第43話 『リュカの過去』
謎の少女リュカの襲撃によりクーロン行きの馬車は壊れ、ロザリー達は妖仙と化した彼女と相対する。
聖女との決闘を望むリュカと、その不毛さを語るロザリー。説得の末、正気に戻った彼女は自分の行いにただ絶望する。彼女達に残されたのは、そんな傷心のすれ違いであった。
妖仙に怯えた御者は一目散に逃げ出し、その姿を消していた。かくして何も無い山道に取り残されたロザリー一行。だが幸い峠は越えていたらしく、後部座席の荷物も無事であった。彼女達は、仕方なく徒歩でクーロン国の玄関口である貿易街まで向かう事にした。
(私は……)
まだほのかに残る柔らかな唇の感触が、罪の意識へと変わる。ロザリーはリュカの事を思い返し、ただ無言で歩いていた。
「アンタねえ、いつまでそうやって落ち込んでるのよ。今日の宿とかどうするわけ?」
「野宿をするなら安心してください。私、見張りは引き受けますので!」
健気なサクラコの提案に、また「コチン」と言う音が響く。
「それが一番危ないっつってんの」
「あうう」
すっかり元の調子に戻る二人であったが、ロザリーは暗い気分を引きずったままつぶやく。
「私、ダメね……」
「そんな事ないよ。私、またロザリーに助けられたもの。あのままだと、また力を使っちゃう所だったし」
「そう言ってくれると嬉しいわ……ありがとう、パメラ」
「……うん」
ロザリーは、彼女がマレフィカなのかどうかが気になっていた。妖仙である証、邪気というものは感じられたのだが、マレフィカが呼び起こす幻影のようなものは見ていない。もしも彼女がそうであれば、早速、旅の目的と出会えた事になるが……。
「悪い子じゃないみたいだけど……。パメラ、あの子、マレフィカかしら?」
「うん。触れた時、妖仙の邪気だけじゃない、マレフィカの力も感じたよ。でも、本人はまだそれに気づいてないみたい。いや、知らないのかも……」
「え、マレフィカを知らない?」
「そうなの。聖女の事もただ強い人だと思ってたし、まだロザリーと同じで力に目覚めてないんじゃないかな。だからあの時、この中で一番強いロザリーの気? っていうのに惹かれたんだよ」
「そう……なのね」
つまり自分の力が彼女に認められたという事だろうか、ロザリーは少しだけ救われた気がした。
「あ。アンタさぁ、勘違いしてるようだから一つ言っておくわ。パメラもアタシも普段は魔力を抑えてんの。パメラなんて一切魔力を感じないわ。くやしいけどこれってすごいの。サクラコでさえそれをやってる。アンタなんてもうだだ漏れもいいとこで、私はマレフィカよ! ってふれ回ってるようなもんなんだからね。あのバカ女くらい鈍感じゃなかったら、だれがアンタなんか」
「う……」
ティセの言うとおり、ロザリーは力の制御などまったく分かってはいない。ましてや、自分の力が何なのかさえいまいち分からないのだ。そして、この中でマレフィカを見抜き、自身も自在に力を扱う事ができるのはパメラのみ。ティセやサクラコは、未だマレフィカの力を自覚しているだけである。マレフィカにも段階があるらしく、つまり、ロザリーはマレフィカとしてまだ一段階目にも達していないという事になる。
「ティセ! もっと言い方があるよ」
「そうね。もっと分かりやすく言うと、最弱魔女ってとこ?」
「もうっ!」
パメラはロザリーの力に一人、気づいていた。最弱どころか、もしかしたらと思える程の力。そして、それが今目覚めようとしている事も。あの時掛けた戒めはずっと前に解かれている。あとは、自分で自覚し、力と向き合うだけ……。
「ロザリー……」
かわいそうに、ギリギリで保っていた自信も打ち砕かれたのか、ロザリーは一人立ち尽くす。
「そうね……、私は魔女としては最弱もいいとこ。あなた達と出会う前からずっと、感じていた事よ」
「そんなことない! ロザリーはきっと大丈夫、素敵な力を持ってる。魔力の制御については、ちゃんと覚えようね。私も手伝うから」
「パメラ……」
パメラはロザリーの手を取った。すると、ロザリーの感じている漠然とした不安がうっすらと流れ込んでくる。このままではいけない。パメラは改めてそう決心した。
(ごめんね……。私、ロザリーの事、もう押し込めたくないの。マレフィカとして目覚めるのが、あなたの望みじゃないとしても……)
――聖女様……ううん、大丈夫。わたしも、苦しんでるロザリーを見たくないから。
(ありがとう……)
ロザリーの苦悩の先には、あの時の心の傷がある。心の声も振り返りたくはなかった出来事だが、時を経たロザリーとあの頃のままの自分は違う。ついに乗り越えるべき時が来たのだと、心の声もパメラの決意にそっと寄り添った。
少しの沈黙の後、気まずそうな顔をしてロザリーの肩を抱くティセ。
「まあ、少しきつく言ったかもしれないけど、単純に魔女としてはって事。アタシ、アンタの実力までは否定してないから」
「そうですっ! 私は、ロザリーさんが一番の実力者だと思っていますよ!」
そこに嘘は感じられない。けれどロザリーは皆にこうまで言わせてしまう事を、リーダーとして情けなく思う他なかった。
(二人とも、フォローありがと。……でもいいの、一瞬でも自惚れた私が馬鹿だったわ。毎回毎回私だけ大怪我してるしね。薄々気付いていたのよ。……私、やっぱりダメね……)
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日も暮れるほど山道を歩くが、一向に街は見えてこない。パメラは早々にギブアップし定位置であるロザリーの背中で眠ったが、ティセの愚痴はとどまる事もなく、ロザリーの疲労は心労と共にピークへと達していた。
「あー、お風呂入りたい、お腹すいた、足パンパン。馬車も全然通らないし、何なのよもう」
「きっともうすぐよ。クーロン一の霊峰って言われる仙龍山が見えるもの。ちょっと、それまでに別の山がもういくつか見えるけど……」
山で出来た国とは聞いた事があるが、ここまで来ると巨大な壁である。これこそが天然の要塞、グレートウォールと呼ばれている所以だろうか。
「ロザリーさーん!」
そんな時、先行していたサクラコが勇み足で戻ってくる。なんとこの先に、寂れた旅館らしきものがあるというのだ。その言葉通り見えてきた、目的地である貿易街の外れにポツンと立つ「サンチャ飯店」との看板に、一同は飛び上がって喜んだ。
ただ、とても賑やかとはいえない通りに構える築何十年というボロボロの旅館から、やせ細った中年の女性が顔を覗かせているのを見つけた時は正直不気味であったが、背に腹は代えられないと満場一致で今日はここに泊まることとなった。
「――ロザリー、ロザリー!」
「……うん?」
一息つき、宿の窓からぼーっと遠くを見ていたロザリーの瞳に、無邪気なパメラの顔が映る。
「そろそろご飯だって。クーロンの料理、楽しみだね」
「え、ええ、そうね……」
「あーあ、みてらんない。バッカじゃないの、毎回毎回いいように振り回されて」
こちらを襲ってきた相手にまで振られ、極限まで脱力している情けないリーダーを一瞥し、ティセが毒づいた。けれど、ティセが不機嫌なのはそのためだけではない。パメラの独白を聞いてなお、他の女の事ばかり考えているその性根。今回ばかりは、それをたたき直してやらなければと顔を近づける。
「アンタってさ。魔女だったら誰でもいいワケ?」
「な、何よ? 突然……」
「アタシが今キスしたら、すぐにでもアタシのコト好きになっちゃうんじゃないの?」
どこか侮辱している体なのは流石に伝わった。ロザリーはその言葉にただ眉をしかめる。
「見てたんだから。何がとは言わないけど」
「っ、それは……」
パメラもいる手前詳細は伏せたが、それは肉欲による情であるとはっきりと指摘するティセ。さすがにこの誤解だけは解かなければと、ロザリーはティセに向き直る。
「あの子は……妖仙の邪気に操られていたのよ。腕力には自信があったはずなんだけど、私には抵抗すらできなかった。ティセの時だって不可抗力だったでしょう。確かに私は流されやすいけど、そんなに尻軽じゃないわ」
「尻……。ん、つっこまないわよ。……まあ、分かってる。そんな奴だからアタシもついてきたんだし。それで、どうするの? アイツの事」
「私は、助けたいと思ってる。ここで諦めたら、コレットの時と変わらないわ」
毎度の事である。ティセから「はぁー」と重いため息が漏れた。
「アタシは反対。妖仙なんて仲間にしたら命がいくつあっても足りないわ。それにアイツ、全くアタシらの気持ちとか考えてないじゃん。あの時ムカついたから並みの術者ならビビるくらいの魔力を解放してみたんだけど、それに気付きもしない。マレフィカとしてはアンタよりも遥かに下の下。あんなのに付き合ってたって時間の無駄だと思うけど」
そんなティセの言い分を黙って聞いていられなくなったのか、サクラコが割り込んだ。
「ティセさん、それは違います。あの身のこなし、やはりただ者ではありません。これは私の考えなんですけど、稀妃禍にも色々あるんだと思うんです。ティセさんやパメラさんは力を外側に放出するのが得意で、私はその力を全身に巡らせて身体能力を高めます。きっとあの人は私と同じなんです」
マレフィカの力。これには各々特性があった。この中で最もそれを操るのが得意なパメラなどは、なんとなく、当たり前のように自分の力として放出する事ができると語る。
「うん、サクラコちゃんの言うとおりだと思う。私は、気がついたらこの力に目覚めていたからよく分からないけど、普通、異能に目覚めるには、あるきっかけが大事なんじゃないかと思うの」
パメラはこの力を得た時、なにか同時に大きな出来事があったと記憶している。少なくとも再生の力を得たのは、大切な人の死がきっかけであった。そして、ロザリーにとってそれはもう訪れている。だがそれと同時に潜むトラウマを刺激しないよう、どう伝えれば良いか思案しパメラは助言する。
「リュカは、ロザリーと同じだよ。自分の本当の力と向き合ってこなかっただけ。ロザリーには剣。リュカは武術っていうように他に頼れるものがある人は、力が降りてきにくいのかも。二人には、それと向き合う心の準備が必要なのかもしれない」
「向き合う、心……」
確かにロザリーは人一倍、父から教わった剣技にこだわりを持っている。しかしパメラの言葉に、これからはマレフィカの力と向き合う事も必要だろうという考えも生まれた。
「ねえ、だったら私はどう分類されるのかしら。魔力なんてほとんどないし、気を巡らすなんてできない。もしかしてマレフィカですら無いのではないかって何度も思ったわ。でも父も逆十字のみんなも、マレフィカだと信じてくれた。私はもうあなた達の足を引っ張りたくはない……一体どうしたら……」
そんなロザリーの不安も、パメラだけは気付いていた。しかし、こればかりは自分で乗り越えるしかないのだ。
「心配しないで、ロザリー。わたしはロザリーの力、感じてるよ。すごく暖かくって優しい力。きっとリュカはそれが分かったんだね。だから、自分からいなくなったんだよ。あなたを苦しめないために」
「パメラ……」
これは、不安をぬぐい去ってくれるパメラの魔法。気休めの嘘を言う子ではない。もしかしたら、本当に自分には何か特別な力があるのかもしれないとすら思えた。
「ロザリー。アンタに魔力が無いなんてアタシは言ってないわ。むしろ、何かが常に溢れているの。時々ね、嫉妬するくらいの力すら感じるのよ」
「私も感じます。何でしょう、みんなの想いを一つにしてくれるような……。だから、私達は一緒にここまで来られたんだと思います」
「みんな……」
ティセもサクラコも、ロザリーの中の力をまっすぐに見つめていた。今はウジウジした自分なんかよりも、仲間達の言葉を信じるべきだろう。ロザリーは皆の言う力に対し、初めて自分から向き合う決意をした。
(そうよ、私にもきっと、できる事がある)
あれからリュカはどこかへと行ってしまったままだ。彼女が気になるのはもちろんだが、このままふさぎ込んでいても仕方がない。
「ティセ。最後に一つだけ……」
「何よ」
「私はあなたの事、初めから好きよ」
ロザリーはそれだけを言い残し、大変そうに一人で食事の支度に取りかかっていた宿の女将の手伝いをしに向かった。
「バーカ……」
女たらしここに極まれり。ティセは真っ赤になった顔を見られないよう、魔法帽を目深に被り直すのだった。
「あんた達、もしかして、リュカと会ったのかい?」
鍋の具材を手際よく捌きながら、女将が語りかけてきた。この地で数十年旅館を営んできた彼女は、ある意味地元では有名人であるリュカの事を昔から見てきたという。彼女は最近ここにも訪れたらしく、女将もまた、その不自然な様子を心配していた。
「はい、旅の途中で偶然。色々あってもみ合った結果、馬車がダメになってしまって……ずいぶん落ち込んでいる様子でした」
「まさか、また変な気に取り込まれて……。すまないねえ、あの子、虎退治とか言い出して出て行ったっきりなんだよ。もしかすると、その戦いで気が立ってたのかもしれない。でもよかった、無事なんだね。という事は、あの化け虎も倒したということか。ったく、あの子はつくづく……」
「あの、良かったら、リュカの事教えて貰えませんか?」
女将は静かに頷く。そして、同世代の子がリュカの事を聞きに来るなんて初めての事だと上機嫌に答えてくれた。
「そう言えば、リュカが友達と遊んでいる所など見たことがなかったね……」
「友達……」
「……あの子はね、生まれてこのかた一人ぼっちなのさ」
女将の声はどこか、実の娘の事を語るように優しかった。
「あの子は純粋なロン民族ではなく、異国の女とどこぞの悪党の間に産まれた子なんだ。忌み子として生まれたあの子は、いつも一人ぼっちだった。母親はとうに逃げだして、誰かも分かりゃしない。せめてリュカという男の子の名前をつけて守ろうとしたのかもしれないが、悪党からはいいようにこき使われ、やせこけていく始末。わたしゃ不憫でね。面倒を見てやったものの、私の少ない稼ぎじゃ食べさせてやるのが精一杯だった。そんな時、この街に悪い妖仙が現れたんだ」
「妖仙……やっぱり、リュカと何か関係が?」
「ああ、あの子なんてまだ可愛いもんだよ。よそから来たんじゃその怖さを知らないのも無理はないね。この国を統べる、仙者様の事は知ってるかい? 早い話、妖仙ってのは仙者の力を己のために使う悪い奴の事さ。仙者としての修練を積んだ者は、霊峰へと続く“仙者の道”を踏破しなきゃならないんだ。だけど、力及ばず道半ばで諦めた者、仙者としての教えを守れなかった者なんかには、呪いがかかり外道へと成り下がる。どいつも化け物みたいな強さで、魔物なんかよりよっぽど厄介さね」
例えるなら騎士を目指したはずの兵士が、失業し山賊に身を堕とすようなものなのだろうか。諸外国から見るとクーロンという国はとりわけ平和で豊かに見える。しかしその裏側にも、様々な内情があるらしい。
「……あの日現れたのは、おかしな猿の面をした男だったねえ。ひどく荒れていてそりゃ大変だった。街はめちゃくちゃ、悪党達も皆殺しにされ、私らは隠れている事しかできなかった。だけど、あの子は違った。幼い身で一人妖仙に立ち向かったのさ。何もしてあげなかったこの街のためにね」
やっぱり、悪い子じゃない。ロザリーは胸が熱くなるのを感じる。
「それで、どうなったんです?」
「なぜだか化け物は帰って行ったよ。その後すぐに仙者様が駆けつけて下さって、リュカはその方にたいそう気に入られてね、ぜひ弟子にと引き取られていった。それからのリュカは仙者になるための修行を続けている、そう風の噂では聞いていたんだが……何でか最近になって帰ってきたんだ。街のみんなはリュカが仙者の道を諦めたなんて噂してる。あまつさえ妖仙に身を落としてるなんて馬鹿げた事を言う奴もいる。あの子のおかげで今この街があるってのに……みんな、忘れちまったのかね」
丁寧に切りそろえた野菜の上に、女将の涙がこぼれた。
「ところであんた、また何かリュカに馬鹿な事言われたんでしょ。確かに最近のあの子は何かに取り憑かれたようで、戦う事しか頭にないんだ。ここはもういいからさ、お腹がすいてあの子が帰ってくる前に早く出て行った方がいい。あの化け虎を倒すほどだ、あんたも無事じゃ済まないよ」
「……いいえ、私は逃げません。今の話を聞いて、あの子をもっと知りたくなった」
「あんた……」
そう、リュカは自分を真っ直ぐに見つめてくれた。他の誰でもない、自分の力を選んでくれた。ここで目を逸らしてしまったら、あの子はもう……。
「女将さん、こちらの料理ですが、私に任せてくれませんか?」
「ええ、かまわないけど……」
「ありがとうございます!」
(リュカ……まずは、私の料理を食べて欲しい。きっとこの思いが伝わるはずだから)
ロザリーは女将に倣って、自分の料理に取りかかった。
精一杯のまごころと、皆の言う“想いの力”を込めながら。
―次回予告―
孤独だった少女に、一時の安らぎが訪れる。
語らうは夢に見た未来。
紡がれた絆は、心の傷跡へと深く染み渡る。
第44話「ロザリーとリュカ」