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第31話 『ティセとサクラコ』

 ここは、街を少し外れた所にある貧民街。ロザリー達の借りた宿もその一画にあった。

 土地を惜しむように建てられた縦長の住居が複数に渡って連なり、薄い壁を通してそこかしこから子どもの泣き声や酔っ払いのわめき声が聞こえてくる。お世辞にも、とても住み心地が良い場所とはいえない場所である。


「うるっさ……」


 一人、そんな安宿でボーっとしていたティセだったが、どうも行方知れずとなったサクラコの事がずっと気になって仕方がなかった。辺りの騒がしさも相まって何をするにも身が入らず、ゴロゴロと小さなベッドの上で唸りながら転がる。


「んー、あー」


 実はこの宿へとチェックインする際、あるチラシを渡された。女だからと渡されたそれは、歓楽街の求人について書かれたものである。移民や貧民にとって、暮らしを一変させるほどの収入となる夜のお仕事。ここには泣く泣くそれらを受け入れ、家族を支えている若い娘も多いと聞いた。

 ティセは気を紛らわせるように、その紙面に並ぶ龍の入れ墨の入ったきらびやかな女性達を眺めた。胸元が大きく開き、スリットが腰の上にまで入ったマンダリンドレス。もうほとんど布一枚を纏っただけに見える。


「咲き乱れる花と華。貴男(あなた)百花(パイファ)で極上のひとときを――。うわっ、もしかしてこれって……」


 そこでの仕事は、要するに男の相手である。デキる女を装うティセにとって、それは唯一の鬼門。人一倍マセたように振る舞ってはいるが、本当は男の事など全くといって知らないのだ。ロザリー達にはもう、男なんてとっかえひっかえだったとか、彼氏がいなかったのは生後3ヶ月までだったなど、どれだけ吹聴したか分からない。よく考えたら、すぐにバレる嘘である。


「基本コースは一時間、ほ、本番ありって、つまり……。うひー」


 口に出す事にさえも顔を真っ赤にしながら、ティセはまたもベッドでゴロゴロ転がる。


「やばっ、こんなの持ってたらアタシが怪しまれるわ! ロザリーなんてヒステリー起こすかも。どこかに捨てなきゃ……ってここ、ゴミ箱もないじゃない!」


 そんな調子で一人騒いでいると、今度は突然近くの宿から女性の泣き声が響き渡った。


「お願いします、どうか、どうか娘だけは……!」

「今さらわめくんじゃねえ! 稼ぎのないあんたらの代わりに割の良い仕事を紹介してやろうっていうんだ。毎日の生活だって苦しいんだろう、なあ、お嬢ちゃん」

「は、はい……。お母さん、沢山お金稼いで楽させてあげるからね。待っててね」


 慌てて窓からその様子を見ると、謎の黒胴着の男達に一人の少女が連れて行かれようとしている場面が見えた。家族はそれを泣きながら見送っている。悲痛な声は、母親らしき人物の号泣であったらしい。


「あれって、もしかして無理矢理……。そっか。アタシらが連れてきた連中も、全部一からの出発だもんね。土地も手放したんだし、簡単に仕事が見つかるわけないか」


 人助けのために行った移民計画であったが、やはり生きて行くにはどこも厳しい現実が待ち受けているのは変わらない。ここでは収入が得られるだけガーディアナよりはマシであるが。


「後味わるっ。どこに行っても結局同じじゃん。強い者が弱い者を食い物にして……!」


 ここからファイアボールでもぶつけてやろうかとも思ったが、自分はすでに人々から灼熱の魔女として恐れられていた事を思い出す。もし通報され素行に問題があるとなれば、強制送還は避けられない。ティセは指先から出かかった炎を慌てて収めた。


「それにしても何なのよあの黒服。まるで人(さら)いね……。あっ、だとしたら、あいつもやっぱり……」


 誘拐事件。その可能性だけは、どこか考えないようにしていた。しかしサクラコの性格を考えると、この街ではカモがネギを背負って歩いているようなものである。


「チッ!」


 ティセはチラシを握りしめ、おもむろに宿を出た。ロザリーの言うように、サクラコももしかしたら彼らに捕まったのかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられず、気がつけばその足は黒胴着達の後を追っていた。


「まったく、何でアタシがこんな事……!」


 迷いながらもチラシの地図を片手に辿り着いたのは、街の中心部の少し外れであった。どこか民族的で奇抜な風景の中、いかがわしい人間達とやたらすれ違う。そんな、哭龍(クーロン)城砦と書かれた背の高い建物に囲まれた薄暗い道の先には、紅燈區(こうとうく)と呼ばれる風俗街の立ち並ぶ店が続いていた。どうやらその内の一つが黒胴着達の根城のようだ。


「ここね……」


 その店名は、堕龍百花小姐デュオロン・パイファ・シャオチエ。デュオロンの、色とりどりな花のようなお嬢さん。カタコトではあるが、最近サクラコのためにイヅモの古い言葉を勉強しているティセには、なんとなくその意味くらいは分かる。

 息を飲んで入ろうとすると、その入り口にはやけに目を惹く子連れの白い犬が座っていた。どうやらご主人様の用事を外で待っているようである。


「犬? 見かけない種類ね。トゥインクルがいたら何か聞き出せたんだけど……って、ちょっと!」


 その犬はおもむろに立ち上がると、長い鼻先をティセにこすりつけながら匂いを執拗に嗅いできた。彼女から感じる、ある少女の匂いに反応したのだ。


「もう、変なとこ嗅がないでよ!」

「ワン、ワン!」


 すると次は一緒にいた子犬を咥え、ティセへと差し出した。受け取ったティセはその子犬の首に、何かが結びつけられている事に気づく。


「これって、サクラコの財布じゃない……どこで拾ったの!?」


 さらに白い犬は体を動かし、自分の大きな身体で隠していた、『ピチピチのイヅモ人入りました! ご指名お待ちしております』との看板をティセに見せつける。イヅモ人などサクラコ以外にそうそういるものではない、これでほぼ誘拐確定だ。


「やっぱり、この先にいるのね……!」

「ウー……」


 唸りながら店内を見つめる親犬。なぜかはよく分からないが、彼女もサクラコの安否を気にしているのだろう。


「そっか、教えてくれてありがと。そこで待ってて」


 ティセは慌てて店に入った。店内はすでに気を失った男達と怯えた女達であふれ、異様な雰囲気に包まれている。そこには、先ほど連れて行かれたはずの貧民街の少女の姿もあった。


「ねえアンタ、大丈夫? 一体ここで何があったの?」

「は、はい。私は平気ですが、凄く強い女性が、男の人達を一瞬で……」

「良かった、だったら今のうちに帰りな。貧民街で連れて行かれる所見たけど、こんな事、やっぱり良くないよ。ここが何する所か知ってるの?」

「うう、私、こんな危険な所とは知らなくて……」


 ティセは手を広げ、泣き出した少女を抱き寄せる。どこかこの小さな少女が、アルテミス女王を振り切って旅に出た親不孝な自分と重なったのだ。


「あのね、こういう所は、本当に覚悟がある人しか来ちゃいけないの。アタシ達みたいに何も知らない子どもが、ちょっとしたお金欲しさに来て良い所じゃない。生きる方法なんて、探せば他にいくらでもあるわ。それに、子どもはもっと大人に頼っていいの。大人だって、子どものためなら頑張れるはずよ。あなたはそれを近くで一緒に支えてあげなきゃ。まあ……アタシが言えた事じゃないかもしれないけどさ」

「ぐす、すみません。私、バカでした。お母さんをもっと泣かせる所でした」

「うん……分かってくれたならいいの。あとこれ、少ないけど良かったら取っといて」


 ティセは輝くばかりの金貨を数枚ポーチから取り出すと、ためらう事もなく娘に手渡した。


「これは……」


 金貨は1枚で大体一人ひと月の生活費はまかなえる価値を持つ。つまり、それは家族と共にしばらく暮らしていける程の量であった。


「良かったら生活の足しにして。こうなったのも、元はと言えばアタシらのせいだから」

「あなた、そう言えばどこかで……。あっ、もしかして、村を救ってくれた灼熱の魔女……様?」

「あはは……様とかよしてよ。こっちはこっちで、裁判中の身なんだから」


 その時、奥の部屋から消え入るような悲鳴が聞こえた。聞き慣れたサクラコのうわずった声である。


「あのバカっ! ……いい? まっすぐ帰るんだよ、もう親を泣かせたら駄目だからね!」

「魔女様……あ、ありがとうございます!」


 まったく、灼熱の魔女というのは人の世話を焼くのも得意らしい。ならばお次は悪い虫を焼き払う番だ。


「VIP専用スイートルーム……。ここねっ」


 ティセは勢いよくその扉を開く。すると桃色の薄煙が立ちこめた部屋で、まさにザクロがサクラコへと覆い被さろうとしている所に出くわした。またもこの女の仕業か、とティセは身構える。


「アンタ、一体何してんのよ!」

「ティセさん……!」


 サクラコが怯えたような声で叫ぶ。助けてと言いたいが言えない。そんな状況である事は一目瞭然であった。


「何している……か。ここでやる事など、一つだろう」

「ふざけんなっ! ファイア・ボール!」


 思わず真っ赤になったティセは、すかさず炎を放った。


「むっ、いつかの火遁か……!」

「アンタねえ、いつもいつもサクラコにちょっかいかけて、ストーカーするのももいい加減にしな!!」


 以前にも邪魔された、身を焦がすような灼熱。それを受け、やっと治りかけたザクロの火傷の跡が再びチリチリと痛み出した。


「ククク、燃え上がるようなこの火照り……。なるほど、貴様もまたサクラコに身を焦がす一人という訳か。いつもいつも私の邪魔をする理由が今分かった」

「はあ!? 何それ」

「え? ティセさん……」


 それを真に受けたのか、サクラコの視線がティセへと向かう。


「ちょ、ちょっと待って、話がおかしな方向に行ってるんだけど」

「全く、あの時はよくも……と、言いたいところだが、今は本当に感謝している。すんでの所でこの気持ちに気づかせてくれた、お前は私の恩人だ」

「さっきからわけ分かんない事……、サクラコは無事なんでしょうね!?」

「ああ、やはり契るにはまだ幼い。それに……愛のない行為など、空しいだけだ。ここはお前に免じて、続きは数年後に取っておく事にしよう」

「こいつ、まだ懲りてないし……」


 ザクロはふっ、と微笑んでは、全てを諦めたように身支度を始める。


「我が主君はオロチの血を宿す稀妃禍(まれひか)。ならばお前達も、同等に抗えるはずもない存在であったのだ。いや、もはや新たな主君と言ってもいい」

「マレヒカじゃなくてマレフィカなの! いいからはやくどっか行け!」

「女、サクラコを頼む。これは、いずれ我が主君となる娘。これから一つやらねばならぬ事が出来たのでな、一刻、貴様等に預けておこう」


 とりあえず、この毒蛇女との確執は終わったようだ。しかしその顔はどこか満足げであり、ティセは謎の敗北感を味わう。


「誰が返すか! ベロベロベー!」

「ふっ、その気の強さ、嫌いではない。いつかお前も、この手でねじ伏せ喰らってやろう」

「ぞくっ……。アンタ、もしかして……」

「サクラコよ。契りこそ完遂出来なかったが、我が力、お前の為に使う事をここに誓う。ふふ……ではさらば、我が愛しの君よ」


 ザクロは振り返りもせずにずんずんと歩き出す。どうやら今度こそ本当に去っていったようだ。


「ザクロさん……」

「なんだったのよ、あいつ」


 淫靡(いんび)な部屋の一室で行われていた謎の行為。ティセは何かが起きた後ではないかと不安になるも、特に外傷もなく、サクラコの体は少し衣服が乱れただけで綺麗なものであった。


「ほらサクラコ起きな。服もこんなはだけさせて、ホントに何もされてないでしょうね?」

「はい、大丈夫です。少し掴まれた手が痛むくらいで……」

「そう、それなら良いんだけど」


 強がるサクラコの目には、少しだけ涙が浮かんでいた。とりあえずここへ来て正解であったようだ。


「まったく、アンタここがどんな店かわかってんの? どれだけ心配したと……」

「それ、ザクロさんにも言われました。ここなら簡単にお金を稼げるって強引に連れてこられて……ってティセさん、もしかして私のこと、心配してくれたんですか?」

「ば、ばか! するに決まってるじゃない! あ、勘違いしないでね、子分がアタシより先にこういう事するのは許せないってだけなんだから!」

「えへへ……」


 ティセの心配とは、貞操(ていそう)の事だろう。だがザクロとの事はある意味仲直りみたいなもので、逆に少し嬉くもあった事は内緒だ。サクラコにとってはこれもよくある、いじめっ子が実は好意を抱いてくれていた、くらいの認識である。


(それにしてもザクロさん、綺麗だったなあ……。私も恋をすると、あんな風になれるのかな……)


 少女特有のあどけない妄想。しかし当のサクラコは気づいていなかった。ここで一体何が行われようとしていたのか、それがどういう意味であるのかを。

 それは、(くのいち)の契りと呼ばれる、女性の忍び同士が交わす絶対の掟である。彼女達は厳しい任務の中、子を宿し身重となる事を避けるため女性同士で愛し合う事のみが許されている。時に、実力が上の者は愛人として選ばれた者と一夜を共にし、下の者が上の者へと奉仕の限りを尽くすという。

 これを行った者は半永久的な主従関係が生まれ、その命すらも捧げる今生(こんじょう)の契りとなる。未遂ではあるが、サクラコは本人のあずかり知らぬ所で本当にザクロを従えたと言う事になるのだ。


 そんな事もつゆ知らず、二人はとりあえずの危機が去った事に胸をなで下ろすのであった。


「いい? これは二人だけの秘密だからね。ロザリーが知ったらなんて言うか」

「はいっ、ご心配おかけしました」

「よろしい」


 儀式のためか、サクラコの顔には化粧が施されていた。ドーランで肌をより白く見せ、(べに)を使いパーツの縁を強調する、イヅモ風のメイクである。ティセは少し口を開けながらそれを眺めていた。


(いつかはロザリー達の事茶化したけど、これは……)


 イヅモ人は確かに独特の魅力がある。特にサクラコは、その小さな体にすべすべの肌、艶があり小気味よく揺れるサイドテール、さらには嗜虐心をそそる情けない表情。それら全てがマスコットのような可愛さで、使い魔のように自分の側に置いておくのがとてもしっくりくる。

 もう戻らない少女時代に憧憬(しょうけい)を持つティセとしては、なんとしても守ってやらなければと思わせる存在であった。むしろ今ではパメラとロザリーの関係性が、何となく分かるような気すらする。


(そっか……こいつ、こんなに可愛いんだ)


 今回秘密を共有した事も、どこか背徳的な感情を加速させる。ティセはブンブンと頭を振り、これはきっと焚かれた香のせいだと思う事にした。


「……どうかされましたか? ティセさん」

「べ、別に! ほら、さっさと出るわよ。こんな所にいたら、変な気になるわ」

「は、はいっ」


 ティセは沸き上がる感情を必至に振り払い、甘い匂いに包まれた部屋の扉を開いた。するとその瞬間、それはどこか血なまぐさい臭いへとたちまちに変化する。


「た、助けてくれ……」


 一気に現実へと引き戻されるような男のうめき声。二人の目の前にはなんと、この店の支配人が血まみれで這いつくばる姿があった。先程までの強気な態度とは裏腹に、彼はこちらへと情けなく手を伸ばし助けを求めている。サクラコは男に受けた仕打ちも忘れ、そばへと駆け寄った。


「ど、どうされましたか!」

「あの女に襲われた……。おまけに契約は成立しなかったとかで金も奪われ、この有様だ……」

「まさか、ザクロさんが……!?」 


 いくら香に当てられていたとはいえ、サクラコにはそれが信じられない。やはり彼女の本質は悪なのだろうか。


「でも、物音一つたてずに……いえ、あの人ならそのくらいの事は……」

「ああ、俺達堕龍(だりゅう)はとんでもない奴に目を付けられてしまったようだ……。次はこの街を取り仕切る、(ワン)゠ファレン様のお屋敷に乗り込むつもりらしい。このままではボスの命が危ない。お嬢ちゃん、奴の知り合いなんだろ? たのむ、何とかしてくれ……!」

「そんな……」


 これからは主君の為に命を使う。確かに彼女はそう言った。サクラコにはその意味が今、何となく分かった気がした。闇に生きる者の考えそうな事といえば、主君に仇なすものの排除以外にない。


「アンタねえ、サクラコをさらっておいて虫が良すぎるんじゃないの? おまけに移民の女の子達まで食い物にしようなんて考えるから罰が当たったのよ。いい気味だわ」


 どうにも女を食い物にする(やから)がティセは許せない。これは、そんな裏社会に対する制裁だと笑い飛ばした。


「ティセさん、その事はもういいんです。それよりこの人の言ってる事が本当なら、大変な事になります。今すぐザクロさんを止めないと……!」

「サクラコ……アンタ本気で言ってんの? どこまでお人好しなわけ? こんなのマフィア同士のいざこざでしょ? アタシら何も関係ないじゃん」


 静かに詰め寄るティセに対し、サクラコは珍しく物怖じせずに答えた。


「いえ、これは全て、世間知らずだった私が招いた事です。それに私達は謹慎中の身。もし裁判中に問題を起こしたとなれば、きっとロザリーさん達にも迷惑がかかります。ザクロさんは、私のためにと言いました。それで堕龍さんが壊滅したとなれば、全部私のせい。言い逃れは出来ません!」

「ちっ……あの女の肩持つわけじゃないけど、アタシ達だって好き勝手する教会を制圧したからたくさんの人を救い出せたんじゃないの? こいつらが壊滅するってんならそれでいいじゃん。アンタはこのまま、弱い者が好きなようにされ続けても良いって言うの!?」

「でもっ、力で制した世界ではきっと同じ事がまた繰り返されるはずです! パメラさんも王様に言っていたように、この人達はきっと、生きるために仕方なくこんな事を……」


 世間を知らぬはずの少女の言葉はむしろ、真に弱者に寄り添ったものであった。確かに裏社会の掟は厳しく、この男にとっては毎日を必死に生きてきただけのこと。それを分かってくれる無垢な心に、男はたまらずに涙した。


「お嬢ちゃん、すまねえ……すまねえ……」


 悪人の流す涙に、ティセはほんの少し罪悪感を覚えずにはいられない。ここで働く女性達も、どこか救いを懇願するようにこちらを見つめている。これではまるで、こっちが弱い者いじめをしているみたいではないかと、ティセは大きく溜息をついた。


「ふん……まあいいわ。あーあ、アタシもロザリーのバカがうつったのかもね」

「ティセさん……」

「勘違いしないでよね。ここで国に恩を売っておいて、アルテミス強制送還だけは免除して貰うのよ。さ、そうと決まれば急ぐわよ!」

「おお……少女達よ、ありがとう(シェイシェイ)……」


 その言葉に安堵したのか、男はそのまま気を失った。その手下達を含め、辺りには負傷者が山のように転がっている。ティセはさっさと出ようとサクラコの手を引くも、その足はぴくりとも動かない。


「どうしたのよ、行くんでしょ」

「はい……。でもこの人達、どうしましょう……このままだと……」

「ちょっとアンタ、手当までしようっての?」


 どうもサクラコには、この惨状を放って置く事はできないらしい。すると、それまで黙っていたここのリーダー格とおぼしき女性が割って入った。


「ほら、ここは私達にまかせて、あんた達は行っておくれ。この人達には何だかんだで私達も世話になっているからね、介抱くらいしてあげるさ。それと、赤い髪のお嬢ちゃん。私達のために怒ってくれて、ありがとうね。嬉しかったよ」

「あ、いや、別に……アタシもちょっと言い過ぎた。部外者が首を突っ込んじゃって、ごめん」

「ふふ、いいのさ。あんたの言うように、ここも変わる必要があるのかもしれないね……。イヅモのお嬢ちゃんも、巻き込んでしまってすまないね。その化粧、とても似合っているよ。こんな刺青なんかよりもね」

「い、いえ! お姉様方もとてもお綺麗です! それでは!」


 とりあえず店の方は大丈夫のようだ。これからの彼女達も、ただ良いように男達に使われるだけではないだろう。

 二人は今度こそ目的地へと向かおうと店を出るも、ある重要な事に気づく。


「そう言えばファレンって奴の屋敷、どこにあるんだっけ?」

「あ、支配人に聞きそびれてしまいましたね……」

「アンアン!」


 そこに、一匹の子犬が立ちはだかった。スラッとした鼻、白くてフワフワの毛に、垂れ下がった耳、逆立つような長い尻尾が特徴の、この辺りでは特に珍しいイヅモ犬であった。


「わあっ、この子、イヅモの子です。コマイヌっていう霊犬で、とっても珍しいんですよ! でもあれ? これ、私のお財布……どうしてこの子が……」

「そうそう、こいつのおかげでアンタの居場所が分かったんだ。確か、一緒にでっかい犬もいたはずなんだけど、どこ行った?」

「うーん、置いて行かれたのかもしれませんね。この子達は大人になると忍犬として重宝されます。もしかしたらそっちの方の子が、ザクロさんの忍犬なのかも」


 ザクロという名を聞いた子犬は、小さくキャンと鳴いて走り出した。


「ついてこいって言ってるのかな……。ねえ、色白様」


 その問いに、サクラコに宿る犬神も頷いた。子犬は母親のにおいを辿っている。その先には、きっとザクロもいるはずだと。


「ティセさん、行きましょう!」

「まったく、しょうがないわね!」


 勢いよく走り出した二人を、まるで迷路のような暗黒街が迎える。

 全てを飲み込むような闇を振り払い、二人は脇目も振らず駆けだした。悪人を救うため、いや、己の義を貫くために。

―次回予告―

 法と無法の狭間で蠢く、欲望の街デュオロン。

 漆黒に飲まれ、より深く堕ちるか。純白に交わり、人の道を生きるか。

 少女は心に刃を忍ばせ、この世の闇に立ち向かう。


 第32話「忍侠道」

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