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第44話 『ロザリーとリュカ』

 ――静かだ……。


 風が()いだ。この山、五行山(ごぎょうさん)からは街が一望できる。リュカは修行場の大岩に腰掛け、人々の暮らしに思いを馳せた。

 ここは大好きな師父(しふ)と出会った場所。そしてあの男(・・・)と初めて会った場所でもある。


 あの頃の自分はひたすらまっすぐに、師父の背中を追いかけていた。この山よりも遥かに高くそびえる、仙龍山の頂きへと自分も行けるとすら思っていた。


 けれど自分にはもう、何もない。師父との約束も、次期仙者としてみんなを守ることも、全て叶わなかった。何もかもが大きすぎる。そして反対に自分は小さすぎた。


(――妖仙の道。此処(ここ)彼岸(ひがん)。我ら亡者は生ある者を(ともがら)とは認めぬ。お主は己の道、聖天の道を()け)


 ふと、あいつの言葉を思い出す。自分の世界の全てを変えた猿面の妖仙。その、天の道の入り口にも立てなかった自分をどう思うだろう。今にもカッカッという乾いた笑いが聞こえてくるようだ。


「あたいは……何をやってるんだろう」


 育ての親である師父ショウリが病死し、仙者としての修行半ばで一人残されたリュカ。ショウリにはもう一人弟子がいたが、リュカが拾われる以前に妖仙となり破門されたという。それが、その猿面の妖仙ハマヌーン(・・・・・)であった。

 つまり、師父は妖仙を育てたあげく半人前の弟子しか取れなかったという事になり、リュカは師父に着せられたそんな汚名を払う事ばかりを考えていた。


 こうなれば自分が立派になって、師父の代わりになるしかない。

 そうして抜けた八仙の穴を埋めるべく、勇み足で挑んだ仙者の道。しかし(ふもと)に巣くう妖仙達にさえボロボロにされ、ハマヌーンにによって助けられる。そしてリュカには、例外なく妖仙の呪いがかかった。


 あれから狂おしい程の渇きが時折襲いかかる。もう、仙者となる道も、普通に生きていく道もすでに選べない。自分は、人の道をはずれたのだ。


「ロザリー……」


 ふと、口にしたその名前にどこか安堵感を覚える。彼女の気は、今までのどの気とも違った。師父より、サンチャのおばさんより暖かい。そして最強であるはずの聖女以上に惹かれた。久しく忘れていた潤いに、しばし心を浸す。


(――リュカ、私と決闘しましょう)


 ロザリーとの決闘。本当はやりたくてやりたくて仕方がなかった。でも、これ以上、彼女を傷つけたくはない。この醜い欲情で汚してしまっただけでもこんなに苦しいというのに。

 血は争えない。何を言い繕おうと、自分は悪党であった父と同じ事をしたのだ。もう、すでにどこかへ行ってしまっただろうか。そう思うと、とたんに胸が押し潰されそうになった。


「いやだ……あたい、あいつとこのままなんて嫌だ……」


 あんな事をしてしまったのだ、それも仕方のない事。


 一度、おばさんの所に帰ろう。最後の別れをしなければならない。そして、どこか旅に出よう。もう二度と大好きなここへは帰らない。大好きな人達を、きっとまた傷つけてしまうから……。




************




「おかえり、リュカ。あったかいお鍋、できてるわよ」


 リュカはしばらく呆然としていた。ロザリーが宿の入り口でリュカの帰りを待っていた、それだけの事なのだが、リュカにとってそれは奇跡ですらあった。


「……あ、あり、がと」


 たどたどしくそう言うと、リュカはうつむいたまま動かなくなった。


「へんな子ね」


 ロザリーが顔を近づけてもそっぽを向くばかり。ロザリーはそのまま震える肩にそっと手を乗せた。ビクッと跳ね、リュカは怯えたような顔でロザリーを見つめた。


「決闘、受けてくれる? それでね、私が勝ったら、一つだけ条件を飲んで欲しいの」

「え……?」

「私はあなたと“友達”になりたい。ダメかしら?」


 リュカの中の何かが溢れた。友達。そんなありふれた当たり前なんて、自分にはもう手に入らないと思っていた。


「あたい……」

「うん?」


 ロザリーをまっすぐに見つめる濡れた瞳は、誰よりも人間(ひと)であった。


「あたい、あたいね、寂しかった……ずっと寂しかったんだぁ……」

「ちゃんと言えたじゃない。待ってたわ、その言葉」

「う、うあああ!」


 ロザリーは、泣きじゃくるリュカを抱きしめる。

 もう、一人じゃない。これからは一緒だから、と。






 リュカの姿を見るやいなや、女将はこっぴどく説教を始めた。不良になったり放蕩(ほうとう)したり、人様に迷惑掛けたりと、心配させ通しな出来の悪い一人娘のようである。しかし、リュカは終始笑顔だった。終いには気持ち悪くなって女将も根負けしたようだ。


「それで、張り切ってた虎退治、どうだったんだい?」

「へへーん、ちゃんと倒したさ。これは三日におよぶ死闘を制した証」


 リュカはその手に珍奇な食材の数々を携え、快活な笑顔を見せた。

 世界的にも食といえばクーロンとの認識が強い。何だって食べてしまうというその噂はイヅモにも伝わっているらしく、サクラコが興味津々に訪ねる。


「それ、何ですか? 私の国の兵糧丸に似ていますが……」

「そう言えば確かに……でも、酷いにおいよ」

「おっ、お前も食べる? 力がつくよ、虎のキンタマ。にひひ」

「ひんっ!」


 慌てて飛び退くサクラコ。よく見ると、確かに局部らしきものに二つの睾丸がぶら下がっている。その内から染みだしたであろう液体が生々しく光った。あの時、リュカから獣臭と性臭がしたのはこういう事だったのだ。


「これはこの辺で悪さをしてた金角、銀角って虎でさ、これはオスの金欠く。あ、金角。これから刺身にして食べるんだ。ね、ロザリー」

「えっ!?」


 あろう事かそれを一緒に食べる事にされてしまい、ロザリーは泡を食って後ずさった。巻き込まれ体質もここまでくると見事である。


「明日の決闘に向けて精をつけなきゃだろ? これ食べると、金角の力を取り込めるんだ。虎のように獰猛に、迷いもなく、獲物を仕留める術を身につける事ができるはずだぞ」

「ホンキで言ってんの? アンタ」


 ティセが苦い顔で見つめる。リュカはどうして? という顔で返した。


「お前なら分かるだろ? あの時あたいに向けた力に迷いがなかった。この世界は弱肉強食なんだ。勝ったって事は、狩ったって事なんだ。負けた方は、全てを差し出すしかないんだ」

「ふん、アタシは何度負けたって、絶対に負けない奴を知ってる。そういう考え方してるから、ちょっとした事ですぐ挫折しちゃうのよ」

「何だとっ! もうこれ、お前にはやらない!」

「い、いるかーっ!! アタシがいつそんなの食べるって言ったのよ!」


 暗い宿を、久方ぶりの笑い声が包む。


「ふふっ、ティセは見たことないんだよね、男の人のそれ」

「あっ、バカッ、言わないでっつったよね!」

「え? あなた、男なんて取っ替え引っ替えなんじゃ……」

「馬車の中で話してくれたの。私の秘密を聞いたから、お返しにって。恋愛について、むしろ私が教えてあげたくらい」

「うう、この子口軽すぎ……」

「そんな嘘つくからだよー」


 年相応に笑うパメラに気づき、リュカは申し訳なさそうに歩み寄った。


「ごめんな、聖女……いや、パメラだっけ。あたい、自分の事しか考えてなかった。頭冷やして分かったんだ。強さには責任ってのも伴うんだな。仙者になるんなら、それぐらい分かるべきだった……」

「もういいの。私も、昔の事いつまでも引きずって、よくなかったから。それじゃ、はい!」


 パメラは手を広げ、リュカを迎える。しかし、リュカにとってそれは見慣れない合図であった。


「ん? 何の(かた)だ?」

抱擁(ハグ)だよ。仲直りのしるし!」

「お、おう……」


 顔を真っ赤にしながらリュカも手を広げる。半ば男のように育てられたせいか、どこか女の子が照れくさい。妖仙の邪気に侵されていないリュカは、ティセ以上に奥手であった。


「ほら、遠慮しないの。私の時は大胆だったくせに」

「わあっ」


 そこへ、ロザリーの一押しがあり二人は無事抱き合った。その柔らかな温もりは、力とは誰かを守るためにあるのだという事を教えてくれるようだった。

 さらにリュカの耳を、パメラの吐息が優しく撫でる。


「リュカ。ロザリーの事、よろしくね」

「え……」

「今度は私がお願いする番。あなたしかいないの。ロザリーを変えられるのは」


 パメラはこっそり離れ際にそう耳打ちし、微笑んで見せた。

 言葉の意味はよく分からなかったが、リュカも仲間として必要とされた事を理解し、笑顔で返した。


「リュカ……良かったねえ」


 こんなに優しい時間はいつぐらい振りだろうと、女将は涙ぐむ。


「さて、それじゃ食事にしましょうかね。この子と腕に寄りをかけたんだよ!」

「ええ、あなたに食べてもらいたくて」

「ロザリー……」


 火に掛けていた鍋が音をたてている。ロザリーはリュカの食材(思い)を受け取ると、最後の仕上げへと向かうのだった。






「いただきまーす!」

「い、いただきます……」


 ロザリーとリュカの器には例の食材が盛られていた。ちょうど二つなため、仲良く分け合うのにもってこいだ。


「その前に! ちょっと、何なのよこの臭い! 年頃の美少女が嗅いでいいにおいじゃないわよ!」

「何のって……」


 ティセの怒号。無理もない。ただようのは性の臭い。つまり、精液の臭い。なんとなく誰も言い出さなかったのだが、きょとんとしているパメラとサクラコ以外、どこかそわそわしている。ロザリーは逆十字にて、若い兵のタコ部屋から割と嗅いだ事もある懐かしい匂いでもあった。


「えっと……おちんちんから出る、やつ」


 真っ赤になってリュカが答える。


「や、知ってるけど! いや、知っては……ないけど! 答えなくていいから!」

「ティセ、あなたは食べないんだから少し黙ってて」


 ロザリーはそれと一人にらみ合う。ティセはパメラとサクラコを連れ、少し離れた所で食事する事にしたようだ。


「そっちのはおばさんが作ったから、たんとお食べ」

「きゃっほー、いっただっきまーす」

「でも肌にいいらしいですよ、アレ」

「う、マジか……焼けばワンチャンあるか……?」

「ねえ、あれって、どうしてキンタマって言うのかな」

「確か、金のように大事なものだからとか、()の玉だからとか、諸説あるようです」

「何でそんな事知ってんの? アレか、エロい単語ばかり調べるむっつりくんか」

「ち、違いますよう!」


 騒がしくする彼女達をよそに、ロザリーは食への好奇心と乙女の恥じらいとを天秤に掛け戦っていた。


「向こうは気楽なものね……」


 外野のヤジも気にせず、ロザリーは覚悟を決めてその刺身を口に運ぶ。口に溶ける肝の様な風味。あ、これは意外と……。濃厚な刺激臭さえ目をつぶればなかなかの珍味だ。


「ぷっはー、おいしー! あたい、これでも味にはうるさいんだ。医食同源、食は武の基本だからな!」

「そう……それは良かったわ」


 女将特製、山菜とすりつぶした鶏肉の田舎風水炊き。皆あっという間に完食してしまった。特別製であるロザリー達のそれは、例のモノがプラスされたものだ。心なしか体が火照ってくる。


「ごちそうさまでした。後片付けは私が……」

「う、うん。ありがとう」


 気のせいか、さきほどからロザリーに皆の白い目が刺さる。アレを食べた女として、いつも一緒のパメラにまでも少し距離を置かれている気がした。


「食べ過ぎたー!」


 リュカはそう言うとおもむろに洗面所へ駆け込んだ。ロザリーも水場にてしっかりと口をゆすぐ。さらに念入りにミントと豚の毛のブラシで歯を磨いた。


「ロザリー」


 そんな、洗面所のドア越しにリュカが話しかける。


「お前の料理……美味しかった。また、食べさせてくれるか?」

「ふふ、お安いご用よ」

「ありがとな……あたい、こんな暖かい料理食べたの初めてだ」


 どうやらロザリーの想いは無事、リュカへと届いたようだ。満足して食卓の方を見ると、ちらちらとこちらを伺うパメラと目があった。


「パメラ、歯を磨いたからもう大丈夫よ」

「ごめんね、そんなつもりじゃなくて……、あのにおい、少し苦手っていうか」

「でも良かったじゃない。これで金運も上がるってモンよね! キャハハ!」

「下品です……」


 ティセのこの嬉しそうな顔。ロザリーはいつか料理に同じ物を混ぜてやりたい気分にならざるを得ない。


「リュカ、もう大丈夫みたいだね」


 駆け寄ったパメラは、ロザリーにだけ聞こえる声でつぶやく。


「ええ、安心したわ。あの子なら、きっとこの場所に戻ってくると信じていたから」

「ね、それがロザリーの力なんだよ。私はそんなロザリーが……」


 いつもロザリーに勇気をくれるその先の魔法の言葉は、勢いよく開く扉の音によって無惨にもかき消された。


「あー、すっきりした! たくさん食べてたくさん出す、これぞ武の基本!」


 リュカは二人の淡いひとときを一蹴し、その場にうんちのにおいをまき散らす。


「ちょっと、それを早く流しなさい!」

「あ、ごめんごめん、これまでの事はこれと一緒に水に流そうぜ! そんじゃロザリー、改めてよろしく!」


 差し出された少し大きな手。ロザリーは嬉しくなり思わず固く握り合った。


「もう……仕方ないわね。って、手、洗ったの!?」

「えへへ、まだ」

「あなた……!」


 その後、ロザリーのお説教が炸裂したのは言うまでもない。

 リュカという天真爛漫な少女との新たな出会いによって、めまぐるしくその日は過ぎていくのであった。


―次回予告―

 拳との対話。少女達の叫び。

 求めよ、さらば与えられん。

 ロザリーの秘められた力が今、目覚める。


 第45話「力を求めて」

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