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第52話 『救世魔王は女子高生!』

挿絵(By みてみん)





 終業のチャイムが鳴った。


 ガヤガヤとにわかにざわめく教室で、窓から校庭の桜を見つめる。去年、この桜たちは満開で私を迎えてくれた。新たな門出を祝う喜びと共に花びらのアーチをくぐった事が、まるで昨日のように思い返される。

 そして今日、今年度から入学したこの聖陵(せいりょう)高校での一年が終わった。


 憧れでもあった父の母校だが、ごく普通に平々凡々と過ぎていった事が悔やまれる。生徒会長をしていたという父の影響もあり生徒会に入ったものの、中学から続けているテニス部との折り合いをつけながら、勉強も、稽古(けいこ)事もとなると、あれ? と言う間にもう修了式である。


 私、須藤(すどう)真琴(まこと)という普通の高校生は、理想だけが高かった。


 男手一つで育ててくれた父、須藤(りょう)は医者であり、武道の達人であり、格好良くて、優しくて、たくさんの友人がいて、家事もできる完全無欠のお父さんだが、自分はというと本当に普通の、平均点が服を着て歩いているような娘だった。だからこそ、常に父が目標であり、母がいない負担を少しでもかけないようにと努力と根性を信条に生きてきた。


 背が低いというコンプレックス以外は、努力でなんとでもできる。

 最終的な夢は、お父さんみたいな人になりたいというものである。でもあんな人になれるわけがないと言うのも分かっている。だって、ありえないくらいに完璧なのだから。

 高校一年にもなると、そんな子供じみた夢から醒め、現実を知る時期でもある。潔く諦めて別の夢を探すべきかというのが現在の悩みだ。


 かといって私には他に夢らしい夢もない。父という存在を無くした自分は、まるで抜け殻のようなものなのである。


 私に出来る事は、このまま普通に努力し、普通の夢を叶え、普通に死んでいく事だけ。私はそんなごく普通の人生の一ページを、こうしてただ漫然(まんぜん)と過ごしていた。決して戻る事のないその一ページは、私の長い人生の中で、最も重要な分岐点であるという事も知らずに。




************




「真琴、帰ろうぜ」

「マコちゃん、帰りましょ」


 放課後、マコトのクラスメイトであり、幼なじみの(サキ)四葉(よつば)が話しかけてきた。近所に住んでいるこの二人とは、いつも登下校を共にしているのだ。


「マコちゃん、ぼーっとして何考えてたの?」

「はー、学生生活って案外あっと言う間に終わっちゃうんだなと思って」

「まだ一年だろ。私なんか早く終わって欲しいけどな、どうせ家の仕事継ぐし」


 背が高く、腕っ節の強い姉御肌、日向(ひゅうが)(さき)はいつもどこかつまらなそうにしている。一年にして聖陵の影の番長と呼ばれているほどケンカっぱやい。そんな彼女は将来、問答無用で実家の蕎麦(そば)屋を継ぐ事になっていた。


「羨ましいな、私、特にやりたい事もないから」

「あのな、私だって何も蕎麦屋がやりたいわけじゃないんだ」


 そう言うと、彼女は苛立ちを抑えるように空手の構えをとった。咲の父は歴史上最強の格闘家として有名で、忙しく各地を転々としているという。咲も実はそんな父に憧れ空手を習っているのだが、母の稼業である蕎麦屋を人手が足りないという理由で小さい頃から手伝わされている。彼女もまた、消化不良な人生を歩んでいる一人だ。


「なあ、また組み手、やろうぜ」


 咲はシャドーボクシングの(てい)でアピールをするも、マコトは取りなさない。父譲りの格闘好きはなにも咲だけではない。マコトも父の影響で合気(あいき)柔術を毎日続けている。その腕前は全国一として新聞にも載ったほどだ。


「咲とやると決着がつかないからイヤ」

「逃げんのかよ」

「ぶー。そんな事、マコちゃんはしませんよー」

「なんだとー」


 無く子も黙るケンカ番長とこんな風に話せるのは、マコト達くらいのものだろう。二人のいちゃいちゃにしびれを切らし、もう一人の友人、四葉も会話に入り込んできた。


「マコちゃんは、四葉とお勉強をするの!」


 きゃっきゃとはしゃぐ、150センチ台のマコトよりもさらに背の小さな友人、神無月(かんなづき)四葉(よつば)

 小学生が間違えて制服を着ているようにしか見えない彼女は、実際飛び級で高校に通っている12歳の才女である。

 マコトのそばにいつも引っ付いては楽しそうにしていて、マコトもそれとなく四葉の事をいつも気に掛けてしまう。彼女の父は学者をしているらしく、気功という存在を科学的に証明した近所でも評判な変人である。とりわけ奇行の方も第一人者で、マコトも何度もセクハラじみた行為を受けた。その変態親父から四葉を守るためか否か、こうして割とできる限り行動を共にしているのだ。


「四葉、あの変態おじさんに、今日は何もされなかった?」

「うん、今日はね、大丈夫だったよ」

「何だよ、“今日は”って」

「あ、変態と言えば、最近変質者が多いんだって、この辺。私達も気をつけないと」


 話は変態親父から反れ、この街の治安にまで広がった。

 どうもここの所パトカーのサイレンがうるさくてかなわない。昨日も近所で強盗が起きたらしい。ずっと平和だったこの街らしからぬ事態である。


「マコト、お前の親父、いつか強盗捕まえた事があったよな」

「うん、でも最近忙しいらしくて家にいないから心細いよ」

「いいなあ、かっこいいパパで。マコちゃんの夢はパパのお嫁さんになることだもんねー」

「あっ、それは言わないでって言ってるでしょ!」

「わあー」


 ぴゅー、と逃げ出す四葉を追いかけていくマコト。小さい頃、マコトは本当に父のお嫁さんになりたかった。それがだんだんと年と共に変質して、父みたいになりたいと願うようになったのだ。


「まったく、仲が良いこった」


 残った咲は、生徒もまばらな教室を見ては感慨にふけった。いつも元気なマコトの姿を目で追いかける生徒は多い。普通だと自分では言っているが、それは完璧な父に対する自虐であり、周囲からすれば充分超人なのだ。むしろ、男子生徒達にとっては高嶺(たかね)の花ですらある。


「そういえばクラス替え、あるんだよな。はぁ……」


 そんなある男子の嘆きが耳に届き、咲も気が重くなった。次の一年もまた、この三人で一緒になれるだろうか。そんなシステムがあると四葉が知ったらきっと泣くことだろう。

 考えても仕方ないと咲は簡単にクラスメイト達に別れを済ませ、マコト達を追いかけた。


「須藤……真琴……」


 ある一人の男子生徒の不気味な声が、咲には届く事なく教室の中でかき消される。

 そのマコトを見つめていた眼差しは、皆と同じ憧れを秘めたものではなく、幾分狂気を秘めた崇拝に近いものであった。

 彼は密かにオカルトや黒魔術に傾倒しており、その不気味な風貌と言動からいじめに会うことも多々あった。しかしマコトだけは、そんな彼にも当たり前のように普通に接した。それからなぜか、彼をいじめる者はいなくなった。

 次第に彼はマコトの事を敬意を込め、こう呼ぶようになる。


「マコト。我がマオウ……マコト」


 魔王。教室という小さな世界を支配する彼女を、そう見立てただけかもしれない。

 けれど、彼は何か別の存在をマコトの中に感じていた。そして、それをこの窮屈な世界という檻から解き放ってあげたいとも。


 少年は、とある本をカバンから取り出した。

 “異世界転生のやり方”と書かれたその本は、よくある安っぽいオカルト本の一つである。そういった小説の人気から派生して、実際に出来ると(うた)い社会問題になった今では絶版の書籍。しかし、彼は知っている。この世にはかつて、実際にその異世界へと行った人間がいる事を。


 彼は趣味にしている悪魔召喚の儀式の際、とある不気味な声と繋がった事がある。


――そちらの世界に、魔王がいる。返せ、我が魔王を、返せ……憎き、救世主め。


 彼でさえ最初は信じられなかった。しかし、その言葉をつなぎ合わせると、色々と見えてくるものがあった。


「救世主……魔王……異世界……」


 まさに、事実は小説より奇なり。彼は様々な人物に当たりを付け、悪魔の言う救世主という存在の目星をつけた。図書館で調べた所、明らかにこの地球の世界線が変わったのは、およそ20年前。様々な超常現象的な新常識が世の中に広まり始めた頃だ。きっと、その頃に行方不明者として扱われ、それを異世界からもたらしたであろう者の近くに、我が魔王はいる。


「我がマオウと、異世界に……そして、このボクが、次の救世主になるんだ……」


 運命という名の足音が、少女に忍び寄る。

 それはごく普通ではない、非日常の一ページの始まりであった。






 修了式も終わり、今日から晴れて春休みである。下校途中、咲はせっかくなのでどこかに寄って帰ろうと提案する。毎日忙しくしているマコトと久々に遊べるチャンスとあり、そのために成績が悪い彼女も頑張って補習行きから逃れたのだ。


「なあマコト、今日はセンター街にでもいかね?」

「あ、ごめん、今日はちょっと」


 マコトはバツの悪そうな顔をして断りを入れた。本日、マコトには何よりも大事なイベントが待っているのだ。


「あ、そっか、今日は親父さんが……」

「うん、久しぶりに休みが取れたんだ。それで、一緒に出かけようって事になって」

「マコちゃん、前から楽しみにしてたもんねー」


 デートと言うと恥ずかしいが、たまの休みの日は父と二人で出かけることにしていた。この二人の間にだけは、咲も四葉も入り込む事はできない。


「じゃあさ、今日はマコトん()寄っていこう」

「あっ、邪魔する気だな」

「さんせーい、四葉もマコちゃんのパパ大好き」


 ニコニコとマコトを見上げながら前を歩く四葉。どこかフラフラとおぼつかない足取りである。彼女には学生鞄でさえ大荷物なのだ。それプラス貯まりに貯まった一年間の荷物を、マコト達も肩代わりして運んであげている。


「こら、ちゃんと前を見て歩きなさい」

「えへへー」


 そう注意するマコトの向かい側の信号の先を、この世の物とは思えない絶世の美女が歩いてきた。

 ウェーブの金髪に真っ白な肌。さらには海外のファッションショーで見るような純白のドレスを身に纏っている。

 ただ、彼女はなぜかマコトを一点に見つめていた。その透き通るようなブルーの瞳に見据えられ、マコトは身動きが取れなくなる。いや、マコトだけではなく、誰もがその美貌に釘付けとなった。


「マコト……ワガマオウ、マコト……」


 しかし後ろ向きに歩いていた四葉だけは、マコトの背後から現れた男の姿に気づく。だがそれはいつかマコトがいじめから助けたクラスメイトの男子であったため、四葉は目を合わせニッコリとほほえんだ。しかし、その笑顔は瞬く間に凍り付く事となる。


「え……」


 男子生徒の目からは何も感じ取る事はできなかった。口をだらしなく開け、よだれまでも垂らしている。まるで、魂と呼べるものが失われているかのように。


「マコちゃん、あぶな……」


 四葉が叫び終わる前に、男子生徒はマコトを勢いよく突き飛ばした。それを受け止めようとした四葉と共に、すでに車道へと乗りだしていた事に気付いた時には、猛スピードで迫り来る大型トラックの目前であった。過労の中にある運転手はただ、何かに操られるようにうつろな瞳でアクセルを踏む。


「四葉っ!」


 マコトはその刹那(せつな)、四葉をその腕に抱きしめた。


 巨大な鉄の塊が、少女達の体を蹂躙(じゅうりん)する。それらは一瞬で形を変え、物言わぬ塊となって吹き飛んだ。上がる血飛沫すらも全てが鉄に飲み込まれる。同時に何かを巻き込んだ車輪は骨を砕く音と共に進路を変え、歩道に乗り上げると建物へと激突した。鳴り続けるクラクションと、故障したディーゼルエンジンの回転音だけが不気味にループする。場違いな青信号の音楽、人々の悲鳴。広がってゆく血だまり。


「い……いやあああああああああッ!!」


 道路に転がる、二つのなにか。大好きな二人の変わり果てた姿を前に、咲は慟哭(どうこく)の叫びを上げた。




************




「あ、あれ……?」


 何気ない日常を赤く塗り替えたその惨劇を、マコトは宙から眺めていた。悪寒とともに、止めどなく汗が流れ出す感覚だけがある。気がつけば服も着ていなかった。どこかその体は少しぼやけたように存在が不確かだ。トラックからかばうため四葉を抱きかかえた所で、全てが真っ暗になった事は覚えている。死んだのだろうか。しかし、現実感が伴わない。


「四葉……四葉はどこ?」


 辺りを見下ろすも、ただ異様な光景が広がるだけである。泣き叫ぶ咲と、衝突した車、血の跡、人々の怒号。しかし、先程の女性だけはその場にはいなかった。幻だったのだろうか。


「マコト、マコト゠スドウ……」


 宙に浮かぶマコトのさらに頭上から、女性の声が聞こえた。

 マコトはそちらを見上げ息を飲んだ。頭に光の輪を戴き、その背中には大きな純白の羽根が広がる。それは、先程の女性の姿をした天使であった。


「ああ……」


 そうだ、あの女の人は私を迎えに来た天使で、こうなる運命を見届けに来たのだ。自分はきっとこれからお母さんの待つ天国に連れて行かれるんだ。マコトは受け入れがたい現実から、そう逃避しようとした。


「それは違います。あなたはまだ生きている。そして、あなたの中にいるもの(・・)も、また」


 思考を読み、こちらへと近づいてくる天使は、マコトの逃避を許さなかった。そしてその魂にしっかりと肉体の存在を自覚させるため、腹部に爪を立て、鋭い痛みをもたらす。


「うああっ!」


 天使は、マコトの身体に手を差し入れた。不思議と血は出ないが、それは明らかに肉を裂いて侵入し、自分の内側がその手に触れられる感触があった。そして、下腹部にある何かに狙いを定め、やさしく包み込む。天使の暖かい手の中で、その何か(・・)は、生を育むようにゆっくりと胎動(たいどう)していた。


「う……、この鼓動……もしかして、あか、ちゃん……?」


 天使は静かに頷く。そして、とても悲しい顔をした。


「選びなさい。今、ここで、この赤子を殺し元の穏やかな生活に戻るか。それとも、あなたの背負う運命と戦うため、私と共に異世界へと来るか」

「何を言って……」


 全く身に覚えのない赤ん坊など、気味が悪いものでしかない。しかし、赤子はマコトの胎内で、しっかりと息づいていた。マコトを母として頼り、命を繋ぎ、全てを委ねてくれていた。何一つ分からないが、それだけは確かだ。その現実に少しだけ、マコトは冷静さを取り戻す。


「……あなたは、誰ですか?」


 その問いに、天使はマコトから一旦手を離す。そしてどこか感心したようにマコトへと向き直った。


「私は女神サイファー。こことは違う世界、アトラスティアを調律する者です」

「どうして、こんな事になったの?」

「運命です。あなたはここでご友人の死に直面する事になっていました。そして自らもまた、ヒトとしての命を終えた」


 女神と名乗る女性は淡々と、何の感情も無く言葉を連ねる。すると次第に、マコトの中にこの理不尽に対する激情が生まれた。


「分かりません、そんな説明じゃ、なんで、四葉が死んじゃったのかなんて、全然!」

「人の死に理由などありません。あるとすれば、悪魔のいたずらなのかもしれませんね」


 そうだとしても、マコトはただ受け入れる訳にはいかなかった。毅然と立つ女神のドレスにすがりつき、少し乱暴にそれを握りしめる。


「どうして……どうして……」


 女神は少しだけ表情を変えた。それは、憐憫(れんびん)の色である。こんな少女にぶつけるにはあまりに残酷な運命に同情したのか、涙に濡れるマコトの顔を撫で上げた。

 そして、試し、選び、歩む。その、ヒトが当たり前に享受(きょうじゅ)すべき順序を与える事にした。この子ならば、とのかすかな期待を込めて。


「では、一から説明しましょう。須藤真琴、あなたの肉体はあの巨大な鋼鉄に押しつぶされ、瀕死の状況にあります。今こうして私と会話しているのは、あなたの魂です」


 マコトは再び下を見る。あのトラックは十トンほどはあるだろう。どう考えても、自分は死んでいるはずだった。


「そして、あなたの胎内に宿る赤子は、我々の世界でいわゆる魔王と呼ばれる存在の魂。その力が、あなたを未だ生かし続けているのです」

「魔王……?」


 あまりにも突飛な発言に冗談を疑ったが、下腹部でうごめく何かは、確かに存在している。むしろ今、眠りから目覚めたのか、内側からお腹を蹴る様な感覚までも覚えた。


「うっ……」


 にわかには信じがたいが、この状況自体すでに現実からかけ離れている。少しずつ飲み込めてきたマコトは、そこで初めて女性の言っている事が一欠片理解できた。


「このお腹にいる子が、魔王なの……?」


 女性はゆっくりと頷いた。


「人間の中でも特に精神が弱い者、衰弱している者などは、魔の力に心を囚われます。つまり、その魔王たる赤子の力は、あなたの中で徐々に育ち、漏れ出していたのです。この事故を企てた者も、おそらく魔に魅入られていた一人でしょう」


 マコトは、事故の瞬間の出来事を思い返す。確かに、何者かの悪意がそこにはあったのだ。


「そう言えば私、誰かに押された気がしたの……、その人は、どこに……」

「そんなヒト(・・)、もういませんよ。彼は鋼鉄の車輪に巻き込まれ、私の手の届かない所へと行きました。おそらくは、それが悪魔との契約なのでしょう……」


 冷徹な表情をひとつも崩さずに、サイファーは続ける。


「このまま傷ついた肉体が器としての機能を保持出来ない場合、あなたの内に眠る魔王が目覚めます。そして、今、一刻一刻と、その瞬間が近づいているのです」


 冷たさを持つ彼女の言葉に、マコトの身体にかすかに残る、四葉のいた(ぬく)もりが少しずつ冷えてゆくのを感じる。


「本来、このような事はあり得ませんが、こちらの世界で魔王が目覚めた場合、最悪、世界は滅亡します。この世界に眠る過剰なまでの兵器は、大地を幾度も滅ぼすほどに凶悪な力を秘めているのです。なので、異世界の女神である私が来た。魔王の存在を知りながら黙認していた責任として」

「どうして、私が……」


 マコトにはさっぱり分からない。体に残っていたはずの四葉の熱も、すでにすっかり失われてしまっていた。


「そうですね、なぜあなたなのか、それをお話しましょう。魔王は私の来た世界、アトラスティアを永きに渡り支配していました。突如として現れた魔族の王の正体、それはかつて星の父と呼ばれたフォルティス。母の星エンティアの時代以前、生命の果実を人類に与え、地上を殺戮の地へと変えた存在です。その失敗から一度は創造主によって追放された彼は、再び人類を導くという野望のために魔の力に目覚め舞い戻ったのです。ですが今から二十年前、こちらの世界の特別な力を持つ者により倒され、その内へと封印されました。ここまではいいですね?」

「は、はい……よく分からないけど、理解はできます」

「ふふ、利口ですね。つまり、あなたの父、リョウ゠スドウこそ、かつて魔王を倒した救世主。魔王はその存在を魂に変え、救世主と同化する事で消滅を逃れました。そしてその魂は、新たなる器となる存在を見つけ、未だ消滅せずに今あなたの胎内で眠っている。そう、救世主の子であるマコト゠スドウ、あなたに」


 父が完璧すぎる訳が、今分かったような気がした。それもそのはず、彼はどこかの世界を救った救世主だったというのだから。こんな話、普通なら信じない。だが、マコトは誰よりも父を尊敬し、憧れ、愛している。これほど馬鹿げた荒唐無稽な話も、なぜか父ならば、と信じられるのだ。


「お父さん、そんな話、少しもしてくれなかった……」

「それはそうでしょう。あの方は、自身で全てを抱え込む人ですから」


 女神は勝手知った仲であると言わんばかりに、遠い目で救世主を語る。


「魔王は絶望を(かて)にする。ここで今起きた現実に、やがてあなたは絶望し魔王となる。だから、あなたの魂が肉体と繋がっているこのわずかな猶予(ゆうよ)に、全てを決断しなければならない」


 話の最中、マコトの肉体に異変が生じる。その皮膚がビリビリと破れ始めたのだ。日焼け後のそれという状態ではなく、酷い所では裂け、中から痛ましい血肉を覗かせている。


「さあ、決断しなさい。もう時間は残されていません。私に魔王が殺せるのは、今だけ。魔王を殺せば、あなたも普通の少女として甦ります。この周辺への魔の影響は止み、そしてまた人間(ヒト)として生きていける」

「人に、戻れる……」


 朦朧(もうろう)とし始めた意識の中、ただ一つの想いのためにマコトは正気を保ち続けた。まだ納得はできない。語られる内容の中に、存在しないものがあるのだ。


「まって! それじゃ、四葉はどうなるの!? 私を守ろうとしてくれた、あの子は!」


 女神はただ、首を振る。彼女がここで命を落とすのは、運命だったのだと。


「いや……そんなのいやっ! そうだ、何か言ってたでしょ、さっき。運命と戦うかどうかって……異世界に行くかどうかって!」


 失った友人の笑顔。それを取り戻せるのなら、何だってする。たとえ自分が死んだとしても、いや、たとえ魔王になったとしても。


「そう。もちろん運命を変える選択肢もあります。願い通り、ご友人の死すら無かった事にする選択も可能ですが、その先は私にも見えない世界。あなたの身に何が起きるのか、保証する事はできません。そして、魔王はあなたの中に存在したままとなる。その選択は、人一人の命と、二つの世界の命運を天秤にかける事になります」

「私は……絶対に魔王になんて負けない! だから、全てを元に戻して! お願い、女神様!!」


 その強い決意は、たとえ神であろうと曲げたりはできないだろう。マコトの表情から、かつての救世主リョウの面影を見たサイファーは、しばし考えた後その力を振るう事にした。


「似ていますね……。私は、きっとこうなる事が分かっていた。だから、先にあなたに残酷な現実を見せたのかもしれません。ここで折れるようなら、魔王を受け止める事など到底不可能なはずですから」

「ありがとう……女神様。私、頑張るから、絶対!」

「マコト、これからあなたに訪れる運命は、より過酷で凄惨ななものとなるでしょう。ですがどうか、最後まで負けないで……私に言える言葉は、それだけです」


 まるで彫刻のような彼女が初めて見せた、母のような笑顔。

 全てが消える。凄惨な事故現場は光に包まれ、その存在をかつての穏やかな日常の姿へと戻すのだった。




************




「ねえねえ、マコちゃん、どうしたのー?」


 気がつくと、目の前にマコトを見つめながら前を歩く四葉がいた。今度は、道の向こうに歩く女性の姿はない。


「…………!!」


 マコトは、おもむろに四葉を抱きしめた。そのすぐ後、前方を通り過ぎるトラック。マコトの背後へと忍び寄った男子生徒の姿はそこにはなく、やがて歩行者信号が青へと変わる。スピーカーから流れる鳥の鳴き声と共に歩き出す人々。


「マコ、ちゃん……?」


 がっしりと痛いくらいに締め付けられ、四葉は困惑する。


「真琴、どうした? みんな見てるぞ」


 隣を歩く咲も目を丸くした。普段は四葉がとるような行動をマコトがとったため、いつもと違う日常へと足を踏み入れたような感覚がよぎる。なぜだろう、別れの季節だからだろうか、このまま二人がいなくなってしまうような気さえした。


「おい、一体どうしたんだよ……」

「あは、あはは……よかった……よかったよう……」


 脱力感が全身を襲う。マコトはしばらくその手を離すことができずにいた。


 辺りは何も変わらない普通の日常。マコトは泣いた。それにつられて、四葉も泣いた。よく分からないが、咲も泣いた。時を戻し記憶から消えたとはいえ、一度は体験した平行世界での凄惨な出来事が彼女達の深層心理に影響を与えたのだ。


「マコちゃん、泣いちゃやだー」

「うん、えへへ、もう大丈夫。もう、大丈夫だから」

「ばかやろー、急に変な事しやがって。なんか泣けてくるだろが……」


 三人は思春期特有の感情の揺らぎに当てられ、ただ笑い合った。これからも続くであろう、かけがえのない“いつも”を噛みしめて。




「……ふふ。あの子達を見ていると、なぜだかとっても懐かしい気分になるわね、リョウ……」


 安堵と共に彼女達の無事を上空から見届けた女神サイファーは、一人ある場所へと向かうのだった。笑顔に満ちた彼女達の姿を、自らの過去と重ねながら。


―次回予告―

 一難去ってまた一難。

 お茶の間に現れたのは、なんとまたまた女神さま!?

 救世主ご一行様、異世界同窓会のお知らせです。


 第53話「女神様との契約」

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