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第1章 番外編 『性女悩殺作戦』

 これは聖女暗殺作戦が決まった後の、逆十字で起きたある一幕である。




「んっ……、きつい……」


 多数の武器や防具で囲まれた無骨な空間に、妙になまめかしい声が響く。

 逆十字の物置であるこの一室は、ロザリー専用の更衣室でもあった。十数人という大所帯に女一人という事もあり、彼女のプライバシーはあまり尊重される事はない。


「もう、どうしてこんな事に」


 何の間違いか、逆十字はこれから旅芸人の一座となる。ここには変装用の様々な衣装なども並んでおり、さらには兵士達があらゆる小道具を運んだりするため、今は特に騒がしい。そんな部屋の片隅で、ロザリーも大道芸用の衣装と格闘している最中であった。


「ロザリー、どうだ?」

「ええ、なんとか入ったけど……どう? おかしくないかしら」


 ロザリーはギュスターから渡された衣装を着て、カーテンを開いた。

 黒と紫を基調としたシックな踊り子の衣装であるが、胸元は大きく開き、カップ部分の素材が固いラバーであったため、締め付けがきつい。押し込み押し込みなんとか入りはしたものの、行き場のない丸みが全面に押し出され、そこに深い谷間を築いていた。


「ふむ。……ふむ」


 ギュスターは唸るようにそれを眺める。

 デコルテを埋め尽くす谷間、そして角度の付いたハイレッグからはみ出す、彼女特有のふくよかな尻。これらは彼女が本来持つ健康的なエロスである。だが今回はそれだけにとどまらず、その長いおみ足をガーターベルトで武装し、最終的に女王様のようなハイヒールと組み合わせる事で、玄人の趣向をも満たす極上の仕上がりとなった。

 ロザリーは彼にとって孫のようなものであるが、そのあまりの性的な魅力に年甲斐も無く少しドキリとせざるを得ない。


「ちょっと動いてみろ。その姿で暗殺作戦が可能かどうか、判断する」

「ええ……動く分には多分問題ないわ」


 ロザリーはガーターベルトと一体化したナイフホルダーから武器を取り出し、投げるフリをする。その拍子に、胸が少しせり上がるのをギュスターは見逃さなかった。


「……ふむ。では走れるか? 逃走時は全力疾走しなければ捕まってしまうだろう」

「脚はヒールだけれど、この程度なら問題ない。体幹には自信があるから」


 ロザリーは言われるままにその場で脚を高く上げ走るフリをした。

 すると次第に股間がずり上がり、ややきわどいラインを作る。さらには胸が所狭しと揺れ、このままでは最悪の事態へと陥るのも時間の問題であった。


「むっ……そこまで!」

「はあ、はあ、少し擦れるけれど、大丈夫」


 何も大丈夫ではない。こんなもの我が血気盛んな逆十字の男子達が見た日には、たちまち全滅ものである。聖女暗殺作戦の前に、性女悩殺作戦によって壊滅した(はじ)スタンス、“虐羞恥(ぎゃくしゅうち)”という十字架を背負う事にまでなりかねないのだ。


「やっぱり中止じゃ中止! これではただの露出狂ではないか!」

「はあ!? あなたが着せたんでしょう!」

「団長、シルクハット、ありましたっけ」


 そんな騒がしい場面に、あろう事かキルが訪れた。衣装の合わせのため彼もタキシードを着ており、スラッとした体躯がその洗練された佇まいをさらに強調する。


「って……わあっ!」


 そんな紳士然とした彼が見たもの、それは……。


「えっ、キル!?」

「すっ、すみません! 着替え途中でしたか!」


 流れるようにキルは後ろを向いた。だが、すこしだけ姿勢が悪い。いつもは少しも乱れなく直立姿勢を取っている彼であったが、いくぶん前傾となっている。


「いやー、お前も男の子よの。こればかりは仕方ないじゃろうて、あんな物を見しまっては」

「あんな物? 何を言って……」


 はっとしてロザリーは自分の胸元を見る。なんと、度重なる動作によって胸はギリギリまでせり上がり、大事な下半身は申し訳程度に局部を隠すのみ。その姿はまさに痴女そのものであった。


「なっ……!」


 わなわなと怒りに震えるロザリー。その動きは彼女の立派なお山をさらに震わせた。これがかの有名な末端プルン、もとい、マッターホルンである。


「ギュスタァァ……!!」


 まるで地獄の底から漏れ出すかのような声が倉庫内に響いた。ちらと見た彼女の影から、髪が逆立つようなシルエットが浮かび上がる。これは彼女がたまに見せる爆発の前兆。


「まずい! キル、ここは逃げるぞ」

「ちょ、ちょっと待って下さい、今は身動きが……!」

「くっ、ならば仕方あるまい……。許せキル、お前の事は決して忘れんぞー!」

「だ、団長ー!」


 あっさりとキルを見捨て一人倉庫を飛び出したギュスターは、年甲斐も無く全速力で拠点内を走り回りつつ、男性団員達が寝泊まりするタコ部屋へと駆け込む。


「よっしゃー、ギリギリセーフ!」

「わっ、団長! そんなに慌ててどうしたんですか?」

「おお、お前達! いいからワシを(かくま)え! ここならば花も恥じらうあいつの事だ、そう簡単に入ってはこれまい!」

「は、はあ……つまり、ロザリー隊長に追われているんですね?」

「まったく、またいつもみたく隊長をからかったんでしょ。団長もいい加減にしないと、そのうち本当に死んじまいますよ」


 いつものしょうもないケンカに呆れる団員達の視線が痛い。とはいえ、これで迫り来るロザリーの脅威から生還する事ができたのだ。彼女にとって動きづらい服装をさせていた事が全ての原因であり、勝因でもある。これまでの幾度とない敗北を思い返し、ギュスターは不覚にも涙を流した。


「しかし、こうしてまた一人おめおめと生き延びるとは……ワシはつくづく団長失格じゃな」

「そうね。仲間を置いて逃げるなんて、なかなかの性格をしてるわよね」


 ギュスターは耳を疑った。扉の向こうから、血の気も引くようなロザリーの冷たい声が届いたのだ。


「お前っ、なぜここが! キル、キルはどうした!?」

「あなたがいつもここを隠れ蓑にしているって、そのキルから教えてもらったのよ。だから特別に、ノックもせずに入ってきた事は許してあげたわ」

「はん、何を言っとる。だいしゅきな彼に裸を見られてラッキー、みたいな? これで引っ込み思案な私の恋も、一歩ぜんしーん。なーんて心の底で思っておるくせに」

「……は?」


 ギュスターは思わず口を塞いだ。彼には、恋愛に奥手すぎるロザリーをからかわずにはいられない悪い癖がある。その挑発を受け、扉越しから掛かる圧が数段階上がった気がした。


「……ところでだけど。ジャン、そこにいるかしら?」

「は、はい! います! ボクは全面的に、あなたの味方です!」

「こやつめっ! 忘れておったわ、こいつも筋金入りの恋愛バカだという事を……」


 形勢逆転。ロザリーは腰に手を当て、いつもの訓練時のような気迫で部下へと命令を飛ばした。


「だったらそこのエロジジイを、こっちに引き渡しなさい。いいわね、その際に私を見てはダメよ。約束を破ったら、ご飯抜きなんだからね!」

「りょ、了解しました! 団長、ここはボクのためと思って、おとなしく捕まって下さい!」

「イヤじゃイヤじゃ! このままじゃワシ、殺される!」

「全部自業自得でしょう! さあ、早くやりなさい!」


 ロザリーに言われるままギュスターを部屋の外に引きずりだそうとするジャンだったが、子供のようにだだをこねるその巨体はなかなか動かない。


「くっ、なんて重さだ……!」

「ふっふっふ、泣く子もあやす不動のギュスターとは、何を隠そうワシの事よ!」

「あのー、いい加減よそでやってくれません? 俺達もまだ作戦の準備があるんで」

「しゃーない、ここはジャンに加勢するぞ。せーの」

「うおおっ!? ずるいぞ、お前達!」


 やがてそれを見かねた仲間達も加わり、ギュスターは奮戦むなしく扉へと運ばれていく。このままでは不利と見たギュスターは、奥の手を使うべくそっとジャンへと耳打ちした。


(……いいのか? このままワシが捕まれば、お前が奴のお風呂シーンを覗いておった事、洗いざらい言わせてもらうぞ)

「はうあっ!!」


 ジャンの動きが止まった。すると彼は生まれたての子鹿のように震えながら、ギュスターの足下にすがりつく。


「ひいい……団長、お願いです、それだけはっ……」

「えー、どうしよっかなー? だったらそれだけの誠意を見せてもらわんとなー」

「うぐぐ……」


 ロザリーに軽蔑される事は、彼にとって全ての終わりを意味する。究極の二択を迫られた彼は、涙と共に悪魔に魂を売り渡した。


「すみませんロザリー隊長! 愚かなボクを許して下さいっ!」


 ギュスター側についたジャンは扉の前に立ち塞がり、自らの体をぴったりと同化させた。


「それでいいのだジャンよ。無駄な血が流れる事はワシの本意ではない」

「ジャン? どうしたの! 一体何があったの!?」

「フハハッ、無駄だロザリー! 扉と一体化した奴を動かせる者はもういない。諦めるんだな」


 すっかり悪役が板についたギュスターの笑い声がこだまする。彼の悪ふざけにはロザリーも幾度となく抵抗してきたが、こと人心掌握術において老猾な彼の右に出る者はいないのだ。


「おかしいわ、あの素直なジャンが……。あっ、もしかしてまた一方的に殴りつけたんでしょう! パワハラって言うのよ、そういうの!」

「違うわい! その言葉、そっくりまるごとお前に返すわ!」


 このままではラチがあかない。徐々に体が冷えてきたのか、ロザリーはひとつ身震いをした。こうして時と共に、彼女の怒りが冷めるのを待つのがギュスターの常套手段。こと、こういったしょうもないケンカにおいてはロザリーの方が大人な分、いつも折れてあげるのだ。

 しかしその時、そんなお決まりの展開を阻止するべく一人の男が立ち上がった。


「……ロザリー、そこをどいて下さい」

「えっ、キル……!?」


 背後には、まるで悟りを開いたかのように目を閉じたキルがたたずむ。どういう訳か彼は自らの剣を持ち出し、おもむろに扉に向け構えを取った。


「先ほどはすみません。お詫びと言ってはなんですが、団長の身柄は私が責任をもって確保いたしましょう」

「だ、だけど、この向こうには……」

「どんな壁であろうと、壊せない物はない。あなたにはそれを忘れないでいてほしいのです。とあーっ!」

「ちょっと、話を最後まで聞いてっ!」


 キルから無数の剣閃が走る。彼の剣技の前では、予算もなく立て付けの悪い逆十字の扉などひとたまりもなかった。


「し、しまったあ!」

「ぎゃあー、ギュスター団長ぉ!」


 バラバラと崩れ落ちる扉の向こうから、支える物を無くしたジャンが勢いよく飛び出した。すると彼は勢い余り、キルを止めようと近づいていたロザリーへとぶつかってしまう。


「んぶっ!」

「きゃっ!」


 バインという謎の音と共にジャンははじかれ、ロザリーもまた軽く尻餅をついた。俗に言う、出会い頭の事故である。


「あいたた……」


 大股を広げ、腰をさするロザリー。丈夫な彼女にとってはどうという事はない事故だが、気がつくとその向こうには、女日照りの隊員達が一同に目を丸くしている姿があった。心なしかその目は、どれも女性の胸のような形をしている。


「あの隊長が……あんな格好で……お、おっぴろげ……」

「ふおおお……!」

「いかん、は、鼻血がっ!」


 たまらずに前屈みになる団員達。すぐにタコ部屋のあちこちから、情けない声と共に若い血潮がほとばしった。


「い……いやああ……」


 結局、ロザリーは全員にその姿を見られ、真っ赤な顔で後ろを向きうずくまってしまった。そんな普段では考えられないギャップに一同、さらに目が釘付けとなる。それもそのはず、そんな彼女の後ろ姿は、あまりにも尻が丸見えであった。


「ロザリー隊長……ボクはもう、ダメです……うっ!」

「ジャン、イクなー! くっ、やはりこの性女悩殺作戦、我々では力及ばずか……!」


 かねてよりギュスターの懸念した通り、部隊は再起不能。叛逆の魔女、いや、半ケツの魔女一人の力によって、逆十字はここに壊滅した。


「あ、あ……」


 恥に恥を重ね、すでに呆然状態のロザリー。この作戦は彼女自身も多大なる犠牲を伴う。未だ無傷なのは、すでに枯れたギュスターと目を閉じているキルのみであった。


「の、のうキルよ、流石にこれはワシ、悪くないよね?」

「あの……えっと。もしかして私、余計な事を……?」

「はあー、こいつもこいつで筋金入りの天然じゃな……」


 誰かさんの尻よりも重い空気が流れる。ロザリーは、皆の前だけでも格好いい隊長でありたかったのだ。それがどういう訳か、皆の前での不格好なご開帳である。


「もう私、お嫁に行けない……ひっく」

「何を言うか……そうじゃ! こうなったら責任を取って、キル! お前がお婿さんになっておあげなさい!」

「ええっ!? なんでそうなるんですっ!」

「何を隠そうこの娘、日夜お前を想い、お股……いや、枕を濡らしていたのだ! な、そうじゃろう、ロザリー!」

「――!?」


 皆から見ればバレバレな感情も、ロザリーはどうやら上手く隠し通していたつもりらしい。それをとうとうギュスターに暴露され、自暴自棄になった彼女は静かに立ち上がる。


「……キル?」

「はいっ、何でしょう!?」

「……あなたはこんなクソ親父の言う事、信じちゃダメよ」

「え、ええ! 団長の言う事ですから、どうせまた口から出任せですよ。気にしないで下さい!」

「そう、そうだわ。私がキルを好きだなんて、ほんと、そんな事……」


 ロザリーはその目からこぼれ出す何かを、皆から見えないよう拭った。


「あのー、ロザリーちゃん、泣いてる……?」

「そんな訳ないじゃない。さてと……それじゃギュスター、作戦の為にこれからちょっと付き合って」

「えーと、な、何をかの?」

「暗殺の、れ・ん・しゅ・う♥」


 それからというもの、ロザリーは荒れに荒れた。

 その後ギュスターは三日三晩投げナイフの練習に付き合わされ、体中切り傷が絶える事はなかったという。




************




「あの時はすみません……全部私の不注意でした」

「いや、そもそもはワシがわるい。あのドレスはロザリーの母のものだが、病弱だった彼女とあの筋肉娘では、そもそも体格が違うのも当然であった」


 数日後。ギュスターとキルは作戦を前にして、二人眠れぬ夜を過ごしていた。

 全て準備は万端となり、あとは敵国へと乗り込むだけである。

 キルは忘れたくても忘れられないロザリーの姿を思い出しつつ、それを追い出すために頭を振った。自身も年頃でありながら独り身なため、彼女の肢体はどうしても意識せざるを得ない。


「ああ、また雑念が……」

「しばらくネタには困らんかっただろう。ワシに感謝しろよ」

「団長っ!」


 確かにあのままでは作戦どころではなかっただろう。器用なキルはドレスに幾分か布を足し、ロザリーが着ても問題ない程度には補強したのであるが、あれから彼女の自分に対する軽蔑したような視線が気になる所ではあった。


「しかしロザリーのお母様は、なぜあのような衣装を……?」

「ああ、オリビアか。彼女は元々ダンサーだった。まさに本職の旅芸者でもあったのだ。マレフィカを産んだために身を寄せる土地もなく、夫であるブラッドとの長い放浪の(かたわ)ら、その踊りで得た稼ぎで奴を支えたらしい」

「そうでしたか。ブラッドさん……相変わらず不器用な人ですね」

「だからこそ、一度、ロザリーがそれを着た姿を見ておきたかったのだ。天国の彼女に対する、手向けとしてな」

「ええ。きっと、あの方も喜んでいると思いますよ」


 ロザリーの母オリビア。そして、父ブラッド。彼らからの忘れ形見であるロザリーは、二人にとってもかけがえのない宝物であった。


「次の作戦だが、なんとしてもあの子だけは守り通さねばならん。そのためならば、この命とて……」

「団長。私も、初めからそのつもりです」

「そうか……そうだな」


 二人は決意を同じにする。それは、自己を犠牲にしてでも彼女を守り抜くという誓い。ならばこそ、やはり同時に思い残す事もあるというのが人情である。


「なあキルよ、ワシは十分に生きた。だがお前はまだまだ若い。こんなワシに付き合い、色々とふいにした事もあったろう」

「何です? 急に」

「つまりだな。最後にあの子を、抱いてはやらんのかと聞いているんだ」

「それは……できません。あの子はマレフィカ。たとえ男を愛しても、今はそれが叶うような世界ではない。確かに子を産めば魔女の呪いからは解放されますが、代わりにその子に全てを押しつける事になります。自分のせいで母を失ったと考える彼女ならば、それがなおのこと許せないはず。だからこそ、私が男を教えてしまう訳には……」

「まさか、それが本心ではなかろう? ワシには、未だにあの時の負い目から逃げているように見えるが」


 ギュスターは眉間にシワを寄せ、男として軟弱なキルをたしなめる。酒の席で少し解放的になったキルは一つため息をつき、これまでひた隠しにしてきた胸の内を吐露(とろ)した。


「全てお見通しでしたか。おっしゃる通り、私では彼女を守る事はできない。それどころか、私に並ぼうといたずらに危険な目に合わせるだけ。きっとこれからも彼女の戦いは続くでしょう。だからこそ私はもう、彼女の弱さになりたくはないのです」

「キルよ、愛は人を強くする。それを受け入れて初めて、お前はようやく一人前になれるのだぞ?」

「そう、かもしれません。ですが、私は代わりなのです。彼女は今でもあの子(・・・)を想っている。分かってしまうんですよ……好きだからこそ、どこか無理をしているのが。私達はお互いに、そんなどうしようもない現実から逃避し続けているのです」

「不憫な子よの……。それは、お前もか」


 キルは苦笑した。憧れの存在であるブラッドの一人娘、ロザリー。もちろん意識しないわけではなかった。これが普通の世界であればとっくにプロポーズをしていた事であろう。

 しかし、それはできない。むしろ、自分の存在が彼女を不幸にしてしまうのであれば……。


「ふう……お酒って、こんなに美味しかったですっけ」

「おいおい、もう一瓶空けたのか。お前らしくもない」

「今くらい許して下さい。こんなの、飲まずにはいられませんよ」

「あまりやると作戦に支障をきたすぞ。もっとも、正気でやれる事でもないがな、ハッハッ」


 張り詰めた空気を、酒による高揚が緩めてくれる。これだけが様々な事を諦めねばならない大人の持つ特権だろう。少し酔ったキルは、ついつい普段では言わないような事までしゃべり出した。


「正直に言うと、私よりも戦いの苦手なジャンあたりの方が、ロザリーを幸せにできるんじゃないでしょうか。ロザリーの性格からして、か弱い彼を守るために戦いから身を引き、普通の暮らしを始める気がします。彼もああ見えて、命がけで彼女を守るでしょうし」

「あいつがかあ? うーむ」

「得てしてそういうものですよ。彼らにはまだ、生への渇望がある。それにくらべ私達は……」

「常に死に場所を求めている、と?」


 二人の笑みが消えた。その視線は、どこかここではない場所を見るように虚ろである。


「ええ。悲しいですが、私は血を流す事に慣れてしまった殺戮者。そろそろ、この舞台からも降りるべきなのかもしれませんね」

「何をいまさら……。ワシらは亡霊。もとよりこの世には存在せんよ」


 ギュスターは懐から取り出したブローチに刻まれた女性の姿を眺める。そこには、今は亡き彼の家族の姿もあった。


「ロザリーは、やれぬかもしれんな。あの子の決意を疑う訳ではないが、いかんせん心が純すぎる」

「その時は私が。それに、道は一つではありません。結果はどうあれ、きっとこの行動が後の世のくさびとなるはずです」

「先を、見ておるのだな……。若くないと、もう見えぬものもある。過去ばかりを見つめ清算したがるのは、年寄りの悪い癖かもしれん」


 この作戦が失敗しても最悪、ロザリーは助かるであろう。現在の教会は魔女を生け捕りにするため、殺しはしない。それに、この共謀を持ちかけた邪教による手助けもある。しかし、自身に付いてきてくれる若い兵士達。彼らまで巻き添えにする事に、ギュスターは心を痛めていた。


「汚名は全て被るつもりだ。しかし……あいつらは、こんなワシを許してくれるだろうか……」

「彼らも同じ思いのはずです。地獄へは、私がお供しましょう」


 グラスの音が鳴る。

 酔いもそこそこに、逆十字の(よい)は静かに()けていくのだった。


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