第57話 『異世界の強いおじさん』
ある男の暗躍によりバルホークの部隊は壊滅し、聖女との疑いを掛けられたマコト達はひとまず事なきを得た。共に飛び立った二人は、日暮れの薄暗さに乗じ大聖堂から逃げ出す事に成功する。
その逃亡中、目下に広がるガーディアナの町並み。初めて見るその幻想的な景色に、マコトは思わず声を上げた。
「すごい……やっぱり、ここは異世界なんだ。私の世界とは、何もかもが違う。簡単に人は死ぬし、殺そうともしてくる。ガーディアナ教だっけ、確かにこんなにピリピリしてたら、みんな何かに縋りたくもなるはずだよ……」
「ここで生き残る難易度が分かりましたか? これでも、魔王の時代でないだけずいぶんマシなんですよ」
「うん……分かってる。ううん、今、分かった。それでも、生きていかなきゃいけないんだね」
「ええ……その通りです」
現実はゲームのように簡単にはいかないのだと、マコトは帯を締め直す。凄惨な死も、断末魔の叫びも、血のにおいも、全てをありのままに映す世界で正気を保つのは、並大抵の覚悟では耐えられないだろう。
「マコト、どうです、逃げ切れましたか?」
「大丈夫、兵隊は追いかけてきてないよ」
「ふう、ここまで来れば大丈夫でしょう。というより、もうヘトヘトです……」
羽を休めたいアンジェは、ふわふわと飛びながら降りる場所を探す。街を抜け、ちょうど身を隠せそうな森を見つけると、早速中へと舞い降りようとした。
「限界です、降りますよ!」
「ちょっと、もうちょっとゆっくり降りて!」
「そんな事言われても、片羽根じゃ無理なんですよおっ」
どうやら彼女は着地が苦手なようで、二人はそのまま勢いよく落下する。マコトの胴着は行灯袴となっているため、冷たい風を受け勢いよく舞い上がった。
「わー、めくれるめくれる!」
不格好な何かが、天使に抱えられ空から降りてきた。巾着のようになったそれは地面に足をつけると、バランスを崩しそのまま後ろへとひっくり返った。
「あいたた……」
「よう、遅かったな」
そこへ切り株に腰を掛けた、体格のいい中年の男の声が掛かる。どうやら、さっきの一部始終を笑いながら見ていたようだ。
「ぎゃああ、誰です!?」
「何? 何!?」
マコトはやっとのことで起き上がり、袴をパンパンと戻す。そしてアンジェと同じように不審者を目撃した。にやにやと笑みを浮かべる、血まみれで長い剣を持つ黒ずくめの大男である。
「わあああ! 誰!?」
「わはは、同じ事言ったな」
こちらを見て気持ちよく笑う男。その風貌とは裏腹の優しい声色に、マコトは少しだけ警戒を解いた。
「何なんです? いきなりこっちの事笑って!」
「ふふ、すまんな。お前達、追われているのか? 見てたぜ、聖堂から逃げ回る所」
「そんな、まさか追っ手? 全部振り切ったはずなのに」
慌てるマコトに対し、男は静かに首を振った。
「いや、俺も奴らに追われている。ちょっと不覚を取ってな」
どうやら自分達とは似たもの同士らしい。男はそう言うと、深く息を吐き胸を押さえる。よく見ると、そこには刺されたような傷があった。黒い服で目立ちづらいが、結構な血が流れているようだ。
「ひどい傷……。ねえアンジェ、天使でしょ? これ治せる?」
「は? 助けるんです? こんな怪しさ満点のおじさんを」
「大丈夫だよ、きっと。人はまず信じなきゃ。お父さんも言ってた」
男は、ふむ……、と顎に手を当てる。どこか似ている。あの男に。何かというと、人を信じたい、そう宣ってはばからない青臭い奴であった。
「仕方ありませんね、では……ヒーリング!」
アンジェは渋々と治癒魔法を唱える。すると、申し訳程度ではあるが胸の傷が塞がった。
「下手くそですいません。完治は無理ですが出血はもうないはずです」
「ほう……」
魔法の使い手は、ここ二十年でめっきり減ってしまった。近年はこの程度の治癒魔法すらも使い手を見なくなって久しい。
男はあらゆる傷を瞬時に治して見せた少女を思い出す。それに比べると全然だが、贅沢を言ってはいられない。即席の手当を受け、男は胸を触りながら腕をぐるぐると回してみせた。
「まあ、とりあえず十分だ。すまんな」
「お安いご用です」
アンジェはふんっ、と大袈裟にのけぞった。その拍子に、半分だけの天使の輪が不安定にぐらぐらと揺れた。
「わっとと……」
「しかしお前、本当に天使か? 魔法は半端だわ、飛ぶのは遅いわ、羽も一つしかない。俺の知っている天使ってのはだなあ、もっとこう……」
「助けて貰っておいてなんですか!? 私はあの女神サイファー様に選ばれた天使、アンジェラス゠ベル。こうして地上に降りただけでも天界の中では優秀なんですよ! ぷんすか」
「ほう、サイファーの手の者か……天使が地上にいると言う事は、まあ事実だろう。それよりもだ……」
ならばこっちの黒髪も……と、ぼたもちのように顔を膨らませるアンジェを無視し、男はマコトをじっと見つめる。マコトもそれを黙って見つめ返した。そして粗暴な中にも、目の奥に落ち着いた色を男から感じ取る。
「あっ、もしかして、さっき兵隊さんと戦ってたのって……」
マコトは今頃になってこの男の正体に気付いた。だとすると、とんでもなく強く、しかも相当危険な人物であると言える。
「ああ、人違いでお前等を助けたが、結果オーライだ。新しい救世主だろう、お前」
「え? はい……、でもなんでそれを?」
「昔な、今と似た状況に出くわしたんだよ。あの時も森の中だったか……、今と同じように救世主が天使を連れている所を、有無を言わさず襲いかかった」
「えっ!?」
「ははっ、まあそう怖がるな。若気の至りって奴だ」
男は自嘲気味に笑う。その時は救世主の力により返り討ちにあった苦い思い出だ。
「名乗るのが遅れたな。俺はブラッド。かつて救世主リョウと共に旅をした者だ」
この世界で初めて聞く父の名。この時、初めてマコトは父の足跡に触れた。そして、父が本当にこの世界を救ったという事も実感として理解した途端、溢れる感情に心をたぎらせた。
「あの、私っ……救世主、須藤良の娘、須藤真琴ですっ! 女神様から話は聞いています。その度は、父がお世話になりました!」
「ぶっ、わははは!」
しっかりと直角に頭を下げ、大声でそう挨拶するマコトにブラッドは思わず大笑いした。
確か、ニホン、と言う国の礼儀作法らしい。隙だらけの頭を相手に差し出すようにしか見えないその仕草に、懐かしい記憶が甦る。
「ひいひい、本当に似てるな。あのアホに」
「むっ……」
マコトはそれが気に触った。そして何の躊躇も無しに、野獣のような大男の頭めがけてゲンコツを振り下ろす。
「あでっ!」
「お父さんを悪く言わないで!」
一瞬、ブラッドの目がマコトを突き刺した。ぞわっと来る視線ではあったが、こちらも負けじと気丈に振る舞う。
「ションベン臭いガキが、いい度胸だな」
「そんなの怖くなんてありません! 訂正して!」
くだらない事も頑として曲げない。それもまた、あいつを彷彿とさせた。
「……分かった、訂正する。俺はあいつを誰より認めている。だからこそ、親しみを込めてアホと言ったんだ。もっと言うと、あの頃、俺達はみんなアホだった。魔王退治など、それくらいでなければそもそも出来んだろうよ」
遠い目で語るブラッドは、少しだけ寂しげに見えた。それは、平和な国でぬくぬくと育ったマコトには踏み入ることなどできない領域である。彼の言葉は、辛苦を共にした者だけが呼べる証の様なものだったのだ。
「私も、ごめんなさい……。助けてもらったのに」
「かまわん。それに助けたつもりもない。ところでお前達、女神からこんな所に降ろされて、これからどうするつもりなんだ?」
「は、はい、それですが……」
一触即発の危機は去ったと、隠れていたアンジェが顔を出した。大事そうにポシェットに入れてあった地図とメモを見ながら、次の目的地を読み上げる。
「えっと、ガーディアナがここだから……、うーん、まずはイヅモまで行かなきゃならないんですが、どこから向かえばいいのか」
「ほう、イヅモか。遠いな」
「へえ、こっちの世界も、少しだけ私の所と似てるんだね」
地図を見ながらマコトが独りごちた。実際、大陸の位置も大きさも二つの世界は似通っていた。ガーディアナを西ヨーロッパとするならば、イヅモは日本。縮尺は分からないが、それくらいの距離を旅しなければならないのだとマコトはため息をつく。
「はあ……飛行機とか電車とか、こっちにはもちろんないだろうし……」
「飛行機か……ネオエデン製の複葉機ならば探せばあるだろうな。昔、それに乗って魔王城に突っ込んだりしたもんだ。お前の親父達と一緒にな」
「ちょっと、お父さん巻き込んで何してるんですかっ!」
「ははっ、これも若気の至りってやつだ。どのみち今のガーディアナ領空ではそんなもの使えん。空を行く技術は全て取り締まられてしまったからな。それならば……まずはロンデニオンへと向かい、隣国のアルベスタンから船を使うルートが手っ取り早いだろう。しかし、イヅモは今封鎖されているんじゃなかったか? それはどうするつもりだ」
「そう言えば確かに……。アレ? じゃあ女神様はなぜ私達をここに?」
アンジェの教えられた知識では、現在もう一人天使が地上で任務を果たしているらしく、そっちはイヅモへと直接降りたと聞いていた。ならば、不可能を強いてまで自分達だけを遠回りさせる理由が分からない。
「何も知らんのか、使えんな……。まあいい。旅をするなら、少し付き合ってやる。こっちも色々と助けられたしな」
「えっ、いいんですか!?」
ブラッドは治りかけの胸に手を当てた。アンジェにはこの傷の手当てをして貰った借りがある。そしてマコトにはおそらく言うと怒るだろうが、履いていたであろう下着に助けられたのも借りと言えば借りになる。
「ああ、俺の目的も一旦区切りがついた。次はロンデに戻り情報を集めたい。もしかすると、あいつもそこに逃れているかも知れんからな」
ブラッドはこれも縁だと、しばらくマコト達に付き合う事を約束した。転移して早々危険な目に会う様な平和ボケした二人を放っておくのは目覚めが悪い。これもサイファーの狙いだとしたら、とんだ策士である。
それを聞いた二人は、抱き合って喜んだ。
「やりましたね、こんなに強いおじさんが一緒なら、魔物だって逃げていきますよ」
「うん! お父さんの知り合いに悪い人はいないはずだしね」
「フン……分かったら今日はこの辺で野宿するぞ。街は目立ちすぎる。さらに明日、新たな聖女がお披露目されるらしいが、そのための警備が敷かれるはずだ。いいな、森からは一歩も出るなよ」
そう言うと、ブラッドはその辺から薪を集め始めた。ガーディアナは北国であるため、この季節でもちらほらと雪が残っている。厳しい環境だが耐えるしかないだろう。
「それからマコト、あまり下半身を冷やしすぎると風邪を引くぞ」
ブラッドはもう一つ、善意からの忠告をした。同時に、どこで拾ってきたのかマコトが持参したバッグを投げてよこす。見ると、どこか照れくさそうにお尻をボリボリとかいているばかり。
「あ、ありがとう……でも、なんで」
全く意識していなかったが、確かに吹き抜ける風に下半身が冷え切っている。下着を履いていないのだ。そして、マコトはある重大な事実に気付いた。
「――――っ!!」
森へと降りるとき、ブラッドはすでにここにいた。つまり、降りてくる所を全て見られていたと言う事になる。そう、ブラッドにとっては下半身を晒した巾着が降りてきたように見えただろう。マコトは声にならない声を上げ、顔を真っ赤にしてうずくまった。ブラッドを見る度、恥ずかしさから寒さなどどこかへ吹き飛んでしまうほど身体が熱くなる。
「ひうう……もう、お嫁に行けない……」
「マコトにはアンジェがいますよ。エンゲージした仲じゃないですか」
その慰めも、女同士でキスをした事を思い出させる。今日は人生において忘れられない日になるだろう。あらゆる試練を前にマコトの乙女心はいくばくか傷つき、暗い森の中、しばらく一人落ち込むのであった。
―次回予告―
異世界、アトラスティア。
神の加護にあるはずの地で積み重ねられたのは、争いと迫害の歴史であった。
お父さん、世界は一歩引いて見ると、思ったより残酷みたいです。
第58話「アトラスティア勉強会」