスティア、様……」


 常々気になっていたクリスティア姫の消息がついに掴めた。と同時に、ロザリーは何としても行かなければならないと強く感じた。今こそ、魔女であるこの身を受け入れてくれた恩義を返すときであると。


「ローランドの姫、クリスティアか……小さい頃に会った事あるけど、ありえないほど脳天気なバカ姫だとばかり思っていたわ。まあ、言うなら絵本の中のお姫様って感じね」


 場の空気も読まず、吐き捨てるようにそう言ったのはティセだ。


「なんだ、ずいぶんな物言いだな。赤髪、お前何者だ?」

「ティセだって。ティセ゠アルテミス゠ファウスト。アルテミスの次期当主……になるかな。あたしも乗るよ。ローランドのバカ姫、ちょっと見直したわ」

「ほう、まさか……ハハッ。お前があのアルテミスのお嬢ちゃんか。ゴテゴテのお飾り人形のような面影が見る影もないな、ハッハッハッ!」

「う、うるさいっ。あれはママ……お母様の趣味! もうやめたの!」


 どうやら王族の謁見(えっけん)の場で、二人は面識があるようだ。


「そうか、そうか……これも運命というやつだな……。ところで、メトルの奴は元気か?」

「は? メトル? 誰よそれ」

「お前の親父だ。女王と別れ、今は隠居していると聞いたが」


 アルテミスのダンジョンで出会った、ダンマスことティセの父親である。そういえば彼もレジェンドの一人だった事を思い出す。


「あーいたね、そんな奴。名前も今知ったわ」

「なんだ、顔真っ赤にして……照れてやがるのか」

「はあっ!? 誰がよ!」

「ハッハッハ、まあいい。そこのサクラコ……だったか。お前も実は初対面じゃない。まあ、赤ん坊の頃の話だが……なんだ、この話はいいか」

「へっ?」


 予想外の告白にビクッと反応するサクラコ。どういうわけか、早々に話を切り上げたブラッドの顔は心なしか赤く染まっていた。ロザリーもどこか、遠い記憶の中にイヅモへと訪れたような思い出がある。それだけ、彼の傭兵生活は世界中各地を転々とする暮らしであったのだ。


「みんなお知り合いなんだ。じゃあ、私達が出会えたのも運命、ですね! ロザリーさん」


 マコトの快晴のような笑顔がこちらへと向けられる。確かに、父の世代から続く運命の糸が自分達を結びつけたのかもしれない。ロザリーは改めてここにいる仲間達へと穏やかな視線を送った。


「ええ、きっとそうね……。出会いに無駄なものなんて、きっとないんだわ」


 ブラッドはそんな二人を満足そうに眺め、ついほだされそうになる気持ちを切り替える。


「まあ、昔話もこれくらいにしてだ……。マコト達もイヅモに行かなきゃならんだろ。そこへ行ける船はアルベスタンにしかないからな。互いに悪い話じゃないはずだ」

「はい、お姫様の救出、私達もがんばりますよ!」

「すまんな、とりあえず古い知り合いに連絡を入れてある。まずはその拠点へ向かうぞ。こちらも色々と準備がある、出発は二日後だ」

「ええ、私たちも準備を進めておくわ」


 おそらく彼女達の暮らしぶりを見るに、この街で積み重ねたものもきっと少なくはないのだろう。それなのに文句も言わずついてくる娘を見て、父は満足げに頷いた。


「おそらく長旅になる。それまでの間、疲れを残すなよ。それとロザリー、今日は馳走(ちそう)になったな。また、頼む」


 そう言うと、ブラッドはマコト達を連れてそそくさとボロ宿へと戻っていった。相変わらず照れくさそうに尻を掻きながら。


「まったく父さんったら、本当に不器用なんだから。だけど、今日はやっぱりマコト達と寝るのかしら……」


 てっきり別の宿を取ると思っていたロザリーは、どこか寂しげにその姿を眺めていた。そんな彼女に、それとはまた別の想いを抱いたパメラの言葉が届く。


「いいなあ、お父さんって」

「え? パメラは……そっか、確かいないのよね」

「うん。お母さんの事も、覚えてない……」


 聖女のおぼろげな記憶の中には、そんな暖かい存在はどこにも存在しない。あるのは、いつも冷たい顔をしたリュミエールの姿だけ。


「でも、今は寂しくないよ。みんなが……何より、ロザリーがいてくれるから」

「パメラ……」


 いつか、この子の親代わりになろうと考えた事がある。しかし、今は違う。そう、今はそれよりも深く繋がった、恋人同士なのだ。


「……あっ!」

「どうしたの、ロザリー?」

「父さんに、あなたの事、なんて紹介しよう……」

「ぷっ」


 まったく、この人はなんて可愛いんだろう。パメラは不安げな彼女の手を握り、大丈夫だよと勇気づけた。


「だったら今度一緒に、挨拶しにいこっか」

「え、ええ。そのうちにね」


 なんとも歯切れの悪い返事。どこかダメ男感のあるロザリーであったが、パメラはそんなロザリーが大好きなのだ。


「……おとうさん。ふふっ」


 声に出してみると少しくすぐったい。パメラは遠くに見える広い背中に向け、笑顔でそうつぶやくのだった。


―次回予告―

 目の前の現実は、理想と呼ぶにはほど遠い。

 だが、決して生きる事を諦める理由にはならない。

 こんな自分にも、やれる事はまだあるのだから。


 第77話「アルベスタンへ」

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