第46話 『見えない道』
全てを失い、新たに生きる決意をしたあの日から、すでに数ヶ月ほどが過ぎた。
長いようであっという間のように感じるのも、決して一人ではなかったからであろう。
この旅の中、ロザリーは幾人かのマレフィカと出会った。
聖女セント・ガーディアナ。彼女との接触が全ての始まりだった。
聖女暗殺に失敗し、牢獄で出会った幼いマレフィカ達。
自信過剰で向こう見ず、ムードメーカーの魔法使いティセ。
気弱だが責任感が強く、恩人であるロザリーを慕う忍者サクラコ。
不気味な洋館で相対した、死神の王コレット。
仙者の弟子で、ロザリーとの決闘を果たしたリュカ。
解り合えた者、すれ違ってしまった者様々だが、ロザリーはやはりマレフィカに対し強い執着心がある事に気づく。できる事ならば皆救いたい。立場や主義主張が違えど、マレフィカ同士ならば必ず解り合えると思っている。そして皆で力を合わせて、どんな困難にも立ち向かうことができるはずだと。
ロザリーはマレフィカについて考える時、最終的に苦い記憶も共に甦る。過去、救えなかったマレフィカ達の事だ。
ロザリーの祖国であるローランドでは、マレフィカを抱える家族や、マレフィカの孤児を政策として全て受け入れていた。彼女もまた保護されたその一人で、言われ無き迫害から逃れ、比較的幸せな少女時代を過ごす事ができたといえよう。
それまでの暮らしといえば、惨憺たるものである。マレフィカという偏見に晒され、一つの土地に長居できないという理由から、父であるブラッドは傭兵稼業に身をやつし、各地を転々とする貧しい生活を強いられてきた。
そんな生活のせいか母オリビアは病気がちになり、ブラッドは家族を守るためにやっとのことローランドに根を下ろしたのだ。物心のつき始めたロザリーにとっては、そこでの生活が初めて手にした平和だったかもしれない。
それからしばらくは流れ者の村オルファで暮らしていたが、騎士団に従事するようになった父と共にローランド城下へと移住し、そこで同じように各地から集められたマレフィカ達の孤児院の世話係も始めた。皆、聞き分けのいい子供達で、特にロザリーによく懐いていた子、くりくり髪のパメラは妹同然でもあった。
そして、成長し剣士となったロザリーが最初に仕えたのがローランドの姫、クリスティア゠ローランド。元を辿ると彼女がマレフィカとして生まれた事が、マレフィカの孤児達全てをを受け入れるきっかけとなったのである。
慕わない理由などなかった。クリスティアはロザリーと同い年だったためすぐに打ち解け、身分の違いなど気にせずいつも忌憚なく声をかてくれた。どこかふわふわとしたとても泣き虫なお姫様で、ロザリーのことを自分の騎士にするとまで宣言するほど信頼し合っていた。そんな、クリスティア姫やパメラ達との幸せな日々は永遠に続くものと思われた。
しかし、あの日、何もかもが変わってしまう。ガーディアナの侵攻である。
あの日の出来事を思い出す度に、ロザリーの胸は張り裂けんばかりに苦しくなる。大腿の傷跡も、まるで幻痛の様に熱を帯びた。断じて許すことはできない。そしてまた出会えたこの大切な仲間達も、ガーディアナがいる限りきっと幸せにはなれないだろう。だが当然その尊厳までは冒させはしない。たとえこの身が朽ち果てても、必ずこれまでの報いを受けて貰わなければ……。
(必ず、かならず……!)
ロザリーはパメラとの話をきっかけに、かつての気持ちを思い出していた。パメラは次第に険しい表情となるロザリーを見つめつつ、続きを話すべきか思案しているようだ。
「ロザリー……?」
不安からついにたまらなくなり、パメラはその名を呼ぶ。すると、ロザリーの目はやっと現実へと引き戻された。
「あ……、ごめんなさい。少し、色んな事を考えてしまって」
今目の前にいるこの少女、つまりガーディアナの聖女にパメラと名付けたのも、あの子達を忘れたくなかったからというそれだけの理由だった。しかし今ではその聖女もロザリーにとってまた、かけがえのない存在である。ロザリーは改めて自戒し、優しく微笑んだ。
「本当に何でもないのよ。だから、気にしないで」
「うん、大丈夫……。それじゃ続き、話すね」
今はクーロンでのマレフィカを探す旅を終え、本拠地ロンデニオンに帰る途中。
ふと始まった会話の中で、パメラは次の目的地にと提案した、神聖フェルミニアにあるというイデアの塔について話してくれていた。
話によると、ガーディアナに捕らえられたマレフィカは、最終的にここへと収容されるらしい。初期の魔女狩りでは見せしめの為の処刑も行われていたというが、現在はある理由のため自由を奪われ、ほぼそこに集められるようだ。
それは一言で表すなら魂の牢獄。つまりこの塔の中では魔力は全て失われ、マレフィカとしての力は一切発揮することはできない。その昔、魔族との戦いにおいては防衛拠点として活用されたという側面もあるが、現在はまさしくマレフィカの墓標である。
「イデアの塔……ね」
「うん。そこには、私の力のせいで捕らえられてしまった子もたくさんいるの。まだ生きているなら、ううん、きっとみんな生きているはず。だからといって私の罪が消える事はないけど、せめて、少しでも早くあの子達を自由にしてあげたいの……」
「それが本当なら、私も同じ気持ちよ。それに、そこを解放する事で一気に仲間を増やすことも可能かもしれないわね……」
そんなロザリーの考えに、パメラは答えを言い淀んだ。
「ううん……。カオス、私達マレフィカに宿っている神のような存在。コレットちゃんは、これが私達の力の源だって言ってたよね」
「コレット……確かに、あの子の言っていた事、今なら分かる気がするわ」
そう、カオスとは神に近い、上位の魂の事である。あの時ロザリーもそのカオスを一度は失い死にかけたのだった。そして、リュカとの決闘の際、初めてその声を聞いた。カオスは存在すると、今ならば確信できる。
「ガーディアナは何かしらの方法で、そのカオスの持つ魔力を集めることができるの。だから……捕まったマレフィカは多分もう、ほぼ力を失ってると思う。詳しくは分からないけど、リュミエールはそれを使って何かをしようとしてるらしくて……」
パメラは最近、以前は口にしなかった情報を話すようになった。聖女の力を使う時、度々現れる人格が表面化しているのだろうか、精神年齢からして違うように見える。二人きりで旅をしていた頃は、子供の世話をしているようですらあったが……。
何にせよこの話はあまり確証を得ないため、パメラは話題を変更した。
「あのね……破滅の魔女の話って、聞いたことある?」
「ええ……私達の迫害されるきっかけを作った、始まりの魔女とも言われている人ね」
破滅の魔女というのは、マレフィカの間では有名どころの話ではない。フェルミニアの一つの都市を消滅させたという魔女の中の魔女。彼女によって、世界に初めての忌み子による厄災がもたらされ、自分達は魔女として忌み嫌われるようになったのだ。
「その人は、今イデアの塔にいる。マレフィカの中でも膨大な魔力を持つ彼女は、多分力を失うことはないはず。私は、そんな彼女に賭けてみたいの……」
「破滅の、魔女……」
確かに、それが本当ならば喉から手が出るほどの戦力となるだろう。ロザリーはごくりと喉をならした。
「ちょっと待ってよパメラ、アンタ破滅の魔女なんて頭おかしな奴目当てなワケ?」
逆にそれまで適当に聞いていたはずのティセが、ここぞと突っかかってくる。その表面に浮かんでいるものは、彼女に似つかわしくない恐怖の感情である。
「大丈夫だよ! あの人はきっと私達と同じ……そんな気がするの」
「気がするって……まあ、アタシも人の事言えないかもしれないけどさ」
ティセの目がちら、とロザリーを見る。
「ティセ……」
「な、何でもないわよ! フン!」
その真意は甘え。ティセもまた、力の暴走で魔女となる所をロザリーにより救われた。つまり、ロザリーに対する信頼を誰より持つのも彼女なのだ。この話題に関してはバツが悪いのか、それ以上は突っかかることはなかった。
「なるほど、確かに悪い話ではないわ。パメラの言うようにイデアの塔を攻めれば、破滅の魔女も仲間にできて、同時にガーディアナの企みも阻止できるってわけね」
「ででで、でもつまりそんな重要な拠点、簡単には……。“ろらんど”の時のような奇襲はそう何度も通じるとは思えませんし、魔力が使えないとなるとパメラさんやティセさんの力も使えない訳で……とても私達四人だけでは……」
一人、冷静な分析を下すのは誰より慎重なサクラコである。
確かに彼女の言うとおり、以前の砦などとは数段規模が違うだろう。ロザリー達四人でどうにかできるとは思えないのが実情だ。それが可能かどうかを判断してもらうため、パメラはさらに詳しい情報を話した。
「サクラコちゃんの言うとおり、これは私のわがまま……。それにまだ問題はあるの。世界中に派遣されてるガーディアナの司徒の事だけど……」
「ああ、ウチにも来たわね、平和的にアルテミスを開城して布教しようとするうさんくさい奴が。でもあんなの文化的な侵略よ、いつか絶対ぶっ倒してやるわ」
ティセの母国アルテミスも他国の現状を目の当たりにし、ほぼガーディアナに屈する形となっている。ティセの憤りも無理はない。しかし、それに対するパメラの反応はやや批判的であった。
「ううん、それは難しいと思う。司徒は私達魔女と同じ力を持つ上に、みんな一人一人が凄く強いの。さらに司徒はそれぞれ強力な軍を率いていて、フェルミニアを任されてるのは確か異端審問を執り行う、司徒レディナのガーディアナ騎士修道会。それからイデアの塔を専属で護衛してるアルブレヒトの軍もいる。それにきっと、そこにいるマレフィカを取られたくないと思ってる、あの子も黙ってないかもしれない……」
「あの子?」
「うん……、ガーディアナ女教皇、エトランザ。私の、妹……」
女教皇と言えば、ガーディアナでの実質二番手とされる存在である。一同、その告白には驚きを隠せない。
「えっ!? パメラ妹がいたの?」
「うん。血は繋がってないんだけど、その事が私達をややこしくしてて……、私はあの子に恨まれているの。もしロザリーがいなければ、私は今頃……あの子に殺されていたかもしれない」
「どういう事? あの時あなたを暗殺しようとしていたのは邪教団だったはず」
パメラは頷いた。そして悲しげに答える。
「そう、その邪教団イルミナを裏で操っているのがエトランザなの。邪教団はイデアの優秀なマレフィカを引き抜いて暗殺集団を作っているから、そこを攻められるとあの子も困るはず」
「……なるほど。あの小さな子が、エトランザだったのね」
ロザリーが邪教団のアジトで聞いた巨大な面の声は、確かに幼い少女のものであった。あの時彼女が協力してきた裏には、そんな私的な思惑があったのだ。
「ああ、邪教イルミナか。アタシの国にも割と影響力があるわ。悪魔を崇拝する黒魔術の組織で、禁忌魔法ばかりを扱う連中よ。正直言って厄介よね」
ティセですらこれだけ言うという事は、かなりの組織だと伺える。
つまりはマレフィカを捕らえ連行する機関である異端審問会。そして塔に駐留した軍。さらに聖女に恨みを持つ女帝の邪教団……。イデアの塔を攻めるには、同時にこれだけを相手にしなければならないという事だ。
「これが、少なく見ても私達が戦わないといけない相手。それにまだ、こちらを読んで動きそうな人が司徒には何人かいる……。だから、ごめん、希望があるような事を言って。本当は、とても無謀な話なの」
「確かに、きついわね……」
「ええ……何かきっかけさえあれば……」
イデアの塔攻略。見えかけた次への道はもろくも崩れ去った。
だが、それ以外にも一気に戦力を拡充させる事ができる行動にロザリーは心当たりがあった。そう、クリスティア姫である。ローランド戦役の際、親衛隊が命を賭け彼女を守り抜いたという話は聞いている。今も無事であれば城を脱出したローランドの民と共にどこかに潜伏しているはずだが、それはロザリーのようにレジスタンスとなった人間には機密上知らされていない。
ただ、彼女は争いの嫌いな、とても心優しい人であった。もし見つけ出せたとして、このように無謀な戦争行為に荷担してくれるであろうか。
無責任な事も言えず、ロザリーはその存在を胸にしまっておく事にした。
「とにかく、結論から言うと今は何とも言えないわ……。ティセ、あなたはどう?」
「ふん……少し考えさせて」
ティセはそう言うと、帽子を深くかぶり黙ってしまった。彼女も考えがあるのか、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
「うう、無力です。すみません……」
続けてうなだれるサクラコ。彼女の計を持ってしても、八方塞がりである事は隠しようもない事実だった。
「……後の事は、ロンデに帰ってから考えましょうか。王様に会えばきっと何か道が開けるかもしれない。でもパメラ、希望はきっとあるわ。今はただ、その時ではないというだけ」
気休めの言葉が口をつく。パメラには悪いが、この提案は無謀ともいえた。やはり圧倒的に戦力が足りないのだ。
「うん、聞いてくれてありがと……。私だけじゃできない事だから、みんなにも知っておいて欲しかったの」
そう言うとパメラは目を伏せた。
その場を沈黙が支配し、蹄と車輪の音だけが空を駆け巡る。
(姫百合の騎士なんて、まだこんなもの……。父さん……私達を導いて……)
ロザリーは祈った。こんな時、彼女は無意識に父を想う。あの強く、気高く、優しい父ならば、こんな状況でも簡単に打破してくれるだろうと。それは、年頃の少女らしい願いであった。
―次回予告―
いつかあなたがくれたのは、希望という小さな種。
それはどんなに荒れた地の底からも芽吹き、花を咲かせる。
やがて、あなたの行く道を彩るために。
第47話「歩む未来」