第21話 『故郷にて』
国を巻き込んだティセのお家騒動を解決したロザリー達は、アルテミスの帆船に揺られ次の目的地であるローランドの辺境へとやってきた。
ここはすでに鬱々とした廃墟の立ち並ぶ土地。それでも、ロザリーにとってはかけがえのない故郷である。
「ローランド……。やっと、戻ってきたのね……」
ロザリーの瞳は様々な思いに滲んだ。いつかの作戦で離れてからもずっと心残りだったのは、そんなローランドの置かれている現状。
五年前より始まった司徒ジューダスによる新たな統治下では、当然ながら民に対し無関心であるがゆえの内政腐敗が起きていた。そんな彼が唯一求めたもの、それは魔女であった。そのため魔女崇拝の国ローランドでは、皮肉にも非合法な魔女狩りが日常茶飯事となって久しい。
一方、地方を治める領主達が持つはずの権限は、各地に派遣された司祭によって剥奪され、やがて末端の自治すらもままならなくなった。その結果、残された民は本国ガーディアナからの見せしめとも呼べる圧政に苦しめられ、法外な税を要求される事となる。さらに、神徒でない者達には信仰の改宗が義務づけられ、祖国への忠誠心を捨てられない人間は、着の身着のまま難民として国外へ出て行く事を余儀なくされた。それでもこの地に残る者は教会への奉仕を強制され、今も奴隷のような生活を続けている。
しかし、今回訪れた東ローランドは、比較的治める価値の乏しい辺境の地。警備の目も行き届いておらず、幸運にも何事もなく船で乗り付ける事ができた。どうやらこれも、女王の掛けたステルスという魔法の効力らしい。
ロザリー達は船を下りる際、アルテミスの魔法兵達と見送りの挨拶を交わす。
「ここまでありがとう。あなた達も、誰かに見つかる前にアルテミスに帰った方がいいわ」
「本当に皆様だけで行かれるのですか? 私共もぜひお側に……」
「いいって言ってるでしょ。あなた達はアタシの代わりにアルテミスを守って。それとも、王女の命令が聞けないっていうの?」
「そんな、めっそうもない! ですが、だからこそ私共も心配で……」
魔法兵達の心配はもっともである。ここはかつての同盟国とはいえ、今は占領下の敵地でもあるのだ。しかしパメラの正体の事もある。事情が事情なため、この旅はあくまで秘密裏に行いたかった。
「心配しなくても大丈夫よ。私達もあまり目立ちたくはないから、少人数で行動したいの。皆の安全については、私が責任を持つわ」
「姫騎士様がそれほどまで言うのでしたら……。それでは皆様、どうかご無事で!」
「ほら、分かったならさっさと帰りなさいよっ!」
「ひ、ひいー」
怒ったティセにお尻を蹴られるように、アルテミスの船は去って行った。これで、もう退路はない。三人はローランドの海岸を、少しばかりの心細さと共に歩き出す。
「さてと、これでやっと自由ね!」
「ティセ……何もそんな追い立てなくってもいいでしょう」
「ロザリー、あいつらを甘く見たらだめ。アルテミスには監視魔法なんてものもあるんだから。きっとママに言われて、逐一報告するつもりだったんだわ」
「それは、さすがに辛いわね……」
軽い会話で気を紛らわせるも、山道に入った所でパメラの足取りが少し重くなる。彼女もまた、ガーディアナによって支配された地を見る事に少なからず恐怖があるのだ。
「ねえ、ロザリーの故郷って、ここから近いの?」
「そうね、この山を少し越えた所にあるはずよ。今も変わってなければいいけど……」
「うん……みんな、元気だといいね」
そこは幼い頃、父と母と三人で初めてこの国に流れ着いた時に住んでいた寒村、オルファ。ロザリーにとって実に十年ぶりの里帰りとなる。
「ええ、きっと大丈夫。きっと……」
山を抜け、そこに見えてきたのは、自然の中で生きる人々の営みであった。戦禍の中にあった街に比べ、その風景はほぼ無傷といってもいい。二人は顔を見合わせ、ほっと胸をなで下ろした。
「あった……私の村だわ」
「良かったね、ロザリー!」
「ええ……!」
村へと入ったロザリー達は、まず人を探した。
もともと人もまばらな土地ではあったが、今はさらに閑散としている。しかし、未だこの地に住んでいる顔なじみの者もいた。お世話になったおばあさん、やんちゃを叱られたお爺さんなど、他に行く当てもなく、旅をする体力もない年寄りが多いようだ。逆に、近所のお友達や学び舎の先生などの姿は見当たらなかった。
「もしかして、ロザリーちゃんかい? まあまあ、こんなに立派になって……」
「おばさん……! お久しぶりです」
「国のために戦って、みんな命を落としたと聞いたよ。無事で良かった……」
中でも近所のおばさんはロザリーを見るにつけ驚いた様子で、果ては涙まで流して歓迎してくれた。
「すみません、帰るのが遅くなってしまって。誰にも話せない事情があったんです」
「ええ、ええ。分かっているわ。風の噂で聞いたレジスタンス。あれはあなた達だったんでしょう?」
「それは……まあ、みんないなくなってしまった今、隠しても仕方ないですが」
「そうか……それは辛かったねえ」
世間話もそこそこに、一同は以前住んでいたロザリーの家に案内される。あばら屋ではあるが、手入れは行き届いていた。どうやら彼女がずっと管理してくれていたらしい。
「懐かしいだろう。ブラッドさんが一人で建てた時にはびっくりしたもんだよ」
「ええ、まだ残ってるなんて……」
「英雄様のおうちだからね。いつか戻ってきてはくれないかと、領主様も時々訪れていたほどだよ」
その辺りの木で組んだだけの豪快な造りの家だが、未だ崩れないほどに丈夫で、通気も良く機能的。父はその腕を見込まれ、この村でしばらく大工仕事をしていた事を思い出す。
早速パメラとティセは旅で疲れた体を、干し草の上にシーツをかけただけのベッドへと沈めた。
「ふかふかー!」
「これぞ庶民の暮らしって感じね。悪くないわ」
「ふふ、母さんが作ってくれたベッドよ、懐かしいわね」
ロザリーは昔の自分のようにはしゃぐ二人を見て思わず微笑む。しかし、その瞳はどこか、遠く想い出の向こうを見つめていた。今は亡き母、オリビアの友人でもあったおばさんは、たまらなくなりロザリーを抱きしめる。
「ロザリーちゃん、これからはおばさんの事、お母さんと思っていいんだからね」
「……ありがとうございます。これから少しだけ、甘えさせて下さい」
「いいのよ。私も娘を教会に連れて行かれて、寂しいの。今頃、お勤め先の修道院でどうしてるかしら」
「そうですか……そんな事が」
気丈に見えた彼女もまた、日々を耐えていた。この村の惨状を目の当たりにすると、どうしてもよぎる心配。レジスタンスをしていた頃様々な街を見たが、そのどれもが教会の支配に置かれ、半ば奴隷のような暮らしを強いられていた。ロザリーはかつて幾度も解放作戦を提案したが、中途半端な救済は逆に反乱分子との口実を与え、締め付けも厳しくなるとその都度ギュスターに止められたのだ。
しかし、今は以前とは違う。司徒ジューダスは他国を攻めるため遠征し、軍も縮小しているはず。何より、これ以上苦しむ同郷の人達を見たくはなかった。
「おばさん、良かったら私達と一緒に、国外へと脱出しませんか? ここの生活も苦しいんでしょう」
「そうしたいんだけど……どうしようもないのよ。私達は改宗したから、この国からの逃亡は罪になるの」
「まったく……。なんでガーディアナなんてクソ宗教に入ったのよ」
事情を知らないティセが口を挟む。おばさんは深いため息をつきながらそれに答えた。
「ここは元々流れ者の村。ここにいる人達の多くは、行く当ての無い所を無償で受け入れてくれた領主様のためにとどまるしかなかったの。そんな領主様は今、ガーディアナ小教区の砦に軟禁されているわ。そこには私の娘をはじめ、村の若者も奉仕に出向いている。下手な事をしたらどうなるか……」
「そんな……ひどい」
パメラは母国の侵略による現実を目の当たりにし、その瞳を伏せた。彼女が聖女である事が万が一ばれないよう、ロザリーはおばさんへと深くお礼を告げ、その場はひとまず帰ってもらう事にした。
「とりあえず、後は私達でやります。本当にお忙しい所、ありがとうございました。おばさんも、手伝える事があればいつでも言って下さい」
「ええ、若い子が来てくれて助かるわ。機織りの仕事、人手が足りなくてね。良かったら今度お願いするわ、お給金は少ないけれど」
そう言えば、ここオルファの特産は織物であった。昔はそれを売ってそれなりに裕福な暮らしをしていたはずだが、今ではガーディアナに安く買いたたかれるのだという。彼女は、その仕事で酷使した肩を叩きながら帰っていった。
「おばさん……」
「あーあ、どこも辛気くさいったら。……そうだ! アタシ達でガーディアナの奴らがいるとこに乗り込んで、ぶっ潰してやらない? 最高に面白いと思うんだけど!」
「そうね……。私もそれを考えていたわ。いつまでも奴らの好きにはさせない」
「えっ!? それは……」
珍しく気が合ったティセとロザリーであったが、パメラはやや否定する体をとる。
「……何よパメラ。アタシら、奴らと戦うために旅をしてるんじゃない」
「そうだよね。ううん……なんでもない」
「ふーん」
ティセはどこか乗り気じゃないパメラに疑問を抱く。だが聖女であるパメラにとって、またも身内の兵に犠牲を出す事は複雑な所であろう。何より、ティセは手加減を知らないのだ。
ロザリーはこの話をひとまず流すため、慌てて目下必要な衣食住の話題を取り上げた。
「まあどちらにしろ、少しの間ここで生活をする事になるわ。私は食料を調達してくるから、あなた達は掃除や水回りの事よろしくね。井戸は裏手にあるから」
「そこにおトイレすればいいの? おしっこ、ずっと我慢してたんだ」
「バカー! 飲み水に変なもの混ぜるな!」
「トイレは家の横の小屋よ。水で流せないから、貯まったら私が処理するわ。ここでは確か、肥やしにも使うのよ」
「えっ、ロザリーに見られちゃうの……?」
水洗のトイレしか経験してこなかったパメラは、そのギャップに戸惑い途端に顔を赤くした。旅の途中はもっぱら屋外排泄であり、それですら羞恥極まる行為であったのだ。
「やっぱり、するのやめた!」
「年下のおしめをどれだけ替えたとおもってるの。今更気にしないわ」
「おしめ……うう、よくおもらしするからって、侍女に無理矢理つけられそうになった事思い出しちゃった……」
ガーディアナ時代に自分を世話していた侍女、メーデン。彼女は筋金入りの聖女マニアでもあり、あの手この手で自ら聖水と呼称するその液体を手に入れようともくろんでいたのである。今思えば、かなりの変人だ。
そんなこぼれ話に、ティセはまたも疑惑の眼差しを向ける。
「パメラ、ただの村娘って聞いてたけど侍女とかいたんだ? そう言えばアルテミスでも堂々としてたよね、やけに洗練されてるっていうか。貴族の作法、完璧だったし」
「ちょっ、ちょっと、そんな事ないわよね、パメラ!」
「う、うん! 侍女じゃなくて、じょじょーっておもらししちゃったって事!」
「ぷっ、ちょっと苦しくない? まあ、アンタが普通じゃない事なんて今さらでしょ。言いたくないなら、別にいいけどね」
だめだ、結局またもティセにヒントを与えてしまった。もし正体がバレて、この二人が対立するなんて考えただけでも恐ろしい。剣士である自分には止める術などはないのだ。
「じゃあパメラはおうちのお片付け、ティセは水くみと火の確保、お願いね!」
「はーい!」
「へいへい、やりゃあいいんでしょ」
とりあえずそれぞれに出来る仕事を指示し、ロザリーは食料を確保に一人出かける事にした。
「母さんと歩いた道……」
ロザリーは嘆息した。家の近所、学び舎、よく母と散歩をした道。昔よく遊んだ風景も、今は変わり果てて見る影もない。時を超えて目にする全てが、記憶の残り香を感じさせたまま、力を失ったように色あせていた。
しかし、道行く人々は皆あたたかい。ロザリーを覚えていた農家のおじさんなどは、いくつかの食料を分け与えてくれた。しかし、教会の取り立てによって彼らの取り分はほとんどが消えるという。すっかり痩せていたおじさんを不憫に思ったロザリーがお金を差し出すと、彼は涙をのんでそれを受け取ってくれた。
「おお、金貨などしばらく見かけなんだ……。しかしこんな大金、受け取っていいものか……」
「食料のお代です。そもそもこれは親切な方に分けていただいたお金なので、お礼はその方にでも」
このお金は人助けに使うのが一番だと思えた。所有者であるビアドも、こうする事を望んでいるだろう。彼にもらった優しさを、次は誰かに与える。そうする事が、彼の望んだ世界に繋がる気がした。
「ありがとうな、これでまた牛馬が飼える……ここは土も硬く、一日にできる作業にも限界があってな。これも無理な耕作がたたり、だんだんと土地が痩せてきたせいだ。だがそうでもしないと、ガーディアナに追徴税まで取られる事になる」
金貨を大事そうに握りしめるその手には包帯が巻かれており、所々血が滲んでいた。
「おじさん、手に怪我を……。あのっ、よかったら私に手伝わせてくれませんか? 昔、よく畑のお手伝いしていた事、思い出しちゃって」
「ロザリー……本当にすまない」
人の親切に対し、どこまでも申し訳なさそうに頭を下げる人々。それほどまでに、この国はゆとりを失ってしまったのだろう。
ロザリーは枯れた作物の転がる田畑へと連れられ、土を耕す仕事を引き受けた。この鍛えた体の使い道もなかった所、久しぶりの畑仕事にも力が入る。
「ふっ、ふっ」
まさに、剣の素振りをするような動きで次々に土を耕していくロザリー。しかしどんなにくわを振り下ろしても、水も吸わないような土しか出てこない。こんな土地で、お世辞にもとても作物が育つようには見えなかった。
「これは……ひどい」
「水も肥料も足りなくてなあ。本来なら流れてくるはずの領主様が整備した水源は、ガーディアナ小教区への農地に全て回されるんだ。今はとりあえず雨水で凌いではいるが、日照りが続くとどうしようもない」
「やっぱり、それも奴らの仕業なのね……」
子供の頃は色んな野菜を見た気がするが、今はマメ類やイモ類、織物に使う亜麻などしか育ててはいないようだ。確かにそればかりを食べ栄養も失われた肥やしでは、肥料としても良いものにはならないだろう。
「あの、こんな事でよければ、またいつでもお手伝いします。しばらくここに居るつもりなので」
「気持ちはありがたいが、いいのかい?」
「ええ、よく食べる仲間もいますし、少しでも助けになりたくて」
「すまない、せっかくの里帰りというのに……山ほどの料理を食べさせてあげる事が、農家にとって一番の喜びのはずなんだが」
再会した人々との会話だというのに、どこまでもつきまとう景気の悪さ。さらに彼は、良かった頃を思い返してはぼやくようにつぶやいた。
「こんな時ブラッドさんがいたら、きっと何とかしてくれたのだろうな……」
「そう、ですね……」
人々の何気ない一言に、改めて父の存在の大きさを感じる。ロザリーはおじさんと別れ、返す返すこの現状を噛みしめた。
「これが、今のローランド……」
ロザリーは一人こうして感傷に浸りながら村を歩き、気づくと村はずれの森へと来ていた。どうやらある場所へと、自然に足が向いていたらしい。
「あれは……」
しばらく歩くと、桜の花びらがひらりと肩に舞い落ちた。そして目の前に開けたのは、父との想い出の場所、よく剣の稽古をしてもらっていた大きな桜の樹の下。ここだけは以前とあまり変わっていないのが昔を鮮明に思い出せて、逆に悲しかった。
寒の明けも過ぎ、ちょうど家族で花見をした季節。今も変わらず、桜は満開にロザリーを迎えてくれた。
「ただいま。父さん……」
ここに移住した際に、父が個人的に深く思い入れがあるという桜の樹を共に植えた。今ではたくましく成長し大きく広がった樹の下にいると、まるで父に見守られているような感覚が沸き起こる。
――ロザリー、剣はこうやって振るんだ。身体に覚え込ませろ。
子供の頃、いつもここで父の素振りを見ていた。この桜の樹と同じく、父の動き、剣筋一つ一つがまぶたに焼き付いている。いつしかそれは、かけがえのない自分の血肉となった。
ロザリーは剣を取り出し、その下で父と同じように素振りを始めた。父の、荒々しく、攻撃的な、筋量に物を言わせた斬撃。けれど成長した今のロザリーにも、その真似事ならばできる。力強い背筋は全ての始動の起点となり、それを発達した上腕へと伝える。確かな握力は重い剣も自らの一部とする。そして地に踏み込む大腿の力こそ、その剣筋を何倍にも威力あるものへと変えるのだ。
「ふっ、はあっ!」
その剣圧に、周囲の桜の花びらが舞った。
感応の力、一度は目覚めたはずの異能。しかし、いつしかまたも使えなくなった。いや、魔女の異能など無くとも、この確かな繋がりがある限り戦えるはずだ。最後に頼れるのは、やはり剣の道、その一つだけ。
「私はこの剣で、どんな運命も切り開く。見ていて、父さん……」
ロザリーはやはりこの地を救うべく動く事が、ここへと来た意味であると確信する。何より、父ならばそうするだろう。しかしその事に心痛めるパメラのため最小の犠牲でという制約の中、たった三人でとなるとやはり厳しい戦いである事も事実だ。
(私が強くならなければ……。そう、もっと強く)
ロザリーは無心で鋼の刃を振るう。立ちふさがる苦難を、鋼の意思にて振り払うように。
「――はあっ、百八十二! 百八十三……!」
……けて……たす、けてっ!
「ん……?」
しばらく無心で汗をかいている中、ロザリーは何かを目撃する。突然森の中を何かが通り過ぎたのだ。いや、駆け抜けた……というほうが正しいか。キン、キンという、何かが弾き合う音。そして、少女のかすかな叫び声。この国において逼迫したその悲痛な声は、かつて幾度となく聞いたものである。
「まさか、魔女狩り……!?」
ロザリーは胸騒ぎを覚えつつ森の中へと向かった。悠然と見下ろす桜の樹に、ありったけの力を貰って。
―次回予告―
桜舞う地に舞い込んだ、異国からの来訪者。
使命を果たせぬ臆病者には、死あるのみ。
それだけが、たった一つの忍びの定め。
第22話「臆病な忍者」