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第61話 『救い』

 数奇な運命からガーディアナ首都へと降り立ち、街外れの森で一夜を過ごしたマコト達。彼女達はそこで意気投合したレジェンド、ブラッドに朝早く起こされ、この国を脱出するべく足早に街へと続く道を歩いていた。


「ふあーあ、昨日はやっぱりよく眠れなかったや……。もっとお父さんとキャンプとか行って、野宿にも慣れておけばよかったな」

「アンジェも何か変です。起きてからというもの、ずっと歯がズキズキして……」


 いつも能天気なはずの彼女は、先程からこの世の終りのような顔で顎を押さえている。


「あ、それ、甘い物食べてすぐ寝たから、虫歯になったのかも」

「えっ!? まさかこの私が? またまた、冗談は魔王だけにしてくださいよ」

「何なのよその根拠のない自信は。はい、虫歯にならないガムあげるから、これ噛んでなさい」


 アンジェは頬を抑えながらガムを放り込む。地上へ来てたった一日で虫歯になってしまうというのも不思議だが、アンジェのいた天界はある意味無菌室のようなものであり、そこから出たばかりの天使は細菌への抵抗力が無いに等しいのだ。


「んぐんぐ……あいたっ! やっぱり、奥歯が悪魔の巣窟になってます! どどど、どうしましょう!?」

「どうするって、歯医者さん探すしか……。誰か、歯医者さん、歯医者さんはいませんかー!」


 初めての出来事にひどくうろたえるアンジェ達。前を行くブラッドは、いつまでも観光気分が抜けない二人へと振り向き、気だるそうに注意した。


「朝から騒がしい奴らだな。奴らに見つかったらどうする、少し黙っていろ」

「だって、痛いんですよう! 天使は人間なんかよりもデリケートなんですっ!」

「だったらそんなもん、俺が引っこ抜いてやるよ。このままじゃうるさくてかなわん」

「恐ろしい事を言いますね! あなたは何事も血を見なければ気が済まないんです? ほんと名前通りの人ですね」

「ああ? 俺の子なんて泣きもしなかったぞ。まあ、あいつはあいつでどっかおかしいんだがな。ほら、ちょっとの辛抱だ、口開けろ」


 そう言うとブラッドは強引にアンジェの頭を掴み、その顔面ほどもある大きさの拳を口の中にねじ込もうとする。


「やめてください! そんな太くておっきなの、入るわけないじゃないですか!」

「先っちょだけ、ちょっと指を入れるだけだ、我慢しろ!」

「そんな事言って、アンジェに欲情したんでしょう。あわよくば、どさくさに紛れて私の初めてを奪うつもりなんです!」

「どっから来るんだその自信は! そもそも俺は子持ちだ!」

「そんなの関係ありません。人間は不倫というものが大好きだって、女神様が言ってました!」


 言葉だけ聞くと白昼(朝?)堂々ただ事ではない彼らのやり取りに、人々の目も一気にそこへと集まる。


「ねえ、あの男、無理矢理女の子に襲いかかってるわよ」

「もしかして誘拐犯かしら、黒ずくめで見るからに怪しい男ねえ」

「なんだか怖いわ。通報しましょうよ」


 その風貌も手伝ってか、ブラッドはすっかり不審者扱いである。一応、自分達が逃亡の身である事は言うまでもない。


「あの、違うんです! この人はちょっとのぞき魔で、女の子に間接キスさせようとしたり乳繰り合いたがってるだけで、別に怪しい人では……!」

「くそっ! マコト、余計な事を言うな! ここから離れるぞ!」

「あっ、一人で行かないで下さいよー。行く時は一緒って決めたじゃないですかっ!」

「お前はお前で声がでかい! 俺はもう知らん!」

「どうして怒ってるんですか? ブラッドさーん!」


 顔を真っ赤にしてその場から逃げ出すブラッド。残された二人はとりあえず周囲の誤解だけ解き、その後を追いかけるのであった。






 警備兵の目をかいくぐり、三人はどうにか街の周辺部へと辿り着いた。とりあえずここを抜ければ、後は人目のない道を行けるはずだ。

 幸い今日はガーディアナ大聖堂にて聖女戴冠式という催しが行われるとあり、道行く人々はこちらに興味もない様子で、どこか暗い顔で大聖堂への道を進んでいく。さらには、あちらこちらで第二の聖女に反対する抗議デモも盛んに行われていた。それは口汚く新聖女を(ののし)る内容であったり、前聖女を過剰なまでに賛美する内容であったり様々だ。


「それにしても、第二の聖女っていうのはずいぶんと嫌われていますねー」

「と言うよりも、前聖女への崇拝が異常なだけだろう。よく分からんが、こいつらにとっては神に等しい存在らしいからな」

「うん。今日から信仰する対象を変えてくださいって、私の世界でもけっこう難しい話だと思うよ」

「そういえば、昨日の奴も確かそんな事を言っていたな……」


 ブラッドはバルホークの言葉を思い返す。司徒ですら自らその手にかける事を望んでいた第二の聖女。そんな、誰からも望まれぬ偶像に対しては同情の念すら禁じ得ない。


「これだけの反対ムードで強引に式を行って、人々の支持が得られないとどうなるんだろう」

「気になるか?」

「は、はい」


 その口ぶりから、マコトに暗い予感がよぎる。この世界は自分の来た世界ほど甘くはないのだ。


「おそらく、聖女の職から失脚するだけなら良い方だろう。最悪この民衆の熱気を見るに、聖女の名を語る魔女という烙印まで押され、都合良く処刑されてしまうかもな」

「酷いよ、そんなの……!」

「ああ、聖女の旗の下、一つになった奴らは段違いに厄介だ。魔女狩り全盛の時代はもっと酷かった。どこを見ても密告者ばかり。年頃の女児を持つ一家は、逃げるように毎日ローランドへと駆け込んできた程だ」

「良くも悪くもそれが人間です。原始の時代の名残でしょうが、見えている範囲があまりにも狭いのです。もし自分が当事者でなかったら、その人達も平気で石を投げていた事でしょう。降りかかる火の粉は、誰だって払わねばなりませんから」


 アンジェの言い分はどこか人間を見下している様ですらあった。そう言われても仕方ないという事くらいはマコトも理解している。だが、人様(ひとさま)の有りようなど自分にはどうする事もできない。だからこそ腹も立った。


「時には、見えていても、見て見ぬ振りしなきゃなんだよね……」

「ああ、そうだな。これは俺達には関係のない事だ」


 ブラッドの頼もしいその背中は、ずんずんと人波をかき分けて進んでいく。

 マコトははぐれないようにその後を追った。そして、道行く人々の表情を見つめながら考える。誰もがまるで抜け殻のようであった。自分の幸せを人に委ね、自ら探そうともせず、与えられたものが気に入らなければ排除する。傲慢かもしれないが、そんな大きな子供のような人々に憤りを覚えた。


 やがてマコトの中の葛藤は次第に大きくなり、ついにその足を止めるに至った。


「うん、決めた」

「どうしました?」

「私、救世主なんだよね?」

「はい、そうですが……」


 当たり前の事を言い出すマコトに、アンジェも生返事を返すだけである。しかし、マコトは目を輝かせて続けた。


「私、第二の聖女さんを、助けようと思う!」

「はい? 本気ですか?」


 さすがにそれにはブラッドも立ち止まり、マコトの言葉に耳を傾ける。


「私、何かの選択に迫られた時は、困難な方を選びたいの。一度しかない人生、自分が苦労して、誰かが喜ぶのならそっちの方がいい」


 アンジェははっとした。人間の中にはたまに損得を考えない変人がいる。しかし、そういう個体は得てしていつも理不尽な業を背負い、歴史の闇へと消えていくのだ。


「マコト、もしかして、バカですか?」

「バカでいいの! この人達みたいに、私まで一緒になって石を投げたいとは思わないだけ」


 第二の聖女を擁護し、まるで自分達を批判するかのようなマコトの発言に民衆はざわめきだす。さすがにどこに密告者がいるか分からない状況でこれはまずいと、ブラッドはマコトの手を取り走り出した。


「あっ、ちょっと!」

「アンジェ、お前も来い!」

「ひいー」


 しばらく走り、路地裏へと逃げ込んだブラッドは後ろを振り返る。幸い、誰も追う者はいなかった。


「大声で何言ってんだ、アホ! まだ街は抜けてないんだぞ!」

「だって! ブラッドさんがいきなり処刑とか言うから!」

「それは……悪かったな。ちっ、お前がリョウの娘だって事、すっかり忘れてたぜ」


 平謝りするブラッド。リョウの時もそうだったが、救世主という人種は人助けの事となると話をどんどんややこしくする。おかげで最終的に救世主に同行する仲間の数は膨れあがっていった。しかし、自分もその一人であった事もまた隠しようのない事実だ。

 ただ、今はあの時とは状況が違う。ブラッドは、いたずらにマコトの正義感を刺激するような真似はすべきではないと自戒した。


「走ったらさすがに腹減ったな。アンジェ、お前メシ持ってるだろ。よこせ」


 朝食も食べずの逃避行にさすがに音を上げたのか、昨日アンジェが欲張ってポーチに詰め込んでいたスイーツに狙いを定めたブラッドであったが……。


「ん? あいつどこ行った?」

「え、あっ、そういえばアンジェいない!」


 二人が辺りを伺うも、その目立つ姿は上空にもどこにも見えなかった。まさか、はぐれてしまったのだろうか。


「もう、こんな時にいなくなるなんて……。私の荷物も預けてあったのに」

「確か、天使は救世主と何らかの契約をしていると聞いた。あいつにはお前の居場所は分かっているはずだ。それでも出てこないと言う事は、どこかに隠れているんだろう。お前が急にアホな事を言い出すから」

「えっ、それってサボりって事? もうー!」


 そんなにおかしな事を言ったつもりはなかったが、確かに与えられた使命のみを実行する立場にある天使からしたら、ただの人助けなど馬鹿らしいのかもしれない。それに、人間同士の(いさか)いは自分の管轄する範疇(はんちゅう)ではないとも彼女は言っていた。


「分かった。じゃあ、アンジェ抜きでやろう。場所は大聖堂でしたっけ、行きますよブラッドさん!」

「なあ、いいからメシを喰わせてくれ……」

「そんなの、いくらでも食べさせてあげます! 向こうでアンジェと合流できたらですが」

「それは望み薄だな……」


 こうなれば一蓮托生(いちれんたくしょう)。マレフィカであろう第二の聖女にも、ブラッドとて思うところがないでもない。何より、これにかこつけて敵陣で派手に暴れられるのだ。そう、いつかの意趣返しとして。


「ったく、俺はいつまで経ってもガキのお守りをする性分らしい……」


 気だるそうに吐き出した台詞には、やや(くすぶ)るような熱が混じっていた。

 二人は顔を見合わせ、聖女戴冠式が行われるというガーディアナ大聖堂に向け走り出すのだった。






「……ふん」


 路地裏の民家の屋根に腰を下ろし、クリームパンをかじりながら二人を見つめるアンジェ。その態度はどこかつまらなそうである。


「マコトってあんなに馬鹿だったんですね。自分が一番かわいそうだって事、分かっているのでしょうか」


 群れで活動する人間にとって大事なもの、それは他者に受け入れられる事。そうでない者は排除され生存競争から脱落する。それがアンジェの持つ基本的な考え方であった。

 単純に、前聖女は受け入れられる何かを持ち合わせ、次の聖女はそれを持ち合わせていなかった。そこに意味なんてなく、種全体として必要な多様性の振り幅にすぎない。それだけの事ではないか、と。


 アンジェは幼少期からずっと一人で過ごしてきた。天使であるにも関わらずカオスを持ち生まれた特殊な存在であるため、監視の中、厳重に隔離されてきたのだ。

 誰にも受け入れられなかった。それが当たり前だとすら思っていた。天使達は一律に命令を実行する駒のような存在。不安定な要素を抱えた自分は、受け入れられないのは当たり前の、いわばエラーなのである。


 アンジェには子供の頃、仲の良かった妹がいたが、妹は成長するにつれ自分とは対照的に天使の規範ともいえるエリートとなっていった。妹は出世にとって不都合な姉を次第に避けるようになり、今では連絡すら取り合ってはいない。ああ、やっぱりか、とアンジェはやがて心を殺した。


 しかし、辛くはない。なぜなら、自分も他者を必要としていないから。そう、積極的に周りを見なければいいのだ。この世界には自分しかいないのだと思う事で、これまで心の均衡(きんこう)は保たれてきた。


 しかし、その均衡が女神サイファーによって破られたのは、つい最近の事である。


 何のきまぐれか救世主のお付きに抜擢(ばってき)され、女神の下でたくさんの事を学んだ。誰かに必要とされるのは初めての事であった。嬉しかった。こんな喜びがあったなんて、そんな世界に皆は生きていたなんて思いもしなかった。女神のため、アンジェはがむしゃらに頑張った。

 そして今は、マコトという自分を必要としてくれる大好きな人間のために生きている。だが、当の彼女は誰でも良いようだ。自分を始め、不幸な誰かに手をさしのべる事に陶酔(とうすい)でもしているのだろうか。こんな自分の方を見てくれたのは一瞬だけ。それも仕方ないのかもしれない。だって、アンジェは落ちこぼれだから。


「あ、やっぱり行くんだ……。アンジェがいなくっても……」


 ふらふらと飛びながら、走り出すマコトの姿を追う。その先には、自分と同じようにマコトによって救われる誰かがいるのだろう。


「いたい……。でも、この痛みは、きっと虫歯のせいなんです。きっと……」


 新しく知った、この虫歯に似た痛み。この心を蝕む感情は、アンジェにとって一人でいる時よりもよっぽど辛いものであった。


―次回予告―

 宣告の日、ソフィアの下へと現れた謎の少女達。

 それは彼女を救う、闇への(いざな)いであった。

 聖なる日。めくるめく、未知の扉が開かれる。


 第62話「双蛇」

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