第27話 『姫百合の騎士』
全てを失い、追われる身となった魔女。
全てを捨て、共にある事を選んだ魔女。
全てに怒り、世界を焼いた魔女。
全てから逃げるも、勇気を知った魔女。
運命に見放され、寄り添うように生きる四人の魔女達。そんな彼女達に転機が訪れた。
ガーディアナ小教区の制圧。それは、絶対的と思われた支配に対する最初の反逆。
人々はまるで英雄かのように彼女達を賞賛した。そう、いつの時代もローランドにおいて、魔女という存在は英雄であった。
その昔、魔族からこの地を守ったという英雄、ローランドの乙女ラ・フォレッタ。
内なる神の声を聞き民衆を率いたという彼女もまた魔女と呼ばれ、その最後を業火の中で終えた。そんな彼女の掲げた御旗、白百合の紋章は現在もローランドの象徴として民に親しまれている。
伝説の白百合の騎士の再来――。今回の活躍により、そんな言葉すら人々に贈られる事となったロザリーは、言いしれぬ達成感に満たされていた。
今回の成功で、ガーディアナ打倒が決して絵空事ではないと証明できた事も大きい。もちろんまだ今の戦力では国そのものを相手取る事はできないし、色々と考えることも多い。
手始めに必要な事。それは大きな組織との接触。これも領主ルドルフとの出会いにより、ひとつ駒を進めた事になる。いかに魔女といえ、支援なくして戦争などはできないのだ。
だが、もう一つ。ロザリーには、いつからか常に考えている事があった。
「ふう……」
帰路につく馬車の中を、小さな溜息が流れる。
確かに作戦は成功したが、司祭オーガストとの死闘に敗北した事に変わりはない。あまつさえ、迫る恐怖から女々しい声を上げる始末。ロザリーは自らの実力不足と、この現状の落差をどこか割り切れずにもいた。
「どうされましたかな、ロザリー殿。少し、お疲れですかな?」
「いえ、大丈夫です。少し、考え事を。どうかお気遣いなく」
「今後の事でしたらご安心下さい。あなたの行く道は、私共の行く道でもあります。不肖ルドルフ、きっと、お力添えになれるはずです」
そう言ってロザリーに微笑む老紳士。やつれてはいるが、その瞳には光が宿っている。
聖堂にて捕虜となっていたローランド地方領主ルドルフ。貧しいながらもローランドの貴族である彼は、そのなけなしの財をもってマレフィカを支援する事を約束してくれた。
「我々に出来る事、それは、あなた方の灯した希望の火を、決して絶やさぬ事……という訳で灼熱の魔女様、少しばかり火を貸していただけませぬか」
「灼熱の……あ、アタシか。はい、トーチ」
「かたじけない」
彼はその懐から長い間使う事のなかった万年筆を取り出すと、少しばかりペン先を火で炙る。そして、魔女との盟約をしたためた正式な書簡へとサインを入れた。
――ローランドの乙女の再来、姫百合の騎士あらわる。かの者、その果敢なる行動にて、東ローランドを司祭オーガストより奪還す。このルドルフ゠フォン゠ロードリングはいついかなる時もこの者の力となり、姫百合の騎士の名の下にローランドが再び決起する時には、どこにいようとも馳せ参じる事をここに誓うものである。我こそはと思う者あれば、誓いの書状を送られよ。我らローランド人は、いついかなる時もマレフィカと共にあらん――
「これを信頼できる他の領主の下へと届けさせます。皆、ガーディアナの圧政に苦しむ者達ばかり。きっと力になってくれるはずです」
「ありがとうございます。しかし、白百合に対し、姫百合……少し大げさな名前ですね」
「いえいえ、覇業を成し遂げようというのなら、このくらいの方がいいのです。姫百合、つまりモーニングスター・リリー。あなたこそ、大いなる輝きと共に夜明けをもたらす星。いつかきっとその名に恥じぬ伝説の英雄となる。今はその名にあやかろうではありませんか」
いつかパメラと二人で見た、不思議星を思わせるその二つ名。二人はその時のように見つめ合い、互いに喜び合った。
「ロザリー、良かったね! 英雄だって!」
「ええ、少し照れくさいけれど……百合の花には大切な思い出があってね。姫百合か……あの子も、喜んでくれるといいけのだけれど」
「ロザリー……きっと喜んでくれるよ、その子も」
「ええ……」
まだ何も為してはいないが、それでも人々は英雄を求めている。こんな魔女である自分が誰かを明るく照らせるのであればと、ロザリーはそれを受け入れる事にした。
やがて馬車は田園風景を抜け、小さな古城へと辿り着く。
「さあ、我が屋敷に着きました。ロザリー殿にみなさんも、自分の家だと思ってぜひくつろいで下さい」
数年ぶりの主人の帰還に、ルドルフの配下は大騒ぎで彼を出迎えた。
彼らはしはらく給金も無い状態が続いていたため、残っていたのは付き合いの長い年老いた側近ばかりである。ルドルフは改めて彼らに頭を下げ、若者達から不足分の労働力を募った。そして兵役に出されていた者は城の警備兵に、修道女達は使用人として雇う事で人手不足を解決し、難航すると思われた捕虜の収容もつつがなく終了した。
「まさか、これだけの人数を雇うなんて……」
「ほっほっほ、私財を切り崩せば当面は問題ありませんよ。後はこちらに任せ、あなた方は客室にてどうぞ休まれて下さい。今後の事は、明日にでもまた」
忙しそうに執務に戻るルドルフへ、パメラがもじもじと問いかける。
「あの、ごはんとか、まだかな?」
「もちろんご用意いたしますとも、聖なる巫女様。ローランド料理は家庭の味。ガレットやテリーヌ、ポトフなどもありますぞ。楽しみにして下され」
「ポトフだ! やったーっ」
「もう……パメラ、意地汚いでしょ」
「えへへ」
こうしてその日は疲れた体を休めるため、質素ながらも精の付く食事をとり、それぞれ柔らかなベッドで休む事となった。
その日の夜、ロザリーはベッドの中で、小さな頃の思い出を辿った。ここへは一度、家族で招待された事がある。その時もこうして、手厚くもてなされ一夜を過ごした。今思えば、王都へ行く父をねぎらうためだったのだろう。ここを離れる最後の夜、母と同じベッドで眠ったあの日の事は忘れようがない。
そして今、隣には寝息を立てるパメラ。近くにはいびきをかくティセと、その腕に絡まれ眠るサクラコ。その生まれこそ違えど、この子達もまた家族である。今はこうして、皆無事でいられた事をただ感謝せずにはいられない。それもこれも、全てはこの子のおかげ。
「ありがとう、パメラ……」
その横顔にキスをし、ロザリーが眠りに就こうとしたその時、ガチャリ、と扉がかすかに開く音がした。
「ロザリー、起きてる?」
「誰?」
「あの、アニエスだけど……」
「待って、行くわ」
ロザリーは皆を起こさぬよう、彼女を出迎えた。そして、扉の外へと二人消えていく。くすぐったい唇の感触で夢から連れ戻された、パメラを残して。
「あ、えっと、その。ごめんね、寝てる所」
「いいえ、これから眠る所だったわ。あなたも、眠れないの?」
「うん、まあ。どうしてもね。今日一日で起きた事、あまりにもいっぱいあって。明日はいなくなった猫の事、探さなきゃいけないのに」
「そうね……お父様を、亡くしたのだものね……。ごめんなさい、私がもう少し早く……」
「いいんだ。もう、いいの。いい加減、受け入れなきゃって……そう、言えたらいいんだけど、やっぱり私……」
薄暗い廊下で、重なる二つの影。アニエスはその顔を、ロザリーの豊かな胸へと埋めた。
「う、うう……ロザリー……」
「アニエス……」
その体は小さく震えるばかり。今しがた家族というものを思い偲んでいただけに、その言いようのない寂しさは痛いほどに伝わった。そして、彼女のそれまで気丈に結んでいた唇からは、ふと等身大の少女の声が漏れ出す。
「うああ、嫌だよ……私、悔しいよ……! 私、父さんが殺されたっていうのに、何もできなかったの! 好きだった子には石を投げられて、好きでもない男達には良いようにされた……! どうして私がこんな目にって、そんな事ばかり考えてしまって……眠る度に、思い出すの、あの日の事を……あなたに会った日の事を!」
「そう、辛かったわね……。私なら、ここにいる。ここに居てあげられる。だから今は……」
アニエスは突然、その優しい言葉を紡ぐ唇を塞いだ。涙の味のするキス。いつかとは違い、そこには熱だけがあった。通り過ぎた後はただ、呆けるような脱力が襲うほどの。瞼を開け、次に見た彼女の顔は、すでに先程の少女ではなくなっていた。
「ん……アニエス、あなた……」
「……あなたの唇も、忘れられない。忘れられないの。いつも、最後にその事を想って、私は全てを忘れ、眠る事ができたの」
「あれは……あのキスには、深い意味なんて」
「分かってる。ごめん。気持ち悪いよね……こんな子」
「そんな事ないわ。私はね、これでもたくさんの子としてるのよ。だから、気にしないで」
ロザリーは再び、その小さな肩を抱きしめてあげた。この子は、逆十字の忘れ形見。そして自らの行動で救えた、数少ない実り。そう思うと、たまらなく愛おしく感じられる。
「あなたはきっと大丈夫。これからも私が、何とかしてみせるから」
「うん……ありがとう」
パメラは、つい、聞いてしまった。その、熱の籠もった吐息と、交わされた情動を。
扉の向こう、壁一枚隔てた先。そこにはまるで違う世界があるようにすら思えた。
「そろそろ眠るわ。まだ不安のようなら、一緒に寝ましょうか?」
「……ううん、平気。それじゃあね、ロザリー」
(……!)
パメラは急いでベッドへと潜り込む。布一枚という頼りない壁の中、秘めた想いを決して悟られぬように。
翌朝。目が覚めたロザリー達は、そのまま領民の今後を決める重要な会議に参加する事となった。これまでおたずね者の放浪の身であった事を考えると、一夜にしてとんでもない躍進である。
(ロザリー……)
眠い目をこすり、パメラは隣に立つロザリーを眺める。その姿は、どこかすでに遠い存在であるかのように凜々しかった。
「まずは我らの英雄、姫百合の騎士様をはじめとする、マレフィカの英雄達に敬礼!」
規律の取れた足踏みと共に、魔女達へと敬礼が贈られる。形式を第一とするローランドの国民性には、ロザリーも参るばかりである。ティセなどはふんぞり返っているものの、パメラもサクラコも少しばつが悪そうにたたずんでいた。
「長きに渡る屈辱の時を経て、東ローランドは解放された。情けない話だが、私は領主と言いつつも、より良く人を治めるに決定的なものが欠けていた。それは正義の名の下に振るうべき力。この、うら若き乙女達が、まざまざと見せつけてくれたものだ」
「いいえ、私達はまだ正義を語れるほどには力を持ち合わせてはいません。今回も一歩間違えば、真逆の結果に終わっていたかもしれない……」
「ご謙遜を! その力の下に我らが奮い立てば、ローランド奪還も夢ではありません。このままでは我が民を栄養に、ガーディアナのみが肥え太るばかり。他の領地にも巣くう、オーガストのような悪漢をこれ以上のさばらせて置くわけには……。灼熱の魔術師様、あなたもそう思われませんか?」
「んー、まあ、こんなのが各地で行われてるって言うなら、他も早いとこ解放した方がいいかもね。ロザリー、どうすんの?」
確かに、ここを起点としてローランドの解放に立ち上がるという道もあるにはある。しかしロザリーには、そんなに全てが都合良く行くとは思えなかった。今回はあくまで地方の拠点一箇所を奇襲によって押さえたに過ぎず、都市部にはここより遥かに大規模な軍が控えているのだ。かつてその力を間近で見たから分かる。それはあまりに無謀な挑戦だと。
「ええ、私も祖国を取り戻したいという気持ちは負けないつもり。でも、戦にはそれなりの準備が必要です。こんな痩せた土地で暮らす人々に、それを強いる事はできない。さらには頼みの逆十字はおろか、伝説級の父もいない。マレフィカといえど限界はあるわ。だから今は、一旦、雌伏の時だと考えています」
ロザリーはパメラを見つめた。彼女はそれに応え、静かに頷く。自分達は魔女といえど、聖女ありきの寄せ集めに過ぎない。そんな彼女が無理だと考えるなら、万に一つも勝ち目など無いのだ。
「そうか……、レジェンドであるブラッド殿の武勇は聞きしに勝るもの。確かに、そんな彼が居ながらにして我らは負けたのであった。個人的な恨みは、この際置いておくべきかもしれませんな」
「はい。ですが、悲観はしていません。ここに暮らす人々の命は繋いだのです。だから、今は出来ることをやるだけ。そう……次に繋ぐ。騎士団長のギュスターも、よく言っていた事です。そこで、私に考えがあるのですが……」
会議の中、ロザリーはいくつかの提案をする。
それは、皆で隣国ロンデニオンへ亡命するというものであった。
砦が壊滅した事はすぐにガーディアナに知られるだろう。やがて新しい司祭が着任し、以前と変わらない、いや、さらに厳しい取り締まりが始まる事は目に見えている。そこで、この地を人払いし、せめてその税収だけでも断とうというのだ。
「どうでしょう。ただの浅知恵かもしれませんが、こうする事が、我々にとって最も被害の少ない決断かと思います」
「なんと、ロンデニオンか……。魔に対する力を備える事を誇りとし、人に対しては力を振るわぬという中立国。故にこの戦乱時においても平和を維持し続けているという……」
「はい。一度そこへと逃れ、力を蓄えるべきです。なにより父と同じ、多くのレジェンドがいる国と聞いています。最も安全で、身を隠すには最適の場所です」
農村地帯の東ローランド平原からさらに東に進むと、そこには争いとは無縁の永世中立国家ロンデニオンがある。思えばローランド、フェルミニア、アルテミス、アバドンと近隣の国はことごとくガーディアナの侵攻を受けている。それなのにこの国だけが今までほぼ無傷といってもいい。何故か。答えは簡単、手が出せないのだ。
かつての英雄、ボルガード゠ルースハワードという聖騎士は、人類最強とも名高いその凄まじい強さに惹かれた者達を集め、腐敗した祖国フェルミニアとの袂を分かち、自分の領地に新しい国を立ち上げた。当時フェルミニアでは、ガーディアナとの戦争による難民が後を絶たず、彼は侵略下におかれた祖国の代わりに、その全てを受け入れる必要があったのだ。
その領土こそ広くはないが、王を始め“ラウンドナイツ”という騎士団の鉄壁の守りで今日まで平和が保たれており、幸いな事に移民やマレフィカに対する差別や偏見も比較的少ない。そこならばきっと相当数の領民を受け入れてくれるはずである。ロザリーとしても、次の拠点にするには申し分ない場所だ。
「なるほど……。国というものは土地ではなく、人であると言うのだな。ローランド王には恩義があるが、だからこそ、今は皆で生き延びねばならないという事か」
「はい。それにもう一つ、今回捕虜とした者達の処遇を決めねばなりません。残念ながら今のローランドに罪人を裁く力はありません。罪を重ねていた者には、公平な裁判が行えるロンデニオンにて罰を下す必要があります」
「そうだな……。しかし、ロンデニオンは中立である事を何より大事にする。そうなると君達マレフィカも同様に裁判に掛かる事になるが……いいのか?」
「かまいません。私は、自らの行いに恥じる所などありませんから」
中立国と謳う通り、公平である事がどれほどマレフィカにとって有り難い事か。偉大な王ならば、きっと真実を見抜いてくれるはずだ。
「あなた達にも初めて言うけれど、どうかしら?」
「ま、いいんじゃない? 別に」
「うん、私もいいと思うよ」
「ロザリーさんが仰るのであれば」
しばらくはこの国で身を潜め、自分達と同じ目的を持つマレフィカを保護しつつ勢力を拡大する。そんなロザリーの提案を、仲間達も二つ返事で了承した。
それから、事は慌ただしく進んだ。ルドルフは自らの土地を捨てる事を泣く泣く決断すると、オルファや他の村々の人々を集め、ロンデニオンへの移動を開始した。まさに、ローランド民族の大移動である。
投降した捕虜の中にはガーディアナを捨て、共に亡命する者も多くいた。彼らも本当の自由を知らなかっただけなのだ。ロザリーに敗れた聖堂騎士達などは、命を救ってくれたパメラを慕い始めたくらいである。その正体が聖女であると知れば、改めて永遠の忠誠を誓う事だろう。
いつか真に正義を行う力を身につけた時、この地へと還るだろう。だからそれまではと、ロザリーは古い故郷に別れを告げるのであった。
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平原をひた歩く人々の群れ。その列の最後尾に位置したロザリー達は、敵の襲撃を警戒しつつ歩みを進めていた。
「みんな、頑張って。ガーディアナに気づかれる前には着けるように急ぎましょう!」
「ねえ、後どれくらい歩けばつくの? 足が痛いよぉ」
どうやらお嬢様育ちのパメラには、少し辛い道程のようだ。かれこれ六時間は歩いている。馬車の数は限られているため、体の弱い者達に譲り断ったのだ。
しかし肝心のロザリーも、今がどの当たりか見当もつかない。ガーディアナでの逃亡劇でもそうだったように、彼女は地図が頭に入らないのだ。
「それが、分からないのよ。小さい頃馬車で行ったきりだから。でも、もう近いはずよ」
「は!? わからないって、アンタが提案したんでしょ! 肝心のその馬車まで断るし!」
ああ、来た。不平不満といえばこの娘。ティセは今までふらふら歩いていたと思えば、水を得た魚の様にロザリーに食って掛かる。
「ゴリラのアンタはともかく、アタシ達は魔法使いなのよ? 馬車に乗る権利くらいあるはずだわ」
「それでもし追っ手が現れたらどうするの? 捕虜の見張りだってある。あなたはなぜか彼らに恐れられているし、これも大事な役目よ。私だってリーダーとしていろいろ考えてるんだから、あなたも少しくらい我慢を……」
「ちょっと、いつアンタがリーダーになったのよ!?」
と思えば、今度はまた違う発言に噛み付いてくる。魚は魚でもピラニアか何かだろうか。
「そうは言っても、他に適任者がいないでしょう。会議だって私ばかりに発言を押しつけてたじゃない」
「ぐむむ、じゃあ、多数決で勝負よ、アタシがリーダーだと思う人!」
それに対し、皆付き合ってられないといった様子で黙々と歩く。そんな中、ちょっとずつ自分から離れていくサクラコを見つけては、すかさずこづくティセ。
「アンタはこっちでしょーが!」
「あいた……だから嫌だったんですぅ! ロザリーさん、助けてっ」
「ちっ、パメラはどっちよ、当然……」
「ティセ。って言ったらおんぶしてくれる?」
「もういい……アンタ達に聞いたアタシがバカだったわ」
一連のたわいない会話に、ロザリーは思わず微笑んでいた。こんな風に騒げる日が来るなんて、昔は考えもしなかったからだろうか。自然とその足取りも軽くなる。
「あははっ、あなた達、普段はぜんぜん緊張感ないのね」
それを見ていたアニエスも横から笑った。彼女はあれからロザリーの側から離れようとしない。それもそのはず、ロザリーはもう一つ、領主へと提案していた。それは身寄りの無いアニエスの処遇。今回の解放作戦の立役者でもある彼女を、どうか引き取って貰えないかというものであった。
跡継ぎのないルドルフも快くそれに応じ、彼女は晴れて貴族の養子となったのだ。魔女ではないためロザリーの旅について行くという願いは却下されたものの、その瞳は決して何かを諦めたものではない。そんな彼女の腕には、不幸の際に逃げ出したはずの飼い猫が眠っていた。
「アニエス、その子、ちゃんと見つかったのね」
「うん、ティセさんとサクラコが探すの手伝ってくれたんだ。二人とも一生懸命探してくれて、ようやく茂みに隠れていたミミを見つけたのよ。これも、なんとなく猫と話せるっていうティセさんと、鼻がいいサクラコのおかげだわ」
「ごめんなさい、こっちは色々と準備に忙しくて……。でも良かったわ、国を出るまでに見つけられて」
「ううん、あなたの足を引っ張る訳にはいかないもの。ね、ミミ」
黒猫はようやく安心したのか、ご主人様の胸に抱かれゴロゴロと鳴いている。
「ふふっ。平和って、こういう事なのかな……。ロザリー、私ね、たくさん勉強して、少しずつこの世界を良くしていこうと思ってるんだ。あなたがくれた命、私は私なりに、あなたへと返したいから」
「アニエス……」
「昔、酷い事言ったよね。あの頃の私は、世界が見えてなかった。魔女と呼ばれて、初めて分かったんだ。私達があなた達にどれだけ酷い事をしてたのかを。だから、私はこの事を世界に訴え続ける。魔女でない立場の者として、魔女狩りをなくすために、この命は使うべきなんだ」
魔女同士で傷をなめ合うのはたやすいが、それでは何も解決しない。人の世界で、人の考えを変革する事こそ、魔女達を救う道であると彼女は説いた。
正道ともいえる政治の道を選んだアニエス。その横顔は、人の持つ無限の可能性を感じさせた。
「いつでも力になるから。今度は、私が。あなた達は決して一人じゃない」
「ありがとう……」
そう、こうして魔女に手を差し伸べてくれる者達はいる。しかし、その事によって罪もない者達に背負わずともよい不幸を感染させたのも事実。ロザリーはそれを、どこか素直に喜ぶ事ができなかった。
「あ、また一人で抱え込もうとしてる」
アニエスはやや背の高いロザリーに飛びつき、そのほっぺたにキスをした。
「元気だして! 私の騎士様!」
彼女は照れくさそうにそれだけ言い残し、修道女達の列へと戻っていった。頬に手を当て、ポカーンとするロザリー。
「ううう……」
何だかやりそうな雰囲気だと思っていたら、案の定またやった。パメラは一人唸る。いや、パメラの心の中にいるパメラも唸っていた。
――聖女様、言ってやって!
「すぅー……無防備! 隙だらけ! 防御力ゼロ! そんなだからいっつも怪我するの! もう!」
「ちょっと、パメラ、なんで怒ってるの?」
「どんかん! マギアで心の中見ればいいでしょ!」
「う、上手く使えないの知ってるくせに……」
昨晩の事を根に持っていたパメラ。ここに来て、とうとう言い争いが始まってしまった。本気で怒ったパメラこそが真のリーダーであると悟るティセは、すっとその場から離れる。
「ロザリー、リーダーがんばってね。アタシやっぱ降りるわ。あはは……」
「あっ、ティセさん待って! リーダーに一票入れますからっ」
「サクラコ……アンタって世渡りだけで生きていくタイプよね……」
小動物であるサクラコも本能レベルで危険を感じたようだ。まだ怒りは収まらないのか、うっすらと発光しながら、パメラはさらにまくし立てた。
「アニエスだけじゃない。ティセにだって、サクラコちゃんにだって良い格好して……、誰にでも優しくて、一人で何でも出来て、美人だしスタイルも良くて、強くて、でもマレフィカとしては全然ダメで、私がいなきゃって思わせて……なんていうか、ずるいの!」
「それは、褒められているのよね?」
最後尾で痴話げんかを繰り広げる二人。終いにはパメラがその場に座り込み、仕方なくロザリーがおんぶして運ぶ形となった。
「ご機嫌はいかが? パメラさま」
「うー、このままロンデニオンまで乗せてくれたら、ゆるしてあげてもいいけど……」
「神様に誓って?」
「誓わない……。私はもう、ただの魔女……」
パメラはぷくーっと顔を膨らませ、ロザリーにもたれかかる。怒ったフリをしているが、彼女の背中の大きさに内心はドキドキしている。嬉しくて嬉しくて仕方ないが、心がバレてしまうから精一杯それを自制した。
「もとはといえば、彼女の平穏を奪ったのは私達魔女なの。だから、大目にみてあげて」
「うん……。わかってる」
そう、分かっている。彼女がどうという訳ではなく、これはただの嫉妬心。自分達が抱えている問題に比べ、遥かに小さな世界のできごと。だから、これはもうおしまい。
――聖女様……この人は昔っから、こういう所があるから。でも、それを受け止めるのも正妻の役目だよ。
(正妻……ふふっ、そっかあ。それなら仕方ないかあ)
すっかり機嫌を直したパメラは、ロザリーの背中で甘えるように訪ねた。
「ねえ、これから行くロンデニオンって、どんな所かな」
「そうね、この大陸ではガーディアナに次いで、おそらく二番目に強い国よ。伝説の剣を持つっていう国王様を筆頭に、伝説級の戦士達が多く仕えているの。さらに、それに憧れた騎士や冒険者もたくさん集まる、とても賑やかな所よ」
「冒険者?」
「えっと、私達みたいな、旅をしながら色んな事をする人かしらね。ロンデニオンには冒険者ギルドなんかもあって、お金も稼げるらしいの」
お金を稼ぐ。お金の心配などしたことのないパメラにとって、ずっとやってみたかった事である。
「冒険者を頑張れば、美味しいものたくさん買えるかな?」
「ふふ、食いしん坊」
「ロザリーがすぐケガするからお腹がすくのー」
すっかりいつものベタベタが始まる。
それを見計らってか、ティセ達も何かを騒ぎながら戻ってきた。
「ねえっ、馬車馬車!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「馬車よ! ロンデニオンのお迎え!」
聞くと、先に到着した領主が国王に掛け合い、全員分の馬車を用意してくれたのだという。確かに遠くから馬の走る音が聞こえてきた。
「馬車だ! ロザリー、降りるー。どうどう」
「私は馬以下なのね……」
お荷物となっていたパメラをおろし、ロザリー達は目の前に止まった馬車へと乗り込んだ。するとそこには、オルファにてお世話になった近所のおばさんも乗っていた。どうしても会いたかったのだろう、彼女はロザリーの顔を見るなり、泣いているのか怒っているのか分からないような表情で抱きついた。
「ロザリーちゃん! あなた何て無茶な事を……!」
「おばさん……すみません、相談もせずに勝手な事をしてしまって」
「謝らないで。私達は皆、あなたに感謝しているの。おかげで、ずっと会いたかった娘にも会えた。ただ、むしろ、何も出来なかった自分が情けなくてね」
怒っていたのは自分に対してであったらしく、彼女は握った拳の所在をどこにぶつけていいものかと自らの膝に落とす。
「年を取ると、捨てられないものも多くなってね。でもね、このまま死んでもいいなんて思っていた私達なんかのために、若い子達が命を賭ける必要なんてないの。あなたはもっと、自分を大切にしなさい」
「ありがとう……おばさん。でもこれは、自分の信念を大事にした結果です。だから、どうか分かってください」
「ロザリーちゃん……」
それ以上何も言えず、おばさんはしくしくと泣き出してしまった。すると、共についていた従者と思われる老人が感心そうに割って入ってくる。
「中々殊勝な心がけ。若者にしては見所がありますな。やはり、王の慧眼に敵うだけのことはある」
「はあ……恐縮です」
「では姫百合の騎士殿、このままご一緒に、ロンテニオン城まで行っていただきますぞ。あなた方には、王による謁見の権利が与えられた。無論、断れば逃亡罪による禁固刑が科せられる事となる」
「ええっ!?」
彼が持ちかけてきた話に、一同は驚愕する。何と、ロンデニオンのボルガード王が自分達マレフィカに会ってみたいと言い出したらしい。もしかすると危険分子と見なされ、逃がさないようそのまま裁判にでも掛けるつもりなのかもしれない。
「王様が直接……。どうしよう、私達、死刑なんて事にでもなったら……」
「なにビビッてんだか。恥じる所はない、キリッ。とか偉そうに言ってたくせに」
「ふふっ、きっと大丈夫だよ。ね、姫百合の騎士様」
「パメラぁ……」
こうしてロザリー達は領主の屋敷に続いて、大国ロンデニオンの王宮へも招かれる事となった。
表舞台に立つ事で英雄はその真価を試される。汚名を着せられたままの魔女で終わるか、世界を救う新たなる救世主となるか、彼女達は歴史の大きな分岐点へと立つのであった。
―次回予告―
掴み取ったものは、栄光。あるいは、自由。
その代償は、等しいだけの罪。
けれど、人はそれを贖う事で前へと進む。
第28話「ロンデニオン」