第72話 『和解』
傷ついたサクラコと暗殺者の双子はロザリー達の宿へと運ばれ、今は眠っている。
イブは物言わぬ主人の帰りを真っ先に出迎え、ずっとその側にたたずんでいた。パメラがいなければ今頃……。己の不甲斐なさで仲間が傷つく、その恐ろしさに今頃になって震えが止まらない。
「ふう。多分もう大丈夫だと思う。傷は全部塞がったから」
「ええ……本当にありがとう、パメラ。ほら、食べ損ねたお弁当のサンドイッチよ」
「わーい!」
パメラはそれをほおばりながら、再び治療に専念する。そんな中ロザリーは、このような事態を招いた二人の処遇をどうしたものかと思案していた。
「こうして見ると、とても幼いものね……」
暗殺者の双子はふたり、かばい合う様に気を失っている。
「この子達、ガーディアナから逃げる間もずっと追いかけてきてたんです。今まではなんとか追い払ってきたんですが……」
「本気じゃなかったのよ。きっと、アンタ達は泳がされていただけ」
パメラによる治療ですっかり完治したティセは、双子を見下ろしながら少しばかり憐憫の目を向けた。
「はい……。というか、この子達が、私たちに向けられた追っ手も倒してくれていたのかもしれません。だから、私たちなんかでも逃げ切れたんだと思います」
「うん。私達は、そういう約束をしてた。だけど、私から、その一線を超えてしまったの」
「ソフィア……」
双子はソフィアが一人の時を見計らい、よく接触しに来ていたという。その逆もまたしかり。二重スパイのように奇妙な関係は、そういうギブアンドテイクの果てに作られていったのだ。だが、皆、ソフィアを責めることはしなかった。彼女はまるで以前とは別人のようにしおらしくなり、後悔の念に苛まれている事が見て取れたからだ。
「とにかく、サクラコが治るまではこいつらを近づけさせないで。いいわね」
ティセは脇腹を押さえながら吐き捨てるように言った。ティセと違い、サクラコは内臓に深い傷を負っている。そんな中、再び狙われでもしたらという懸念はロザリーにもあった。
「マコト、この子達の事、お願い……できるかしら」
「ええ! まかせて下さい。絶対に本人達の口から謝らせてみせます。だから、ティセさん、少しばかり時間を下さい。そしてその時まだ許せなければ……」
「それは、そいつら次第ね」
こうなってしまったという事は、つまりお互いの道が交わることもないということだ。とても残念だが、こればかりは仕方ないとロザリーは割り切った。マコトならばきっとこの二人を良い方に導いてくれるだろう。彼女を突き動かすもの、それは純粋な正義感。その事実はロザリーにとっても安心できた。
「では、本当にこの度はこんな事になってすみませんでした。ほらアンジェ、シェリルを運んで。私がメリルを運ぶから」
「あ、しれっと軽い方選んだ」
「しょうがないでしょ。意識のない人間って重たいし、その子180センチはあるんだから」
「センチ? そう言えば、私もお腹がすいて力が……。あっ! なんか忘れてると思ったら、ロザリーさんのご飯食べ損なっちゃいました! マコト、このまま帰っても黒パンしかありませんよ。この二人お金持ってますかね、ちょっと揺らして小銭の音がするか確かめましょう」
「アンジェ、少し黙ってようか」
ロザリーは苦笑し、お弁当の残りを持たせてあげた。こうしてマコト達三人と双子は、とぼとぼと力なく安宿へと帰って行くのだった。
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「お目覚めですか? お姉様」
「ふっ。どうやら、こっぴどくやられたらしいな」
「組織において敗北を意味するものは一つ。お姉様、私達はもう……」
「ああ。おめおめと戻る事など、もはやできないだろう」
夕闇の中、マコト達の宿にて目が覚めた暗殺者の双子。
マコトとアンジェはクエストの報酬を手に、買い出しへと出向いていた。残っているのは、疲れ果てて眠ったソフィアのみである。
「ねえ、かわいい顔して眠ってますよ……ソフィア」
「ふん、いい気なものだ」
メリルは吐き捨てるように笑った。その顔はどこか穏やかである。
「どうなるんでしょう……これから」
「今まで我らがやってきたように、追っ手によって処分されるのみだ。良くてイデア行きだな」
「デコりん……エト様は容赦ありませんものね……」
二人は、互いの肌のぬくもりを求め合うように寄り添う。
「ならば、ここで共に死ぬか」
「お姉様……」
メリルは、ためらいながらもシェリルの肩を抱いた。しかしビクン、と跳ねる肩に、思わず手を引っ込めてしまう。
「お姉様、シェリルのこと抱きしめてくれるの……?」
「ち、違う、我は……メリルは、こんな事……」
どんな心境の変化であろうか。今まで妹をこんなに感傷的に受け止めた事はない。マコトの放った力、あれにほだされたとしか思えなかった。
「それはそうと、マコト……あいつはおかしな奴だ。このまま我々が逃げるとは考えなかったのか」
「……そう言えば、お怪我の具合はどうですか? お姉様」
「ああ、不思議ともう傷はない。これが噂に聞く聖女の力か……。それに救世主のあの攻撃、恐ろしい力を秘めているはずだが、なぜか全く致命傷は受けていない。まるで、心という物にのみ作用するような……」
「心……ですか?」
姉から発せられた心という言葉に、シェリルはその威力を思い知る。そのようなあやふやな存在、今までの姉ならば一笑に付する所であろう。
シェリルは改めて、マコトという存在の大きさを意識した。
「でも聞きました? あの人、私達を更正させる……ですって」
「ふふふ、馬鹿げている。だが、それも面白い。我の心が奴に屈服するか、逆にさせるか。命のやりとりでは敗北したが……このままでは終わらせん」
「シェリルはもう、疲れちゃった……。今は、ぬくもりがほしいよ」
「そうか。そうだな……」
姉、メリルはその尊大な態度と裏腹に幼い体付きをしている。いや、非常に幼い。肉体的に恵まれておらず、やせ細ってさえいる。
一方、妹のシェリルはたぐいまれな美貌を持ち、体付きも百人見れば百人が振り返るほどのグラマラスさだ。
そんな二人が互いに向かい合った。熱を帯びた目で、妹が姉を見つめる。
それに応えるように、今度はためらうこともなく、メリルはその小さな胸へとシェリルを抱き寄せた。熱い血が通わないはずの体に新たに宿した互いの熱を、その時初めて二人は感じ合った。
「お姉様のお胸、すごくドキドキいってる」
「おまえと心臓とを隔てるものが薄いからな。この貧相な体も、今ならば愛せそうだ」
「ふふっ」
「ふはは」
夜の帳も降りる頃、二人は新しい世界の住人となった。
「ただいまー! 起きてるー? 今日は私特製のスペシャルディナー、頑張って作るからね!」
「ひいー! 一難去ってまた一難とはこのことですー!」
「うーん、アンジェ、うるさい……!」
その世界はまるで、これまでを生きてきた闇すらも包み込むように暖かく二人を迎えるのだった。
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「その節は、ご心配をおかけしました!」
数日後、すっかり回復したサクラコは、パメラに付き添われマコトの宿へと訪れていた。
「サクラコちゃん! もう体の方は大丈夫?」
「はい、パメラさんのおかげでこのとおり」
「ほえ~、パメラの魔法どうなってるのです? これには天使もびっくりです」
「ふふ、アンジェも大怪我したら分かるよ」
「ひいー、それだけはごめんこうむります!」
自分のせいで関係が悪化する事などあってほしくなかったサクラコは、相変わらずな彼女達の様子を見て胸をなで下ろした。そして安心した途端、くんくん、とその過敏な鼻は、辺りに漂う食欲のそそる香りを捉えた。
「こ、この匂いは……」
「あー、それはねえ、二人にご馳走を食べて貰おうと思って。日本……いやイヅモの人なら、きっと気に入ってくれると思うよ」
「やったー、ごちそうだー!」
マコトに案内され、二人は奥のキッチンへと向かう。甘く、どこか香ばしい匂い。これはイヅモの調味料、「せうゆ」の匂いではないだろうか。あまりの懐かしさに、サクラコの足取りも軽くなるが……。
「……っ!」
サクラコは大事な事を忘れていた。この宿には今、彼女達がいるという事を。
「飛んで火に入る夏の虫とはこの事よ、ひと思いに切り刻んでくれる!」
突然、サクラコにとってトラウマを刻みつけた声が響く。よぎるのはあの情け容赦なく自分を数ミリでかすめ風を斬るジャマハダルの音。
「ひいっ!!」
「どうしたの!? サクラコちゃんっ」
素っ頓狂な悲鳴にパメラが駆けつけると、そこにはフェルデナンド姉妹が仲良く料理する姿があった。
「ふふ、よい切れ味だ。この包丁という武器、中々の業物だな」
「はい、もう少しで出来ますからねぇ。良い子はお席についててねぇ」
はち切れんばかりの胸元を晒したエプロンを着用したシェリルと、ブカブカのエプロンに身を包み、椅子に立ち野菜を切り刻むメリル。
サクラコは目を白黒させ、ひ、ひ、と、短く悲鳴を繰り返すばかりである。
「実は、あれからこの二人が料理やってくれてるんだ。すっごい助かっちゃった」
「ええ、初日に振る舞ったマコトのディナーが効きましたね。それから自分達で率先して料理を始めたんですよ。腕もロザリーさん程ではありませんが、マコトの料理食べるくらいなら、この二人に毒を盛られた方がマシというものです」
「あ、ひどい事いうなー!」
「さ、できましたよー。マコト様、そこ邪魔です」
「はぃ、ごめんなさい」
できあがった料理をてきぱきと並べると、二人は来訪者を盛大にもてなした。
並ぶのは白米やおひたし、さらに煮付けや味噌汁などの日本料理。この辺りでは百花くらいでしか食べられない、仕入れにも一苦労する品々であった。マコトのアドバイスの下、二人が想像で作り上げた日本食であったが、見事な出来映えである。
「こんにちはぁ、聖女様。そして子ネズミちゃん。さあ、どうぞ召し上がれ」
「サクラコ、と言ったな。よく生きていた、と今は褒めておこう。そこでおとなしく待ってるのだ。貴様にはたっぷりとあの時の借りを返してやる」
「あの、私はこれで……」
無音で消えたサクラコの首をすかさず掴み、メリルは乱暴に椅子へ投げつける。
「ひんっ!」
「サクラコ、我が処刑台から逃げられると思うな」
「この子はちょっと照れ隠しに変な事言うけど、気にしないで」
これも一種の愛情表現だと、マコトはあっけらかんと言い放った。一方、目をらんらんと輝かせ、お箸をグーで握るパメラ。
「いただきまーす! んぐんぐ、心配だったけど、二人はここで上手くやってるみたいだね。ふふ、その恰好、とても似合ってる」
「わあ、聖女様にほめられちゃった!」
「当然だ! メリル様はどこに出してもおかしくない箱入り娘なのだ。聖女よ、お前にも借りがあるからな、おかわりは自由だ! 何杯でもいいぞ!」
もちろんだが毒などは入っていない。マコトの教育は順調といえるだろう。まるであの時の二人とは思えないほどすっかり丸くなっているようだ。パメラはその純朴な味を噛みしめ、この選択は正しかったと胸をなで下ろした。
「さあサクラコ、最後の晩餐だ! 貴様もとくと味わえ!」
「お詫びがしたいって、この子は言ってるんだよ」
「マコト! 余計なことを言うな!」
「えっと、サクラコちゃん、気絶してる……」
皆のやりとりをよそに、サクラコは泡を吹いて失神していた。
そんなこんなですっかり二人に気に入られたサクラコは、正気に戻った後も彼女達のおもちゃにされる運命なのであった。
「隣、いい?」
食事を終えたパメラは、一人ベッドにうずくまっていたソフィアへと声をかけた。
「な、なんですか……?」
「ちょっとお話しようと思って。元気、ない?」
「そんな事……」
特に嫌がっている訳ではないらしい。パメラはソフィアと共にベットに腰掛け、何気ない事をいくつか質問した。あれから会うのは初めてで、互いに少しだけ緊張している。
「あ、お人形さんと一緒に寝てるんだね」
「こっ、これは……」
「ふふっ、実は私も。ほら」
二人の人形が仲良く並ぶ。ソフィアの顔が、一段明るくなった気がした。
そこからの話は多岐に及んだ。ソフィアの持つお人形についてだったり、その綺麗な髪のお手入れはどうやっているのかとか、メリルやシェリルの料理がおいしかった話や、マコトとアンジェについてなど。まるでお姉さんのように、パメラは会話をリードした。
しばらくして気分もほぐれた頃、パメラは以前から気になっていた質問に入る。ソフィアの恐怖の根源。これが何なのかを知っておきたかったのである。
「ソフィア。ガーディアナでの事、教えてくれる? あの子、エトランザには何かされた?」
「ううん、あの子は……、どちらかというと優しかった」
「そっか、そうだよね」
女教皇エトランザが憎むのは光の聖女ただ一人。その事が確認できて、パメラは不思議と安堵していた。
「むしろ教皇様が、私の処刑を決めたの。まがい物の聖女なんて必要ないって」
「やっぱり、リュミエールが……」
教皇リュミエールは未だ聖女に執着している。ソフィアの口ぶりから、パメラは端的にそう感じ取る。
「何度もあなたの様に振る舞えって、叩かれた。あなたの肖像画ばかりの部屋に閉じ込められて、全然似てないのに、同じような化粧させられて。私の髪ストレートなのに、あなたみたいに癖っ毛じゃないのに、同じようにさせられそうになった。最後は、顔のかたちまで……」
最低限の愛情をも貰えなかった事が伝わる。歪んだ愛からの歪んだ嫉妬、その原因は全て自分にあるのだ。
「リュミエールの事、好きだった?」
もちろん、そんなはずはない。ソフィアはかぶりを振った。
「私は、ただ助かりたかっただけ。私の生まれた所は普通の農村。あなたも知ってるでしょ。貧しかったけど、幸せだった。でも、私が力に目覚めて花を育て出すと、お父さんはそれを元手に商売を始めて、一緒に街に行く事になった。でも、私は魔女。結局そこでの暮らしが上手くいかなくて、私は捕まったの。そして魔力の使えない、怖い所に閉じ込められて、そこにはたくさんの私みたいな子がいて」
「うん……イデアの塔の事だね」
「そう。そこで聖女の代わりになれば助かるって言われて。みんな必死になって聖女になろうとしたの。その中で、一番私が聖女に近い力をもっていただけだった」
「私のせいで、そんな事が……」
「そう、全部あなたのせい。あなたのせいなのは、全部あなたのせいなの!」
何かの琴線に触れたのか、ヒステリックに手当たり次第のものを投げつけるソフィア。その中の枕が思い切りパメラの顔にぶつかり、鼻から暖かいものが流れ出す。
「あ、はなぢだ。鼻、つぶれちゃった……もとからだけど」
と、つとめて気にしない様子で、パメラはほほえんで見せた。
「あ……ごめんなさい。私……」
やはり、当時の事を思い出すと、ソフィアは錯乱してしまう。一度はわかり合えたと思っていたが、その心的外傷はずいぶんと根深いようだ。
「光の聖女には何も通じないって、聞いてたから……」
「戦術護霊の事? うん、普通はそう。でも、闇の力を前にすると、光の膜が中和されるみたいなの。つまりあなたと、この人形を持ってた子にだけは、私も無敵なんかじゃない」
「そう、なんだ」
ソフィアはようやく聖女と対等の関係である事を認められた気がした。それは自分が力を振るえば、傷つきもするという事実。仲良くたたずむ二つの人形は、もうケンカするのはやめてと言っているように見えた。
「えっとね、私はソフィアみたいに鼻高くないし、くせっ毛だし、ずん胴だし、たまにおねしょするし……」
「なに? 何が言いたいの?」
パメラは意を決して、一つの言葉を吐き出した。
「そして、人殺しなの」
「え……」
沈黙が流れる。それは、人として決して踏み入れてはいけない領域。
ソフィアはまだ甘えるだけの子供である。いかに、自分が幸せな世界にいるのかと言う事を教えてあげなければならない。パメラは声を詰まらせながら続けた。
「ソフィアは、マコト達と一緒に魔族と戦う。とってもうらやましい。何も悪いことなんかしてないから」
「それって、どういう……」
「こっちに来ちゃいけないの。ソフィアは」
こらえきれずに、パメラの瞳から、ぽた、ぽたた、と涙がこぼれ落ちる。
「人と戦う事を選んだ私は……、いつか人を殺すかもしれない。ううん、間接的に、今までもそうだった。でもそうする事でしか、私は、私の罪をつぐなう事ができないの……」
「…………」
初めて見せた弱み。人は誰しも他人に憧れる。でもそこにはそれぞれの苦悩がある。そんな当たり前の事を、ソフィアは改めて知るのだった。
「だからかな……この、再生の力を持てた事がすごく嬉しいのは」
パメラはソフィアの体に触れ、どこか傷ついた箇所がないかを探る。
「あなたの指。そして、背中の傷。良ければ、私に治させて」
「どうしてそれが……」
「ほら、じっとしてて」
ソフィアは不思議な光と共に完治していく、自らの醜い指を見つめた。教皇による暴虐の記憶までは癒えないが、爪を剥がされたはずのそれは完全に以前の美しさを取り戻していた。
「こんな、ことって……じゃあ、背中、私の背中も!?」
「うん。はい鏡。ほら、すべすべー」
「あああ……」
あまりの奇跡を目の当たりにし、ソフィアは崩れ落ちた。これまで憎んでいた存在こそ、誰より自らを救ってくれる光だったのだ。パメラはそんな、まっさらになった彼女を優しく抱きしめた。
「これが本当のあなた。スタイルが良くて、とっても美人。お洋服だってかわいくて、私、あまりおしゃれとかわかんないから一つ貰っちゃった。だから、ソフィアは私と違っていいの。あなたはとっても素敵」
「パメラ……さん」
「ううん。お姉ちゃんって、前に言ってくれたね。もう一度、言ってくれる? あの時、嬉しかったんだぁ」
「うう……パメラ、お姉ちゃん」
これまでの軋轢を脱ぎ捨てて、心から言ってくれた姉という言葉。パメラはそれだけで、今まで以上に力を貰えた気がした。
「……そう。私は姉だから、あなたの分まで、色んなものを背負っていく。でも、私にはロザリーがいてくれる。だから、きっと平気」
ソフィアにも本当は伝わっていた。ロザリーの力によって。思いも、その覚悟も、自分が想像もできないほどの物を。そして、パメラも望んでこうなったわけではない事を。ガーディアナでの出来事を思い返し、ソフィアの目にも、どうしようもなく涙が浮かぶ。
「わかってたんだけど……、私、みんなから、いないものみたいに扱われた事がくやしくて……」
「うん、泣いていいんだよ。本当は、私も泣きたかった。でも、私は聖女だから、泣くことをやめたの。でもね、最近思うんだ。泣くと、暖かい気持ちになれて、幸せなんだって事。泣ける時は、まだ大丈夫。きっともっと幸せになれるんだよ」
「う、うう……」
その言葉に、ソフィアの面皮に深く食い込んでいた仮面が剥がされた。これが真の聖女の慈愛というのなら、いかに己という存在はちっぽけなものであっただろうか。
「う、うぇぇえ……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「ソフィア゠エリン。セント・ガーディアナの名において、あなたに祝福を与えます……。私からも、ごめんね……」
魔女を演じる必要はもうないのだと理解し、ただ赦される事を願う、ごく普通の少女。
パメラはそんなソフィアを壊れないよう抱きしめた。この小さな肩に、あまりに重い十字架を背負わせた罪を思うと、涙が溢れて止まらない。そんな二人のすすり泣く声は、しばらく途切れることはなかった。
「ありがとう、パメラちゃん……」
それを影から静かに見守るマコト達。
これはささやかな晩餐にて起きた、二人の聖女による小さな奇跡であった。
************
その日はパメラの提案で高級宿にマコト達を招き、お泊まりパーティーを開く事となった。
暗殺姉妹のあまりの変わりようにはロザリーもティセも驚くばかりであったが、彼女達もおそらく時代の産んだ悲劇による犠牲者なのだと理解する。そう、こちらこそが本来の姿なのであろう。
「そろそろ私達、旅立とうと思います」
宴もたけなわとなった頃、突然、マコトがこう切り出した。
「ロザリーさん達が色々教えてくれたおかげで、冒険者としてうまくやりくりができて。ようやく旅費が貯まったんです」
「そう……」
手放しでは喜べないが、ロザリーはこの子達の行く道の手助けが少しでもできた事を嬉しく思えた。
「確か、イヅモ国へ向かうのよね。でも、かなり遠いと聞くわ。大丈夫なの?」
目的地は大陸と地続きなどではなく、辿り着く詳しいルートも分からないが、親心の芽生えたロザリーとしてはとても心配である。
「えーと、まあ、なんとかなるでしょう! 猪突猛進です!」
「マコト、行き当たりばったりですからね。それこそイノシシみたいに」
「もうー、とりあえず東へ向かえばいいんでしょ?」
と、彼女は相変わらず大真面目な顔で答えるのだ。それにはサクラコが慌てて訂正する。
「このまま東へ行くとクーロンです。そこは四方を山に囲まれていて行き止まりですよ!」
「ああ、もう、心配ね。とにかく、まずはここから行けるところを探してみましょう」
「ねえ、なんでアンタも行く気になってるワケ?」
「あ……」
ロザリーは、ティセからの一言で我に返る。本当だ、自分達が行くわけではないのだ。もう完全に一緒に行く気でいたらしい。なんだかほんのりと耳が熱くなった。
「いや、ちょっと待って」
そうだ、行かない理由もないのではないか? 自分達の旅は今完全に行き詰まっている。この子達としばらく旅を共にすることで何か見えてくる物もあるかもしれない。……と、そんな考えがロザリーによぎった。いつものお節介ロザリー登場である。
「ねえ、私達も行かない? この子達心配だし……」
「はーあ!? バカか! 何でアタシ達がこいつらと仲良しごっこで旅なんかしなきゃいけないワケ? そういえばまだ、ちゃんと謝って貰ってもないんだけど!」
「それは……」
また発火トリガーを引いてしまった。人の気持ちを読み取る能力を持つくせに、相変わらず全体の意思を確認しないロザリーに、ティセが憤るのも無理はない。
そんな様子にマコトは申し訳なさそうな顔をしつつ、ティセへと向き直る。
「ん、じゃあ改めて……ほら、あなた達」
双子はビクッと跳ねた。すると互いに目配せして、ロザリー達に向かい練習した正座の姿勢をとる。
「あ、あああ、あ」
「ご、ご、ご」
二人は声にならない声で、何かを呻いている。どうやら必死に謝ろうとしているのだ。何の屈辱か、その目には涙まで浮かんできていた。
「ふーん、そんなに謝りたくないんだ」
ティセの言葉にブルンブルンと首を振る二人。
「この子達、今までこんな事したことなくて……ほら、練習の成果!」
「「今までひどい事して……ほんとうにごめんなさいっ!!」」
二人は床に顔が付くほど素直に頭を下げた。ロザリーは暗殺者をここまでよくも更正できたものだと感心する他ない。
「はい、これで水に流しましょう、いいわね、みんな」
「ふふ、初めて会った時のティセ思い出しちゃった」
パメラのその言葉に、今度はティセが真っ赤になる。
「い、いいわよ! 別に! それに謝るならパメラやサクラコにね!」
「これから、悪いことしちゃだめだよ?」
「あ、あと、できればもういじめないで……」
どさくさに紛れ、そう付け足すサクラコ。
「や、約束する。メリル嘘はつかないのだ」
「シェリルも、セクハラはもうしませーんっ!」
こちらの仲直りも済んだようだ。ロザリーもどちらかというと酷い目にあったのだが、ティセの中では数に含まれていないのが少し引っかかる彼女であった。
「わ、私も、ごめんなさい……」
か細い声でそう言うと、あのソフィアも頭をさげていた。この子もそれだけ思い詰めていたのだ。これでもう皆の間に遺恨はない。
「フン、分かったわよ。いいわ、もう少し付き合ってあげても」
「やったあ。私も、もちろん行くよ!」
「どちらにしても、イヅモへは道案内くらいならできますよ!」
ティセが折れた事により、あれよあれよと共に旅をする提案は満場一致となった。それにはロザリーも笑顔で頷く。やはり自分たちはこうでなくてはならない。
「もう少しでこの国のお祭りが始まるから、出発はそれからにしましょう。何か、最後に良い思い出を作りたいものね」
「はい! 何から何まで、ありがとうございます! お父さん、いい人達に出会えて本当に良かったよ……」
「こんな世界だもの。私達は助けあっていかないとね」
こうして、ようやく二つの運命を持つマレフィカの少女達は和解の道に至る。
人はそれぞれに背負う物があり、時にはこうしてぶつかる事もある。だがそれを理解し合うことができるのも人の持つ力であると、ロザリーはこのとき改めて深く心に刻みつけたのであった。
―次回予告―
記念日。それはこれまでを振り返る、大きな節目。
そしてこれからを生きる、新たな門出。
どうやら今年は、各地から魔女達も飛び入り参加するようです。
第73話「建国記念日」