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第23話 『稀妃禍(まれひか)』

 大将軍の勅命を受け、東方イヅモからやってきた少女サクラコ。彼女は自分のために天敵ザクロと戦い負傷したロザリーを背負い、人里を目指していた。


「はあっ……はあっ……」


 呼吸をする度、折れた肋骨が痛烈な叫びを上げる。そうでなくとも、この小さな身体で彼女の恵まれた体躯を運ぶのは無茶ともいえた。さらに彼女は、律儀な事にロザリーの命とも呼べる長剣や鎧までも運んでいる。その背に掛かる重量としては、おそらく自身の体重の倍にはなるだろう。


「んぐっ……まだ、まだです……」


 この程度の苦難、何ほどのものか。この人は、自分の事などまるで(かえり)みず、命を救ってくれた。

 死を覚悟した瞬間、どこからともなく差し伸べられた救いの手。果たして自分に、同じ事ができたであろうか。いや、できるとしたらそれは菩薩(ぼさつ)である。消極的な理由しかなかった旅に意味を見いだすとするならば、これまでの全ては、この人に出会うためにあったのかもしれない。


「うん。これは、簡単に生を手放そうとした自分への罰だ……」


 サクラコはそんな事を考えながら、一歩一歩、地面を踏みしめながら歩いた。


 しばらく歩くと、だんだんとその景色は人の生活を感じさせるものへと変化していった。やがて、民家の影と案内の立て札が視界に映る。


「オルファ村へようこそ……。村だ、あった、ありました!」


 おそらくここが、彼女の拠点だろう。村の入り口へ立つと、安心からか自然と涙がこぼれた。


「どなたか、この方のお知り合いはおりませんか!?」


 その悲痛な声に、ロザリーを知る人々が満身創痍の二人へと慌てて駆け寄る。中でも近所のおばさんや農家のおじさんなどは、先程までの元気なロザリーを見ていただけに驚きを隠しきれない様子であった。


「まあっ、ロザリーちゃん!」

「ロザリーじゃないか! 一体何があった!?」

「詳しい話は後ほど! まずは、この方の仲間がいるという場所へお願いします。そこに行けば、きっと大丈夫なはずです!」


 仲間。彼女の言うその響きには、どこか全てを託せるような絶対の信頼が含まれていた。それを信じ、サクラコ達は急いでロザリーの家へと向かった。


「どうか、神様……」


 サクラコは残った力で、もたれかかるように扉を叩く。すると中から、まだ何も知らない元気な声が飛び込んで来た。


「あっ、ロザリーお帰り!」

「遅かったじゃない、ほら、早くゴハンに……ってアンタ誰!?」


 出迎えたティセは、そのまま倒れかかるサクラコを慌てて胸で受け止めた。付着した少し暖かなぬめり。少女のその口元には、生々しい血の跡が見える。


「私、コトブキ・サクラコと申します。怪我人なんです! 助けてください!」


 その目線の先には、村人に背負われたロザリーの姿。出血の原因は明らかに彼女であった。


「ロザリー!!」

「どうして、どうしてこんな……」


 気を動転させたパメラが事情を聞くも、おばさん達も困り顔を浮かべるばかり。


「それが、傷だらけのロザリーちゃんを連れて、村の外にこの子がいたのよ。おばさんも、何が何だか……」

「この辺にはそこまで獰猛な魔物もいない。ロザリー程の子がなぜ……」

「それは……」


 サクラコと名乗った異国の少女は、申し訳なさそうに事の顛末を話した。


「つまり、全部アンタのせいってワケね」

「はい……申し訳ありません」

「パメラ、アンタの力で何とかならないの!?」

「うん、さっきからやってるんだけど……」


 パメラは再生の力を振り絞り、毒と大量出血で顔面蒼白となっているロザリーを看病した。けれど、傷は塞がるも状況は一向に変わらない。


「ロザリー……」

「解毒剤は飲ませてあります。ですが、この毒はザクロさんの特別製で……」

「おばさん、この村、医者はいないの!?」

「医者は皆、ガーディアナ砦に連れて行かれてしまったわ。時々往診に来てはくれるけれど……」

「ちっ、それじゃ聖職者のパメラだけが頼りね」

「うう……」


 ティセは小さくなるばかりのサクラコを睨みつける。もちろんそれは、何も出来ない自分自身に対する苛立ちでもある。そんな時、パメラのお腹がぐうと鳴った。それをきっかけに、パメラは重い空気を変えようと精一杯おどけてみせる。


「えへへ、この力……えっと、ヒーリングを使うと、少しお腹がすくの。何か食べるもの、ないかな?」

「ええ、何でも作ってあげるわ。とりあえず、身の回りの事はおばさんに任せて」

「ちょっと待ってろ。おじさんが元気の出るもの、たくさん持ってきてやるからな」

「みんな、ありがとう……」


 こうして、皆の懸命な看病は休むことなく続いた。

 だが、夜になっても彼女の意識は戻らなかった。


「ロザリーさん……」


 サクラコは、これは自分の弱さが招いた事だと自分を強く責めた。責めて責めて責め抜いたが、それでロザリーが良くなるわけでもなく、時だけが無情に過ぎていく。


「どうしようティセ、やっぱりわたしの力じゃ、これ以上悪くならないようにするしか……」

「どうしようって、アタシ解毒の魔法なんか知らないし。だいたいねえ!」

「ひっ」


 サクラコはとっさに身構えた。先程からずっとこの目の釣りあがった女性に敵意をあらわにされ、すでに身も心も粉々だ。自分のような弱虫は、結局こういった人からは逃げられない運命なのだろうか。そしてまた彼女は、物事を穏便に逃げ切るための回避行動に入る。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」


 責めようとしても謝るのみ。ティセは弱い物いじめが嫌いだ。強い物いじめならば頼まれなくてもやるんだが。と、怒る気も一気に()える。


「あー、ムカムカする。このお人よしゴロリーもそうだけど」

「やめようよ。そんな事言ってもしょうがないよ」

「くそっ! 毒なんて卑怯な手を使って。どこのどいつか知らないけど、絶対に許さないんだから……」


 ここずっとのお決まりの会話。だがいつもの流れを絶ち、サクラコは顔を上げた。このままでは恩人の命が危ない。であるならば、ただ一つの助かる可能性に賭けるしかないのだ。


「私、ザクロさんに会ってきます」


 サクラコが真っ赤に腫れた目で、ティセを見つめながら言った。


「だって、そいつアンタじゃ勝ち目ないんでしょ。どこにいるかも分かんないのに、行ってどうすんのよ」

「きっと、私ならおびき出せるはずです。それに倒せなくとも、ちゃんとした解毒剤が手に入れば……」


 使命感に満ちた表情。これはロザリーも時折見せる、死地におもむく戦士の顔。それをいつも不安な気持ちで見ているパメラは、どうしても嫌な予感を拭えない。


「本当に大丈夫なの? あなたも、もしかしたらこんな風に……」

「止めないでください、これは私の使命なんです」

「いや、別に止めないけどさ」


 無表情のティセは、サクラコに顔を近づけ睨みをきかせる。


「ロザリーの命、安くないよ。失敗したらただじゃおかない」


 その目は真剣そのもの。やはり、この人は多くの人に慕われている。こんな所で失って良い命ではないのだ。


「はい、このサクラコ、しかと肝に銘じます」


 サクラコは決意も新たに立ち上がるも、骨にヒビが入っている事を思い出した。襲いかかる鈍痛に、力なく柱にもたれかかる。


「ぐっ!」

「もしかして、ケガしてるの?」


 パメラはそんなサクラコに駆け寄り、残り少ない力を使った。優しい光に包まれ、サクラコはみるみると元気を取り戻す。


「ふう……どうかな、これで動ける?」

「すごい、こんな事が……! でも、どうして私なんかに……。この力は、ロザリーさんに使うべきです!」

「ううん。あなたって、なんだか昔の私みたいなの。怖がりで、すぐ謝って。でも、ロザリーと出会って、新しい自分に出会えた。まるでそんな顔をしていて。だから、そんなあなたに賭けたいの。きっと、あなたなら大丈夫だと思えるから」

「新しい、自分……」


 そう、私なんか、などではない。あの人は確かにそう言ってくれた。それは逆に、私である事から逃げてはいけないという叱咤激励だと、サクラコはその時初めて理解する事ができた。


「ケガしたらまたおいで。無理はしないで、頑張ってね!」


 ロザリーが菩薩様なら、こちらの方はまるで如来(にょらい)様のよう。人の想いに支えられ、サクラコは俄然(がぜん)、勇気が沸きあがる。


「は、はいっ、では行ってまいります!」


 全快したサクラコは風の様に飛び立つ。万が一の可能性に賭けて。


「……あいつ、死ぬ気かな」

「ティセ、気になるの?」


 パメラの問いに、ティセは目をそらし沈黙した。


「気になるなら、行ってあげて。ロザリーは私が見てるから」

「な、なんでアタシがそんな事」


 ティセは密かに思い描いていた行動を言い当てられ、明らかに動揺している。自分も、今にも飛んでいきたいと顔に書いてあるのだ。


「あの子は多分マレフィカ。触れた時、不思議な力を感じたの。きっと、これから私達の力になってくれるはずだよ」

「マレフィカ……、そう……」


 ティセは思い返す。いつかロザリーに差し伸べられた暖かな手を。こんな時、自身が理想とする誇り高きマレフィカならばどうするべきだろうか。……いや、答えはもう知っている。自分を救ってくれた彼女のように、今度は自分が……。


「ちょっと散歩でもしてくるわ。……び、美容のためによ、勘違いしないでよね!」

「うん、行ってらっしゃい!」


 パメラは最も信頼の置けるティセに、全てを託し見送った。

 しかし一方で、パメラは一人、改めて自身の身勝手さを痛感する。


「みんな、ごめんね……。元はといえば私が……独り占めなんかしたから……こうなったんだ」


 そもそもこれは、ロザリーから力を奪った自分の責任でもあった。もし、ロザリーがあの異能に目覚めていれば、敵の思惑など初めから看破出来ていたのではないか……そんな事ばかりが頭に浮かんでくる。


 些細(ささい)な嫉妬心から、愛する人が傷ついてしまった。

 自らを責めるように、パメラは今にも消えそうな意識を保ち続ける。


「ごめんね……ロザリー。ごめんね……」


――聖女様……。


 心の声も今日は大人しい。パメラはロザリーと折り重なるようにして全霊の力を込め、その身体を癒やし続けた。




************




「地の利を得る事こそ、兵法の基本。だったら……」


 対決を迎えるにあたって、人里を避けて有利に戦える場所はどこか。森の中は視線が遮られ、どこからでも仕掛けられるザクロが圧倒的に有利だろう。山であれば高所を取られ、自在に操る事のできる飛び道具の標的となる。容易に近づけて、自分の得意な近接戦闘に持ち込むためには……。


 サクラコは思案しながら、自然とロザリーの想い出の一本桜がある場所に来ていた。この桜の樹は、ゆうに自分の幅の三倍はある太い幹がそびえ立っている。

 これは使える。サクラコは確信した。


 ロザリーとの戦いで、あの武器の軌道はしっかりと見ている。もし正面から(かわ)した場合、気で練り上げた霊糸で操り、回転させ、背中を襲う。ただ、ザクロもこんな樹を背にしていてあれを投げるとは思えない。もし投げたとしてもただ突き刺さり、それで終わりだ。ということはあの武器は封じたことになる。そして彼女にはその自信からか、真正面に対する油断がある。あとは隙を見てロザリーが見せたあの動き、一気に間合いを詰めて斬りかかるだけ。


「いける……」


 しかしサクラコにはあの脚力は出せない、そこにこそ付け入る隙がある。ならばこの太い樹の幹を蹴って瞬発力に変えればいい。あとは舞い上がる桜の花びらを目くらましに、解毒剤を奪い逃げよう。


「……もう一度、あなたの力を借してください」


 サクラコは桜の樹にそうつぶやき、決意と共に暗器の一つ、忍びの鉤爪(かぎづめ)をはめる。相手がザクロならば、こういった殺人武器も必要だろう。


(神様、仏様、お師匠様、無益に血を流す事を、どうかお許し下さい)


 サクラコは武芸に向いた性格ではない。だが状況を冷静に見極め、的確な判断を下す。その能力はずば抜けて高かった。これはサクラコの師匠である、現琴吹流頭首も認める所である。


「あとは、ザクロさんをここにおびき寄せるだけ。……よし!」


 すーっと息を吸う。これだけは使いたくなかった手だが、もはや四の五のは言ってはいられない。


「ザクロさんの、バカーッ!」


 静まり返った夜の闇に、情けなく裏返った声が響き渡る。きっと耳の良い彼女の事だ、どこにいようと確実に聞こえた事だろう。胸が次第に高鳴り、背中に変な汗がつたう。


 ザクロは格下のサクラコに対して絶対的な優越感を持っている。もしサクラコがバカにでもしようものなら、地の果てからでも聞きつけ八つ裂きにするだろう。ならばここは、もう一つ駄目押しだ。


「で、出て来い筋肉ダルマーッ!!」


 ちょっと言い過ぎたかも、とサクラコが後悔した時、明らかに辺りの空気が逆立った。やはり、獲物を前にして簡単に諦めはしないその性格、きっとこの辺に潜んでいると睨んだ通りだ。


「……さぁくぅらぁこぉおオオオオ!!」


 この暗がりでも分かる。般若のような顔をしたザクロが、これ以上なく怒張(どちょう)し、こちらを威嚇しているのだ。

 よし、と思った。いつもの冷静さを欠いたザクロなら、こちらの手を読まずに攻撃してくるだろう。しかもその胸元には大きな傷、ロザリーの最後の一撃は思った以上に深手を与えていた。


「もう怖くなんかありません。勝負です、禍忌(まがき)流!」

「ほざいたなぁ、サクラコぉ! もう、容赦はせん!!」


 ザクロは例の飛び道具をいきなり放った。背後に樹があることを承知でという事は、一か八かの短期決戦狙い。すでに見かけほどの余裕がないのだ。


「掛かった!」


 いつものザクロの決め台詞を、はじめてサクラコが口にする。案の定それはサクラコにかわされ、樹の幹へと突き刺さった。うっすらと見える霊糸は、以前のものに比べ遥かに弱い。上手くそれを操れないと分かると、ザクロは再び身体を肥大化させる。筋力増強術。禍忌流の奥義だ。


(よし、この隙に懐に……!)


 その術も所詮(しょせん)、霊力によるまやかしに過ぎない。恐れもせずにサクラコは勢い良く背後の幹を蹴った。


「琴吹流、八艘飛はっそうとびっ!」


 その時、サクラコは恐ろしいほどの跳躍を見せた。舞い散る桜と共に一瞬姿を消し、ザクロの目の前に再び現れたのだ。これこそ、サクラコの秘められた異能(マギア)、“神速”の力である。


「なっ!」


 変化途中のザクロは突然の事に、硬質化した腕の筋肉を突き出し防御態勢を取った。サクラコのかぎ爪は腕の皮を剥ぐ程度の威力に過ぎないが、目にも止まらぬ速さで襲いかかる。


「はあああっ!」

「ぐうっ!」


 まさかあのサクラコが反撃してくるなど、ザクロとしては思ってもみなかった。挑発と知りながらむざむざ現れたのは、手負いでも簡単に仕留められると踏んだからこそ。しかしその姿は、忍びである自分にすらも見えないほどの速度を誇り、反撃の余地すらもない。


「あり得んっ……まさか、この私が!!」


 そのあまりの迫力に、ザクロは幻覚を見た。そう、サクラコはその身に自分以外の何かを背負っている。烏帽子(えぼし)をかぶり、隈取りを施した和装の白き犬神。ザクロの目には、確かにそう見えた。まるでその頭上に、神の化身が降りてきたかのような……。


(まさか、あやかしの類いか……!?)


 あやかし憐れみの令。それは現在イヅモにて発布されている、超常的な怪異に対する危害を全面的に禁止する取り決めである。忠君のザクロとしてはそれに逆らえるはずもなく、反撃の手をわずかに留まらせた。


(くっ、しかし、よりによって犬神とは……)


 そしてそれは同時に、自身の大事にする愛犬の姿を思い起こさせた。現在、彼女は子を生んだばかりのため静養中のはず。そんな事に気を取られ、ザクロはついに無防備となった胸に一撃をもらった。


「そこです!」

「ぐおおおっ!」


 やはりここが弱点。ロザリーの抉った傷は、禍忌流の秘術をもってしてもすぐには治癒できないようだ。


「ザクロさん、解毒剤はいただきます!」


 切り裂かれた懐から解毒剤らしきものが覗く。しかし、それを奪おうと攻撃の手を休めたその瞬間、ザクロはようやく我に返った。


「調子に乗るなよ……サクラコおぉ!!」

「……っ!」


 いつもの恫喝(どうかつ)が轟く。それに対し、サクラコは優勢であるにもかかわらず、一瞬、動きを止めてしまった。これまでに幾度となく刷り込まれた恐怖心が、体を支配したのである。


「ひっ……」


 ザクロの豪腕が唸る。サクラコは空中で、限界まで膨れあがった腕により繰り出される拳をまともに腹に食らった。


「ぎゃふっ!」


 吐血による軌跡を描きながら、サクラコは背にしていた桜の木に激突した。その衝撃に、満開の花びらがサクラコに降り注ぐ。


「はっ、はひ……はひっ」


 衝撃が胸部を圧迫して呼吸困難に陥り、サクラコはその場でもがき苦しんだ。


「ふう、ふう……」


 少しずつ呼吸が整い始め目の前を見ると、ザクロはのんきに鼻歌を歌いながら近づいてきていた。


「かーごめ、かごめ……」


 彼女の頭にはサクラコの吐いた血がしっとりと覆い、流れるそれをゆっくりと味わうように舌を転がしている。そこにあるのは、般若をも通り越した、真蛇の面のような顔であった。ついに目の前に来た彼女は、目と鼻の先で音痴な歌を歌い上げる。


「後ろの正面……だあれ」

「あ、あ……」


 彼女の掌が炸裂音を放つ。禍忌流の秘術、骨子(こっし)増強術。この音を聞いて生き延びた者はいない。ザクロは倍ほどに膨れあがった両の掌で、ゆっくりとサクラコの頭を挟み持ち上げた。


「た、たすけ……」

「ふふふ、いつもの顔に戻ったなサクラコ。それ、それだ……貴様はしみったれた小便のような(つら)がお似合いよ」

「んー、んー!」

「さあて、では最後の楽しみといこうか」


 ああ、ここで命の恩人も救うことが出来ず死んで行くのか。サクラコはそう思うと、情けなくて涙があふれた。いや、あふれる物はそれだけにとどまらず、暖かいものが恐怖から股を伝う。そんな自分にほとほと呆れ、サクラコは再び目を閉じた。


 いっそのこと楽になりたい。早く止めを……。


 しかしザクロは掌に力を入れない。やろうと思えばすぐにでも握りつぶせるはずなのに。もしかすると、あまりの物足りなさに(きょう)()がれたのかもしれない。


(もしかして……た、助かった?)


 サクラコがそう思ったのも束の間――。


「ん、ふう……」


 ぴちゃ……、水気を含んだいやな音が響く。それに続いて、吐息と共に生暖かい何かが顔にまとわりつく。ぴちゃ、くちゅ、くぷっ。その音は次第に激しくなった。


「サクラコぉ……」


 サクラコはあまりの恐怖に再び目を開ける。そこには、蛇のような舌をサクラコの顔へと()わせ、快楽を愉しむように(ほう)けたザクロの顔があった。


「ひ……」

「私から、逃げるな……お願いだ」


 さらにサクラコの体には、ザクロの血まみれの胸部が押しつけられていた。否応にも、ぬらぬらとした生暖かい感触が伝わる。その行為も次第にエスカレートしていき、ついに感極まったザクロは、涙を流し叫んだ。


「おおお……サクラコっ、サクラコおっ!!」


 剥き出しの情欲をぶつけるザクロに、サクラコはどこか恐怖とは違う感情を覚える。


「ザクロさん……あなた……」

「はあ、はあ……。許せ……私の望みではないが、これのみが一族安泰の道。せめて苦しまずに逝け……さらばだ、サクラコ」


 ザクロは息を切らし、どこか満足したような顔で最後の別れを告げる。その一瞬、ザクロはとても悲しい顔でサクラコを見つめた。今までと何かが違う。それはまるで、永遠に別れを惜しむかのような余韻(よいん)


「いや……いやだ」


 彼女のこの感情は、今ならば自分にもわかる。

 失いたくない人がいるという、狂おしいまでの感情。

 そしてあの人がくれた、かけがえのない感情。


 ピシッ……。骨の(きし)む音が鳴る。サクラコは絶叫した。


「いやああっ! このままあの人を救えないなんて、絶対に嫌だあっ!!」


 すると突然、サクラコの叫びに呼応するかのように炎が辺りを包んだ。それは徐々に顔色を変え、ザクロへと襲いかかる。身を焦がすような灼熱。ザクロは火を払うために思わずサクラコから手を離した。


「くうっ、何事!」

「これは……火遁(かとん)の術? どうして……」


 勢いよく振り払われた炎は、次第に桜の樹にも燃え広がる。サクラコはその炎の出所を探った。ザクロの流派はあくまで暗殺術。火遁の様な派手な忍法は邪道とすら断じており、毒殺、あるいはその身体を駆使する技しか使わない。つまり……。


「まったく、世話が焼けるったらありゃしない」


 少しも空気を読まない、調子のいい声が夜の闇に響く。


「あなたは……」

「ちょっと、うちの子あんまりいじめないでくれる? それ、アタシのおもちゃなんだから」


 やがて炎の勢いが収まり、その向こうから人影が浮き出る。そこに現れたのは、緑の魔法帽を深くかぶった、真っ赤な髪の少女であった。


「ええい、また邪魔か!」

「良く分かってるじゃん、毒蛇女。いや、筋肉ダルマだっけ?」

「……うそ」


 あんなに自分に辛く当たってきた人が、まさか助けに来てくれたのだろうか。信じられないような顔で、サクラコはその燃えるような瞳を見つめる。そして、彼女からふとこぼれた笑みに、一転して心からの安堵を覚えた。


「ティセさんっ!」

「やっほー」


 しかし、ティセはサクラコの弛緩(しかん)した表情を一瞥(いちべつ)して、魔法を放つのをやめた。


「ティセ、さん……?」

「手助けはここまで。後はアンタの力で勝ちなさい、マレフィカの誇りにかけて」

「マレフィカ……? それはもしかして、稀妃禍(まれひか)のこと、ですか?」


 その瞬間、稀妃禍(まれひか)との言葉を聞いたザクロの様子が明らかに変わった。まるで、雷にでも撃たれたかのように表情を硬直させたのだ。


「な、に? サクラコが稀妃禍だと……!? そんな、ありえんっ!!」

「えっ、私が……?」


 それはサクラコ自身も初めて知る事実であった。

 思えば彼女は幼少の頃から、ずっと自分の力に自信がもてないでいた。だがそれは、下手にマレフィカの力を暴走させないため琴吹流が彼女をそう教育してきたためで、本人の能力の低さによるものではない。それほど、イヅモにおいてもマレフィカという存在は恐れられているのである。


「そっか……この力って、そういうことなんだ」


 (まれ)にこの世に現れるという、この世に(わざわ)いをもたらす妃女(ひめ)。それは、魔の時代の終わりと共に現れた、闇の残した子供。魔道を征くザクロの流派、禍忌流にとっても逆らえるべくもない相手……いや、むしろ崇拝に値する相手に他ならない。


「確かに、あの犬神……あれが、稀妃禍を守るという神ならば、全て合点がいく。そうか……ならば私は、闇の芽を、自ら……」


 ザクロは燃えさかる桜の木を見上げ、放心したように力なく笑っている。


「ふふ、サクラが、散る……。私の、呪縛もまた……」

「サクラコっ! 今っ!!」


 ティセが叫ぶのが先かサクラコが動き出したのが先か、サクラコはあらん限りの技をザクロにぶつけようとしていた。


「ザクロさん! あなたとの戦いもこれで終りですっ!」

「ああ、来るがいいサクラコ……私を、越えて見せろ!」


 ザクロは肥大化した両腕にて迎撃するも、サクラコの流れるような身のこなしは反撃の隙を一分たりとも与えない。さらに次々と繰り出される両手のかぎ爪が、ザクロの傷口を再び開いていく。


「や、やはり、お前は……」

「はあああっ! 琴吹流最終奥義、桜吹雪!!」

「ぎゃあああああーーー!!」


 宿敵、ザクロはついに敗れ、断末魔の叫びを上げながら派手に倒れた。


「はあ……はあ……ザクロさん!」


 サクラコは倒れたザクロに駆け寄った。限界まで熱された鉤爪により、むしろ胸の出血は止まっている。念のため、サクラコはガマの油を取り出し傷口に塗り込んであげた。


「ふっ……相変わらず甘い奴だ……。解毒剤が必要なのだろう、持っていけ……」

「ザクロさん……」


 サクラコは渡された解毒剤をその手に取り、しっかりと握りしめる。するとザクロは安らかな笑みを浮かべ、気を失った。


「ロザリーさん、お師匠様……。私、やりました……」


 これで恩人が救える。そう思った途端、全てを出し切ったサクラコもまた力尽きるように倒れ込んだ。


「サクラコっ!」


 慌ててそれを抱きとめるティセ。サクラコは、その胸の中でようやく安心したように寝言をつぶやいた。


「うーん、ティセさん……もう怒らないで……」

「こいつ、毒蛇女よりアタシの方が怖いっての……? ふふっ。ほんと、面白い奴ね……」


 厳しくも魔女の生きる道を説くティセは、彼女からするとどうやら明王(みょうおう)にでも見えるらしい。ティセはその細い身体を背負い、皆の待つ家へと向かう。


「ほら、帰るわよ。あいつが尻をでかくして待ってるんだから」

「むにゃむにゃ……まれひかサクラコ……ここにさんじょー……」

「ばーか……どんな夢見てんのよ、まったく」


 月の明かりに照らされて、炎を纏う血染めの桜。

 忍道と云うは、生きる事と見付けたり。それは臆病な魔女の見せた、ほんの小さな世界への反逆であった。




************




 明くる日、持ち帰った解毒剤とパメラの献身的な看護によって、ロザリーは嘘のように全快した。


「ロザリーっ!」


 ゆっくりと目を開けたロザリーの胸に、泣き明かしたパメラが飛び込む。ティセもまた照れたように笑っていた。そして、それをもじもじと見つめるサクラコ。


「あなたたち……」


 ロザリーは自身の置かれた状況を全て理解し、サクラコへとお礼を告げる。


「ありがとう、あなたが助けてくれたのね。確か、ざんばら髪の女にやられて……それからの事はあまり覚えていないけれど」

「いえ、元はと言えば私が巻き込んだ事です。ほんとに、ほんとにすみませんでした!」


 サクラコは丁寧にお辞儀をした。とても温厚で礼儀正しい少女だ。ただそれだけに、どうもこの結果が信じられない。どこか怪訝(けげん)な表情で、ロザリーはサクラコを見つめる。


「それにしても……あなた、あの女と戦ったの? 失礼だけど、とても勝てるようには……」

「勝ったから、ロザリーはこうして元気になったんだよ。ねー、サクラコちゃん」


 パメラがサクラコの頑張りを称える。彼女のとびきりの勇気が、ロザリーを元に戻してくれた。それだけは揺るぎない事実だと。


「えへへ……」


 微笑むサクラコの頭に手をのせ、なぜか得意げなティセが続ける。


「そっ、アタシの目に狂いはないの。なんたって、こいつはアタシが見込んだんだからね。逆に、ロザリーが弱すぎるんじゃない? 何その筋肉、もしかして飾り?」

「ティセ、言い過ぎ!」


 ティセの調子の良い言葉をパメラがたしなめる。ただ、ロザリーはそんな毒舌に言い返す事もなく、サクラコに向き直った。


「そうね、確かに私、どこか慢心していたわ。気づかせてくれてありがとうね、サクラコ」

「いえっ、逆に私にとっての恩人は、ロザリーさんですから」

「ねえ、アタシは?」

「はい、もちろん……命の恩人です……」

「当然よね。最強のマレフィカは、このティセ゠ファウスト。覚えておきなさい」


 ぺしぺしとその丸っこい頭を叩くティセ。信じられない事が続くが、彼女はどうやらサクラコを気に入ったらしい。


「まれひか……。あの……ここにいる皆さんその、稀妃禍なんですか?」

「うん、そうだよ。サクラコちゃんも私達の仲間、だね!」

「仲間……」


 禍いをもたらすというには、あまりにも清らかなパメラの笑顔がサクラコにまぶしく映る。それに、どこか憧れていた仲間という響き。そこに自分も入れてくれる喜びが、ずっと一人旅を続けていた身に優しく染み渡る。


「アンタさあ、アタシらと一緒に組まない? マレフィカって一人だと危ないからさ」

「ええ、良かったら、私達と共に行きましょう。正直言うとね、心配なの。またあの女に襲われるとも限らないし……」

「あ、ありがたい申し出ですが、私には大事な任務が……」

「任務? ふーん、どんなどんな?」


 サクラコはためらうように言葉を詰まらせたが、恩人を無下にはできない。極秘事項であるその内容を話すことにした。


「はい……。私の使命、それは“(ひじり)がであな”という人を探す事。そのために、まずは“あるてみす”に向かう途中でした。そこならば、“がであな”への定期船が出ているという話でしたので」


 つまり、彼女はロザリー達が辿ったルートで逆にガーディアナへと潜入しようとしていたらしい。さらに、(ひじり)はセイント。がであな、とはガーディアナの事。つまり、探し人というのもセント・ガーディアナの事を言っているのだが、当の本人は全く気付かない。


「おしり、でかいな? ふふっ、変な名前の人だね」

「そうなんですよ。探すのも一苦労で……。ん? どうして皆でロザリーさんを見ているんですか? ま、まさか……」


 ふいに皆の視点がそこへと集まり、ロザリーは慌ててお尻を隠す。


「わ、私じゃないし、そもそもお尻じゃなくてヒジリよ……。とりあえず、もしガーディアナへ行くつもりなら、やめておいた方がいいわ。いや、行かせるわけにはいかない。魔女に対する取り締まりはここの比では無いの。わざわざ捕まりに行くようなものよ」

「そんな……」


 サクラコは大きなため息をついて見せたが、本当の所、使命などもうどうでも良かった。 初めて、何かをやり遂げた。絶対に越えられないと思っていた壁を越えることができた。そして、“誰か”のためにこの力はあったんだと教えてくれた繋がりを、大事にしたいと思った。


「人捜しなんてウチらと一緒でもできるでしょ、何なら手伝ってあげてもいいし」

「うん、ヒジリさん、見つかるといいね!」

「は、はい、嬉しいです。ありがとうございます!」


 サクラコは照れくさそうにはにかんだ。稀妃禍は忌み嫌われる存在などではなく、同じ仲間だと言ってくれる。ならば、そこに断る理由などなかった。


「サクラコ、改めてよろしくね。頼りないかもしれないけど、今度は必ず私があなたを守るわ」

「ロザリーさん……うう……ずびー!」

「もう、泣かないで。さあ、私もサクラコに負けないように修行よ、修行!」


 新たな仲間を迎えリーダーとして情けない所は見せられないと思ったのか、ロザリーは病み上がりな様子は少しも見せず軽快に外へと駆けだしていった。


「ロザリー、無理したらまた熱が上がるよ!」

「まあ、バカは放っておくとしてさ、アンタの事もっと聞かせなさいよ」


 ティセはサクラコについて興味津々な様子で、ずずっとサクラコにすり寄る。実は可愛いもの好きなティセは、小動物のような彼女が最初から気になっていたのだ。


「ねえ、あの毒蛇女の雰囲気からして、アンタもそっち系だったりするの?」

「そっち、ですか?」

「サクラコちゃんはまだ子供なんだから、そういう事教えたらダメ!」


 何がなんだか分からずにいるサクラコ。パメラはとりあえずほっと一安心しつつ、助け船を出した。


「何よ、アンタだって子供じゃん。あ、そういえばサクラコって、歳いくつだっけ?」

「今年で十四歳になります。一応、これでも元服(げんぷく)はしてるんですよ」

「わあ、私のいっこ下だ。私の事、パメラお姉ちゃんって呼んでいいからね」

「ふふーん、アタシなんて十六だもんねー」

「そう言えば、みんな一個ずつ違いだね。ロザリーは十七歳で、一番お姉さんなんだよ」

「わあ、そうなんですか。通りで落ち着いた素晴らしい女性だと……」


 そんなこんなで三人が談笑を続けていると、遠くからロザリーの素っ頓狂(すっとんきょう)な声が響き渡る。


「わ、私と父さんの樹がー!!」


 慌てて戻って来たロザリーは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「み、みんな。あの森にある桜の樹、知らない? 今見たらボロボロに……」

「あーそれ、見事に散ったよ。サクラコのせいで」

「わ、私じゃないです! それはティセさんが……」


 それを聞いたロザリーは「わあっ!」とパメラに泣き付いた。


「そんな、とおさんとの……とおさんとの思い出がぁ」

「ロザリー大丈夫? よしよし……」

「ねえきいて? とおさんとね、あのきでね、いっぱいしゅぎょうしたの……。わたしのせいちょうにあわせて、めじるしとかいれてくれて……ひぐ、ひぐ」

「あちゃー、毒が頭にまで回ったか。サクラコ、これのどこが落ち着いた素晴らしい女性だって?」

「え、ええっと……」


 三人はその日、いつ終わるともしれない思い出話を聞かされる事となる。

 果たしてここでうまくやっていけるか、初日から少し不安になるサクラコだった。


(……お師匠様、どうか見ていて下さい。琴吹桜子、せいいっぱい頑張ります!)




 誰よりも優しく、少し臆病な少女サクラコとの出会いを機に、皆の心はこうして少しずつ結束していく。そして、ロザリーを中心に取り巻く魔女達の絆の力もまた、より強固なものとなった。


 一人ではか細い糸も、縦に横にと編み合わせ、いつか希望の旗となる。

 そんな日を夢見て、ロザリー達は暖かな藁のベッドで寄り添うようにして眠るのであった。


―次回予告―

 ガーディアナという世界の掟。

 どこへ行こうとも、その聖なる鎖からは逃れることはできない。

 ならば全て断ち切ろう。それこそが、魔女達の新たな決意。


 第24話「サクラメント」

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