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第70話 『それぞれの想い』

 親睦を深めるはずの共同クエストにて起きた、ソフィアの裏切りによる惨事。それによりロザリー達は分断され、襲いかかる暗殺者達と数の上で互角の戦いを強いられる事となる。

 中でもその勝敗を左右するであろう、サクラコとメリルの戦いは未だ続いていた。対照的な二人による、互いに一歩も引かない相克(そうこく)の闘いである。


「ほう、それなりにやるようだな。速度だけは我をも上回るようだ」

「ここは退()いてください! 今ならまだ、誰も死なずに済みます!」

「甘いぞ……東方の暗殺者。我々は出会ってしまったのだ。暗殺者同士、やることは殺し合いのみ!」

「琴吹流は暗殺術なんかじゃありません!」


 殺意を剥き出しにしたメリルの刃がサクラコを捉える。彼女の武器であるジャマダハルと呼ばれる刀剣は握りが特殊であり、拳の先に刃が来る構造をしているため突きに特化している。ティセはそれによって腹部を一突きにされる事で敗北した。自分まで同じ(てつ)を踏むわけにはいかない。


「動きが直線的すぎます! その程度なら!」

「ほざけ、いつまでも逃げられると思うなよ」


 怪力を誇るザクロの放つ飛び道具でさえ見切る事のできるサクラコにとって、メリルの突きなどは特に驚異ではない。恐ろしいのはその先に光る目。殺しを当たり前のように受け入れ、相手をまるで無機物であるかのように攻め続ける意思。放たれる突きも、どれもが急所を狙い、勢いのピークがサクラコを捉えるよう、(えぐ)り込むように迫ってくる。まさに一瞬の油断も許されないのだが、同時に守りの方は隙だらけでもあった。己が傷つくことなどまるで気にもしていないようですらある。


「そんな戦い方……、どうしてできるんですか……」

「貴様、恐れているな? 何を恐れる? 殺し、殺されるのが我々マレフィカであろう? さあ、貴様も魔女らしく戦え! さあ!」


 メリルの顔がサクラコの目前に現れた。そのまま見つめ合う事に危機的な予感を覚えたサクラコは、とっさに目をそらし逃げるように間合いを取った。


「どこまでも、我を侮辱する気か……」


 辺りの空気が変わった。メリルの殺気が今までと比べようもない程、巨大な膨らみを見せる。


「あれはっ……」


 それは、ロザリーの想定をも超えていた。迫り来るサクラコの死という決着に、ロザリーはただ、狂おしいほどの焦燥感に苛まれる。


「こんなもの……!」


 命を賭け戦う仲間のために、今できる全てを出さねばならない。ロザリーは短剣を抜き、自らの大腿、それも昔負った古傷へとためらうこともなく突き入れた。


「ぐあああっ!!」


 鮮血がほとばしる。さらに傷口を抉り、鋭い痛みとともに蘇る生命の感覚を呼び戻す。すると、それまでロザリーを蝕んでいた死への諦観(ていかん)は、激しい生への渇望(かつぼう)へと変化した。


「くっ、ふう……。……さあ、お望み通り、あなたは私が相手するわ」

「へえ……。あなた、すごいわ。ちょっと濡れちゃった……」


 シェリルは股間を押さえ、少し湿った音をロザリーへと伝えた。と同時に、卑猥で卑屈な笑みを浮かべる。


「こわしたい。あなたを私の思うままにしたい。お姉様も、ソフィアも、聖女様も、みんな私を愛してほしいけど、手を出しちゃいけないの。全部こわしちゃうから。でも、あなたくらいならいいでしょ? ね、私だけの、こわれないおもちゃ……」


 シェリルはそう言うと、両手を空へとかざした。するとどこに隠していたのか、まるで今までとは別次元の呪力がシェリルから溢れ出す。いや、この地に眠る怨念全てが、彼女へと集まっているのだ。パメラは闇の中で一人、その異変に気づいた。


「それは……だめ……」


 その言葉を受け、ソフィアもロザリーに迫る危機を知る。


「え、え……?」


 シェリルの力が全てロザリーへと向かった事により、ソフィアに掛けられていた術の効力が薄れていく。ソフィアはこれまでとった己の行為を思い出し、改めて戦慄(せんりつ)した。


「なんで……? なんでっ!?」


 自身の潜在意識が望んだ事とはいえ、想定すらしていなかった事態に混乱し、ソフィアはただうろたえていた。しかし、目の前にいるパメラに対する憎しみだけは、何も変わってはいない。


「ソフィア……、あなたが……あなたしか今ロザリーを助ける事はできない。お願い……、ロザリーを助けて……」


 息も絶え絶えなパメラは、闇の中で懇願する。すでに青白い肌で、吸気するにも支障が出始めていた。それでも優しい微笑みをソフィアへと向けている。


「どうして……、どうして私を恨まないの……? 何で戦わないの? ロザリーさんが必要なのはあなたでしょ! 何で私なの!?」

「私は……もう……。それに、あなたを……信じてるから」


 知らずとソフィアの頬には涙がこぼれていた。彼女を殺してしまうと、何か取り返しのつかない領域に踏み込んでしまう予感がした。ロザリーも、マコトも、アンジェも、みんなが目の前からいなくなる気がした。聖女の死は本来の望みではない。ただ、全てを元通りにしたかったのだ。聖女に選ばれる前の普通の少女へと。全部分かっているはずなのに、憎しみが暴走してソフィアの闇は広がり続ける。


「いまさら、いまさら……っ、そんな事っ!」

「魔女はね、みんなの心の中にいるんだよ。あなただけが戦ってる訳じゃないの。だから、負けちゃだめ……、あなたは聖女なんだから……。私と同じものを見たあなたなら、何が間違っているのか、分かるはずだよ……」


 パメラは苦しみにもだえながらも、一つ一つ言葉を紡いだ。それはソフィアにとって思ってもいない言葉であった。聖女として肯定された事が、なぜか嬉しかったのだ。


「どうして……」


 苦悶の表情を浮かべるパメラを眺めながら、まぶたの裏にまで焼き付いている聖女の肖像画を思い出す。その幸せの中にいるであろう屈託のない笑顔の裏に、何があったのかまでは一度とすら想像しなかった。もしかすると、自分に地獄があったように、彼女にもまた地獄があったのではないか。自分はただ、そこから逃げただけであった。しかし、彼女は今もその地獄と戦おうとしている。


(――間違ってる世界に合わせちゃ駄目。やられたからやり返すんじゃ、いつまでたっても争いは終わらないよ)


 いつかのマコトの言葉が、ふいに思い出される。自らの命すら捨てて、自分を助けようとした太陽のような人。ずっと包まれていたはずのその暖かさに、彼女は今頃になって気づいた。


「あ、あ……」


 ソフィアから闇が消えた。同時に、パメラを包んでいた暗黒は霧散する。反射的に倒れ込むパメラを受け止めるソフィアの手はどこか力なく、まるでパメラに許しを求めているようですらあった。


「勝ったんだね、ソフィア。えらい……よ」

「わたし……わたし……」


 ソフィアの瞳は生気に溢れ、すでに蛇の呪いからも解き放たれていた。闇を押さえ込んだ反動からか急に支える手の力が抜け、その場に二人倒れ込む。触れ合う吐息。そして、重なり合った華奢な胸から、パメラの生きようとする鼓動が伝わってくる。


「生きて……るんだね……、私も、あなたも……」

「生きていくんだよ。一人じゃなく、みんなで。この命は、あなたのおじいちゃんがくれたもの。だから、捨てるわけにはいかないの。私は、ガーディアナを変えてみせるって、あの人に約束したから」

「おじい、ちゃん……」


 そこには、壮絶な祖父の遺志があった。彼女が自らクレイディアの名を名乗っているのも、そんな誓いが込められているなどと誰が伺い知れようか。


「でもね、おじいちゃんが悲しい結末を迎えたのも、全ては憎しみから生まれた過ちが原因。やっぱり、憎しみの先には、孤独しかないんだよ」

「いや……私、ひとりぼっちはいや……」

「そうだね。だから、あの二人も、助けなきゃ」


 あの双子は、まさに魔女として進んだ先のソフィアだった。互いしか信用しない、ふたりぼっちの世界にいる。ソフィアは命の恩人でもある双子を、この魔女の呪いから救いたいと願った。


「ソフィア……聖女として、人を導くの。あなたならできる」

「パメラ……お姉ちゃん……」


 立ち上がったソフィアの向き合う先には、とぐろを巻いた巨大な毒蛇がその本性を現していた。しかし亡き祖父とパメラに生きる力を貰った彼女は、放たれる瘴気の渦へと勇気を出して飛び込む。


「あっはははは! 私だけを見て! そして、二人で天国に行きましょう!」


 亡霊達の加護により、シェリルのロザリーを縛り上げる力がどんどん増していく。それはどんな拷問より苦しいとされる呪術であり、まるで全神経をねじ切られるかのような激痛がロザリーへと襲いかかった。


「ぐ、ぐぐぐぎぎぃ……!」

「やめてぇ! その人には手を出さないで!!」


 ソフィアの絶叫が響く。シェリルは物憂げにソフィアへと視線を投げた。子供がすでに飽きてしまったおもちゃを眺めるように。


「……ソフィア、あなたはもうこちら側の人間、魔女なのよ。あなたは人を呪った。だから何かを失う必要があるの」

「嫌、いや、いやぁ! ロザリーさんは関係ないっ! いいから、もうやめてぇ!」


 ロザリーはすでに地面に倒れ込み、白目を剥きながら声にならない声を上げている。このままでは廃人と化すであろう事はソフィアにも容易に伝わった。


「駄目。この人は、シェリルの人形にするの。いちど全部、まっさらにして」

「シェリル! やめないと、あなたを殺す!!」


 ソフィアから闇の手が伸びた。それらはシェリルの体にまとわりつき、術を阻止しようとする。


「本気? 聖女にもなれなかったあなたが今こうして生きていられるのは、私達のおかげでしょ? この子達を裏切って、私達も裏切るのね、0点ソフィア」

「嫌い、きらい、キライ! あなたなんて大嫌い!!」


 ソフィアは全力を解放し、シェリルへと放った。しかし深い闇がその体を蹂躙するも、まるで意に介す様子はない。むしろ、その行為は呪詛にさらなる力を与えているかのようだった。ロザリーの苦しむ姿を見かね、パメラが叫ぶ。


「それじゃダメ! 憎しみじゃなくて、(いつく)しむの! あなたの心にも、光はあるんだよ!」

「わ、わたしっ……ほんとは力が、うまく使えないの……。感情のままにしか出てきてくれないの!」

「私も力を貸すから、一緒に、ね?」


 パメラは祈るように目を閉じた。彼女の光は辺り一面に広がり、ソフィアをも包む。すると、それまで波立っていた心が潮が引くように穏やかに変化していくのを感じた。そして次第にパメラの物ではない新たな光が生まれ、調和し、やがて幻想的な輝きとなる。


「うそ、これが……私の光……」

「うん、とっても、きれい……」


 パメラはそこで力尽き、それはソフィアだけの光となる。


「そうよ……私だって、聖女なんだから……! 光の精霊よ、力を貸して!!」


 ソフィアはパメラを真似るように両の手を広げる。そして今度は相手を慈しみ、シェリルの心へとぶつけるように光を放った。


「うっ、何、この感情は……!」


 呪術には負の感情を用いる。シェリルの心は常に闇で満たされていたが、ソフィアによってその均衡は崩されたのである。

 ほんの少しのほころびは、次第に広がっていく。そしてついにはこの地に根付いていた呪詛そのものを破るに至った。


「そんな……、私の術が、ソフィアなんかに……!」

「ロザリーさんを、よくも……」


 ソフィアはシェリルへと向かっていき、平手打ちを放った。深い森に、まるで遠慮のない音が響き渡る。シェリルは頬を真っ赤にして、急に子供のように泣き出してしまった。


「うぇ……うえええん! だって、だってえ!」

「っ……!」


 呪力の奔流(ほんりゅう)から解き放たれたロザリーは、気が触れる寸前でかろうじて意識を取り戻した。全身はいまだ極寒の中にいるような寒気を覚え震えているが、生命の危機に全ての感覚が研ぎ澄まされ、同時にカオスの力が沸き上がるのを感じた。


(何、これは……。勝手に感情が流れ込んでくる。リュカの時と同じ……いや、それ以上に鮮明に……)


 頭の中に響く、声にならない声。今までであれば雑音のようだったそれが、かつてないほどに明瞭(めいりょう)となり、思念として手に取るように理解できた。いや、むしろ自分の身に起きた事のように感じられるのだ。ロザリーはその中でも、ひときわ大きな叫びに耳を傾ける。


((全部全部ソフィアのためだったんだもん! それなのにぶつなんて、ひどいよおっ!))


 シェリルのものと思われる感情は、ただ、愛を欲するごく普通の少女の感情であった。


((私の好きな人に、ロザリーさんに酷いことするなんて許さない!))


 対してソフィアのそれは、大切な人が傷つけられた怒り。ロザリーに入り交じるのは、制御不能な思春期の爆発的な感情である。


(そう……そうね。誰もが、愛し、愛されたい。ただ、それだけなのね)


 思えばそれらは一方的な感情が呼んだ悲劇だった。ならばその感情を互いに伝え合う事ができれば……。ロザリーは傷ついた脚を引きずりながら立ち上がった。


「ソフィア……、ソフィア! どうして私を嫌うの? 私ならあなたの醜い心まで愛してあげる! 何よりもグロテスクなあなた自身を!」

「ちがうちがうちがう! 私はこんな事望んでない! こんなに醜くなんてない!!」


 ソフィアは再び手を振り上げた。まるで心を抉るようなその手に怯え、シェリルは身構える。愛する者からの拒絶。それは絶望の引き金を引いた。


「ソフィア、あなたもあの大人達といっしょなのね……」

「何よそれ……きゃあ!」


 シェリルはその手を振るえずにいたソフィアを突き飛ばす。その体格差から軽々と吹き飛んだソフィアであったが、それは先を読んだロザリーによって受け止められた。


「う……」

「ソフィア、聖女として人を導くんじゃなかったの? 憎しみでぶつかってはいけないって、あの子も言っていたでしょう」

「ロザリーさん……私……」


 ロザリーとパメラの声が重なり、ソフィアの心に呼びかける。その言葉に、ソフィアは再び我に返る事ができた。みな、孤独に怯える子供。ならば、魔女の母である自分にできる事はただ一つ。


「大丈夫、魔女の呪いは私が解くわ。この、想いの力で」


 シェリルはすでに理性なく叫び狂っていた。手当たり次第といった様子で鞭を振り回し、その衝撃波が歩み寄るロザリーを襲う。


「みんなが、みんながシェリルをいじめる! 私はただ、愛してほしいの! 愛して、シェリルの事を愛してぇ!」


 消耗した体と脚の傷で、それらをかわすことは不可能である。ロザリーは甘んじて全てをその身に受けた。シェリルの鞭撃(べんげき)は痛みというより、ただ、激しい熱をもたらす。愛を求め熱く身を焦がす激情が、そのままに伝わるかのようであった。


「いいわ、私の愛でよければ、いくらでもあげる……」

「え……」


 ロザリーはシェリルの眼前までたどり着くと、彼女をめいっぱいに抱きしめた。そして、自分の中に存在する、マレフィカに対する愛情をこれでもかと言うほどにぶつける。


「んっ、んんっ……なんでぇ……」


 シェリルは脱力し、その目いっぱいに涙を(たた)えた。すると彼女を支配していた激情は、次第に影を潜めていくかのように消え去っていった。


「ソフィア、あなたも」


 ロザリーに誘われ、ソフィアはおそるおそるシェリルへと近づく。そして同じように彼女を抱きしめると、不思議と何かがつながった様な気がした。これまで、不器用で他人へと伝える事ができなかった感情も、今ならば素直にさらけ出してしまえるくらいに開放的な世界が広がっている。現にそこにいるシェリルは、まるで赤ん坊のように無防備であった。


「シェリル、ひどいことして、ごめんね。本当は、嫌いなんかじゃないの。わかるでしょ?」

「うん、うん……」

「もう、魔女なんて、やめようよ。こんな事、つらいだけだって分かったから……」

「ソフィア……私は……」


 ロザリーは二人の感情の流れからシェリルの心を救えたはずだと確信したが、まだ何かしらの障壁がある事に気づく。ロザリーにさえ見えない、頑なに開く事のない奥底に眠る感情。その口元は血に濡れ、こちらをあざ笑っていた。


「私は……それでもお姉様を裏切ることはできないの」


 その時、一際大きな剣戟(けんげき)の響きが鳴った。同時に、どさ……と倒れ込む影。サクラコだ。


「サクラコっ……!」

「く、くくく。虫酸(むしず)が走る。貴様は我への攻撃を幾度もためらった。……これがその結果だ!」


 傷だらけになったメリルは、着地と共に片膝をついた。しかし、どれも傷は浅い。自らを危険に晒してまで、サクラコは自らの矜持(きょうじ)を貫き通したのだ。だが、逆にそれがメリルの逆鱗に触れる事となってしまった。


「貴様の存在は、我の全てを否定した……絶対に許すものか……」


 腹部を抉られ、かすかに息をするだけのサクラコは、死を覚悟しゆっくりと目を閉じる。


「ロザリー、さん。もうわたし、怖くなんて、ないですよ……あなたさえ、無事なら」


 彼女の目の前には、ジャマハダルを振りかざすメリルがいた。そこに滴る血が、避けられない結末を物語る。


「やめて、止めなさい! サクラコぉ!!」


 ロザリーの叫びも空しく、メリルはその手を振り下ろした。いつもであれば首を飛ばすのに瞬きの時間すらも必要ない。しかし、どういうわけか刃はゆっくりと獲物への軌道を描く。刃から流れる血の、その一滴一滴が宙に浮遊するのすらもが克明に見えた。まるで時が止まったかのような、長い一瞬。


「な……に……?」


 突然、メリルの中に奇妙な感覚が走った。

 サクラコの首筋に刃が触れる直前、突然視界が暗転し、腹部に鈍痛を覚えた。さらに失血による脈の低下と寒気を覚え、目を開くと自分の首筋に刃を当てる自分自身の姿があった。これは、敗者、つまりはサクラコの視界のはずである。


「これは一体っ……!?」


 次の瞬間、再びサクラコを見下ろした視点へと戻る。自らにトドメを刺されるという体験をしたメリルは、慌ててその刃を首筋から離した。


「どういう事だ……我の身に、何が起きた!?」

「させはしない……」


 振り向くと、そこには黄金の騎士の姿があった。ロザリーから放たれるカオスの力が、黄金の鎧を纏った女性の姿となって浮かび上がっていたのだ。カオスの顕現。この現象の際、あらゆるマレフィカは真の力を発揮すると言われている。


幻像(スペクトル)だと……? そうか、これが貴様の力か……」

「ええ。それが、あなたが殺そうとした相手の感情よ。初めて知ったという顔ね」

「まさか、死を恐れている……? この私が……?」


 メリルは自らの刃を見つめ、小刻みに震えるそれをもう一つの手で強引に制止させた。


「フフ、フハハッ! 忘れていたが、おまえも魔女だったな。ならば、どうという事はない」


 これもまやかしの類いだと看破(かんぱ)し、メリルは再びサクラコへと刃を向ける。しかし、何の心境の変化か、その刃を振るうことができない。


「ぐっ、何故だ……動け、殺しなど、どれほど重ねてきたと思っているのだ!」

「サクラコの想いが、あなたの中で戦っている。怖くないなんて、嘘までついて……」


 それでも少しずつ刃は前へと進む。信念と信念のぶつかり合いは、やはり地獄を生きてきたメリルに分があった。


「ぐお、おお……!」

「お姉様っ……」

「来るなあッ! お前の手助けなどいらぬ!!」


 いつもの姉ではない。妹の自分にすらも心を閉ざす、深遠の闇に存在する姉。それが、あそこまで感情を露わにし、自らの弱さを殺そうとしているのだ。

 ロザリーはもう一息だと感じた。しかし今、下手に刺激する事は下策だ。この状況で彼女のもう一つの弱みがあるとするならば、他ならぬこの妹、シェリルだろう。


「シェリル、協力してちょうだい……あの子は苦しんでいる。あなたも分かったでしょう、私たちは幸せになれるの。そう、あなたが望みさえすれば……」


 シェリルは姉のメリルを見つめた。姉のその目には、一度も見たことのない涙が浮かんでいた。絶対に折れることのなかった姉の葛藤。それを見せつけられ、シェリルは何を信じていいのかすら分からなくなった。そして、心の奥底にある呪縛から逃れようとする感情が漏れ出し、黒く変質した涙が流れた。


「わた、し、は……」


 そんな時ふと、柔らかな何かががシェリルの唇を撫でる。


「ん……っ!?」

「こ、これが嬉しいんでしょ……。いいから、ロザリーさんに協力して」


 ソフィアは照れながらも唇をちょこんと出し、再びシェリルの唇へと重ねた。


「ソフィア、たん……?」

「もうしないから。ほら、ロザリーさんもしてあげて!」

「ええっ?」


 それを聞き受け、シェリルはとろん、と口を半開きにしていた。まるでロザリーを誘っているかのように、そこから甘い吐息が漏れる。


「わ、わかったわ……。シェリル、じゃあ、その代わりこの結界を解いて。お願いね」


 ロザリーの唇が、その開いた口に触れた。それを待ち構えていたように、シェリルはその牙を剥く。結局ロザリーは数秒間、呼吸を奪われ、経験した事もないようなキスの応酬をその身に受けた。


「うーん、おいし……」

「はあ、はあっ……なんて事……」


 解放されたロザリーはちらりとパメラの方を見たが、ただ困ったようにほほえみ返され、少しだけ後悔が襲うのだった。


「しあわせ……。お姉様も……こんな気持ちにしてあげたい。だから……!」


 ロザリーの指示に従い、シェリルは周囲を包んでいた結界を解く。すると、ロザリーの力がより広域へと伝わり、遠くにいるマコト達の思念を掴む事ができた。


「これなら……」


 薄暗い森を、黄金の力が駆け抜ける。それは近くにいるマレフィカはもとより、離れていた者達の思念をも一つにした。


「そう。アンジェ、ここよ。わかるわね」


 ロザリーが独り言のようにそうつぶやくと、突然、空から光る何かが降り注いだ。矢の先に光を灯したそれは、メリルの肩を狙い定めたように貫いた。アンジェのホーリーアローである。


「ぐあああああ!!」


 メリルの絶叫が広がる。魔女として生きるメリルにとって、業を裁く矢は傷口に塩を塗り込むような責め苦を与えるに等しい。


「お姉様っ、お姉様っ! いやああ……!」

「大丈夫、傷はパメラが治してくれるから。今はあの子のそばに行ってあげて」


 シェリルはメリルの下へと駆け寄り、気絶したメリルをその腕で抱きしめる。


「アンジェ、さん……」


 窮地(きゅうち)を脱したサクラコは、自分を救った光り輝く矢を見てほほえむと、同じく眠るように気絶した。


「これが、触媒(カタリスト)……魔女を繋ぐ、私の力……」


 それぞれの想いは、ぶつかり合い、今は穏やかに調和している。

 触媒(カタリスト)。想いを繋ぐ力。ロザリーは死の淵で新たに宿ったこの力が、やがてマレフィカ達を導く力になると強く確信するのだった。


―次回予告―

 救世主のある所、救いは誰にも訪れる。

 どんなにこの身が、(けが)れていようと。

 どんなにこの魂が、呪われていようとも。


 第71話「決着」

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