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第42話 『妖仙』

「お願いだっ、ガーディアナの聖女! お前なら、お前とならきっと……!」


 クーロンへと向かう馬車の中、突然事件は起きた。

 しばらく離れにいたサクラコを気に掛けていた隙に、ちょうどロザリーのいた席に見知らぬ少女が陣取り、パメラへと迫っていたのだ。

 そのぴったりとした赤の拳法着の下に見える体躯(たいく)はたくましくしなやかで、ロザリーの鍛え上げた体でさえ見劣りするほどだ。無造作に流した栗色の髪と、そこから長く伸びた三つ編みがせわしなく揺れている。


「お客さーん、どうされましたー? 何かあれば引き返しますよー」

「いえ、大丈夫、このまま進んでちょうだい!」


 ロザリーは一応問題ないと判断し、御者に伝えた。明らかに異常な事態なのだが、彼女の雰囲気からは敵対する意志など微塵(みじん)も感じられない。むしろ相手をしているパメラなどは終始困惑した様子であった。

 ひとまず危険はないと胸をなで下ろすが、早速憤慨したティセが文句を言いながら駆け寄ってくる。


「ロザリー、こいつ誰よ!」

「私に分かるわけないでしょう!?」

「なら早くどけなさいよ、アタシの力じゃビクともしないんだから」


 そんな事態を、ロザリーの背後から申し訳なさそうにサクラコが覗き込む。


「く、くせ者ですか……?」

「バカ! アンタ、ずっと見張ってたのに何やってたのよ!」


 ティセはすかさずサクラコの頭にゲンコツをお見舞いした。


「あうっ! そんな、気配も何もなかったんですよぉ」

「じゃあ、どうしてあんなのがここにいんの!」

「それは、そうです……」


 サクラコはみるみるしぼんでゆく。だが彼女は悪くない。ロザリーも確かに気配を感じなかった。忍びであるサクラコにも気付かれずにずっとこの馬車にいたというのなら、あの女が普通ではないのだ。


「あいつ、手は出してこないけど話も通じないしまともじゃないわ。パメラにしか興味ないみたいだし」

「もしかして、がであなの刺客とか?」

「それか、聖女を探している冒険者かもしれないわ」

「いや、どちらともなんか違うのよね……」


 ティセによると、パメラと二人で先程の話題から膨らんだ恋愛話などをしていた所、急に天井の布を突き破って彼女が降ってきたと思えば、自己紹介もなくあの調子でパメラに決闘を迫っているのだという。


「け、決闘!?」


 女は真剣な表情でパメラに迫っているが、パメラは自分が聖女である事をはぐらかし続けているようだ。


「人違いだよ、私は聖女なんかじゃ……」

「さっきと言ってる事が違うじゃないか! それに街で見たんだ。お前とそっくりな聖女の似顔絵。別に突きだそうってんじゃないんだ、あたいと、勝負してくれればそれでいいんだ!」

「ち、違うの。私は……そんなんじゃ」

「なんでだよ! 負けるのが怖いのか!?」


 しびれを切らしたのか女はパメラの腕を掴み座席に押し倒す。するとそのまま顔を近づけ、突然唇を重ねようとした。


「いたい……!」

「あ、ごめんっ!」


 腕に一気に体重がかかり、パメラが苦しむ。その様子に気付いた女は一度、顔を離した。


「その子から離れて!」


 見かねてロザリーが叫ぶ。その言葉に女はピクリ、と耳だけをそちらに向けた。ロザリーは剣に手をかけ、にじり寄る。そして試しに少し殺気を放ってみた。


「……っ!」


 それに反応しこちらを向いた女は、思いのほか美しい顔をしていた。やや吊り目で大きめの口、無駄な肉のない精悍な輪郭。だが同時にどこか獣のような眼光を秘め、隙あらばこちらへと襲いかかろうとする獰猛(どうもう)さが窺えた。


「まさか……妖仙……」


 ロザリーの一言に、女の表情が変わった。触れてはならない言葉でもあったかのごとくその瞳孔は開き、開いた唇からは白い牙が覗き、栗色の毛が逆立つ。妖気とでもいうのか、ロザリーは初めて感じるその圧力に、ただおののいた。


「ロザリー!」


 パメラの叫びと共に、ふいに女は消えた。自分が突き破った天井の穴から予備動作もなく跳んでいったのだ。信じられないと皆息をのむ。


「ふしゅうぅぅ……っ!」


 すると、女は勢いよく回転しながら空中で蹴りを放った。そこから発生した刃物のように鋭い衝撃波が、頭上の布を勢いよく切り裂く。


「くっ! みんな、伏せて!」


 ロザリーはいち早くそれを察知し一人で受け止めようとしたものの、あまりの圧力に捌ききれず、一人客席の外へと吹き飛ばされてしまった。


「天龍拳……一踏両断(いっとうりょうだん)……!」


 彼女が繰り出した技の衝撃に絶えられず、凄まじい音と共に車両は前後に両断する。驚いた馬達は暴れ、サクラコとティセを乗せた前方の車両はそのまま走り去っていった。


「……いたた」


 ロザリーは転がるように外へ放り出される。挫いた足をさすりつつ何が起きたのかと目を開くと、バランスを失い道を外れた後部車両が木々にぶつかり崩壊していた。確かそこにはパメラが乗っていたはずである。


「パメラ!」


 慌ててロザリーが這い寄ろうとすると、目の前には三つ編みの女が立っていた。その目はまるで得物を狙うように血走り、よだれを垂らしながらロザリーへとのしかかる。


「くっ、何て力っ……」

「ぐうううぅぅ……」


 もはや化け物……。やはりこの女こそ、堕龍の言っていた妖仙ではないのか。ロザリーは身動きもとれず女のよだれを顔に受ける。むせかえるような獣臭と、雌の臭いをまき散らし、女はロザリーの体に自分の体を擦りつけ始めた。まるで、獣の求愛行為のように。


「んっ、ふぅ……ふぅー」


 その栗色の髪が鼻をくすぐる度、ロザリーは原始的な情欲が呼び起こされるような感覚に襲われる。


「どいて……あそこにはパメラが……!」

「ふぅ、ふぅ……お前、ああ、やわらかい……、はあっ」


 女は一心不乱にロザリーをまさぐる。それはロザリーの内部にも及んだ。少し緩んでいた装甲ををかき分けて侵入した指が、肌の上を踊る。


「く、うんっ……!」


 少し乱暴な指使いに、ロザリーは本能的に反応した。力では抵抗できない、男に乱暴される感覚に近い恐怖。けれど、同性であるがゆえのしなやかな巧みさ。女は蜜のようにトロリとした唾液を指にまとわせ、再びロザリーをまさぐる。その指は、次第に下腹部へと迫った。


「や、やめて……」

「……この、力」


 女の指が下腹部で止まる。恐怖と興奮とで、ロザリーは気がおかしくなりそうだった。

 すると彼女はそのままロザリーに顔を近づける。東洋の化粧を施した、ぱっちりとした瞳にロザリーの顔が写る。それはまたも、淫らな女の顔をしていた。


「ん、んう!」


 ぷくりと膨らんだ唇が触れ合う。柔らかい感触を互いに味わいながら、息の続く限りその行為は続いた。どこか甘いお饅頭の味のする唇を、貪るように味わう女。


((こんな……受け入れちゃ……だめ。でも……気持ちいい……。これは……ちがうの……パメラ……))

「…………っ!!」


 女は唇から流れ出すロザリーのとめどない思考に困惑した。そして、ひとしきり感情の波が過ぎた後、一転してぐったりと上に覆い被さる。


「なんだ……これ……あたいは、何を……」


 疲弊した少女の熱を感じながら、ロザリーはパメラの唇を思い返していた。そうだ、今みたく強引にされる方に嫌悪感など無いのなら、こんな風に自分も無理矢理にでも奪えばよかったのではないか。もしかすると、彼女もそれを望んでいたのではないか、と。


 これが、本当の自分。

 この快楽を、彼女と味わいたい。

 そして、その先も……、思うままに……彼女を……。


「ごめん、ごめんね……」

「え……?」


 ぽとり、と暖かいものがロザリーの頬に落ちる。

 女は泣いていた。先程までとは打って変わって、しおらしくなった少女がそこにいた。


「あたい、ほんとに妖仙になったんだ……。こんな事、ほんとはしたくないのに……」


 その言葉にふと、ロザリーは正気に戻った。今この熱気の中、自分が何を考えていたのか、冷静に思い返す。そう、あろうことか無理矢理パメラを襲う妄想に考えを奪われていたのだ。それに気づいたとき、自己嫌悪と共に己の隠れた本性に愕然(がくぜん)とした。


「……今、悪い気を起こしただろ? 邪気にあてられたんだ、きっと。妖仙は邪気を生み出す。あたいもそれに耐えられなくなって、時々強い気を無性に喰らいたくなるんだ。こんなふうにね……。でも、お前の力が、それから引き戻してくれたんだ」

「私が……?」


 涙や、色んなものでベチャベチャになった彼女の顔は、力なく笑っている。ロザリーは彼女を抱え起こし、手櫛で乱れ髪を綺麗に整えた。


「ほんとに、ごめん……」

「大丈夫。私はこういうの慣れてるから……」


 ロザリーは優しく微笑みかけた。理由はあるにせよ、思えば出会う女性皆としているかもしれない。これが異能のせいでなければ、とんだ女たらしである。

 すっかりこちらを見る目つきが変わった少女は、もじもじと小さくお礼をした。


「えへへ、ありがとう……」


 そこへ、ティセ達がやってきた。暴走する馬車からサクラコが降ろしてくれたらしく、二人とも無事のようだ。


「ロザリーさん! 大丈夫ですか!?」

「私の事はいいわ、それよりもパメラを!」


 ロザリーは崩壊した車両を指さす。頷いたサクラコはそのままパメラの救出に向かった。


「アンタね、何してくれてるわけ!?」


 少女に対しティセが凄む。無理もない、突然押しかけられ馬車まで破壊されたのだ。パメラの安否によっては、ロザリーも間違いなく同じように振る舞うだろう。けれど、一度繋がってしまった彼女に対して、ロザリーはどうしても怒る気にはなれなかった。


「話を聞いてあげて? どうも訳がありそうなのよ」

「どんなワケよ。馬車どっか行っちゃったじゃないのよ!」


 馬車の姿はもう見えない。妖仙の出現に怯えていたあの御者の事だ、もうここへは戻ってこないだろう。


「どんな訳があったとしても、パメラに何かあったらタダじゃすまないから!」

「ごめん……」

「ふうん。ゴメンですむんなら、これも許してくれるよね」


 ティセは火の玉を指先に作り出した。その攻撃的な火のつぶては螺旋を描き加速度を高め、今にも少女を貫こうと狙いを定めている。おそらくティセが普段使う事のない、殺傷能力の高い魔法だろう。


「待って!」


 すると、声とともにどこからか光が放たれ、ティセの炎がかき消された。


「あ、ちょっと!」


 こんな事ができるのは、とロザリーに期待がよぎる。サクラコに支えられ現れたのは、確かに傷一つ無いパメラであった。


「パメラ……!」

「私は大丈夫。だから、争うのはやめて」

「だけどっ……」


 パメラはティセを制してそのまま少女へと近づく。そして厳しい聖女の表情のまま、光を放つ手でリュカに触れた。


「ごめんね、もっと早く気づいてあげられたらよかったんだけど」

「そんな……、消えていく……、あんなに大きかった邪気が……」

「苦しかったね。これで大丈夫だよ」


 何かに憑かれたような顔をしていた少女は、みるみると正気を取り戻した。そしてパメラはロザリーの傷にも触れる。その時、パメラは一瞬、ロザリーの中にある、自分に対する純粋な情欲を感じとってしまう。


「あっ……」


 ロザリーは先程の行為による後ろめたさからか、目を伏せたままでいる。パメラは一方的にロザリーの本音を覗いてしまったような気がして、戸惑いを隠しながらその傷を癒やした。


「よかった、あなたが無事で……」

「ロザリー……」


((パメラ……もっと触れて……そして……))


 ロザリーは未だ気付いていない。これこそが、ロザリーの力の本質である事を。

 触れたい。でも、その不完全な力は未だ一方通行であり、今のパメラにはそれを全て受け止める自信がなかった。もし、自分のせいで満たされぬ思いに苦しめていたとしたら、なおさら……。


――聖女様……ロザリー、苦しそう。

(うん……だけど……)


 今までの事は、心の声が自分の背中を押してくれたからできた事。ロザリーの感情がこちらへと向き膨れあがっていく一方で、一度そのことに疑問を抱いたパメラは、それ以上先へと進めなくなっていた。


 一方、邪気を払われた少女は、一転して晴れやかな顔でパメラを見つめる。


「ありがとう……。ガーディアナの聖女って……やっぱり、お前なんだろ?」


 少女の問いに少し戸惑ったが、パメラはそれに頷いた。


「やっと会えた……!」


 そして、少女はなにかを確信したように言い放つ。


「あたいはリュカ。リュカ゠レイフォン。八仙天龍拳はっせんてんりゅうけん、ショウリが弟子!」


 八仙という名称。それこそ、この国を治める者達、八人の仙者の通称である。その一人、ショウリの弟子だと名乗るリュカは、聖女に対しある種の憧れを抱いていた。それを、ありったけの言葉でパメラにぶつける。


「聖女ガーディアナ、改めてお前に決闘を申し込む!」


 パメラは改めてリュカのまっすぐな瞳を見つめた。みんな、自分を求めてくる。でも、その感情は一方的で、受け止める事はできないほどに大きい。


「あたい、ずっとお前に会いたかった。師父(しふ)が話してくれたんだ。もし、今ガーディアナがクーロンを攻めれば勝ち目は無いかもしれないって。現にガーディアナは今も勢力をどんどん拡大してる。それは聖女という存在がいるからだって。お前はこれまで、どんな魔物も、いや、魔物より恐ろしい魔女だって倒してきたんだろ。それって世界で一番強いって事なんだぞ、すごいじゃないか!」

「…………!!」


 リュカは聖女の持つ負の一面だけを捉えていた。確かに世界的に見れば、聖女の名の下にガーディアナの侵略政策は今も続いている。それを受け、パメラは悲しげな瞳でリュカを見つめる事しか出来ずにいた。


「でも、あたいはダメだ。聖女と同じ世界に立てない。力を振るう時、怖くなっちまう。勝つっていうのは、何かを得る事であり、同時に失う事でもある。あたいは、失う事が怖くって、どうしても弱い自分に勝てないんだ。だから邪気になんて良いようにされて、こんな馬鹿な事を……。あたいは、乗り越えたい。お前と戦って、本当の強さを手に入れたいんだ!」

「あ、あんたねえ……さっきから黙ってれば!」


 リュカの勝手な言葉に対し、ティセが激昂する。彼女は得意の炎を放つ事も忘れ、その胸ぐらへと掴みかかった。


「調子乗るのもいい加減にしなさいよ! アンタに聖女の何が分かるって言うの! バカみたいに強さ強さって、この子の前で勝手なこと言わないでよ!」

「ティセ……、いいの、本当の事だから」

「だから許せないのよ! この子がどんな思いでいるのかなんて考えないで!」

「ティセ!」


 パメラに抱きしめられたティセはさらに続けるも、最後の方は声も震えていた。


「この子は、そんな聖女である自分に絶望したの! そこをやっと、立ち直れるようになったっていう時に……!」

「ごめんね、ごめんね、ティセ。私は大丈夫だから……」


 場が静まりかえる。かぶりを振って後ずさるリュカ。


「聖女って……世界で一番強い奴の事じゃないのか? そんな孤独なんて、とっくに乗り越えてるんじゃ……」


 そんなリュカに、パメラが聖女の真実を伝える。


「ううん、聖女ガーディアナは強い訳じゃないよ。弱いから……言いなりになっていただけ。寂しくて、一人でいなくなろうとしてた、ただの子供。ね、私、全然強そうになんて見えないでしょ?」


 リュカの手を取り、パメラは自らの華奢(きゃしゃ)な胸に添える。それは、衝撃を加えれば粉々に吹き飛んでしまうほど繊細な胸。確かに、こんな少女に拳など振るえるわけもなかった。


「そんな……」


 沈黙が流れる。リュカは聖女が最強の存在ではなかった事実より、先ほどの発言で、彼女の何か大事な部分に踏み込んでしまった事に気付き、言葉を失った。


 そんな孤独を鋭敏に感じ取ったロザリーは、リュカの気持ちに答えたくなった。パメラとの決闘など阻止したかったのもある。だが、それ以上にさっき交わしたぬくもりが、情を捨てさせなかった。


「リュカ……、私からも言わせて。聖女は強いわけでも何でもない、私達自身が造りだした恐れなの。それに、聖女と戦っても見えるものなんて何もない、それはあの子と戦った私だから分かる。そこにあったのは、間違った世界に飲み込まれた、悲しいすれ違いだったわ」


 リュカはその場にへたり込む。そして、許しを請うようにパメラの足にすがりついた。


「あたいは、あたいは、まだ何も見えてなかったのか……。こんなんだから、天の道に見放されたんだ……、妖仙なんかになってしまったんだ!」


 リュカは泣き叫んだ。皆、どうしていいのか分からず、ただ、彼女を見つめていた。ロザリーは決意する。誰もが彼女を見放しても、自分は見放さない。決して。


「リュカ、私と決闘しましょう」

「……っ!」


 リュカはロザリーを見つめ、深く呼吸した。胸の高鳴りが次第に激しくなる。涙が止めどなく溢れてきた。まだ、こんなに暖かい感情が自分にも残っている。それが嬉しかった。


 しかし、だからこそ……。


「あたい、あたいは……」


 その先を言い淀み、リュカは立ち上がり背を向けた。


「もう、いいんだ」


 吐き捨てるようにそう言うと、リュカは力ない足取りで山の中へと消えていく。

 その後ろ姿は、手負いの獣のような、何者をも寄せ付けない悲しいものであった。


―次回予告―

 愛されたかった少女は、全てを愛した。

 愛されなかった少女は、全てを亡くした。

 しかし、その胸に去来する思いは強く……。


 第43話「リュカの過去」

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