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第10章 番外編 『少女が見た虹』

 聖女という光の加護を失った、神聖ガーディアナ教国。


 今ここに教皇リュミエールの対となるべき存在はおらず、自ずと高次元に保たれていたはずの社会的均衡は脆くも崩れつつあった。だがそれは必然ともいえよう。常に争いの中にある世界で(よすが)を求めた人々は、その信仰の対象を聖女から指導者である教皇へと移し、最終的に突出した権力を持つ絶対神を作り上げる結果となったのだ。


 しかし、そんな彼の人間性を唯一つなぎ止めていたものは、今は無き心優しき聖女であった。つまり今のガーディアナを支配しているのは、鎖から解き放たれた一人の破壊神と言っても過言ではない。


 その影響は政治、軍事共に多大な負荷となり、神を取り巻く人間達の間では先の見えない精神的な消耗戦が続いた。本来ならばそんな教皇の暴走を止める役割を持つ枢機卿マルクリウスは、自らも代表を務める政治家達による組織、聖堂会ロジックフィアーを一同に招集し、この事態の打開に努めるのであった。






 ガーディアナ元老院。ここは常に競争の中に置かれ、それでも勝ち続けた者がひしめき合う知の戦場。そのさらに頂点に位置する男が、今日も一際高い位置に立ち長々しく挨拶する。


「皆の者、今日ここに集まってもらったのは他でもない。卑劣極まる者達により見舞われた聖女様のご不幸により、あの教皇様の慈愛に満ちた眼差しもその影を潜めて久しい。軍部はここ一月あらゆる手を尽くし聖女様を捜索したというが、事実として何の音沙汰もない。これで諸君等にも奴らがあてにならぬ事は重々に理解できたであろう。本来、人は政治により導くもの。人心を失ってはどんな強固な団結とて瓦解する。よってここは多少強引な手段を取ってでも、我々、政を司る者こそが事の解決に当たるべきだ。異論がある者は挙手にて申せ」


 マルクリウスは議会を一回り一瞥し、反対意見を待つ。ざわざわとその場にあらゆる思惑が交差するが、表立って異見を述べる者は現れなかった。


(ふむ、さすがに前代未聞の失態に関わる尻ぬぐいには、誰もしゃしゃり出てはこれんか)


 マルクリウス側の議席には約半数を占める、自分の手の内の者達ですでに固めてある。残る半数は未だ堅い考えを持ち続ける前時代の生き残りや、真にまっとうな政治をという夢物語を志す若輩(じゃくはい)達、さらにはその時々で立場を変える蝙蝠(こうもり)のような連中など、彼にとってはとるに足らない存在である。


「では、ロジックフィアー代表として、私からの考えをここに提示したい。今回は諸君等の考えも交えた議論の後、その採決を取りたく思う。事態は一刻を争うゆえ、今回の決議は賛成が過半数を越えた場合、強制的に採択とする。もちろん反対する者の声も可能な限り取り入れるつもりだ。諸君等には忌憚(きたん)なき意見を求めている」


 もちろん、彼にそのつもりはない。すでにこれは、自らの勢力、聖典派(カノニック)主導による議会の占拠。まさに来たるべき未来へと向けた革政(かくせい)なのだ。


「ふむ。では初めに、今回の困窮した事態を沈静化するため、我々の協力者として名乗り出てくれた人物を紹介しよう。では、エトランザ様、壇上へ」


 議会にどよめきが起こる。マルクリウスが口にしたその名は、マリア家の当主、エトランザ゠マリアロッタ。ガーディアナにおいて女教皇の位を持つ、本来であれば聖女の地位にあるほどの存在。一斉に向いた視線の先には、トコトコと壇上に向け歩く小さな女の子の姿があった。


「なんだ、この馬鹿でかい階段は。ええい、頭が高いぞ!」

「おっと、まだおみ足が届かないのですな。では失礼して」


 マルクリウスはその脇を抱え、上がれずにいた彼女を壇上へと担ぎ上げた。すると旧勢力である守護派(プロテクタンス)達を中心に、ちょっとした笑いが起こる。


「む、今笑ったのは誰だ?」


 エトランザの表情が変わった。一斉に静まりかえる場内。


「まさか、私を笑ったのか……? だとしたら、一人残らずこの世の果てへと飛ばしてやる。どこがいい? 魔物達の住処か? 地中深い溶岩の中か? それともお怒りの中にある教皇様の目の前がいいか?」


 これは侮辱に対する言葉であり、まだ子どもである彼女には政治的な意図などは決してない。だがそれは、もはや反対意見をも封殺する脅迫の意味をも持ち合わせていた。公平を期する場でこれはまずいと、マルクリウスがそっと耳打ちする。


「あれは一種のヤジのようなもので、場の空気を操作する小細工、いわば議会の風習なのです。ゆえに、彼らに悪気があったわけではありません。どうか私から謝罪させて下さい、このとおり」

「そういう事か。分かるぞ、これにカチンと来たら奴らの思うつぼなのだな」

「その通りでございます。では、手筈通り……」


 促されるままエトランザは挨拶しようとするが、次は背の高い机が邪魔をしてその視界を遮った。


「うー、このままではエトが見えない。おい、この机に乗せろ」

「とんでもない、議長席は立つところではございません、例えるなら私の顔なのです。流石にあなた様といえども……」

「わかった。じゃあ自分で乗る」


 そう言うと、エトランザは空間を飛び越え議長席の上に一瞬で現れた。役人が用意した大事な書類をも足蹴にし、彼女は満足そうに怯える政治家達の頭を一望する。


「最初からこうしていればよかったな。キシシ、よい眺めだ」

「まったく……これから決を採ろうというのです。あまり皆を萎縮させてはいけませぬぞ」

「分かっている! おじじはいつもうるさい!」


 手痛い言葉を受け、マルクリウスは目を細め笑った。彼はこの小さな怪物を幼少の頃から世話しており、それが許される間柄なのである。


「えー、こほん、まさかここに知らぬ者などいないだろうが、私こそがいにしえより代々続く、教皇の妻となるべくして生まれたマリア家の筆頭当主。人呼んで、女教皇エトランザよ。偉大なるこの名に免じて、先程の無礼は不問にしてやる、アーッハッハ!」

「エトランザ様。あの、そろそろ議題に……」

「えーい、マルクリウス! あまり言うとそのヒゲを抜くぞ! ……こほん、で、なんだっけ?」

「かねてより選定中の、新たな聖女について、でございます」

「そ、そうだったな!」


 かすかに聞こえた言葉に場内がざわめく。その内容は、その場の誰にも到底口にできる物ではなかった。


「静まれ! そう、エトは今回、ガーディアナを去った前聖女に代わり、新たに聖女をようりつする事にした! しかし、これは私としても辛い決断であった。教皇の妻という本来の座をゆずったにもかかわらず、奴……前聖女は成人となると共にその姿を消した! 反乱軍にゆうかいされたとか言う者もいるが、これは何より聖女自身がかくさくした、ぎそうゆうかいの疑いも大きい。なぜなら、エトは聞いてしまったのだ。あの日の前日、教皇様との婚礼をためらうような言葉を、その口からな!」


 まるで聖女を批判するような彼女のその言葉に、再びどよめきが起こる。いや、むしろその内容もまた十分にセンセーショナルであり、彼らが混乱するのも余儀のない所であった。


「いいか、これは絶対に秘密にしていろ。事がおおやけになれば、教皇様としても立場を失われる。どこからか漏れた場合、お前達全員を消さなければならなくなるのだからな」


 一転して皆、口を閉ざす。これで彼らも重大な秘密を知った共犯関係。その立派な髭に隠れたマルクリウスの口角もつり上がる。


「エトランザ様、心苦しい中での告発、大変感謝いたします。後は私から説明いたしますので……」

「うう、すまない。エトは教皇様の事を思うと、悔しくて、悔しくて……」


 ずいぶんと芝居がかってはいるが、女教皇ともあろう者が嘘をつく事などありえない。政治家達は皆、それを受けて下されたマルクリウスの言葉を待った。


「そう、つまり、もし聖女様がここへ戻られても、そもそもあの方にその意思がないのであれば、それを知った教皇様の怒りは計り知れない。いまでこそ平穏を保たれている天も雷に荒れ狂い、その被害は我々の想像を超えたものになるだろう。ゆえに、新たに従順な聖女を捧げる事で、その矛先を沈めていただくより他はないのだ。だが、こればかりは私としても教皇様に進言する事など口を(はばか)られる大事。そこで、女教皇エトランザ様にその役目をお願いする事にした。この方ならば、唯一それを申し上げる資格を有し、それを言わねばならぬ痛みすらも、きっと教皇様には理解していただけるはず……!」


 マルクリウスはその睫毛に浮かんだ涙を拭き、同じように振る舞うエトランザへと続きを促した。


「うう、本当は、エトが連れ添ってあげられたらと何度思った事か……しかし、聖女という立場にあくまでこだわるあの方には、とうてい聞き入れて貰えぬだろう。だが新たな聖女ならば納得していただける可能性はある。後はそれにふさわしい者を私が必ず見つけ出し、ガーディアナを誰もが心安らげる本来の姿へと導いてみせよう!」


 エトランザの宣言を受け、聖典派を中心に拍手が巻き起こる。それにつられてかちらほらと同調する者が現れ、その喝采はやがて議会を飲み込む渦となった。その光景に、マルクリウスも目を細め頷く。


重畳(ちょうじょう)重畳。やはり今のガーディアナは危うすぎるとの認識は固いか。そう、力は常に均衡であらねばならぬのだ。法を司る教皇。(ほう)を司る聖女、そして(ほう)を司るのはこの私。つまりこの三(ほう)が正しく働くには、操り人形である聖女こそが要。これまでのように教皇様のみならず私にも聖女を操る事が可能となって、初めて分立した真の形となるのだ)


 採決は満場一致で可決された。これにより、新たに聖女という傀儡がマルクリウスの駒として加わる事となる。エトランザとしても、これで前聖女と愛し合う教皇を見ずに済むのだ。さらに、決して自分に逆らう事のできない教皇の妻である。様々な融通も期待できた。


(……だがこれも、やや分が悪い賭けであるな。しかし事が成らずとも、まだ手はある。次の時代に向けた、(まこと)の機略がな。それまでは、この愚かな女帝に踊っておいてもらうとしよう)


「では、後は頼みましたぞ。エトランザ様」

「ああ、言われるまでもない。全てはエトのものだ。聖女に奪われた我が地位も、絶対神であるあの方でさえもな……」


 その行為が何を意味するのか、まだ幼いエトランザには理解などできない。ただ、溢れ出す欲望を操作されるままに、彼女は女帝という駒を演じ続けるのだった。




************




 あくる日、いつもの慣例行事となっている教皇との謁見の最中、エトランザは早速新たなる聖女の擁立を進言する事にした。浅はかなその裏にある企みなど、当に見透かされている事も知らずに。


「あの、教皇様ぁ……エトの一生のお願いを聞いて下さいますか?」

「どうした。言ってみよ」

「これ以上、元気のない教皇様を見るのはエトも辛いのです。なので一刻も早く、新たな聖女……いえ、婚約相手を見つけられてはと思いまして……」

「新たな、聖女だと?」

「ひっ……」


 教皇の間の壁に無数の亀裂が走った。その表面は硬度の高いクリスタルのはずである。ひと睨みするだけでこのような芸当が出来てしまう彼に、エトランザはむしろ興奮気味に萎縮した。


「聖女は史上にして唯一の存在。お前ごときが、その絶対の掟を覆そうと言うのか?」

「ち、違いますぅ、エトは悔しいのです。まだこんなに幼い身体であるために、あなた様のお側にいられない事が……。でしたら、誰かにその隙間を埋めてもらうしかないではありませんか。どんなに望んでも、聖女はもう、帰ってはこないのですから……」


 いつもなら絶対に口が裂けても言えない言葉を、探り探り繰り出す。教皇は感情を露わにすることもなく、淡々と答えた。


「どうしてそう断言できる。聖女は私の下へ戻る。必ずな」


 どこまでも冷静な教皇に対し、エトランザの苛立ちは頂点に達した。日頃から抱いていた感情的な言葉が、ついあふれ出す。


「だったら、どうして教皇様自らお探しにならないのです! あなたでしたら、きっとすぐにでも見つけられるでしょうに! もう一月です! その間、ずっとこうして地の底に閉じこもっているだけではありませんか!」

「エトランザ……言いたい事は、それだけか?」


 明らかに禁忌へと踏み入れた自覚があった。エトランザはその小さな身体を縮こませ、額が床にめり込むほどの土下座をした。


「ご、ごめんなさいっ! エトが生意気でした!! ですが、これもみなあなた様を思うからこそ……どうぞ、どうぞお赦しを!」


 教皇は玉座から立ち上がり、ゆっくりとエトランザへと歩み寄る。


「お前の異能(ちから)は、確かこういうものだったな」

「ゆ、ゆるし……ゆっ」


 次の瞬間、エトランザの意識はどこかへと飛んだ。


「……っ!」


 暗く、永遠に続くような奈落。そこへと向けて、落ち続ける感覚だけがこの身を支配する。途切れる事なく四方から聞こえてくるのは、耳をつんざくような叫び声。そこは凍えるような寒さの中であり、焼けただれるような灼熱の中でもあった。


「エト、こんなとこ知らない……」


 亜空間を通じて自在に移動できる彼女ですら、その地は一秒たりとも居たくはない場所である。


「助けて、助けてっ、アルビレオ!」


 早速異能を使って脱出を試みるが、今は落下に身を委ねる事しかできない。彼女の持つ強大なカオスでさえ、そこでは力を失っていた。すると、何かが虚空の先に見えた。大きな口。全てを飲み込むような、あまりにも巨大な口。唸りを上げながら、それは無数の光を飲み込んでいく。きらきらとした、儚くも気高い光。あれは、魂。そう、狂おしいほどに悲痛な叫びを放つのは、幾万ものそれであった。


「うそ……」


 そして自分の姿もまた、彼らのように肉体を捨てた光と化していた。あまりに無防備な、自分を構成する光。一切の抵抗もできずに、それは巨大な口の中へと侵入していった。


「た、食べられるっ……いや、いやああああ!!」


 次の瞬間、エトランザの意識が戻る。目を開くと、見慣れた教皇の間が眼前に広がった。しかし、何かが違う。普段の地を這うような視点ではなく、教皇を見下ろしているのだ。いや、それだけではない。それに対峙するかのように浮かぶ、こぶし大の塊のようなものが見える。なぜかその塊はドクドクと蠢き、血を滴らせ、黒い毛髪のようなものを垂らしていた。


「……あれ……あれっ!!」


 エトランザはその正体を知る。知りつつも、その身に起きた事が信じられず、身もだえながら泣き叫んだ。


「ああっ、ああああっ、ああああああああああああ!!」


 肉塊となったはずのエトランザは、気がつくと元の姿へと戻っていた。まるで夢から醒めたように、さっきまでの全てが記憶から薄れていく。


「見えたか? 虚無が」

「みえ、みえっ……」


 エトランザはふるふると首を振る。思い出そうとしても、すでに思い出せないのだ。ただ、そこで感じた身を焼くような悪寒だけがその身に残されていた。


「そう、忘れろ。あのような所、二(たび)行くべきではない」

「はあ、はあっ……」


 そう言って教皇はエトランザを抱きしめた。そして、床にこすりつけ真っ赤に腫れたおでこへと手をかざし、その傷を癒やした。


「悪かったな。私とした事が、少しばかり冷静さを欠いた。お前の言う通り、私は聖女を恐れているのかもしれん。……あれは、とみに従順であった。しかし、そうでない瞬間も、確かにあったのだ。私は、その心を、その最後まで御する事はできなかった。あれがこの手を離れたのも、そんな心のままに動いた自らの意思なのかもしれぬと思うと、な……」

「教皇、様……」


 あまりにお(いたわ)しいそのお姿。エトランザは今しがた自分に行われた凶行すらも忘れ、彼を抱きしめ返す。


「でしたら、分かるはずです……。愛するからこそ……エトも、エトも……」

「ままならぬものだな……。よかろう、後はお前の好きなようにするといい。私は少し疲れた」

「教皇様……」


 教皇はそのまま振り返る事もなく、奥の間へと向かっていった。その先には教皇の寝室がある。エトランザは共にそこへと踏み入れたい願望を押し殺し、その足である地へと向かった。かねてより命じていた、強大な力を持つ魔女の選別が行われているその舞台へと。


「はあ、はあ……エトがここまでやったのだ。絶対に見つけ出してみせるぞ……邪教による、私のためだけの、偽りの聖女を……」




************




 邪教団イルミナによる、その所在地すら明らかにされていない魔女選別施設、シークレットガーデン。

 ここは、暗殺、諜報、護衛などあらゆる目的のため、魔女を一人前の戦士として育てる訓練施設でもある。そこにいる多くのマレフィカは収容所から集められたエトランザの選りすぐりであり、救いをもたらしてくれた彼女に対する感謝と共に、その手足となるべく日夜自らの異能を磨いていた。


「みんな、エトランザ様よ!」

「エトランザ様! お帰りなさいませ!」


 突如として縦に裂けた空間から現れたエトランザを目がけ、どこからともなく黒の制服を着た魔女達が集まってくる。彼女達こそがエトランザの所有するマレフィカ精鋭部隊、ロストチャイルドである。


「ふふ、お前達、良い子にしていたか? エトは向こうでも良い子だったぞ」

「はいっ! おやつの取り合いはありますが、皆、ケンカせずに仲良くしていました!」

「そうか、ゲートの先にお土産のケーキがある。皆で分け合って食べるがいい」

「やったー!」


 エトランザは魔女達に微笑み返すと、手にしていた仮面を被った。それは邪教のシンボル、邪神アルビレオを模したものだ。この瞬間から、彼女はイルミナの象徴となる。


「アルビレオ様。今週入った、イデアからの到着分です。しばらくこちらへお目見えになられなかったため、今回は定数を大幅に超えております」

「ふん、マルクリウスのせいで色々と忙しかったのだ。これより選別を行う。適合者以外は急いで送り返しておけ」


 魔女の監獄、イデアの塔を任されている新入り司徒のアルブレヒトは、賄賂(わいろ)さえ渡しておけばマレフィカの横流しすらももみ消してくれる有り難い存在だ。ただ、彼はあの殺戮医師サンジェルマンの息子でもある。その父が実験に使うマレフィカもまた、彼が融通しているのだ。


(奴とはどうしても優秀なマレフィカの取り合いになる。何としても先に新たな聖女を見つけねばな……)


 エトランザは中央にそびえ立つ無機質な建物へと入り、その移動中、渡された書類を睨みながら部下達へと質問する。


「それで、今回最もアクシオンの数値が高かったのはどの娘だ?」

「はっ、このソフィア゠エリンという娘です。それどころか、むしろ今まで見たどの検体よりも高水準のアクシオンを検出しました。それは出力が安定している事も特筆すべきですが、何より変化に富み、あらゆる属性の特徴を兼ね備える、柔軟性に優れたマギアとも言えます」

「難しい。簡潔に言え」

「はっ、この世界に存在する七つの属性全ての現象を引き出す事のできる、精霊使い(エレメンタリスト)とでも呼称すべきでしょうか。非常に汎用性の高い能力です」


 それを聞いたエトランザは少しばかりの興奮を覚えた。もしかすると、あの光の聖女をも越える逸材かもしれない、と。


「ふむ……つまり、光を操る真似ごともできるということか?」

「はい。百聞は一見にしかず、まずはご覧入れましょう。おい、検体Fに対し異能覚醒手順(アクティベートプラン)Bだ。くれぐれも用量を間違えるな。今回はアルビレオ様の前だ、以前の失態は許されんぞ」

「はっ!」


 研究員とおぼしき男達がせわしなく駆け回る。エトランザは硬化ガラスに守られた一室で、実験用の白衣を身につけた少女達の横たわる部屋を眼下に眺めた。それはある人物の趣向が存分に発揮された閉鎖空間であり、決して趣味がいいと呼べる光景ではなかった。


「奴は、サンジェルマンはいないだろうな。あいつはどうも苦手だ」

「はい。博士は現在、視察のため外出中です。何でも、新大陸の技術を新たな研究に取り入れるとかで……」

「では、あの女はどうだ」

「副所長もまた、イデアへと視察中です。どうも急な用件が出来たらしく」

「それならいい。続けろ」


 下の部屋にて、少女達の中から銀色の髪をした少女が起こされる。彼女は少し怯えた顔で研究員の話を聞いていたが、何かに気づいたようにエトランザの方を見つめた。


「あれが……」


 決意じみた強い視線を感じる。それに気づいた研究員は失礼にあたると感じたのか、彼女は叱責されすぐに隣の部屋へと連れて行かれた。


(……ふむ。悔しいが、()いな)


 その娘は集められたマレフィカの中でも、特筆すべき器量の持ち主であった。これならばもしかすると、ほんのわずかでも教皇を惑わすことも可能かもしれない。エトランザは複雑な気持ちで視線を下ろし、実験の開始を待った。


「では、シークエンス開始。アクシオン検出実験CAHOSS、アクティベート」

「アクティベート。検体の脳波に軽微のストレス反応。続けます」

「ニュートラリーノ増大。基準値を超えました。警戒レベル、覚醒(ヴィジランス)

「来るか……」


 少女の座る椅子には様々な管が繋がれている。その一つへと真っ赤な液体が伝った時、彼女は明らかに異常な反応を示した。


「あああああ!」


 少女の叫びと共に、浮かび上がる幻像(スペクトル)。その姿もまた神話から舞い降りたかのように美しい青年で、器であるソフィアを助けようとしているのか髪を虹色に変化させながら様々な能力を放つ。


「わっ」


 エトランザはおもわず目をつぶった。炎、水、雷、風、地、そして光と闇、それらの元素が物質化し入れ替わり立ち替わりこちらへと襲いかかる。しかし実験室の壁はある特殊な素材で造られており、そのマギアすらも無効化していった。


「イデアの檻の力か……、この先はエトの力ですら遮られる。とりあえずここにいれば安全だな」

「高濃度のアクシオン、さらにスペクトル反応確認。警戒レベル、危険領域に突入。これにて実験を終了する。鎮静剤投与、急げ」


 研究員の指示により透明な液体が注入されると、少女はぐったりと気を失った。それと同時にスペクトルも消失する。


「アルビレオ様、これが彼女のマギアです。これでも恐らくカオスとの融合係数は初期段階、まだまだ数値を伸ばす事は可能です。よければもう一度ご覧になりますか? 連日の実験で消耗が酷く、パフォーマンスは落ちると思われますが」

「い、いや、それはいい。あの娘と少し、話してみたい」

「かしこまりました。それでは彼女が目覚め次第、面会室へ向かわせます。その間、他の検体でもご覧になられてお待ち下さい」


 続けて他八名ほどのマレフィカのマギアを見たエトランザ。入れ替わり上がる少女達の悲鳴に当てられ流石に気分が悪くなったのか、その日はそこで実験中止となった。


「ご苦労、もう十分だ……。今回見せてもらった分はこちらで引き取ろう」

「はっ、検体AからI、ロストチャイルドへ配属。手配はこちらで完了させておきます」

「任せたぞ。後はあの娘達をねぎらってやってくれ」


 そう言いつけ、エトランザは深いため息をついた。

 まだ未知なる部分が多い存在とはいえ、同胞である魔女をあそこまで弄ばれてはいい気分ではない。それもこれも、マレフィカ研究において多大な成果を上げ続けるサンジェルマンの独裁を止められない自分にも責任があるのだ。彼はついにセフィロティック・アドベントという、魔女すらも必要としなくなる悪魔の儀式を完成させた。そんな事などあり得ないが、この自分の力が何者かに奪われるなど考えただけでおぞましい。


(しかし、やはりこのままではまずい。ガーディアナ中枢において、魔女の持つ影響力は失われていくばかりだ。認めたくないが、聖女の存在はやはりそれだけ大きかったという事か……。いや、過ぎた事はどうでもいい。あとは、あの娘を魔女達の新たな希望とすればいいのだからな)


 次の聖女に据える魔女は彼女の中ですでに決まっていた。今回見た中でも、結局はソフィアのマギアを越えるものは現れなかったのだ。期待と願い。はやる気持ちを抑えるエトランザへと、ようやく研究員の声がかかる。


「お待たせいたしました。ソフィアの覚醒を確認し、面会室へと向かわせました。面会時間は五分。そこでの会話内容は録音させていただく決まりになっております。よろしいですね?」

「ああ、あの男に盗み聞きされるのは不快だが、仕方あるまい」


 案内された面会室の椅子には、聖女のものを模したドレスへと着替えたソフィアがすでに着席していた。彼女は臆する事もなく、仮面に隠れるエトランザの瞳を見つめている。


「実験、ご苦労だった。多少手荒な真似をした事はエトも心苦しく思っている。ソフィア、すまなかったな」

「ううん。いいの。慣れてるから。ねえ、私が聖女になれるって、本当?」


 微塵も敬意を感じない口調。しかしそれでいい。彼女はもう、自分と対等の存在なのだから。


「ああ、おそらく、教皇様も気に入って下さるだろう。しかしあの方の心は、どこにも在られない。お前には辛い役割を強いる事になるだろうが、やってくれるな」

「うん。私には、それしかないから。あんな暗い所で死んでいくよりは、大分マシ。私は光の中に立つ。そこで私を、私という存在を、全ての人に見せつけてやるの」


 その答えに満足したのか、エトランザは邪神の仮面を外し素顔を晒した。


「ククッ、お前とは上手くやれそうだ。私の名はエトランザ。闇深きイルミナの象徴にして、光輝くガーディアナの女帝。お前の背後にはこの私と、枢機卿マルクリウスが付く。今後、何一つ不自由のない暮らしを約束しよう」

「……顔、けっこうかわいいんだね」

「な、何っ!?」

「ふふっ、もちろん私には敵わないけど」


 ソフィアはその美しい顔を歪めて笑った。これからあの教皇とやり合うのだ。以前の聖女の虫酸の走るような行儀良さなどはエトランザとて求めていない。むしろ、これくらいの方が頼もしいとすら思えた。


「ふっ、化け狐め。その調子で新たな聖女にも上手く化けてくれよ。これからは、そうだな……虹……光の後に差す、虹の聖女とでも名乗るがいい」

「虹かあ。虹になれば、どこからでも見えるかな?」

「ああ、光は見上げるには眩しすぎる。お前は天に掛かる、ケバケバしい虹がお似合いだ。その光でせいぜい、この世を禍々しく彩飾(イルミネート)して見せろ。エトの選んだ、誇り高き魔女としてな」

「ふふっ、ふふふっ! 虹の聖女、ソフィアかあ……。あはっ、あはははっ!」


 狂気をはらんだ笑い声が室内に響いた。それは後にこの会話を聞いた者誰もが戦慄するであろう、聖女などと呼ぶにはかけ離れた者の産声であった。






 目的の聖女ソフィアを連れ、シークレットガーデンを後にするエトランザ。これから教皇へのお目通しという最大の難関が待ち受けている。さすがの心労続きに、彼女はロストチャイルドの中でも最も信頼できる者達を呼び寄せる事にした。


「アルビレオ様、お申し付け通りコキュートスの三名をお連れしました」

「ご苦労。またしばらく留守にする。コキュートス、お前達は私と共に来い」

「はっ、仰せのままに」


 部隊名を呼ばれ、影のようにエトランザへと付き従う三人の暗殺者。彼女達はどうやら、エトランザと同じ年頃の少女で構成された親衛隊のようだ。


「ふむ、仕上がりは上々のようだな。……ん、メアはまだ帰ってないのか?」

「は、はい。あの子はサンジェルマン博士と共にネオエデンへと行ったきりです」

「くそ、ずいぶんと気に入られてしまったな。あれはエトのものだと言うのに……」

「彼女は調整が終り次第、そちらへ向かわせます。博士もずいぶん入れ込んでいる様子、きっと最高の作品へと仕上がることでしょう」


 やや無粋な物言いをするイルミナの神官を一瞥し、エトランザは帰還のための転移ゲートを作りだした。


「ドルイド、後の事は任せたぞ。それからもしもの時のため、ケリュケイオンはいつでも動かせるようにしておけ」

「かしこまりました。それと本日配属した8人の部隊名ですが、いかがいたしましょう」

「うーん。8人なら、やはりオクトパス……いや、オクタヴィアだな!」

「くく、流石はアルビレオ様、今日もまた一段と冴えていらっしゃる」

「おい、今笑ったか?」

「めっそうもない。では、よい旅を」


(ふん、何がよい旅か。エトは死地へと向かう心地だ)


 ゲートを見て少し驚いているソフィアを連れ、意を決したエトランザは教皇の待つマグナアルクスへと帰還する。


「ソフィア、ここをくぐればガーディアナの中枢だ。覚悟はいいな」

「うん。あなたにも、最高の虹を見せてあげる。私はそのためにここまできたの」

「くくっ、結構。他の誰でもない、お前こそが真の聖女だ。行くぞ」

「そう、私は、本当の聖女……虹の聖女、ソフィア……」


 所詮(しょせん)は子供じみた企み。神にとっては児戯にも等しい結果に終わる決意だが、確かに二人の間には奇妙な友情が芽生えていた。このまま地の底から這い上がるか、再び絶望の淵に沈むか。運命を共にした二人の戦いは今始まるのであった。


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