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第55話 『異世界へ!』

 二人が目を開くと、そこはどこかの聖堂の内部のようであった。


 放たれる光が眩しくて目をつぶった、ほんの一瞬の出来事である。サイファーによる儀式の最中、マコトは無重力空間に投げ出されたような浮遊感と共に、誰かに優しく撫でられているような心地よさに包まれた。


 マコトはその間、細かな粒子となって異世界の壁を越え、もう一度自分となる。そのように再構成されていく間、脳裏には走馬燈のようにこれまでの記憶が次々に浮かんでは消えていった。そして最新の記憶であるアンジェの唇が目の前に現れた時、その浮遊感は消えた。


 すると、急に強いにおいを感じた。お寺などで嗅ぐ、香木のおごそかな香りである。次に薄寒い空気を肌に感じると、そこでマコトは目を覚ました。

 見回すとそこにはすでに女神の姿もなく、自分達の足下でお祈りを捧げる民間人が多数並んでいた。その衣服や人種の違いに、少なくともここが日本ではないという事が(うかが)い知れる。


「おお、なんじゃあれは……」

「これは、神の奇跡か……」


 二人はなぜか下着姿であった。大聖堂の祭壇にいきなり現われた凸凹コンビは、発育のいい身体をしっかりと民衆に見せ付けた形となる。あまりの出来事に、マコトの思考はショート寸前だ。


「あ、ああ、あ……」

「わあ、アンジェ初めて自分の力で転移に成功しました! マコト、褒めて褒めて!」

「ちょっと、それどころじゃないでしょお!」


 人々の数奇な目。マコトは咄嗟(とっさ)にアンジェの後ろに隠れた。体格の良いアンジェは、すっぽりと人々の視線からマコトを隠してくれる。しかし、当のアンジェは転移が成功した事を子供のように喜ぶばかり。


「まさか……あれはもしや、行方不明の聖女様ではないのか?」

「聖女様が、天使と共に降臨なされたぞ! 幾分雰囲気は違うが、そうに違いない!」

「ああ、ありがたやありがたや……」


 人々の波は、次第にマコト達に群がった。突如として半裸の女性が現われるなど、神の奇跡に他ならないと拝む者まで出る始末。祭壇に立つ二人の前には、お供え物がどんどん積み上がっていく。


「アンジェ! 何なのこれは!? 私の服はどこ!」

「文句ばっかりですね。肉の塊にならなかっただけでも感謝して下さい。下着はともかく、服まで一緒に転移するなんて芸当、アンジェには無理です」

「そんなの、先に言ってよ!」


 アンジェは最低限の面積の布下着で、天使にしては肉々しい身体を恥じらうこともなく晒している。マコトは申し訳なくなり、アンジェの身体を自分の体を使って隠した。だが身長差のため上手くいかず、最終的に向き合って互いを抱く形となる。


「ううー……」


 こんな事、はじめての経験であった。マコトの身長では、アンジェの胸が丁度顔に当たる位置にある。隠すためとはいえ、これでは逆に恥ずかしい。


「マコト、もしかしてそういう趣味が?」

「仕方ないでしょ! こうしないと見えちゃうんだから!」

「ふーむ。しかし服はどこへ……」


 アンジェの身体は妙に温かく、その胸の谷間に埋めた顔には心臓の鼓動が直に伝わってくる。


「はっ、はっ……」


 マコトは荒く息を吐いた。たくさんの人に見られながら、女同士裸で抱き合うなど人生において一度でも経験するとは思わなかったのだ。早速、女神の言っていた困難が襲いかかり、これからの旅に不安を覚えずにはいられない。


「そうだ、きっと同軸座標上に女神様が送ってくれたはずです。アンジェ、建物に入っちゃったから、きっと屋根の上に落ちてるんですね」

「なんでこんな所に入ったのよお……」

「えへへ、人が多かったから、つい引き寄せられてしまって。信仰深い人々の祈りは、天使にとって心地良い物なのです。それに、私を天使だとすぐに見抜くあたり、皆、徳の高い人々なのでしょう。呼び寄せられて当然です」


 まったく悪びれる様子もなくアンジェが笑った。そもそもここはどこなのだろう。人々の現代っぽくなさや、目に入るどれもが宗教的な強い意味合いを持たせてある辺り、近世のヨーロッパと言われるとしっくりくる。


「それじゃマコト、そのまま掴まっていて下さい。逃げますよ」

「えっ」


 すると、アンジェは急に飛びあがった。彼女は片方しかない翼を広げ、上手くバランスを取りながら聖堂の高い天井を目指す。その時、天使が少女を連れ、天界へと旅立つ様子を描いた色鮮やかなステンドグラスがマコトの目に入った。


「おお、昇天していく……」

「……素晴らしい、神の奇跡だ」


 民衆は感嘆の声を上げた。まさに今、ステンドグラスの状況が再現された奇跡に、涙まで流し、祈りを捧げている。


「さあ、ここをぶち破りますよ、目をつぶって!」

「ええーっ!」


 アンジェは勢いよくそのステンドグラスに突入した。信仰の対象であるそれは音を立て無残にも砕け散り、ガシャーンと地に落下した。夢心地であった人々は、とたんに我に返り叫び声を上げる。


 地上の混乱もそっちのけで、アンジェは屋根に引っかかっていた衣服を発見した。聖堂の上空を吹き抜ける風はまだ肌寒く、外は丁度、日が落ちようとしている頃合いだ。マコトは思わずくしゃみをした。時間が日本と同じとするなら、季節は三月頃だろうか。


「うーん、いきなり無茶するよね。アンジェって」

「あのまま拝み倒されたかったですか? はい、さっき着ていたヒラヒラの服、ありましたよ。早く下、隠して下さい」

「あれ、そう言えば、なんだかスースーするような……ぎゃあー!」


 マコトはいつからか、パンツを履いていない事に気づいた。一気に顔が青ざめ、その場に慌ててしゃがみ込む。


「もしかして、みんなに見られた……!?」

「安心してください、その時は着けてましたよ。たぶん私の再構成が甘く、ガラスを突き破った時に破けたんでしょう。替えは持ってきてないんですか?」

「ねえ、私のバッグもないよ! うわーん、アンジェのばかー!」

「まるまると中身を入れてたから、転がっていったんでしょうね。んしょんしょ」


 アンジェは自分の衣装を着るのに夢中で、軽く文句をあしらった。そして白のレオタードのようなものに手袋と金のブーツを合わせたシンプルな衣装を身につける。その何カ所かにあしらわれたハートのアクセサリーが可愛らしい。


「じゃーん、アンジェ、エンジェルフォーム! これでいつでもあったかです」

「うう……食べ物とか下着とか、全部あれに入ってるのに」


 マコトはやむなくパンツを諦め、先ほどまで着ていた道着に袖を通す。すると、近くに何かが落ちているのを見つけた。それは昔の人が付けるような、女性用の胸当てや籠手、更に頭に巻く鉢がねなどであった。


「あれ? 何だろうこれ。私のじゃないよ」

「ああ、それは救世主の具足(ぐそく)と言って、前救世主様にも送られた由緒正しい装備です。きっと女神様が置いていってくれたんでしょう。サイズは合うはずですよ。特注品なので」


 こんな高価そうな品を貰ってもいいのだろうかと試しに身につけてみると、言われた通りサイズは自分にぴったりであった。変にかさばらず、重くもなく、動きやすい。急所もこれならば守る事ができるだろう。しかし、ずいぶんと用意がいい事だ。本来、マコトがこの世界に来る予定は無かったはずなのに。


「女神様、こうなるの本当は分かってたんじゃないかな?」

「はい、女神様の目はある分岐点までの全てを見通します。そして分岐点の都度、先々を見据えた行動を取るのです。なので選んだ未来、選ばなかった未来、どちらも手の内にあります。なので、今私達がこうしているのも、きっと女神様のお導きなのです」

「騙されたのかな? 私……」

「いえいえ、きっと新しい未来が見えたからこそ、アンジェをお付きに選んだり、マコトをここへと送ったのでしょう。信じて下さい、女神様を」

「うん、そうだね、信じる。信じてる」


 二人が聖堂の屋根で話をしていると、地上からけたたましい金属音がいくつも聞こえてきた。身を乗り出し下を覗くと、鎧を纏った兵士が数十人集まっており、物々しい雰囲気が辺りを包んでいた。


「なんだか騒がしいね」

「はい……ん? あれは……」


 そんな中、神より(かんむり)を頂く、羽の生えた聖人を意味する抽象的な旗が、いくつかアンジェの目に映る。


「あわわ、ここ、ガーディアナじゃないですか……、なんだってこんな所に女神様は!? マコト、やっぱり女神様は信じてはいけません! 本当に恐ろしい人ですっ」

「どっちなの! 意味があるんでしょ? ここに来た事も」

「あるとしたら、きっとお仕置きです。アンジェ、処分されるとか言っちゃったから、それを本気で実行してやろうという(くわだ)てなのです……」

「天使のくせにひねくれすぎ……」


 二人は、身を低くして地上の様子を伺う。どこか地球とは違う生気の無い風が肌を撫で、命をも飲み込んでいくような得体の知れない空気にマコトは身震いをするのだった。






 背の低い少女と体格のいい女性の二人組が突如としてガーディアナ大聖堂に現われたと密告を受け、ここに哨戒(しょうかい)中のガーディアナ兵が急遽(きゅうきょ)集められた。これは、聖女と聖女誘拐犯であるとされる人物の目撃証言と一致する。指揮官と思われる男は眉間にシワを寄せ、一糸乱れず整列した部下達の前に立った。


「まさかとは思うが、神の加護により戻ってきたのか……? しかし、なんとも馬鹿にした話だ。聖堂を突き破り飛び去ったなど……」


 この地、ガーディアナの首都、クレストの警備を統括する司徒バルホークは、一月程かけてその程度の情報しか得られない我が精鋭部隊に対し、はらわたが煮えくりかえる思いをさせられていた。


「いいか! 聖女様であろうと無かろうと、何としてでも見つけ出せ! 明日には第二の聖女の式典がある。もう後はないと思え!」


 承服(しょうふく)の意を示す足踏みが起こる。そこにいる全ての兵により(かかと)の金属部分が打ち鳴らされ、その場に凄まじい音が響いた。


 彼、教皇に心酔する騎士、バルホーク゠リッターは正規軍であるガーディアナ聖十字軍をまとめ上げる、実質、ガーディアナ最強とも呼び声が高い司徒である。彼は端正に揃えた前髪を書き上げながら、深いため息をついた。


「そう……もう、後はないのだ……」


 聖女を失ってからの教皇は酷く荒れていた。これまで近辺警護を務めた、片腕とも呼べるバルホークほどの男でさえその身から遠ざけたのだ。彼もこれには己の不甲斐なさと、狂おしいほどの苛立ちを覚えた。会いたい、ただ、そのお顔を見たい。それだけを考え、何かお役に立てるよう国内の聖女に関する情報を集め続けた。

 しかし教皇は、捕らえた多くのマレフィカの中から第二の聖女として選ばれたソフィアという少女を(よう)し、近く大規模な聖女戴冠式を挙げるという。これにはさすがに彼も異を唱えたかったが、教皇の崇高(すうこう)な考えなど自分ごときに理解できるはずもないと堪え忍んだ。


「これも全て、私が聖誕祭における全指揮を執らなかったために起きた失態。教皇様不在のこの地をお守りするという大役に浮かれ、野蛮な者共の愚かしさを想定をしなかった私の不手際だ……」


 つまり明日までに聖女が見つからない場合、第二の聖女がガーディアナの象徴となるのだ。全ての責任は自分の不手際にあったと、彼は神の火による浄火を自ら望んですらいた。


「いいな、聖女様には手を出すな! だが誘拐犯には何をしても構わん! その肉片の一欠片でも教皇様へ差し出せば、これまでの失態全てをお許しになるであろう!」


 バルホークの怒号(どごう)が辺りに響く。屋根の上からそれを聞いたアンジェは、背筋が凍り付くのを感じた。暖かいはずのレオタードも形無しである。


「終わりです、もう終わりです、このままじゃスタート地点で終わっちゃいますぅ!」

「ねえ、聖女ってどういう事? 私達、誰かと間違われてるの?」

「聖女と言えば、誰もが知るこの国の象徴です! 確か誘拐されたとか、家出したとかでずいぶんな騒ぎになっています。そうだマコト、このまま聖女になって、私の事も助けてくれませんか!?」


 救世主だとか魔王だとか言われたばかりというのに、今度は聖女ときた。さすがのマコトもいい加減にしなさい! である。


「アンジェ、落ち着いて! だったらここから飛んで逃げればいいでしょ。さっきの勢いはどうしたの!」

「あれを見て下さい。弓兵があんなに……。アンジェ、実は飛ぶのは苦手ですので絶対に狙い撃ちです……。でもそのうち、ここにも上がってくるでしょう、その時が、私達の運命の時。短い間でしたが楽しかったですよ、マコト……」

「まだ出会ったばかりでしょ、しっかりして! だけど、確かにこれじゃどうする事も……」


 万事休す。旅は始まったばかりだというのに、このままでは本当にここで終わってしまう。マコトは神頼みするように、父に渡されたお守りを握りしめる。桜の香りのするそれは、そんな絶望する心を落ち着けてくれるようであった。


「お父さん……女神様……お願い、助けて……」


 生きたいという、ほんの少しの願い。そんなマコトの祈りは、寒空の下に空しく消えていくのであった。






「――ここが、ガーディアナのど真ん中か……」


 どこまでも高尚な、香木の臭いが鼻をくすぐる。血と汗と自分の体臭に慣れたこの鼻には、どうにもひん曲がるような臭いだ。


 そんな中、ほんの少しだけ、ある香りが届いた。かつて嗅いだ、若かりし日の残滓(ざんし)。それは、桜の花びらの匂い。


「これは……まさか、な」


 風と共にある男に届いた、少女の祈り。マコトはまだ知らなかった。天から見守る女神だけは、その切なる願いを聞き届けていた事を。


―次回予告―

 父と子の絆か、血の宿命が呼んだ奇跡か。

 絶体絶命のマコトを救ったのは、ある一人の狂戦士であった。

 様々な因果の果て、ここに、新たな伝説が始まる。


 第56話「レジェンド」

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