第71話 『決着』
激しい戦闘も終わりを迎え、サクラコはパメラの治療によって快方へと向かっていた。暗殺者の双子もすでにおとなしくなり、もう立ち向かってくる余力もないようだ。
「パメラ、まだ力を使っても平気? 刺されたティセや、あの子の事も治してあげたいのだけど……」
ロザリーは自らの傷も顧みず、敵対したメリルをも気に掛ける。同じようにソフィアとの戦いで心身共に衰弱したパメラだったが、気丈に頷いてみせた。
((ロザリー……私は大丈夫。でも、ちょっと喋るのつらいから、ここでソフィアとお話しさせて))
思念で会話する事にすっかり慣れたパメラは、ここでならソフィアとも心から向き合えると感じたようだ。
「わかったわ。今繋ぐわね」
((あれ? 何で私……、ここ、ロザリーさんの中?))
パメラとソフィアの精神は、すでにロザリーの中にあった。この精神世界では皆ありのままの姿となり、ソフィアはただ恥ずかしそうに胸を隠している。
「ええ、ソフィア。これはおそらく私の力。今、二人は心で繋がっているわ。見えるでしょう? お互いの全てが」
パメラは無防備にソフィアへと近づいた。そしてその手を取り、ソフィアの全てを見つめる。
((ねえ、ソフィア。これまでの事は、全部あなたが心から望んだ事なの?))
((ちが……違うの……))
「隠さないで。ここでは隠そうとしても無駄。全部、分かるはずよ」
ロザリーの言う通り、不思議とパメラから流れる感情がソフィアにも理解できる。そこには自分を責める感情はなく、慈しみの心だけがあった。
((ソフィア、もう、いいんだよ。私の中、見えてるでしょ? こうしてロザリーの中にいると、すごく暖かい気持ちになれるの))
((え、ほ、ホントだ……。聖女……ううん、パメラ、さん……))
時はゆるやかに進む。まるで永遠のような白い空間の中で、ソフィアは深い闇に閉まった心の内をさらけ出した。
((本当は、こんなはずじゃなかった……。私、あなたがガーディアナに帰れば、全部元通りになると思ったの……。私の望みはそれだけ。あなたに逃げた罪を償ってほしかった。だから、こうして魔女になったの。メリルとシェリルは、そんな私でも必要としてくれたから))
((うん、分かるよ。怖かったね……、辛かったよね。あなたの言う通り、私は逃げた。全部投げ出して、聖女という役割から。ごめんねで済むとは思わない。でもね、私は聖女を捨てたわけじゃない。だから、見てて欲しいの、私達の戦いを。私は本当の聖女として、必ずガーディアナを正してみせる。だからソフィアは、こんな事もう背負わなくていいの))
パメラから強い意志が伝わる。うわべだけの言葉ではない、誠心誠意の言葉。ソフィアの抱いていた聖女に対する後ろ暗い感情は、その瞬間に氷解した。
((ありがとう……。でも、私はマコト達まで裏切った。今さら、どんな顔して会えばいいのかわからないよ……))
「それは気にしなくてもいいんじゃないかしら。ほら」
ずっと辺りを覆っていた曇り空が晴れ、深い森の中に日の光が差した。と同時に、誰かさんの大きな声が響き渡る。
「ロザリーさーん!」
ロザリーは元気に走ってくるマコト達に手を振った。マコトはそれを見つけると、弾丸のような速度で駆け出す。果ては勢い余ってロザリーを巻き込み、派手に転んだ。
「あいたた……もう、イノシシじゃないんだから……」
「ごめんなさい! でもみんないるね、よかった!」
「マコト……」
自分を見つめる憑きものが落ちたようなソフィアに気づき、マコトは何も言わずに抱きしめる。
「ロザリーさんの声が導いてくれたんだ。だから、ここで何があったのか、だいたい分かってる。ソフィア、ずっと一人で抱え込んでいたんだね。私も自分の都合を押しつけるように怒ってごめん。誰かに言われたから変われるとか、人間ってそんな簡単な事じゃないよね」
「う、うう……私……」
マコトが顔を上げると、ソフィアの肩越しにいるパメラと目が合った。にっこりと笑うパメラに、マコトは全ての問題は解決した事を知る。
「本人同士で解決できれば、それが一番だよ。頑張ったね、ソフィア。そして、ありがとう、パメラちゃん」
「マコト、マコトぉ……」
ソフィアはこれまで我慢していた涙をこらえることもなく流した。そんな贖罪の想いが、ロザリーを通して皆へと伝わる。
「お節介かもしれないけど、私の力はこういう時に使うのかもしれないわね。人の心を見る能力なんて、あまり褒められたものではないもの」
「ううん、ロザリーさんはすごいよ。私、ずっとそばにいたのに、全然分かってあげられなかった。この子が立ち直るきっかけをくれて、本当にありがとうございます!」
マコトは深々と頭を下げた。ロザリーは恥ずかしそうに目をそらしながらほっぺたを掻いてみせる。その仕草は、マコトにとってどこかブラッドを思わせた。
「あっ、あの二人、暗殺者の双子です! 私たちにちょっかい出すだけならまだしも、こんな卑怯な手まで使って。マコト、そろそろこの辺で決着をつけるべきじゃありませんか?」
ティセを背負い、ここまで飛んできたアンジェが降り立つ。その言葉は、彼女にしては珍しく厳しいものであった。
「同感ね。アタシはいいとして、サクラコまで……。くっ、傷が……」
「すみません、アンジェのヒーリングじゃ、まだ完全には……」
「まずは落ち着いて。パメラ、ティセをお願い」
「うん!」
不意を突かれたとは言え、ティセのパメラやサクラコを守れなかった気持ちは充分に察してあまりある。しかし、ロザリーの出した答えはそれとは真逆のものであった。
「あなたが憤るのも分かるわ。でも私は、この子達と話がしたいと思ってる」
「アンタね……つうっ!」
「だから、大人しくしてなさい!」
少なくともあの時、シェリルから流れ込んできた意識に喜びや快楽の気配はなく、そこにあったものは愛情への飢餓感のみであった。そんな、とても狭い世界にいた彼女達をどうこうするつもりにはなれないのだ。
「それに、仮にも、ソフィアは以前この子達に助けられているのだから……きっと悪い子達じゃない。そうよね、ソフィア?」
「あ……うん……」
ソフィアはどうも口を挟めない様子だった。どちらかと言えばこの状況において責を受ける側であり、そんな後ろめたさが彼女を消極的にしていた。
「私は……」
「大丈夫。あなたの気持ちは分かっているから」
ロザリーはソフィアの気持ちを落ち着かせる様にほほえみかける。なによりパメラに責める気がないのだから、この話はここで終わりにすべきだろう。実際にここでソフィアと争った事実を知るのはロザリーとパメラ、そしてこの双子のみなのだ。
「マコト、最終的に決めるのは、この二人と因縁を持つあなたよ。どうしたい?」
皆を交互に見やり、マコトは深く思案する。誰の想いもないがしろにはできないと、充分考慮している様子がうかがえた。
「決着か……。じゃあ、あとは私に任せて下さい。両方の意見の折衷案というか、悪いようにはしないつもりです」
皆が固唾を飲んで見守る中、マコトは離れにたたずむ二人へと歩み寄った。
「久しぶりだね。最近大人しいと思ってたんだけど、ソフィアを諦めた訳じゃなかったんだね」
「……くっ、救世主! こんな時に……」
メリルは明らかにマコトを見て狼狽えている。マコトもそれに気づいたのか、二人へと自分から手を差し出した。起き上がれ、と言っている様である。
「お姉様、ここは彼女に従うべきです」
「……ふん」
シェリルはその手を取り、メリルを支えながら立ち上がる。
「私は怒ってるよ。でも、これまでの事を感謝もしてる。だから、みんなに謝って、もう一度初めからやり直そう」
「救世主様……」
心の奥底で欲しかった言葉を受け、シェリルはマコトの手を少しだけ強く握り返した。しかしその行為が気に入らなかったのか、メリルは二人の手を引き離し、声を荒げる。
「ふざけるな! 謝れだと? そんな事で済むとでも思っているのなら、我々への侮辱に他ならん! 今まで我々がしてきた事がただの一言で消えるのなら、闇に葬ってきた死者共は浮かばれないだろうな! ……救世主よ、甘い、甘いぞぉ!」
ロザリーはいち早くその悪意に気づく。マコトの胴を貫く刃が、イメージとなって現れたのだ。しかし、彼女は暗殺者。発声する時間の猶予すらもありはしない。気を許しすぎた。ロザリーは後悔し目を背けるも、すぐ隣からほとばしる熱に気づき、そちらを見た。
「ファイア・マグナム!」
ティセである。ロザリーの感知したものを共有し、ミリ秒の速度で実体化した炎の速射弾を、銃のような形を指で作る事により射出したのだ。それは、メリルの生きている方の肩へと命中し、完全に彼女を無力化せしめた。それを見届けると、彼女は煙が上がる指先に向け、ふっ、と息を吹く。
「ぐうっ……貴様ァ……!」
「アタシもね、負けず嫌いだから、ずっと狙ってたの。さて、不意打ちはおあいことして、ここからは正々堂々とやりましょうか」
「ティセ……何を……」
「何って? 決着よ」
ロザリーはぞっとした。ティセは今正常ではない。いや、これが普通……? 少なくともロザリーには分からなかった。確かに彼女たちがマレフィカでなければ、どうだっただろうか。もし、これがただのガーディアナの兵であったなら、自分とて迷わず斬り捨てていたかもしれない。
「待って下さい。そんなこと、私が許しません」
ロザリーが葛藤する中、マコトがまっすぐな瞳でティセを見据える。
「この甘ちゃんが! こいつらは普通じゃない! 今アンタは死ぬところだった! アンタは平和な異世界から来た良い子ちゃんかもしれないけど、こっちは気軽に命のやり取りをしているどうしようもない世界だって、まだわかんないの!?」
「それでも、です! たとえ今のにやられていたとしても私は……絶対に諦めない!」
マコトは、ごくり、と一拍置いて、再び憤るティセの目を見つめ言った。
「私がこの子達を、更正させます。絶対に」
「マコト……」
ロザリーの葛藤は、その一言で一つに結ばれた。自分ならばマコトの様に言い切ることができるだろうか。いや、無理だろう。自分はどこまで行っても復讐鬼に過ぎない。業を背負いすぎているのだ。もちろんこれからも立ちはだかる敵は切り捨てていく。そんな道を選んだ人間。だからこそ、自分の目指すべきはマコトの持つ考え方なのかもしれないと思い至った。
「……ティセ、サクラコも正々堂々と戦った上での結果よ。あなたも借りは返した。パメラだって、今回の件でソフィアと仲直りできたし、それでいいじゃない。……ね?」
「……ふん」
ティセは一瞬鼻白んだが、本気で双子を殺す気であったはずも無く、両手を軽く上げると「好きにすれば」と一言だけ放ち、眠るサクラコの下へと向かった。
マコトもほっと胸をなで下ろし、改めてメリルへと向き直る。
「私ね、さっきの言葉を聞いて安心したんだ。謝っても済まないって、自分達のしてきた事をちゃんと、理解してるって事だよね。だったら、きっと大丈夫だよ」
どこまでも耳障りな甘い言葉。メリルはまるで守られているかのような今の状況に苛立つよう、マコトへと吠えかかる。
「更正だと……? ならば、貴様の正義を示せ! この罪を裁くだけの力を持ち合わせているのなら、私を、私たちを、地獄から救ってみせろ……! この血塗れた手では、大切な妹を抱くことも出来ないんだ! メリルはもう、この悪夢から醒めたいんだ……、お願いだ、頼む……」
「お姉様……」
メリルの小さな体から慟哭の嘆きが漏れた。シェリルは決して一人ではないと、その体を優しく包み込む。そして、マコトに何かを促す目線を送った。後は覚悟を決めたように、そっと目を閉じ、その時を待った。
「分かった、じゃあ、ありったけの力でいくね」
薄暗い森の中、まばゆい光が辺りを包んでいく。それはマコトを中心に収縮を繰り返し、反転して辺りは闇へと変わった。まるで日食の様に、全ての光が彼女へと集まる。
「あれが、救世主の力なの……?」
「はい。あれこそ、かつての魔王をも破ったとされる救世奥義です。受けた者に巣くう魔を浄化し、同時に、救う魔の大きさに比例する威力をもたらします。あの二人に耐えられるかは分かりませんが、マコトは信じているようです。きっと大丈夫ですよ」
ロザリーにそう説明した後、アンジェもまた、何かを唱えだした。すると、青白い光がアンジェを包む。彼女達に掛ける治癒魔法の詠唱を幾重にも重ねているのだ。
「マコト、こちらはオッケーです!」
二人の目が合い、マコトが頷く。すると彼女は低い姿勢となり、息を目いっぱい吸い込んだかと思うと、ビリビリと振動まで伝わってくるような轟き声が森に響いた。
「ジャスティス、ハーーート!!」
そのかけ声と同時に拳が打ち出される。すると、凝縮した光がマコトから放たれ、二人にぶつかった。そして練り上げられた光は紐解くように膨張を始め、元いた場所へ戻るよう一帯へと広がった。
「ぐわああああ!!」
「きゃあああ!!」
耳をつんざくような二人の絶叫。皆、目を開くこともできずにしばらく身をかがめた。
光が収まり、全ては終わったとマコトが声を掛ける。二人の姿は、まるでボロ雑巾のように変わり果てていたが、反してその顔は安らかなものであった。
「これが、救世主、マコト……」
その時ロザリーは、マコトに宿る救世主というものの力の一端を知る。
確かにこれだけの力があれば、魔族とも渡り合えるだろう。いや、彼女にはそれすらも凌駕する、魔王の魂が眠っているのだ。
聖女パメラと、救世主マコト。この神話的な二人の存在が、今や自分の手の届く所にある。ロザリーはこの、大きすぎる力を持つという意味をここで改めて考えざるを得なかった。
「どうしたの? ロザリー」
「いえ、何でもないわ。あなたも、体さえ大丈夫なら二人の手当を……」
「あなたも、怪我してる」
「私はいいわ、バンダナで止血したから。そうだ、すごくお腹空いたでしょ。帰ったら、たくさん料理つくってあげるわね」
「うん……」
パメラはどこか悔しそうにロザリーの傷ついた脚を見つめ、双子の元へと向かった。
「パメラ……」
やはり、このままでは彼女の負担が大きすぎる。こうしてこれからもマコトが、アンジェが、そしてソフィアがいてくれたなら、どんなに助けになるだろうか。
「お疲れ。サクラコ、先に帰らせとく。パメラに無理しないよう、言っといて」
「あ、ティセ……」
サクラコをおぶさったティセがロザリーに声を掛ける。どうやら一足先に家へと帰るようだ。相変わらずの啖呵を切った手前、マコト達と一緒には居づらいのだろう。
「大丈夫? 一人で……。私は、あの子達を運ばないといけないから……」
「うん、大丈夫。それとも不安? アタシを一人にするの」
「そんな事は……」
返る言葉の歯切れの悪さを受け、いたずらに笑うティセ。
「冗談よ。でもね、そうよね……。あーあ、アタシだけ、置いて行かれちゃったな……」
ティセはどこか意味深な言葉を残し、家へと帰っていった。
思えば彼女はソフィアに対し、まるで自己を弁護するかのような話をしていた。今回の結果は、そんな自分の力不足が招いた事態だと考えていたとしてもおかしくはない。
(ティセ、それは私もよ。だけど、きっといつか道は拓けるから……)
彼女と同じように力不足を痛感するロザリーだが、今回の戦いで新たな力を得た。そう、現状に満足しなければ、必ず先へ行ける。これは、全てをパメラ任せにしていた自分達への試練でもあるのだろう。
マコト達を頼る前に、まずは自分を鍛える。今回の事件を経て、ロザリーはそんな戦士としての基本へと再び立ち返るのであった。
―次回予告―
まずは一言、ごめんなさい。
返す言葉は、ううん、大丈夫。
色々ありましたが、みんな元気です。
第72話「和解」