第30話 『堕龍(だりゅう)』
突然のサクラコの失踪にロザリー達が慌てている頃。渦中の彼女は一人、自由都市の商店街にて目を輝かせながら、次から次へと現れる宝物を眺めていた。
「はあ……芸術はいいですね。その土地の文化が一目で分かるようです」
表通りを離れるにつれ、露店の品もマニアックなものが増えていく。ついにはロザリーとはぐれた事にも気づかず、その足は徐々に裏通りへと向かっていた。
旅に出てからというもの買い物など、ずっとできなかった事である。もともと旅の民芸品の収集を趣味としていたサクラコにとって、そのどれもが大いに心を奪った。お金はロザリーにあげてもう無いが、見るだけならと押し寄せる誘惑と戦う。
「これはっ、入れ子人形でしょうか! わあ、中からまた人形が……。それにこの絵は、ウキヨエの影響がうかがえますね! なるほど、さすがは移民の国、品揃えも多種多様です」
フェルミニアの民芸品マトリョシカと、ロンデニオンの新進気鋭の画家、コッポによる風景画である。後に偉大な名画となるそれの素晴らしさを一目で見抜いたサクラコ。彼女の目利きは確かだ。
見るもの全てを収集したい欲求が止まらない。しかし、その値段はとてもサクラコに払える物ではなかった。ため息も止まらない。
「はあ……これ全部、里の家に飾れたら……」
そんな紅色の着物に身を包んだサクラコは、どこから見ても目立っていた。
その美しい薄紅の忍者衣装に、道行く大人達もどこかそそられるものがあったのだ。さらにもう一つ付け加えると、それは彼女の出身によるものでもあるだろう。
大陸ではイヅモ人など本当に珍しい。幕府による鎖国政策の影響で、もうほとんど見なくなってしまって久しいのだ。かつて魔王を倒したとされる救世主も、そんなイヅモ人の特徴を備えていたと言われる。この地において、伝記にのみ伝わるイヅモ人は東洋の神秘とまでされていたのである。
「あれ? そう言えばロザリーさんはどこに……。確か、食事処に入る辺りまでは一緒だったはず……」
すっかり迷子となってしまった彼女を見ていたのは、何も好奇の目だけではない。無防備に飛び込んできたそんな掘り出し物を、案の定、禿鷹のような目が狙っていた。それは早速サクラコを毒牙にかけようと近づき、どこか訛りのあるカタコトの言葉で話しかけてくる。
「お嬢さん、それ、ほしいの?」
「は、はい! どれもこれも、とても素晴らしい工芸品ですっ。特に、この絵画なんて一目で気に入ってしまって……」
「アチャー、これ一品物ね、モタモタしてたらすぐ売れるよ」
「そうなんです、でも、お金がなくて……」
空になった巾着袋を広げては、しょんぼりするサクラコ。
「それは残念ね。でもお金、すぐにたくさん稼げる方法、あるよ」
「本当ですか!?」
「もちろんよ。ついてくるね」
男はサクラコの腕をやや強引に引っ張った。その拍子に巾着袋が落ちるも、男は構わず歩き出す。振り払うには簡単な痩せた小男だが、その身なりは少し派手目だ。人を見た目で判断してはいけないが、その男からは少しばかり危険な臭いがした。
「あの、実は、ロザリーさん……一緒に来た方とはぐれてしまって、これから探さないといけなくて」
「ああ、その綺麗な人なら、先にお店で待ってるよ。急いで行ってあげるね」
「よかった! 余計な心配をかけてしまう所でした、ありがとうございます!」
こくこく、と頷き、男は裏道へとサクラコを連れ出した。具体的な「綺麗な人」との一言に警戒心を解き、世間知らずのサクラコは能天気についていく。いい人がいて良かった、などと感謝しながら辿り着いた場所は、ほの暗く、酒の臭いの漂う歓楽街であった。
「あの、ここは……?」
「出来高制だよ。お客さんついた数だけ、たくさん稼げる。あなたはちょっと相手してればいいね」
え? と、ここに来て初めて、思っていたような仕事と違う事に気付く。あたふたとしているサクラコは、あれよあれよと店の中に連れられた。
「あの、ロザリーさんは……」
「この中にいるね、多分」
待合室のような通路には、ガタイのいい男達と刺青を入れた色気の漂う女達が、世にも珍しい新顔を見つめている。サクラコは更に奥の部屋に通され、その中央に鎮座する更にガタイの良い男に頭を下げさせられた。彼もまた街のチンピラのように、チャンパオと呼ばれる黒い胴着を纏い、頭を剃り上げている。どう考えても堅気の者ではない。
「こんにちは、ボス」
「歓迎する。今日はどうした。また良いのが見つかったか?」
少しだけ聞き馴染みがある言葉がいくつか交される。イヅモの隣に位置する大国、クーロンの古い言葉。そう言えば小男の身なりも、よく見るとかの国の皇帝帽と民族服である。実は彼らこそ、この辺一帯を取り仕切るクーロン系のマフィアなのであった。
(私、もしかしてとんでもない所に……)
クーロン国。それは、ロンデニオンのさらに東に位置する、ほぼ全ての国民が格闘術をたしなむという完全武装国家。
そこではとりわけ厳しい統治が行われており、こういったはみ出し物達は瞬く間に捕まり懲罰を受ける。そこで国を追われた彼らは、逃げるように隣国ロンデニオンの自由都市に目を付けると、その武力をちらつかせ街を陣取った。そして発展途上の国である事を良い事に、犯罪すれすれの行為に手を染め、今では一つの都市の名を自分達の組織、「堕龍(母国語でデュオロン)」とまで変えるほどの大きな勢力を持つに至る。
つまりこの都市の貪欲なまでの税率は、彼らが引き上げたものであった。マフィアと言うと聞こえは良いが、他に行き場のない移民の足元を見た、姑息なやり口でのし上がった小悪党ともいえる。
そしてこれもその内の悪事の一つ、女衒。移民の若い娘にはこういった仕事をあてがい、身も心も、骨の髄までしゃぶりつくそうというのだ。
「ところでボス、今日の新入りはひと味違うね。ほら、挨拶するよろし」
「あ、あの……」
新たな「商品」を見るなり、この歓楽街を取り仕切るであろう男はニタァ、と笑った。そして、言葉を標準語へと切り替えサクラコへと話しかける。
「移民のお嬢ちゃん、裏の世界へようこそ。ここまで来たって事は、全部分かった上で来たという事になる。ここでの仕事に同意したと見ていいな」
「え……」
「ボス、これは掘り出し物ね。良い値で客とれるよ。生娘に違いない」
売人はこちらを見ては、わざとらしく舌なめずりをした。今さらではあるが、やはりいかがわしいお店である事を理解したサクラコ。
「あのっ、やっぱり私、こんな事は……」
「ほう、今更帰れるとおもっているのか?」
「ひんっ」
強面の男に凄まれ、何も言い返せなくなったサクラコは素直に大人しくなった。やはり男の人は苦手だ。ザクロや修道院の時は誰かを助けるため勇気を振り絞ったが、なぜか自分の事となると途端に力が出せなくなるのは昔からの性分である。
「おとなしく言う事を聞いていれば、痛い目を見なくて済む」
「そうね、それが賢い女というものよ。上手くやればお嬢ちゃんも、ワタシ達も稼げる。つまりはウィンウィンよ」
売人は商談に入るため、取引用の書類をボスへと差し出した。そこには、金貨10枚、と書いてある。先程ロザリーが買った鎧が金貨1枚ほどと考えると、かなりの価値をつけられたように思える。
「少しばかり高いな、まだ幼いが、本当にそんな価値があるんだろうな? ガキに下手な事はさせられんぞ」
「イヤー、これでも安くしたよ。長い目で見たらかなりお得ね。では服を脱いで。ボスによく裸を見せるね」
「え、え?」
突然の指示にサクラコが躊躇していると、後ろに並んでいた男達がよってたかってサクラコの着物を剥ぎ取り始める。
「えっ、いやっ、やだあっ!」
凄まじい腕力で押さえつけられ、サクラコはすっかり服を剥かれてしまった。胸をさらしで隠し、ふんどし姿の全く発育の無い身体ではあったが、皆その透き通るような肌をなめ回すように見つめては感嘆する。
「ほー、なんという美しさか。体つきはまだ貧相だが、やはりイヅモ人というだけで金取れるね」
「よし、買おう。この街にはそういった趣味を持つ輩も多いからな。お前等、さっそく看板出しとけ!」
「ケケッ、お買い上げどうもね」
どうやら取引が成立したようだ。売人は仲介料を受け取り、懐から何かを取り出す。長く鋭い針に色とりどりの塗料。どうやら刺青に使う道具のようだ。そう言えば、ここに来る途中見た女性達の肌にも龍の模様が入っていた。つまり、自分にもそれを……。
「では墨を入れるよ。死ぬほど痛いけど我慢ね。あの女達のように、一生ものの芸術品にしてあげるよ」
サクラコの白い肌に、毒々しい墨を含んだ針が近づく。これは本来イヅモでは罪人に使われるものであり、刻まれる事で二度と消せない印となる。その額に刻まれた「犬」という文字は到底忘れられるものではない。
「さ、この布を噛んで。いくよ」
「ひぃ……」
サクラコの恐怖がピークに達した瞬間、部屋の外からしゃがれた声が聞こえた。
「サクラコ、いるな?」
次の瞬間、確認もなしに扉は粉々に破壊され、ざんばら頭の大女が部屋へと入ってきた。あまりの緊急事態に、男達は一斉に武器を構える。
「何者だ!?」
「ざ、ザクロ、さん?」
ザクロは微笑むと、針を手に、目を丸くしていた売人に向かって蹴りを放った。
「サクラコに手を触れるな、この下衆がぁぁ!」
「ぐえーっ!」
丸太のような脚から繰り出される容赦の無い蹴り。あわれ売人は、体を直角に折り曲げながら部屋の壁を粉砕し彼方へと吹き飛んでいく。
(え……、助けにきてくれたの……? あの、ザクロさんが……?)
にわかには信じられない。あれほど自分をいじめてきた人がこんな事をするなんて。
「何だテメェは! ここが堕龍の縄張りだと知っての押し入りか!」
「駄龍? 知らんな。貴様等にも一応名乗っておくと、禍忌流は紅蓮衆次期頭首、禍忌ザクロ。片田舎のつまらんいざこざに関わる気はない。さて、邪魔をしたな」
ザクロは淡々と名乗ると、落ちていた着物をサクラコにかぶせ、そのまま肩へと担ぐ。
「ひゃあ!」
「サクラコ、行くぞ」
まるで何事もなかったように、ザクロは肌を剥き出しにした無防備な背中を見せた。その傷だらけの身体は極限までに引き締まってはいるが、妙に色っぽい。
「そういうわけにはいかねえ……! お前もイヅモ人だな。ふむ、多少年増だが女としてはまあまあだ、お前ら、やれ!」
ボスの一声に黒胴着の男達はザクロを取り囲んだ。その手には、棍や青竜刀、鉄爪など、クーロンの武術で使うものが握られている。その構えに隙はなく、一人一人が相当な手練れに見えた。
「大陸の武術か。おもしろい、お遊戯会といこうじゃないか」
「なめんじゃねえっ!」
乱闘が始まる。サクラコを抱えたまま、ザクロは男達の襲撃に立ち回った。突き入れられた棍をよけつつ顔面に拳を叩き入れ、刀は鎖鎌で絡め取り、鉄爪は指の力だけでへし曲げた。目まぐるしく変わる状況に、サクラコはなすがままに扱われる。
「サクラコ、振り落とされるなよ」
「ひぃーん!」
瞬く間に全てが片づいた。残るは支配人のみ。さすがに敵わないと見るや、男は顔色を一変しザクロへと取引を持ちかけた。
「いやあ、まいりました! 姐さん、これはお強い。ですがこちらも商売でしてね。すでにその娘には大金を払っているんですよ。このままでは私共も上がったりでございます。金かその娘、どちらか返しては頂けませんかね。これも全ては組織のためにやったこと。堕龍の面子が丸つぶれとあっちゃ、私共がファレン様にお叱りを受けちまうんです」
「なるほど、しょせんは子飼いの犬という訳か。貴様の立場、同情しないでもない」
ザクロは、こういった裏のシノギを取り纏める紅蓮衆の若頭でもある。商売ならば仕方ない、と途端に大人しく言う事を聞いた。
「では、こいつを買おう」
「え?」
ザクロは、どさ、と、金貨の詰まった袋を男に投げてよこす。
「これで足りるか?」
「ほおほお、いー、ある、さん……なんと、取引の倍はある。それならばどうぞどうぞ、お好きになさってください」
あわや壊滅を免れた支配人は卑屈に頭を下げ、その場を去る二人を見送った。
フン、と鼻息を荒くしたザクロは、そのままサクラコを担ぎ別室へと向かう。
「ここはこういう店だ。知らずに来たのか?」
「はい……でも、どうしてザクロさんが」
「ただの偶然だ。まったく……だが、ちょうど良かった」
ザクロは呆れた顔でサクラコを見つめる。だがその顔は少しだけ上気していた。そして淫靡な雰囲気の部屋に入ると、おもむろにサクラコをベッドの上に放り投げる。着付けする暇もなかったため、すこしだけ着物がはだけた。
「するぞ。お前はもう私の物だ」
「えっ!? ザクロさん?」
ザクロは逃げないようにサクラコを上から押さえつける。サクラコは凄まじい力に抗いながらも、いつもとは違う、どこか優しいその目に戸惑いを覚えた。
「私は気付いたのだ。お前を失う直前、自分の本当の気持ちに……」
顔を近づけたザクロは、もがくサクラコの首筋に舌を這わせる。そしてそのまま彼女の耳へと移動し、カプ、とそれを軽く噛んだ。
「いたっ!」
「あっ、悪い……こうするのが好きなんだ。お前の耳はいつもビクビクと小動物のようで可愛くてな」
続けてザクロは、サクラコの耳に吐息を吹きかけた。
「ふああっ」
「はあ、夢のようだ……まさかお前と、こうして交わる事ができようとは」
いつか、桜の樹の前で行った行為の時ように彼女はうっとりとしている。しかしあれから少し経ったとはいえ、未だ完全には癒えていない胸の傷が痛々しく映える。サクラコは襲い来る恐怖心よりも、戦いその後、大事はなかったかが気に掛かった。
「あの、あれから具合の方はどうですか? その傷、深い所まで抉ってしまいましたが……」
「サクラコ……。あんなにまでした私を、心配してくれるというのか?」
ザクロはサクラコの頬に涙を落とした。そして身体を密着させ、抱きしめる。ごつごつとした身体だったが、所々に残る女性的な丸みは、やさしくサクラコを包んだ。
「あっ……」
「あれは罰だ。お前にした事を考えればまるで足りんがな」
「そんな事……」
「いいのだ。これから我はお前にその償いを返す。一生をかけてでもな」
ザクロはサクラコの薄い唇へと指を這わせた。そして固く閉じられたそれを開こうとするも、恐怖からか頑なに開いてはくれない。それならばと、人を惑わせる作用のある香を懐から取り出し焚き始める。
「んっ、この匂い……」
「サクラコ、二人でイヅモへ帰ろう。私はお前の下につく。禍忌流はもうお前のものだ。幕府から裏切り者として追われようと、私がお前を守る」
立ちこめる甘い香りに、サクラコは目眩を覚えた。立場も何もかもを捨てた告白。それは十数年来、毎秒ごとに積み重なった愛憎である。
「う、うう……」
「さあ、少しはその気になったのではないか?」
ザクロの長い指がサクラコに迫る。忍びの技は色の技でもある。同性愛者であるザクロは、部下との夜伽において無敵の技巧を誇った。そんな世界とは無縁なサクラコといえども、めくるめく世界へと誘う事は容易である。
「だめです……こんなの……」
触れられただけで、サクラコの体は少し震えた。それでも頑なに彼女の心は開かれる事はなかった。
「そうか、答えてはくれぬか……」
ついにザクロは諦め、二人はぐったりと重なり合った。まるで酸素を奪い合うような互いの荒い息が混じり合う。
全てをさらけ出したザクロの気持ちを受け、しばらくしてサクラコは告げた。
「……ごめんなさい、私、仲間が出来たんです。だから、あなたとは行けません」
ザクロは、その答えに年甲斐もなく泣いた。しゃがれた声で。
石榴の皮には毒があるが、その種はみずみずしく、甘い血のような味がするという言い伝えがある。それは、まさに深い愛を内包した彼女そのものであった。
「ザクロさん……」
しばらく経ち、サクラコは同情からザクロの手に触れる。その瞬間、ザクロの目の色が変わった。彼女は逃げ出す事も不可能なほどの握力でその手を掴む。
「うあっ」
「どうしてもというのなら、力尽くで女の契りを交わすまで……。サクラコ! “闇の芽”を開き、私と共に堕ちよう……!」
ザクロはゆっくりと起き上がる。ついにその気にさせてしまった。まだ幼い相手であるため、彼女はただ本気を出してはいなかっただけなのだ。
「ザクロ、さん……?」
化粧の奥に見せた女の本粧が、少女を大人へと導く。
サクラコはその言葉の意味に、ただただ怯える事しか出来ずにいた。
―次回予告―
猛る炎は世界の闇に捕らわれた少女を照らす。
その熱に浮かされ、意識する唇。
二人の間に芽生えたのは友情か、それとも。
第31話「ティセとサクラコ」




