第39話 『パメラとコレット』
「もう一度聞くわ。あなた、どうしてこんな事をしたの?」
「ではあなた方に問います。なぜ、生はあるのか、その意味する所を」
ロザリーの問いを、さらなる問いにて返す少女。
ロザリー達はかれこれ三十分程、この館の主であるコレットと話をしている。しかし何を聞いても人を食ったような態度を改めない彼女に、いよいよティセの怒りが頂点に達した。
「へりくつ言うな、この!」
「あ、いた! ぶ、ぶちましたわね、この野蛮人! 火起こしを覚えたての猿みたいにあちらこちらに火を点けて。おかげで屋敷はメチャクチャ。この弁償はしてくれるんでしょうね?」
「まだ言うか。これだからガキは嫌いよ」
「あら、子供はどちらでしょうか。素材は良いのに揃いもそろって垢抜けないお姿。おめかしくらいしたらどう? レディの最低限のたしなみでしてよ」
「このマセガキ……! アンタをギルドに突きだしたお金で、気の済むまでやってやるわよ! フン!」
怒った二人は同時にそっぽを向いた。子供なのはどっちもどっちである。
「生の意味、ね……。私にはよく分からないけれど、それは等しく誰にとっても大事なもの。軽々しく奪うべきではないと思うわ。……それにしても、この旅を始めて危険な事は数あれど、死んだのは流石に初めてね。私としては良い経験だったわ」
生についての問いを、一人真面目に考えるロザリー。イヅモに伝わる仏徒卦の教えを受けたサクラコも、ここまで自然と解脱した者は見たことがなかった。
「ロザリーさん……そんな事、あっさり言わないで下さいよう」
「そうだよ。普通は死んじゃったら、それで終わりなんだよ。ロザリーはもっと自分の事を大事にして」
「そうね……ごめんなさい、パメラ」
「ふふっ、死が怖くないのね、あなた」
どこか死生観が他と違うロザリーに向け、コレットは初めて満足そうな笑みを浮かべた。
「あなたの言う通り、生がそうであるように、死も誰しも平等にやってくるわ。そう、わたくしも、そのはずだった……」
遠い目で虚空を見つめるコレット。その瞳には、窓からかすかに漏れる日差しすらも飲み込む、深い闇が広がっていた。
戦いの果て、ロザリーは力尽き倒れ込んだコレットを、二階の奥に見えた寝室へと運び込んだ。彼女のものであろう銀基調のアンティーク家具が配置された豪奢な部屋であるが、その一つの棚の中には、かわいらしい人形が所狭しと並んでいた。
それを見てか、パメラは急に申し訳ない事をした気分を覚えていた。こうして勝手に入り込んでは、こんな小さな少女を幽霊だからと寄ってたかって懲らしめたのだから。
「ねえ、その傷、治すよ」
コレットは何着もある予備のドレスに再び着替えていたが、未だその顔には火傷の跡が痛々しく残っていた。そこへ、パメラの手が触れようとする。
「触らないでっ!」
「あっ」
「……失礼しました。ですが、結構です。あなたのお世話にはなりませんわ。逆に溶けてしまいそう」
「あう……」
ただ、コレットは未だパメラに対し敵愾心を持っていた。仲直りのしるしにと治癒しようとしても、彼女はこうして頑なに拒むのだ。しかしそれもそのはず、不思議な事にコレットの傷は徐々にだが癒えていた。その存在感から忘れがちだが、彼女はアンデッドで、そもそもすでに死んでいるのだ。治癒魔法などは逆に、体組織の崩壊に繋がりかねないのだろう。
「あなたこそ、あんなに痛めつけたのにもうピンピンして。気味が悪いったら」
「パメラ、そういえばいつかもそんな事が……。それも再生の力なの? 自分には使えないはずじゃなかった?」
「これは……えっと……。ツバ付けたら治っちゃった、えへへ」
「ま、ばっちいこと。そんなものこの美しい顔に付けられたら、あばたが出来てしまいますわ。……とにかく、わたくしの事はどうぞご心配なさらず。火傷の再生は真皮から作り直しになるので、多少手間取っているだけです。この放火魔の手綱さえしっかり握っていて下されば、それで結構」
アンデッドとしては炎を操るティセだけはどうも天敵らしい。それを聞き、すかさず得意になるティセ。
「フフン、悪かったわね、アタシの最強魔法がちょろっと出ちゃってさ。あー、痛そうー」
「心配は無用です。わたくし、痛みなどは感じませんので」
「は? さっき“いたっ”て言ったよね?」
「そんな事言ってませんーっ!」
死闘の後だというのに調子外れなティセ達の雰囲気に飲まれてか、互いに少し打ち解けてきたように感じる。ここはもう一息と、ロザリーはさらにコレットへと歩み寄った。
「ねえコレット。良かったらあなたの事、教えてほしいのだけど」
「ま、まあ良いでしょう。あなたがどうしてもと言うのなら……」
彼女はロザリーに対し特に気を許しているのか、自分の事をいろいろと喋ってくれた。
彼女が語った中から分かった事は、コレット゠ルビーという名前、そして、死者の魂を管理する役目を与えられた次期冥王であるという事など、彼女についての初歩的な情報のみに留まった。
「……とまあ、そんな所かしらね」
あらためてミステリアスな少女だが、ティセはその名前に引っかかりを覚える。
「ルビー? やっぱりアンタ、ルビー商会の……」
「へえ、それを知っているなんてあなた、割と高い身分のようね。この宝石も確か、あなたが身につけてくれていたおかげで奪い返せたわ。礼を言っておくわね」
「あっ、それ、アタシのルビー!」
「誰があなたのですか。これはルビー家の……いえ、正当にわたくしのものよ。けれど、もうその過去は捨てましたの。余計な詮索はおやめなさい」
「それで、冥王というのは……? 突拍子もない話に聞こえるけど」
コレットの視線が自らの胸元に落ちる。しかし、いつもその胸に抱いていたゲイズの姿は無く、彼女は再び遠い目をして続きを語り出した。
「冥王。あなた方もご存じの通り、神話の時代より死者の世界を統べる者。しかし現在、冥王と呼ばれる存在はなく、わたくしだけでない他の多くの死神もその座を狙っています。ですが彼のゲイズ曰く、わたくしのカオスそのものが真の冥王の証であり、これだけは何としても譲れないといつも言っていました」
「冥王のカオス……あの時見せた骸骨ね。パメラも天使をその身に宿している……マレフィカはそれを皆、持っているというのね」
「ええ。カオスというのは、わたくし達マレフィカが宿す“神の魂”。この存在は、未だ一般には知れ渡ってはいません。いえ、秘匿されているのかしらね。詳しく説明すると、人の持つ力には三つの種類があります。一つは肉体の力、闘気。そして魂の力、霊気。そして、残る一つが魔気。あなた方が魔力と呼ぶ第三の力がカオスの力の根源、アクシオンです。それが目に見える光子となり、稀にマレフィカから幻像として現れます。これこそが、その神の本来の姿なのです」
「スペクトル……」
皆、自らの幻像については自覚がある。それこそ、人間と魔女を隔てる唯一の違い。
聞きたいことは山ほどあったが、コレットはそれ以上カオスついては語ってはくれなかった。
「カオスについては謎が多く、わたくしも全てを知る訳ではないのです。その証拠に、カオスはわたくしですら自由に取り扱う事は出来ません。まだ眠っているものならば、ゲイズの中に保管する事くらいは出来ますが……あなたの時のように」
「やっぱり……まだ眠っているのね、私のカオスは。このお腹の中で……」
そう、コレットはこのお腹からカオスを引き抜いてみせたのだ。その事を思い出したロザリーは、はっと赤くなった。その時はそれどころではなかったが、身体をまさぐられていた一部始終はパメラにも見られていたはずである。
「くっ……思えば私、何てはしたない姿を……」
「だ、大丈夫だよ。私、何も見てないから! エッチな声とか絶対聞いてないし!」
「パメラぁ……」
「ごめんなさい。わたくしね、あなたのような成熟した女性が好きなのよ。生きていれば、本来ならわたくしもそんな姿だったと思うとね。永遠にこの体は、死を迎えた子供の時のまま。だから羨ましくて、少し意地悪したの」
ロザリーの容姿に見とれては、照れたように笑うコレット。
そしてどうみても十にも満たない容姿だが、彼女はれっきとしたレディであり、本当の年齢ではすでに二十歳を過ぎていると小さな足を組み直し言い放った。
「ブハッ! 二十歳? 嘘でしょ?」
「むっ……」
よくよく考えると彼女の言うとおりでなければ、この事件の発生時期とつじつまがあわない。ロザリーは大声で笑い続けるティセをこづいて誠意を込めて謝ると、気を良くした彼女は騒ぎの全容を語り出してくれた。
「まあ、いいわ。わたくしだっておかしいもの……こんな体。そう、すでに人間ではないのならと、わたくしはその名の通り死神となったわ」
生前、大富豪の令嬢だったコレットは、避暑地として自分のために建てられたこの屋敷を拠点に約十年もの間、人間の魂を冥界へと導いていたという。
全ての始まりはその十年前。
もともと生まれつき体が弱かったコレットは、九歳を迎えると不治の病を患い、幼くもその人生を全うする。決定的な死因については不自然な部分もあったが、娘の死を嘆き悲しむルビー商会会長に代わって、副会長チャールズ主導により内密に葬儀が行われた。
死して霊魂となった彼女を迎えに来たのは、言い伝え通りの天使などではなく、目玉の死神ゲイズであった。マレフィカの異能によって自身の魂すらも自在に操る事ができるコレットは、彼の望みを叶えるべく自らの死体に乗り移り、土の中から再び蘇る。
彼女には何となくであるが、故意に自らの命を奪った存在がいる事を知っていた。しかし亡霊となって父の片腕とも呼べる存在を始末してしまえば、体の弱い父に全ての負担が集中する結果となる。結局、彼女はルビー家に生まれた事実を全てを忘れ、全てを水に流す事にしたのである。
そして、彼女は死神としての新たな道を歩む事となった。冥界と繋がった彼女に課せられた最初の使命は、冥王見習いとしての魂の運搬であった。
その頃、世界では魔王の危機が去り、ガーディアナの聖体崇拝の教えの中、人口爆発とも呼べる状況が訪れていた。冥界のシステムは破綻しているというのに、管理できない程の魂が瞬く間に地上に溢れていく。
はじめは彼女もまじめに死期が来た者から魂を運んでいたらしいが、それでは冥王へのノルマは何百年あっても辿り着けないらしく、半ば強引に魂狩りをする様になった。しかし彼女にも罪の意識が多少あるようで、こう付け加える。
「地上に降りた魂はあらゆる原因によって汚染されていきます。業というものをご存じ? その生涯において多くの業を背負った魂には獣の烙印が押され、煉獄にて浄化するしか救済の道はありません。皮肉な事に人の数が増えるほど無益な争いは生まれ、汚染された魂の絶対数も増えるのです。なので、よい子の魂は天命に従い転生の間へと、おいたした魂はわたくしの裁量によって地獄の業火へと送り届けますの。早くしなければ現世も幽世も魂があふれかえってしまいますもの。天敵であるガーディアナの目からも逃れなければならないし、こう見えても必死ですのよ」
その内容に、緊張からずっと黙っていたサクラコの喉がごくりと音を立てた。
「地獄と極楽の話は、イヅモでも信じられています。その入り口には生前の罪を裁くという閻魔様がいらっしゃって、どちらに送るかを決めるとか。もしかしてあなたは……」
「ふふ、怖がらないで。彼とは少し管理している場所が違うわ。地上を担当し直接命を奪うのがわたくし達死神。けれど、やっぱりだめね。わたくしは彼らのように非情にはなりきれなかった……」
己の甘さを笑うコレット。と言うのも、あくまでも魂を奪ったのは極悪人や屋敷に家捜しに入った盗賊に対してのみで、庭の墓はせめてものなぐさめにと自分で造ったという。
だが一方、情けで帰した冒険者達により、幽霊屋敷の魔女として街で噂されるようになるに至ってしまったのだ。
「魔女には魔女を……私達がここへ差し向けられたのは、そういう事だったのね」
「ふん、魔女だなんてよく言えますこと。人間がわたくし達マレフィカに対して行ってきた事を考えれば、こんなのかわいいものですわ。いえ、マレフィカだけじゃない。彼らはわたくしすら目を背けるような事を歴史の裏で平然とやってきたのよ。同属を虫けらのように扱う者達だもの、たまには同じ目に会ってもいいんじゃないかしら?」
その声はどこか震え、目は一点を見つめる事もなく泳いでいる。強がりだ、と誰の目にも映った。ロザリーもその裏に隠れた本心を感じ取り、たしなめるように言い放つ。
「確かに許してはいけない悪は存在する。だからといってそんな事を続けていては、あなたもいずれ本物の魔女になってしまうわ。心には嘘はつけないの。思考は言葉になり、やがて運命に繋がる。だからもう、これっきりにしなさい、いいわね」
それは、いかにも偽善じみた言葉であった。戯れに心を許したが、やはり住む世界が違いすぎる。コレットはそれまで見せていた笑みを一変させ、突き刺すような視線をロザリーへと向けた。
「……何を偉そうに、あなた方も同類のくせに」
「え……?」
ロザリーはその言葉に酷く動揺した。彼女のやっている事と、己に課した復讐。背負うものこそ違えど、確かに何も変わりはしないのだ。自分の正しいと思う事を貫き通すということは結局の所、屍の山を築く事でしかない。
事実、この手で間接的にでもどれだけの命を奪ってきただろう……。
「これも金を得るために引き受けた仕事なのでしょう……? 人間からいくら貰ったの? わたくしのかわいいしもべ達は、いくらになったのかしらね!」
ロザリーは頭の中が真っ白になった。そして、血にまみれた自身の手を見つめる。
「ちがう」
「違わない! あなたはその魂を金と引き替えに売り渡したのよ! 魔女だわ、あなたは! 返して、わたくしのしもべ返してよっ!!」
「ちがう……私は……」
――――パァーン!!
重苦しい空気を切り裂くように、突然容赦のない乾いた音が響いた。
「あっ……、ぶっ、ぶちましたわね……」
「パメラ……!?」
鋭く痛む平手を握りしめ、パメラは静かに震えていた。彼女を包んでいたものは怒り、そして悲しみ。そして、そのどちらでもない超然とした聖女の威圧。
「甘えないで……! これはぜんぶ、全部あなたが、仲間を失う覚悟もなく勝手をした結果でしょ! 私だってロザリーを失うところだった! その事は今も許せないけど、ロザリーはあなたを許すって言うから、私だって我慢してるの!」
コレットはその迫力に圧倒され、出掛かった罵倒の言葉を飲み込んだ。
「ロザリーは本当にあなたの事を救いたいんだって、どうして分からないの……? 魔女だからこそ、あなたを助けたいの。ガーディアナの法の下に、マレフィカは魔女だって言われて、戦争が起きて、たくさんの人達が殺された。ロザリーはそんなのをたくさん見てきた。でも、人を憎んでなんかいない。人とマレフィカの間でいつも悩んでるの! だから、せめて心は人であり続けるために同じマレフィカのした悪い事は自分達が解決しないと、それがけじめだからって戦ってるの!」
「どうかしら! そうやって自分達だけ人間に取り入ろうという魂胆でしょう?」
「どうしてそんな事言うの? ロザリーはもうこんな戦い終わらせようって、ガーディアナの聖女である私でさえ救ってくれんだよ……。もう、マレフィカ同士で争うなんて、やめようよ……」
パメラは涙を流しながら訴えかける。コレットはともかくとして、その言葉にティセとサクラコも目を見開いて彼女を凝視した。
「ガーディアナの聖女……ですって!?」
「そんな、パメラさんが……」
――聖女様……。
もう、後戻りはできない。信じるという事を説くにあたり、パメラも仲間を本当の意味で信じる事にしたのだ。でなければ、紡いだ言葉は陳腐で全くの無価値なものとなる。
「パメラ……あなた……」
明かされた二人だけの秘密。パメラはロザリーを見つめ、頷いた。
全てをかけて守ってくれたロザリーに、全てをかけて応えたかった。それほどマレフィカにとって聖女というものは特別な存在、言うなれば憎き敵である。ロザリーも、最初は彼女を殺すつもりだった程なのだから。
パメラは小さく震えていた。仲間達にこの事実を受け入れてもらえるか、いつも不安で押し潰されそうだった。
ロザリーは仲間達二人と目を合わせる。その一瞬で何かが通じたのか、二人も、それぞれ目を合わせうなずいた。
「あー……、パメラさ、言いにくいけど、実は気づいてたんだよね。そもそもアタシの魔法止められるのなんて、聖女以外にいないでしょ。誘拐事件の後にアンタ達と出会ったわけだし。おまけに、やけに教会について詳しいしさ。ね、サクラコ!」
「……ええ! わ、私も気づいていましたよ! “聖がであな”は、もしかしたらパメラさんかなーって。だったら戦わなきゃいけないんで、ずっと黙ってました! えへへ」
黙っていた事で二人は怒り出すかと思っていたが、それ以上に、パメラの心情を汲み取ってそんな嘘までついてくれた。それがやさしい嘘である事を、マギアを持つロザリーは感じ取ったのである。
「そんなの気にしなくていいって。アタシ達、仲間じゃん」
「みんな……」
――聖女様……みんな、やさしいね。
(うん……)
心の声は聖女へと声を掛けながらも、一抹のさみしさを覚えた。もう、この子は孤独ではない。全てをさらけ出しても受け入れてくれる仲間がいるのだと。
(だめだよ。そうやっていつも一人で抱え込むの。私にも、分かるんだから)
――聖女様……?
(この子は、あなたと同じ。そして、ずっと救われなかった子なの。そんな中を一人で、ずっと抱え込んで)
――そうだね。ほとんど、同じ。わたしも10歳で死んで、幽霊になっちゃった。おかしくなっちゃったこの子の気持ち、わたしにはわかる。
心の声の持つ、ちょっとした歪み。それも今ならば分かる。救いがなければ、人は道を違えてしまうのかもしれない。
「だから、ね? もう終わりにしよう? 私達は敵同士なんかじゃない」
――そう。人は、誰かを受け入れて初めて、心の傷を癒やす事ができるの。だからあなたも、他人を怖がらないで。
「あ……、あ……」
半霊体のコレットには、自分へと呼びかけるもう一つの魂の存在が見えた。パメラに見ていた不可思議な力の正体は、その身に宿すもう一人の魔女であったのだ。これでは、勝ち目がなくて当然である。
「パメラ……」
この子が聖女であっても、自分達の関係は守られた。ロザリー達はそれぞれ、確かに芽生えた心の絆を確認する。それとは対照的に、コレットは後ずさった。とうとう、聖女が魔女である自分を断罪しに来たと受け止めたのだ。
「あなたが……全てを浄化するという、ガーディアナの聖女……。こ、殺すの? わたくしを……」
パメラは悲しげに首を横に振る。だがこれが当然の反応である。
「ううん、もう聖女はいないの。言ったでしょ、ロザリーは私を救ってくれたって。あなたの事だってロザリーは、ロザリーは……」
そこからは涙ににじんで、声が出ない。突き刺さるようなコレットの怯える目。それはいつかの断罪した魔女達を思い起こさせる。
「……ありがとう、パメラ」
ロザリーは愛おしくなって、そんなパメラの震える肩を抱きしめた。大切な仲間達に自分の正体を打ち明ける事が、この子にとってどれほどの勇気が必要だったろうか。ロザリーもこんなことでくじけてはいけないと、改めて奮い立つ。
「あとはまかせて。答えは、出たから」
「うん……!」
パメラは涙を拭き、精一杯の笑みを見せた。
泣いている子は、あと一人。ロザリーは無防備にコレットの前に膝を立て、その震える肩を抱きしめてあげた。
「な、なにを……」
「暖かいでしょう? これがあなたに足りなかったもの。水底にいても、冷たくなってはそのまま沈むだけ。私もパメラも、ティセもサクラコも、あなたと同じ、冷たい過去があった。でも、こうしてわかり合い、一緒に暖め合えたの。ね、私達が争う必要はないでしょ。みんな訳ありなのよ。それに最後にあの目玉の彼も言ってたわ、あなたを自由にしてやって欲しいって。だから、ね? あなたもこっちへおいで」
暖かすぎる温度。すでに零下に慣れた身にとっては、火傷しそうな程に熱い想い。
「だめ……そんな、無理ですわ、冥王を放棄したなんて死神達に知れたら……」
「もうひとりぼっちじゃないのよ、私達がついてる。死神なんて怖くはないわ。実力はあなたも見たはずでしょ」
「でも、わたくしは魔女なのよ……? いまさら…」
「魔女だからって、その通りに自分を貶めるなんて悲しいじゃない……」
コレットは押し黙った。そして、その生気のない瞳からひとしずく、涙がこぼれる。
「ふふっ……ほんと、お馬鹿さんね……」
彼女は小さく微笑み、次第に闇の中へと姿を消してゆく。手を伸ばし掴もうとしたロザリーは、ついにその小さな指先に触れる事は無かった。
((さよなら、愛しきお馬鹿さん達……))
「コレット!」
足下の濡れた石畳がただ、小さな魔女の別れを告げる。それは、彼女なりの贖罪の心なのであろうか……。
ロザリーはただ、その身に残された冷たさに、彼女の持つ運命の重みを思い知るのであった。
「コレット……」
************
ちょっとしたケンカから始まった難関クエストも無事に終わり、ロザリー達はとりあえず街へ戻る事にした。そしてギルド長に屋敷で起こった事の子細を伝えると、まさか本当に解決するとは思ってなかったらしく、まさに十年に一度の快挙だとたちまちギルドをあげての大騒ぎとなってしまった。
ロザリーはコレットの詳細は伏せ、幽霊屋敷には悪霊が住み着いていたのだと説明した。それを受け、ギルドは早速屋敷の取り壊しを決定したようだ。何とかそのままにしておけないかという願いも、あえなく一蹴されてしまった。無理もないだろう、ここは彼らにとって十年来の忌まわしい場所なのだから。
明くる日、日が昇るとすぐに、ギルドは総出でこの大仕事に取りかかった。僧侶のメイによる祈祷で清められた幽霊屋敷は、大木を力任せにぶつける土木ギルドの男達によって脆くも音を立てて崩れていく。
コレットの所有していた貴重品を処分したお金は、可能な限り亡くなった者達の遺族へと当てられる事となった。少しでも償いになればとのロザリーの提案である。
パメラはその中から一つだけ、女の子のぬいぐるみを譲り受ける事にした。なんでもいい、彼女の生きた証を残しておきたかったのだ。
コレットはあれから姿を見せていない。パメラはぬいぐるみを大事そうにに抱きしめながら、半壊した屋敷を見つめた。
「あーあ、ハデに壊すもんだ、でもアタシの大魔法で中は全部焼けちゃったから楽ちんよね」
「ふーん……あの時の、やっぱりティセだったんだ」
迫り来る火炎。あの時ばかりは流石のパメラも肝を冷やしたのだろう。そのすわった目はじっとりとティセを責め立てる。
「あ、もしかして怒ってる……? 巻き添えにしちゃった事」
「そんな事ないよ。どうせ、私には通じないから」
「やっぱ怒ってんじゃん、ゴメンってば、ねえ」
「それにしてもあの子……どこへ行ったのかしら」
ロザリーの問いかけに皆、やるせない気持ちで空を見上げる。
あんな優しい言葉を掛けておいて、結局人間の都合で追い出した形になった事が後ろめたいのだ。
「大丈夫だよ、きっと。誰かが叱ってあげなきゃいけない時だったんだ」
「そうね……そうかもしれないわね」
そう答えつつもパメラは一人、複雑な表情を浮かべていた。ある意味、最も彼女の気持ちが分かるのは、人々に畏れられた聖女である自分しかいない。だからこそ、簡単には素直になれないであろう事も。
「パメラ、改めてありがとう。魂になった私を助けてくれて」
「うん……だけど」
「だけど?」
「誰にでも……ロザリーは優しすぎるんだよ」
小さな声でパメラがつぶやく。ロザリーはまた、それを自分に対する責めだと捉えた。パメラにはここ最近叱られてばかりである。しかし、その言葉には嫉妬に似た感情も多分に含まれていた事にまでは気付かなかった。
((そうね……これからは甘い考えは捨てないと、この子達を危険な目にあわせてしまう。私がもっと強くならなければ……))
力に乗って少しだけパメラへと流れてくるそんな自戒。やはり、相変わらずというか何というか。
(みんなよりも、ホントは自分の事を大事にしてほしいんだけどな……)
しかし、パメラはそんな優しいロザリーだからこそ、急いで次の段階へと導かなければならないと確信する。コレットが語った、カオスと呼ばれる神魂。その本当の力は、まだまだ先にあるのだから。
「ロザリーさーん」
森の中、元気な声が響く。堕龍の代表として色々な手続きを済ませたサクラコが、なにやら背中に袋を抱えながら勢いよく走ってきた。その中身はずっしりと重たそうだ。
「お疲れ様。どうしたの? そんな大荷物抱えて」
「はい! これ全部、今回の報酬としていただいてきましたっ。それからそれから、ついに私達の実力が認められ、冒険者格付けの特進も約束してくれるそうです!」
「やったじゃん! ちょっとこれ、しばらく遊んで暮らせるだけはあるんじゃない?」
「サクラコ、ありがたいけれど報酬はいいわ、返してきてちょうだい。やっぱり、あの子をダシにしたみたいで何かね……」
「えっ?」
ボト……と報酬の山を落とし、呆然とするサクラコ。すかさず爆弾娘が吠える。
「バカ!? バカなの!? こんなバカいるの? いたんだ! アンタのその甘さのせいでどれだけ、どっれっだっけっ苦労した事か! それにね、今回は契約者アタシなんだからね、アンタは部外者、分かってる? リーダーぶるのもたいがいにしなさいっての!」
「う……」
ロザリーは何も言い返せない。もともと今回の騒ぎは、ティセとの言い争いから始まったのだった。結局振り出しに戻る二人を見かね、いつものようにパメラが仲裁に入る。
「じゃあ分かった。このお金は少しだけ貰う事にして、あとは貧民街のために寄付しておくね。それからティセ、この仕事契約したの私でしょ? ティセはお尻叩かれてただけじゃ……」
「わ、わ! それ以上言わない! くそ……思い出しただけでも屈辱だわ」
どうやらパメラはティセの弱みを握っているようだ。そんな相変わらず仲の良い二人を見てか、サクラコがロザリーにためらいがちに話しかけた。
「……ロザリーさん、私、どうしましょう。何だかパメラさんと前みたいにお話ができないんです」
サクラコの独白に、ロザリーは胸に小さな痛みを感じた。マレフィカという特殊な境遇の仲間達である。自分たちの信頼関係には少しも隙がないと信じていたのだ。
「それは……聖女だから? あの子はあの子よ。あなたは何も気にしなくていいの」
「あ、はい。それは分かっているんですが……。時々、あの、凄く……怖いんです」
言ってからすぐ、サクラコは後悔の表情を浮かべた。それはロザリーも感じていたことだ。時折まるで別人の顔をのぞかせる。その傾向は最近特に顕著に表れていた。教会が創り上げたであろう“聖女”の人格……彼女が現れる時だけは、自分ですら本能が危険を知らせるのだ。
「サクラコ、あの子は頭のいい子よ。ささいな事だって本人はすごく気にすると思うの。その事は私にまかせて、あなたは今まで通りかわいい妹でいてあげてちょうだい」
「いもうと……?」
「ええ、きっとあの子はそう思ってるはずよ」
「すみませんっ、私、こんな事言って……最低です……。こうなったら、腹を切ってお詫びいたしますーっ!」
突然、お腹に巻いた白いさらしをはだけさせ、そこへ短刀をあてがうサクラコ。イヅモという国には、切腹という理解を超える文化があるというが……。
「待ちなさいっ! それこそあの子が一番悲しむわ!」
「はっ、それもそうですね……では」
サクラコは「よし!」と気合いを入れ、東の方角に向けて大声で叫んだ。
「お師匠様、この琴吹桜子、此度の免許皆伝の儀、ここに辞退する事、なにとぞご容赦下さい!」
「サクラコ……」
ロザリーにはそのイヅモ言葉の全てが理解できた訳ではなかったが、その感情から伝わるすがすがしさに彼女の決死の覚悟を見た気がした。
忍びにとって使命を放棄する事は、自らの命を絶つ事に等しい。それこそが誰よりも恐がりなサクラコが見せた、信頼に対する精一杯の答えだった。
「なに、なに? おもしろい事?」
なにやらこちらが騒がしいぞ、と好奇心いっぱいにパメラがやってくる。
「はい、風の便りに届くかと思いまして、大声でお師匠様に報告を」
「ふんふん、じゃあ、私も」
すぅー、と胸一杯に息を吸い込み、パメラも大声で叫ぶ。
「コレットちゃーん! 私達、ずっと待ってるからー!」
もはや撤去作業を続けていた男達に見られていてもおかまいなしと、完全に悪ノリしたティセも続ける。
「やーい、ちんちくりーん、逃げてないでアタシと勝負しろー!」
(ふっ……これだから、おバカさん達は……)
どこかでコレットが聞いていたら、きっとこんな悪態をついている事だろう。
「許してね……コレット。私達は、心だけでも人間でありたいのよ」
ロザリーは誰にも聞こえない小さな声で、コレットに語りかけた。
彼女を救えなかった事は気がかりだが、こちらがいつまでも未練を残していては、それこそ成仏もできないだろう。ロザリーはそれを最後に、気持ちを切り替える事にした。
「……さて、問題はこれからどうするかだけど。これまでの反省点もふまえて、一度改めて考え直さなければね」
「仕事がやりやすくなったのはいいけどさ、取りあえずここにいたってもう仲間はいなさそうじゃない? また仕事漬けの生活は嫌だし、この資金をあてにしてどっか旅にでも出るっていうのはどうよ」
ティセの考えは確かに良い案ではあったが、自分達の置かれている状況も忘れてはいけない。
「あ、でも、裁判が終わるまでは国外に出ちゃだめなんだよね?」
「ファレンさんから聞いた情報では、そろそろ裁判の判決がでるようです。なんでも私達を知る参考人として呼ばれたとかで、色々と便宜を尽くしてくれたそうですよ」
「ねえ、本当にあいつら信用できんの? 都合の悪い事言ったりしてないでしょうね?」
「はい、皆さん心を入れ替えたようで、それは私からも保障しておきます。宿を空けるなら威武の事、堕龍さんに見ててもらおうかな」
罪の程度はあれど、許される者、そして許されざる者の違いはどこにあるのだろうか。
ロザリーは完全に崩れ去った幽霊屋敷を見つめ、一人罪を背負った者の姿を心へと刻みつけるのだった。
(コレット……またいつか、会えるといいわね)
少女コレットは、魔女としての運命に苦悩しつつそれに抗えずにいた。世界には彼女のように、まだまだ運命と闘っている少女達がいるのだろう。
呪われた運命をただ悲観することはたやすい。しかし、きっとそれは変えられるはずだ。自分達が可能であったように。
ロザリー達はその思いを胸に明日も戦い続ける。まだ見ぬ仲間と出会うために。
―次回予告―
新しい仲間に出会うため、魔女は再び旅に出る。
次の舞台は歴史の国クーロン。
善悪の彼岸を越え、人はさらなる高みへと辿り着けるか。
第40話「クーロンへ」