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第66話 『明日へ』

 ガーディアナ大聖堂から数十キロは離れた地点で、マコト達三人は川の字になって倒れていた。

 これまで大陸を渡る気流に乗り順調に飛行していたアンジェだったが、やがて垂直に落ちる気流にぶつかり二人分の体重を支えることができずに墜落してしまったのだ。


「いたた……」


 見渡すとどうやら寂れた村の畑に落ちたらしく、敷かれた藁と柔らかい土がその身を守ってくれたようだ。遠くに見える立て札にはサンデヴェルデ共同農地と書かれている。


「私達、生きてる……」


 ソフィアがふいにつぶやいた。素直な感情だった。死の臭いの立ちこめる空間からの奇跡の生還。そして初めての命のやり取りを経験した実感に、マコトも今頃になって震えが襲ってくる。


「アンジェ、ここは……本当にお父さんが救った世界なの?」

「……そうですよ。そのおかげで魔族は消え、晴れて自由になった人間が、人間による人間のための世界を造ったんです。それ以上でも、それ以下でもなく、これがこの世界の現実です」

「そっか……」


 マコトの中の倫理観が否定されてゆく。救世主の功績は、このような形で人類へと偽りの平和をもたらしたのだ。自分も今回の行動については人助けのつもりではあったが、どう取り繕おうと新たに争いを生んでしまった事に変わりはない。間近に見た人間同士の争いに、マコトは自然と涙を流していた。


「うっ……うう……」

「泣かないで……」


 そんなマコトの頬を拭ったのは、意外にもソフィアであった。


「あなたが来てくれなかったら、私は死んでた。私にとってはそれが全て。……本当にありがとう」


 たった一つの感謝の言葉。それだけがマコトの戦果であった。しかしそれは、空虚な心の隙間を埋めるのに何よりも代え難い言葉でもあった。マコトは改めて、ソフィアの手を取り微笑んでみせた。


「うん……。私なんて何もできていないけど、そう言ってくれるだけで嬉しいよ」

「あなたは正しい。……そうだよ、全部、ぜんぶ間違ってる、こんな世界。だから、ブラッドさんみたいに、一度全部壊さなきゃいけないの」


 ソフィアは語気を強めた。それもそのはず、希望に満ちあふれていたはずの世界から処刑という形で自らを否定されたのだ。その恨みが反抗的な方向へ向かうのも当然かもしれない。マコトは、思わずその意見に同調してしまいそうな自分を押し込めた。


「聖女さん、この世界は確かに間違ってるかもしれない。でも、それに合わせちゃ駄目。やられたからってやり返すんじゃ、いつまでたっても争いは終わらないよ。だからね、それはここでおしまい。私達は私達のやり方でこの世界を変えていこう」


 マコトはまるで自分に言い聞かせるようにソフィアを(さと)す。そして、正しい道を示すべく模範的な行動を心がけなければならないと改めて強く誓った。ただその言葉は、まだ幼い彼女にはあまり響いてはいない様子だ。


「ふーん。あなたは恵まれてるんだね。私みたいな目に合った事なんてないんだ。いいなあ、みんなから愛されて。どうせ私の気持ちなんて分からないんだろうな」


 ソフィアは頬を膨らませ()ね始めた。そんな子供じみた無責任な発言を聞いたアンジェは、少し我慢が出来ずに口を開く。


「あなたは人間達の中でも特に人間臭いですね。何の間違いで聖女に選ばれたんです? あなたを見ていると、まるで……まるで……」


 ケンカを仕掛けるつもりでまくし立てるも、彼女は途中から何かを言い出すことが出来ずに黙り込んでしまった。


(まるで、アンジェみたい……)


 つまらないことでへそを曲げ、こちらを見てくれないからと言って相手から逃げ続ける。それは、未熟としか言いようがないそんな自分とどこか似ていた。


「何? 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」

「うー……うー!」


 アンジェはソフィアにつかみかかった。言葉で言い負かそうにも天使として汚染された言語を教育されてこなかったため、罵倒の言葉があまり思いつかずにパンクしてしまったのだ。


「いやっ、離して!」

「離しません、訂正してください!」

「やだあ! このっ」

「あいたっ、やりましたね!」


 二人はぺしぺしと猫のケンカのようなやりとりを繰り広げた。二人ともすっかり涙でぐしゃぐしゃである。


「……ごめんね」


 マコトは止めるでも叱るでもなく、そんな二人をただふわりと抱きしめた。


「気持ちを分かってあげられなくてごめんね。私には二人の気持ちまでは分からない。でも、分からないからこそ、思いやれるの。相手の事を考えて、喜んでくれる事をたくさんしてあげるの。そしたら、世界はきっと、もっと良くなると思わない?」

「マコト……」

「救世主さん……」


 アンジェもソフィアも、マコトの体と言葉から出る暖かい温もりを感じていた。一番やるせないのは彼女だろう。だというのに、そんな中でもまずは誰かに温もりを与えるのだ。二人はどうにもならない自分への苛立ちから、ひとしきりマコトの胸で泣いた。


「う、うええ、私、わたしっ……」

「マコトぉ、ごめんなさいぃ……」


 そんなか弱く、小さな存在を抱きしめながら、マコトの中に新たな強い決意が生まれる。


「あなた達の事は、私が絶対に守る。だから安心して。世界が見捨てても、私は絶対に見捨てたりしない。女神様や、ブラッドさん達とも約束したんだから」


 マコトは二人の手を取り、それぞれを握らせる。二人は互いに見つめ合うと、自然と笑顔がこぼれた。ささくれた心に、彼女の優しさが染み渡るかのようだった。


「よく見ると美人ですね、あなた」

「あなたは、まぬけな顔してる」

「うー……だったらこうですっ」

「はにするのほーっ」


 アンジェはソフィアのほっぺたを軽くつねった。ソフィアもまた、それをやり返す。


「ん……変な顔……」

「ぷっ、あははっ」


 二人はすでに笑っていた。それはせめてもの仲直りの印だろうか。確かに、こんな風に何でも言い合える関係は大事だ。そしてマコトもまた、自分とソフィアとの間にある壁を取り払いたいと思った。


「……うん」

「どうしたの? 救世主さん」

「あ、えっと。何か、二人の関係見てると、いいなって。だから、あなたも救世主さんって言うのはなしにしよ。私はマコト。呼び捨てでいいよ」

「じゃあ、あなたも聖女さんって言うのはやめて。私はソフィア、ソフィア゠エリン。もう、聖女でもなんでもないんだから」

「そっか、そうだね。よろしく、ソフィア」


 二人は照れくさそうに笑い合う。そのやりとりに嫉妬してか、またも強引に間に入るアンジェ。


「あ、ついでに、私はアンジェですよ。ありがたい名前なので毎日十回は唱えましょう」

「別に、あなたには聞いてないし」

「かわいくないですね、ほんと!」

「もうっ、ケンカしないの」


 穏やかな時が流れる。マコトはようやく一息つくと、土の付いた服を払いながら立ち上がった。


「そう言えば、お腹すいたね。胴着もボロボロだし、随分と汚れちゃった。どこかで着替えなきゃだけど……」

「マコトの荷物は私が持ってますよ。食べ物はもう残ってませんが」

「アンジェ、ほとんど一人で食べたでしょ、もう」

「食べ物、ないの? 私、お腹空いた」

「盛大に吐いてましたもんね。おええって」

「うるさい、うるさい!」


 相変わらず二人が騒がしくしている最中、村人らしき四人組がここに向かいやって来くるのが見えた。おそらくこの騒ぎを聞きつけ確認しに来たのだろう。怯えるソフィアは思わず口を塞ぐ。


「マコト、誰か来る……私達を捕まえに来たのかな……」

「でもこの村、きっとまだ式典での騒ぎは知らないはずだよ。せっかくだし、少しお世話になろうよ」

「ホントにいいんですか……? この国の人達を信用して」

「大丈夫大丈夫、人は信じなきゃ」


 マコトの言う通り、四人組の村人は誠実そうな気の良い青年達だった。少し緊張した彼女達へ向け、リーダー格の青年が心配そうな様子で話しかけてくる。


「あの、大丈夫ですか? ずいぶんお怪我をされているようですが」

「あっ、すみません、大事な畑に入ってしまって。えっと、実は私達、ある目的で旅をしていて、道も分からずここへと迷い込んでしまったんです」

「そうなんですか、それは大変でしたね。今日は聖女戴冠式が行われるとの事で、多くの方がここを通って行かれました。もしかして、あなた達も?」

「あ、はい! でも、もう終わっちゃったかも。残念だなぁ」


 マコトは白々しくとぼけて見せた。まさかその戴冠式から聖女ごとやって来たなどとは誰も思わないだろう。しかし、彼らこそそんな日に何をしているのだろうか。マコトは涌き上がった素直な疑問をぶつけた。


「でも、大事な式典なのに、そちらこそ行かなくてよかったんですか? ガーディアナの人ならみんな行くものだと……」

「ええ。実は、村の人達から行かない方がいいと止められているんです。私達はこの村に守ってもらっている立場なので」


 青年は少しばつが悪そうに語った。なんでも彼らは記憶を無くしていた所を村の人達に保護され、恩返しのためにここで暮らすようになったらしい。そのためこうして日夜ともなく働き、寂れていた村に少しでも活気を取り戻そうとしているというのだ。


「全員が記憶を……そんな事あるものなんですね」

「ええ、おそらく魔物にでも襲われ、運良く生き延びたのでしょう。村にも犠牲があったというのに、我々に良くしてくれた方々には感謝の言葉もありません」


 青年は、胸に受けたであろう傷に手を当てながら感慨深そうに話す。


「どうせ行く当てもありませんし、今度は私達がそういった人へと手を差し伸べられたらと今は考えています。偉そうに言う程の事ではありませんが……」

「そんな事ないです、感動しました! ね? 親切はするものだよ。アンジェ」

「そういうものでしょうか。まあ、アンジェは美味しいものが食べられればそれで良いんですけど」

「それなら、酒場に行ってみてはどうでしょうか。あそこもひどい被害にあったようですが、最近ようやく建て直し、営業を再開したんですよ」

「わー、酒場だって!」


 ようやく食べ物にありつけると浮かれたマコトだったが、すぐにある重大な事に気付いてしまった。


「あ、でも私達一文無しだ……ソフィア、あなたお金持ってる?」

「ううん。お金なんて、そもそも貰ってない……」

「そんなぁ。こんな事なら、ブラッドさんに借りておけば良かったな……持ってたかどうかは怪しいけど」

「大丈夫ですよ。あの酒場は、困っている方には無料で振る舞う事にしているんです。どうも先代の主人がそうしていたらしく、その慰霊のためだとかで」

「えっ、ほんとですか!」


 マコトとしても払えるものなら払いたいが、異世界のお金がどういうものか分からない以上、今はその好意に甘える事にした。


「それではごゆっくり。何かあればまたご連絡下さい」

「うう、ありがとうございます。きっとこれも、誰かの親切のおかげなんだね」

「早く入りましょう! この美味しそうな匂い、もう我慢できません!」


 青年達と別れ、マコト達は“ペアズ・ベッド”と書かれた酒場へと入った。そこでは人のよさげな中年の夫婦がせっせと切り盛りしており、挨拶と共に店のメニューを渡してくれた。それを眺めながら、珍しく元気にはしゃぐソフィア。


「ねえ、ここ、ポトフがおすすめなんだって。私、これ大好き。小さな頃、よくお爺ちゃんが作ってくれたの」

「へえー、異世界の料理って初めて食べるかも。どんな味かなあ。それじゃあ、それを三つで」

「アンジェもお腹ペコペコです。飛ぶのって結構エネルギーを使うんですよ。なので、二人はデザートを私に差し出して下さいね」

「ぜったいやだ」


 アンジェの提案で欲張りにもデザートまで注文し、三人は雑談を交えながら料理の到着を待つ事にした。


「そう言えばアンジェ、デザートで思い出したけどあれから虫歯どうなったの?」

「あ、すっかり忘れてました。あのバル何とかって人にぶつかった時、なんかスポーンって抜けたみたいです。でもアンジェまだ乳歯なので、きっとまた生えてくるでしょう」

「うーん、天使ってよくわかんない……」


 しばらくそんな話をしていると、ふと食欲をそそる匂いがテーブルに広がった。


「はい、あんた達、野菜たっぷりのポトフだよ。熱いから気をつけな」

「わあっ、いただきます!」


 勝ち気そうな女将さんから振る舞われたのは、ソーセージとごろごろ野菜のポトフ。その味は先代の主人の味を再現すべく、村の人々で試行錯誤したものらしい。何とも言えない優しい味が、三人の空きっ腹に染み渡った。


「「ごちそうさまでした!」」


 三人はあっという間に残らず平らげてみせた。食後に出てきた焼きプリンも、もちろんペロリである。


「なんだか、懐かしい味……」

「うんうん、すごく美味しかった!」

「いやー。一時はどうなるかと思いましたが、捨てる神あれば拾う神ありとはこの事ですね、ソフィア」

「アンジェしつこい。どうせ私は神に捨てられた方ですよーだ」

「いじけないの。拾ってくれた人もいたでしょ。あ、そう言えばブラッドさんに何か食べさせてあげるって約束してたきりだった! 今頃、お腹空いてないかな……」 

「そっか、ブラッド、さん……」


 激闘の中に置いてきたブラッドを心配し、自然と黙り込むマコト達。すると女将さんが皿を片付けながら、興味深げに話に入ってきた。


「あんた達、今ブラッドと言ったかい? ちょっと前にここを訪れた冒険者さんと同じ名前だけど、もしかして知り合いかい?」

「えっ、ブラッドさんもここに寄ったんですか!?」

「ええ、ええ、一宿一飯の恩とかで、随分と仕事を手伝ってくれたよ。この酒場の再建も、彼とあの若者達がいなきゃ何も手に着かなかった所さ。何より、おかしな事を言いに来たガーディアナ兵も追っ払ってくれたしね。ほんとに冒険者様々だよ」

「そうなんですね。ふふっ、ブラッドさんらしいや」


 やはり、親切は親切で返ってくる。思えば、彼との出会いから今に至る全てが、優しさで繋がっているような気がした。そんな彼の知り合いと知ってか、女将はさらにマコト達を気遣ってくれた。


「そういやアンタ達ずいぶん血だらけだが、魔物にでも襲われたのかい? 良かったら風呂で体を流すといい。今湧かすからさ」

「何から何までありがとうございます! そうだ、せめてものお礼に、私達に何かできる事はありませんか?」

「マコト、また余計な事……ぐむっ……」


 何か言いたげなアンジェを押さえつけ、マコトは元気よく腕まくりしてみせる。気をよくした女将は三人を見比べ、それぞれにできそうな仕事を見繕った。


「だったら、そっちの華奢な子は食器洗い、後の二人は風呂を沸かすための薪割りをお願いしようかしらね。ほらアンタ、この子達に場所教えてやんな」

「ああ。君達、ついてきなさい」

「ぐえー、せっかくゆっくりできると思ったのにー」

「ふふっ、二人とも、肉体労働がんばってね」


 早速外へ連れ出される二人に向け、ソフィアは憎たらしく笑ってみせた。ほら言わんこっちゃないと、アンジェはさも不服そうに愚痴を吐きだす。


「くー、またマコトのせいで巻き込まれたじゃないですか。でもこういう時、ソフィアみたいな美少女は得ですね。天界でも力仕事ばかり押しつけられて、あやうくムキムキになる所でしたよ」

「あなただって美少女じゃない。喋らなければ、だけど」

「えっ、アンジェ、かわいいんです? それとも、もしかしてマコトのタイプだったりして?」

「ばっ、バカな事言ってないでほら、仕事するよ」


 酒場の横に立てられた納屋にて、二人は玉切りされた山のような木材と向き合う。やる気まんまんのマコトは斧を片手に、早速テキパキと作業を始めた。


「よっ、と。あ、割れた! 初めてだけど、こんな感じでいいのかな」

「おお、いい調子だ。もう一人の君は、それを拾って外に並べておいてくれ。こうして、雨ざらしでしばらく乾燥させるんだ。不思議とその方が乾きが早いんだよ」

「はひー。なんか、こっちの方がしんどくないですか?」

「ふふっ、気のせい気のせい」


 しばらくしてある程度木材の山が片付くと、ひとまず休憩を取る事になった。激務を終えたアンジェはすっかり地面に突っ伏していたが、店の主人に振る舞われたジュースで見事復活したようだ。マコトもまた心地よい疲れと共に切り株に腰を下ろし、ブラッドが再建したという酒場を眺めた。


「へえー、立派な造りですね、さすがブラッドさん。そう言えば、ここって所々焼けたような跡が残ってますよね。もしかして火事があったんですか?」

「ああ、少し前にね。なんとも悲しい出来事だった。その時に先代の主人は亡くなってね。それで親しくさせてもらっていた私達が後を継ぐ事にしたんだよ。彼の生き様を、悲しい思い出のままにしたくはないからね」

「そうなんですね……。火事が起きたのって、さっきの人達も言ってた、魔物に襲われたっていう時なのかな」


 それを聞いた主人は、少しの間沈黙した。何か変な事でも言ったのだろうか。


「……ああ、彼らはそう言っていたのか。……そうだな。確かに、あの時に村を襲ったのは、彼らの中にいた魔物なのかもしれんな」

「え、それはどういう?」

「いや、何でもない。眠りについた凶暴な獣は、起こさぬほうがいいというだけさ。それより君、いい腕をしているな。ついでに残りの分もやっておいてもらおうか」

「まかせて下さい、こう見えて体力には自信があるので! ほら、アンジェ、もうひと頑張りだよ!」

「ひいー、だからアンジェまで巻き込まないで下さいよー!」






 その日は無事お手伝いを終え、三人はようやくお風呂をいただく事になった。ただその浴槽は少し狭く、三人で入るには少しぎゅうぎゅうである。


「ちょっと、アンジェがいると狭いー。ここ、絶対一人用でしょ」

「どうして私にだけ言うんですか。マコトだって大きくて邪魔でしょう、どこがとは言いませんが」

「はい、セクハラ。罰としてアンジェは出なさい」

「そ、そうです! こうしてマコトと向き合って入れば、胸の位置が凸凹になって丁度いいのでは?」

「それは息が苦しいからもういや。ほら、ソフィア、こっちおいで」

「うん……でも、向き合うの、恥ずかしいから」


 結局、その場はマコトがソフィアの背中を抱く形をとる事で落ち着いた。目の前で見るその美しい銀髪と白い肌に、さすがのマコトも見惚れるばかりである。だがその背中には、戴冠式による斜めに入った痛々しい傷が浮かんでいた。


「この傷、少し残っちゃったね……」

「アンジェのヒーリングでは全てを治す事はできません。……ごめんなさい、ソフィア」

「ううん、いいよ。私からは傷は見えないし。このくらいで、私は醜くなんてならないもん」

「それはそれで、すごい自信ですね……」


 確かに、彼女は美しい。マコトはそっと、その背中に指を這わせてみた。


「ひゃん!」

「あっ、ごめん! あれ……私、急にどうしちゃったんだろ」

「マコト、触りたいの? だったら、いいよ」


 ソフィアは斜めに切られた後ろ髪を前へとまとめ、その背中を大胆に晒す。女でも思わずどきっとする仕草に、マコトは動揺を隠しつつ涌き上がる感情を否定した。


「ち、違うってば。ただその、綺麗なものって触りたくなるっていうか……」

「マコト、優等生の振りして結構大胆ですからね。ソフィアもせいぜい気を付ける事です」

「ふふっ、気を付けまーす」

「別に、何もないんだって。もう……」


 こびりついた血は、すでに水と共に流れた。けれど、血を流した感覚までは消えない。マコトは今日の死闘を思い返し、心地よさに緩みそうな気を改めて引き締めた。


「ふう……これから、がんばらなきゃな……」

「あの、アンジェ、そろそろ入っても? 湯冷めしてしまいそうです」

「あ、そうだね、代わろっか」

「やっほーい!」


 確かにこのまま考え事をしていたら湯に当たりそうだ。マコトと入れ替わりにザッパーンと飛び込んだアンジェに向け、頭から水を被ったソフィアの罵声が響く。やれやれと浴室を出たマコトは、それまで着ていたボロボロの胴着をしまうと、用意していた替えの服に袖を通した。


「うん、こっちも悪くないかな」


 それはいつも着慣れた、自分にとってもう一つの戦闘服。古めかしい救世主の具足との組み合わせも意外にアリだ。仕上げに身だしなみを整え、くせの強い髪をとかしていると、真っ赤になった二人もお風呂から上がってきた。


「あついー……我慢比べなんかするんじゃなかった……」

「まったく、ソフィアが言い出したんでしょう。あれ? マコト、何ですその服。ちょっと寒そうですね」


 アンジェは見慣れないトリコロールカラーのマコトを不思議そうに見つめた。


「仕方ないよ、替えがないんだし。これはセーラー服って言って、私の通ってる学校の制服だよ」

「がっこう、ですか……。どんな所ですか? マコトのがっこうって」

「ん? まあ、それなりに大変だけど、楽しい所だよ。あそこには友達がいるからね」

「ともだち……」

「どうしたの? ほら、湯冷めするよ。早く着替えよ」


 綺麗になった三人は、お世話になった夫婦の元へとお礼に向かった。夫婦二人はすっかり娘でも見るような顔つきである。


「ありがとうございました、とってもいいお湯でした」

「あら、どういたしまして。良かったら今日は泊まっていくといいわ。部屋も余ってるし」

「いえ、せっかくのご厚意ですが、私たち先を急いでいるので……」

「そう、それは残念ねえ。だったら何か、道中で食べられるものを持って行きなさい。ほら、あんたもいくらか持たせてやりな」

「そうだな。ちょっと少ないが、薪割りのお駄賃だと思って取っておきなさい」

「ありがとうございますっ! このご恩は絶対に忘れません……!」


 あまり長居すると別れが辛くなると、マコトはそのまま外へと向かう。そして酒場の入り口で振り返り、大きな声で別れを告げた。


「おじさん、おばさん、それじゃ行ってきます。ほら、二人もお礼!」

「まあ、いいお店ですね。星三つと言った所でしょうか。いつか天界にも広めてあげましょう」

「あの、ありがとう……ポトフ、美味しかった」


 マコトは何度も頭を下げ、二人と共に酒場を後にした。

 その後、急に静かになった酒場にて、主人はずっと気になっていた事をつぶやく。


「なあ、あの子、どこかで見た覚えがないか? あの綺麗な銀髪の方の子なんだが……」

「どうだろうねえ、そんな気もするけど。名前、聞いておけばよかったねえ」

「ふむ……まあ、ここには事情を知られたくない者もよく訪れるからな。告げ口が招いた、あの兵士達による惨劇も記憶に新しい。おそらく彼女達も……いや、今は忘れる事にしよう」

「ああ、私らにできる事は、何もかもを忘れる事くらいさ。共にあるのは、イルミナという教えだけでいい……」


 そう言って、夫婦はしばらく黙り込んだ。そしてただ静かに、新たな旅に出る彼女達を窓から見送るのだった。






「ふー、人間にも案外、親切な個体はいるんですね。アンジェとしては絶品スイーツをチャージできたので、これでまたしばらく飛べそうです」

「ほんと、助かったね。それじゃ、ガーディアナに追われない内に行こっか」

「あ、マコト、あれ見て。綺麗なお花……」

「ソフィア、どうしたの? ああ、お墓があるんだね。お世話になったお礼に、ちょっとお参りしていこうか」


 酒場を出ると、すぐ近くに色とりどりの花が供えられた小さな共同墓地が見えた。ソフィアは花に興味があるようで、彼女の心が落ち着くのならとマコト達も見物に付き添う事にした。


「わあ、クリサンセマムだ。こっちはカサブランカ。どれもすごく手入れされてる……」

「クリサン……菊の事かな? とりあえず拝んでおこっか。えーと、ボアズ・ヘッド主人、ビアド゠クレイディア、ここに眠る。……そっか、この人が、火事で亡くなったっていう……」

「え、ビアド、おじいちゃん……? うそ、ここって……」

「ソフィア? どうしたの?」


 ソフィアは慌てて周りを見渡した。そしてすぐに、その綺麗な顔を青ざめさせる。


「……ここ……私が小さな頃住んでた所だ。……街に出てから、ずいぶん帰ってなかったけど……そんな、うそだ、嘘だよ……」


 すっかり様変わりした酒場の所々に、ソフィアは確かに幼き日の面影を見た。クレイディアという姓は母方のものであり、ビアドという名はいつも優しかったお爺ちゃんのものである。

 サンデヴェルデ。自分が生まれ育ったこの場所は、世界が平和であった頃の色褪せた思い出の中にずっと閉まわれた風景であった。言葉を失ったソフィアは、その隣にある墓からも同じように知った名を見つけてしまう。


「ミリアム゠エリン……それにアイザック゠エリン……これって……!」

「ソフィア……確か、あなたも、エリンって……」

「そんな、そんなっ!」


 事実を受け入れられず、取り乱すソフィア。墓石に刻まれたそれらの享年は、自分が教会に捕らえられた年と同じ。まるでそれは、愛しい娘の後を追うかのように仲睦まじく並んでいた。


「うああああっ!」


 今まで、あえて考えないようにしていた事実に直面し、ソフィアは泣き叫んだ。それはマコトにも思い当たる節がある。この絶望の深さ、おそらくこれらの名は彼女の……。


「マコト……私、どうしたらいいの……? おじいちゃん……それに、パパも……ママも、もう、死んじゃってた。私、ずっと売られたんだと思ってた。だって、教会に捕まったのに一度も会いに来てもくれないし……だから聖女になって有名になれば、きっといつか会いに来てくれると思った。でも、でも……」

「ソフィア……」


 ソフィアはマコトの胸の中で泣いた。彼女はずっと、叶うことのない望みだけを頼りに、浅ましくともこうして生きてきたのである。ただ、この瞬間、その全ては失われた。マコトはその儚い体を壊してしまわぬようぎゅっと抱きしめ、深い悲しみを共有しようとした。


「いない……私には、もう。誰も、いない……いなくなっちゃったんだ……」

「ソフィア……あの……」


 こればかりはさすがのアンジェも、何も良い言葉が出て来ずにいた。けれど、どうしても言いたい事がある。相手にはどう思われているかは分からない。でも、自分だけは絶対にそうだと言い切れる事。ただ、それだけを伝えたかった。


「ソフィアにはまだ、アンジェが、いますよ?」


 その言葉に、ソフィアは思わずこちらを振り向いた。激昂されると思い、ぎゅっと目をつぶったアンジェは、その次の瞬間、吹けば飛ぶような小さな体を全身に受け止めていた。


「うわああん! アンジェ、アンジェええ」

「あ、う……」


 彼女がなぜこんなに悲しんでいるのかは分からない。けれど、少しでもそれを理解しようとする。これが“ともだち”というものなのかもしれない。


「そうだよ。あなたには私もいる。言ったでしょ? 絶対にあなたを見捨てたりしないって。人にはいつか別れはやって来るけど、私達とあなたが繋がった事、それはいつまでも変わらないよ」


 マコトはいつも、不思議と今必要な言葉をくれる。誰かの事をまるで自分の事のように考え、寄り添ってくれるからだろうか。その言葉を聞いたアンジェもまた、その誰かのために涙を流していた。


「生きようよ。みんなの分まで。私も、小さい頃にお母さんを亡くして悲しかったけど、だからこそ生きなきゃって思えるの。命って、繋いでいけるんだよ。だから、一緒に歩いて行こ? きっと、お父さん達もそれを望んでいるよ」

「うん……うん……」

「ほら、最後に笑顔でお別れ。みんなどこかで見てくれているから、心配させちゃだめ」

「うん……わかった……」


 ソフィアはその震える背中をこちらへと向け、大好きだった両親と祖父に別れを告げた。


「ぐす……マコト、どんな時でも笑うのって、難しいものですね。そんな事を夢だって言えるのは、あなたくらいのものです」

「泣いてもいいんだよ。でも、絶対にそのままでいちゃいけない。笑顔は、心が帰る場所。だから、私はそこへ連れて帰る。私にできるのは、それだけだから」

「ふふ。ほんと、強引な人です……」


 アンジェは、そう言って笑ってくれた。振り向いたソフィアも、涙を一杯にためながら、はにかんでみせた。


 これからはガーディアナに追われる立場となり、頼りのブラッドもいない。押し寄せる不安を二人の笑顔でどうにかねじ伏せ、マコトはその胸に希望を抱く。そして沸き上がる救世の力に、父の姿を思い浮かべた。


「じゃあ、いこっか」


 この想いがやがて人々にたくさんの笑顔をもたらすはずだと信じて、マコトは大切な仲間達と共に救世の道への一歩を踏み出すのであった。


―次回予告―

 二つの物語は、新たな扉をひらく。

 ロザリーへと届くのは、偽りの愛か、真実の愛か。

 誓いの言葉は、姫百合の花と共に。


 第67話「告白」

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