第48話 『救世主』
これまでの報告を兼ね、ボルガード王の待つロンデニオン城を訪れたロザリー達。アニエスの案内で王の間へと招かれたロザリーは、緊張した面持ちで王に膝をついた。
「よく来たな。いや、そろそろ来る頃と思っていた。旅の疲れもあるだろう。まあ、楽にするといい」
「はっ……恐縮です」
ロザリー達は立ち上がり、その目線は玉座の王を見上げる形となった。やや高いところにいるとは言え、やはり王の巨躯には威圧感だけでない雄大さを感じずにはいられない。
「ボルガード王、まずは先日の裁きにおいて寛大な恩赦を賜り下さった事、私達一同、心から感謝いたします。にも関わらずご挨拶が遅れ、急遽このような場を設けていただいた事についても、心より深くお詫び申し上げます」
「ふふ、そう堅くなるなロザリーよ。聞けばこの地を離れ、クーロンに出向いていたそうだな。何かあの地での新たな収穫はあったか?」
「は、はい! 旅の途中、一人の仲間と出会いました。彼女は仙者の弟子で、過ちから自身の行く道に迷っていたのですが、共に悩み、ぶつかり、心を許しあい、いつか同じ道を歩んでくれると約束する事ができました」
「そうか、それは良かった。クーロンとは互いに深く干渉せぬ取り決めがあってな。何事もなく無事帰った事、それも良い報せだ」
王は裁判については特に言及する事もなく、たわいもない世間話に笑みを浮かべている。
「おじさん……じゃなくて王様。もしかしてアタシ達がやった事、もう怒ってない?」
「ティセよ、その段階はもう過ぎた事と思う故に私は何も言わぬのだ。まさかお前は罪そのものではなく、私の怒りを鎮めるため反省するのか? その違いが分からぬから、また下らぬボヤ騒ぎなどを起こすのではないのか?」
「ギクッ! もちろん反省してるっ。ちゃんとお尻に跡が付くくらいの罰で償ったし! ってか、完全にバレてるじゃん……一体誰が話したのよ」
「ふ、この国をあまり甘く見るなよ。市井の暮らしは、監視にはならぬ程度にだが常に見守っている。お前達がこれまで、何をしてきたかもな」
「えっ、じゃあ……」
王は大きく頷く。そして端の方で小さく縮こまるサクラコに目を向けた。
「まずはサクラコよ。デュオロンという暗黒街を見事まとめ上げ、ファレンを改心させたその功績には私も驚かせてもらった。人を裁くのは容易だが、それ以外の道があるのではないかと私も考えていた所だ。人というのは、誰しもが悪の心を持つ。しかし、その必要を断ち、より善く導くお前の慈悲、しかとここに見届けたぞ」
「はっ、はい! もったいないお言葉ですっ」
それには、一部始終を見届けていたラインハルトも頷く。あの件が裁判の結果を決定づけたと言っても間違いないだろう。
「次にルビー商会の宝石店にて起きた事件だが、結局あれも私の甘さが発端でもある。問題のあの館については、これまでも兵を派遣したものの解決には至らなかった。それ以降見て見ぬ振りをしていたのは私の判断だ。会長であるフラン殿とは旧知の仲でな、彼とその娘との思い出の地を無下にするような事はやはり出来なかったのだ」
「では、コレットの事も知っていたと……?」
「ああ、彼女に起きた不幸も、何の因果かその魂があの地に縛られていた事もな。だがお前が事の解決にあたった日の晩、彼女は私の下に現れては心からの謝罪をしてくれたよ。これで彼女はようやく、その業から抜け出す事ができたようだ」
「そうなんですね……。良かった……本当に」
あれから彼女がどうなったのかは定かではないが、少なくとも同じ過ちは繰り返さないはずだ。できる事ならば、もう一度再会し同じ道を歩みたい。ロザリーはそんな願いを改めて胸に秘めた。
「それからパメラ。特に何がとは言わんが、お前がこの国を離れねばならぬことになった理由も理解しているつもりだ。お前には不自由を掛けたな。私から代表し非礼を詫びよう……すまなかった」
「あ、えっと……何の事だか分かりませんが、こちらこそ本当にごめんなさい。大変な事に巻き込んでしまったかもしれないのに、向こうでは美味しいものばかり食べて、楽しく観光して、のんきに過ごしていました。そのせいで少し太ったくらいで……」
「ハッハッハ、正直でいい。実の所、私も若い頃のように自由な旅がしたいと思っているが、実際はどうも難しくてな。良かったらまた土産話でも聞かせてくれ。今度は護衛なり戦闘用の馬車なり、何でも好きに与えよう」
「はい……ありがとうございます」
本来は国賓としてもてなすべき聖女だが、ボルガード王にとっても表立ってそう扱う事はできない。それは彼女に対する最大限の配慮であった。
「へ、陛下、まさかそのような事を考えていらしたのですか。それ以上は部下達に示しが付きませぬので、その辺で……」
「分かっておる、ラインハルトよ。だが旅と言えば、お前もかつては救世主殿と共に世界中を巡ったのではないか? この者達の話を聞いているだけで、その興奮が今にも蘇るだろう」
「いやあ、お恥ずかしい限りで。実は私も旅と聞いてウズウズしてましてね。あの頃は一介の傭兵風情でしたが、土地勘の無いあいつらのお守りをしていたつもりが魔王とまで戦う羽目になって。とんだ人生になりましたよ」
「お前もフォルテも、救世主殿の人格に惹きつけられ共に戦ったのだったな。彼には、そんな何かがあった。そしてまた、その人間を見る目も確かだ。……ロザリー、お前とどこか似ているとは思わぬか?」
「えっ、私が……ですか?」
あの救世主と同列に扱われ、ロザリーは身の引き締まる思いだった。しかし、自分がそれほどの器ではない事もよく分かっている。王は立ちすくむロザリーから、その仲間達へ目を移した。
「ああ、パメラにティセ、サクラコと、確かな資質を持つ者達に囲まれているのがその証だ。それからアニエスもそうだな。彼女は若くして難関な科挙を突破し、この国のため、さらには魔女のため、よく働いてくれている。それも全て、お前の後ろ盾となろうとする熱意から来るものだ」
「はい、あの子にはいつも助けられています。私もあの子のように何か結果を出せたらいいのですが……」
「謙遜をするな。あの娘はそんなお前を思うからこそ、ああも自分を燃やせるのだ。つまり、お前は触媒と言ってもいい。その特性を通じて、お前の旅にはこれからもまだまだ志を同じくする者がついてくるだろう」
「はい……私もそう、願います」
いまいち自信を持てずにいるロザリーへと、王の言うとおりだと後押しするような仲間達の視線が集まった。
彼女達の信頼は確かに力になるが、同時にそれとは逆に考える自分も存在する。果たして、自分は皆の期待に応えられるのだろうか……と。王はそんなロザリーの表情に差した暗い影を見逃さなかった。
「しかし……救世主と比べ、お前には決定的に欠けている物もある。それが何か、今のお前に分かるか?」
「私に欠けているもの……心当たりがありすぎて、私には……」
「そう、その自虐的な主観だよ。英雄たるもの、自身を通して人々に未来を見せなければならない。お前の行く道が立ちふさがる全ての理由は、お前の中にこそあるのだ」
「そんな……私が、私の行く道を……」
自分を形作るもの、それは自分ではなく、人々の想いであるとロザリーは語った。確かに一見聞こえこそ良いが、結局は己に向き合っていない事と等しい。ロザリーは自己の核に迫るような弱みを言い当てられ、ひどく落胆した。
「いい機会だ。救世主というものが何者であったのか、それをお前達に話す事にしよう。彼を引き合いに出したのは、彼がお前と同じ壁にぶつかり、それを見事突破したからだ」
「救世主様が……」
「ああ、あれは私がフェルミニアの騎士団をまとめていた頃の事か……」
異世界から現れた普通の青年が、やがて魔王をも打ち倒したという救世主伝説。王の語る内容はその一部に過ぎないが、面白おかしく書かれた一般的な伝記よりも生々しく、彼らも自分達同様の人間である事を物語る内容であった。
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今から二十数年前、天界から一人の天使が地上へと降り立った。彼女の名はサイファー。現在、この世界アトラスティアを見守るといわれる女神の名である。
天界は魔王の侵攻によりすでに崩壊寸前。魔族達による殺戮から運良く生き延びた彼女は、瀕死の女神の力を受け最後の賭けに出る。
それは、どこかに存在するというアトラスティアとほぼ同一の世界から、神々の力も通じぬ理の外にいる人間、つまり特異点を探し出し魔王へと差し向けるという最終手段。禁忌とされていた救世主計画を実行に移したのだ。
それに選ばれたのは、異世界、地球に住むスドウ・リョウという心の清い少年。さらに保険として、その友人である二人の少年も共にこの地へと召喚された。力自慢のヒュウガ・マサと、内に爆発的な気を秘めたカンナヅキ・タロウマル。その三人は元の世界との差異にとまどいながら、フェルミニアの地にて様々な試練を乗り越え、世界最強を名乗る師の教えの下、徐々に力を付けていく。
「私も初めは信じられなかったよ。異世界という存在も、まだあどけない彼らが救世主だという事も。けれど深く接していく内に、だんだんと分かってきた。彼らがこの世界にないものを持っているという事が。ラインハルトよ、それを一番近くで見てきたお前になら分かるはずだ」
「はい……俺達が失っていた生きる力というか、魔王の支配をも覆そうという熱意というか、そういう意思の力ですね。あいつらは、何も絶望してはいなかった。単なる人助けのつもりで、魔王にすら立ち向かったんだ……」
そんな彼らの下には、東方の忍びコトブキ・サクラを始めとする後のレジェンド達が集い、やがて一つの軍のようなものが結成された。だがそこに組織という認識はなく、あくまで救世主一行などと呼ばれたのも、救世主リョウの人柄から皆が自然と集まっていった結果によるものであろう。
「色んな奴がいた。キルのようなガキから、様々な国の戦士に魔法使い。獣人やサムライに魔女を名乗る女、果てはヘンテコリンな機械までいたな。まだ世界を諦めてない奴がこんなにもいるのかって、胸が熱くなったよ」
天使サイファーはそんな三人を導き、次々と魔族に支配された地域を解放していった。初めのうちこそ使役された魔物を相手に戦っていた彼らであったが、やがて新たな局面に入ると話はそう簡単ではなくなった。魔族とはそもそも、その正体は魔に堕ちたかつての人類である。そして、その支配下にある現代の人間そのものまでが彼らの前に立ちはだかった。つまり人類を救う決意と共に戦う救世主にとって、人と相対するという決して逃れられない最大の壁にぶつかる事となったのだ。
「それは彼らの最大の弱点であった。無理もない、元は生殺与奪とは無縁であった者達だ。当時世界は魔に屈した国、そうでない国と二分しており、中でも魔族側についたクライゼン帝国が最大の勢力を誇っていた。それはロザリー……お前の父、ブラッドの故郷でもある国だ」
「……確かに、クライゼンという国の事は父から聞いた事があります。私も自然にその国の言葉を少し覚えているくらいには……ですが、父は昔の事について何も語ってはくれなかった。魔に墜ちたという国で、一体どう過ごしていたのか……」
「ふむ、少し酷かもしれんが、気を確かに聞くがいい。お前の父ブラッドは、かつて魔王軍に所属していた。そして救世主リョウと幾度となく衝突する、宿敵のような間柄だったのだ」
「何ですって……」
救世主リョウはブラッドとの死闘の際、全ての元凶である魔王こそが真の敵であると説得した。彼もそれは重々に理解はしていたが、魔王軍の戦士は肉親などを人質にされている事も多い。かくいうブラッドも実の兄が将軍の立場であり、裏切りは兄と対峙する事を意味していた。しかしブラッドは苦渋の決断の末、救世主と共に戦う事を決意する。それは激闘の中、救世主の見せた弱みに一人気づいたからである。
「アイツに人間は殺せない。ならば、それをやるのは俺の役目だ。……奴は悲しげにそう言っていたよ。本来ならブラッドはリョウを殺す事すらできた。それでもそれをやらなかったのは、その先に希望を見たからだ。信念を貫こうとする救世主を通して、そして彼を信頼する俺達を通して、人々の自由が約束された世界というものを予感したんだろう」
「父さんに……そんな過去が……」
こうして、救世主達はより多くの土地を解放していった。彼らは敵対する者すらへも手を差し伸べ、時には完全に魔に染まった者を斬り捨て、その勢力を拡大させていく。
「この辺りから、魔族の攻勢は激化の一途を辿る。フェルミニアも慢性的な戦争状態に陥り、私も国を守る事で手一杯となったため、魔王討伐は救世主達に全てを託す事となった。この、エクススウォードと共にな」
ボルガードがかつて女神に託されたという聖剣、エクススウォード。魔族に対し比類無き力を秘めたこの剣は、当時無敵を誇った最悪の魔族をも打ち破った。しかし同時に、人に対しては全くの無力である。この剣で人を斬れば、たちまちにその力は失われ、ただの鉄塊となるという。
「破壊大帝と名乗るその魔族との戦いで傷ついた私は、これをブラッドに預ける事にした。人を殺す事にためらいのない彼がこれを使いこなす事は難しいと思えたが、私は賭けてみたかった。救世主と共に生き、その心に触れ、次第に人の心を獲得していった彼の精神にな……」
その後、イヅモでの試練にて救世主として覚醒したリョウと、神託の剣を手にしたブラッド。そして共に神器を与えられたマサやタロウマル達の活躍により、不可能とも思われた魔王退治は果たされる事となったのである。
「その時の事はラインハルトが詳しい。苦い記憶かもしれんが、話してやってくれ」
「はい……。魔王の力は、それはもうとてつもないものだった。その犠牲は大きく、かなりの数の仲間を失ったよ。俺もはなから生き延びるつもりじゃなかったがね。だが俺がこうして生きていられたのも、奴が……ブラッドが捨て身で魔王の動きを封じたからだ。奴は魔王の魔力をもろに受けながら突撃し、聖剣をその土手っ腹に突き刺した。ブラッドの奴め、魔王軍にいたという消せない過去を悔い共に消滅する気だったらしいが、リョウがそんな事を許すはずがない。あいつはその一瞬の隙に救世主としての力を使い切ったんだ。すると魔王は凄まじい光に包まれ、最後に薄気味悪い笑みを残し消えていったよ。その際、カオスがどうのと言っていたが、俺が聞き取れたのはそれくらいだ」
「カオス……私達の誕生にはやはり、魔王が関わっているのね……」
実話としての救世主伝説を聞き届け、ロザリー達はただ立ち尽くす。王は深く嘆息し、その場にいるレジェンド達に賛辞を贈った。
「ラインハルト、そして勇敢なレジェンド達よ。よくぞ魔王退治を成し遂げ、その一部始終を見届けてくれた。人類を代表し、改めて礼を言わせてくれ……」
「いえ、俺達は生き恥を晒し帰っただけですよ。本当の英雄はリョウ達にブラッド、それに、死んでいった奴らの方です」
「あまり死を美化するものではないが……そうだな。私も無様に生き残ってしまった故に、飾り物の王になど甘んじているのだ。……いかんいかん、話が逸れてしまったな。とまあ、これが我々の知る限りの救世主伝説だ。彼らの功績なくして、今日の我々はないだろう」
かつての壮絶な時代を知る者は誰もが黙祷を捧げていた。英霊を偲ぶとき、彼らはごく自然とそうなるのである。新たな世代であるロザリー達も、万感の思いを受けそれに続いた。
「ロザリーよ。今この話をしたのも、救世主というものが見せた信念、それをお前に伝えたかったためだ。彼も弱き一人の人間であった。しかし彼には大義があった。故に道迷わず、成し遂げるべきものに邁進する事ができる。単純な話だ」
ロザリーは、王の言いたかった事がようやく理解できた気がした。確かに、救世主というものを知った今、自分を構成するものには大きな穴が存在する。
「大義……私は、私の行く道を、まだどこかで信じる事が出来ていないと……そう、仰りたいのですね?」
「ああ。それはブラッドが選んだ血を流すという道に対してだ、迷いも生まれるだろう。いかに虐げられたという理由があろうと、復讐を為すという物語は得てして美徳とはたり得ない。それでも、それを貫いてきた中で、お前にも見えたものがあるはずだ。世界の在り方、それそのものが歪んだ今という時代においては、大義の持つ意味も変わってくる。あまつさえ、それを悪用しようとする者すらも現れたのだからな」
そう、こちらに大義が存在しない理由。それは圧倒的な多数を抱える勢力が、まさにそれを振りかざしているからに他ならない。ロザリーは絞り出すように、その言葉を紡いだ。
「……ガーディアナ、ですね」
「その通りだ。それは形を変え、今や教義となった。歴史という過ちに対しては、救世主と呼べる者は未だ存在しない。それらは全て、我々人類の手で作り上げたものだからだ」
世界は平和になり、救世主は異世界へと帰った。しかし魔王が残した爪痕は深く、これより混沌の時代が訪れる事となる。地上に残されたおびただしい数の魔物、各地へと散らばったカオスという魔女の源。そして、弱体化した人類を導くため不穏な動きを見せる者達。それらが創り上げた歴史は、ロザリー達も良く知る所である。
「平和の先にあるもの、それは腐敗だ。歴史とは循環。支配、革命、平和、そして腐敗。これらが幾度となく繰り返され続け、その時を生きる者を翻弄する。私は長い間、その循環と戦った。しかし、腐敗は世界を冒す病巣のように広がり続け、ついに止めることはできなかった。私がフェルミニアを離れこの国を造った事も、結局は平和の一部分のみを切り取った一時しのぎに過ぎない。それほどまでに人類の持つエネルギーというものは、一箇所に留まる事を嫌うものだ。そしてそれは、否が応でもやがて争いという形へと変化していく」
王は半ば諦めたような口調で語った。争いとは、人が生きる限り避けられない命題。この国で起こる些末な悪事を多少あるがままにしているのも、支配という状態が続く危険性をよく知るからこそだろう。
「ガーディアナが何故いたずらに争いを起こすのか、私には分かる気がする。馬鹿げているかもしれんが、彼らは争いを起こす事によって、平和を永続させようとしているのだ。そうする事で人々のエネルギーは戦争という行為によって常に消費され、彼らをそう仕向けている支配階級には決して向かわなくなる。むしろ仮想敵を作る事でその淘汰圧は自分より下の者、弱者へと向かうのだ。さらに愛国主義、民族優越主義を過度に駆り立てられた人々は、怒りや喜びといった感情すらもコントロールされるようになるだろう。ただ、やはり道徳的に悪は悪。それらの考えも、人間的な感情を持ち合わせていれば無理が生じる。そのためそれを強く抑圧するのが、ガーディアナという教えなのだ。彼らは生まれた時から教義によって傀儡と化す事を義務づけられる。権力者にとっては、支配のターンこそが唯一の平和。ならばいかにそれを保持するか、人間性を度外視しそれを考えた場合には、これほど合理的な思想も存在しない。ただ……彼らの行動にはそれだけでは説明出来ぬ何かがあるような気もするが、その真意は教皇のみぞ知るものであろう」
権力を有する者の考える事などは分からないが、やはり普通であれば思いつかないような事を実際にやってのけるからこそ、その地位にも就けるのだろう。ただ、ロザリーには分からなかった。それが成立してしまう世界というものが。そのせいか差し出がましいと分かっていても、自然と自分の意見が口を突く。
「ですが、魔王ですら叶わなかった永遠の支配を、なぜ彼らが続けられるというのですか? 私のような、ここにいるパメラだってそう。そんな、彼らを正しいとは思っていない人間はまだまだ多いはずです」
「だからこその異端狩りだよ。君達魔女は、それに都合良く使われたのだ。皮肉な事に、彼らに自壊はない。では、これを覆す事が出来るものがあるとすれば、外部からだ。だが、エルガイアの国々はこれにことごとく敗北している。現在は軍事力の高いアバドンが応戦しているが、それも司徒のただ一部隊を相手にしているに過ぎん。彼らが本気を出せば、クーロンといえど勝利は難しいだろう。我々ロンデニオンとて魔族の出現に備える力である事が建国の理念。それを知るために彼らも手を出してはこない。仮にも彼らの侵略には言い分がある。あくまで国と国の諍いは、当事者間の問題。表立った外圧もない以上、他国を助ける事は侵略の理由を作る行為にしかならぬのだ」
「だったら、誰がそれを止められると言うんです……!」
ロザリーは思わず声を荒げた。彼らの盤石ぶりを理解しているからこそ、それは燻りとなってこの身を苛むのだ。しかし王はそんな彼女に対し、どこかなだめるような、優しい表情を作った。
「そう、だからこそ、人ならざる力を持つお前達が全ての鍵を握るのだ。人々に虐げられながら、それでも人々を守ろうとするお前達には大義がある。そして、それを可能とする力も有する。私の祖国は、始まりの魔女によって壊滅的な打撃を受けた。逆に考えると、お前達はそれだけの力を持つと言う事。恐れるな……その力を正しく使う時、お前は魔女であると同時に、救世主とも成り得るのだ」
「私が、救世主……?」
「ふふ……その理由を説明するため多少回りくどくなったかもしれんが、ロザリー、今のお前に足りぬものが何か、これで少しは理解できたか?」
「恐れながら、まだ考えが追いつかないというのが本当の所ですが……」
隣を見ると、パメラ達もまたこちらを見つめていた。そう言えば、彼女達も幾度となくそんな事を言ってくれていたような気がする。だというのに、自信の無さからいつも聞かないフリをしていたのだ。ロザリーはその真の信頼が、今になって初めて理解できた気がした。
「焦らずともよい。お前達はこの世界にやっと花を付けた希望だ。今はすくすくとその花を育て、容易く刈り取られぬ力を身につけた時にこそ、歴史はまた動き出すだろう。その際には、私も立ち上がらねばならんと思っている。それまでは仲間と共に研鑽に励むがよい。強者との模擬戦を望むのならば、好きに我がラウンドナイツを使ってくれていい。この者達も喜んで相手をするだろう」
王の言葉に、錚々たるレジェンド達が相づちを打つ。滾るような気持ちと共に、ロザリーはそこに自らも並んではどうかという話があった事を思い出した。
「あっ、そういえば、騎士団入隊の件……せっかくのお誘いに良い返事ができなくて、何と言ったらいいか……」
「ああ、あれは試したのだよ。お前が仲間を見捨てるはずもないとは分かっているが、念のためにな。お前をどうしても引き取りたいと未練がましい奴もいたが、これでようやく諦めたのではないか?」
「うっ、陛下、それは言わないで下さいよ……」
「そうだったんですね……。ボルガード王、ラインハルト様、本当に何から何まで……ありがとうございます」
深く頭を下げるロザリーに続き、パメラも一歩前へと歩み出る。その顔は、これまで一人で抱えていた重荷を降ろしたかのように、どこか晴れやかであった。
「ボルガード王、私からもお礼をさせて下さい。私が何となく考えていた事はなんだったのか、王様の言葉でよく分かりました。やっぱり私にはやるべき事があるんだって、いや、私だからこそ、やらなきゃいけないんだって、心からやっと思えたんです」
「うむ。ロザリーの事よろしく頼んだぞ、聖なる魔女よ。全てはお前が望むままに進め。その道こそ、かの国を正す道となるだろう」
「……はい!」
続くティセも前へ出ては、はやる気持ちをどうにか自分の言葉にした。
「あ、アタシからも……おじさん、いや、ボルガード王。今まで生意気言ってごめんなさい! アタシもアルテミスの王女として、これからは恥ずかしくない行いを心がけるから!」
「ふっ、しかと聞き届けたぞ、アルテミスの王女……いや、次期女王か。今私に出来る事はこれくらいだが、若いお前達の今後の道標となれば幸いだ。……と、最後にもう一つだけあったな」
そう言うと、王はすっと立ち上がった。そして、その隣で威光を放つ巨大な剣を取り、こちらへと歩き出す。
「ロザリー、この剣を持ってみるか?」
「えっ、いいんですか!?」
「ああ、謁見の最中、お前が何度もこれを見ていた事は分かっている。さあ、ブラッドも手にした剣だ。きっと馴染むはずだぞ」
ロザリーは促されるまま、おそるおそる伝説の剣を手に取った。その瞬間、ずしりとした重みが腕から腰、そして両の脚へと伝わる。
「ふっ、く……」
「重いか?」
「はい……ですが、重心を意識すれば、なんとか……」
男性用のためか握りは太く、その刀身は質実剛健。材質は鉄でも鋼でもない、それそのものが重力を発生させているかのような重金属。ガードの部分もシンプルだが、神話の武具というのはむしろそういうものだろう。
ロザリーは何度も両手で振り上げようとするが、一向に持ち上がる気配はない。さすがに気の毒に思ったのか、王はそれを片手でひょいと取り上げた。確かに、神器に選ばれた契約者以外にこれを振える者は限られるだろう。何百年も岩に刺さっていたとか、湖の底に沈んでいたとかいう伝説はダテではない。
「す、すみません……私の力では……」
「ふむ、今はまだ無理かもしれんが、いつか、お前にもこれが扱えるようになる時がくるだろう。それを見届けるまでは私もまだまだ死ねんな、ハッハッハ!」
「はい、私も一つの目標が出来ました。いつか、もう一度その機会を与えて下さるなら、その時は……!」
王は大きく頷くと、名残惜しそうに別れの挨拶を交わす。
「さあ、これにて謁見は終りだ。ラインハルト、彼女達の見送りを頼むぞ」
「はっ」
初めてここへ来た時には、こんなにも親密な間柄になれるなど思っただろうか。それどころか、王は実質的な協力者として申し出てくれた。その頼もしさに、今ではもう漠然とした不安もなく、ただやるべき事を見定めていられる。ロザリー達は改めて深く礼をし、王の間を後にした。
「ロザリー、来てよかったね。王様、すごく優しかった」
「そうね。まだ緊張しているけど、私、王に認められたのよね……」
「そういえばサクラコ。アンタ、終始借りてきた猫だったわね。アタシには色々言うくせにさ」
「だって、あんな場面で喋るなんて無理ですよう。私だけただの一般人ですもん……」
「それは私もよ。それでも別け隔てなく接してくれて、なんというか、私という存在そのものを見てくれたようで、すごく嬉しかった……」
そんなロザリーの頭へと、父のような安心する大きな手が乗せられる。
「ハハ、言っただろう。陛下も元は平民だとな。役職など飾りに過ぎんと、自らが最も理解しているからこそだろう」
「はい、権力に溺れない者こそが、真の為政者なんだと私も思います」
城を出た一行は帰りを待つ馬車へと乗り込む。その際、ロザリーは一人ラインハルトに呼び止められた。
「ロザリー、これからどうするつもりだ? またギルドでの生活に戻るのか?」
「そうですね……今は王のお言葉に甘えて、この国で色々考えたいと思います。幸い、帰る街もありますし」
「そうだな。困ったらいつでも俺を訪ねてこい。アニエスも寂しそうにしているからな」
彼はどうやらまだロザリーに未練があるらしい。どうせそんな事だろうと、ティセが後ろからちょっかいを掛ける。
「とか言って、おっさんの方が寂しいんじゃないの? もしかして独り身だったりして」
「そういう訳ではないが、妻には早くに先立たれてな。息子も一人いるが、あいつは魔物退治の遠征ばかりだ。だからかな、友人の娘に会えて嬉しいんだ。それはお前もだよ、ティセ」
「そ、そっか……えへへ、そんじゃ、たまには来てあげてもいっかな。ね、ロザリー」
「ええ、騒がしい子達ですが、その時はよろしくお願いします」
「ああ……!」
馬は嘶きを上げ、端正な石畳を走り出す。
王の語った言葉、そして救世主という存在が見せた生き様は、道を見失った彼女達へと望む以上の力を与えた。
歴史という重み、大義という重み、それらを共に乗せ、ロザリー達を乗せた馬車は家路へと辿るのであった。
―次回予告―
心機一転の魔女達に訪れた新しい出会い。
それは運命が時折見せる、いたずらな奇跡。
世代を超え、二つの魔女の物語が今交差する。
第49話「新人冒険者」