表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/214

第56話 『レジェンド』

 ガーディアナ大聖堂近くの広場、やけに警戒態勢が敷かれた物々しい雰囲気の中を、これまた物騒な長剣を背に抱えた一人の男が練り歩く。男は全身黒ずくめで、その筋骨隆々の体からは無数の傷が見え隠れしていた。


「ふん、今日はやけに風が騒がしいな……」


 辺りを吹く一段と強い風にバンダナの奥の目を細めると、いつからか風に流され舞っていた何かが、そこを歩く一人の男の顔にぶつかった。いや、覆い被さった。


「んっぷ、なんだこれは」


 それはヒラヒラとした純白の布であった。赤いリボンがあしらわれているが、どう見ても股ぐらに当てる女のおしめである。それは少し破れており、中を覗くと洗濯後のほのかな淡い香りが、女性特有の甘いにおいと共に立ち上った。


「うおっ!」


 年頃の娘がいる身としては、所持している事自体あまり好ましくない代物である。男はつい条件反射的にそれを投げ捨ててしまう。


「ちっ、この国に来てからというもの全くツキがねえ。いや……まてよ、なんであんなもんがここにある?」


 男は思い返していた。ああいった小じゃれたおしめをどこかでみた覚えがある。生き死にが身近にあるこの世界では、そういった目に見えないものにまで気に掛ける文化は育ちにくい。つまりそれは少なくとも、この世界のものではなかった。


「異世界の……女?」


 動物的な勘が働き、男は投げ捨てたパンツを再び探す。しかしそれは不幸にもガーディアナ兵が整列する近くへと流されていた。隊を率いる男は、かの有名なガーディアナの司徒バルホーク。よりによって、こんな場所でかち合いたくない相手であった。続けてその怒号が男の耳にも届く。


「探せぇー! 聖女誘拐犯はまだこの辺りにいるはずだ!」

「なに……聖女誘拐犯だと? まさか……」


 黒ずくめの男は背負った重厚なロングソードに手を掛け、目深に被った赤いバンダナを少したくし上げた。そこから現れた鋭い眼光と、武骨な無精髭(ぶしょうひげ)をたくわえた口元から不敵な笑みがこぼれる。


「ロザリー……今助ける」


 砲弾の様な速度で、圧倒的重量がガーディアナの戦列へと押し寄せた。


「ブラッディ、ボンバァー!」


 突如爆発が起きたかと思うと、戦列は半分ほど何かに抉られ、臓物とおぼしきものが宙に巻き上げられた。それと共に転がっているのは、比較的重装であるはずの甲冑ごと横薙ぎされ、両断された兵の死体。

 バルホークがその出来事に気付いたタイミングで、もう一度爆発音が鳴る。それは明らかにこちらへと向かって来ていた。


「なに……先制を取られた! 散れ、散れえ!」


 すでに一歩遅く、バルホークの戦列は無惨にも壊滅していた。漂う血と臓腑の嵐に紛れ、黒い塊がその場を離れる。すると後方へと控えていた弓兵も、その黒い何かの前に()す術もなく次々と倒れていった。


 地上での突然の事態に、それを見ていたマコトは思わず目を背けた。たちどころに風に乗って死の臭いが上空へと届く。


「うっ、何が起きたの……?」

「何でもいいです! マコト、今のうちに逃げますよ!」


 アンジェはマコトを抱え、再び羽ばたいた。

 一人の弓兵がそれに気付くも、それは次々とやられていく仲間の姿に生命の危機を覚える最中(さなか)であった。しかし、彼はガーディアナの鉄の掟に従い、死をもいとわず天使に向け弓を放つ。と同時に血に濡れた鉄塊が頭上に振り落とされ、彼は名誉と共に絶命した。


「ぐっ、まずい!」


 男は放たれた矢の先に、天使の姿を見る。そして、それに抱かれる黒髪の少女。

 少女は、一瞬こちらを見た。そして殺気を感知したのか迫り来る矢を見事に白羽取りし、そのまま彼女達は空を駆け消えていった。その様子を見届けると、男はようやく安堵のため息をつく。


「ふぅ……。しかし、ロザリー、ではないのか……」


 危険を冒してまで助けた人物に見覚えがなかった事に、男は複雑な表情を浮かべた。男が探しているのは、聖女聖誕祭において壊滅した“逆十字”という反ガーディアナ組織に属し、その後ただ一人行方が分からない、ロザリー゠エル゠フリードリッヒという少女。

 まさにそのロザリーこそが聖女誘拐犯であると睨んでいる彼は、一人手がかりを求めガーディアナをさまよっていたのだ。


「ったく、あのバカ娘が……」


 そう、彼こそがロザリーの父、ブラッド゠フォン゠フリードリッヒ。そして、魔王を倒した伝説級(レジェンド)の一人。つまりは偶然にもこの危機を助け出したマコトの父、救世主リョウとかつて共に旅をした仲間である。この巡り合わせも女神サイファーによる導きであろうか。


「しかし、共にいたのは天使か……? となると……」


 ブラッドは大聖堂前に戻り、先程捨てた血に濡れたパンツを拾った。さらに、彼女たちの物と思われる荷袋も兵により回収されている事を確認した。やはり、どれもこの世界の物ではない。だとすると、あの天使と黒髪の少女は……。そこまで思考した所で、ブラッドは自分を射貫く視線に気付き否応なく剣を握る。


「ずいぶんと手荒な挨拶だな、貴様。ここは神聖なる神の地である、礼節をわきまえろ!」


 バルホークは、剣を抜きブラッドに突きつけていた。なるほど、確かに下手に身動き一つとれない。下手に応戦しようとすれば、おそらく剣を構えるまでの隙につけ込まれるだろう。そこには達人にしか分からない、いくつもの応酬があった。


「ふっ、お前等にそんなもん必要ねえだろ。教皇の飼い犬め」


 根負けして憎まれ口を叩いた瞬間、ズブリ、とブラッドの胸に剣が突き刺さる。


「ぐっ!」


 それは心臓にまで到達する勢いであったが、分厚い胸筋と瞬時の勘がそれを阻止した。


「犬だと? 結構。あの方がそう望むのなら私は何にだってなるだろう。では、貴様はさしずめこそこそと地を這い回るドブネズミと言った所か」

「言ってくれるな。だがまあ、そんなところだ」


 ブラッドは刺さった剣を手で掴み引き抜く。続けて少し間合いを開け、再びロングソードを構えた。


 対するバルホークはやや短めの剣を両手に構える。あえて二刀を持つ者は、ずぶの素人か、よほどの達人である。この場合明らかに後者であろうが、ブラッドはそれ以上に彼の剣が全く見えなかった事に驚愕した。ただ、距離を詰め胸を刺すという行為とはいえ、それが瞬き一つせぬ間に行われたのだ。愛弟子であったキルの刺突剣をも凌駕(りょうが)するその剣閃に、一筋の冷や汗が流れる。


(相変わらずツキがねえ……。だがこいつ、なぜ仕掛けてこない)


 そう、彼はどこか甘い。いや、全てが甘いのだ。自分であれば、最初に話しかける事もなく斬りかかっていただろう。その手段は先手を取る事で彼にも見せたはず。こちらはそんな悪逆だというのに、彼はあえてそうしなかった。違う、出来ないのだ。おそらくそれは彼らが最も大事にする騎士道とやらのせいであろう。その証拠に、今も手負いの獣相手にご高説を垂れ始めている。


「……あれは聖女様ではない。間違えようものか。なぜならあのような黒髪、聖女誘拐犯や貴様のような下賎(げせん)な者である証左(しょうさ)。だが貴様もご苦労な事だ。偽りの聖女を掲げ民衆を扇動しようという企みだろうが、もう遅い。明日には第二の聖女が生まれる。もう止められはしないのだ」

「……何を言ってやがる」

「ああ、私も許せんさ。セント゠ガーディアナ以外の者に聖女の位を授けるなど。だが、これも教皇様がお決めになった事だ。もし、聖女様が無事見つかれば、この私の手で第二の聖女をも葬り去ろうとすら思っていたのだがな」


 バルホークは吐き出すように喋り続けた。ブラッドを何か旧聖女を盲信する過激派だとでも思い込んだらしい。確かに、そう思えるほどに今のガーディアナは政治的な混乱の最中にあった。かく言うブラッドも、その隙を突いて中枢へと潜り込む事に成功したほどである。


「このように連日、第二の聖女擁立に反対する抗議活動が行われている。私はその対応に追われ、ろくに聖女様を捜索する事も出来ない。身内が敵とはこの事だ。そう、まさに貴様のようにな」


 バルホークの鷹のような目がブラッドを見据える。そして、踊るように二振りの剣が舞った。いよいよやる気になったらしい。


「この私を怒らせた、その罪は重いぞ」

「さっきからベラベラと……知らねえっつんだよ」


 再び見えない剣が襲いかかる。瞬きを意識的にやめ、その剣閃を追うがやはり見えない。ブラッドは、かすかな剣圧と勘を頼りにそれらを(さば)ききった。


「ちっ、お前との遊びはここまでだ」

「何……?」

「これ、お前にやるよ。ドブネズミからのプレゼントだ」


 ブラッドは手に持っていたものをバルホークへと投げつけた。ビシャ、と湿った音を立て、彼の顔にへばりつく何か。あまりの不快感にそれをはぎ取った彼が見たものは、血濡れの女性下着であった。

 真剣勝負の最中に起こったありえなさに、彼は困惑した。そして、その血を何かと勘違いしたのか、途端にバルホークは悶絶(もんぜつ)し始める。


「うぉおお……!」


 そのままその場へと勢いよく嘔吐するバルホーク。彼は極度の女性不信であった。いや、その存在を心から憎んですらいた。


 不浄なる生物の(けが)れを顔に浴びてしまった。ましてや、教皇様とお話する口にそれは触れた。あまりの事にしばらく気が動転し、彼は怒り狂った。あのドブネズミだけは八つ裂きにしてもまだ足りない。なます切りにしてその一つ一つを女どもの肥だめに必ずぶち込んでやると。


 しかし、やっとの事で彼が冷静さを取り戻した時には、ブラッドの姿はそこになかった。


「はあ、はあ……どこだ、どこにいる! 汚らわしいドブネズミがぁ!!」


 ブラッドは知ってか知らずか、バルホークの唯一の弱点であるものを手にしていたおかげで、なんとかその場を無事に切り抜ける事ができたのである。


「馬鹿か、呼ばれて出てくるほどお人好しじゃねえよ」


 ブラッドとしても正面から()り合って負けるとは思ってはいないが、相当辛い戦いになるだろう。かつて一度、ジューダスというガーディアナの司徒と戦ったことがあるが、その時はなかなか決着がつかず、やっとの事で斬り伏せた時には迫り来る巨大兵器に様々なものを奪われた後だった。さらには不死の異能とやらで逃げられていたとあっては、今でも怒りに気が狂いそうになる程だ。

 つまり、司徒など出来れば関わりたくない相手。今は手負いであり、ここが敵地という事も忘れてはいけない。と同時に、今はそういう事にして、戦士としてのプライドを納得させている事も事実。


「ちっ、最後まで剣が触れるまで分からなかった。女のおしめに助けられるとは、俺もヤキが回ったもんだぜ」


 ブラッドは、刺された胸を押さえながら裏通りを走る。

 そして涌き上がる苛立ちと共に、ここに至るまでの数々の悪夢を思い返していた。


 彼はローランド戦役にて、そびえ立つ巨大兵器へと果敢にも立ち向かった。そして多くの同胞を奪った鉄塊の、動力と思われる何かをその技による爆発に巻き込んだ時、連鎖反応を起こしてしまう。周囲を煌煌と照らすほどの爆発に巻き込まれた彼は、そのまま近くの海へと身を投げることとなったのだ。


 それからの事はあまり覚えていないが、ある組織がガーディアナより先に回収し、傷ついた体を治療してくれたらしい。ローランド戦役後の祖国の惨状は、回復した後その組織から聞いた。もちろん、一人でもあのアンデッド野郎を始末しに向かう気でいたが、組織のリーダーを名乗る女から全力で止められた。そして助けた対価として行動を共にするよう求められたブラッドは、ここ数年の間、仕方なくそれに従っていたのである。


 やがてそんな彼らの下に、聖女誘拐事件が起きたという報せが届く。組織のリーダーは契約の解除を告げ、単独でそちらに向かう事を指示した。ブラッドとしても、逆十字という名前に心当たりがない訳ではない。とりあえず司徒ジューダスは後回しに、彼はレジスタンスに身を捧げた娘の消息を追った。


 そして現在。ロザリーの情報は結局得られなかったが、今も彼らが躍起になって探しているという事は無事だという事。捜索もそろそろこの辺が潮時だろう。

 それともう一つ、気になる事がある。女神サイファーのお告げだ。あの女は相変わらず、こちらへと一方的に何かを啓示する。今この地に自分がいる事も、半分はそのせいだ。


「何が言いたい、あの女。もしかすると……」


 次の行動を思案しながら、ブラッドは先程見かけた天使達の事を思い返した。天使と黒髪が一緒に行動している。その光景は、まさに二十年ほど前に見た記憶を呼び起こさせるものだった。


「やはり、新たな救世主か? ちっ、厄介事と結婚した覚えはないんだがな……」


 ブラッドは空を見上げ、小さく苦笑した。そして遠くの空に見える小さな影を見つけると、その足取りを仕方なさげに追うのであった。


―次回予告―

 絶体絶命の危機、マコトを助けたのは父の元ライバルだった!?

 何このおじさん、すごく嫌な人!

 だけどくやしいっ、すっごく強い……!


 第57話「異世界の強いおじさん」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ