第8章 番外編 『救世主、惨状!』
薫風吹き渡る初夏のこと。どこまでも抜けるような青空を、高く高く泳ぐように飛ぶ渡り鳥の群れがあった。
鳥たちは綺麗に一列に並び優雅に空を駆ける。そんな中に、片翼しかないやや不格好な鳥がいた。それは明らかにスピードも遅く、一羽で隊列を乱している。その鳥は次第に群れから外れ、ついに力尽きたのか高度を下げた。
あれは何だ、怪我をした鳥か、壊れた飛行機か。違う、その正体は数人をその背に乗せて、キメラのようになった何かだった。
「ぎゃー、おちるー!」
その何かは、叫び声を上げながら地上へと舞い降りた。いや、墜落した。
「ぐえー!」
「あいたた……ソフィア、無事?」
「うん……」
羽の生えた大柄な少女を下敷に、その上から二人の少女が起き上がる。一人は小柄で、あまり見慣れない異邦の恰好をした少女。もう一人は薄手のドレスを身に纏った、令嬢風の少女。つまり、例の救世主一行の三人組である。
「いやあ、いくら天使でも、あの高さから落ちるとさすがに痛いですね」
二人分の体重を乗せ地面と激突したはずの少女は、なぜかケロリとして立ち上がった。
「アンジェ、ギャグキャラだから怪我はしないんじゃなかった?」
「違います! 天使はこの世の物理法則をある程度無視できるのです! でなければ、今頃マコトのパワハラで顔の一つくらいふっ飛んでますよ」
「ひどいなあ。ア○パンマンじゃあるまいし」
「何ですかそのアンジェパンマンってのは。だったらマコトは黒パンマンですね。どっから見つけてくるのか、いつも黒パンを常備し黒パンツまで履いた謎の少女、人呼んで黒パンマン!」
「あ、あれはブルマっていうの! あ、そんな事言うんだったら、今日は私の手料理にしようかなー」
「ひいー、ごめんなさい、許して下さい後生ですから!」
アンジェはプライドも捨てすかさず土下座した。ふいにその背中から見える、片翼をもがれたようについた傷跡が痛々しい。こんな丈夫な彼女でも、きっとこれまで色々な事があったのだろうとマコトは心を痛めた。
「アンジェ、もういいから。それより、ここまで運んでくれてありがとう。国境も抜けられたし助かったよ」
「いえ、鳥と同じ風に乗れば街まではいけると思ったんですが……さすがにソフィアの魔力も尽きてはどうしようもないです」
「アンジェ重いから、風の精霊も大変だって言ってる」
「ひ、ひどい!」
「ふふ、アンジェ胸大きいから、それが重いんだよ。でもこういう時クッションにもなるし、一長一短か」
その無駄に抜群のスタイルを見てマコトがからかう。しかしこの冗談は、彼女にとっても諸刃の剣でもあった。
「マコトだって大きいじゃないですか。背は小さいくせに体重はあるし、一重一短ですね」
「あっ、それ、気にしてるんだから! もしかしてこれに、全部栄養が吸われてるのかな……」
「うーん、でも女の子なら背が小さい方がかわいいじゃないですか。こうしてアンジェの胸にちょうど頭が来るので、胸置きとしても便利です」
そう言ってアンジェはそのたわわな胸をマコトの頭へと乗せた。ずしりとした重みと、胸の裏の汗をかいた変な生ぬるさがマコトの顔面を包む。
「ふうー、アンジェ肩こりがひどくて。この重みは物理法則すら越えてくるんですよ。あー極楽極楽」
「へー、そうなんだ」
マコトは笑顔でアンジェの腕を取ると、くるりと裏手に回りそのまま押し倒す関節技を決めた。その胸が良い感じに腕を挟み、簡単には逃れられない仕組みとなっている。
「ぎゃあー!」
「気にしてるって言ったよね? そんな風に言う子には、こう!」
「ギ、ギブアーップ……!」
「肩取り二教。合気に身長差は関係ないよ。反省した?」
「しますっ、しますからっ! あなたの攻撃は物理というより、人体をいかに効率的に壊すかに主眼を置いていて怖いんですよっ!」
「失礼な。これはれっきとした護身の技だよ」
「ふふっ、ふふふっ」
そのやり取りを見て、可憐に笑うもう一人の少女。しかし、その口元はどことなく陰湿な含みを帯びている。
「ソフィア……良かった、笑ってくれた。ずっと元気なかったから、心配してたんだ」
「ふふ、それは笑うよ。あなた達って、本当にバカみたいなんだもん」
「ば、ばか……」
歯に衣着せぬこの少女は、何も悪いと思って言っているのではない。どういう生い立ちであったのか、根っこからこういう子なのである。
「んー、相変わらず可愛くありませんね。バカって言う方がバカなんですーっ」
「ふふっ、それ、決まってバカが言うやつ」
「ンキーッ!」
「アンジェ、私はバカでも良いと思うよ。だって、そのほうがたくさん笑えるもん」
「笑われるの間違いでは……。まあ、マコトが言うなら仕方ありませんね」
マコトの仲裁によって、この個性的な二人の関係も特にこじれる事はない。むしろ、これが彼女達の日常風景だった。
(そう、みんなを笑顔にしてみせる……。それが、お父さんとの約束……)
今は違う世界にいる父。それでも彼から受け継いだ思いはずっと繋がっていると、マコトは遠い空を見つめた。
「さ、二人とも、いつまでもこんな所いたら魔物に襲われちゃうよ。早く街に行こ!」
「マコト、待って下さいよー」
「あっ、置いてかないで……っ」
マコトは体の埃を払い、行く先に見える街を目指して歩き出す。未知の世界に対する期待と不安、そしてどこまでも純粋な一つの想いを胸に。
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ロンデニオンの玄関口、自由都市デュオロン。
彼女達がこれまで旅してきたガーディアナの地域とは異なり、この国の人々は“生きている”という感じがした。魔女でも堂々と表を歩けるという意味では、彼女達にとっても初めて生きた心地を覚える場所だった。
「わあー、やっぱり賑やかな街ってなんだかワクワクするね」
「都会の空気、懐かしい……」
ソフィアは都会っ子らしく、すぐにその空気に馴染んでいた。問題は、天界から来たおのぼりさんである。
「もう。アンジェ、そんなにキョロキョロしないの」
「マコトマコト、あれ見て下さい!」
そんなアンジェの目線の先を追うと、活気あふれる街の一角にて、興味深い催しが開催されていた。たくさんの犬が身なりや芸を競う、ドッグコンテストである。どこか大型犬のようなアンジェは親近感を覚えるのか、愛くるしいそれらを見て途端に目を輝かせた。
「わんわんコンテスト! みんなふわふわで、もこもこで、ぽてぽてですよ!」
「私、犬は苦手……」
「まあまあソフィア、ちょっと寄っていくだけですから」
人混みに紛れ、三人はコンテストを観覧する事になった。こんな平和な催し、これまで旅をしてきて初めての遭遇である。マコトもアンジェもそれは子どものようにはしゃいだ。
「わんちゃんかあ。どの世界でもそんなに変わらないんだね。あ、でもなんだか見たことないわんちゃんがいる! おけけがくりんってしてて、尻尾が燃えてるみたいに逆立ってるよ!」
「あれは、イヅモのコマイヌでしょうか。拒魔というだけに、魔除けの力を持つ霊獣なんですよ」
「へー、狛犬ってホントにいるんだ、すごいなあ」
せっかくなのでマコト達は、そのイブという犬に一票を投じる事にした。彼女は主催である組織が所有する犬らしいが、出来レースが疑われるほどにあらゆる審査で一等を総なめにした。中でもアスレチック部門ではぶっちぎりの一位で、あれは本当に犬なのかという苦情まで飛び出す始末であった。
「あー、楽しかったあ。みんな可愛かったね、ソフィア」
「ま、まあね、私の次くらいには……」
「まったく、素直じゃないですねえ。マコト、私達も犬、飼いましょうか? こんな子にもいい影響を与えてくれるかもしれませんよ」
「だーめ。私達自体どうなるかわかんないのに、簡単に命はあずかれないよ」
「そうだよ。ペットはアンジェだけで十分。ほら、お手」
「アン! ……って、天使の服従本能を利用しないで下さい!」
「くすっ、言うほど従順じゃないでしょ」
世にも珍しい恰好をした彼女達は、やはり言われるまでもなく目立っていた。コンテストが終ると、人々の目はだんだんこの三人へと移る。
中でも年上と思われる少女を一言で跪かせてみせたソフィアを見て、そこにいた人々は彼女の出自を想像した。前で揃えた、その流れるような銀髪。紫のビロードのドレスに、様々な色をした宝石がちりばめられた金装飾。どこからどう見ても、やんごとなき身分のご令嬢である。隣のおかしな二人は気心のよく知れたお付きか奴隷だろう。
(どこの子かしら、どことなくフェルミニア人に見えるけれど)
(いや、ガーディアナの令嬢かもしれない。振る舞い方に教義を感じる)
そんな想像と同時に、人々は彼女を気の毒にも思った。現在この街を賑わせている聖女捜索クエスト。まさに彼女はその疑いを一身に受けるほどに聖女らしいのだ。
そんな中、催しの手伝いに派遣されていた冒険者達による会場の撤去作業が始まった。この街も治安が安定し、最近ではこういった収入の低い平和なクエストばかり。彼らは愚痴を吐きながら、そこかしこに散らばる犬のフンの始末に追われていた。
「まーったく、何がわんわんコンテストだ馬鹿らしい。ギルドも今じゃこんな仕事しかねえのかよ」
「ほんとだぜ。宝石強盗の事件以来、俺達も落ちぶれたもんよ。ナンバー3クランの座もリベリオンだかなんだかの新人に追い出されるしよお。まさか、こんなおままごとみてえな出し物の雑用に回されるなんざ、誰が想像したよ」
「ああ、俺達も一度、あの頃の自分を取り戻すべきかもしれんな。ロンデ監獄帰りと恐れられたこのノークライム、こんな所で終わる訳にはいかんだろう」
その三人組の冒険者らしき男達は、ギラギラとした目つきで割と裕福な客層を眺めていた。もちろん、そんな彼らがソフィアの事を見逃すはずがない。彼女の身なりを見るだけで、三人はふつふつと犯罪者であった頃の血が涌き上がるのを感じた。
「おい見ろよ、あの女。あれは……」
「ああ、金のにおいがプンプンしやがる。昔だったら後を付けて金目の物を盗んだりしたかもな」
「違えよ! まさかとは思うが、あの女、最近逃げ出したっつう第二の聖女ってやつじゃねえか? これまで散々偽物を掴まされてきたが、ここに来て大当たりかもしれねぇ!」
「何? 確かに開示された似顔絵と特徴が一致する……。決まったな、そろそろでかいヤマを当てたいと思っていた所だ。これが成功すれば、こんな惨めな仕事をする必要もなくなる事だしな。女一人をガーディアナに送り届けるだけの簡単な仕事、やらん手はない」
自分達の不正によって、すでにこの国では聖女の捜索は全面的に禁止されてしまった。ならば今度はこっちから直接本国に明け渡せばいいのだ。バレたとして、流石のラウンドナイツも他国にまで捕まえにはこないだろう。
「しかしどうする? 俺達もすっかり足を洗ったワケで、まさか強引に攫っちまう訳にはいかねえし」
「簡単よ。この犬っころを使えばいいのさ。こんなのを見に来るような女だ、それをダシに使えばホイホイついてくるだろうよ」
「よし、そうと決まれば急ぐぞ。俺は馬車を用意してくる。お前達、首尾良くやれよ」
「おおよ!」
そうしてこそこそと動き出した男達にも気づかず、会場ではまだ多くの人々が控えに戻る犬の姿を眺めていた。
「おお、あの子今こっち見ましたよ! イブちゃーん!」
「さ、そろそろ行くよ。これから宿を取ったりしないといけないんだから」
「えー、もう少し見ていましょうよー。宿は逃げませんよー」
「そうそう、こんなにたくさんの犬、今日しか集まらないからねえ」
マコト達が行く行かないでもめていると、そこへと薄ら笑いを浮かべた男が近寄り、親しげに話しかけてきた。
「お嬢ちゃん達、良かったらもっと近くで見てみたくないかい? 今なら特別に、ワンちゃん達の控え室に連れていってあげよう」
「いいんですか!? わーい!」
「アンジェ子供みたい。マコト、こんなのほっといて宿探しに行こ。私、高級ホテルのてっぺんがいいな」
着の身着のままの旅の最中というのに、ソフィアはいつもこうしてワガママを言ってくる。この子がいると節約もできないと考えたマコトは、今だけ二人とは別行動を取ることを思いついた。
「そ、そうだ! ソフィアもアンジェと犬見てきたら? 宿は私が取っておくよ。また歩き回るのも疲れるだろうし」
「えー? そっか、それもそうだね。アンジェのせいでもう歩き疲れちゃった」
「二人とも、ここにいるんだよ。それじゃ私、行ってくるから」
男はにやりと笑った。平然と高級宿を要求するという事は、やはり高い身分の娘だろう。そしてこの何となく気の強そうな異国の女は別行動に入り、護衛はおつむの弱そうなぼーっとした女だけ。なんとも幸先がいい出だしだ。
「さあさあ、ではこちらへ。わんわん達が待ってるよー」
男達の強引な勧誘は、もちろん他の観客の耳にも届く。
「えっ、もっと近くで犬が見られるって! 私達も行こう!」
「やった、だったら優勝したイブちゃんに触ってみたいな!」
「うっ……仕方ない、今回は特別に女性限定だよ! ほら、こっちこっち」
予定より多くの人数が志願し男達は困惑したが、下手な聖女も数打ちゃ当たるとまとめて連れていく事にした。そうしてゾロゾロと若い女性達を引き連れ会場の裏手に回ると、そこにはすでに木造の馬車が準備してあった。ここまでは計画通りである。
「あれ? 会場はあっちですが? 私達、あそこでマコトを待ってないと……」
「い、今からこれに乗せて持ち主の所に返しにいくんだよ。さあ君達、お犬ちゃんはこの中にいるから、ちょっと暗いけど我慢してね」
「キャー! 私が先よー!」
女性達は我先にと馬車に乗り込んだ。その波に揉まれ、アンジェもソフィアも団子になって乗り込んでいく。
「ぐ、ぐるじい……ソフィア、大丈夫ですか?」
「う、うん。でも、なんか変……どこにも犬なんていないし」
闇の中でも目が利くソフィアが訝しんだ所で、突然馬車の入り口が外から閉められ、かんぬきが掛けられる。
「おい、こっちの準備はいいぞ、早く出ろ!」
「よし、お前達も乗れ! 飛ばすぞ!」
急発進する馬車に揺られ、女性達は悲鳴をあげた。しかしそれは街の喧騒にかき消され、ついに誰にも気づかれる事なく人の少ない郊外へと出てしまう。
「あいたた、一体何が……」
「もしかして私達、悪い人に騙されたのかも……」
「あなた、どういう事? ワンちゃんは?」
「初めからいないよ。いつだってそう、それが奴らの手口なの」
「そんな……いや! ここから出して!」
ソフィアの指摘に、一様にパニックへと陥る女性達。
「そうだよ、人なんか信用しちゃだめだって、たくさん知ってたのに……」
ソフィアは溜息と共に自身の左人差し指の爪を見つめる。いつかの怪我か、その爪は一度剥がれたような痛々しい姿をしていた。
「ああ、アンジェのバカ! マコトと離れてしまったばっかりに……」
こんな時、マコトがいれば……一度はそう考えたアンジェだったが、それではダメだと首を振る。
「だったら、アンジェがこんなドアぶち破って……」
「おっと、変な気を起こすんじゃねえぞ。お前達はただガーディアナに着くまで大人しくしてればいいんだ。俺達はむしろ、家出した聖女様を親切におうちに返してやろうっていうだけだからな」
外から聞こえる男の声。覗き窓からこちらを見るその目玉は、一人一人をギロリとにらみつける。
「ガーディアナ……」
そこにいる皆、当たり前に恐怖を感じてはいるが、ソフィアだけは様子が違った。その恐怖は他とは計り知れないほどに深く、もはや正気を保てずにすらいる。その理由についてはアンジェだけが知る所だが、今はどうする事もできない。
「マコト……ごめんなさい、アンジェがついていながら……」
すでに馬車は木々が鬱蒼と茂る深い森に入り、人里からは遠く離れてしまった。男の一人は不安そうにリーダーと思わしき男に行き先を訪ねる。
「さて、ここまではいいが兄貴、一体どこに向かってるんだ? 国境にはあのラウンドナイツが守る関所があるぜ。ホントに俺達で抜けられるのかよ?」
「ああ、それについては考えがある。少し前まで魔女が住んでいたという森、その方面は未だに警備が薄く人も寄りつかない。道は荒いが、そっからフェルミニアの国境に向かうつもりだ。そこまで行けばもう、実質ガーディアナみたいなもんだしな」
「流石だぜ兄貴! ヒャッハー、俺達もツイてきたな!」
「早く大金を浴びてえ! まったく、ガーディアナも情けねえよな、二度も女を逃がすなんてよ。男ならこの腕と腰でガッチリ捕まえとくもんだろ! ギャハハ!」
彼らの騒ぐ声は嘆きの森に響き渡り、それは魔女が住んでいたという館跡にも届いた。そんな廃墟となった館を通り過ぎる馬車を、まるで暗闇から這い出してきたかのような二つの影が見つめる。
「今日はやけに騒がしいな。ピクニックという場所でもないだろうに」
やけに小さな一つの影が、腕を組みつぶやいた。それに反応する、もう一つの大きな影。
「結界に魔力反応……あの子の気配です。お姉様、どうしましょう」
「先を越されたか……。救世主はどうした?」
「いません。離れた隙を狙われたのかも」
「ふっ、いつものごとく世話が焼ける。こちらで後を追う、お前はこの事を奴に知らせろ」
姉と呼ばれた影はそう言うと、そのまま馬車に向かい走り出した。
「ふふっ、早い者勝ちか。これだから、狩りって面白いのよね」
にやりと笑うもう一つの影は、指示通り街にいるはずの人物の下へと向かう。
第二の聖女を狙う者達は、何も彼らだけではない。藪をつつけば蛇が出る。彼らはそんな事にも気づかず、人生で最も幸せな瞬間を楽しむのであった。
「良かったあ、ちょうど一つだけ一番安い宿が空いてて。やっぱり一人で行って正解だったかも」
ルンルンと役所から帰ったマコトは、すでに撤収作業を終えたイベント会場へと戻ってきた。しかしそこにアンジェ達の姿はなく、どことなく嫌な予感が胸に押し寄せる。
「あれ? アンジェー、ソフィアー、どこー!」
あれだけ目立つはずの二人だが、いくら探してみても見つからない。いや、逆に目立ちすぎる事が良くない事態を引き起こした可能性すらも考えてしまう。
「そんな、いなくなっちゃった……。私のせいだ、私が目を離しちゃったから……」
こう言う場合、まずはお巡りさんに知らせないといけない。だけどここは異世界。交番がどういう所かわからず、マコトは藁にも縋る思いで近くにある冒険者ギルドという施設に駆け込んだ。
「すみませーん! 誰か助けてくださーい!」
ちょうどその頃、他にも行方不明事件が起きていたらしく、ギルドは人でごった返していた。受付では眼鏡をかけた女性と、口ヒゲを生やした責任者であろう男性がその対応に終始追われている。
「ここって確か、ゲームでいうと冒険者が色んな問題を解決してくれる所だよね。よし!」
マコトは冒険者ギルドという名前から連想する知識をフル動員し、窓口に飛び込んだ。
「あのっ、知り合いがいなくなったんです! 背の高い金髪の女の子と、すらっとした銀髪の女の子で、ずっとわんわんコンテストにいたはずなんですけど……ここって人捜しとか、そういうお仕事もやってるんですよね?」
「ああ、確かにそうだが……。しかしまた誘拐事件か、これで6件目だぞ。それもイベント会場に来ていた若い女性客ばかり、一体どうしたっていうんだ」
「確かあそこに派遣されていたのは、ノークライムの連中ですね。まさかとは思いますが……」
「奴ら、性懲りもなくまた聖女になりそうな女性を集めてるんじゃないだろうな。しかしあのクエストはもうとっくに禁止令が出たはずだが……いや、まさかな」
何かを知っている風のギルド長に対し、マコトは大声で問いただした。
「もしかして、その人達に誘拐されちゃったんですか!?」
「まさかまさか、ウチの冒険者に限ってそんな……あまり大きな声を出さないでくれたまえ」
また事件を起こしたとあっては、どこから王の耳に届くか分からない。ギルド長は頭を抱えながら受付嬢に耳打ちする。
「おい君、もしものために、いつでもノークライムとの契約書を破棄できるようにしておいてくれ。もし奴らが事件を起こしたとしても、すでに契約解除済みであれば問題にはならないはずだ」
「は、はい……相変わらずの保身の速さ、恐れ入れります」
その時、ギルドの掲示板を目がけ、矢のような物が放たれ突き刺さった。それには何かが書かれた紙が結ばれている。
「な、何だ何だ!」
「あれは……っ」
マコトは以前にも何度かこういう出来事があった事を思い出す。何か差し迫った事態に陥るとどこからともなく助言のようなものが舞い込み、その度に窮地を脱してきたのだ。
早速矢を引き抜いたマコトは、その機械的に書かれた文を大声で読み上げた。
「時刻にしてフォーティーン・ハンドレッド。嘆きの森において、若い女達を乗せ行く馬車を目撃せり。犯人は三人組の冒険者風の男達、目的地はおそらくフェルミニアの国境と思われる。その動機が聖女関連であれば、あちらに渡っては女達の身柄は保障できない。急がれたし」
それを読み終えたマコトは、自分の不甲斐なさから拳を握りしめる。そして平和そうな街とはいえ、狙う者の多い第二の聖女を置き去りにした軽率さを悔やんだ。
「なんと……君、ホシはノークライムで決定だ。首尾良く頼むよ」
「了解しました」
「しかし一体誰がこんな矢文を……とにかく、今いる冒険者で対処する! セブンドワーフスは派遣中だったな……ならばヒロイックレジェンド、ここは君達に頼んだぞ!」
「任せてくれ、街の平和は俺達が守る!」
ギルド長に指名され、冒険者然とした四人組の男女が立ち上がる。確かにこの人達なら信用はできそうだが、マコトは彼らだけに任せておく事にやや不安を覚えた。そこにこの矢文の主もそこにいるとしたら、ただで終わるはずがない。
「あのっ、私も行きます! さらわれたのは私の仲間なんです!」
「しかしね君、ただの市民にこんな事をさせる訳には……」
マコトは辺りを見回し、手近にあった冒険者加入申請書という用紙を引っぺがすと、急いで記入欄を全て埋めた。日本語で書いたつもりが、不思議と手が勝手に別の文字へと変換していく。これも転移した際に与えられた変な力だろう。
「だったら、これでいいんですよね!」
用紙の予備欄には武術の大会での優勝経験など、数々の輝かしい経歴も添えられていた。この通り腕に覚えはある。ならばいっそのこと、自分も冒険者になってしまえばいいのだ。
「ふむう……スドウ・マコト。とうきょうと、せたがやく……ん? スドウって、あの救世主の名前じゃないか。あと何だねこの住所は。君、デタラメはいかんよ」
「あっ、急いで書いたから……えっと、確か宿があるのはホンロン地区、Bの12……」
「その住所は……もしかしてあの子達の知り合いか何かか? 早く言ってくれよ、だったら大歓迎だよ。早速ウチで働いてくれたまえ!」
「はい、ありがとうございますっ!」
早合点したギルド長はろくに確かめもせずに判を押した。晴れて冒険者となったマコトは、早速ヒロイックレジェンドの面々と合流し初めてのクエストへと向かう。
「あの情報が確かなら、目撃されて30分くらい経ちます。急ぎましょう」
「俺達は嘆きの森に行かずとも正式に国境を抜けられる。そのくらいの遅れなら取り戻せるはずだ。ただ相手はあのノークライム。お前達、気を引き締めていけよ!」
「ああ! 奴ら、いつかぶちのめしてやろうと思ってた所だ、任せておけ!」
ギルドの馬車に乗り込んだ一同は、そこで綿密な作戦会議を行う。そんな熟練冒険者の熱気に当てられ、マコトも士気が高まるのを感じた。
「これが、冒険者……」
「あなた、マコト……さんでしたね。見たところ多少戦えるようですが、本当にあの子達の知り合いなのですか? どこか、違う事情がおありのようですが」
「えっと、あの子達って……?」
先程もギルド長から聞いたその言葉。にこやかに話しかけてきた女性は、どこか安心させるような笑顔で答えた。
「ふふ、やはりギルド長の勘違いですか。今は旅に出ていますが、ここに女の子達だけのクランがいたのです。とっても良い子達で、今ではここのナンバー1クランと言ってもいいでしょう」
「へえー、すごいなあ。私、来たばかりでその人達の事は分からないんですけど、もしかすると探している人達かもしれません。良かったら色々と教えてくれると助かります!」
「もちろんです。私はメイ、街の教会で聖職者をしています。あなたも新人で大変でしょう。食べるものに困った時は訪ねて下さいね、炊き出しなどもしていますので」
「いいんですか? ありがとうっ!」
馬車はやがて国境に近づき、砦を守る騎士団の検問に捕まった。ギルド長による相変わらずの指示で、この事件はギルドだけで片づける事となっている。顔の利く彼らは適当な理由をでっち上げると、あっと言う間に出国を許された。
「善行は積んでおくものですね。それに比べ、悪業ばかりを積む者はいつか自分の居場所までも失うものです。……しかし一時は仲間だった者達、彼らに救いはないのでしょうか」
「断言するが、そんなものはないな。俺達にできる事は、全てを終えた後で奴らをラウンドナイツに差し出すくらいさ。この国でなら、何も処刑まではされないはずだ。それが俺達にできるせめてもの引導だろう」
「アルフレッド……」
リーダーらしき戦士風の男が吐き捨てる。マコトはこの場合、どう動くべきかを考えた。ソフィア達さえ無事なら、自分も特に彼らを罰したいという感情はない。ただ、そうじゃなかった場合は別だ。この国にちゃんとした更正施設もあるというのなら、相手が人間だとしても戦う事は必要だろう。
「マコト、震えてるの?」
「え? あ、あはは、そうみたいです。ちょっと、手加減ができないかもしれないと思うと……」
「優しいのですね……それは、あなたの中にある力のせい?」
「えっと……どうしてそれが……」
「いいえ、気にしないで。職業柄、人より多くの物が見えるだけよ」
そう言うと、メイは憂いのある表情で外を見つめた。
(私……その時はこの力を抑えて戦えるかな……。ううん、大丈夫。あの子達はきっと無事に決ってる……)
誰にも言えないもう一つの秘密を抱え、マコトもまた外を眺めてはソフィア達の無事を願うのだった。
「ふうー、やっと森を抜けたな。それにしても、アンデッドって言うのか? 嘆きの森ってだけに変な魔物共がウヨウヨしてやがる。まったく、こんな所通るのはもう二度とゴメンだぜ」
「ああ、どうりで警備がいないはずだ。まあ、不思議と馬車の方に寄りつかなくて助かったがな」
無事に国境先の舗道へと出た犯人達の馬車は、そのままフェルミニアを目指し速度を上げた。
「はあ、はあ……」
そんな森から同時に現れた小さな影。その両手に持つ鋭利な武器は、どす黒い血と肉片にまみれていた。その目的は不明だが、彼女は迫り来るアンデッド達からソフィアの乗る馬車を守り抜いたのだ。
「フン……これだけの魔物に狙われていたと言うのに、のんきなものだ……」
その背後からは、新鮮な肉を求めるアンデッドが群れとなって襲いかかってきていた。
そんな彼らの無数のうめき声と共に、かすかな蹄鉄の音が小さな影の耳に入る。慌てて後方の道を眺めると、ちょうど彼方からもう一つの馬車がやって来るのが見えた。おそらく妹が寄越した救援だろう。
「来たな……クククッ、こいつらの相手は奴に押しつけるのも悪くない」
影は小さく笑うと、そのままソフィア達を追いかけ消えていくのだった。
「なんだこの臭い……アルフレッド、屁でもこいたか?」
「失礼な! メイもいるというのにそんなものは放かん!」
「いえ……これはアルフレッドの屁などではありません。なにかもっと、邪悪なるものの腐臭……」
マコト達の乗る馬車に、どこからか肉の腐敗したような臭いが立ちこめる。窓を全開していたために容赦なく入ってくるそれに、マコトは顔をしかめた。
「くさーい! なんなのこれ!?」
窓から見える景色に、何やら時折映るこげ茶色の物体。それは肌のただれた、俗に言うゾンビであった。海外ドラマなどでも見たことのあるその異様な行列に、マコトはもはや失神寸前である。
「ぎゃー、ゾンビ!! 外にたくさんいる!」
「やはりアンデッド……馬車の速度を緩めてはいけません! あれは馬を真っ先に狙います、ここで馬車を失っては彼らに追いつく術はありません!」
「無理だ、前方はすでに塞がれている! メイ、前に来てくれ!」
「ええ、任せて!」
御者席へと移ったメイが神聖魔法を唱えると、前方で馬を待ち構えるアンデッドはたちまち光に包まれ消えていった。しかしそれは次から次に現れ、肉の壁を形成していく。
「くっ、数が多い……ここは降りて戦うしかありませんね。……マコトさん、あなたに馬車を託します! ここは私達に任せ、先を急いで下さい!」
「えっ、でもっ!」
「もしかするとですが、ここを住処としていた魔女の存在が、これまでこの者達を大人しくさせていたのかもしれません。だというのに私達はそんな彼女を追い出してしまった。ならば、そのけじめは私達が付けなければならないのです! 皆さん、行きますよ!」
「おう! 魔物退治ならこのヒロイックレジェンドに任せておけ!」
彼らは果敢に馬車から飛び降り、迫り来るアンデッド達を食い止めに掛かった。さらに繰り返し唱えられるメイの術により、徐々に前方の道が開かれる。
「さあ、行くのです、私の魔力が尽きる前に!」
「みなさん……。分かりました! 私が絶対にみんなを連れて帰りますから!」
マコトの鞭により、馬車は全速力でアンデッド地帯を駆け抜ける。馬の扱いなど初めてなマコトは後ろを振り返る余裕もなく、彼女達がどうなったのか、結局それを確認する事はできなかった。
「きっと大丈夫だって信じてる! だから、今は私に出来る事をやるだけ!」
その気迫に押されたのか馬車は不思議とスピードを上げ、視界の遠くに犯人達の馬車を捕らえるまでに追いついた。かすかに聞こえる女性達の叫び声。そして、アンジェの持つ連絡用の鐘の音がこちらへと呼びかける。
「アンジェ! 待ってて、今行くから!」
マコトから溢れ出す何かにより、馬は息荒くさらに速度を上げる。その目は赤く光り、もはや魔物に近い暴れ馬のようだ。
「なんだぁ? げっ、ギルドの馬車がもう追って来やがった! おい、速度を上げろ!」
「やっている! だが乗ってる人数分こちらが不利だ! 最悪聖女だけを残して他の女達を降ろせ!」
「あ、ああ……さすがに気の毒だが、仕方ねえな」
「いやっ、こんな所に置いていかないでっ!」
男達は後方の扉を開くと、抵抗する一人の女性をためらいもなく馬車から突き落とした。
「きゃあああ!」
「なんて事するの! お馬さん、止まってぇ!」
マコトは急停止した馬車から降りると、怪我をした女性を連れ再び手綱を握る。その頼もしい姿を確認したアンジェは、途端に力がみなぎるのを感じた。
「マコトっ……やっぱり来てくれたんですね!」
「しかしあいつ、どうやら女を見捨ててはおけねえらしいな。こりゃいいや、このまま一人一人落としていけば距離が稼げる。さあて、次はどいつだ?」
女性達は一斉に奥の方へと逃げ込み、身をこわばらせる。そんな恐怖に包まれる馬車の中、一人の少女が逆に前へと踊り出た。
「くうー、流石にもう許せません。ここはアンジェが行きます! この中では私が一番重いので丁度良いでしょう!」
「ほお、いい心がけだ。自分から行ってくれれば、ちっぽけな良心も痛まねえですむ」
しかし、勇んで外に出ようとするそんな彼女の髪を掴み、引っ張る手があった。ソフィアである。
「あいたっ、何ですか! せっかく格好いい所だったのに!」
「アンジェ……お願い、一人にしないで」
「いいですかソフィア、アンジェは一旦マコトと合流します。この大天使である私と救世主マコトが組めば最強です。それは私達に助けられたあなたが一番知っているはずです」
「そうだけど……ううん、分かった。……待ってるから、アンジェ」
「はい!」
馬車の縁に立ち、勇気を出して飛び降りようとするアンジェ。しかしその足は思うように動かない。
「い、行きますよ……」
「そこのデカいの! ごちゃごちゃやってんじゃねえ、行くならさっさと行け!」
「で、でしたら、遠慮無く押し出すなり蹴飛ばすなり、どうぞお好きに!」
「分かったから行けっての!」
「ぎゃっ!」
言葉とは裏腹に尻込みするアンジェのお尻を男が蹴り出す。その勢いに乗せて、アンジェはそのまま馬車から飛び立った。
「なんだあいつ、空を飛んでやがるのか!?」
「アンジェ、頑張って!」
お尻をさすりながら、彼女はそのまま器用にマコトの馬車へと乗り移る事に成功した。
「アンジェ! あっちはみんな無事なの!?」
「まずは私の心配を……いいえ、それでこそマコトです。大丈夫、皆さんまだ無事ですよ。ですがあの人達、今みたく一人一人を落としていくつもりです」
「ひどい……。アンジェ、とりあえずこの人の傷、治せる?」
「は、はい、やってみます! ヒーリング!」
アンジェがたどたどしく何かをつぶやくと、女性の負った怪我は少しづつだが癒えていく。
「うん、これならあとはお医者さんに見せれば大丈夫だね」
「はい……。ですが、何度もは無理です。そこで私に考えがあるんですが、マコトはこのまま馬車を最高速度で走らせて下さい。向こうにいる人質は私が何とかしますから」
「ダメだよ! もし失敗したら馬で轢いちゃう!」
「信じて下さい。お願いします」
時折見せる彼女の真剣な表情。普段はふざけていても、やはりその本質は天使なのだとマコトは納得した。
「分かった、それじゃあ、行くよ。やっぱり出来ないなんて言わせないから」
「相変わらず厳しいですね。ですが、その方が燃えます!」
アンジェは羽を全力で動かし、馬車の前方に飛び出した。そして腕を広げ大声で叫ぶ。
「皆さん、一人一人、馬車から飛び降りて下さい! 私が受け止めますから、出来るだけ高く、こちらを目がけて!」
女性達は不安げに互いに目配せしつつ、誰が行くのかと様子を見ている。このままではアンジェが持たないと見たソフィアは、彼女達の説得に入った。
「みんな、巻き込んじゃってごめん。彼らの狙いはたぶん私だけ……だから、行って。私さえ残れば、あなた達は助かるから」
「そんな、でも……」
「アンジェはああ見えて天使なの。同時に二人くらいなら運べるし、ふにふにしてるから痛くないよ。ほら!」
「わ、わかったわ……!」
ソフィアの説得を受け、一人の勇敢な女性が意を決してアンジェへと飛び込んだ。
「きゃあーっ!」
「ふんっ! 絶対に離しません!」
目論見通り、女性はアンジェの胸をクッションにして怪我もなく運ぶ事ができた。それを見て安心したのか、次々と女性達が飛び込んでいく。
「お前等、勝手な事すんじゃねえ!」
「いい、行かせろ! 無事にあっちに移せるなら願ったりだ! どうせその内追いつけなくなる!」
そうして一人、また一人と人質は解放され、犯人側の馬車に残るのはとうとうソフィアのみとなった。
「よし、おかげで軽くなった! 野郎共、飛ばすぞ!」
男は容赦なく馬に鞭を入れ、さらに速度を高めた。逆に大所帯となったマコトの馬車は段々と離されていく。
「くっ、だめ! これ以上はお馬さん達も辛そう……」
「でしたら、アンジェがもう一度飛んでマコトを運びましょう! 今なら人質も解放したし存分に暴れられます」
「ここから追いつけるの?」
「おそらく、この速度を利用すれば……」
確かに自分さえあちらに移れたなら、あとは犯人を懲らしめるだけ。だがそれでは、いつまたゾンビが現れるか分からない場所に女性達を置いていく事になる。
「うう、だけど……」
「急いで下さい、このままでは追いつけなくなります!」
「ふふ、相変わらずの善人ぶりね……吐き気がしちゃう」
どこからともなく、女の声が聞こえる。驚いて振り向くと、いつの間にか客席の屋根に膝を組んで座る、なまめかしい女性の姿があった。彼女は逆光を背に、マコト達を悠然と見下している。
「……やっぱり、裏で動いてたのはあなた達だったんだね」
「気づいてたのね、だったら話は早いわ。目的はあなたと同じよ。こっちは私に任せて、さっさと行きなさい。向こうには気の短いお姉様もいる。間に合わなくなっても知らないわよ」
「分かった。今はあなたを信用する。でもこの人達に何かあったら絶対に許さない」
「約束するわ、救世主様。かわいい女の子は私の大好物なの」
マコトは念を押すようにその女性を一度睨むと、アンジェへと頷いてみせた。
「行くよ、アンジェ」
「はい、マコト!」
二人は抱き合うようにして馬車から飛び降りた。しかし失速した影響で思うように速度が出ず、最高速で走る前方の馬車には到底追いつけそうにもない。
「アンジェ、しっかり!」
「さっきの疲れが……マコト、ごめんなさいぃ!」
「仕方ないわね。一つ貸しにしておくわ」
すると謎の女性は腰から取り出した鞭をふるい、二人の胴体にそれを巻き付ける。そしてブンブンと大きく回転させ、その勢いで彼方前方まで投げ飛ばした。
「ぎゃあーっ!!」
「あら、ちょっとやり過ぎたかしら……」
弾丸のように飛び出した二人は、何とか軌道に乗り犯人の馬車へと突入する事に成功した。
「何だあっ、こいつら!」
「いたた……あっ、ソフィア、無事!?」
「う、うん。そっちの方が無事じゃない気がするけど……」
「う、うーん……」
相変わらずクッションになりマコトを守ったアンジェだが、今回ばかりは流石に目を回しているようだ。マコトは颯爽と起き上がると、犯人に向け構えを取った。
「さあ、観念して馬車を止めなさい! さもないと、あなた達を警察に突き出す前に痛い目に合ってもらうから!」
「おい、何言ってんだ、こいつ?」
「ギャハハ、お前みたいなチビに俺達が倒せると思ってんのかよ?」
男達は慣れた手つきで、刃渡り20センチ程のナイフを取り出した。それを見て、マコトはむしろ安心したような顔を見せる。
「良かった、これで正当防衛が成立するね。じゃあまずはあなた。さっきあなたがしたように、ここから突き落とされた子と同じ目に会ってみる?」
「へっ、やれるもんなら……」
マコトは男の懐に潜り込むと、素早くその足を掬い、その場で勢いよく回転させた。
「あ、れ……?」
ドグシャッという音と共に、男は顔面を床に打ち付ける。この衝撃ならばしばらく立ち上がる事もできないはずだ。
「さあ、次はあなた。動けないようにちょっと骨を折るけど……大丈夫、上手にやるから治りは早いよ」
「ちょ、ちょっと待て! 話せば分かる、話せば……ギャーッ!!」
次はポキンという音と共に、男の利き腕はあらぬ方向に曲がった。すっかり戦意喪失した男は、唸りながら痛みに耐えうずくまっている。
「マコト……やっぱり怒ると怖い……」
魔術のようなマコトの技に、ソフィアまでが怯えるように後ずさる。これで形勢逆転したと思えた時、最後に残った犯人の一人による笑い声が響いた。
「ハッハッハ! 残念だったな、すでにここはフェルミニア領だ! 見ろ、警備兵が哨戒に来ている! この際、お前達全員まとめて突きだしてやるぜ!」
遠くから騒ぎを確認したのか、その先には数人の騎兵が槍を手に待ち構えていた。このままでは間違いなくガーディアナに捕まってしまうだろう。
「いや……あんな所、もう戻りたくない……」
「ソフィア……そうだね、捕まる前に馬車を止めなきゃ! でもどうすれば……」
「無理無理、こっちには用心棒もいるんだ! おい、そこの小さいの! あとは頼んだぞ!」
いつの間にか犯人達と手を組んでいた、用心棒と呼ばれた影。その少女は例によって客席の上部へと陣取っていた。
「ふふ、困っているようだな、救世主」
「その声……やっぱりあなたもいたんだね」
「光ある所、闇もまたあり。こいつら、小悪党とはいえ良い仕事をしたのでな。少しばかり手伝ってやる事にしたのだ」
聞き覚えがある幼い声。いつも自分達の後を追う暗殺者の二人組、その片割れである。その目的はいつもはっきりしないが、今回は犯人達についたようだ。
「救世主、お前もここまでご苦労だった。ソフィアは我らイルミナがもらい受ける」
「ううん、絶対にさせない。そんなにソフィアが欲しいのなら、正々堂々と降りてきなさい!」
「断る。降りるのはお前達だ」
その小さな影は、前を走る馬に向け針のようなものを放った。それには彼女特製の興奮剤が含まれており、尻を刺された馬は途端に暴れ狂う。
「ヒヒィーン!!」
「う、馬が勝手に! おい、このままじゃ兵隊の列に突っ込んじまう! こいつらを追っ払ってくれるんだろ!? これじゃ約束が違うじゃねえか!」
「ああ、約束は守る。だが、誰が最後まで面倒を見ると言った。悪党なら徹頭徹尾、もっと上手く立ち回るんだな」
次の瞬間、暗殺者によって客席の天井が切り裂かれたと思うと、突然ソフィアの姿が消えた。さらに馬と客席を繋ぐロープまでが切り落とされ、三人は離ればなれとなってしまう。
「さらばだ、救世主!」
「ソフィアっ!」
「いやあっ、マコトーっ!」
ソフィアを抱えた暗殺者は、自由になった馬へと乗り込んだ。
「ククク、あいにくこいつをガーディアナに渡す訳にはいかんのでな。悪く思うなよ、救世主」
後はここを突っ切りこのまま逃げおおせるつもりだったが、彼女は興奮剤を打ったはずの馬の足が随分と重いことに気づいた。
「どうした、走れ! なぜ走らん!」
「ううー……」
ソフィアは唸りながら暗殺者をにらみつける。なんと、彼女は土壇場で異能を発動し、自らの闇をツタのように変化させ切り離したはずの客席をつなぎ止めていたのだ。
「ソフィア……どこまでも抵抗するか。お前の帰る所は、もはやイルミナにしかないのだ! 我らと共に来れば、憎きガーディアナの手からも逃れられるというのに!」
「知らない、知らない! 私はマコトと一緒にいるのぉーっ!」
辺りはソフィアの闇に包まれ、馬は狂乱状態に陥った。二人はついに振り落とされ、停止した馬車を飛び出したマコトが叫ぶ。
「ソフィア、今行くから!」
「くっ、奴は闇の中でも気配を探る事ができる……これ以上は分が悪いか。覚えていろ救世主、この借りは必ず返す……!」
救世主と相対する危険を悟った暗殺者は歯噛みし、一旦引くことにした。そして広がる闇と一体化するように脇道の森へと消えていった。
「マコトっ、怖かったよぉ!」
「今のうちに逃げよう! あの人達の事は仕方ないけど、ここで捕まったら一緒にガーディアナに連れて行かれちゃう。ほら、アンジェもいいかげん起きて!」
「うーん……ソフィア、また闇をお漏らししたんですか? もうこれ、闇の聖女ですね」
「だってだって、すっごく怖かったんだもん……」
闇が引いたその場にいたのは、乗り捨てられた馬車で目を回したノークライムの連中のみであった。彼らは駆けつけた警備兵に捕らえられ、後に事のいきさつを自供した。もちろんその場に証人などはなく、不審な言動を取った彼らのその後については不明である。
一方、危機を脱出したマコト達は途中に置いてきたギルドの馬車へと戻り、攫われた女性達と合流した。しかしそこにもう一人の暗殺者の女性の姿はなく、魔物避けの結界らしきものが張られているだけであった。中にいた女性達はなぜか皆うっとりとした顔で倒れており、首筋にキスマークまで付けている。
「これって、もしかしてあの子が……?」
「深くは考えない事にしましょう。無事だったので良しということで……」
続けてマコト達の馬車は、道中のアンデッド退治を名乗り出たヒロイックレジェンドのいる地点へと向かう。そこには、すでに動かなくなった無数の死体達と、その場にへたり込む彼らの姿があった。
「よかった! みなさん無事だったんですね!」
「ええ、なんとか。そちらの方も上手くいったようですね」
「はい、おかげさまで!」
「メイがいて助かったが……もうしばらく肉は見たくないな……」
「何を言うんですか。森にいるアンデッドは全て掃討しなければなりません。これから忙しくなりますよ」
「か、かんべんしてくれー!」
そんなアルフレッドの叫び声につられ新たな魔物が現れない内にと、一行は急いで冒険者ギルドへと戻るのであった。
「おお、冒険者達が戻ってきたぞ!」
今か今かと待ちわびたマコト達の帰還に、ギルド長は目を輝かせて飛び跳ねた。これにて被害者の女性達は依頼主達の下へと戻り、ノークライム事件は大事にならぬ内に一件落着である。
ちなみに彼女達はなぜか渦中の記憶をなくしていたため、マコトの見せた活躍も覚えてはいなかった。そのため全てはヒロイックレジェンドの手柄となるも、ソフィアの正体を隠すためマコトは異議を唱えなかった。むしろ、今はそういう事にしてほしいとメイに頼み込んだのである。彼女は、「まるで、あの子達みたいですね」と、微笑んで了承した。
宿へと向かうそんな帰り道、三人は今度こそ離れないようしっかりと手を繋いで歩いていた。
「マコトぉ、どうして報奨金、貰わなかったんですか? これじゃ、また黒パン生活続行ですよ」
「ううん、今回の件は私が全部悪いの。むしろ、みんなを巻き込んでしまったのにお金を貰うなんて、自作自演みたいじゃない」
「マコト、バカ真面目……。でも、ありがとう……」
「うん! ソフィア、もう絶対に一人にしないからね。約束!」
マコトといると、その満面の笑顔につられ、こちらも笑顔となってしまう。ソフィアは恥ずかしそうにはにかんでみせた。ただ一人、それを不満そうに見つめるアンジェ。
「あの、アンジェもずっとソフィアと一緒にいたんですが……」
「そうだね、じゃあアンジェとはもう二人っきりにはしない。訂正する!」
「マコトぉ……」
少し落ち込んだアンジェだったが、それは裏を返せばずっと一緒にいてくれるという事。アンジェは笑みが抑えきれなくなり、マコトの暖かな手を握り返した。
結局この後、帰った先がボロボロの安宿であった事により、今度はソフィアが自分から家出すると言い出す騒動が起きたのは余談である。
それはさておき、この日から彼女達の新人冒険者としての生活が始まった。
どこか危なっかしい、ちぐはぐな三人組。そんな彼女達が、世界の新たなる救世主として活躍するのはまだまだ後の話である。