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第33話 『安らげる場所』

 青天の霹靂(へきれき)とは、まさにこのことだろう。

 ザクロによる堕龍襲撃事件が解決するやいなや、自由都市デュオロンの新たな代表として、なんとサクラコが担ぎ上げられる事となってしまった。それにあわせ、市長ファレンの屋敷にて堕龍主催によるサクラコ歓迎パーティーが急遽(きゅうきょ)開かれる事となったのだ。ロザリー達は断る間もないほどに動いていく事態を、だだただ受け入れるしかなかった。


「おいしそう……」


 目の前に並ぶクーロンの豪華料理に、たまらずパメラのお腹の虫が鳴る。いよいよそれを合図に、ファレンによる乾杯の音頭が取られた。


「さあさあ皆さん、今夜は無礼講(ぶれいこう)。飲んで飲んで、飲みまくりましょう!」

「さすがはお頭、太っ腹ですぜ。あそれ、一気、一気!」


 ロザリー達は見るからにその筋の人間達が盛大に酒盛りする中を、気まずそうにたたずむ。


「ねえサクラコ、この場合私達はどうしたらいいのかしら……?」

「ごめんなさい、ファレンさんがどうしてもやるって言って聞かないので……」

「ロザリー、楽しいね! あっ、今度は腹踊りだって、あははっ」

「あなたはのんきでいいわね……」


 パメラはすっかりクーロン料理に胃袋を掴まれたようだ。頼りのラインハルトも手厚い接待を受け、すでに出来上がっている。彼は無類の酒好きらしく、これまでも同じような手口で不正をうやむやにされて来たというのが一目で分かる泥酔ぶりであった。


「ラインハルトの旦那、これまでの遺恨は忘れて今夜はパーっとやりましょう。ささ、デュオロン名産の地ビールをぐいっと」

「ぷはーっ! ようロザリー、飲んでるかあ! おっと、お前達はまだ未成年だったな。危ない危ない、飲酒なんかしたらまた一つ罪状が増える所だったわ、ガハハ!」

「なるほど、このおっさんは酒で落とせる……と」

「なんだか、この人にもどこか問題があるような気がしてきたわ……」


 いまいち楽しめていないロザリー達を見るにつけ、ファレンはここ一番の営業スマイルを浮かべ、手もみしながらこちらへと近づいてきた。


「お嬢に姫騎士様、どうかそう固くならずに。私めらの余興、楽しんでおいでですかな」

「その、姫騎士様というのはやめて。私には、忠義を誓った姫が別にいて……」

「それは失礼、姫百合の騎士様では少し長いので……。それでは、これからは首領(ドン)と呼ばせていただきましょう」

「それはもっとイヤ!」

「あははっ、ドンだって。でも確かにお胸もお尻も、ドーンって感じ!」

「もうっ、パメラまで!」


 ふくれるロザリーだったが、パメラは人々との何気ない会話が楽しいらしく、ずっと笑っている。


「ロザリーばっかり色んな呼び方があっていいな。私は私は?」

「我らの命を救って下さったパメラ様は、さしずめ聖女様と言った所でしょうか」


 何気なく飛び出した、パメラの本質を突く二つ名にぎくりとする二人。


「わっ、私、聖女なんかじゃないよっ! ねえ、ロザリー!?」

「え、ええ。本当の聖女は、こんなに食いしんぼじゃないはずよ」

「あっ、ひどい。さっきの仕返しだ」

「うーむ、お似合いだと思いますが……。では、姫というのはどうでしょう」

「姫、かわいい! そうだ、それじゃティセは?」


 未だに堕龍と打ち解けていないティセを気にしてか、パメラは急にそちらへと話題を振った。


「別に、アタシはいいわよ……」

「その通り、そちらの不良娘に敬称などもったいない。危うくこの屋敷も燃やされる所でしたし。まったく、その育ちの悪さ、お嬢にまで悪影響が無ければいいんですが」

「あんたにだけは言われたくないわ、この狐男っ」


 堕龍にとってはティセだけがすっかり要注意人物のままなようだ。用心棒のチャンがお目付役として隣に配置され、その素行に常に目を光らせている。


火娘(ホーニャン)、また暴れると言うのなら俺が相手になろう。今度は一対一での決着だ」

「カンフーおっさんはもういいっての。あーまったく、ここはむさ苦しいったらないわね……」

「確かに、男ばかりで少々華が足りませんね。これでは酒も不味くなる。(リー)百花(パイファ)の女共を用意しろ」

「はっ、ただちに!」


 ファレンの一声に、どこからともなく現れた包帯をぐるぐる巻きにした男が従う。そのダミ声は、ティセもサクラコも聞き覚えのあるものであった。


「あっ、アンタは、歓楽街のボス!」

「へへ、その節はどうも。あっしのお願い通りファレン様を助けていただけたようで、お嬢には感謝の言葉もございません。おかげで面子が保てる所か、組織での地位も安泰で」

「いえ、当然のことをしたまでです。それより、お怪我はもういいんですか?」

「ええすっかり。あれから店の女達が介抱してくれましてね、今までの行いには反省しきりです。郷に入っては郷に従えと言いますし、これからはあの店をイヅモ風の遊郭にでもしようかと思いまして。あ、これはお嬢の恰好を気に入った女達の案ですがね。さあお前達出番だぞ、張り切って踊れ!」


 男はパンパンと手を叩き、芸妓(げいぎ)達を呼び込んだ。彼女達はイヅモ風の化粧と薄手の着物とに身を包み、太腿や腕に彫られた昇り龍ならぬ下り龍を見せつけながら男達を誘惑していく。新たに色とりどりの華が添えられた会場は、たちまち大盛り上がりとなった。

 そんな女性達の纏う着物の柄に、ティセは一人、どこかこみあげるような懐かしさを感じる。


「あの着物、見覚えが……もしかして、アタシが織ったやつじゃ……」

「ほお、そいつは驚いた。実は、ローランドの移民が大量に売り出していた生地を全部ウチで買い取らせてもらったんですよ。実に出来が良く、今回の着物にもピッタリだとの事で」

「へえー、そうなんだ……」


 オルファでの機織りの仕事が、まさかこんな所で役に立つとは思ってもみなかったティセ。これで共に仕事をしたおばさん達も生活に困る事はないだろう。そんな、つい嬉しくなって笑みがこぼれた所を、芸妓の一人に見られてしまった。彼女はティセに何か言いたげに、美しく微笑みを返す。


「うわっ、あの人、あん時の女の人じゃん。……そっか、ちゃんと変われたんだ、みんな」

「ええ、みなさんとってもきれいです。これからは百花(パイファ)も、イヅモの花街(かがい)のように沢山の人が集まる場所になるはずです。良かったですね、ティセさん!」

「ま、これを機に変な事させないなら別に良いけど。まったくアンタは、こいつらに(さら)われたっていうのに甘いんだから。一つ間違えばどうなってた事か……」

「何ですって……」


 ふいにティセから飛び出した言葉は、ロザリーにとって聞き捨てならないものであった。


「攫われた!? サクラコあなた、まさか……」

「あ、やばっ! 違う違う、今のは……」

「ティセさんっ! 言わないって約束だったじゃないですかぁ……」

「あはは……アタシ、しーらない」


 ロザリーは愕然とした。やはり、この子は身を売られたのだ。

 昼間ザクロが言いかけていたのは、きっとこの事だったのであろう。今思えば、故郷の桜の樹が散ったのは、これから起こる事を暗示していたのではないだろうか。


「そうよ、これはきっと夢よ、夢なんだわ……」


 耐えられなくなったロザリーの思考は、徐々に現実逃避へと向かった。果ては、それをテーマにした歌までが頭の中に聞こえてくる始末。


 ――薄く色づく桜の花びら

   ひらりはらりと地に堕ちて

   せっかく貰った大事な体

   散りに乱れて涙の(みさお)

   ここで散らせたままならば

   (まぶた)の母に顔向け出来ぬ――


「だめよサクラコ、そんな、そんなっ!」

「こいつ、どうしちゃったの?」

「えっと……さっきから流れてる歌の影響でしょうか……」


 ロザリーは一人、その歌をバックにして演技過剰に振る舞う。ロザリーがこうなるのは割といつもの事として、なにより歌姫であるパメラの興味は蓄音機から流れる異国の曲へと注がれた。


「わあー、なんだか変わった歌。テンポがゆっくりで音も少ない分、覚えやすいね」

「これはイヅモの歌謡曲、エンカという音楽盤です。芸妓達の踊りに合うものを骨董屋で見つけさせたのですが……いやー、心に染みますねぇ」

「抑揚を大きくして、ビブラートをたくさん使うんだね。うんうん、私もちょっとやってみる!」


 その初めて聞く音楽に、パメラも面白がって蓄音機の横で歌い始める。


「アアン、アアン、アンアンー♪ さくらぁー、むすぅめぇー♪」

「おお……さすがは姫、一度聞くだけでエンカの心を理解するとは……」


 どこか、その歌詞や独特のコブシ回しは扇情的ですらある。そんな心を揺さぶるパメラの歌声によるものか、ロザリーはすっかり歌の中の世界へと旅立ってしまった。


「ああ、何てこと……。全部私のせいなんだわ。きっと私の知らない所で、あんな事やこんな事が行われたんだわ!」

「あの、ロザリーさん? これには深い事情があって……」

「ふ、深い情事(じょうじ)ですって!?」

「ダメだこいつ、全然聞いてないわ」


 そんな中、いかにも怪しい身なりの小男が、杖をつきながら宴会室に入ってきた。なんと、ザクロに懲らしめられたはずの売人である。


「あいたた……、今日はとんだ災難だったね。売り上げも全部取り上げられるし、このままではおまんまの食い上げよ。ここはファレンさんに泣きついてみるね」

「あっ、あなたは昼間の……!」

「お、お前はイヅモの娘! どうしてここに……あ、あの怪力女はどこね!」


 男は必死にザクロを探すが、サクラコのそばには年頃の少女の姿しか見えない。


「さては、ファレンさんに恐れをなして逃げたか。次に会ったら奴隷市に売り飛ばしてやるね。しかし、これはこれは……捨てる神あれば拾う神ありよ」

「は? 何よこのオッサン、人のことジロジロと」


 職業柄、男は発育の良い方の二人をつま先から舐め回すように見つめた。そして、あろう事か錯乱状態のロザリーに風俗店のチラシを手渡す。


「あなた達、良かったら百花(パイファ)で働いてみるよろし。すぐにナンバーワンになれるよ! 二人で金貨30、いや、40は堅いね!」

「ぱい、ふぁ……?」


 チラシには堕龍の文字と、以前のままのいかがわしい内容が並んでいた。やはりこの男がサクラコをかどわかし、その名の通り“お嬢”に仕立て上げたのだ。


「特にアナタ、脚にあるその剥き出しの醜い傷、墨を入れると目立たなくなるはずよ。きっと素敵な芸術作品にしてみせるね」

「そう……どうやらあなたが全ての元凶のようね……」


 ロザリーはおもむろに男の襟首を掴み、その場に組み伏せた。すかさず抜き身の短剣を構えるその目は、完全に据わっている。


「ぎゃあ! 誤解よ、ワタシは被害者ね!」

「よくもぬけぬけと!」

「あいやー!」

「ロザリー、だめっ!」


 パメラの声も届かずに思い切り突き刺された短剣は、顔の横わずか数ミリをかすめていた。男はごくりと生唾を飲み、ブルブルと震えている。騒然とする場内。静かなる首領(ドン)のお怒りに、ファレンは黒胴着達と小さくなるばかりであった。


「ロザリー、ちょっと落ち着きなって!」

「これが落ち着いていられる!? じゃあ、あなたは仲間が大変な時に何をしていたのかしら? さっさと一人で帰っただけじゃない!」

「それは……」


 止めに入ったティセだったが、サクラコのピンチに颯爽と駆けつけたなどと素直に言う事ができず、咄嗟に悪態をついてしまう。


「フン……別に、何してたなんてアンタには関係ないでしょ? いちいち小言ばっかり、アンタはアタシのオカンかっての」

「言えないって事は、いつも自慢してる男遊びね。あなたがそんなだからサクラコも真似をして、不良になんかなっちゃうのよ!」

「なっ……!」


 ロザリーの致命的な一言によって、場が一気に張り詰める。当のサクラコは本当の事を言って良いのかどうかとあたふたとしていた。


「ロザリー、アンタねえ……。いいわよ、またいつかみたいに丸焼きにされたいみたいね!」

「あなたは何かと言うとすぐ力を誇示(こじ)したがるわね。そういうの迷惑なの、分かる!?」


 売り言葉に買い言葉、二人の言い争いはすでに歯止めが利かない。


「だめ、ケンカはやめて……」


 パメラの言葉も二人には聞く余裕などない。ティセが手のひらに炎を纏わせ、それをロザリーに向けていたからだ。すかさず剣をティセに向け、防戦しようとした矢先。


「……セント・ガーディアナの名において!」


 突然、白い光が部屋中を包み、みるみると二人の力が抜けていく。それは堕龍の男達も同じらしく、皆が皆、床に這いつくばっていた。あの屈強な用心棒ですら形無しである。


「ぐっ、こ、この俺が一瞬で……」

「これが、マレフィカの真の力……。やはり、ハナから我らの敵う相手ではなかったのだ……」


 ふと見せた聖女の顔に、仲良くなったはずの男達ですら怯えている。それを見るパメラは、とても辛そうに見えた。


「今のはおしおき。二人とも、ケンカしちゃだめだよ……」

「パメラ……」


 彼女の自己を犠牲にした仲裁。その意味にロザリーもティセもすっかり我に返り、お互いに目配せで仲直りの合図をする。


「そうね……私達は堅い絆で結ばれているんだものね、私も少し、大人気(おとなげ)なかったわ。ごめんなさい……」

「ってゆうか、何マジになってんのよパメラぁ。ごっこよ、ごっこ。アンタもセントガーディアナとか言って、ノリノリじゃん」

「あ、そう! 私も聖女ごっこ! 悪さをするマレフィカには、こわーい聖女がおしおきするんだって。ほらサクラコちゃん、もう怖がらなくて大丈夫だよ」


 パメラは懸命に笑顔を作るが、それを見てサクラコは(せき)を切ったように泣き出してしまった。


「ずびぃ……、全部誤解なんです。ティセさんは本当は、私を助けに来てくれたんです。襲われそうになったザクロさんからも、堕龍さんからも……!」

「えっ、それは本当なの!?  ……それなら私、ずいぶん酷い事を……」

「ふん、別にいいけどさ。アタシも勝手だったし。ま、色々あったって事よ」

「サクラコちゃん、たくさん頑張ったんだね。よしよし」


 マレフィカのケンカなんて物は(はた)から見ると異様だろう。すっかりおびえきったファレンが、申し訳なさそうに間に入った。


「あなた方のお怒りはごもっともです。……お詫びと言ってはなんですが、これから困ったことがあれば、この堕龍になんなりとお申し付けください。望めばなんだって手配いたしましょう。宿にお困りでしたら最高級の宿を用意させます。どうかここは私の顔を立てると思って、全て丸く収めてはいただけませんでしょうか」


 ファレンは胸から封筒を取り出し、サクラコへと手渡す。それは、長々しい文章が記載された契約書であった。物々しく血判(けっぱん)まで押されている。


「書面は政治家の信用を表す命。そこにある通り、我々はあなたに尽くす事を曲げる気は毛頭ございません」

「ぐす……あの、やっぱり私……」


 彼らの忠義に困惑するサクラコだったが、それを押しのけてティセが躍り出た。


「よし、じゃあこの子の代わりに一つ言っておくわ。このサクラコは、何を隠そうこのアタシ、ティセ゠ファウストの一の子分なの。つまり、ここで一番偉いのはロザリーなんかじゃなく、このアタシって事よ!」

「そ、そうなんですか?」


 サクラコは確かに、と頷いた。実際彼女には、ほんの少しも逆らえないのだから。


「そういうワケで、もうアンタ達に用はないから。それに、汚いお金の世話にもならない。ここで飲み食いした代金も、燃やした屋敷の弁償代も支払うわ。これでいいわよね、ロザリー」

「え、ええ……」


 ティセは懐から数枚の金貨を取り出しては、惜しげもなくファレンへと渡す。


「なんという気高さ……。今後はあなたの事を、姐御(あねご)とお呼びしても……?」

「好きにすれば? じゃ、宿に帰るわよサクラコ。ほら、あのチビも連れてきな」

「は、はい! 待たせてごめんね、おいで」

「アン!」


 サクラコはその胸に子犬を抱え、深々と礼をしてはティセの後を追っていった。


「待ってよー。私もいぬ、抱っこしたい!」

「あっ、パメラ……」


 パメラも慌てるようにそれを追いかけ、一人取り残されるロザリー。

 しょんぼりとするその頭に、どこか安心する大きな掌がポンと置かれた。


「まったくあの娘、何て魔力だ。せっかくの酔いも冷めちまったぜ。さて、帰るついでだ、家まで送ろう」

「ラインハルト様……」

「おじさん、でいい。しかしお前達、今時珍しいくらいの馬鹿というかなんというか。まだ後ろ盾も無い身だ、裏社会だろうがなんだろうが利用できるもんは利用する、それでいいだろうに」

「ふふ、そうですね。みんな、良い子ばかりで。でも、私はそんな子達を信じる事もできなくて……。やっぱり、リーダー失格です。まして、英雄だなんて……」


 ロザリーは自分が英雄の器でない事を知りながら、それでも演じなければならない辛さを吐露した。こうしてみると、本当にただの年頃の少女のよう。ラインハルトは娘にしてあげるように、やさしくその髪を撫であげる。


「あ……」

「リーダーか英雄かどうかなんてのは、周りが決める事だろう。うちの国王を見ろ。祭り上げているのはむしろ俺達の方だ。堕龍にしてもほら、ファレンの奴、ああ見えて周りからずいぶんと慕われているみたいだぜ」


 ファレンを先頭に、黒胴着達はずっとこちらへと頭を下げ続けている。

 突然下された馬鹿げた決断に文句も言わずに従う彼らの義理堅さにこそ、ファレンのリーダーとしての日頃の行いが窺えるものだと言いたいのだろう。


「胸を張っていれば良い。そんな心優しいお前だからこそ、俺も国王も期待しているんだからな。いや、これはただの個人的な親心かもしれんが」

「はい……おじさん」


 そう、少なくとも自分にはあの子達を、そして移民の人々を守るという責任がある。いつまでも子供のように甘えてはいられないと、ロザリーは前を向き歩き出すのだった。






 一方、サクラコはどうしても抱きたいとせがむパメラに子犬を預け、ティセの手に引かれ歩いていた。強引なその手は、まるで怒っているのかというくらい強く握りこちらを離さない。


「あっ、あの……」

「ほら、アンタ宿知らないでしょ。また迷子になると面倒だから。それにしても今日は疲れたわ。こんなこと、もうゴメンだからね」

「はい……」


 サクラコはティセに繋がれた手を強く握り返し、それに答える。


「でも……ティセさん、今回はありがとうございました。助けに来てくれて、嬉しかったです」

「あ、いや……別に……アンタはアタシの子分なんだから、何回だって助けてやるわよ……」

「ティセさん……」


 サクラコはティセに寄り添った。サクラコからすれば、彼女がまたも自分を救ってくれた事には変わりはない。サクラコはどこか自分とは真逆の、そんなティセのぶっきらぼうな優しさに強い憧れを抱いた。


「……まったく、いきなりマフィアのボスにされるなんて、どんなトラブル体質よ」

「えへへ……」


 情けなく笑うが、この子はもしかするととんでもなく優秀な子分なのかもしれない。少しだけ生まれた背徳的な独占欲がティセを刺激する。


(……こいつは、アタシのだ。誰かになんて、あげるもんか)


 ティセはサクラコに聞こえないようにつぶやく。しかし、それは耳の良いサクラコにとって丸聞こえであった。いつも炎のように激しい人だが、時にかがり火のようにも暖かい。サクラコは更に体を密着させ、少し熱を帯びた体を押しつけた。


「ティセさん。あったかい……」

「バ、バカ、パメラが見てるでしょ」


 しかし子犬に夢中のパメラは、全くこちらを意に介する事もなく自分の世界に旅立っていた。


「んぎゅー! ふひひ、もう離さないからねえ!」

「クウーン……」


 パメラのあまりのしつこさに、子犬はどうにか抜け出そうと藻掻いている。

 それを見てか、あのしつこく付きまとってくるザクロと自分の関係を思い返し、少し同情を禁じ得ないサクラコであった。




************




 狭いながらも新しい我が家。

 これからみんなで、家族のように暮らす場所。

 ロザリーは、どうしても言いたかった言葉と共にその扉を開けた。


「ただいま!」

「誰に言ってんの?」

「いいから。ほら、あなた達も」

「はいはい、ただいまー」

「靴は脱いで!」


 古いが暖かみのある、まだ何も無い部屋。これがここからの拠点だ。


「うわー、やっぱ四人だと狭いわね」

「どうやらこの四畳半と、奥にある流しの二部屋みたいですね」

「ベッドなんて一つだし。ロザリーだけでハミ出すんじゃない?」

「堕龍の高級宿、あなたが蹴ったんでしょう。文句言わないの」


 ティセの愚痴はいつもの事。ロザリーはとりあえず安堵のため息をつき、同じように家族の一員となった子犬の鼻をつついた。主人であるサクラコに似てか、やさしそうな瞳をしていて、とてもおとなしい。


「そう言えばサクラコ、この子、名前はもう付けてあるの?」

「あ、忘れてました! ザクロさんもまだ付けてなかったみたいですね。私に渡すために、情が湧かないようにしていたのかもしれません」

「じゃあみんなで考えてあげようよ。この子のかわいい名前」


 子犬を溺愛するパメラが目を輝かせて提案する。


「良いですね! では勇猛果敢なお犬様の名前から拝借して、疾風の(はや)太郎というのはどうでしょう」

「ねえ、どうも女の子みたいだけど。かわいそうよ、そんな男の子みたいな名前」

「そうだよ。名前って、大切なものだから」


 名前をつける。ただそれだけの事であるが、パメラにとってそれは特別な事であった。名無しであった自分に付いたパメラという名前。それがどれだけ嬉しかったのかは彼女以外には分からないであろう。

 皆はそんなパメラの意図をくみ、頭をひねりながら考える。


「では女性名にして、疾風のおふうで」

「ちょっと言いづらいかも……」

「シロ……ホワイト……いや、ヴァイス……待って、ヴァイス・シュヴェルトっていうのはどうかしら! 白の剣……。はあ、格好いい……」

「って、もっと長くなってる。もう、二人ともちゃんと考えようよ」

「じゃあパメラ、何かいい案はあるの?」

「えっと……いぬの子供だから、いぬ子?」

「そのまんまじゃない!」


 壊滅的なセンスの三人がいくつか提案する中、初めてまともな名前が浮かび上がる。


「イブ」

「え?」


 急に真面目な名前を提案したティセに対し、ロザリーは思わず聞き返した。


「だから、イブ。決定」


 その名前を気に入ったのか、子犬は嬉しそうにティセの下に駆け寄る。


「キャン、キャン!」

「あ、アタシは猫派なの! 懐かないでったら、ねえっ」

「ふふっ、なんだか気に入ってくれたみたい」


 そういえばティセの使い魔である黒猫、トゥインクルもキラキラした可愛らしい名前であった。そんな名付け親としての一日の長が今回の明暗を分けたのかもしれない。


「イブ……可愛いわね。さすがは元、魔法少女」

「ホント、すごく似合ってる」

「まさに忍犬にふさわしい名前ですっ。威武(イブ)、なんてたくましい」

「う、うるさい。アンタ達のセンスが皆無なのよ!」


 皆の絶賛を浴び、子犬はイブと名付ける事となった。ティセからすると、夕方(イブニング)に出会ったからという意味でしかなかったが。


「イブ、よろしくね!」

「アン!」


 晴れて忍犬・威武(イブ)の誕生である。呼びかけに対し威勢の良い返事をするも、まだなんとも頼りない子犬だ。


「ただ、私達の戦いと、この子は切り離して考えるべきね。まだまだ危険だわ」

「そうですね。私が責任を持って忍犬の訓練をします。この子も、いつかザクロさんのアラタカのように逞しく成長してくれるはずです」

「そんじゃサクラコ、これ、チビのご飯代。金ないんでしょ」


 ティセが渡したのは、とうとう最後の一枚となった金貨であった。


「わあ、いいんですか!? ありがとうございますっ」

「そう言えば堕龍にも渡していたけど……あなた、よくそんなお金持ってるわね。並の金額ではなかったのに」


 ティセは「ああ、それね」と、勢いよくベッドにもたれながら答えた。


「ママ……いや、お母様が持たせたのよ。この前の時にね。なんかヤじゃない? 親離れして出て行った娘をまだ甘やかして、あくせく働くのが馬鹿らしくなるような金額渡すのよ? いい加減アタシの事分かってくれてると思ったんだけどさ」

「それが親の愛でしょう。感謝しないと」


 ロザリーにとって母が生きているというのは、少し羨ましい事であった。さらにはこの旅の事をロザリーが説明した時、ティセの母アルテミス女王は今にも泣き出しそうな顔をしていた。それを笑顔で見送っただけでもたいしたものだというのに。


「ふん、どうせそんなお金使い道なかったし、ちょうど良かったわよ」

「で、でも良くないですよ。そんなお金と知っていれば……」

「サクラコの言うとおりよ、それに今までお金にはさんざん苦労してきたのに……」


 ロザリーはそう言いかけて気付いた。その苦労こそティセが望んだものだったのだ。この自由奔放な性格も、厳格な家柄で箱入り娘だった事への反発が生み出したとするならば、いかに過保護に育てられてきたかが分かるというものだ。


「とかいってアンタ達。今日はアタシに助けられてんじゃない。言っとくけどもうお金なんてないから、頼りにしないでよね」

「分かってるわ。ありがとう、ティセ」

「何よ気持ち悪い。あ、また変な勘違いしたな」

「ふふ、どうかしらね。……ん、どうしたの? パメラ」


 パメラはサクラコの持つ、アルテミス製の金貨を珍しそうに見つめている。彼女はこれまでも必死にやりくりしているロザリーの姿を見てか、はたまた聖職者であるためか、お金には極力触れないようにしていた。


「あなたも欲しいものがあれば、何でも言うのよ?」

「ううん、いいの。私はロザリー達と一緒ならそれが一番だもん。……それに、お買い物ってよく分からないから」

「ホント、アンタ変だわ。超ド田舎の娘か、超箱入りのお嬢様のどちらかね」


 ティセはバカにするが、本当の事を知れば決してそんな事言えないだろう。パメラはこの旅を始めるまで、お金すら必要のない生活を送っていたのだから。


「ロザリー、お金って、お仕事して貰うんだよね?」

「そうよ。明日から私達も冒険者ギルドでお仕事探さなきゃね」

「やったー! 私、頑張る!」

「もう、あまり無理しないようにね」


 これがラインハルトの言う親心というものであろうか。彼に撫でられた時に感じた安心感を思い出し、今度はロザリーがそのふわふわの髪を撫でてあげた。


((ガーディアナはこの子に、人としての生き方を教えなかったのね。なら私がこの子の親代わりになって、色んな事を教えてあげないと……))


 ロザリーは願った。この戦いが終わり、それから先どれだけ一緒にいられるか分からないけれど、彼女には普通の、幸せな人生を歩んで欲しいと。

 すると一瞬、パメラが微笑えみ、囁くようにつぶやいた。


「ありがとう……ロザリー。まるで、お母さんみたい」

「えっ、私、口に出してた……?」

「ふふっ、なんでもない!」


 もしかすると、異能の力が漏れていたのかもしれない。制御できない力のためか、この子にはまるで筒抜けである。だから今度は、こちらがこの子達の気持ちを分かってあげなければと、ロザリーは改めて誓った。


「ねえ、ここお風呂はないのかな?」

「あるわけないでしょ。こんなボロ宿に」

「銭湯なら街の方にありましたよ。犬も入れるんでしょうかね」

「いや、ダメでしょ。こいつはお留守番」

「ええー、ノミなんていませんよぉ」


 騒がしいみんなの声。やっぱりこれが、我が家のある風景なのだ。戻る事のない、いつかの記憶を思い出し、ロザリーの瞳が少しだけ潤んだ。


(そうね、私も少しだけ、ここで荷物を降ろす事にするわ。だってここはみんなと手に入れた、初めての安らげる場所なのだから)


 ロザリーは一人思い悩むのはやめにして顔を上げる。するとそこには、自分を待つ仲間達の姿があった。


「ロザリー、いこっ」

「ええ……!」


 パメラの暖かい手に包まれ、ロザリーはつぶやく。


「それじゃ……行ってきます」


 いってらっしゃい。

 いつも誰かがそう言ってくれる。そんな家にしたいとの願いを込めて。




************




 今日はとても長い一日だった。どうなるかと思われた長旅も一区切りつき、やっと新たな拠点を手に入れた。明日からはここでの生活資金を稼ぐため、冒険者ギルドの仕事にかかりきりになるだろう。


 ロザリーはギチギチのベッドで眠る仲間達の寝顔を見つめ、ささやかな幸せを感じた。

 こんな気分を味わえるなんて、いや、味わっていいのだろうか。自分なんかのために死んでいった仲間に申し訳ないとすら思った。


『――生きていれば、いつか幸せにもなれよう。だから、生きろ。お前の幸せこそ、ワシらの幸せなのだから』


 ふと、逆十字団長ギュスターの声が聞こえたような気がした。

 いつも口癖のように言っていた言葉である。あの頃は、若者にばかり重荷を背負わせるような老人のお仕着せを、少しばかり鬱陶しく感じていた。

 しかし今ならば、その言葉の意味が分かる。いつもふざけたことばかり言っていたジジイだったが、ロザリーの幸せを何よりも願ってくれていた。そう、実の子の様に。


 けれど、みんないなくなった。あれほど強かった、実の父でさえも。

 ロザリーは隣で眠るパメラを見つめ、小さくつぶやいた。


「大人はいつも勝手……。私は、この子達を見捨てたりはしない……」


 そんな静かな決意が、まどろみの中にいたパメラの耳に届く。


「うーん……ロザリー……?」

「あ、起こしちゃった? 良かったら子守歌、歌ってあげましょうか?」

「……うん、聞きたい」

「歌姫のあなたに聞かせるのは、少し恥ずかしいけれど……」


 ――ルーララー ルーララー

   愛する我が子よ 今はおやすみ

   瞳を閉じて お眠りなさい

   お空の星たちも あなたを見守っているわ――


 口ずさむのは、ローランドの孤児院でよく歌っていた子守歌。


「ロザリー……すぅ……すぅ……」


 仲間達の寝息とロザリーの優しい歌声が、パメラを再び眠りへと誘う。


「ふふ……私も寝ないとね。みんな……おやすみ」


 幸せな現実が終われば、幸せな夢が訪れる。

 母のような腕に抱かれ、魔女達の夜は静かにふけていくのであった。


―次回予告―

 夢はたくさんあるけれど、先立つものはやっぱりお金。

 護衛お使い人捜し、果てはドラゴン退治まで。

 なんでもやります、新人冒険者!


 第34話「クエスト」

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