表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/214

第25話 『制圧』

 悪逆非道ともいえる教会の支配から故郷の人々を救い出すという誓いを立て、村を出発したロザリー達。そして先んじて一人、ガーディアナの小教区へと乗り込んだサクラコ。


 忍びの里においても並ぶ者のない隠れ身の術を駆使し、彼女は無事、聖堂(カテドラル)と一体化した砦へと潜入する事に成功していた。


(怖くない、怖くない……。私だって、きっとやれるはず)


 今こそ、恩義に報いる時。サクラコは大きく深呼吸し、神の造った楽園を見渡す。

 そこは周囲を壁に囲われており、まるで小さな都市のようであった。外は豊かな田園が広がり、中の居住区には宿や市場、病院など、様々な施設も建てられている。

 サクラコは誰にも見つからないよう器用に壁を登り、そのまま建物の屋根伝いに彼らを追った。


 まず最初に一団が足を止めたのは、高い鉄の柵で囲まれたレンガ造りの建物の前。出迎えたシスター達の姿を見るに、どうやら修道院らしき施設のようだ。


「さあ、女供は今日からここで働いてもらう。神に選ばれた清き者には、これまで以上に身も心もガーディアナに捧げる喜びを与えよう。それでは司祭様、洗礼のお言葉を」

「うむ。すべての労働は祈りにつながる。常に神への感謝を忘れぬように」


 まるで人格者のような司祭の言葉の後、先程連れてこられた少女達が建物へと押し込まれる。残された少年達は兵士として育てられるべく、広場を挟んだ向こう隣にある兵舎へと連れていかれた。どちらもこれから自由のない身となるのだ。


「今日から私が君達の親となる、せいぜい私のため、その若さを使いなさい。ふぉふぉふぉ……」


 それを満足げに見届けた司祭は、大量の貢ぎ物と共に奥にあるカテドラルへと帰っていった。サクラコはようやく警戒を解き、次に取るべき行動を思案する。


(出入り口は守りを固めた正門が一つだけ。正攻法でここを攻めたとしても、民を人質にされては何もできない。ここは、内部に協力者を作るのが得策でしょう)


 まずは、ロザリーがいつか助けたという少女に会う必要がある。サクラコは修道院の屋上から中へと侵入する事にした。


「はいはいあなた達、ガーディアナ修道院へよく来たね。まずはその汚らしい服を脱いで、身を清めなさい。そこで一人一人、処女であるかを確認します。処女であれば聖職者への道を、そうでない者は下女(げじょ)として、下働きをしてもらうから覚悟するように」


 ここの責任者であろう、やや太った中年の女性が大声でまくし立てる。その言葉に、ある少女は胸をなで下ろし、ある少女は悲嘆した。ガーディアナでは基本、お世辞にも美しいとは言えない女性ほど上位に上り詰める。魔女である可能性がほぼなく、男性達も世間体からこぞって彼女達を娶るからだ。当然それまでの世界で受けた仕打ちから、彼女らは美人への当たりも強い。

 魔女の疑いをかけられたあの少女は、ただ顔を強ばらせている。彼女は魔女狩りの際、処女を失った。そして非処女である事をも魔女としての材料とされたのだ。


「ヴァージン。次」

「ノンヴァージン。次」

「うう……」


 身を清め、次々に検査を受ける少女達。そしてついに彼女の番となるが、その結果はやはり非処女。未婚でありながら淫通(いんつう)した、売春婦とのレッテルを貼られる。


「何でよっ! これは、アンタ達にやられたんだ! 魔女だとか言いがかりつけられて!」

「黙りなさい! そんな見え透いた嘘をついて、ここをどこだと思っているの! 下女ごときが、口を慎むのよ!」

「ああっ!」


 少女は頬が腫れるほどの平手打ちを受け、反省室行きとされた。


(こんな事が……)


 その一部始終を物陰から見ていたサクラコは、これからの行いの正当性を確かめる。きっと彼女もロザリーが救ってくれる。そんな風に、やり場のない思いを押し殺した。


 その一方、正式に修道女と認められた者達は、修道服を授かりそれに着替えさせられる。それまで険しい顔を張り付かせていた責任者の女性は、瞬時に聖母のような微笑みを浮かべた。


「さあ、これであなた達も栄えあるガーディアナの神徒です。私の事は、マザーと呼ぶように。それでは早速、司祭様に秘蹟(ひせき)を授けていただきましょうね」

「「はい、マザー」」

「よろしい。神よ、この敬虔(けいけん)な子羊たちに大いなる祝福を」


 先程とは対応がまるで違う。選ばれた少女達は、ぞろぞろと別の場所へと向かった。そして残った者達は早速働きに出される。それは、兵士達の夜伽(よとぎ)も含まれる裏の仕事でもあった。


「とりあえず、もう安全のようですね……」


 ひとまず人の気配はなくなったようだ。これでやっと自由に嗅ぎ回る事ができると、サクラコは自分に活を入れ直す。


 紅の忍び装束は目立つため、サクラコはまず、ここで働く修道女達の衣装を拝借する事にした。全身に身につけた暗器を隠すため少し大きめのサイズを選び、それを身につける。


「んしょっ、と」


 チュニックと呼ばれるすっぽりとした衣装は、そのまま上から羽織るだけでいい。さらにヴェールを頭に被れば、もうすっかり教徒と見分けが付かなくなった。ここは異民族も多く、じっくり顔を見られなければまず大丈夫だろう。


「これで良し。あとは、早くあの人を助けないと……」


 サクラコは彼女の連れて行かれた修道院のさらに奥、禁域(クラウズーラ)と呼ばれる区画へと潜入するのだった。






「どうして魔女がここにいる!」

「あうっ……!」


 禁域、それは聖職者が決して立ち入ってはいけない領域。

 それもそのはず、ここはガーディアナの裏の顔ともいえる、弱者に対する執拗な責め苦を与える場所であるからだ。その区画から、女子修道院にいるはずもない男の怒声が響く。


「聖女様のいない今、魔女は浄化される事も無くのさばり続けている。だからこそ、我ら執行官が貴様等魔女を浄化しなければならないのだ! お前もありがたくこの裁きを受け取るがいい!」

「ぐふっ!」


 彼女は居住資格すら持たない不法移民であり、自ら魔女狩りを受けたと証言したため、その裁きを受けている最中であった。そして、こうして生き延びているという事はつまり逃亡者。その罪はあまりにも重い。

 木のメイスにて、彼女の体は執拗(しつよう)に殴打された。下着にされ吊されたその体に、紫色のアザがいくつも浮かび上がる。


「ごめんなさい、もう許して……!」

(ゆる)しを行う事が出来るのは司祭様か、それより上の位の方々のみ。そのような方に、貴様のような下女が触れられるはずもなかろう!」

「ぐぶぅ!」


 より、渾身の一撃が振り抜かれる。それは思い切り腹にめり込み、彼女はついに抵抗をやめた。


「なんだ、あっけない。ふふ、では、次のお楽しみといこうか……」


 男はにやついた表情を浮かべ、もぞもぞと衣服をゆるめ始める。

 ことガーディアナの禁域においては、その行為は許されていた。彼らはここで下女を買い、そのまま(とこ)へと連れ込む事も多い。ガーディアナ修道院のもう一つの顔、それは聖職者達の欲望を吐き出す場でもあるのだ。


「しかし、貴様も下女でよかったな。司祭様の相手など、いくつ身があっても持たんぞ。くくっ」


 聞き捨てならない言葉。つまり、司祭などは処女性を重んじる修道女すらもその手にかけるという事らしい。さながら、性食者(せいしょくしゃ)であるがごとく……。


「悪しき魔女に、神の鉄槌を……」


 ぐったりとした少女に、獣じみた男の手が迫る。アザだらけの腹にそれが触れた時、どこからともなく声が聞こえた。


「そこまでです……!」


 それは、か弱くも冷たい少女の声。


「誰だ!」


 男が振り向くと、そこには見慣れぬ、まだあどけない修道女がいた。しかし修道女など、この独房に訪れていい存在ではない。見られたからには口封じしなければと男はメイスを振り上げ、彼女へと襲いかかる……つもりであった。


「ぐっ、体が……」


 その瞬間、男はまるで金縛りに遭ったようにうごけなくなる。相対する修道女の広がった袖からは、見慣れない無数の武器が見え隠れしていた。


「琴吹流忍術、影縫い。あなたの動きは封じました。彼女は返してもらいます」


 牢獄の面格子からは真っ赤な夕映えが差し込み、男から伸びた影には一本のクナイが刺さっていた。ただそれだけで、なぜか体がピクリともしない。


「きさま……何をした……。聖職者でありながら神に逆らう不届き者が……」

「……あなたにそれを言う資格はありません。なぜなら、あなた方は聖職者の皮を被り、神を(かた)狼藉者(ろうぜきもの)だからですっ! 成敗(せいばい)!」

「ぐはあっ!!」


 修道女は、男の肩へと手刀を振り下ろした。その華奢な体からは予想だにせぬあまりの威力に白目を剥き、男はどさりと倒れ込む。


「あ、ちょっとやりすぎたかも……」


 ふう、と一息ついた修道女はチュニックとヴェールを脱ぎ、そのまま倒れていた少女へとかぶせてあげた。


「う、ん……」

「気がつきましたか? とりあえず、早くここを出ましょう」

「あなたは……?」

「聞かれて名乗るもおこがましいですが、イヅモの忍び、琴吹(ことぶき)桜子という者です。ロザリーさんに言いつかり、あなたを助けに来ました」

「ロザリー……?」


 確かに聞き覚えのある名前に、少女は息を飲んだ。

 鮮烈に覚えているのは、自分へと命を注いでくれた熱い唇。その瞳にたたえた、水底よりも深い(あお)。そして、自分の心ない言葉によって、曇らせてしまったその美しい(かお)。それはかつて魔女狩りから助けてくれた、忘れようにも忘れられぬ(ひと)の名。


「あの時の、魔女が……」


 彼女は複雑な面持ちではあったが、サクラコの差し伸べた手を取る。そして、共に逃げるように薄暗い禁域を後にした。






 時は受難(せつ)。ガーディアナの神徒達は現在、誘拐され苦難の中にある聖女の身を案じ、皆、清貧(せいひん)に過ごしている。

 彼女達は一日一食。夕餉(ゆうげ)の時刻に、聖体を作るもとになる聖パンをいただく。なんでも、聖女の好物であるこれを同じように食べる事で、その身にも聖なる血肉を宿す事ができるという習わしだという。サクラコはそれらを少しだけくすね、少女と二人、物陰で食事をしていた。


「んぐ、んぐ。美味しいですが、少し味気ないですね。あのたくさんの畑から、これだけの食事しか与えられないなんて」

「まあね、奴らにとって私達は家畜以下なのよ。とんだ地獄だわ」


 そう言って少女は、部屋の隅に張った蜘蛛の巣を見つめた。そこには小さな蝶が罠に掛かり、餌にされまいと藻掻いている。


「私も、こいつと同じね。がんじがらめにされて、ただ、食べられるのを待つだけの哀れな存在……」

「それは、どうでしょうか」


 サクラコはそう言うと、蜘蛛の糸に絡まった蝶を助けてあげた。これが無益な行為だとは知っている。でも、自分が見ている中でまで行われる必要はない。それが、今自分がここにいる理由なのだから。


「あなた……」

「安心してください。地獄における蜘蛛の糸は、救いでもあります。もうすぐここに、ロザリーさん達がやってくるはずです。あなたにはそれまでに、みなさんを先導して逃げる準備をして欲しいんです」

「私が? いや、それより信用できるの? あなた達の事。……魔女、なんでしょ?」


 少女の忌憚(きたん)のない言葉に、少し顔を(かげ)らせるサクラコ。


「教会と魔女。どちらを信じるかは、あなたに委ねます。私も、がであなの本当の姿を見るまでは、とても綺麗な所だと思ってましたから」

「いや、信じるよ……。少なくとも、あなたはいい人」


 少女は最後のパンを口へ放り込むと、サクラコへと笑いかけた。


「私はアニエス。アニエス゠ベルモンド。街の方に住んでたんだけど、魔女狩りにあってね。その時、ロザリー達に助けられてこっちに来たの。それからはお父さんと二人、転々と住む場所を変えながら教会から逃げ続けてきた」

「お父上は……?」

「死んだ。捕まった時にガーディアナに逆らってしまったの。前に、私が襲われるのを黙って見ていた事をずっと悔やんでいたからかな。奴らを憎んで憎んで、憎み抜いて死んでいった」

「そうでしたか……」


 アニエスは自身の置かれたあまりに惨めな状況に、苦笑した。こんな事ならば、あの時、あの魔女に助けを請えばよかったと。それどころか、あの時やった事といえば……。


「私さ、ロザリーに酷い事言ったんだ。許してもらえるかな……」


 サクラコは笑う。そんなのは愚問であると。


「ロザリーさんには、私も命を助けてもらいました。特に何の関係もなく、ただ、そこにいたというだけの理由で。今時珍しい、菩薩の生まれ変わりみたいな人ですよ。きっと大丈夫です」

「そっか、相変わらずどこに行っても、人助けしてるんだ……。それに比べて私は、何をやってるんだろう。いつまでも、されるがまま。こうやって手を差し伸べられるまで、何も出来ずにいる……」


 アニエスの言う事も、サクラコには痛いほど分かる。なぜなら自分だってそうだからだ。


「仕方ないです。みんながみんな、強いわけではありません……。私なんか弱虫で、泣き虫で、すぐ、おしっこ漏らすし……。でも、思い切って勇気を出してみたら、世界が変わったんです。一緒に生きようって言ってくれる、仲間ができたんです」

「……そっか、そうだね。ちゃんと、生きなきゃね。勇気を出して」

「はい……!」


 アニエスは心を決めた。どちらにせよ、もうこの国に逃げ場などはない。やるしかないのだ。


「私はこれからロザリーさん達を迎えに行きます。ここは戦闘になるので、頃合いを見つけて門の外へ避難するように皆さんを誘導してください、いいですね!」

「うん、分かった! それと……サクラコ、ありがとうね」

「はい、ではまた!」


 そこで二人は別れる。アニエスはそのまま、イコンと呼ばれる聖像を作る仕事をしている修道女達の中へと紛れ込んだ。サクラコから受け取った修道服はアニエスの顔以外の全てを覆い隠す。今日び入った新人の顔など、はたからは分かるはずもないだろう。


「アニエスさん、頑張って……!」


 すでに日は落ちている。サクラコは正門へと走った。外からは兵士達の騒がしい声が聞こえてくる。そう、約束通り彼女達が来てくれたのだ。


「これが、仲間……!」


 敵襲を報せる哨戒兵、さらに砦を守る見張りや門兵を全て眠らせ、鉄の門を開けたサクラコの眼前に飛び込んできたのは、逃げ道を塞ぐように広がる炎を背にして勇ましく立ち並ぶ三人の魔女。

 その瞬間、サクラコは改めて仲間というものを心強く感じた。


「みなさんっ!」

「サクラコ、お疲れ様。彼女は無事?」

「はい、ここを制圧したら、アニエスさんが皆を連れ逃げ出す手筈(てはず)になっています」

「良くやってくれたわ……。でも、本番はここからね」


 まずは手早く軍事施設を制圧したい。ロザリーはティセに合図を送る。


「ティセ、出来るだけ派手にお願い、だけどくれぐれも人を巻き込まないように」

「分かってる、いつかのアタシじゃないわ。それじゃ、レベル3くらいで!」


 ティセは砦の主要な施設に向け火球(ファイア・ボール)を放った。それは着弾と共に爆発音を轟かせる。たちまち聖堂や兵舎からは火の手が上がり、夕闇の空を明るく照らし出した。


「おまけに聖堂の鐘にも一発!」


 さらに挨拶代わりと放った火球は砦の中心に備え付けられた大きな鐘へと命中する。ひしゃげた鐘はヒステリーを上げたようにリンゴンと鳴り響き、辺り一帯に侵入者の存在を知らせた。


「このくらいやれば十分でしょ」

「ええ、さすがに彼らも気づいたようね。来るわ……」


 異変に気づいた兵舎からは、ホルンのうなり声と共に怒濤のように先発隊の兵士が押し寄せてきた。しかし、ここに来るまでに倒した無数の兵に比べても、それはひよっこと言わざるを得ない。おそらく徴兵された若者達であろう。


「楽勝ね。準備運動にもなりゃしない」

「ティセ、ここは任せて。あまり怪我をさせたくないから」

「アンタあれ使う気? うひーっ」


 次はパメラが前へと出る。ティセはおそるおそるパメラの後ろへと回った。


光、あれ(フィアト・ルクス)


 パメラは天に手をかざし、神の言葉を紡ぐ。すると、広場から兵舎にかけて開けた領域一帯を巨大な光の天球が包んだ。


「「うああ……」」


 するとその光に触れた者、全てが次々に力なく倒れていく。果ては後方で指示を出していた指揮官までも巻き込み、ガーディアナ軍はその一瞬で総崩れとなった。味方ながら凄まじいその力に、ティセもサクラコも震え上がる他ない。


「こんなの、マジどうしろって言うのよ……」

「はい……まさかこれほどとは……」


 すかさず倒れた彼らの下へと駆けていくパメラ。そしてすっかり逆らう気力を失った兵士達に、ここを脱出するようにと説得を始めた。


「さすがね、パメラ。おかげでやりやすくなったわ」


 とりあえずここまでは計画通り。作戦は次の段階、領主の救出へと移行する。


「サクラコ、カテドラルには捕らえられた領主様がいるはず。先回りして救い出せる?」

「お安いご用です」

「ふふ、言うじゃない。私は正面からカテドラルへ向かうわ。……ティセ、あなたはパメラと一緒に残りの兵を制圧しつつ、ここへ逃げてきた人達を守って。それとあなたの力は、最後にまた必要になる。魔力は温存しておくのよ」

「まあいいわ。しくじるんじゃないわよ」


 ロザリーはティセに向け、親指を立てて見せる。


「行くわよ、サクラコ!」

「はいっ!」


 恐慌と喧噪の冷めやらぬ中、ロザリーとサクラコの二人は中央にそびえるカテドラルへと走り出すのだった。






 一方、いまだ混乱のただ中にあるガーディアナの砦。

 その方々(ほうぼう)からは、出口に向かって我先にと人々が流れ込んでいた。


 そんな流れに乗って、少女アニエスは修道女や下女達と共に脱出を計る。


「みんな、今だよ! 私達はもう自由だ!」


 すっかり皆をまとめ上げていた彼女は的確に指示を飛ばし、逃げ惑う人々や兵士達をも誘導した。修道院の責任者である女性は、そこで初めてアニエスの存在に気づく。


「やはり娘達をたぶらかしたのは新入りの下女か! お前達、戻りなさい! マザーの言う事が聞けないのですか!」

「何がマザーだ、仮にも母親なら子供達の幸せを真っ先に願うべきじゃないか! あんたも早く逃げないと置いていくよ!」

「ふう、ふう、小娘供め、ちょこまかと……うぐっ」


 マザーは一斉に逃げ出した修道女達を鈍重な足取りで追いかけるも、やがて胸を押さえて倒れ込んでしまった。肥満からくる狭心症。修道院でただ一人、贅沢な暮らしを続けていたツケである。


「ざまあみろ……」


 アニエスは口に出してみて気づく。意外にもその言葉は、他の誰でもない自分の心へと深く突き刺さった。


「そっか、これは、昔の私への言葉でもあるんだ……」


 地獄にも救いはある。サクラコの言葉をどうしても忘れられないアニエスは、彼女の事も助けるよう修道女に指示を出す。


「誰か、マザーの手当をお願い。下女の私なんかじゃ、奴も嫌がるだろうしね」

「はっ、はい、では私が!」

「他にも怪我をしている人、まだ建物に残っている人がいたら、私達で助けるんだ。腐っても修道女なんだろ!」


 修道女達は持ち前の献身性で、脚が悪い者や、未だ足取りがおぼつかない兵士達を介助する。下女達の中には、教会により引き裂かれ、長らく離ればなれとなっていた恋人と抱き合う者もいた。同じ下女とされた身として、アニエスはそれが素直に嬉しく思えた。


「ふふ、よかったね……」


 アニエスはそんな光景の先に、魔女らしき者の姿を確認する。一人は明らかに魔法を操るであろう出で立ちをし、赤い髪につり上がった目。いかにも魔女らしい魔女に見える。おそらく兵舎に火を放ったのはこの女だろう。

 そしてもう一人。人だかりの中で、一人一人に手を添えて祈る青い髪の少女。見ると、怪我をしていた者達が一瞬で回復し、お礼と共に人々の列へと並んでいく。


 彼女は、修道女の主な仕事として作る聖像(イコン)のモデルである聖女に、どこかよく似ていた。しかし今、聖女は何者かに連れ去られ苦難の中にあるというが……。


「あの人……あの人は……」


 アニエスは怪我人の列をかき分け、魔女達へと接触した。あの(ひと)……ロザリーの居場所を聞き出さなければならない。いまさら何を言っていいのかも分からないが、どうしても会わなければという気持ちが彼女を突き動かす。


「ねえ、あなた達、ロザリーの仲間……だよね」

「あなたは……あ、ロザリーが言ってた!」

「うん。濡れ衣の魔女……アニエス」


 自嘲気味にそう名乗る少女。パメラはぱあっと顔をほころばせ、アニエスの手を取った。すると、すぐに彼女の身に起きた異変に気づき、修道服に隠れたその腕をめくり上げる。


「あっ、ちょっと」

「酷い……」


 拷問で受けた青あざの数々が痛々しい。それは下女としての印。アニエスは恥ずかしくなってそれを隠した。


「大丈夫、少しじっとしてて」

「な、なにを……」

「言うとおりにしなさい。パメラは何だって治せるんだから。アザくらい、すぐよ」


 ティセが照れくさそうに続ける。彼女も以前、ガーディアナによって同じ目に遭っているのだ。すぐに同情的な、優しい目を向けてくれた。


「ん……」


 光に包まれ、アニエスはすぐに綺麗な体へと戻った。ズキズキとした痛みももうない。


「凄い……、奇跡みたい」

「ふふ。ほら、あなたもみんなと一緒にここから逃げて。教会のほうは、私達がなんとかするから」

「そそ。コテンパンにやっつけてあげるからさ、アンタの代わりに」


 魔女。それは忌むべきもの。その存在がため、自分は水底でうずくまり死をも覚悟した。しかし、彼女達はこの空の下、顔を上げ笑っている。強く、気高く、奔放に。


「そっか……やっぱり、そうなんだ……」


 アニエスは魔女に対して常に薄暗い感情を抱いていた事を改めて恥じた。悪逆はガーディアナであり、彼女達は常に時代の犠牲者であったのだと。


「あの、ありがとう……。そうだ、今はこれくらいしかないけど、受け取ってよ」

「あっ、聖パンだ! 懐かしいな」


 アニエスは懐に忍ばせておいたパンを、せめてものお礼にと渡す。パメラはニコニコとそれをほおばり、懐かしい淡泊な味を噛みしめた。ずいぶんと力を使い、お腹がすいていたのだろう。


「それで、ロザリーとサクラコは今どこに?」

「ん、アイツらならカテドラルに……」

「ありがとう!」


 アニエスはそれを聞くと、脇目も振らずにカテドラルへと駆けだす。もごもごとパンを飲み込んでいたパメラは慌てて叫んだ。


「ティヘ!」

「あ、やば……」


 うっかり口を滑らせたティセは、しまった、という顔でパメラを見つめる。


「あの子、きっと……」


 パメラにはどこか、分かってしまった。彼女の持つ感情の先に、ロザリーへの想いが含まれている事を。いや、それ以前に、戦闘の最中にあるであろう中心部は危険だ。司祭の力、それは決して軽視していいものではない。


「ティセ、みんなをお願い!」

「あっ、パメラ!」


 パメラはアニエスを追っていった。

 敵兵も怪我人もおそらくもういないだろうが、火を放った魔女としては一人残されるのは心細い。強制労働させられていたローランド人は皆好意的だが、ここで富を貪り続けていたガーディアナ人の視線はどこか批判的である。


「あはは……」


 確かに人助けとは言え、やっている事は決して褒められた事ではないだろう。だが、犠牲を無くしての革命などありえない。真実は後の世が示してくれるはずだと、ティセはむしろ胸を張って人々に応えた。


「ふっふっふ……聞きなさい、アタシこそ千年に一度の天才であり最強のマレフィカ、人呼んで灼熱の魔女様よ! あなたたち運が良いわ。教会の支配は今日をもってこのアタシが終わらせてあげる。文句があるヤツはかかってきなさい! アッハッハッ!」


 効果てきめん。人々はすっかり逆らう意欲をなくし、恐れるように出口へと急いだ。ガーディアナによる支配がいかに力によるものであったかが(うかが)い知れるというものだが、その反面、ティセは少しだけ自己嫌悪に陥る。


「何よ……。国に帰れば、アタシだってアイドルなんだから……」


 ティセはそうぼやきつつ、パメラの走って行く先、真の悪の居城である聖堂を見つめた。(たぎ)るような魔力を、その身に研ぎ澄ませながら。


「ロザリー、パメラ、サクラコ。あとは頼んだわよ……!」


―次回予告―

 魔女達を待ち受ける者。

 それは人外の域にまでその身を堕とした到達者。

 最後に笑うのは、神か悪魔か。


 第26話「凱旋」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ