第75話 『親子』
ロザリー達、魔女の活躍に賑わった建国記念日は盛況のうちに幕を閉じた。しかしこの眠らない国ロンデニオンでは、その後も一月ほど建国祭という形でお祭りムードは続く。
中でも自由都市デュオロンでは、メースンカンパニーの新規事業により冒険者の募集が活発化。冒険者ギルドからわざわざ移籍するために訪れる者も多く、街はさらに活気に満ちていた。
そして今日もまた、そんなお祭りを見物に訪れた冒険者が一人街を行く。
「やれやれ、この時期は毎年ここも騒がしい事だな……」
そう漏らしつつ、けだるそうに歩く中年男性。黒ずくめの身なりに血のように赤いバンダナ。鋭い目つきに清潔とは言いがたい無精ひげ。その背中には年季の入った重量級のブロードソードを軽々と抱えている。世界中からこの時期に集う冒険者にしては、その男はどこか格別の風格があった。
「まったく、相変わらず救世主って奴に関わるとろくな事がねえ。なけなしの金、ウマで増やそうと思ったが出遅れたじゃねえか」
男は数枚の小銭をポケットから取り出し、ため息をついた。自慢じゃないが、彼はウマで予想を外した事はない。その身に流れる魔の血のおかげか、なんとなく彼らの気勢が分かるのだ。
「しかし腹減ったな。最後の金でパーッとなんか食うか」
祭り後の軒先に並ぶ屋台。その一つからとても香ばしく、どこか懐かしいラム肉の香草焼きの香りが漂う。男は思わず舌なめずりをし、のれんをくぐった。
「おう、やってるか。とりあえずそれを一人前……ん?」
「いらっしゃいませっ、ありがとうござい……ま……」
お男と出店をやっていた娘は、お互いの顔を見るなり固まってしまった。
「お、お前……なにやってんだ?」
「と、父さん……!」
娘は長い黒髪を後ろで結び、イヅモの着物をたくし上げては、少しばかりいかがわしい格好を晒している。だがその顔は間違えようがない、五年ほど前に別れたきりであるが、すぐに分かった。親子というのはそういうものなのだ。
そう、ロザリーとその父ブラッド、感動の再会である。
「ど、どうして父さんがここに……」
「ロザリー、後ろがつかえてる……って、ブフッ!」
さらにきわどい衣装を着て売り子をしていたティセはその客を見るやいなや、盛大に吹き出してしまった。
「ロザリー父、でた! ぷははは!」
「あ、あっ、ちょっとティセ! だめよ、笑っちゃ」
「……フン、いいから早くしろ」
ロザリーはいそいで少し多めにとりわけたが、ブラッドは不機嫌になり背中を向けて椅子に腰掛けてしまった。
「怒っちゃった……」
「ゴメンゴメン、ちょっと想像通り過ぎて面白かった」
「もう……、せっかくの再会だったのに……」
ロザリーはこれまで、父の事を思わない日などなかった。普通の父子ではない。自分の芯にあるのは父からもらった物ばかりであり、何よりも自慢の父なのであった。
五年前のローランド戦役で先陣を切って戦ったのもブラッドであり、そのために傷を負い、行方も分からなくなった事を聞いた時などはしばらく立ち直れなかったほどだ。そのため、マコトの話で生きていると知ったとき、ロザリーは心から喜んだ。それは彼も同じだろう。ロザリーがレジスタンスとなり、その組織“逆十字”も壊滅してしまったと風の噂で聞いていただろうから。
「どうしよう……」
そんな娘が何を思ったか、きわどい格好で声色を変えてまで、こんな売り子をしているなどとは想像だにしていなかったはずなのだ。それは、呆れもしよう。
今回の仕事は、いつもお世話になっているギルドの出し物として、祭りに少しでも華が欲しいので最後にぜひ参加をとの事で受けた件であった。そこでパメラによる提案、食べ物屋さん。ロザリーも料理を振る舞うのは得意であったし、少しばかり稼ぎも良いということで、初めてのお店をこの通りに構えたのだ。
それがまさかこんな事になるなどと、ノリノリで着物を選んでいたロザリーに果たして想像できたであろうか。
そんなことを思い悩んでいると、ブラッドはおもむろに立ち上がりこちらへ向き直った。バンダナ越しでも分かるほどに、やたらと眉間にしわが集まっている。ロザリーは祈るような気持ちで父の言葉を待った。
「ふん、相変わらず美味いな」
「……あ、ありがと」
それだけ言うと、ブラッドは代金を支払い颯爽と去っていった。心なしか口元が緩んでいたように思えた事は唯一の救いである。
ロザリーはその後ろ姿を見守り続ける。いつまでも変わらない広い背中に不器用な性格。すぐにでもその背中に飛び込みたいが、今はぐっとこらえる事しかできなかった。
「もう、相変わらずなのは父さんの方よ……」
街外れのボロ屋にマコト達らしき少女が住んでいると聞いたブラッドは、何の気なしにそこへとふらっと訪れた。こちらも感動の再会であるはずだが、昨日ぶりと言った顔である。
「ようマコト、元気してたか」
「えっ、ブラッドさんっ!?」
「わあ、生きてる! まさか幽霊じゃないですよね?」
「当然だ、アホ」
マコト達にとってもブラッドは命の恩人である。特にソフィアを助けるためガーディアナの敵陣まっただ中に押し入り、大立ち回りを演じた事はソフィアでなくとも熱を上げるというものだろう。
「ブラッドさん! わああ」
思わず駆け寄るソフィア。ブラッドはよしよし、と頭をなでつつベッドへ腰を下ろす。
「ソフィアも無事だったようだな。そっちの二人は……あの時の暗殺者か」
「メリルとシェリル。色々あって仲間になってくれたの」
「メリルだ。今はマコトの世話になっているのだ。いつぞやは貴様にも世話になったな、礼を言っておく」
「シェリルですぅ。どぞよろしく……」
第二の聖女戴冠式の際、ブラッドはこの二人と共に敵陣へと残った。そこで起きた事はマコトもメリルから聞かされている。
あの後ソフィアを連れたマコト達が飛び立ち、ガーディアナ兵の群れに囲まれ絶体絶命の状況にあった二人を救ったのは、まさに手負いのブラッドであった。激闘の末バルホークを圧倒したブラッドは、彼にトドメを刺す事を諦め暗殺者の二人を救い出したのだ。もはやマコトもおらず手加減をする必要のなくなった彼は、まさに鬼神のようであったという。
その時の気迫から、いまだにシェリルなどはブラッドに対して怯えているのである。
「まあそう怖がるな。本気でも出さなけりゃあの場を切り抜ける事は出来なかっただろう。奴らには個人的に恨みもあったしな」
おかげでブラッドは、ガーディアナにおいてとうとう第一級犯罪者となったらしい。しかし、痛くもかゆくもないといった様子でそれを笑い飛ばす。
「しかし俺の人相書き、まるで凶悪犯みたいな面だったな。実物はもう少しいい男なんだが、ハッハッハ」
「犯罪者になっちゃったんですよ! 笑い事じゃありません!」
「いいだろう、人助けの結果なんだから……。だがバルホークと言ったか、奴が甘ちゃんで助かったぜ。正規軍も本気で追おうという意思は感じられなかったしな」
少女のお説教にぶつくさと文句を言う中年男性。メリルとシェリルは、かつての鬼気迫る彼の印象とはまるで違う様子に目を見合わせた。なんだ、こいつもマコトの尻に敷かれているではないかと。
(シェリル、これは意外と扱いやすい男かもしれんぞ……)
(はい、シェリルの誘惑でこちら側に引き入れるのも……)
ブラッドはそんな二人の奥に眠るものを見抜いたのか、少し険しい表情をつくる。
「お前等、間違いだけは起こすなよ」
端的に放ったその言葉には、暗殺者ならわかる意味合いが込められていた。ビクッ、と背筋をこわばらせた双子は、生唾を飲み込むのが精一杯の様子で固まった。やはりレジェンド、只者ではない。
「ふう……」
とりあえず挨拶もほどほどに、ブラッドはマコト達の置かれている現状を確認する。見たところ、最低限安定した生活は送れているようだ。それにはロザリーの存在も大きいだろう。やはりここへ向かわせた事は間違いではなかったと、安堵のため息が漏れる。
「お前達、ロザリーとは無事会えたようだな。もしいるとしたらここだとは睨んでいたが」
「娘さんがいるって知ってたなら教えて下さいよ! びっくりしたんですから」
「いや、実は俺もさっき知った。まさか噂のマレフィカの冒険者があいつ等だったとはな。姫百合の騎士だとかなんとか、ちょっとした有名人になりやがって」
「はい、私たちもすごくお世話になってます。それにしても、やっぱり親子ですね。ロザリーさん、すっごく責任感が強くて、頼りになるリーダーって感じで!」
「そうか? あいつ見ない内にチャラチャラしやがって、俺としてはあんな風に育てた覚えはないが」
「えー、そうかなあ?」
積もる話もたくさんあるが、相変わらずのマコト達の様子に安心したブラッド。しかし長旅に疲れた体に娘達の相手は堪えると、矢継ぎ早に話を切り出す。
「それはそうとお前達、暇してるだろ。やる事ができた、少しばかり手伝え」
なんの話かは分からないが、マコト達には恩人であるブラッドの頼みを断ることなどできない。
「いいですけど、何をすればいいんですか?」
「もしかして変な事じゃないでしょうね。おじさん、まだアンジェの事狙ってたりして」
「だめっ! ブラッドさんはソフィアのものなんだから!」
これだこれ。彼女達といると、こういった展開が中年にはよけい疲れるのだ。
「話はロザリー達も集めて夜にしたほうがいいな、お前達じゃらちがあかん」
このけだるさに懐かしさを感じつつ、ブラッドはそのままベッドに寝転ぶと、あからさまなふて寝をするのだった。
「……どうでもいいけど私のベッドです、そこ」
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祭りの喧噪もさめやらぬ夜。ブラッドはマコト達と共に、ロザリーの宿へと訪れた。
「父さん!? マコト達も、一体……」
「昼間は忙しそうだったからな。ロザリー、改めて言う。よく無事だった」
その一言で、ロザリーの頬に涙がこぼれ落ちる。
「……バカ! それだけの事、あの時言えばいいじゃない! 色々考えてしまったんだから!」
「おうおう……泣くことあるか、みっともない」
「でも良かった。そっちこそ心配させて」
「ああ……すまんな」
親子の再会に皆しんみりと邪魔をしないよう気を遣っていたが、中にはそんな空気を読めない者もいる。ティセだ。
「ロザリー父、ロザリー父、こいつねえ、ずっと泣きべそで、とおさんにきらわれたあー! ってわんわん、チョー面白いったら!」
「ティセさんっ、駄目ですよ!」
ゲラゲラと笑うティセと、それをたしなめるサクラコ。
「こいつらがお前の仲間か」
「な、何よ……」
じっ……と見つめるブラッドの迫力に、流石のティセもおとなしくなる。
「この子達はティセとサクラコ。もうっ、父さんの前で変な事いわないでよ……」
「どうも懐かしいにおいがするな、緑色の魔法使いに、東方の忍……か。そして奥にいるのは」
彼が感慨深げに送る目線の先では、パメラが少しいたたまれなさそうにこちらを伺っていた。
「父さん、この子が聖女、セント・ガーディアナ。そして私達の仲間、パメラよ」
「なに……?」
聖女が誘拐されたという事件、そして逆十字が壊滅したという話、それらが線で一つになり、その時ブラッドはロザリーの身の回りに起きたであろう事柄をうかがい知った。
しかしこのような運命の巡り合わせがあろうとは、彼であっても思いもよらぬ事である。奇しくも聖女はローランド侵攻には参加していない。ブラッドもその姿を見るのは初めてであり、想像よりもずっと普通の少女に見えた。
「うん、私が聖女、セント・ガーディアナ。パメラという名前はロザリーがくれたの。五年前、ローランドを攻めたジューダスを止められなかったのは私……。何て言っていいのかわからないけれど、ごめんなさい……」
かつてローランドの戦地においてブラッドと戦ったのは司徒ジューダス。狂人と形容するのが正しい、殺戮の徒である。
最愛の妻をはじめ、あの時失ったものはブラッドにおいても数多く、決して忘れられるものではなかった。
「そうか、お前さんが……」
そう言うと、ブラッドはその大きな手をパメラへと伸ばす。パメラは目をつむり、その手の持つ意味を覚悟と共に受け入れた。
「父さん、その子は……私にとって大切な……」
「……っ」
パメラの頭に乗った重く優しい手は、いたずらでもするかのような動きでくしゃくしゃと柔らかな髪をかき回す。
「え……」
「思ったより、子供だな。寝癖までつけて」
そう言うと、彼は何も気にしていないかのようにガハハと笑った。
「父さん……」
「なんだ、怒るとでも思ったか? しかし、どちらかというとソフィアの方が聖女という感じだな。どこかの街娘かと思ったぞ。……いや、少し言い過ぎたか」
「…………ぷっ、ふふふ」
緊張の糸が途切れたのか、パメラも釣られて笑い出す。今の格好はまさに街娘だった頃のソフィアからいただいた衣装である。それも当然だろう。
「あっ、ごめんなさい」
「いい、いい。しかしパメラか……ロザリーのかわいがっていた娘だ。大事にしろ、その名前」
「はい……」
(ロザリーのお父さん、優しいね。あなたも、知ってるよね?)
パメラは心の中のパメラへと呼びかけたが、返事は返ってはこなかった。いつもは一方的に現れ喋りかけてくるのだが、しばらくその声を聞いていない。聖女として覚醒状態が続いたためであろうか。パメラは一抹の不安を覚えるも、宴の席ということもあり暗い顔を見せずに会話を続けた。
「しかしまあロザリー。お前、ずいぶん良い所に住んでいるな。俺なんてずっと野宿で転々としてたってのに」
「それは……父さんの甲斐性がないのよ。そういえば、この子達にまで野宿させたって聞いたわ。マコトなんて異世界から来たばかりだっていうのに」
「そうです! アンジェ達は蝶よ花よと育てられてきたので、地べたで寝るなんて行為、生まれて初めてでしたよ」
「あー、すまんな。じゃあとりあえず今日はここに泊めてくれ。ボロ宿のベッドを一人で占拠するとマコトがうるさくてな」
「当たり前ですっ! それにここ、外部の人は泊まれないんですよ。ブラッドさんは床で寝てください」
「せっかく戻ってきたってのに、そいつはずいぶんな扱いだな……」
「ふふ、野宿よりはマシね、父さん」
皆、今日はひときわ明るい。ロザリー達は積もる話に花を咲かせる。
それは歴史が動く前の、ほんのひとときの平和であった。
―次回予告―
血の絆がもたらした次なる道。
それは囚われの姫の救出であった。
団結、それこそが未来へと続く鍵。
第76話「救出」