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第60話 『偽りの日々』

「パパ、ママ……どうして、私を売ったの?」


 今日もまた、お飾りの一日が始まる――。

 ただ、自分ではない何者かを演じるだけの日々。それだけで約束される、栄光の日々。そこに、私の意思などは必要ない。

 少女ソフィアは大人達の作る(あらが)いようのない世界に、自我を失い、ただ押し流されようとしていた。


「ううん、私が、私を売ったんだ。だから、これでいいの。私は、誰よりも高い所に行く。大人達だって利用して……」


 そして少女は、聖女ソフィアへと変わる。慈愛ではなく、欲望をその胸に秘めた、偽りの聖女へと……。






 ガーディアナの混乱は、ここ一月ほど続いている。


 事の始まりは、まさに一月前に起きた聖女誘拐事件に端を発する。ガーディアナそのものといえる聖女の不在はついに民衆にまで知れ渡り、各地では暴動までが起こった。あまりの出来事に教皇は沈黙を続けていたが、政治は流石にこれを無視できず解決策を模索した。その結果、誘拐された聖女の代わりとして、第二の聖女が擁立(ようりつ)される運びとなったのである。


 第二の聖女には、収容所へと囚われたマレフィカの中からソフィア゠エリンという少女が選ばれた。

 新たな聖女に選定される基準として、前聖女には届かないまでもそれに匹敵する力が必要であったが、ソフィアは他の娘達とはまるで違う異質な力を見せ付け、これに合格する。みっともなく泣き叫び、命乞いをするように力を行使するソフィアを、教皇はただ無感情に見つめていた。


 それからも聖女に必要な礼儀作法や、あらゆる儀式の手順など、毎日覚える事は多岐に渡った。だが、ソフィアはむしろ前聖女よりも従順に、全てをそつなくこなした。また、偶像として崇められるに十分な美貌も兼ね備え、どこか幼く閉じこもりがちな前聖女よりも、社交場に進んで顔を出し、自らを主張していった。


 中でも彼女が皆を驚かせたのは、光の力はもとより、その対極に位置する闇の力すらも操り、さらにはこの世界を構成する自然要素、五大属性をも軽々と扱う事ができるその能力である。その際、七つの色を纏う事から、ソフィアは虹の聖女イリス・ガーディアナと呼ばれ、枢機卿マルクリウスを始めとした政治家達を中心に支持を集めていく。


 党派による派閥争いの最中にあった政治家達にとって、従順で(くみ)しやすい新しいシンボルは願ってもない存在であった。中でもマルクリウスは、教皇の傀儡(くぐつ)であるやや反抗的な前聖女よりも、新たな聖女ソフィアを自身の傀儡にする事でその地位を確かなものにしようとした。そして彼らは自らを聖典派(カノニック)と名乗り、それはこれまでの中心であった守護派(プロテクタンス)に匹敵する二大派閥となるまでに勢力を拡大する。


 そうして次第に存在感を示すようになったソフィアの背後には、ガーディアナにて実質教皇の次の位を持つ女教皇エトランザの姿もあった。彼女は自らの政治的な思惑に利用するため、ソフィアを擁立した影の立役者でもある。


 かつて聖誕祭にて聖女を亡き者にしようと企んだエトランザであったが、全ては失敗に終わった。切り札であった反逆の魔女ロザリーも彼女を裏切り、聖女を誘拐してはそのまま姿を消した。

 エトランザとしては多少不服な結果ではあったが、結果的にそれで邪魔者はいなくなり、これで教皇の全ての寵愛(ちょうあい)は彼女に向けられるはずであった。しかし、教皇はまるで人が変わったように攻撃的な性質を持つようになる。エトランザは教皇の怒りを鎮めるため、第二の聖女の擁立を推し進め提言した。すると教皇は(たわむ)れにそれを承認し、虹の聖女であるソフィアを引き取ったのである。


 周囲には反対意見も未だに多く、聖女の席に座るソフィアに冷ややかな視線が向けられる事も多々あったが、なによりソフィアが辛かったのは、教皇による自分に対する扱いであった。


 ソフィアには前聖女の着ていたものと同じものを与えられ、聖女の生い立ちから、好き嫌いや日常の癖なども覚えさせられた。そしてあまつさえ、名前をも奪われた。ソフィアという人格を前聖女で上書きしようというのである。

 鏡には全て聖女の肖像画がはめ込まれ、しばらく自分の顔すら見ていない。毎日喉がかれるまで歌わされ、少し間違えただけで理不尽な怒りをぶつけられる。果てはソフィアとは誰だったのか、自分の事すら忘れてしまう程のノイローゼに近い症状すら出始める。


 ある日、サンジェルマンという医師が聖女の顔に近づける整形手術を行うために訪れた時などは、気が違えたように暴れ狂った。持てる全ての異能(マギア)で、教皇の居城の一区画を破壊し尽くしたのだ。

 当然その夜は独房に入れられ、拷問官による懲罰を受けた。その内容は、指の爪を一つ一つ()がされ、教皇により再生されるというものである。それを数度繰り返した後、ソフィアは最後にはよだれを垂らしながら教皇にすがりついていた。そして何が喜ばれるかを必死で考え、その下半身で奉仕(ほうし)しようとしたが、顔を容赦なくはたかれてしまう。子宮を崇拝するのは敵対関係にある邪教の教え。ガーディアナは男根を神聖視するものであり、性的な主導権は男性にある。ましてやそれは、聖女にあるまじき行為であった。


 それ以降、教皇はソフィアに対しいっそう冷たい視線を投げるようになった。エトランザもこの計画は失敗であったと認識したらしく援助を打ち切り、次第に彼女のガーディアナでの立場は失われていくのだった。




************




「明日、お前の処刑を()り行う」


 ガーディアナ大聖堂の一室にて、突然、ソフィアは教皇にそう告げられた。それは心臓を氷の手で直接握りしめられるような、どこまでも冷たい声であった。


「表向きには聖女戴冠(たいかん)式としている。民はそれを望んではいないが、我々も(はな)から望んではいない。聖女であるべきは、光の聖女(ただ)一人なのだから」


 どうあがいても、この人ならやるだろう。そう、始めから救いなどなかったのだ。


「あ、あ……」


 声にならない声が漏れた。エトランザに助けを求めたいが、しばらくその姿を見ていない。もはや、女帝という立場からも失脚したのではないかという噂すら立っていた。


所詮(しょせん)マレフィカはマレフィカ。限りなく聖女に近い存在とはいえ、その差を埋める事は永遠に出来はしないまがい物。ゆえにお前の死を(もっ)て、あらためて聖女という唯一無二の存在を民に刻みつける。光栄に思うがいい」

「イヤぁ! ねえ、お願いします! 聖女なんてやめるから助けてぇ!」


 子供のようにだだをこね教皇を引き留めるも、その俗物的な命乞いこそ、教皇の最も嫌う所作(しょさ)であった。

 これが本物の聖女であるならば、黙って頷き、一言も物言わず処刑されるであろう。そんな操り人形のような聖女に対し、それはそれでリュミエールとしては不満があった。なので試しとして人間臭いソフィアを選んでみたのだが、話せば話すほど、聖女の尊さに気付かされる。


「イリス・ガーディアナ。今日は一日自由とする。人生最期の日くらいは、好きにするがいい」


 扉は無慈悲に閉まり、ソフィアは一人、鳥かごに残される。


「まって、待ってよう……教皇、様……」


 明日までの命を、こんな所でただ過ごさなければならない。かつて入れられた牢獄よりも地獄に近い場所。ソフィアはひとしきり泣いた。まるで動物のような声を上げ、下品に泣いた。やがてそれも疲れ果て、真っ赤な目をこすり顔を上げると、こちらに微笑みかける聖女の肖像画が目に入った。ぬくぬくと幸せの絶頂にいるかのようなその女は、惨めなソフィアをこれでもかとあざ笑う。


「ああああああ!!」


 鏡の割れる音が響いた。ソフィアは何度も何度も、肖像画に拳を叩き付ける。血まみれになりながら聖女は破り裂かれ、その奥から割れた鏡が覗く。そこに映っているのは、まるで魔女のような顔をした女。そうだ、これこそずっと見失っていた、自分の本当の姿なのだ。


「そうだ。私は……聖女なんかじゃない……ほんとうは、魔女だったんだ」


 世界から孤立した空間で、ひっそりとソフィアは狂っていった。暗い部屋で一人、己を蝕む闇に包まれながら。




************




 ガーディアナの首都、クレスト。

 神徒達の聖地であるガーディアナ大聖堂や、天に高くそびえる巨大な要塞、マグナアルクス(偉大なる要塞)を有するガーディアナの中心地。


 今日も民衆達の思い上がったテロを鎮圧し、司徒バルホークは辟易(へきえき)とした感情でこの地に戻った。

 第二の聖女擁立の情報が流れると、都市部では毎日のように抗議活動が行われた。中には過激な連中も多く、先程などは謎の黒服の男によって多くの部下を失った。さらにどこで調べたのか、最も苦手とする不浄なる者の排泄物によって顔を汚され、動揺した隙に逃がしてしまうという失態に未だ憤りを鎮める事ができずにいる。彼は念入りに体を洗い流し、本日の報告のためマグナアルクスの最奥、教皇の間へと向かった。


「教皇猊下(げいか)。このバルホーク゠リッター、(かしこ)くもただいま戻りました」

「少し疲れているか、敬虔(けいけん)な司徒よ。楽にしていい」


 その一挙手一投足を常に眺めるバルホークにはすぐに分かった。教皇はどこか普段より穏やかである。ただそれだけで自分の受けた不愉快を帳消しに出来るほど、心が(おど)り立つ。


「この連日、民にいらぬ不安を抱かせてしまっているようだな。お前には苦労をかける」

恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます。しかし、日に日に彼らの活動は過激化の一途を辿り、今日などは多くの部下を失いました。この不手際、もちろん償うつもりではありますが、私からも教皇猊下に一つ進言させていただきたく参った所存です」


 空気が張り詰める。バルホークは膝をつき、冷や汗を流しながら教皇の言葉を待った。


「珍しいな、お前が私に意見など。よかろう、言ってみろ。おおよそ察しはついてはいるが」

「は! 此度(こたび)の聖女戴冠式についてです。この連日の騒ぎも、第二の聖女が擁立される件について良からぬ感情を抱いている輩によるもの。しかし、皆、やり方はどうあれ真にガーディアナを憂う者達だと私は考えます。聖女様は唯一にして絶対。それを新たにどこの馬の骨かも分からぬ者を据えようなど、私としても思う所がある程。過ぎた発言ではありますが、処罰を覚悟でここに申し上げた次第です」


 胃の中にはすでに何も残ってはいなかったが、それでも何かが込み上げてくる程の恐怖を感じる。しかし、これだけはガーディアナに属して以来、初めて抱いた不満でもある。そして、これを伝える事こそ彼なりの忠誠でもあった。それに対し、教皇はしばし沈黙すると、肩を振るわせた。


「ふ、ふふ……ふははは!」


 乾いた笑い声が響き渡る。教皇がここまで感情を見せる事はまずない。バルホークはこれが何を意味するのかを必死に思案した。


「よく言ってくれた。バルホーク、やはりお前は忠信(ちゅうしん)の男だ。ここしばらく、私はどうもおかしかったようだ。聖女がどれほどの心の支えであったかを思い知ったよ。だが安心しろ、もとより新たな聖女など掲げる気など無い。エトランザの甘言(かんげん)に乗り、あの女を教育してみたものの募るのは絶望のみ。ひとえに存在する絶対的な魂の(くらい)が違うのだ」


 次第にバルホークの口元はひきついた笑みを浮かべた。自分の考えが高みへと届くばかりか、まるで同じ方向へとその意識は向かっている。


「人というのは実に愚かしいものだ。我らが長い時を掛け築き上げた戒律も、悪魔の誘惑に一度でも負ければ全てが無へと帰す。その中でもいい例がマルクリウスだ。奴もついに耄碌(もうろく)したか、(まつりごと)に神の名を利用し、その目的の全てが名誉欲へと置き変わった。これもまた、偽りを司るあの悪魔のもたらした所業だ」


 やはり、やはり……。バルホークは興奮気味に立ち上がった。今この場で跪くべきは失態を冒した自分ではないのだと、むしろ胸を張って教皇を見据えた。


「よって、お前には明日、イリス・ガーディアナの処刑を取り仕切って貰う。聖女を(けが)す紛いものを民衆の前で排除し、セント・ガーディアナの名を絶対のものとするのだ」


 その言葉に、絶望が希望へと塗り替えられる。今ここでバルホークを襲った歓喜が、明日、ガーディアナの民全てに降り注ぐのだ。イリス・ガーディアナの死によって明日再び人民は一つになり、永遠に揺るがぬ信仰の(いしずえ)を築くだろう。


「やってくれるな。翼賛(よくさん)の徒、バルホークよ」

「そのお言葉を聞きたかった……! 不肖ながらこのバルホーク、あなた様の腕となり、この世をかき乱す異端を残らず粛正いたしましょう!」


 バルホークは随喜(ずいき)の涙を流していた。

 エルガイア大陸をまとめ上げるべく各方面に本格的に動き出したガーディアナであるが、大義なき侵略だと諸外国の批判も強い。だがこれは、やがて来る人類を守る戦いに備え、非道と言われてもやり遂げなければならない覇道である。

 だからこそ、人類の結束の為には聖女が必要不可欠であり、聖女の下でのみ、人類は恒久的な平和を手にすることができるのだ。教皇が常々説くその教えに、バルホークは再び命を賭して(じゅん)じる覚悟を決めたのであった。


―次回予告―

 全ての価値観は、その日を境に塗り変わった。

 世界の歪みを見たマコトは、ある決断をする。

 運命を切り開く勇気を、救世の力に変えて。


 第61話「救い」

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