第63話 『虹の聖女』
聖女戴冠式当日。ガーディアナ大聖堂前には、司徒バルホーク率いる正規軍の兵がずらりと整列していた。今回の式における一切を任されたバルホークは、それらの前を歩きながらいつにもまして鋭い眼光を彼らに向ける。
「聞け! 今日、この日こそがガーディアナ再誕の時。聖女ガーディアナという偶像を永遠のものとし、我々の確固たる信仰を教皇様へと見せ付けるのだ!」
兵士達は足並みを揃え、一斉に力強く地を踏みしめた。千にも及ぶ鋼鉄の軍靴が轟き、決意となって鳴り響く。
大聖堂は門前に広場を構えており、そこにはすでに数万もの人々が群れを成し訪れていた。大声で異議を訴えかける者や、しめしめと嘆く者、終いには乱闘を起こす者など、半ば混乱状態にあった人々も、その轟音を前にして途端に静まりかえっていた。さらに絶対的な威を振るうため、バルホークは民衆へと向き直り高らかに叫ぶ。
「よいか! 十二の時を刻む聖堂の鐘が鳴る時、ここに新たな歴史が幕を開ける。お前達の父であり、母であるガーディアナを信じよ! そして奇跡を見届けよ! 我々はいつまでも諸君等と共にあるのだから!」
その毅然とした声に、数万の民衆は思わず祈りを捧げた。そして、ガーディアナ第四司徒の言葉に偽りなどあるはずもないと、皆一様に固唾をのんでその時を待った。
ただの一声で事態を沈静化させ、聖女ソフィアを迎えるべく大聖堂へと戻るバルホーク。するとその前に、一人の小間使いの少女が歩み寄った。
「失礼します、バルホーク様。大変申し上げにくいのですが、イリス・ガーディアナ様のお体がどうやら優れないご様子です。いかがいたしましょう」
「何だと? いや、その前に貴様、見ない顔だな。どこの所属だ」
「はい、訳あってソフィア様の下で働かせて頂いている者です。ですが私の事などはいいのです。問題はソフィア様。この大役を前に、食事も喉を通らぬ様子で。それで、使用人一同どうしたらよいかと……」
バルホークはいぶかしげな顔でその少女を見た。十の頃くらいか、背も低く、ずいぶんとやせ細っている。髪もツヤが無くボサボサで、栄養状態も疑わしいほどだ。
「関係ない、一切滞りなく進める。しかし、お前の様な娘まで働かされているのだな。出自は孤児か?」
「はい。疫病に追われ親を亡くし、不吉だと施設にも捨てられた私を、ガーディアナが、いえ、教皇様が拾って下さいました。みすぼらしいこんな体ですが、命に代えても信仰を貫こうとその時に誓ったのです」
少女の話を聞くバルホークの表情は、意外にも険の取れたやさしいものであった。
「そうか、子は宝だ。その信仰、神はきっと見て下さっているだろう。いつか、報われる日が来る。これからも敬神に励むが良い」
「ああ、勿体ないお言葉……」
ボサボサの頭を下げ跪くと、少女は横目で広場にいる群衆を確認する。そこには見知った顔がいくつもあった。すでに邪教徒の配置は済んでいるようだ。
「しかし、やけに弁が立つな。まともな教育も受けていないのだろうに」
鷹の目に見据えられ、少女に冷や汗が流れる。立ち上がった彼女は自然な笑みを作り、咄嗟に思いついた限りの言葉を返した。
「これもひとえにマルクリウス様の教えの賜物です。司徒様の手前、万が一にも粗相があってはいけないと教えられました。聖典派の掲げる聖女ソフィア様を後押しするため、このように私達一同はより厳しい教育を施されたのです」
「ほう、マルクリウス殿は政治的な見識の違いはあれど、尊敬できるお方だ。いい師を持ったな」
ガーディアナの政治を司る、第二司徒マルクリウス。彼はあらゆる学問に精通し、また多くの弟子を持つ傑物である。バルホークは少女の頭をくしゃくしゃと撫で、そのまま大聖堂内部へと向かった。少女はゆっくりと息を整え、その後を少し離れ付き従う。
(噂ほどの冷酷さは感じないが、時折見せる威圧感はさすが司徒……。邪教の尖兵として暗躍している事がバレたら命は無いな)
使用人に成りすました暗殺者メリルは、心の声と共に大きなため息をつく。とりあえず一つ目の狙いは成功した。これでバルホークに怪しまれずに、式典の最中もソフィアのそばへと身を置くことができるだろう。
(次は、いかに奴の弱みにつけ込むか……だが)
メリルはあらゆる司徒の情報を集め、その弱点や傾向を調べ上げていた。
中でも彼、バルホークは女性を特に毛嫌いするものの、打って変わって子供には寛容である。これは七年前に、まだ幼かった妹をある事件で亡くしているためとあった。その原因とされるのが彼の母親である。
彼の妹はマレフィカであったらしく、魔女狩りの狂気の時代の中、名門貴族の名を汚す不名誉に気がおかしくなった母は、娘と共に無理心中をはかった。その方法は焼身自殺。焼け焦げた母の亡骸と、虫の息で倒れる妹の姿を目の当たりにし、バルホークはその絶望から極度の女性不信となる。
そんな彼と妹を救ったのは、皮肉にも魔女狩りによって母を追い詰めたガーディアナであった。兄妹の悲痛な願いを聞き届けた教皇によって、バルホークはセフィロティック・アドベントの最初の対象となったのだ。その儀式により、妹の魂は死の淵で救われ今は彼と共にある。奇跡としか呼べないその力を目の当たりにし、バルホークは誰よりも教皇に心酔するようになった。
さらに失った妹と聖女は偶然にも年が同じであり、彼にとって聖女とは常にその成長を見守ってきた、妹同然の存在でもある。そんな彼が、そうそう第二の聖女など認めるわけがないのだ。
彼を一言で表すなら、剣の天才。その細身の剣にて華麗に戦うガーディアナ流剣術を二刀で使いこなし、争いとは無縁の御曹司から正規軍を率いるまでの司徒にまで上り詰めたほどの逸材である。教皇の寵愛を受けるのも当然だろう。
ソフィアの処刑をそんな彼自らが行う場合、メリルとしても阻止することは難しい。しかし、その性格の甘さを利用する事さえできれば望みはあった。こういった手合いを騙し通すのは、彼女達にとってはさして難しい事ではない。
(そう、ソフィアも奴の妹とは同年代、ならば勝機はある。シェリル……頼んだぞ)
メリルは準備が整ったであろうソフィアを先に迎えるべく、足早にバルホークの前を歩いた。そしておそるおそる彼女の控える寝室の扉を叩くと、しんと静まりかえった空気と、ソフィアであろう落ち着いた声が出迎えた。安心したメリルは、ゆっくりと扉を開く。
「イリス・ガーディアナ様、入ります。司徒バルホーク様がお目見えになりました」
シェリルの仕事か、部屋は先程とは打って変わって綺麗に片付いている。そこら中に散乱した鏡も聖女の肖像画も元通りとなっており、豪奢な椅子にただ座るソフィアがこちらを見つめていた。その身体に纏うのは前聖女とはまた趣が違う、邪教の用意した儀式用のドレスである。
「イリス・ガーディアナ様。このバルホーク、教皇様の命により、ただいまお迎えに上がりました」
バルホークの呼びかけに対し、優雅に微笑み返すソフィア。
「お待ちしていました。さあ、まいりましょう……」
まるで人が変わったかのように上品に振る舞うソフィアに、バルホークは面を食らった。
「教皇様いわく、救いようのない程愚かな娘だという事であったが……」
ソフィアは小首をかしげ、凛とした態度を崩さない。
「あなたがガーディアナ一の剣士と名高いバルホークですね。しかしここの所、ご苦労が続いている様子。あなたはガーディアナの剣。お一人の身体ではないのです。どうか、ご自分を労ってくださいませ」
「は……痛み入ります!」
バルホークは思わず頭を下げてしまった。すでに処刑の話は伝わっているはず。恐怖に震え、泣き叫んでもおかしくはない状況に、我が身の配慮まで心遣う落ち着きぶり。バルホークはその慈愛に満ちた振る舞いに、聖女としての品格を感じずにはいられなかった。そして教皇は前聖女を愛するあまり、彼女を色眼鏡で見ていたのではないかという疑惑すら持つに至る。
「しかし、気分が優れないと使用人から聞き入れましたが……」
「それは、そうです。ですが、私は聖女なのです。民の為ならば、進んで火中へも飛び込んでみせましょう」
(ふ、術は完璧のようだ。さらにバルホークの前で自ら火に入ると表現させるか。さすがはシェリルだな)
シェリルは幻惑魔法や呪術を使い、危険な矢面に立ち暗殺を実行する姉をサポートする。それによりソフィアは今まさに催眠状態にあり、シェリルのなすがままに動いていた。しばらくその効果は続くであろうが、もしソフィアの意識が術に打ち勝った場合、たちまち恐怖から我を忘れ、全ては終わるだろう。それまでにバルホークを抱え込む事ができれば、後はこちらのものである。
「では、式典へと向かう前に、イリス・ガーディアナ様、中庭での最後のお勤めを……」
「ええ。バルホーク、少しお時間をよろしいですか?」
ソフィアは潤んだ瞳でバルホークを見上げる。その姿はあまりに美しく、前聖女よりも神々しいとすら感じた。
「は、時間はまだありますので……」
「ありがとう」
最後ぐらいは好きにさせようと言う計らいであった。思えば年端のいかぬ少女である。彼女もまた理不尽な大人の政治に利用されているだけなのだと、バルホークにも多少同情の念がよぎったのだ。
ソフィアは言われるまま中庭へと出向く。そこには色鮮やかな花々が植えられており、どれもが美しく育っている。ソフィアは慣れた手つきでそれらを撫でながら、愛おしそうに別れを告げた。
「この一面の花畑は、あの方が全て育てられたのです。毎日毎日、土にまみれ、声を掛け、あらゆるものを与え、今ではすくすくと花を開きました。花は育てた者の心を映すといいます。どうです、まるであの方の御心のように綺麗でしょう」
メリルは涙声でバルホークへと訴えかけた。年相応の少女の顔で花と戯れるソフィアを、二人はじっと見つめる。
「ああ……そうだな……」
その様子を眺めながら、バルホークは妹の事を思い返していた。何よりも花が好きな子で、よく手伝いをせがまれては一緒に苗を植えた事を思い出す。バルホークは妹の死後もそれを一人で世話し、結果として美しい大輪の花を咲かせた。それをいつも一人、溢れる涙を拭うこともなく眺めていたのだった。
(あと一押しか……)
次にソフィアは地面に手をかざす。すると、何も植えられていなかった場所が隆起し、土が中からひっくり返される。さらに掌を前面に向けると、どこからか水の塊が現われた。それを弾くように手を払うと、吹き上げた風が水球を上空へ運び、やがて雨のように植物全てへと降り注いだ。恵みの雨を受け、しっとりと濡れた土からは競うように新芽が芽吹き始める。
「今までありがとう、これが私にできる最後のお礼だよ」
その言葉と共に、ソフィアから光が放たれる。新芽は光を浴び、成長しながらゆっくりとつぼみをつける。眩しい光が収まる頃、そのつぼみはなんと花を咲かせていた。そして雨上がりの花畑一面に七色の虹がかかる。振り返るソフィアの背後に広がる奇跡の光景に、バルホークは息をのんだ。
「なんという……これが虹の聖女たる所以か」
不覚にも、鷹の目からは涙が流れていた。綺麗な思い出の中の妹が、ソフィアの姿と重なったのだ。
「花を愛する、心優しいソフィア様の運命は全てバルホーク様が握っておられます。どうか、その最期は出来るだけ苦しまずに……」
「ああ、皆まで言わずとも心得ているつもりだ。教皇様の命といえど、私にはあの子を手に掛ける事など出来ない……」
「大丈夫です。そのような野蛮な行為、本来であれば処刑人の仕事。彼ならば、痛みを感じさせずに事を終えられるはずです」
「そうか……そうだな。真実を話せば、教皇様もきっと赦してくださるであろう……」
メリルは歪にほくそ笑んだ。
ソフィアが実際にこうやって、毎日花の世話をしていた事はエトランザから聞いていた。あの激情の化身である女帝ですら、その光景には心を奪われたという。それを子供のように話す姿に、シェリルと二人、隠れて笑ったものだ。
またソフィアもガーディアナに捕まるまでは故郷にて花売りをしていたらしく、本当に心清らかな少女であったらしい。何が彼女をここまで変えてしまったのか、メリルにはおおよその見当がついた。そして、彼女もガーディアナによって運命をねじ曲げられた、自分達と同じ存在だという事を認識した時、冷徹なメリルの心にもはっきりと彼女を救いたいという感情が芽生えたのである。
「お待たせ……いたしました。では、まいりましょ……う」
ソフィアは二人に向かい歩き出した。その左目にはうっすらと涙が流れている。どこかぎこちなく歩くソフィアを隠すように、メリルはバルホークを先導する。
(まずい、半身が意識を取り戻し始めている。花を見て心が揺らいだか……?)
どこかにいるはずのシェリルにそれを伝えなければならないが、今は身動きが取れない。メリルは運を天にまかせ、処刑台の待つ式場へと向かうのだった。
―次回予告―
誰にも流されない、自分だけの決断。
救世主としてではなく、人としてすべき行い。
それはただ、たった一つの笑顔を守る事。
第64話「聖女戴冠式(前編)」