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第74話 『双魔灯』

「デモンブレッド、それは我ら人類が魔を征した証。その脚はどんな肉食獣をも寄せ付けず、その持久力は無尽蔵。ひとたび鞭を入れれば、国家間の距離などはもはや無きに等しい。まさに、現代における軍馬の要。今宵はそんな選りすぐりの有魔(ウマ)達が、たった一つの頂点の座を賭け戦う聖戦の日。……戦士(つわもの)達よ、よくぞ集った! ここに第十回、デモンブレッド・ゴーラウンドの開催を宣言する!」


 ボルガード王の開会宣言が終わると共に、城下に押し寄せた観客達が熱狂に湧いた。

 この競馬大会は彼の住まうロンデニオン城、そして城下の敷地内全てを使い行われる。そのため城を取り巻くように観客席が併設され、その外周をウマ達が走るのだ。

 記念公園や共同墓地を含むその全長は通常の競馬場の数倍にも及び、コースとなる通路にはきめ細かな石畳が敷かれている。その途中には極端な高低差や悪路も存在し、レースといえども、ウマ達にとっては実際に戦場で走る事を想定した厳しい道のりだ。


 今回ロザリーは愛馬と共にこれを走破し、パメラは聖女として走り終えた戦士達へと歌を捧げる事が決まった。残るティセとサクラコはというと、王城の最上部に造られた天覧席へと招かれ、城をぐるりと取り囲む堀の内側、つまりコースの全容を眺める事のできる機会を特別に与えられたのであった。


「ふん、あいつも忙しいったらないわね。せっかくのお祭りだってのにさ」

「ティセさん、なんだか嬉しそう。二人っきりのお祭りはどうでしたか? たまには自分に正直になるのもいいものですよ」

「そ、そんなんじゃないわよ! それよりもどう? ロザリーは勝てそうなの?」


 サクラコは様々な情報からロザリーの勝率を分析し、その問いにきっぱりと答える。


「はい。副団長さんに教えて貰っていただけに、ロザリーさんのウマを操る技術はすでに申し分ありません。それにシュヴァイツァーの方もあの歳で調教が完了するのは異例の速さです。普通は体が成熟すると、力に溺れ反抗期を迎えるものですが……」

「それはサクラコの頑張りでしょ。アンタがいつも併走してあげてたから、人に対して敬意を持つ事ができたんじゃない? だって、あいつらですら追いつけないくらい速いんだもん」

「いえ、それこそロザリーさんの献身のおかげですよ。心で繋がれるあの人がいたから、きっとその精神も成熟する事ができたんです」


 そんな彼女の愛馬、シュヴァイツァーは登録名をそのままに、最初のレースであるメイクデビューを走る。現在のコンディションを見るパドックでの仕上がりも上々。各種調整も終わり、初出場のウマ達は王城前の正門にて出走の時を待つばかりであった。


「オッズが出てるわね。うーん、シュヴァイツァーの人気はやっぱイマイチか。それもそうよね、ロザリー、ちゃんとした資格もないし、初の女性騎手って話だもん」

「ティセさん、ならばここは賭けに出るしかありません! 私達だけでも、シュヴァイツァーに出せるだけ一点買いです!」

「アンタ、意外とこういうの熱くなるタイプなのね……」


 特別席には各自由都市の市長達も招かれ、自陣営のウマの動向を固唾を飲んで見守っているようだ。中でも自由都市ペティエルは何度も最優秀馬を輩出する名門であり、貴族出身の市長の身なりと併せ、すでに王者の風格すらも漂わせていた。


「やはり、私共のペティエルアバランチこそが次代のエースである事は揺らぎようがありません。彼女には競馬学校を主席で卒業した騎手も付けてあります。その佇まいはまさに芸術品。一番人気となるのも必然でしょう」

「ホッホッホ、一番こそ譲りましたが、ワシらのトリスタンスコーピオを侮ってもらっては困りますな。アルベスの砂漠で特訓した脚力を今こそお目に入れましょう」

「フフ、みなさん自信がおありのようで。私など競馬一年目の若輩は、何かしらのハンデをいただかなければとてもとても……」


 黒眼鏡の奥に鋭い眼光を隠し、デュオロン市長へと返り咲いたファレンが不敵に笑う。ちなみに、今回の全出場馬は以下の通りだ。


       ―登録名―         ―騎手名―     ―所属―

 1枠 ○1 アレクサンデニオン  牡3 H・ウィリアムズ  ラウンドナイツ

    ◎2 ペティエルアバランチ 牝3 C・モロゾフ    ペティエル

 2枠 ×3 クレオパトリシア   牝3 D・ジョンソン   ラウンドナイツ

    ☆4 フューラーバイエリン 牡3 A・クロイツ    バイエリン

 3枠 ▲5 ブルートハンニバル  牡3 S・ブラウン    ラウンドナイツ

    △6 トリスタンスコーピオ 牡3 S・サディク    トリスタン

 4枠  7 グラーネ       牝2 M・フェルデナンド アーカム

    注8 シュヴァイツァー   牡2 R・フリードリッヒ デュオロン


 こうして見るとライバルは多く、各自由都市はもちろん、ラウンドナイツ陣営の新馬もまた要注意であるといえよう。彼らはやはり実績からして違うため、人気も毎年ほぼ上位を独占しているのだ。


「しかしデュオロンさん、流石に初年度とはいえ、騎乗資格も持たぬ者を出場させるとはどういう了見です? 仮にもこの大会は歴史ある大舞台なのですぞ?」

「それは企業秘密ですよ。ですが彼女はあのフォルテ様から特別に教えを受けた身。舐めてかかると痛い目を見る事になる、とだけ申しておきましょう」


 ふと彼の口から飛び出した名騎手の名を受け、ペティエルの市長は目を開いて驚いてみせた。


「フォルテ様ですって!? あの方は自身の愛馬以外、滅多に鞍上(あんじょう)に収まる事はほぼありません。そして部外者にその教鞭を振るう事も。なにせ、このレースには騎士団の新人も走るのですからね。デュオロンさん、どうやってあの方に取り入ったのです?」

「もちろん賄賂(わいろ)などでは断じてありませんよ。強いて言えば、ゲームをより面白くするための、彼なりのお膳立てではありませんかねぇ」

「確かに、新規参入した陣営のウマは総じて前人気が悲惨な事になる。さすがはフォルテ殿、それも見越してデュオロンさんに華を持たせたのかもしれませんな」

「おお、噂をすれば。みなさん、我らが姫百合の騎士様の登場ですよ!」


 スタート地点ではいよいよ騎手達も合流し、各ウマの背に跨がる。いつもと違う身なりのロザリーはこの大歓声の中、少しだけ気後れしつつもシュヴァイツァーへと乗り込んだ。


「ああ、結局言われるままここまで来てしまった……。私って、いつもこうね」

「ロザリー、その白銀の鎧姿、最高に決まっているぞ。大丈夫、私の教えた事を守れば、ウマは決して裏切りはしない。今は全てを出し切る事に集中しろ!」

「フォルテ様……。はい、今は信じてみます。この子、シュヴァイツァーを」


 新人ながらトレーナーとして副団長フォルテを後ろに従えるロザリーへと、改めて観衆の注目が集まる。流麗な白馬に跨がる、美麗な白銀の女騎士。人々はその時、彼女へと賭けなかった事にこぞって後悔した。それもそのはず、彼女こそ今注目の姫百合の騎士その人だと気づいたからだ。


「注目度は抜群。そしてオッズも高配当。これはこれは、結果が楽しみですねぇ……」


 この時のため用意周到に練り上げたファレンの企みは、ここに成ったと言えよう。騎手は皆、鎧姿のままウマの背に乗る。さらには身長も体重も特に規定はない。むしろ大男を乗せながらも悠然と勝ってみせるウマこそが真の勝者だとされる風潮もあり、各陣営、見栄との勝負が繰り広げられていた。その分、他よりも軽いロザリーは素人ではあるが逆に有利ですらあるのだ。


(ホホ、見栄でお腹は膨れません。当然この中でロザリー様は最軽量。ただ、フォルテ様と同じ重い銀の鎧を纏う事で一応の見栄とする。しかし今回は私共特注の鎧を纏って貰う事で、限りなく軽量に仕上がっているはず。ククク、勝ちはもらいましたよ、先輩方……)


 しかし、今回のレースには他にもう一頭、別の意味で注目を集めるウマがあった。

 出自不明の黒い馬。それはファレンにとっても全くのノーマークであった。下馬評も空欄、血統も不明。さらにそれに騎乗するのは、黒髪の小さな子供である。そんな彼女は鎧すら着込む事もない軽装の黒装束。当然ロザリーよりも有利な事は目にも明らかであった。


(……だがやはり気になる。何者だ、あれは? 部下からの報告にはないが……)


 突如現れた不確定要素にファレンが思案していると、そんな考えを邪魔するように階下から騒がしい声が聞こえてくる。


「わー、間に合った! 王様、遅れてすみません!」

「おお、新たな救世主よ、お前達も来てくれたか。せめてものもてなしだ、ティセ達と共に特別席で楽しむといい」

「はいっ! ティセさん、サクラコちゃん、よろしくね」

「ふふっ、よろしくお願いします、マコトさん」

「あー、また騒がしくなるやつだわ、これ」


 マコト達はサクラコから双眼鏡を渡され、ロザリーと共にレースを待つ一頭のウマを探した。


「それにしてもロザリーさん、やっぱり目立つなあ。どれどれ、メリルはどこかなっと……あ、いたいた!」

「やっぱあの黒い馬に乗ってるの、メリルよね? でも、なんであんな所にあいつがいるのよ」

「えへへ、ちょっと色々ありまして……ね、アンジェ」


 マコトから冷たい目を投げられたアンジェは、これ見よがしと大げさに崩れ落ちてみせた。


「そうです、メリルには何が何でも勝ってもらわないと、またマコトの黒パン生活に逆戻りなのですー!」

「アンジェさん、どういう事です? 以前、せっかく旅費が貯まったって喜んでたじゃないですか」

「サクラコさん、ごめんなさいーっ! 実は、かくかくしかじかで……」


 なんと、彼女達は旅費を全てこのレースに賭けてしまったのだという。

 その中で意外にも彼女達の口から出たのは、ティセ達も何度か関わったメイという聖職者の名前であった。


「メイって確か、ヒロイックなんとかの……」

「この子達、まんまと騙されたのよ。私はあの女の人、ずっと怪しいって言ってたのに」

「そんな事ありません! メイさんはマコトの料理から私達を救ってくれた素晴らしい人ですっ! 邪教団なんかにいたソフィアには分からないんですっ」

「なによー、聖櫃(せいひつ)神団なんて訳分からない宗教にのめり込んで、有り金全部ウマに賭けるなんて、ほんとバカ!」

「むー、まんまと双子に洗脳されていたあなたにだけは言われたくありませんー!」

「こらっ、二人ともやめなさい! 王様の前でしょ!」


 こんな場所でケンカを始める二人を慌てて引き離すマコト。これまであまり彼女達に干渉してこなかったティセとしては、正直ちんぷんかんぷんである。


「話が見えないわね。マコト、アンタから説明して」

「はい。実は私達、貧乏だった頃ずっと、メイさんの教会にお世話になっていたんです。アンジェなんてそこの子供達に天使様なんて呼ばれて、こっそり自分の分の収入を全額寄付してたくらいなんですよ。そうでなくても天使は聖職者に弱いところがあるのに、貧しい子供達の話なんて聞かされてしまった日にはもうすっかり入れ込んじゃって……」

「それで、ついに大事なお金にまで手を付けたと……」

「はい……アンジェがこの子達に贅沢な暮らしをさせてあげるんだって、手っ取り早く増やす方法をメリル達に相談したらしくて。その結果、あの黒いウマと一緒にレースに出る事になっちゃったんです」

「ふーん。で、それがメイとどう繋がるワケ?」


 メイと言えば、いつかの高額クエスト報酬の総取りや、コレットの時の寄付金などでずいぶんと潤っていたように思える。確かにどういう訳か、大きな金の流れに必ず一枚噛んでいるのだ。


「実を言うと、彼女はあのウマの馬主なんです。メリル達にその話を持ちかけたのも彼女で。私も色々とメイさんにはお世話になったし、子供達に寄付するのは良いことでもあるので、何も言えませんでした。というか、話が上手すぎて反論すらできなくて」

「きな臭いわね。それってもしかして、カルト教団だったりしない? そもそも何で馬主までやってるのよ。清貧を貫くはずの聖職者がおかしいじゃない」

「ええっ!? 彼女に限ってそんな事ありませんよお、ねえ、アンジェ」

「こく、こくっ!」

「こいつら、ほんとお人好しなんだから。恩を売ってから付け入るなんて奴らの常套手段よ。レースが終わったらアタシがアンタ達の賭けを無効にしてあげるわ。どうせロザリーが勝つし。ねえ、ボルガードおじさん」


 ティセはあっけらかんと言い放つが、そんなに簡単な話ではない。彼女達が巻き込まれた問題の大きさを、それを聞いていたボルガード王が改めて説明する。


「ふむ、お前は詳しく知らぬだろうが、聖櫃神団とは自由都市アーカムを拠点とする宗教組織だ。メイ゠プリエスタ……彼女らを初めとする聖職者はかのアンデッド掃討作戦にも尽力してくれたうえ、難民や孤児なども広く保護してくれている。ロンデニオンとしても、魔を滅ぼすための教えならばとその活動を承認しているのだが……実の所、その後ろに私兵にて固めた軍隊を持っていると聞いた事がある。そして集めたお布施は全て軍資金に、さらには保護した孤児は軍人として教育しているという噂まであってな。まあ、これはあくまで噂に過ぎんが、一つの教えから過激派武装勢力が生まれる事も多いからな。そして時に、それは政治にまで影響を与えるほどの存在となる。国としてはあまりこれ以上、楽観視もできんだろうと言った所が本音だ」


 そう神妙に言い放つ王の言葉に、改めて愕然とするマコト達。


「え……私達、そんなつもりで関わってた訳じゃ……ねえ、アンジェ」

「こくっ、こくっ!」

「でもそれって、大元はアタシがアンタ達との旅を断ったから、よね? そのせいで何も頼るものがなくなった所を、そいつらに漬け込まれた。どう、違う?」


 ティセの鋭い指摘に、マコトはやや表情を曇らせた。


「えっと……魔王との戦いを、私達だけでやるのが不安だったのは間違いありません。そもそも最初にここに来た目的は、あなた方を頼るためだったんです。でも、聖櫃神団の真の目的も、私たちと同じ、魔族を根絶する事だと言っていました。それに、信者になれば私達の後ろ盾になってくれるとまで約束してくれて、関係を断る理由もなくそのままズブズブと……」

「ふん。私はずっと怪しいと思ってたから、メリル達に組織の探りを入れさせたの。だけど失敗だった。あの子達、きっとあの女とウマが合ったのよ。絶対また裏で何か企んでるに決まってる」

「ソフィアがそれを言いますか……」

「でも賭けちゃったのは私たちだし、これに勝てば私たちの全財産を返した上で、残りの賞金を全て恵まれない子供達のために使うという約束もしてあります。だから私たちとしてはもうメリルを信じるしかなくて……」


 やはりこれだけの大舞台となると、権力者達の様々な思惑が交差するのは常である。王は特に罰則にも当たらない聖櫃神団の計画に、穴らしきものがないか思案する。


「しかしあのウマが自由都市アーカムの代表とすると、出場資格は十分に有している事になる。だが問題はあの娘だ……ロザリーの出場を許可しておいて言うのも何だが、さすがに子供にこのレースは危険すぎる。お前達の金銭問題は私が仲介するとして、ここはアーカムを失格処分するか否か……」

「ボルガード王、それには及びません。あの娘はああ見えて、ウマ使いの達人。それにその年齢も、ロザリーさんとほぼ変わらないのですから」


 背後から一際澄んだ声が響く。振り向くとそこには、噂のメイの姿があった。だが、今はいつもの聖職者としての装いではなく、身分の高い貴族のようなドレスに身を包んでいる。彼女はいつもの慈愛に満ちた笑顔で、こちらに向け会釈をしてみせた。


「遅れて申し訳ありません。聖櫃神団代表、メイ゠プリエスタと申します。マコト、今回は私達のいざこざに巻き込んでしまってごめんなさい。それにティセさん、お久しぶりですね。こうして会うのは、宝石店でのお仕事以来でしょうか」

「え? 代表って? アンタ、ただの聖職者じゃ……いや、冒険者でもあったっけ?」

「ええ、それは普段の仮の姿。正直に言うと、ガーディアナの一角を下した姫百合の騎士という存在と接触するため、しばらく身分を隠しデュオロンへと潜入していたのです。ですがロザリーさんったら、隙だらけに見えて、とても取り入る隙がなかった。その点、マコト達はとっても素直な子達で、きっと私達に協力してくれると思ったのです」

「そう言えばパメラもアンタの事、怪しんでたわね。ソフィアもだけどガーディアナとかそういう所にいたら、特有のにじみ出るにおいってやっぱ分かるんだ」

「ふふ、相変わらず勇ましいこと。好きですよ、あなたみたいな子。今すぐ食べちゃいたいくらい」


 メイは少しだけ目を開き、ゾクリとするような視線をティセへと送る。


「うひっ……」

「しかし、君が代表とは私も初めて聞くな。今日来る事になっていたアーカムの市長はどうした?」

「はい、彼女は私の部下に過ぎません。晴れの席には上の者が出るのは当然でありましょう。聖櫃神団の代表としてここに顔を見せた理由は一つ。マコトという子と出会い、これまで水面下で準備していた計画が本格的に開始段階を迎えた事にあります。ですがその為には更なるお布施という名の資金が必要。つまりこの大会を利用してでも、これまで以上に我らの名を世に知らしめる必要があるのです」


 厚い睫毛に隠れた目を見開き本性を表した彼女に、たちまちその場が凍り付く。だが王はその強圧をもはね除け、軽く笑って見せた。


「ほう、私の前で堂々と真意を語るか。何かやましいことがあれば出来ぬ芸当よ。よかろう、この大会が終わり次第、聖櫃神団の本部を徹底的に調べ上げる。だが今は、あくまで一参加者としての出走をここに認めよう」

「うふふ、感謝いたします国王陛下。全ては、聖櫃(アーク)の導きのままに……」


 ピリピリとした空気を笑顔で払拭し、メイは市長達の席へと着いた。こちらの話にずっと聞き耳を立てていたファレンなどは、あまりの話に口を開いたまま固まっているようだ。これまで彼女には彼すらも利用された形だったのである、無理もない。


「ほんと、めんどくさい事ばっか持ち込むわね、アンタ達って」

「うう、ごめんなさい。でも、いい人な事には間違いないんです。何を考えてるのか、ちょっとよくわかんないけど……」

「ほらマコト、そろそろレースが始まりますよ! むふー、メリルのウマは見た目の通りダークホース、つまりは大穴みたいです。今夜はごちそうですよ!」

「まったく、調子がいいんだから。メリルなんかがロザリーさんに勝てるわけないじゃない。あっちにはお姉ちゃんだってついてるんだから……」


 そんな期待と疑惑を背負い、メリルのウマ、グラーネもゲート前へと現れた。

 彼女のトレーナーとして後ろに付く女性は、もちろんシェリルだ。隣で馬鞭を握る姿がなんとも様になっている。


「いよいよですねお姉様、この子の調子もよさそうです。それにしてもあの女狐さん、シェリルのことずいぶんと気に入ってくれたみたい。おねだりしたら一番いいウマを出してくれました。彼女が筋金入りのレズビアンって噂、どうやら本当のようです」

「ふふ、やはりそうか。だがシェリル、体だけはあの女に許すなよ。これはお姉様との約束だ」

「当然ですぅ。シェリルにかかれば、あんな年中発情女なんてこのテクニックだけで満足させる事は簡単ですから」

「まったく、お前というじゃじゃ馬が一番扱いにくいな。だが、たまには人間共の戯れに興じるのもよい。真のウマ使いが誰か、奴らに教えてやろうではないか。なあ、グラーネよ」

「…………」


 グラーネと呼ばれた、シュヴァイツァーと同じ年頃の小ぶりな青鹿毛の(ひん)馬。その体躯こそ平凡だが、レースを前にした冷静さ、いや、目の奥の冷たさが他とは一線を画していた。彼女から感じ取れる無感情さは、もはや機械で造られたかのようですらある。


「まさかあれは、コクトバか……?」


 それを遠くで見つめるファレンの中に、いつかの競り市にて自身をも上回る金額を提示され競り落とされたウマの記憶が蘇る。確か、その時にはシンロンと名付けていたシュヴァイツァーへの出資がかさみ、泣く泣く諦めたウマだ。かつてクーロンに存在したという伝説の名馬、赤兎馬(せきとば)にあやかり、密かに黒兎馬と名付けていたウマとのレースでの再会。彼はそのいたずらな運命に身震いした。


(まずい、これはまずい……だが、私の策は万全のはず。そうだ、資質では彼女の方に分があるが、調教ではその限りではない事を証明する良い機会とも言える。ロザリー様、あなたの手綱さばき、私は信じておりますよ……!)


 レース開始のファンファーレが高らかに鳴り響き、各馬が続々ゲートへと入る。ぐずるウマもいる中、シュヴァイツァーは真っ先にゲートインし、今か今かとスタートの合図を見計らっていた。だがすぐに横につけた小ぶりなウマの放つ殺気に気づき、警戒するようロザリーへと小さく伝える。


「どうしたの、シュヴァイツァー?」

「くく……ロザリーよ、偶然だな」

「メリル……!」

「いつかは貴様にしてやられたが、今回はそうはいかんぞ。我が心の中をかき乱された屈辱、今こそ晴らしてくれよう」

「……まさかお隣があなたとはね。だけど勝負とあれば正々堂々、今は過去の因縁も忘れ戦いましょう」

「ふふ、異論はないのだ。舞台が馬上ならば卑怯な手など使うまでもない」


 グラーネは他のウマを意に介す事もなく、シュヴァイツァーに対してのみ睨みをきかせる。本能的に彼に秘められた何かを感じとっているのだろう。

 一瞬の静寂。全てを研ぎ澄まし、その時を待つウマ達。ファレンは立ち上がり、興奮のままに愛馬へと言葉を贈った。


「さあ、シンロン……もとい、シュヴァイツァーよ。お嬢の神速にも食らいついたその実力、皆様にも存分に見せておあげなさい!」


 一斉にゲートが開く。その一瞬、明らかに一つ抜け出したウマがあった。


「行くわよ! シュヴァイツァー!」


 ロザリーの掛け声と共に、大外から弾丸のように加速する白馬。しかし、さらにそんな彼女の鼻先より前に行くものがあった。鋭く尖った、銀の剣である。


『さあ、各馬そろってのスタート。おおっと、ここで一気に先頭についたのは意外にも大外8番、シュヴァイツァー! それに跨がるはロンデニオン初の女性騎手、ロザリー゠エル゠フリードリッヒ。なんとラウンドナイツ副団長の十八番、武器を持った突撃の姿勢を見せます!』


「なんですとっ……! フォルテ殿、剣を抜くなんて話は聞いていません! レースは馬上槍試合(ジョスト)ではないのですよ、これではせっかくの軽量化が……」


 市長の皆が一斉に失言したファレンを見る。レースで武器を持つ事は他馬への妨害行為でもあり、これには流石の彼も苦笑いでごまかすしかなかった。一部の者はこれに抗議しようと立ち上がるが、王は片手を上げそれをけん制した。


「先頭を行く者にしか許されぬ突撃姿勢。ふふ……フォルテよ、やってくれる。あくまで前を他に譲る気はないというのだな?」

「そんな……ただでさえ馬上は安定しないのに、レース中ずっとあんな武器を持って片手でだなんて」

「サクラコよ、あれがフォルテ流馬術の神髄だ。それに、奴も普段ならばそこまではしない。ロザリーの勘、そしてあのウマの持つ力こそが、そうするまでの信頼を引き出したのだろう」

「なんと……シュヴァイツァーよ、お前は、そこまでのウマなのか……?」


 すっかり黙りこくってしまったファレンをよそに、王は類い希な名試合となる予感に一人その血をたぎらせた。


「デモンブレッドは常に戦場を想定して走る。つまりは武器を持ってこそ真価を発揮するというもの。だが、一度でも後続に抜かれると即失格……。退路はないぞ、ロザリーよ」

「ひいぃ!」


 一気に青ざめるファレン。もしそうなれば、ここまでに掛かった費用が全て水の泡。それどころか一年間出場禁止のペナルティまで科せられる事になり、大金を費やして造った牧場の経営は破綻決定である。


「お嬢、どうしましょう! これに負けたら堕龍もいよいよおしまいですっ!」

「大丈夫です、シュヴァイツァーは本来逃げウマ。彼を信じましょう!」


 そうして先頭を行くロザリーに続き、やはりそのすぐ後にはメリルがつく。そして彼女はこれまで見てきたどのウマとも違う前方の白馬に早速興味を示した。


「脚質は逃げと聞いたが……ほう、これは逃げの走りではないな。何かを追う走りだ。シュヴァイツァーよ、お前の目の前には一体何が見える?」

「ブルル……」


 それに答えるよう、シュヴァイツァーの前に魔気で形作られた幻影が現れる。彼は他のウマなど眼中になく、この影のみを追って走っているかのように見えた。


「これは、犬の幻……? いや、しかし、ウマより速い犬など……」

「ええ、いないはずよ。けれど、これは紛れもなく実在する影。それも、あなたと相対した子の幻像よ」

「まさか、サクラコか!」

「ふふっ、彼にはあの子のカオスがこう映るみたいね。私達は彼を、そのマギアになぞらえてゼツエイと呼んでいるわ。それに、あなたのウマの事も何か猛獣にでも見えているみたい。さっきから追いつかれまいと必死よ」


 魔の因子を持つ彼らにとって、マレフィカの持つカオスの力は当然可視可能である。


「なるほど、奴にはカオスが見えるという事か。ならば理解できるはずだ、このグラーネと共に走る我がカオス、カストルの恐ろしさがな!」


 すると、メリルの乗るグラーネを覆うように、二回りほど大きなウマが姿を現した。それは巨大な一つ目の怪馬。さらに全身に棘の鎧を纏わせ、触れるもの全てを傷つけるような外見をしている。


「くっ、なんて威圧感……シュヴァイツァー、見てはだめよ。あなたは落ち着いて、自分の走りをしなさい。いいわね」

「フシュウ……」


 肌を切りつける風。馬群は凄まじい速度でロンデニオン城を抜け、共同墓地の敷地へと入る。


『さあ、レースは依然として激しい先頭争いです! 今レースのダークホース、新陣営の二頭が怒濤の勢いで脚を見せ、各都市代表の精鋭馬がぐんぐんと離されていきます! それに果敢にも食らいつく4番フューラーバイエリンですが、一歩、いや三歩及ばない!』


 さっそく起きた大波乱に、観客席からは驚嘆の声があがった。であれば、このレースに全てを賭けてきた市長達の心情は言わずもがなである。


「我が栄えあるバイエリンの総統(フューラー)が、何という事であるか……! 彼もれっきとした逃げウマであるぞ! どこぞの馬の骨とも知らぬ者に、こんな大逃げを許すとは!」

「あら、クライゼンの残党さん。でしたらとっておきのお話をしてあげましょう。私共のグラーネはああ見えて先行馬。あのペースでもまだ、最後の脚を十分に残しているのですよ」

「なんと……」


 メイの持つ陰湿な二面性が露わになる。彼女は薄目を開き、口角を引きつらせては自身のウマ、グラーネを見つめた。


(ふふ、ふふふふ……。さあグラーネ、我らが悲願のために(はし)りなさい。あなたは純血の魔馬、かのスレイプニルの血を引くウマ。そんじょそこらの雑種に負けるはずもありません。……ですが、ですが! メリルはなぜロザリーさんを抜かないの!? 私の誘いをことごとく袖にしたあの(ひと)を振り向かせる、絶好のチャンスなのにっ……!)


 レースは順調ながら、メイの顔には焦りの色も浮かんでいた。暗殺者として幾度も修羅場を渡り歩いたメリルの考えなど、彼女ですら読めないのだ。


「おのれえっ、まさか我らの電撃作戦がこうも易々と破られるとは! 奴ら、そろいもそろって化け物かっ……!」


 先頭の二人に追いすがるバイエリンのウマはすでに限界を超えていたが、焦った騎手はさらにいたずらに鞭を入れる。しかし彼ら強大な力を持つデモンブレッドに対し、それはあまりにも軽率な行動であった。


「ブルアアァ!」

「し、しまったあ!」


『おおっと、レースも中盤、高台へと向かう坂に差し掛かった所、突如フューラーバイエリンが興奮し、騎手が落馬! しかしそれと同時に後続のペースが上がってきた! いや違う、これは先頭二頭の勢いが衰えているのか!?』


 実況の声が慌ててロザリー達に起きた異変を伝える。それもそのはず。後続は皆、この心臓破りの起伏を想定し体力を温存していたのだ。


「ブフッ、ブフッ」

「シュヴァイツァー? 息が荒い……まさか……」

「ふっ、掛かったな。初めてのレースで考えなしに飛ばしすぎだ。先ほどの素人はともかく、レース慣れをしている連中は無理に追ってこなかっただろう。それが全ての答えだ」

「くっ! やっぱり、本番は普段通りとは行かないみたいね……」


 ロザリーは可能な限りシュヴァイツァーの息づかいに耳を傾け、その心を探った。しかし彼からはこの試合に勝つという焦りしか感じられない。早くもレース展開に暗雲が立ちこめ、観客席からは他のウマに賭けた者達の歓声が飛び始めた。


「ああっ! せっかくこれまでに開いた差が……お嬢、これホントに大丈夫なんですよねえ!?」

「はい……練習で何度も走らせた時、あの地点ではまだまだ余裕がありました。おそらく、不自然なまでにぴったりと付けたメリルさんが何かを仕掛けているのかも……」


 武器を見せ鼓舞させすぎた事が原因か、ただの経験不足か、その脚は上り坂の中盤を過ぎると次第に勢いを無くした。続けて、ロザリーの耳に後続の蹄鉄音が雪崩のように押し寄せる。


「まずい……シュヴァイツァーには神速の異能を持つ少女が併走に付き合っていたというが、ペースメーカーである彼女の不在により息が乱れたのやもしれん。だがこれは、果たしてそれだけか……?」


 スタート地点に建てられた、コース全景が見渡せる見張り台。そこからロザリーを見守っていたフォルテがここへ来て初めて焦りを伺わせる。その隣には、同じようにメリルを見守るシェリルの姿もあった。しかしこちらは逆に、余裕の表情を微塵も崩さない。


「イケメンさん、ごめんねぇ。ロザリー様、お姉様の術中にまんまとはまっちゃったみたい。優勝は、シェリル達がもらいまーす」

「なんだと? だが君は一体……」


 ぐいぐいと隣にくっついた少女は、大きく開いた胸元を見せつけながらフォルテを挑発する。そこから立ち上るフェロモンは、ウマ一筋のフォルテすらもがたじろぐものであった。


「ひ・み・つ。でも特別に一つだけ教えてあげると、これはね、今まで人間達が行ってきた、ただのレースじゃないわ。より強い異能を持つ者がその場を支配する、異能力レースなのよ」

「なるほど。では美しいお嬢さん、君達もまたマレフィカという訳か」

「ふふっ、魔女に出場権なんて与えたら、こうなるに決まってるじゃない。マギアを使うななんて規定にも何も書いてないんだから。お姉様はその目で見た者に恐怖を植え付けるわ。後ろを取った時点で、もう勝ちは確定なのよん」

「そうか……確かにデモンブレッドにはそれぞれ特殊な力がある。それを引き出す事が許されるのなら、騎手もまた然りという事……!」

「さすが、分かってるぅ」


 偉そうに人馬一体という割には、今のレースはウマに比重が割かれすぎている。彼らに見合う乗り手として、マギアという新たな資質を持つマレフィカはこれ以上ないパートナーに思えた。


「だいたい、魔物の血を薄ーくしてレースさせるなんて温くない? お姉様なら、魔獣そのものを乗りこなす事だってできるわ」

「……ならば俺たちの築き上げてきたレースは、すでに時代遅れの産物だとでも?」

「そうねぇ、簡単に言うと、お払い箱? お兄さん、もう十分稼いだでしょ。今回は黙ってシェリル達のお小遣いになって?」

「ふふ、軽く言ってくれるな」


 やはり、莫大な金の流れはこういった手段を選ばぬ者達をも惹き付ける。しかし、やはりこれはスポーツ。あくまで純粋な競技であればこそ人は血湧き肉躍るのだと、フォルテは静かに拳を握りしめた。


(ロザリー……お願いだ、レースに勝つのは常に、ただ真に速いウマだという事を証明してくれ。そして、あいつに、シュヴァイツァーに、栄光の景色を見せてやってくれ……)


 そうこうしている間に、とうとう後続が先頭の影を捕らえた。二頭に迫るのはペティエルのエリート馬、豪雪地帯で多く見る、毛の長い(あし)毛のウマだ。さらにその後ろには、今回の上位人気を独占する、ラウンドナイツの新馬三頭が付けている。フォルテ自身が育て上げた、新兵三人の勇姿。普段であれば誇らしい所だが、今はあまりに複雑な心境である。


「おおっ、やはり伝統あるレースを作るのはエリートの我々しかおらぬようだ! いけえ、雪崩アバランチよ! 生意気な小娘もろとも、飲み込んでしまえ!」

「ふむ、だが我が騎士団のウマも忘れて貰っては困るぞ。さあロザリー、愚直に研鑽を積み重ねてきた者達とどう戦う? 自分を信じるか、それともウマを信じるか。ここが勝負の分かれ目だぞ」


 王の睨む通り、思った以上にシュヴァイツァーの消耗が激しい。ロザリーは早くも勝利を諦め、ひとまず息を入れる事を選択した。


「シュヴァイツァー、いいのよ。もう休んで。私は失格になるけど、一度休めば完走はできる。初めてのレースだもの。あなたには、ちゃんと走ってゴールしてほしいの」

「ブルル……」

「え? 嫌だ? どうして!? 苦しいのでしょう! 私の事なんて、もういいから!」


 そんな息の噛み合わないロザリー達をよそに、後方から余裕のある高笑いが響く。


「ホホホ、捉えたぞデュオロンにアーカムの素人共! さあアバランチよ! あのようなまがい物、ひと思いに抜き去ってしまえ!」

「いや、競馬王国の主催である俺たちラウンドナイツが面子を汚す訳にはいかない! 行くぞ二人とも! ラウンドナイツストリームを仕掛ける!」

「おお!」


 灰色のまだら模様を見せるウマを筆頭に、その影から迫るラウンドナイツ陣営の三頭のウマ。よく見ると彼らは、初めてフォルテと会った時に見た冴えない訓練生達であった。彼らは燃えさかる執念の塊となってロザリーへと追いすがる。


((許さん、許さんぞ! 栄えある我がペティエルの民こそがフェルミニアの直系でありロンデニオンの宗主にふさわしい! たかが移民などに栄光の座を渡すものかあっ!))

((うおお、勝つ! 勝ってなんとしてでも出世するのだ! こんな所で負けては、これまでの苦しい訓練は何だったのだ!))

((へっ、こんな恐ろしい乗り物、好き好んで誰が乗るかよ! 勝ったら賞金で好き放題豪遊してやるぜ!))

((おっ、相変わらずいい尻。これに勝ったら、あの子の事誘っちゃおっと。さあ、いっちょかっこいい所見せますか))


「うっ、みんなの思考が……。でも、みんな、そんな事のために戦っているというの……? だったら、この子達の気持ちは、一体どこに……」


 これまでこういった興業とは無縁であったロザリーには、彼らの走る意味などは分からない。ただ、どんな理由があろうと従順に走る事しかできないウマ達を想い心を痛めていた。

 そんな彼女へと、メリルは全てを見透かしたような言葉を言い放つ。


「甘いな、ロザリー。ウマというものは、もはや人間の都合によってのみ生かされている動物に過ぎん。野生を取り戻し、反旗を翻そうものならば即刻駆逐されるのみ。だからこそ、これがこいつらの幸せであり、唯一の生きる道なのだ」

「そう……そうかもしれない……でも、それじゃ、まるで生き方を選べない私たちみたいじゃない……。だからせめて、私はこの子たちには自由に走ることを選ばせてあげたいの」

「黙れっ! それができるのなら誰も苦労はしない! メリルだって、そうやって生きてきた! やりたくない事にまで手を染め、妹を守ってきた! だが、それがこの世界だ! 誰もが生き馬の目を抜くというこの世界なのだ!」

「メリル……」


 いよいよロザリー達に後続が差し迫る。この先に控えるのは下りの急坂とゴールへと続く大きなコーナーのみ。それらで加速する事は大事故に繋がるため、ここで抜かれてはもはや巻き返す事も難しくなるだろう。


「お姉様、ロザリー様と何を言い争って……。そろそろお遊びはその辺にしないと」

「ああ、だが彼らをかわしても、後方には特に持久力に長けた品種も控えている……。くっ、シュヴァイツァーの持つポテンシャルを信じすぎた。ロザリーも共に走っているという事を忘れ、その負担を全て押しつけた私のミスだ……!」


 フォルテは己の慢心を知る。英雄とはいえあくまで素人、自分のような走りなどできるはずもない。ここでの無理は予後に関わるため、棄権を判断するのもトレーナーの務めである。


「ロザリー、すまない……」


 彼が勝利を諦め棄権の狼煙を揚げようとした時、事件は起きた。これまで戯れにロザリーに付き合い、奥の手を隠し持っていたメリルが動いたのである。


「よし、そろそろか。……くっくっく、跪け! これがメリル様の異能(ちから)だ、とくとその目に焼き付けるが良い!!」


 後続に向け、顔を手で覆ったメリルが振り返る。そしてその指の隙間から、赤く光る両の目を開いて見せた。


「メリル! 卑怯な手は使わないって約束でしょう! マギアなんて使っちゃ……」

「ロザリー、お前は全力で来いと言ったな。そう、これこそがメリル様の全力! 奴らを戦士と認めるからこそ、出し惜しみはしないのだ!」


 赤い閃光と共にメリルのマギアが走る。それはコースをも飛び越え、城の後方へと突き抜けていった。


「あれはっ! あの目に見られたら、おそらくまともではいられなくなります! みなさん、見ないで下さい!」

「お、お嬢、一足遅かったようです……。どうやらこの黒眼鏡も効かないようで、全身に悪寒が……がくがく」

「くっ、これは、あの時の……」


 ティセは薄目で双眼鏡を覗いたが、それでもいつかに似た恐れを抱いてしまった。彼女らしくない、いや、彼女が常に奥底に隠している恐怖心が、ありありとその身に浮かび上がる。


「ティセさん!」

「うう……アタシも出会い頭、アレにやられたわ。今でも思い出すの、足がすくんで何もできなかった事……」


 確かにあの時、少し目を離したばかりにティセは深い傷を負ってしまった。サクラコはその贖罪として、無意識にティセを抱きしめ彼女の心を落ち着けようとした。


「大丈夫、大丈夫です。私がここにいます、ずっとそばにいますから」

「うぇぇ、サクラコぉ……」


 遠くから見てこれである。至近距離で彼女の目をまともに見た者達は途端に得も言われぬ恐怖に駆られ、瞬く間に隊列を乱した。


「ひいぃー、死にたくないぃ! 私の命は尊いのだぞ、こんなレース、もう棄権だ!」

「どうしたお前達、あまり集まり過ぎるな! 接触する!」

「だめだ! こいつ、言うことを聞かねえ!」

「ひえー、ロザリーちゃーん、助けてえ」


 その結果、前を行くペティエルは早々にレースを離脱。作戦のため密接していた騎士団の三頭はもみくちゃになり、兵士達は暴れ馬にしがみつくのが精一杯の様子である。


「ふふふ、このマギアに対抗できる者がいるとするなら、我と少しも目を合わせようともせぬサクラコだけよ。まあ、未だにこちらを見てくれないのは少し寂しいが……」


 マギアを放ち、満足げにレースに復帰するメリル。これで先頭集団はロザリー達を残し、興奮状態で走る騎士団のウマ三頭のみとなった。


「しかしさすがは選ばれしデモンブレッド、恐れをなしてもなお走るか。だがマコト、これで勝ちは貰ったぞ。メリル達を地獄から引き上げてくれた恩、絶対にお前に返すのだ!」


 つい湧き上がる高揚感から本音を漏らしたメリル。どこかまだ暗殺者としての印象が拭いきれなかったロザリーにとっても、それは意外なものであった。


「メリル、あなた……」

「さあ、次はお前だロザリー! このマギアは直に目を合わせずとも多少なりの効果がある。そのやせ我慢、いつまで持つかな?」


 その問いに、ロザリーは笑みを浮かべてみせた。やせ我慢などではなく、どういうわけか彼女のマギアすらもが今は愛しいのだ。そして、それを全身で受け止めてみたい衝動にまで駆られた。


「そう……やっぱり変わったわ、あなた。お金だとか、快楽だとか、あなたが走るのは、そういった理由からではないのね」

「なっ!? なぜ振り返った! 貴様、勝負を捨てたのかっ!」

「ううん。むしろ、その逆よ。あなたのマギアを、受け入れてみたくなったの」


 後ろを振り返り、しっかりとメリルを見つめるロザリー。この至近距離で見つめ合えば、普通ならば発狂は免れないだろう。それでも、メリルは彼女の意思を屈服させる事はできない。いつかマコトに感じた畏怖をロザリーからも味わい、メリルは自分が逆に恐怖という感情に飲みこまれてしまった。


「なんという意思だ……この恐怖(フィアー)の力に屈しないとは……」

「私自身に降りかかる恐怖はどうとでも制御できる。私が怖いのは、私以外の何かを失うことだけ」

「そうか、どうりでシェリルの術に耐えられたはずだ。そもそもその恐怖こそが、貴様の原動力というわけか……」

「あなたの想いは受け止めた。ならば、私も全力で行く。この、進化した異能(エヴォル・マギア)の力で」

「な……進化したマギア、だと……? 我々のマギアに、まだ先があるというのか……?」


 再び前傾姿勢へと戻ったロザリーは、目を閉じ精神を集中させる。そして、ウマの息づかい、手綱から読み取れる感情、全身に伝わる拍動。その全てを、自身へとシンクロさせた。


((シュヴァイツァー! 走って!! あなたの意思がそこにあるのなら、私はもう何も言わない。全てを出し切って、あなたという存在を皆に証明してみせて!!))


「ヒヒィーン!!」


 白馬は発光する黄金のたてがみをなびかせ、まるで空を駆けるかのように一直線に傾斜を駆け上がる。その姿はまるで神の馬。かつて魔馬スレイプニルと並び称えられた存在が現世へと舞い降りたかのようであった。


「ああ! あれこそシンロンの真の姿! 神馬グルファクシの顕現です!!」


 特別席にて奇声を上げるファレン。その意味が分かるのは、そこにいたメイとボルガード王くらいのものである。


「何ですって……私のグラーネ以外にも覚醒可能な古代種が……。しかも、スレイプニルと互角に渡り合ったという、あのグルファクシとは……」

「ふむ、確かにあれは神馬の持つ輝き……。その逸話というのも、グルファクシのあまりの美しさに惚れた戦神ウォーデンが所有権を賭け、巨人族と愛馬スレイプニルでの勝負を行ったというものであるな。デモンブレッドの中にはまれに、先祖返りする者がいる。その種は類い希な力を持ち、自身にふさわしい主と認めた者にのみ付き従うと聞いたが?」

「そうなのです! あのウマはなぜか私どもの用意した騎手を受け入れず、ロザリー様を背に乗せる事を望みました。やはり我らが首領(ドン)! このファレン、一生ついて行きますぞー!」


 思いもよらぬ展開に、王は自慢の白髭に手を当て笑みを浮かべた。


(フフ、お前は多くを望まぬが、どうも周りはそれを許さぬらしい。つまりこれはお前が真の英雄である揺るぎなき証拠。さあロザリーよ、お前ならばこの神秘劇をどう演じる?)


 一方、目の前で見違えるような加速を見せるシュヴァイツァーに、メリルはただ唖然とするよりなかった。そしてそのたてがみが放つ黄金の中で、自らも輝かしい表舞台へと引きずり出された事を改めて理解する。


「まさか、お前も……いや、だとしたら好都合! 真に速いウマはどちらか、おとぎ話の続きと行こうか!」


 白と黒の対照的な二頭は、後に控える下り坂をも顧みない速度でデッドヒートを繰り広げる。さらにその後方には、騎手を乗せながら暴走した三頭のウマの姿。それらは歯と目を剥き出しにし、恐怖の中で魔の血を覚醒させようとしていた。

 その異変にいち早く気づいたのは、やはりこれまで彼らを育て上げてきた副団長フォルテである。


「む、いかん! 奴ら、マギアの影響で我々が押さえ込んでいた魔物化が進んでいる。それにあの先は再び観客席のある城下だ! このままでは暴れ馬が人々の列に突っ込むぞ!」

「ちょっと、イケメンさん! そんな事になったらお姉様、失格じゃない!?」

「それどころではない! 国王の御前で騒乱を起こした罰として、少なくとも30年以下の懲役刑だ!」

「いやぁん! ねえ、何とかしてぇ! あのウマ、あなたたちの所のなんでしょお!」

「そうは言っても、今年は兵の出来も悪く、私がロザリーばかりを見ていた為に仕上がりが甘い……ウマ笛を吹いたところで言うことを聞くかどうか……」


 最愛の姉に迫る危機を知らされ、絶望に立ちすくむシェリル。姉はこの舞台で走る事が決まってから、柄にもなく密かにずっとこの日を楽しみにしている様子であった。彼女は自身のカオスが馬の姿をしている事もあり特にウマを愛しているし、マコトへの恩を返したいという想いも本物である。だがやはり闇に生きた魔女。結局は道を間違え、いつもこういった結末となってしまうのだ。


「お姉様……」


 それすら本人は覚悟の上だったとしても、たとえ自業自得であったとしても、こんな時、あの人ならばきっと姉を救ってくれる。シェリルは瞳を潤ませながら、姉の先を征く英雄の姿を見つめた。


「ああ、神様、ごめんなさい。ズルして勝とうとしたシェリル達が悪かったです……。だからお願い、ロザリー様……お姉様を、助けて……」


 そんな、空にかき消えるような願い。誰もが見放してしまうような身勝手な思い。けれど、それは届く。そう、彼女のもとにならば。


((大丈夫よ、シェリル。メリルの事は任せて))


 耳元に届いた、凜とした声。それは心のどこかで求めていた、母にも似た声。


「ああっ……ロザリー様……」


 その心まで溶かしてくれるような声に、シェリルは陶酔した。そしてあの時のように間違いから姉を救った黄金の力による奇跡に、ただ縋るのであった。






「えっと、ここからここまでが繰り返しで、最後にキングスセーブ・ザ・キングダムで終わり、と……ねえアニエス、この国の国歌、長くて覚えられないよお」

「とか言って、あっと言う間にメロディーは覚えたじゃない。まあ長いのは仕方ないでしょ。周りが王様を担ぎ上げるために盛りに盛った曲なんだから。そもそも全部で千編くらいあるガーディアナの聖歌よりはマシでしょ」

「あう……」


 確かにガーディアナにいた頃は、来る日も来る日も様々な聖歌を覚える日々だった事を思い出す。しかもそれは全てガーディアナ旧言語による詩編で、今でも彼女の脳の容量の大部分を占領しているのだった。


「確かに、あれに比べたら簡単だけど……」


 この大会を締めくくる国歌独唱の大役を、大々的に聖女として務める事となったパメラ。その流れもあり、今日はもうずっとこのような段取りをアシスタントのアニエスにたたき込まれているのだ。

 さすがに相手は政治の道を志す才女、何を言ってもいいようにあしらわれ、パメラはせめてもの抗議にと口をとがらせて見せた。


「むー。終わったら美味しいスイーツ、約束だからね」

「はいはい。さ、次はオケ入れて通しね。もうレースは始まってるんだから」

「えっ、ロザリーもう走ってるの!?」


 その時、ロザリーの進化異能(エヴォルマギア)触媒(カタリスト)が、遠く王城の離れにあるコンサートホールにいるパメラへと届いた。


((……パメラ! パメラ!!))


「……っ! ロザリー!」


 彼女の置かれている状況が、感情に乗ってありありと伝わる。パメラは思わずここを飛び出し、彼女の下へと駆けつけようと身を乗り出した。


「待ちなさい! 急にどうしたの? 何かあった!?」

「ロザリーが今、異能(ちから)を使って……」

「そっか、あなたには分かるのね……。それで、あの人は何て!?」

「私を、呼んでる……。私に力を貸してほしいって……」


 いまいち彼女の言う意味が理解できず、首をかしげるアニエス。


「でも、あの人のいる所とここは、ずいぶんと離れているのよ? 今のあなたに何ができるの?」

「私の歌を、繋ぐ。ロザリーはそう言ってる」


 アニエスは大きくため息をついた。ここで二人のやりとりを理解できないと切り捨てる事は、彼女のプライドが許さない。何一つ分からないが、分かるのである。せめて、二人の間の野暮な障害物になどなってたまるものかと。


「ええい! 分かったわ、もうこうなったらぶっつけ本番で行く。オーケストラも急いで準備して下さい! 全責任は私が取ります!」


 この大会のために集められた一流の音楽家達すらも困惑する中、パメラは迷いなく観客のいないステージへと上がった。そして深く息を吸うと、今までの彼女からは想像も出来ない気品を纏い、アニエスへと向き直る。


「アニエス、私はいつでもいけるよ」

「……本気でやるのね、いいわ。では皆様、少し早いですがレースにも劣らぬ今宵のメーンイベント、ガーディアナの聖女によるロンデニオン国歌、キングス・セイヴ・ザ・キングダムの独唱です! これはゲネラルプローベではありません。最高の演奏と共に、人々を感動の渦に(いざな)いましょう!」


 アニエスの合図に、指揮者が一礼、そしてタクトを振り上げる。この劇は全てがアドリブ。しんと静まりかえった場内にて、聖女による国歌の独唱が奏でられるのであった。






 所変わってついにレースは下り坂に入り、眼下に熱狂した人々の姿を映し出す。暴走する騎士団の三頭のウマは、奇声を上げながら限界を超えた速度で二人のウマに食らいつく。その目は血に飢え、観衆の人々を餌として射程に捉えているようですらあった。


「くっ、今にも投げ出されそうね。けれど、ここで速度を抑える訳にはいかない。いざとなれば、私が盾になってでも皆を守ってみせる……!」

「そうだ、大抵のウマは下りを苦手とする。だが臆病風に吹かれた者に追い風は吹かない! 転倒か先頭か、二つに一つだ!」


 ロザリーは重心をできるだけ後方に移し、シュヴァイツァーの転倒を防いだ。しかしメリルはそのままの前傾姿勢で、さらにグラーネへと鞭を入れる。


「メリル、無茶よ! こんな坂道で落馬すれば、前方に投げ出されて轢かれてしまうわ!」

「ククク、知らんのか? 我が愛馬には、魔馬スレイプニルの血が流れているのだぞ?」

「えっ……」


 ロザリーは目を疑った。後方に迫るグラーネから、さらに前足が二本、そして後ろ足が二本、合計八本の足が生え、衝撃を分散しつつ抜群の安定感で地を駆けているのだ。


「貴様のウマが長い歩幅で飛ぶように走るストライド走法ならば、メリルのウマはこの八本の脚で地を刻むように走るピッチ走法。つまりはこの下り、そしてこの後に控える最終カーブでの圧倒的な優位は揺るがない!」

「確かに、こっちはこの子が地を駆ける度、押しつぶされそうな衝撃が……」

「フフ、あまり喋らないほうがいい。そのうち舌を噛み切るぞ」


 彼女の言うように、このままでは舌どころか顎まで砕けそうだ。ロザリーは喋るのをやめ、感応の力へと意識を切り替えた。


((……サクラコ、ごめんなさい。メリルは素人の私と違って、本当に強いわ。もしかしたら私……勝てないかもしれない。そうなれば、あなたが再建したデュオロンは……))


 そんな珍しく弱気になったロザリーの思念が、特別席のサクラコ達へと届く。


「ロザリーさん……」

「バカ、何弱気になってんのよ! アンタまでそんなんでどうするの! あの子とは正々堂々と決着を付けるんでしょ、だったら今がその時じゃない!」

「そ、そうですよロザリーさん、私はあなたが勝つって信じています! なんたって私たちには、勝利の女神がついているんですから!」


((勝利の、女神……))


 そう、彼女の言う最後の秘策。それは、ここにはいないパメラの存在である。彼女はいつも、いかなる時でも自分達の勝利の女神であった。

 それは、どんなに離れていても変わらない。そこに、愛する人がいるかぎり。



 〽おお、我らが偉大なる国王よ

  勝利、栄光、繁栄。その全てを手にし、我らを導く

  あなたこそが、約束された、勝利の剣

  キングス・セイヴズ・キングダム



 歌が聞こえる。どこかで聞いた事のある勝利の凱歌だ。

 その声は優美で、儚げで、それでいて力強くもある。まるで、神に愛されたような歌声。こんな歌が唄えるのは、ロザリーの知る所ただ一人しかいない。


「パメラ……!」


((ロザリー、頑張ったね。私の歌、あなたにまで届くよう、精一杯歌うね!))


 パメラによる進化異能(エヴォル・マギア)浄歌(オラトリオ)である。ロザリーの触媒(カタリスト)は、こういった奇跡をも可能とする。かつて自らの殺意すら浄化した、彼女の歌。ロザリーとしても一か八かの賭けであったが、どうやら間に合ってくれたようだ。


「何だ、この心に響くような歌は……。ほほう、そうか、これぞ聖女の歌声。パメラよ、お前もこのメリルの勝利を祝おうというのだな!」


((メリル、違うのよ。あの子は、誰かの勝利を祝ったりはしない。ただ、皆に安らぎが訪れる事を願っているのよ。だから、あなたもこの歌に身を委ねて))


 その歌の本質は、まさに浄化の第二段階とも言える。魔馬スレイプニルと化したグラーネの姿は次第に元の4本足へと戻り、背後から迫る魔物化したウマもまた、魔気による狂気から救われていった。


「グル……ル」

「何っ? どうした、グラーネ! まずい……これは、スレイプニルの魔の力が失われているというのか!?」



 〽あなたこそ、この枯れた土地に差す、希望の光

  キングス・セイヴズ・キングダム

  そしてあなたは、いつまでも私の光

  モーニングスター・リリィ・ナイト



「わあ、すごく綺麗な歌声……」

「なんだ、もう閉会式か? これ、ロンデニオン国歌だよな?」

「ほんとだ。でもこれ、なんか少し歌詞が違うぞ」


 会場がどよめく。この力で繋がる事ができるのは本来マレフィカのみ。しかし確かに皆の心にも、パメラの歌は届いた。国歌の最後を結ぶ言葉が、我らが王ではなく姫百合の騎士を意味する言葉である事を、そこにいる誰もが聞き届けたのだ。


「どういう事です、お嬢? これは、我が姫の歌声ではありませんか……?」

「皆さんにも聞こえるんですね……。ええ、これは間違いなくパメラさんの声です」

「じゃあ、まさかこれ、ロザリーとパメラがやったの……?」

「ええ。おそらく、ロザリーさんの繋げる力と、歌という伝える力とが組み合わさり、さらなる相乗効果をもたらしたのかもしれません」

「ふん……あいつら、見せつけてくれるじゃない」


 自分を諦めさせるなら、このくらいやってくれないと張り合いがない。ティセはそんな二人の仲に、むしろ喜びが抑えきれなくなっていた。


「フ……ハッハッハ! 聖女よ、お前にとって私は、かの英雄の前座に過ぎぬと言うのだな。これは傑作!」


 この賛美歌をどこかむず痒いと感じていたボルガード王も、これには膝を叩いて喜んだ。最後の改変された一節は、長い歌詞を覚えられなかったパメラによるとっさの機転だったが、新たな英雄の到来を啓示するにふさわしい出来映えと賞賛したのである。


((ロザリー……私、あなたの力に、なれたかな?))

((ええ、ありがとうパメラ。最高の歌だったわ))

((うんっ!))


 浄歌の力によって、触媒の力もまた失われていく。二人はその声を最後に、互いの戦うべき世界へと戻った。

 気がつけばレースはすでに下り坂を過ぎ、あとは最終コーナーを残すのみとなる。


『す、すみません、実況も忘れ聞き入っておりました! 今何が起こったのか私には想像もつきませんが、レースは未だ続行中! 先頭は依然8番、シュヴァイツァー。続いて7番グラーネ。続くラウンドナイツの三頭ですが、おおっと、どうやらここで棄権するようです』


 魔物化から復帰した騎士団の三人だったが、消耗したウマをねぎらうように速度を緩め、先を行くロザリー達を見送った。


「あーあ、なんだろうな。負けたけど不思議と悔いはないぜ。これも聖女様の歌のせいかね」

「うむ。そもそもこんな(よこしま)な心で、レースに勝てる訳などないって事だ。俺たちも、鍛え直さないとな!」

「ああ、デートの誘いは次にとっておく事にするよ。でも、聖女様もいいよなあ」

「ほんと、おまえなあ……」


 そんな部下達の様子を遠くから見守るフォルテ。彼は全ての責任を取り騎士団を辞する覚悟までしていたが、そこでようやく胸をなで下ろす事ができた。


「まったく……あいつら、帰ったら鬼の特訓だ。ロザリーがいなければ今頃どうなっていた事か」

「ああっ! ロザリー様、やっぱり素敵ぃ……」


 二度も姉を助けられ、シェリルのロザリーを見つめる眼差しはすでに崇拝へと変わっていた。最愛の姉を差し置いて、その勝利を真に願うほどに。


「これで勝負は振り出しね。もうマギアも、魔物化も使えない。頼れるのは、ウマの持つ本当の実力だけよ!」

「くっ、それで勝ったつもりか! 我がグラーネはまだまだ余力を残しているのだぞ!」


 あとは気力での勝負。しかしここへ来て、二人にさらなる挑戦者が現れた。ずっとペースを崩さずに自分のレースをしていた、トリスタンスコーピオである。


「ふふ、砂漠の民の忍耐を甘く見てもらっては困るぞ。我らの都市トリスタンとは、悲しみの子という意味を持つ。政治的な策略により故郷アルベスタンに帰る事のできなくなった我が民は、それでもかの国との関係悪化もいとわずに拾ってくださった国王に忠誠を誓った。そう、我らこそラウンドナイツ、最後の一刺しよ!」


 ターバンに髭姿という異邦の男が鬼気迫る勢いで追走する。覚悟を決めたメリルは、今の内にとロザリーへと自身の抱える思いの丈を語り出した。


「ロザリー。いいな、ウマというのは」

「急に、どうしたの? あなたがそんな事……」

「笑いたければ笑え。楽しいんだ、メリルは。お前とこうして戦っているのがな」

「それは、私もよ。初めはあまり乗り気ではなかったけどね」


 少ししゃがれた声で、少女のようにメリルは笑う。


「くくっ……常にお前からは、どこか強者の余裕を感じていた。涼しい顔で人間達の諍いに関わり、瞬く間に全てを解決してしまう。それはマコトと似ているが、決定的に違う点がある。ここは、本来自分の生きるべき世界ではないという傍観だ。それが何なのか、今はっきり分かったぞ。お前は、戦いの中でしか生きられない人間だ。だから常に本気ではないのだ、ただ生きるという退屈さの中においてはな」

「……確かにガーディアナへの復讐を取り除いた私は、きっと何もないのかもしれない。むしろ、私だけこうして生きていていいのか、いつもそんな事ばかりを考えていた。でもね、最近少しね、楽しくなってきたの。あなたの言う、生きるという事が」

「くくっ! それでいい。人を殺すということは、自らの生の意味をも失わせる。そして、やがてその心をも食いつくし、生ける屍と化すのだ。今を楽しいと思えるというなら、貴様はまだ、引き返せる。その気持ちを忘れるな。絶対に……メリルみたいになるんじゃないぞ」

「メリル……」


 背後から迫る砂漠の民の雄叫び。いよいよラストの直線という所で、メリルはグラーネへと更なる鞭を入れた。


「行くぞグラーネ! そしてカストルよ! 魔の力などなくとも、お前こそが最速のウマだっ!」

「望むところよ! この子だって、シュヴァイツァーだって負けはしないっ!」


 差し迫った最後の瞬間。ロザリーとシュヴァイツァーは、同時にラインの黄金を描いた。

 

「ありったけだ! 勝ってマコトに褒めてもらうんだ!!」

 

 クビ差、アタマ差、そしてハナ差。だんだんと詰め寄るグラーネに、シュヴァイツァーは改めて彼女の黒々とした美しい姿を見据えた。そして、どこにそんな力が残っていたのか、彼は再びスタート直後のような加速を見せ、さらにもう一段階ギアを上げた。


「シュヴァイツァー!!」

「うおお、これは……っ!」


 またも前方に現れたゼツエイという犬の姿。そして、それすらも抜き去るシュヴァイツァー。その時、メリルは目を疑った。自身の目の前に、悠然とウマへと跨がる黄金の騎士の姿を見たのだ。幻像(スペクトル)ではない、黄金に輝くロザリー自身を。


「まさかこれは、ロザリーの……!?」

「行って! あなたの望んだ景色の、その先に!」


 確かにその背から伝わる主人の想いを受け、一つ高い(いなな)きが上がった。その時ロザリーの師、フォルテも確信する。これで決まったという、騎手としての長年の勝負の勘である。


「次から次に繰り出される末脚……まさに、キリークの刺突剣のようではないか。いい、いいぞっ! お前こそ、その名を冠するにふさわしい唯一無二のウマだ!」


 特別席からもありったけの声援が飛んだ。ティセもサクラコも試合内容にすっかり熱中し、気づくと身を乗り上げて叫んでいた。


「ロザリー、行っけええー!」

「ロザリーさん、勝ってっ!」


 そこには悲喜こもごもの悲鳴も上がる。その肩に数々の野望を乗せたメイとファレンだ。


「ああっ、これでは、ロザリーさんが勝ってしまう! それでは、私の計画がっ!」

「ひぃぃ! お願いです、勝ってえ! 姫百合の騎士様ぁ!」


 そんな大人達の喧噪もよそに、マコトは一人、晴れやかな顔でそれを見つめていた。


「ロザリーさん、ありがとう……。メリルったら、帰ったら叱ってあげなきゃ」


 もちろん、その後には精一杯の抱擁を。隣にいるアンジェもソフィアも、不思議と涙を浮かべ彼女の勝利を見届けた。


『一着、8番シュヴァイツァー! 二着、半馬身差で7番グラーネ! そして三着、2馬身差でトリスタンスコーピオ! 新たなる優駿たちの伝説が、ここに幕を開けました! 繰り返します、一着、8番シュヴァイツァー……』


 ロンデニオン城が歓声に包まれる。番狂わせの結末に舞い上がる紙切れ。ただ、予想を外した者、的中させた者、その誰もが興奮のるつぼにあった。


「ありがとう、シュヴァイツァー。そして、みんな」


 ロザリーは剣を突き上げ、それに応えて見せた。そして勝利を嚙み締め、悠然と空を見上げるシュヴァイツァー。その後、彼は息一つあげる事なくウイニングランへと向かうのだった。


「ほっ……なんとか首の皮は繋がったようで。しかしメイ嬢、まことに残念でしたねえ。あのウマを横から落札された時は本当に業腹(ごうはら)ものでしたが、全て水に流して差し上げますよ」

「ほ、ほほ……いいのです。二着でも賞金はいただけますし、ほほ……」


 普段の饒舌さを取り戻したファレンが持ち前の底意地の悪さを見せる。メイは気丈に振る舞うが、それよりも悲惨なのは他の都市、途中棄権したペティエルやバイエリンだ。


「ひひひ、名門の名に初めて傷が……うひひひ」

「そんなのまだいいわい。ワシのフューラーなど、真っ先に脱落であるぞ。ああ、クライゼン帝国再興の夢が……」


 どさくさに聞き捨てならない事を聞いた気がするが、王は祭りの席と聞き流してあげた。あまりの内容の濃さに忘れていたが、これで全てが終わった訳ではない。この後はフォルテを代表する熟練の騎手達による、本番のレースが控えているのだ。


「勝負は全て時の運。さあ、各都市の代表諸君よ、あまり落ち込んでもいられんぞ。気を取り直し、次のレースの準備に取りかかるが良い。そして改めて、デュオロン、アーカム、そしてトリスタンの代表よ、良いレースを見せてもらった。私も国を代表し、ここに感謝を述べさせてもらおう」

「「ははあーっ!」」


 ひとまずメイクデビュー戦が大盛況に終わったレース会場。以降も出場となるオーナーや調教師達は、大慌てで次の準備を始めているようだ。

 無事一着を勝ち取ったファレンは、煙管(キセル)で一服しながらしみじみとその様子を眺めた。


「ああ、本番は賞金額も桁違い。来年こそ、私共デュオロンも出場したいところですねえ」

「はい、多分もうお手伝いする事はできないでしょうけど、私も応援していますね!」

「お嬢……本当に何から何まで、ありがとうございました。ロザリー様にも是非、ファレンが平身低頭、頭をすりつぶす程にお礼していたとお伝え下さいませ」

「ふふ、かしこまりました」

「まあ? 割と楽しかったし、次はアルテミスなんかから遠征させても良いかもね。ウチにもいるよ、ユニコーンとかペガサスとかってすごいのが」

(あね)さん、それは果たしてウマと呼んでもいいのでしょうか……」


 そして惜しくも二着に喫したメイ。しかし彼女は何事もなかったかのようにすました顔でマコトへと歩み寄った。


「ではマコトさん、これが約束の配当金です。お受け取り下さい」

「えっ、私たち、負けたんですよね?」

「いいえ、競馬はそんなに単純なものではありません。複勝に枠連、そしてウマ連にワイド。マレフィカの乗る古代種二頭をピックアップし、全てのパターンに賭けておいたのです。どちらが勝っても損のない状況にしておくくらいは最低でもやっておかなければ、人様のお布施など預かれませんよ」

「え、それってズルなんじゃ……」

「あら、公営ギャンブルなんて、そもそもが胴元が得をするようにできたズルですよ。私は少しでもそれを、恵まれない子供達へと分け与える義務があるのです」

「はあ……」


 どうやら、結局こうなる事を見越して大金を用意していたらしい。やはり善人か悪人か、相変わらず捉えどころがない人物のようだ。


「見て下さいマコト、一気に所持金が倍に……やっぱり聖櫃神団は最高ですね!」

「アンジェ、信者化が余計ひどくなってる……」

「ふふふ、信者と書いて、儲けると読むのです。さあソフィア。あなたも恵まれない子供達に愛の手を。ついでにアンジェにも、もう少しだけ愛の手を」

「もう、うざいったら。私はそういうの、もういいの!」


 狐目のファレン以上に目を細め、城下を見つめるメイ。

 一時は冒険者にまでなって接触した少女は、やはり自身の計画にとって必要不可欠な存在であった。そして、彼女ならば、聖櫃(アーク)の適合者たる資格を持つに至ると密かに確信する。


(やはり素晴らしいわ、ロザリーさん。今回は素直に負けを認めましょう。ですが、私はあなたを諦めた訳ではありませんよ。ふふ、ふふふ……)


 そして、そんな彼女の舐めるような視線をこの観衆の中から感じ取り、遠く一人でゾワリとするロザリーなのであった。


「えっ、何? 今、ひときわ濃い思念が……メリルのマギアが今頃効いてきたのかしら、寒気が……」






 一方、祭りの熱気とは無縁のパメラ達のいるコンサートホール。

 そこでは一人レースの結末を知るパメラが、アニエスの手を取り喜んでいる姿があった。


「ロザリー、勝ったよ!」

「どうして分かるの……って、聞くのも野暮ね。おめでと、パメラ!」

「うん!」


 二人はロザリーを巡るライバル関係である事も忘れ、手を取って喜び合う。すると外から大臣クラスの人物が慌てて入ってきた。どうやら今回の不始末をアニエスに問いただすためにやってきたようだ。


「どういう事だね、これは! 担当者、早く来なさい!」

「ああ、はい。パメラ、ちょっと行ってくる……」

「ごめんね、アニエス」


 こちらにまで聞こえてくるお説教に、慣れた様子で平謝りするアニエス。ひとしきり雷が落ちると、彼女はやれやれといった顔で帰ってきた。


「なんか、謝ったら許してもらえた。でもさっきは国歌の歌詞が違ったから、閉会式ではきちんと歌えってさ」

「そこなんだ……でもホントにごめんね、気持ちがあふれて、つい」

「いいのよ。私も同じ事、想っていたから」

「アニエス……」


 この、それぞれのベクトルは違えど、一人の人間に対し同じ感情を持つという二人の共通点。それはすでに嫉妬や独占欲を超え、もはや揺るぎない信頼関係にまで変わりつつあった。


「さ、じゃあもう一回覚え直して、最後のリハね。本番は観客達の前でやるから、そのつもりで」

「うん。みんなの前で歌うのなんて聖誕祭以来かも。すっごく楽しみ!」

「ふふ、やっぱりそれがあなたの天職なのね。そっか、歌か……」


 その屈託のない笑顔に、アニエスの表情も思わずほころんだ。そして、聖女としての彼女の持つさらなる可能性に、新たな夢を抱くのだった。






 一通りの表彰を終え、シュヴァイツァーと共に控えへと戻ったロザリー。そこを、やや疲れきった顔のフォルテが出迎えた。


「ロザリー、いい走りだった! 初勝利おめでとう!」

「はい。これもフォルテ様の指導のおかげです」

「しかし、まさか突撃体制のまま勝利を収めるとは……この姿勢は不自由な手綱裁きはもちろん、ウマに鞭を入れる事も容易ではない。まさに、非の打ち所のない完全なる勝利だ」

「ふふ、私に鞭は必要ありません。私が望めば、この子は走ってくれますから」

「言ってくれるじゃないか。だがあの小さな娘もそうだが、マレフィカとウマとの相性は確かに天井知らず。これは我々もうかうかしてられんぞ」

「そうですね。たとえマレフィカでも、こういった舞台に立てる。そんな可能性を示す事ができて、私としても嬉しく思います」


 確かに、この子の背負っているものは自分達に比べ、遙かに大きい。そのスポーツにとどまらない感動を生み出すだけの原動力は、きっとこれからも人々を惹き付けてやまないだろう。フォルテは逆に、そんな彼女へと深い尊敬の念を抱くのだった。


「では、俺も行くとするか。教え子にばかり良い格好をさせる訳にはいかんのでな」

「ええ。頑張って下さい、師匠」


 フォルテはこちらを振り向く事もなく、キザに手を挙げて応えた。その向こうで、じっとこちらを見つめるグラーネと、しょんぼりした様子のメリルとシェリルが目に映る。


「ロザリー……」

「あら、メリル。どうしたの? さっきまでの威勢がまるでないじゃない」


 スイッチが切れたのか、彼女はすっかりマコト仕様のふにゃふにゃモードである。


「だって、負けてしまったのだ。メリルは、全てを出し尽くしたのに……」

「勝負だもの。どっちが勝つかなんて、その時次第よ。私だって次は分からないわ」

「じゃ、じゃあ、またいつか、メリルと走ってくれるのか!?」

「ええ。自分のウマを手に入れたら、いつでもね」

「う、ううっ! メリル、その時までにもっと強くなるのだ! シェリルー、聞いたか!?」

「はぁい。それじゃ頑張ってお金を貯めましょうねぇ、お姉様」


 子供のように喜ぶメリルを抱きしめながら、シェリルはロザリーへと小さく頭を下げた。理想と共に全ての魔女を救う、魔女達の騎士へと。


「さてと、そろそろみんなの所へ戻りましょうか。次のレース、仲良く一緒に見ましょ」

「はぁーい!」

「はいなのだ!」


 これもまた、走馬灯のように駆け巡る、魔女達の紡いだ一つの記憶。いつからか闇の世界から抜け出せずにいた双子の魔女は、この日を境に灯り差す表舞台の住人となった。


「ブルル……」

「あっ、そうね。あなたにも言っておかなきゃ」


 そしてもう一つの、大切な出会い。ひとときでも自分を本当の騎士にしてくれた愛馬シュヴァイツァーの鼻先へと、ロザリーは一つキスをしてあげた。


「素敵な景色を、ありがとう。少しの間、私は遠くに行ってしまうけれど、あなたの事は決して忘れない。じゃあね、シュヴァイツァー。あなたもゆっくり休むのよ」

「ヒヒーン!」


 彼はきっと、再び大好きな主人をその背に乗せる事を夢見て、明日も走り続ける。

 それこそが彼らに与えられた誇りであり、魔である事を覆す為の生き様なのだから。

―次回予告―

 長い時を経た親子の再会。

 そこにあるのは、何年経っても変わらぬ想い。

 過去を乗り越え、今新たな物語が動き出す。


 第75話「親子」

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