第69話 『聖女と魔女』
サクラコの助言により、戦いの中確かな成長を得たアンジェ。偵察から帰ったそんな二人の的確な誘導で、嘆きの森一帯の魔物の掃討は予定より早く完了した。
「はあっ、サザン・クロス!」
「ウヴァァ……」
ロザリーの奥義により、光となって消えていくアンデッド。それは中々に手強く、ここ一帯の魔物をまとめ上げる長のような存在である事は明らかだった。どうやら、これまで幾度も派遣された騎士団や冒険者達により危機を感じた彼は、群れを率いて自衛するためここ一帯へと残る仲間達を集めていたようだ。
激しい戦闘が終わると、早速ロザリーの下へソフィアが駆け寄る。
「ロザリーさん、怪我はない? 回復薬あるよ」
「ああ、私はいいわ。パメラが治してくれるから」
「うん。こっちは大丈夫、ソフィアはマコト達をお願い」
「ふーん、そっか……」
もちろん、あえてそんな二人を遠ざけようと提案したのだが、ロザリーはソフィアに対しどこか遠慮をしなくなったように思えた。パメラと仲むつまじく笑いながら治療を受けるロザリーの姿を見て、次第にソフィアの中に焦燥感が生まれる。
「アンジェもーヘトヘトです。ソフィア、魔晶石をお願いします」
「ふん、自分で使って」
「ぴゃー」
ソフィアは石ころ程度の結晶を軽く投げつけ、アンジェの頭にたんこぶを作った。それは魔晶石と呼ばれ、失った魔力を回復するアイテムである。形はまばらだが、中には尖っているものもある。マコトもこれはさすがに目に余ると叱責した。
「こらっ! みんなそれぞれ役割があるんだから八つ当たりしないの!」
「私より、あっちかばうんだ……」
「そんな事言ってないでしょ」
「いいもん、いいもん」
説教の途中だと言うのに、ソフィアはふてくされたようにそっぽを向いてしまった。これは一筋縄ではいきそうにない。
「ソフィア……」
ロザリーは自分が厳しく言うべきかとは思ったが、それはパメラから止められている。パメラもまたずっと仲直りの機会を伺ってはいるものの、なかなかソフィアも警戒心を解いてはくれないらしく、二人で話す機会は訪れずにいた。
「あいたた……アンジェの事も少しは心配してほしいものです」
「ふふ。はい、これで大丈夫」
「おおー、さすがはパメラさん。アンジェのヒーリングとは比べものになりませんね」
アンジェのたんこぶを治し、ふと気になってソフィアを見たパメラは目を疑った。見間違いでなければ一瞬、蛇の様な瞳でこちらを見つめていたのだ。感情も無く、ただ、じっと。思わず目をそらしてしまうが、再び見ると、むっとしたいつものソフィアであった。
「ロザリーさん、ただいま戻りました」
「サクラコ、どうだった?」
念のためと、一通り周辺の索敵に出ていたサクラコが戻ってきたようだ。
「大丈夫です。この辺にはもう気配がありません」
「そう、よかった。これでクエスト完了ね」
「わーい! それじゃ早速お弁当にしましょーう」
「ピクニックじゃないのよ。もう」
そうは言いながらも、ロザリーは張り切って用意してきたお弁当を広げた。すっかり陰鬱な空気の取り払われた森の木陰にて、皆思い思いにくつろぎ始める。
「いやー、ロザリーさんのお弁当、ホントこれだけが楽しみで」
「まったく……アンジェなんて私の作った朝ごはん食べずに来たんですよ。アンデッドのいるところで食べるロザリーさんの料理の方がマシだとか言って。失礼しちゃいます」
「ふふっ。マコト、良かったら今度、料理覚えてみる? 色々と教えられる事もあると思うわ」
「いえ、それはおそらく不可能です。もう手っ取り早くロザリーさんとマコトを交換しちゃいましょう!」
「ひどい! 私だってこれでも頑張ってるんだからあ!」
そんなこんなの談笑。殺伐とした戦いで疲弊した心を、にぎやかな笑い声が癒やしてくれる。結果的には共闘クエストも大成功。ロザリーは料理を頬張りつつ、これからもこうして共に戦えたら、と思わずにはいられない。
「ふふ、マコト達がいると本当ににぎやかね。ほらパメラ、あなた達も……」
みんなで一緒に食事しようとロザリーが振り返るも、そこにはサクラコの姿しかなかった。ソフィアと険悪なままのティセとパメラは、どうやら気を利かせてか二人で離れに移動したようだ。
「もう……」
いい加減呼び戻そうとロザリーが辺りを探すと、大きな木の陰で一人うずくまるティセを発見した。しかし、どうも様子がおかしい。
「ティセ、どうしたの! もしかしてお腹が痛いの?」
「バ、バカ。それどころじゃないわよ。賊よ、パメラが……」
「ティセさん!」
サクラコも異変に気付き駆け寄ってきた。つまり、彼女ですら今まで気づかないほどの手練れによる犯行。ロザリーに暗い予感がよぎる。
「二人になった途端、急に何かが襲いかかってきたの。クソッ……! このアタシがついていながら……」
見ると、ティセは腹部から血を流していた。鋭利な刃で背中から突かれ、腹まで貫通している。パメラの後を追うどころか、声を上げるのも苦しい様子だ。
これは一大事と、慌ててマコト達も立ち上がる。
「あわわわ、アンジェ、お弁当に夢中すぎました!」
「パメラちゃんが……さっ、探さなきゃ! ソフィア、ソフィアは?」
辺りを見渡すも、ソフィアの姿も見当たらない。マコトに叱られたからか、皆から少し距離を置いていた事は覚えているが……。
「アンジェ、ティセをお願い。マコトはここを守っていて。二人は私とサクラコで探すわ!」
「そう、ですね……ではロザリーさん、二人をお願いします!」
傷ついたティセをその場で休ませ、ロザリーは賊が消えたという森の中へと走り出した。憔悴するサクラコもそれに続く。
「私、ずっと辺りの気配を読んでいたんです! なのに、何も分からなかった。すみません、すみません!」
「誰もあなたを責めないわ、相手は私達が気を抜いた隙を狙ったのよ……」
姿も見せずにパメラ達をさらうなど並大抵の事ではない。それなのに手がかりになりそうな逃げた痕跡はどこにも残ってはいなかった。
「パメラ……パメラっ!」
愛を誓った大事な存在であるにかかわらず、またも手放してしまった。ロザリーは過去の過ちを思い返し、激しい動悸を押さえるのが精一杯だった。それどころか、走れば走るほど心臓が締め付けられるような重苦しさが襲いかかる。
「ぐっ、うう……」
まるで、いつかのコレットが放った悪霊の渦に吸い寄せられているよう。自分を追い詰めるロザリーはむしろ、そんな障気の濃い方向を目指し走った。
「良くないです、ロザリーさん、こちら側は……」
「ええ、分かってる! でも、パメラがいるの! いるのよ! 怖いのなら帰りなさい!」
ロザリーは普段からは考えられないほど語気を強め、サクラコに言い放った。その言葉は思いの外サクラコの精神を削り、じわりと涙へと変わる。
「怖くなんて……」
サクラコの涙に、ロザリーは一瞬正気へと戻った。今のは本当に自分の言葉だったのだろうか、もし、本心だったとしたなら、サクラコの弱みを分かっていて責めた事になる。自己嫌悪から自分への苛立ちが募り、ついに心臓は破裂せんばかりに鼓動した。
「ふぅ……ふうう……!」
頭の中でプツ、と音がしたと思うと、ロザリーはその場に崩れ落ちた。呼吸ができず、手足が痺れ、目の焦点も定まらない。さらに急に身も凍るような寒気を覚え、先ほど口にした物を吐瀉した。
「おおえっ……」
「ロ、ロザリーさん! お気を確かに!」
「あが……が……」
サクラコによる気付けが繰り返されたが、明確に迫り来る死の予感にロザリーは恐慌状態を引き起こしていた。
「ふん、口ほどにもない。少しは期待していたがこの程度か」
「ふふふ。聖女誘拐犯が聞いてあきれるわね」
乾ききった少女のしゃがれた声、そしてねっとりとした娼婦のような嬌声が聞こえてきたと思うと、二人組の女が闇の中から現われた。どちらもまるでその闇と同化するような漆黒の衣装を纏っている。
「こいつらのおかげで邪魔なアンデッド共は片付いたが……シェリル、あの目障りな救世主は来ないだろうな」
小柄な方の少女が、どこまでも冷たい口調で言い放つ。
「はぁい、お姉様。ここ一帯はもうシェリルのテリトリー。救世主といえど、決してこの結界に入る事はできません」
大柄の方の女が甘えた口調で続ける。その腕にはぐったりとしたパメラが抱しめられていた。
「パメラさん!」
サクラコの呼びかけに、どこかうつろであったパメラが意識を取り戻す。
「う……ロザリー? サクラコちゃん……?」
「お姉様、この子もう気付いたわ……」
「シェリルの術が効かんとは、やはり、化け物か……」
パメラは瞬時に自分の置かれている状況を理解し、ロザリーに掛けられているであろう術を見破る。
「この人、呪術を使う……! ロザリーにも今それが!」
「黙れ聖女!」
「ぐぅ……」
メリ……という音と共に、パメラの腹部へと重い拳がめり込む。容赦のない一撃を受け、パメラはくぐもった声を漏らしながら膝をついた。
「パメラさんっ!」
「や、やめなさい……!」
ロザリーは女の呪術に心臓をわしづかみにされ、震えながら虚勢を張るのがやっとであった。愛する人を守れない悔しさから、思わず涙まであふれ出す。
「うふふっ、いい気味、いい気味」
その様子を影から見ていたもう一人がゆっくりと歩み出てきた。ソフィアである。一見無事のようだが、どこか様子がおかしい。恍惚の表情を浮かべ、ロザリーをあざ笑っているのだ。その目はまるで蛇に取り憑かれたように、ギラギラと光っていた。
「ソフィア……あなた、無事なの?」
「心配してくれるの? 違うよね。あなたは今、私を疑ってる。ロザリーさん、どうしてこうなったか分かりますか? あなたが、この子ばかりを見てるからいけないんです。なんで私じゃないの? なんで私の目の前にはいつもこの子がいるの!?」
ソフィアは激昂し、弱っているパメラを後ろから締め上げた。
「うう……」
「光の聖女、あなたの居場所はここじゃない。教皇の待つおうちに帰りましょ? でも安心して。ロザリーさんは、私たちと一緒に魔女になるの。聖女と魔女は愛し合えない。そう、殺し合うの。私が、二人の仲を引き裂いてあげる! 同じ聖女なのに、私だけ愛されないなんて、絶対に許せない!!」
これが彼女の秘めていた本心。ロザリーは取り返しのつかないほどにソフィアの心を傷つけてしまった事を、その時初めて理解した。
「ぐっ、くう……」
そんなロザリーの無防備な心を、女の呪詛がさらに蝕む。呪術は対象の精神が清らかなほど、無垢であればあるほどその威力を増すのだ。
いよいよ胸の奥底までが苦しくなり、目の光も消えていく。このままではまずいと、サクラコはこの状況を推測し叫んだ。
「ロザリーさん、気を確かに! ソフィアさんはおそらく、あの二人に操られているか、脅されているかでしょう……! 聞けば最近、夜な夜などこかへと出かけていたそうです。それがあの人達の所だとすると、今回持ち掛けられた話も全てが罠の可能性が……」
サクラコの考えを鼻で笑うように、小柄な少女が前へと出た。
「ふっ、ソフィアは正気だ。恐ろしい程にな。そんな魔女の素質を誰よりも持つこの女こそ、全ての首謀者であり、我らはそれに従っているだけにすぎない。そうだろう、ソフィア?」
「ソフィア……あなた……」
こんな形でロザリーにだけは知られたくはなかったが、今更取り繕うことも出来ないとソフィアはゆっくり頷いた。そして口ごもったソフィアに変わり、シェリルが付け加える。
「ふふ、私はソフィアの欲望を解放してあげただけ。あとはこの子の書いた筋書き通りに、私たちが脇役を演じるの。あなたみたいな美人の、ラブロマンスの相手が私じゃないのはちょっと癪だけど」
「くっ、ソフィア……」
たとえ何か術によって操られていたとしても、心の奥底に眠る感情がその引き金となったに違いない。おそらくあの口づけを交わした時、ロザリーの心の拠り所がパメラである事を知り、ひとり歪んでしまったのだ。
「私の、せいで……」
都合よく皆を愛そうとした自分のエゴが、この子を狂わせてしまった。そう思い知ったロザリーは、悲嘆に暮れる事しかできなかった。
「くく。聖女誘拐犯、ロザリー゠エル゠フリードリッヒ、お前とは暗殺者として一度手合わせしてみたかったが……妹に敗れるようでは、メリルの相手ではないな」
「そう……じゃあ、あなた達がソフィアの話してくれた暗殺者の双子なのね……」
双蛇の双子、メリルとシェリル。話には聞いていたが、相対するとその力が嫌と言うほど伝わる。まさに、生きてきた世界が違うのだ、いざ争いとなれば、こちらの命を奪う事を一欠片も躊躇などはしないだろう。
「ふふ、その通り。エトランザ様の命令すら無視し聖女を誘拐したという度胸に免じて、今度こそ、貴様を邪教の僕としてやろう」
「ふふっ、それにしても術のかかりがいいわ。あなた、純粋なのね。それに、とっても綺麗……お姉様、無事引き入れる事ができたら、この女、好きにしてもいーい?」
女は唇をペロリと舐めた。その瞬間、ロザリーの心臓を締め付ける力が少しだけ緩まる。
「シェリル、癖が悪いぞ」
欲情を隠さないシェリルに苦い顔をするメリル。ソフィアはこのやり取りに覚えがあった。この女は自分と同じようにロザリーをもその毒牙にかけるつもりなのだ。それだけは許すことはできないと、蛇の目がシェリルへと向いた。
「私だけならともかく、ロザリーさんには手を出さないで! あなたはただ、おとなしくさせてればいいの!」
「……はあい」
「ソフィア、図に乗るなよ。お前にシェリルの体を許したのは、術を掛けるために必要だったからだ。妹を好きにしていいのは、このメリルだけだという事を忘れるな」
「うっ……」
メリルの忠告に、ソフィアは少しだけ肩を震わせる。
そんな双子とソフィアのやり取りから、この場を支配しているのがメリルだと見たサクラコは、一か八か頭を崩す作戦を考えた。彼女の持つ武器からしたたる血は、鮮やかなほどの赤を見せる。それは、サクラコにとって決して許しがたい色でもあった。
「ロザリーさん、ここは私が時間を稼ぎます。私に敵う相手かは分かりませんが、隙を見て一旦逃げて下さい!」
サクラコはそう言うと、震える両足を叩き、メリルの方に向かって駆けだした。
「待って、あの子は……!」
「ほう、このメリル様に刃向かうか」
「あなたですね、ティセさんを刺したのは……!」
「くく……だったら、どうする?」
「うあああっ!」
息もつかない間に二人は姿を消し、刃物のぶつかり合う音だけが辺りに響き渡る。
「だめ、だめよサクラコ……」
見たところサクラコと暗殺者の技量は互角。だが、殺意の差、これはどうしようもなく埋められる物ではない。このままではサクラコの命が危険である。ロザリーは気を強くして、呪術を解くために精神を集中させた。
「ロザリー……」
傷ついたパメラは、ぐったりとしながらロザリーの名を呼んだ。
「あなた、まだ悲劇のヒロインのつもりなのね」
そんな祈るようなつぶやきを聞いたソフィアは、パメラをシェリルから離し突き飛ばす。そしてこの状況を面白くないと言ったように手のひらに闇を作ると、パメラへとそれを向けた。
「立って。私達も決着をつけましょ。聖女として、どちらが優れているのか。色々と負けたままなのは気が済まないの」
「ソフィア、そんな事をしても、あなたは……」
「やるの!? やらないの!?」
「……それであなたの気が済むなら、お姉ちゃんは付き合ってあげる」
「なっ……」
ふと、パメラの口から出たお姉ちゃんという言葉に、ソフィアは過剰反応した。なるほど、自分にとっては人生を賭けてでも復讐したい相手は、逆に自分を妹くらいにしか思っていないのだと。いや、あなたでは絶対に私には敵わないという余裕だろうか。ソフィアは一気に顔を紅潮させた。
「聖女聖女聖女! あなただけは目障りなのぉ!!」
闇の球体がパメラを襲う。それはどこまでも深く暗い淵が覗く、瘴気の塊であった。本気の殺意に驚いたパメラは、心の痛みを抑えながらソフィアに向き合う。
「消えて消えて消えてぇぇ!!」
「ううっ!」
狂気と共に迫り来る闇に、パメラは無防備に飲み込まれた。
「これが、あなたの心なんだね……。苦しいよね……、ごめんね……」
息すらもできない暗黒空間にて、パメラは襲いかかる苦しみに耐えた。力を解放すれば一瞬で払う事はできるが、それは正解ではないと、ただ、ソフィアを想い耐え続ける。
「何? 怖じ気づいたの? いいわ、望み通りじわじわと苦しめてあげる」
「パメラっ……!」
その一方的な展開に、ロザリーは呪詛の中で焦りを覚える。己を蝕む呪術も、心深くまで入り込んでいて気の持ちようだけでは振り払うことなど適いそうもない。縋るような思いで唯一の頼みの綱であるサクラコへと目を向けると、今はどうにか拮抗した戦いが続けられていた。だが、それもいつまで続くのか。
「私は……」
絆とは、解ければもろくも儚い糸に過ぎない。わかり合えるはずであるマレフィカ同士の戦いに、ロザリーはただ、何もできず打ちひしがれるのみであった。
―次回予告―
想いは言葉になり、心へと伝播した。
私達は、きっと理解り合える。
いままでも、そしてこれからも。
第70話「それぞれの想い」