第54話 『修行開始!』
「これって、デート……じゃないよね」
女神様の来訪により下された、たった一人の異世界旅行。その準備のため、とある場所へと向かう車の中で、マコトは最後になるかもしれない父とのドライブにほんの少しの期待を寄せた。
「すまない、予定変更だ。これから将の道場に向かう。そこで仕上げの稽古をするつもりだ」
「あはは、やっぱり」
本来なら今頃はショッピングか、前から気になっていた映画を見にでも出かけていたのだろう。それがまるで一転、ずいぶん汗臭いデートとなってしまった。
「まあ、こればっかりは仕方ないか……」
「ああ、向こうから帰ったらどこにでも連れて行ってやるからな。楽しみにしてるんだぞ」
「うん!」
少し走ると、鬼道館という、将が立ち上げた流派の道場に到着した。
将は異世界で習った武術を、この世界に教え広める道場の師範でもある。元々は殺人拳であるため武道として成立するようにアレンジしてはいるが、そもそもオリジナルは将にしか扱えないほどで、まさに鬼のような修行が必要なものらしい。
良も太郎丸も同じ師に仕え、それぞれ違う流派を習った。良は救世主の力を主とした天道の型。将は怪力を主とした鬼道の型。太郎丸は気功を主とした生道の型と、全部で六つの型で構成される六道拳といわれるものを格闘スタイルに合わせ、それぞれの長所を生かすように与えられた。
良がマコトに教えたのは、その流派の一つの型、人道の型。中でも身を守る術に長けた活人拳である。ベースは合気柔術で、それに救世主の力を合わせる事で完成する。
「最後の稽古か……よし、がんばるぞ!」
試合場に着くなり、さっそく柔道畳の上で仁王立ちする将が出迎えた。どうやら門下生は全て引き払っており、現在はマコトのための貸し切りである。
「よし、来たな真琴。いっちょやるか、お前も着替えてこい」
「は、はい!」
将はすでに鬼道流の胴着に着替えていた。現役の格闘家が女子高生に試合を申し込むというその異常性に、すかさず咲が異を唱える。
「バカ親父、真琴を殺す気かよ! 私が代わりにやる!」
「聞いてなかったのか? お前じゃ通用しない世界に行くんだって事を。力を失った俺に勝てないようじゃ、良の力を受け継ぐ事なんてできねえんだよ」
「くっ……!」
あわあわと見守るだけの四葉。すると太郎丸が震えるその頭を撫でてあげた。
「大丈夫、ボクはまだ少し気功が使えるからね。真琴ちゃんがケガしても治してあげられるよ」
「ああ、助かる。僕らも太郎丸の気功には何度も助けられたからな。そもそも、お前もその力で医者になれば良かったんじゃないか?」
「気功じゃ病気は治せないから。それに、研究したい事が山ほどあるしね」
彼、太郎丸は人体に秘められた謎を解明する研究を日夜進めている。中でも、気という概念を科学的な見地から確立した第一人者であり、医者の良と格闘家の将は仕事柄、よく太郎丸には世話になっているのだ。普段はスケベでどうしようもない男だが、人類への貢献度でいうと二人の比ではないだろう。
「あ、マコちゃん、来た!」
「さあ、準備が出来たようだ。将、僕の娘だからって手加減するなよ」
「誰に言ってんだ? 俺は格闘の鬼だぜ?」
袴姿の武道着に着替えたマコトが、正座から一礼する。
「では、手合わせ願います」
それに対し、不動立ちからの立礼にて答える将。
「よし、来い!」
「やあー!」
マコトは体軸をやや斜めに反らし、抜きの姿勢を取った。どちらの足にも体重を掛けず、正中線を固定させない構えだ。
将ほどの格闘家ならば、身体の支点である居着いた弱点、急所を射貫くことはたやすい。もし一つでも貰えば即終了となるため、どれだけ躱し、合気を取るかが勝負どころである。マコトはそのままじりじりと間合いを伺うが、将の構えには一向に隙が現われない。
「そっちが来ないなら行くぜ」
突然、腕が伸びたように豪腕が唸った。マコトの両足がそれに対応して同時に動く。浮き身といわれる技で軽くいなし、水のようにしなやかに懐へ潜り込んだ。そして将の爆発力のピークに合わせて、みぞおちに寸勁を叩き込む。丹田を経由した力の流れは、マコトの全体重を掌に乗せ、さらに将の勢いをも利用し、鍛え抜かれた鋼の肉体をも貫いた。
「はあっ!」
「やるな……」
力を必要としない戦い方を極めた場合、まるで質量を持った風のように柔軟で荒々しく変化に対応する事ができる。しかし、相手はその風をも力に変える業火であった。
「爆炎拳!」
いなしたはずの拳が、急に爆発したような衝撃を放った。
マコトは危機感を覚え、二、三歩後ろへと下がる。が、放たれた爆風はさらにマコトを襲った。タッタタッと独特のリズムでさらに間合いを取ると、場外ギリギリの六メートルほど離れた所でそれは収まった。
一瞬で距離を移動する縮地といわれる歩法である。それでもチリチリとまだ熱い。目の前に炎でもあるようだ。
「どういう事……?」
「すまん、力を置いてきたと言ったが、太郎丸のようにちょっとだけ、今も使えるんだ。死ぬほど修行したからな。捨てるのが惜しかった俺の特典はこれだ」
将とは組み手の度にボロボロにされている咲が、信じられない様子で声を上げた。
「親父、私にはあんな技使った事ないのに……。初見でかわす方もかわす方だろ」
「サキちゃん、あれってすごいの?」
「えっと……それはだな……」
「将が繰り出す拳は、常に爆発的な熱を帯びているんだ。さらにそれを気の力でコントロールし、太陽の様に周囲へと放射する。全盛期は全身を炎に包み、火達磨になって魔物達をちぎっては投げていた。正直、未だにあれほど力を使いこなせるとは思ってなかったが……」
良は咲の代わりに説明すると、少しばかり戦意を喪失したマコトへと声を掛ける。
「どうだ、勝てそうか?」
「無理無理! 絶対無理。あんな力あるなんて聞いてないし、そもそも私の攻撃効いてないもん!」
いつも自慢げに言う通り、確かに自分は世界最強の男と戦っているのではないだろうか。父である良とでさえ、どちらが強いのか見当もつかなかった。
「よし、じゃあ一つだけ、お前に力を使うコツを教える。まずはポジティブな事を考えるんだ。なんだっていい、好きな人の事とか、夢の事とか」
「ポジティブ? なにそれ」
「例えば僕は、みんなの笑顔が見たい! と心で唱えていた。そうすると、止めどなく力が溢れてくるんだ。さあ、叫んでみろ、みんなの笑顔が見たい!」
マコトでさえ軽く引くようなノリで良は叫ぶ。これには将も太郎丸も苦笑していた。ああ、いつもの良だと言わんばかりである。
「み、みんなの笑顔が見たい」
「違う! 真剣にだ! 百の気持ちで思え! それがそのまま力になる!」
「みんなの笑顔が見たい!」
しばらくこの寸劇は続いた。しかし、いまいち効果が現われない。
「はあ、はあ……」
「どうした、その程度で音を上げるようなら救世主は務まらないぞ」
「お父さん、ちょっと違うんだ。私はみんなの笑顔が、ただ見たい訳じゃないの。その、なんていうか、お父さんよりもう少し我が強いというか……」
マコトは思案した。しっくりくる表現がみつからない。強引でわがままな自分にとって、やや受け身なのが少し気に入らなかった。見たいんじゃない、したいのだ。
「うん、やっぱり私は、みんなを笑顔にしてみせる! の方がいいかな」
「真琴……」
良は驚きを隠せない。もしかしたら、この子は自分をも越えていくのだという予感がその言葉から感じられた。それは前向きというか、前のめりですらあった。
「ああ、そうだ……。それがお前の救世なんだろう……! さあ、解き放て、お前の救世の心を!」
「うん、お父さん!」
一同はどん引きを通り越し、何か少年漫画を見ているような気分にすらなった。
そんな最中、女神サイファーがスゥーッと空中から姿を見せた。そしてそのまま良達のいる観戦席に降り立つ。その隣には、背が高く、どこかあどけない天使の姿があった。
「本当に変わっていませんね。リョウ……」
「簡単には変わりはしないさ。いや、変わりたくないと言った方がいいかな。僕は、あの頃の自分が好きなんだ。ひたすらに、まっすぐな魂を持った、救世主だった頃の自分が」
「うん、ボクらはみんな変わってないよ。変わったのは君くらいさ。少し冷めた性格とか、そのおっきな胸とかさ」
「まだ言います?」
かわい子ちゃんセンサーが発動した太郎丸は、めざとくサイファーが隣に連れた見慣れない天使に声をかけた。見たところ若いが、かなり発育がいい。
「あれ、新人? 君も胸、おっきいね」
「はいです! 導きの天使、アンジェラス゠ベルといいます。よろしくです!」
太郎丸のセクハラ発言にも、天使はどこかよそ行きの笑顔でハキハキと挨拶をした。まるで隣にいるサイファーのご機嫌を取っているかのようである。サイファーはそんなやりとりを気にも止めず、少し眼を細め、試練に立ち向かうマコトをじっと見つめていた。
「アンジェ、黙っていなさい。マコトが目醒めます」
「んぴっ!」
アンジェはむぐっ、と口をつぐみ、一同は再びマコト達に注目した。
「これは……この力は……」
自分の“救世”を見つけたマコトは、心から何かに突き動かされるような感覚を覚えていた。
「いける!」
「ほう……いい面構えだ」
すると今まで自分の数倍にも見えていた将が、やっと等身大に捉えられた気がした。とにかく、この心の力をありったけぶつけてみよう。それが、父に対する答え。そして、自分の可能性も見てみたい。それは、向こうでもやっていけると、父に安心させてみせるとの決意でもあった。
「はあああっ!」
「俺はよけんぞ、全力で来い!」
マコトはその拳に光を纏い、間合いを一気に詰めた。将の放つ熱気はまだ収まってはいないが、今はもう熱くはない。どうやら、この力によって守られているらしい。
「真琴、ジャスティスハートだ! それを叫ぶことで最大の力を発揮する!」
マコトは言われた通り、ありったけの声で叫んだ。
「ジャスティス、ハーーート!!」
190センチはあろうかという巨躯が、マコトの拳から放たれる光に飲み込まれる。
「ぐおおおっ!」
将の身体から光芒が幾重にも走る。しっかりと十字受けしたにも関わらず、その巨体は衝撃に抗えず吹き飛ばされた。彼は地に足を踏ん張り、凄まじい摩擦から火傷を負いながらもなんとか踏みとどまった場所は、不覚にもオレンジに枠取られた外であった。場外である。
「ぐっ……」
「試合終了! はいはい、ボクの出番ね」
煙を上げる将に、太郎丸が駆け寄り気功を当てる。そして、こちらへと帰って来てから初めての経験に、将はこらえきられずに笑った。
「ハッ、負けた負けた。全盛期の良に比べれば何てことはないが、まあ、こんなもんだろう。良、これでいいんだよな?」
「ああ、お疲れ。正直、まだまだ詰めたいが贅沢は言えないだろう。なあ、サイファー」
「はい、神器の力を有したあなた方には届きませんが、しっかりとマコトに救世の力が受け継がれている事は見届けました。あとはきっと、この子達で成長していくはず。……ではアンジェ、教えた通りに」
サイファーは隣にいた見習い天使アンジェをマコトの下へと向かわせた。アンジェは恐る恐る救世主であり、魔王でもあるマコトへと近づく。そしてぽん、ぽん、と軽く地面を蹴りながら、ふわりと降り立った。
「初めまして、救世主様。私、アンジェといいます。頑張ってあなたをお導きする役目を預かりました。どうか、おそばに置いて下さいませ」
ペコリと頭を下げ、天使はうわずった声で挨拶をした。
「あれ? 女神様が一緒に来てくれるんじゃないの?」
当然の疑問である。以前、良達を導いたのは女神サイファー自身であった。今回も彼女がついてきてくれるのだと思っていたのだ。
「えーと、女神様はアトラスティアの調律者。下界に姿を現す事はもうできないのです。そこで、アンジェがその代わりをする事になりました。大丈夫ですよ、何と言っても一万倍の倍率から選ばれたエリート天使ですから!」
「仮にも天使なのですから嘘はいけませんよ、アンジェ」
「はいーっ!」
マコトは明らかに不安げな顔になった。
天使には普通、背中から二枚の羽が生えているはずなのだが、アンジェには片方にしか羽はなく、さらに頭に乗せた天使の輪も二つに折ったように半分であった。背は高いが、しまりのない顔で、ふにゃふにゃと、どこか落ち着きがない様子。また、女神の顔色をうかがっては、時折メモを確認したり、こちらの目線の少し下を見たり、終始目が泳いでいる。それでもじーっと見つめていると、アンジェは真っ青になって小声でマコトに囁きかけた。
「あの、実はアンジェ、落ちこぼれで、何故今ここにいるのかも分かんないのです。でも、この役目を受けなければきっと処分されてしまうのです。どうかたすけでくだざいぃ……」
彼女はその大きな目いっぱいに涙をためて懇願する。これから救世主になろうというのだ、そんな事を言われては断れるわけもない。
「そっか。じゃあ、よろしくね、アンジェ! 私の事は、マコトって呼んで」
「はいぃ! マコト……様ぁ」
「マコトでいいって」
二人は手を握り合った。色々と後がない同士だと、少し親近感すら沸いてくるようである。
「では丁度良いので、この場を召喚の間としましょう。他の方はこの枠線の中には入らないように願います。最後に何か別れの言葉がある方は、どうぞ」
サイファーは有無を言わさず儀式の準備を始めた。いよいよお別れになると知り、咲と四葉は我先にと叫ぶ。
「私は別れだなんて思ってないからな! 真琴、がんばってこいよ!」
「マコちゃん! 毎日お祈りするから、絶対帰ってきてね!」
親友の言葉がマコトの心を鼓舞する。さらに、咲はマコトのスクールバッグを投げてよこした。中には着替えや生活に使う道具などが入っているのだが、さらに二人の私物や差し入れなども入れられていた。
「ありがとう二人とも! 待っててね、私達何があったって、友達だよ!」
気丈に手を振るマコトの姿に、二人は抱き合って泣き崩れた。すでに畳の上には魔方陣が敷かれている。それは次第に発光し、別れが近づく事を皆に知らせる。最後に、良はたまらずマコトへと駆け寄った。
「真琴、信念を持てば何事も必ずやり遂げる事が出来る。お前は僕達が認めた救世主だ。胸を張って行け!」
「……はい!」
良の喝に将も太郎丸も頷いた。何よりも力となる父の言葉をもらい、マコトは百人力の勇気を得る。
「それから、これを持っていけ。きっとお前を助けてくれるはずだ」
「これは……」
良に渡されたのは、桜の刺繍が施されたお守り。マコトは、父がいつもそれを肌身離さず持っていた事を記憶している。大事な物であるはずのお守りを受け取り、本当にいいのかと見上げる。良はしっかりとお守りと共にマコトの手を握る事で、それに答えた。
「では、そろそろあちらへと向かいましょう。念を押しますが、この選択は本来存在しないもの。つまり天界にすら知られず秘密裏に行わなければなりません。おそらく、リョウ達の時よりも困難な道のりになるかと思われます。よろしいですね?」
「はい、覚悟はしています」
サイファーは少し辛そうにマコトの頭を撫でた。それが意味するのは、残酷な運命に対する哀れみか、激励か。すると、いよいよ空間すらも歪み始める。良は慌てて場外へと退避しながら叫んだ。
「サイファー! マコトを頼む! それから、あの人にも伝えておいてくれ! 僕は元気だと……!」
誰の事を言っているのか、分かるのはここにいるかつての戦友のみである。サイファーはそれを微笑み了承した。そして、改めてマコトへ向き直る。
「では、マコト、アンジェ、エンゲージを……」
「はいです!」
サイファーはアンジェに何かを促した。それを聞いたアンジェは、マコトに向かって一歩踏み出す。そしてまばゆい光の中、二人は口づけを交した。
「ん!?」
カチカチと歯がぶつかり、二人の鼻が潰れあうような不器用なキスはしばらく続いた。フスー、とアンジェの鼻息が漏れ、潰れたマコトの鼻からは、プピーと音が鳴った。
DNAの交換が完了し、これで主従契約が成立した。異世界へと移動するには、一度霊体となり向こうで肉体を再構成する必要がある。それに必要な遺伝子情報を天使が管理するのだ。
ただ、まだ未熟なアンジェの場合、このように女神の力を借りなければ転移に失敗し、二人分の肉塊となってしまうだろう。これはそれほどまでに高度な魔法である。
「ぶはっ、えっ? なんで!?」
「んふー、マコト、飛びますよ!」
ファーストキスは幼い頃父と済ませた記憶があるが、こうして他人とするのは初めてだった。もしかすると女神様も、かつてこのように父と口づけを交したのだろうか。そんな風に少しの嫉妬を覚えながら、マコトは肉体の感覚が失われていく事に気付く。
「アトラス゠テラ・ミタスタスィス……。マコト、頑張るのですよ……」
呪文と共に道場は光に包まれ、柔道畳の内側にいた者達の一切が消えた。もう彼女達には、誰の声も届かないだろう。
「いいか……魔王になんか、負けるんじゃないぞ……真琴」
良はその光の先にあるはずの第二の故郷、アトラスティアへ旅立った我が子へと、それでも声を届けた。運命のその先に挑んだ、新たなる救世主へと向けて。
―次回予告―
とうとう異世界へと足を踏み入れたマコト。
えっ、でもなんで裸なの!?
救世主見習いとへっぽこ天使、アトラスティアにいざ降臨!
第55話「異世界へ!」