第5話 『聖者の行進』
いよいよ訪れた聖女聖誕祭、前日。
逆十字の面々はクルクス一座と名乗る旅芸人に変装し、無事ガーディアナの地方都市、ウィンストンへと到着した。
「わあ、人でいっぱいね」
「それもそうだろう。ここは、今や世界の中心とも呼べる場所なのだからな」
「そうね……まさか、生きてこの地に来る事になるなんて思わなかったわ」
「ああ、ようやくだ。これまでの戦いの全ては、この時のためにあったと言ってもいいだろう」
荒廃したローランドと違い、地方都市とはいえその風景は人類の黄金時代を思わせる絢爛さを見せた。行き交う人々はみな身なりが整い、街には芸術があふれ、商業も盛んである。この国が信仰と貨幣を媒介として発展した一大国家である事は、無学なロザリーにも理解にたやすい。
つまりこの国では、何をするにも必要となるのが貨幣である。入国の際にも神徒の証としてずいぶんと大金を要求されたが、後がない彼らとしては身銭を切りなんとか乗り越える事ができたのだった。
「でも大丈夫? 私もうお金ないわよ」
「とほほ、もちろん晴れてワシも無一文じゃ。さすがに都会は物価から違うのう。よし、キルよ! 滞在費と帰りの分を何としてもここで稼ぐぞ!」
「任せて下さい団長。野宿はもうごめんですからね」
キルはナイフを交互に放り上げ、器用にキャッチする。すっかり彼も旅芸人が板に付いているようだ。ちなみに、予行演習としてここへ来るまでに行った何度かの興行も無事成功した。確かにお金をもらってもいい仕上がりだと、ロザリーは謎の自負を持ちつつある。
「それにしても平和ね。人々のこんな幸せそうな顔、ローランドでは久しく見ていない気がするわ。だけどこれって、全て他国の犠牲の上に成り立っているのよね……」
「ロザリー、殺気が出ているぞ。パレードは明日。絶対に気取られるな」
「え、ええ、大丈夫。私はマレフィカの中でも何の取り柄もない。きっとバレないはずよ」
「ですが美人というだけで取り締まられますからね。まあ、滞在するのは明日までですし、派手なメイクをしていれば問題ないでしょう」
「そんな、美人だなんて……」
素顔を晒せないロザリーの顔には、少し大袈裟なピエレッタの模様が描き込まれていた。今ならば頬の火照りも気づかれないだろう。
このようにロザリーを初めとして、マレフィカは皆、美しい姿をしている。マレフィカだからそうなるのか、美しいからマレフィカとなるのか定かではないが、その事が彼女達の悲劇性を増した。裏社会では奴隷として人身売買まで行われている噂まであるという。
「ふむ、確かに入国の際は肝が冷えたが、この人の多さで助かったわい。奴ら、金さえ得られればそれで良いのじゃろ」
「魔女がこの国に入ろうなんて、普通は考えないわ。それに私くらいの顔、探せばどこにでもいるもの」
「いいや、お前の美しさは母親ゆずりの無二のものじゃ。……思い出すのう。オリビアは病弱ながら心は強く、何よりも健気でなあ。ブラッドも日ごと彼女に似ていくお前をかわいがりすぎて、果ては剣まで教えおった。もちろん、父親として心配しての事だろうが」
ギュスターの思い出話を聞くといつも出てくるのが彼女、オリビア゠フリードリッヒ。忌み子を生んだ女性として、悩みながらも懸命にこの時代を生き抜いた。そして、ローランド戦役にてガーディアナに命を奪われてしまった悲劇の人である。
「かあさん……」
それを聞き瞬く間に翳るロザリーの顔を見るなり、ギュスターは思わずその寂しげな頭を抱きしめた。
「辛い事を思い出させてしまったな。すまぬ」
「ううん……大丈夫、大丈夫よ」
たとえ忌み子であったとしても、それは無条件に蹂躙されても良い理由にはならない。母の選んだ道を正しいものにするためにも必ず、マレフィカ達の未来を変えなければならない。それは一人遺されたロザリーの使命でもあった。
その夜、唯一空いていたウィンストンの安宿で一同は重なるように眠りに就く。宿は他の旅芸人の一座でごった返しており、取れたのはほんの小さな一部屋。そこに男達十数人と女一人が押し込まれた。
「がああ、がああ」
「ぐこー、ぐこー」
「…………」
ロザリーは奴隷船かのように隙間のないほどの床に転がり、いびきの大合唱の中を一人ずっと眠れずにいた。
「きゃっ」
そんな中、ふと誰かがロザリーの胸に触れた。もちろん今は寝間着であり、ありありとした形がその手には伝わったであろう。やったのはどうせギュスターあたりだろうと、仕返しにその手をつねってみる。
「ぎゃっ」
声の主はキルであった。寝返りの拍子に手が当たったのだという。ロザリーはまさかキルが隣で寝ていたなど思いもせず、なぜかこっちが謝ってしまったが、もはやすっかり眠れなくなってしまった。キルの触れた部分が、じん、と火照っていたのである。
(もう……明日は早いのに)
一旦心を落ち着けるため、ロザリーは夜風に当たろうと小さな出窓を開く。すると、聖誕祭にむけ、きらびやかに飾り付けられたガーディアナの夜の町並みがロザリーを迎えた。普通の少女なら、ロマンティックだと感動もするのであろう。
(胸が、落ち着かない。明日の作戦に緊張しているのか、それとも……)
暗がりの中、その手は未だ火照る胸へと伸びた。キルの手が触れたと思うだけで、鼓動が激しく高鳴る。これは、もしかして恋心というもののせいだろうか。
「んっ……」
恥じらいを捨て、キルの触れた所にそっと手を重ねる。何よりも熱を持った膨らみは、さらに何かを期待し自身を主張していた。頭では冷静になるように努めるが、あまりの恥ずかしさに鼓動が止まらない。
(私、気でも触れたのかしら……)
その手はそのまま強くぬくもりを求めた。魔女を娼婦のように見る者達へのせめてもの抵抗のため、今まで一度もそんな風に扱った事がない女としての部分が、さらなる欲情を訴える。
「はあ、はあ……」
だけど、今は少しくらい……。
明日は作戦の日。その身が無事である保障もないのだ。
その指が少しだけ直に触れた瞬間、ロザリーはふと窓の外に何かを目撃した。
(あれは……)
それは、フードをかぶった黒ずくめの男達が集団で物陰から出てきた所であった。自身も夜に紛れ行動する事が多いため分かるのだが、明らかに佇まいが異質。手練れの者である事は道行く人々が誰も気づいていない事から容易に想像がつく。すると、こちらの視線に気づいたのか、彼らはふいにその場から消えた。集団が、一度に。
「なに!?」
幻でも見たのだろうか。確かに今の自分はどこかおかしい。すっかり熱も冷め、自分の行いを恥じたロザリーは再び眠りに就く事にした。
朝、ロザリーが目を醒ますと、皆はすでに支度を済ませた後であった。大事な役目を担うロザリーを気遣って、自分だけ誰も起こさなかったのだ。ロザリーは夜更かしした事を悔やんだが、どうやらそれはキルも同じらしく、二人は少し赤い目を見つめ合って笑った。
「すみません、昨日は。あれからどうも寝付けなくて……」
「いいえ、私こそ。あんないびきの中だもの、仕方ないわ」
「そ、そうではなく……」
「お前達、いい加減にせんとパレードが始まってしまうぞ!」
ギュスターの呼ぶ声。ロザリーはピエロ化粧もする暇もなく道具箱に装備一式を詰め込み、一行は聖誕祭を彩るパレードの列へと忍び込んだ。
「すごい人だかりね」
「それだけ、聖女が絶対的な信仰の対象であると言うことでしょう。何せ一年に一度の催しですし、諸外国に国力を見せつける場でもあります。人目に付かないよう暮らしてきた我々としては少し、慣れませんね」
「ああ、ローランドは清貧に粛々と暮らす国民性だからな。たとえ姫様の生誕日といえども、こういった催しを行う事もなかった。だからローランド人はいつも馬鹿真面目だと言われるのだ」
「あなたは少し異端だけれどね……」
派手なピエロ面で子供達に手を振るギュスター。逆十字の一同は、観客よりも聖女に近づける芸人達の位置につき、その時を待った。
(これで全てが終わる。いや、これは始まり? どちらにしろ、もう後戻りはできない……)
緊張に胸が締め付けられる。失敗は許されない。
聖女の列がこちらに近づいた時が決行の合図だ。ギュスター達が観客を惹きつけている間に、ロザリーが遠くから短剣で聖女を仕留める。仕事が終われば、混乱の中を各自バラバラに脱出。そして事前に打ち合わせた集合場所に集まる。最も危険なロザリーには、キルが付く事になっていた。それぞれが普段の装備ですらない、己の命も省みぬ、改めて向こう見ずな作戦である。
しかし、ロザリーはやり遂げる自信があった。すでに投げナイフの腕は百発百中。ギュスターを的に練習までした。彼の形に沿って短剣が刺さった板を見て、キルも目を丸くしていた程である。
「「わあああ!」」
人々の熱狂がこちらにも伝わる。そろそろ頃合いと見たギュスターが、満を持して掛け声をあげた。
「さあさあみなさんお待ちかね、世界を股に掛けるクルクス一座の大道芸、始まり始まりー! 聖女様がやって来るまで、どうぞおくつろぎ下さい!」
観客の歓声が上がり、いよいよショーが始まる。だが正直、誰もここまでの規模だとは思ってはいなかった。警備兵の数もただ事ではない。しかし、先程までの異様な数が見当たらない事にロザリーは気付いた。なぜか徐々にだが、何事もなかったように警備兵が減っていっているのだ。さらに、昨夜見かけたフード姿の男達が観客達の中にポツポツと紛れている。何かが怪しい。しかしこれは好都合でもあった。
「お次はジャグリングの達人による神業です! 色男の妙技、とくとご覧あれ!」
やがて荘厳な音楽がなり始め、次第にそれは大きくなる。キルの舞台もかなりの目を引くが、客の興味はそちらに移りつつあった。
続いてそこに、動く舞台のような装置に乗った教徒達が現れた。彼らは礼拝するかのような動きと共に、口々に何かを唱えている。
そんな一団がいくつか通り過ぎると、一際大きな移動装置に天幕が掛かった、おそらく聖女のものと思われる一団が見えた。中の様子は見えないが、シルエットだけがうっすらと浮かぶ。中にいるのは髪の長い女性。聖女に違いない。
「そろそろクライマックス! お次はどこまでも美しい、投げナイフの達人です。もちろん的はこのわたくしが務めさせていただきます。こんな美人のハート、逆に射止めてみたいものですなあ」
全ての手筈が整った時、騒ぎはピークに達した。楽器隊の行進と共に、美しい歌声で奏でられるガーディアナの賛美歌が耳に入る。そう、この歌声の主を今から殺すのだ。
『Domine, ego relinquam hanc vobis』
――主よ、あなたにこの身を委ねます
『Domine, ostendens sacrum hic et protegens caelum, terra et agnus』
――主よ、全能の神よ、ここに神聖を見せ、天と地と子羊とを護りたまえ
『Sub nomine St. Guardiana』
――御身の神子たる、セント・ガーディアナの名のもとに
その可憐な、どこまでも澄んだ歌声に、みな思わず聞き惚れる。ロザリーはここに来て初めて、ためらいが生じた。今なら、何もせずに皆無事に帰還できる、と。第一、この歌声は年端もいかぬ少女のものではないか。
(ああ、人々の感情が一つになって……こんな事……)
ロザリーから、一筋の涙がこぼれた。聖女はただ、人々に安らぎを与えている。反対に自分のやろうとしている事は……何が正しいのか、何一つ分からない。
「この歌声は人の心を清らにする。惑わされるなよ」
舞台にてすれ違う際、ギュスターの活が入った。ギュスターには後に引けない理由があるのだ。彼は家族もろとも、あろうことか孫に至るまでガーディアナによって殺されている。いや、ここにいる者達はキル以外そうかもしれない。兵士達も皆、戦争孤児のみなしごである。それぞれ何としてでも、大切な人の仇を討ちたいのだ。
(そうね……分かっている。私だって、この為にこれまでを生きたのだから)
ロザリーも親代わりとなって育ててくれたギュスターを初めとして、ローランドの人々には返しきれない恩があった。自身も、可愛がっていた年下の孤児達を目の前で失っている。さらに、母は死に、父は行方も分からなくなった。その憎悪を思い返し、まっさらな聖女の歌を黒い感情で塗りつぶした。
しかし、聖女を目前に控えロザリーが短剣に手を忍ばせた時、想定外の事態が起きた。聖女の一団の前に、突然フードの男達が次々と現れたのだ。
「何だ、やつらは……いかん、聖女の方に向かうぞ」
「え……!?」
それらは聖女をとり囲む楽器隊を斬りつけ、死体の山を築いた。神聖なはずのパレードは血に染まり、その場は一瞬で混乱に陥った。やがてその場は駆けつけた警備兵との乱戦状態へと陥る。
「き、貴様ら、何者だ!」
「我らはローランド反乱軍! ガーディアナの聖女、覚悟!」
多少演技がかった口調で、フードの男達は聖女のいる天蓋付きの舞台へと乗り込んでいく。ちらりと見えた彼らの耳は、全て何かで塞がれていた。聖女の歌への対策であろう。
「これはどういう事!?」
「くっ、我ら以外の組織も暗殺を企んでいたか……! 出遅れるな、この混乱に乗じるぞ!」
ギュスターが声高に叫ぶ。
こうなっては短剣で狙うなど不可能。ロザリーは、道具箱から父に譲り受けた愛用の長剣を取り出した。
「父さん、力を貸して……!」
彼女は逃げ惑う楽器隊をかき分け、聖女を目指す。しかし、他の反乱軍と思わしき集団がひとつ早かった。天蓋の垂れ幕は切り裂かれ、中から現れた少女にその剣先が向けられる。
「ガーディアナよ、我らの勝利だ!」
男達がそう確信したと思う次の瞬間、少女から目を焼くような光が放たれた。
「うっ!」
それを浴びたロザリーは、多少力が抜けるような感覚に包まれた。人の壁でその光はほぼ遮られたというのに。
「なに……? これが全てを浄化するという、聖女の力なの……」
見ると、斬りかかった男は放心状態で膝をついていた。次々に襲いかかっていた男達も、それをまともに浴びたのか廃人のように口をだらしなく開き、よだれを垂らしている。
そんな中ロザリーは、やっとの事で聖女の眼前へと辿り着く。
『Domine, tibi offero cantum hunc ultimo tempore』
――主よ、最後にこの歌を捧げます
『Tum sequere crucem semita et Coram Deo』
――そして、十字の道を辿り、あなたの御許へと
そこで見たものは、悲しげな碧い目で歌い続ける、透明感のある少し背の低い少女。聖女というには、子供らしく愛らしい。ふわふわと長く、美しい青い髪をなびかせ、小さく震えている。ロザリーは剣を振わなかった。いや、そんな考えすら、もはや吹き飛んでいた。
「パメ……ラ?」
よぎるのは、かつて自分を救った小さな魔女の姿。似ているのだ。あの子がもし今も生きていたら、おそらくこんな感じだろうというくらいに。
けれど、あの子は死んだ。ガーディアナに捕らわれ、誰にもその最期を知られる事もなく。
「あなたは、もしかして魔女?」
ロザリーに気づいた聖女は歌うのをやめ、手を広げながらロザリーにその小さな胸を差し出した。
男達の刃は、彼女の豪奢な純白のドレスを切り裂いていた。しかし、その白い肌にあるはずの傷が見当たらない。あるのは、胸についた薄い古傷だけ。刃ですら彼女の元には届かないのか。
「あなたが私を救ってくれるの? いいよ、綺麗な人……」
聖女は目を閉じ、諦めたようにそうつぶやいた。
「私に、やれというの……?」
聖女は頷いた。もはやその姿は女神のような神々しさすら纏っている。そして同時に、万物の母のように暖かく、どこか懐かしくもあった。
「そう、救うの。あなたの、その力で、世界を」
「うっ……!」
突然、何かがロザリーの下腹部に優しく触れる。その少し熱を持った何かは、まるで彼女を愛撫するかのように体内を駆け抜けた。
「ああっ!」
聖女の放った何かは、魔女の中に眠る力を刺激した。そして聖女に呼応するかのように、あの頼りなかったはずの異能が強く存在を持ち始めたのである。
「これはっ……私の、魔女の、力……?」
それは、ずっとずっと昔、赤ん坊の頃、母親の胎内で何かに抱かれた記憶と一致する。自身が魔女として選ばれた時の、最も古い記憶。その瞬間、ロザリーの力は最高潮にまで高まった。
((もう、終わらせて……))
ふと、ロザリーは声を聞いた。それは目の前の少女の声。しかし、彼女は悲しげに自分を見つめたまま、口を開いてはいない。
((私のために、また人がたくさん死んじゃった……。聖女、それは何よりも恐ろしい悪魔。私は、誰よりも恐ろしい怪物))
聖女の葛藤、苦心、後悔、そんな感情がロザリーへと流れ込む。ここまで鮮明に感応の力が発露した事はない。初めての経験に戸惑うが、これは間違いなく彼女から流れ出す想いである。
((私は魔女。聖なる……魔女。お願い、私を、救って……!))
「そんな、まさか……」
ロザリーは理解した。これは、同じ異能を持つがゆえの共振であると。そう、彼女もまた自分と同じ存在なのだ。自分達が殺そうとしていたのは、時の権力者によって聖女として祭り上げられた、一人の魔女だったのである。
(あなたは、聖女ではないの? 私の憎んだ、聖女じゃ……)
((そうだよ。私は聖女。あなたの憎んだ、聖女セント・ガーディアナ))
(違う、これは、これは……)
マレフィカである二人はその瞬間、止まった時間の中で確かに繋がっていた。
一方、周囲に展開したギュスターや若い兵士らは、次々と押し寄せるようなガーディアナ兵の波に苦戦を強いられていた。気付けば、先程のフードの男達はいつの間にか一人残らず消えている。
「くそっ、残るは我々のみか。しかし奴らめ、無差別に攻撃するとは……」
「聖女様、今向かいます! 反乱軍め、どけぇ!!」
「むうっ、年寄りとなめるなよ!」
「ぐごっ」
大柄なギュスターの振り上げた無骨なブロードソードが、襲いかかる敵兵の頭蓋を見事にかち割った。
「はあ、はあ……ロザリーはまだか……。ワシらと言えど、このままでは」
「ごぶっ、ぐぶぶっ……」
「ぬうっ!?」
倒したと思われた敵兵の不気味な声が足下から響く。なんと彼は頭をひしゃげさせながらも、ギュスターの足下をつかんでいた。その目玉は半分ほどが飛び出し、どこを見ているのかも定かではない。
「が、がーでぃあなよ、えいこうあれ」
「こやつっ!」
続けて心臓に剣を突き入れ息の根を止めるも、彼はそのまま石のように固まって動かない。さらに、身動きのとれないギュスターに向かって新たな一団が襲いかかる。
「おのれぇ、ここまでか……!」
「団長!」
そう叫ぶ声と共に、迫り来る敵兵達は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。こんな芸当が出来るのは、逆十字において彼しかいないだろう。
「おお! すまぬキルよ、不覚をとった」
「お怪我はありませんか? 私も加勢します!」
「ここはもういい、お前はロザリーの下へ行ってやってくれ。あいつ、先ほどからどうも様子がおかしいのだ」
「確かに……また彼女の悪い癖が出たのかもしれません。団長、どうかご武運を!」
戦場を縦横無尽に細剣が舞う。キルは迫り来る兵を的確に仕留めつつ、聖女と相対するロザリーの下へと向かった。
「なんとも頼もしい男よ。しかしこやつら、まるで倒した手応えがない! トマス、現在の状況は!?」
「団長ぉ! すでに八名が戦死! ルイの奴も、アランの奴も、行っちまいましたぁ……!」
「なんと……ワシより先に行く奴があるか、親不孝者めらが……」
敵兵に紛れ、息もなく横たわる逆十字兵達。ギュスターは深く目を閉じ、その青春を戦いに捧げた彼らに哀悼を示した。
「うわああ! 来るな、来るなぁ!!」
そんな中、敵兵に囲まれた年少の青年、ジャンは傷だらけになりながら最後の抵抗を見せていた。
「行かせない。ここは行かせないぞ!」
ロザリーへと続く進路を塞ぎ、彼は闇雲に剣を振る。しかしそれは、むなしく空を切るばかり。
「邪魔だ貴様、そこをどけ!」
「嫌だ!! ……ここを生き延びて、隊長に、伝えるんだ。ボクの、気持ちを!」
「ほう……」
敵兵は怒りにまかせ、鉄の拳を彼の顔面めがけ振り抜いた。メキャ、という音と共に、陥没する彼の顎。
「で、何を伝えるんだ? その口で」
「が、が……」
顔の下半分が失われ、彼は物も言えずに舞台の上のロザリーを見つめた。彼女が優しく撫でてくれた頬は、すでにない。そして、その先にあるはずの、約束の言葉も。
「ご、ごが……ぎ」
「魔女に魅入られたか、異端者め」
次の瞬間、彼の首は勢いよく飛んだ。ギュスターは吹き出す彼の血飛沫越しに、未だ動けずにいるロザリーを垣間見る。
「くっ、ジャンまでもが……ぐおおお……」
その時、ギュスターの怒りは最高潮に達した。敵や味方などにではなく、何よりも、この無謀な作戦を立案した自分自身に。彼はせめてロザリーを正気に戻すため、敵地の中、轟くような雄叫びを上げた。
「――何をしている! 戦いはまだ何も終わってはおらんぞ!!」
ロザリーに訪れたつかの間の静寂を切り裂くように、ギュスターの喝が響き渡る。
「ギュスター……?」
その声にロザリーが振り返ると、そこにあったのは地獄のような惨状。鈍色の剣はすでに折れ、劣勢に晒される逆十字。誰が見ても、すでに勝敗は決しているかのように思えた。さらに、遠くから増援のガーディアナ兵達が一斉にこちらに向かってきている様子が彼女の目に映る。
「そんなっ!?」
最悪の事態である。そもそも皆、戦いには不向きな格好なのだ。本来このような事態は絶対に避けねばならなかった。もし暗殺に失敗した場合は、皆を見捨ててでも逃げるよう言い渡されている。だが、今ここでやらなければ、それこそ全てが無になってしまう。大切な仲間達の死も、自分のこれまでを生きてきた証も。
「うあああっ!」
ロザリーは、咄嗟に聖女に向かって短剣を投げた。それは不思議と光の加護をもすり抜け、聖女の胸へと深く突き刺さる。
「か、は……」
古い傷跡を抉る短剣。その痛みすら喜びであるかのように、彼女は満足そうに微笑む。今ならやれる。極限状態から思わずついて出たその行動に、ロザリーの最後の良心は消し飛んだ。
「ガーディアナの聖女……。今、楽にしてあげる」
苦しそうに呼吸する聖女に、ロザリーは剣を振りかざす。それに合わせ、聖女は膝をつき、祈りを捧げるような格好となる。さらに、ここだよ、と言わんばかりに頭を下げ、こちらへと細く白い首を差し出した。
「はあ、はあっ、はあっ……」
あとは振り下ろすだけ。それで全てが終わる。心細さから縋るように振り返ると、自分の部下である兵士達は、皆すでに力なく倒れていた。ギュスターも傷だらけで未だ追撃を食い止めている。そして目の端には、手負いのキルがこちらに向かって叫んでいる姿が映った。もはや、この喧噪に何を叫んでいるのかすら分からない。
「ええ……、これが土壇場の私ね。あなたの言うとおり……」
ロザリーは泣いていた。どうしてもこの剣を振り下ろせないのだ。皆を危険に晒してまで掴んだ、最後のチャンスであるにもかかわらず。それは、いたずらに彼女の心を見てしまったせいであろうか……。
「逆賊め、覚悟!!」
そこに、弓兵の一矢がロザリーを狙い放たれた。矢弾の類いは聖女を巻き込む恐れがあるため使用の待機を指示されていたのだが、その身を案じる者がついに抑えきれず放ってしまったのだ。
「……っ!!」
ロザリーの心臓めがけ、その矢はこれ以上なく正確な軌道を描く。
(ああ……私の復讐も、これで全て終わりね。でも、ここで皆と死ねるのなら……)
それは、どこか常に考えていた結末。自身が思う以上に、この心は戦いに疲れ切っていたのかもしれない。すでに逝った部下達の後を追うよう、ロザリーはゆっくりと目を閉じた。
「ロザリー……、最後まで諦めては……いけません」
キルの声が耳元で聞こえる。不思議と痛みは無い。
「え……」
それもそのはず、ロザリーをかばうようにして、キルは矢に撃たれていた。矢は彼の背中を貫通し、ロザリーの目前で止まっている。キルは血を吐き、それでもロザリーを守ろうと立ち尽くす。タキシード姿の彼の胸からは、じわりと血のシミが広がっていった。
「キル……!!」
「我々は、争いに敗れた時から、ずっと死に場所を求めていたのかも知れません……。ですが、それでもあなたは生きなければならない。魔女として、誇りを持って、この世界を変える、その時まで……」
「そんな……いや、嫌だ! 私も皆と共に死ぬ! やっぱり私には出来ないっ、出来ないの!」
「分かっています。あなたは、優しい人だ。聖女様、すみません……あなたを殺める事、ここに懺悔いたします。そして、どうか彼女を赦して欲しい。これも、全ての虐げられた魔女のため……」
いつかのように、キルはロザリーの代わりに聖女へと剣を振り下ろした。それは、か細く繋がるその首を両断する程の勢いであった。
「あ、ああ……」
それを振り下ろすと同時に、キルは息絶えた。続けてギュスターの断末魔も響き渡り、ロザリーは全てがその手からこぼれ落ちていくような感覚の中にいた。
「ああああっ……!」
自分へと覆い被さるように死んだキルの中で、ロザリーは泣き叫んだ。全て終わってしまった。もう二度と、みんなは帰らないのだ。自分の選択がもたらした結末によって……。
「うう、ううう」
次第に熱を失っていく彼の胸の中で、ロザリーは残る短剣を自らの首へとあてがった。作戦は成功した。しかし、彼女は誰も守れなかった。それはもう、彼女にとって失敗と同じである。ならば、とれる算段はもはや自決のみ。
「許して、みんな……」
もう、生きる気力などなかった。愛する者達を失って、目的である聖女も死んだ。いや違う、救えなかった。ならばもうこのまま、何もかも忘れ消えてしまいたかった。そんな懺悔の刃が、その白い喉元へと食い込む。
歩み寄る絶望は次第に少女の精神を支配した。
これまでに得た喜び全てが反転し、黒い感情に侵食される。
やがてそれは、魂すらも飲み込むほどの純粋な力へと変わった。
「う、あああ……」
もういっそ、忘れてしまえたらどんなに……。
ロザリーは、自分が自分である事をやめ、全てをその力へと委ねようとした。
彼女を取り巻く黒い力は、次第に彼女を別の存在へと造り替える。
血にまみれた鈍色の鉄鎧を全身に纏う、復讐の魔女「ネメシス」へと。
「――それ以上はだめ!」
少女の叫ぶ声がする。ロザリーの刃を持つ手が止まった。
「そのまま魔女になれば、あなたを……殺さなくちゃいけない」
それは、死んだはずの聖女から放たれていた。ロザリーは思わず言葉を失う。
「お願い……私を、一人にしないで……」
落胆したような声で、聖女は再び顔を上げた。彼女を穿ったはずのキルの剣は、聖女の首の形に合わせごっそりと抉られていた。それによって切断されたふわふわの長い髪だけが、そこに散らばっている。見ると、胸に刺さったはずの短剣も消滅していた。
「まさか、生きて……」
少女の体が青白く発光する。戦術護霊。聖女の纏う光の障壁の前には、あらゆる力は届かない。
「みんな、どうして絶望するの? 私には、絶望なんてすることもできないのに」
聖女の顔は、変質していた。張り付いた仮面のように無感情にロザリーを捉える。
それを視認すると、ガーディアナ兵達は一斉に退避の号令を叫んだ。我先にと逃げ惑う兵士達。どこかから聞こえるのは、「聖女様が覚醒した!!」という叫び声。
「そ、ん……な」
聖女の後ろに、黒い幻が見えた。浮かび上がるかのごとく実体化する、翼の生えた、天使のような漆黒の影。それは両の手を広げ、ロザリーを悠然と見下ろす。
これこそが、魔女の持つ力が異形の姿として映し出された幻像。その神々しさは、そのまま彼女の持つ力の強大さを表していた。
「ありがとう、綺麗な人。私は……魔女を裁く者。聖女セント・ガーディアナの名の下に、あなたを、浄化します」
聖女から、またも光が放たれた。それはロザリーに容赦なく降り注ぎ、身を焦がす感覚と共に全ての意識を奪い去った。
「あ……あ……」
聖女の持つ奇跡“浄化”。これまで、数多の魔女を焼いた光。
怪物になり損ねたロザリーは最後に力なく聖女にもたれかかる。その身体は重く、肉体的に非力な聖女は為す術なくロザリーと折り重なった。
「んっ……!」
その際ふいに、ロザリーと聖女の唇が触れる。いや、聖女は無意識にその唇を求めていた。全てを賭けてここへと立った、目の前の、愛を知る魔女に触れたかったのだ。
(ああ、これが、接吻……)
厚く柔らかな、そして、熱を帯びた唇。自らの冷え切った唇を、それは徐々に暖める。
聖女は瞳を開いて、ロザリーの美しい顔を見つめた。暴走状態にあったはずの聖女は次第に意識を取り戻し、ゆっくりと思考する。
(私、何をしているの? どうして、こんなにも、この人が愛おしいの?)
聖女に今まで感じた事のない感情が沸き上がる。心臓が再び鼓動を早め、身体は火照り始めた。
おそらくこれは、愛。言葉だけでは全く理解できなかったもの。きっと、これこそが自分にとっての本能。この全てを受け入れてくれる優しさに、いつまでも包まれていたい。このどうしようもない状況の中、ただ彼女はそう願った。
「でも、この人はもう……」
唇を離した聖女はロザリーを優しく胸に抱いた。その胸の傷を、彼女の大きな愛で埋めるように。
すると、自身に刻まれた古傷から想いが漏れ出すように、光が放たれた。それは細かな粒子となり、次第に何かを形作っていった。見知らぬ、自身に似た少女の姿へと。
「ううっ」
鼓動がまるで意思を持ったように暴れる。これは昨晩、リュミエールに対して起きた異変に似ていた。そしてあの時と同じように、心臓から、いや、心の中から誰かの声が聞こえた。
――ロザリー、また、会えたね。
その声は、自分ではない少女のものであった。彼女は目の前の魔女を知っているのか、まるで再会を喜ぶように語りかけた。
「あなたは、誰?」
――わたしは、あなたの中に眠る聖なる魔女。やっと心を、開いてくれたね。
確かこの声は、リュミエールを拒絶した声。しかし今は拒絶する所か、胸に抱いたロザリーを優しく受け入れている。
「あなた、私の胸にいた子なの? でも、どうして……」
――ロザリーの力が、わたし達を繋げてくれたの。ほら、この力、触ってごらん。あったかいよ。
ロザリーの力は聖女の想いに呼応し、浄化の光を受けてなおその場にとどまり続けている。魔女としては破格ともいえるその潜在能力に、どこまでも孤独であった聖女の心はますます惹かれていくばかり。
「ほんとだ……これはきっと、心と心を繋げるためにある力」
この女性が自分と同じ魔女である事は分かっていた。だからこそ、この魔女の手に掛かり死ぬことが、自らの望みであり、救いであった。
だが、結局彼女はそれをしなかった。そこにあったのは攻撃的なものではなく、とても暖かな、彼女だけの高潔な “異能” 。
「感応。それが、あなたのマギアなんだね」
聖女の呼びかけに応じてロザリーから浮かび上がったのは、黄金の鎧を身に纏う、気高き女性の幻像。それはあまりに美しく、聖女を慈しむように見下ろしていた。
「すごい……」
あらゆる感情が流れ込んでくる。ロザリーがこれまでに経験した喜び、怒り、哀しみ、その全てが。人がどんな風に生き、死んでゆくのか。世界を知らない聖女にとって、その時見たものは、どれもが初めての景色であった。
「これが、あなたの……世界」
――そう。これが、魔女の生きてきた、世界。
聖女は、ロザリーをその腕に強く抱く。涙が溢れて止まらなかった。それは、自分の涙、心の涙、そして、ロザリーの涙。その全ての嘆きであった。
――あなたはもう、知ってしまった。だからもう、これまでの日々には戻れない。
「私は、知ってしまった。本当の、世界の姿を……」
その時、聖女の中にある感情が芽生えた。ありありとした輪郭を持つ、この世界に対する叛逆の意志。それを起こしたのは紛れもなく無価値であるはずのロザリーの異能、感応のマギア。
「魔女は、人なの?」
――うん。そうだよ。
「肉体も、魂も、穢れてなんかいないの?」
――ロザリーはどうだった?
「教えは、間違ってるの?」
――それは、あなたが決める事だよ。
辺りには、自分の為に疑いもなく死んでいった教徒達の亡骸が折り重なり、さらには、自分を討つために憎しみの中で死んでいった敵兵達の姿もあった。一つだけ理解できるのは、自分を取り巻く世界のどこにも、救いなどないという事だけ。
「私は、いやだ。こんなの、いや……」
――そうだね。だけど私はもう、肉体を失っているからどうする事もできない。だからお願い、聖女様。その力でロザリーを、助けてあげて。何もかもを失ったこの人の、力になってあげて!
心の声の悲嘆に聖女は我へと返る。これだけの事をしたのだ、この人はじきに教会へと捕らえられるだろう。芽生えたこの感情がなんなのか、教えて欲しくてもそれは叶わない。壊れた鳥籠から羽ばたけずにいる聖女は、ただ一人、己の創った世界に絶望した。
「でも、ごめんなさい……私には、できないの……」
――そんな、聖女様……。あなたには力があるんだよ。これはあなたにしか、できない事なんだよ!
彼女には、リュミエールの冷たい目が常にこちらを見つめているような感覚があった。それは決して逆らう事の出来ない、自身を縛る神。
「うう、ごめんなさい……ごめんなさい……」
そこに居たのは、現実という世界に打ちひしがれた、ただ一人の弱々しい少女であった。
――聖女、様……。
聖女の力の発現を見届け、警戒を解いたガーディアナ兵達は聖女を取り囲んだ。その中でも最も位の高い教徒が、深く頭を垂れ今回の不手際を詫びた。それに続き皆、地に頭をこすりつける。聖女にはそれを咎める事など出来はしない。ただ自分に彼らを責める気がなくとも、ここにいた一同には教皇による粛正が待っているであろう。
聖女を誰よりも愛し信奉する、ガーディアナ最高権力者、教皇リュミエール゠クレスト。世界を作り替えようとするその男を、そこにいる誰もがただただ恐れていた。
力無くうずくまる聖女はそのまま教会へと連れて行かれ、今年の聖誕祭は中止となった。彼女を襲った悲劇を見た諸人は、誰もがこぞりてその後を追いすがる。
〽主は来ませり 主は来ませり
悪魔のひとやを打ち砕きて
とりこをはなつと主は来ませり
誰かが口ずさんだ詩は、やがて合唱となる。祝福の太陽も翳る中、どこまでもどこまでも、聖者達の行進は続いた。
―次回予告―
囚われのロザリーは深い闇の中、慟哭した。
しかし、運命の奴隷などには堕ちはしない。
この胸に熱い想いがある限り。
第6話「暗い底で」