第20話 『ダンジョンマスター』
最初の難関、ゴブリンの集落を踏破し順調に勝ちを進めるマレフィカ達。女王から与えられた課題もひとまず乗り越え、あとは後半戦を残すのみとなった。
しかし、次なる第6層で早速アクシデントが発生した。石造りの迷宮にて突如として襲いかかってきた8本足のトカゲの魔物バジリスクに、ロザリー達は為す術もなく石にされてしまう。その目を見た者は、全て石となる呪いがかかるのだ。
いわゆる初見殺しである。別名、クソゲー。対策無しではどうにもならない上、ここまで来た冒険者も少なく、トゥインクルさえ事前に情報を掴めなかった。
ゲームオーバー。と本来ならなる所であるが、一人だけそれが通じない者がいた。パメラである。うっすらと張っていた戦術護霊により、彼女に張り付いた石はたちまち光に溶けた。
「むー!」
怒ったパメラが光の鏡を向けると、哀れ、自分の姿を見たバジリスクはそのまま石化し、魔力までも失い粉々になった。もはや正攻法でも何でもないが、クソゲーにはチートで対抗するしかないのだ。
「ロザリー達、石になっちゃった……」
一人残された心細そうなパメラの呟きに、しばらくおとなしくしていた心の声が現れる。
――聖女様、困ってるみたいだね。こういう時は、キスしたら治るかもしれないよ? 聖女様の力、こういった状態異常? ってやつにも効いたりして。
「えっ、そうなの……?」
――ほら、物は試し。今なら誰も見てないし、人助けだと思って。それに多分、この力は唇同士が一番伝わるんだよ。ロザリーの力もそうでしょ?
「う、うん」
パメラは仕方ないなーというそぶりをしながら、少し変なポーズで固まっているロザリーに触れる。
「つめたい……」
――それ、ぶちゅっといっちゃえ!
パメラはそのまま石化ロザリーの唇を奪う。いつもの熱い吐息もなく、ただ、ひんやりとした物言わぬ彫刻。心躍るはずのキスも、何か物悲しい。
(ロザリー、お願いっ)
――ロザリー……!
二人の祈りにより、いつも以上に沸き上がる浄化の力。その献身の光はロザリーの唇を文字通り溶かし始め、次第にボロボロと顔の表面の石までもが剥がれ落ちた。魔力が作りだしたバッドステータスならば、彼女の前には無力に等しいのである。
「わ、ホントに戻った!」
――ふう。お姫様のキスで王子様は目覚めましたとさ。めでたしめでたし。
「ふふ、またキスがしたいだけかと思っちゃった」
――まあ、そうなんだけどね!
石化を解かれたロザリーは、どこか興奮気味のパメラを目の前にある異変に気づく。
「ん……、パメラ? って、何で私、下着姿に!?」
「あ、あれ? そういえば私もだ。キスに夢中で気がつかなかった」
「キスにむちゅー? まさか、パメラ……私の寝込みを」
「ち、違うからっ!」
たいして違わないが、そんな事よりももっと深刻な問題が発生しロザリーは思わず声を上げた。
「ああー! せっかく集めた装備が粉々になってる!」
「あ、そっか、再生の力でも、物は直せないんだっけ」
石化から助かるのはどうやら生き物のみのようだ。例外として、下着は持ち込んだ私物なのでセーフらしい。ロザリーは粉砕した愛用のロングソードを拾い上げては、一人悲しみに暮れた。
「うう……ソードマンから剣を取ったら、何が残るというの……」
「でも、ロザリーが無事でよかったよ。あとはティセ達だけど……」
とりあえず一安心したパメラだが、ティセ達はまだ石化している。もしかすると彼女達にもキスをする必要があるのかもしれない。
(ティセと、キス……)
人のキスに嫉妬した手前、今度はロザリーに対し罪悪感が襲う。でも、ロザリーにキスをしたティセにキスするのは、もうロザリーとするようなものだと無理矢理自分を納得させた。すっかりキス魔である。
「ロザリー、ちょっとあっち向いてて!」
「何よ、変な子ね」
さっと後ろを向かせた隙に、間抜けな表情で固まったティセとフレンチなキスをする。トゥインクルに関しては、何度もその鼻先にしているので抵抗はない。
「んちゅ」
パメラは少し、石の層が溶ける時に現れたティセの熱く柔らかな唇にドキリとした。キスって、人によってこんなに違うのだと。
「……んあ? なんでみんな裸なのよ?」
「……オイラ達、何してたにゃあ? 確か、ボスらしき魔物がいたような気がするにゃあ」
「わ、私が倒しておいたよ! えっへん」
『レベル22・バジリスクを撃破。これで第6階層突破となります。装備全ロストによる救済措置として、今回は最低限の装備をお渡しします』
「うえー、また初期装備じゃん!」
「まあまあ、クリアできただけ良かったと思いましょう」
石化から解放された二人と一匹は、何が起こったのか全く分からないまま階層をクリアした。そのため、結局ここだけはウィキが更新される事はなかったという。
続く第7階層。今度は黒魔術師によって造られた神殿にて、つちくれの魔物ゴーレムが現れる。
見上げる程巨大なそれは、もはや絶対無敵に見えた。何よりロザリーは、かつてローランド戦役にて相対した巨人タロスを思い起こし、少しばかりの恐怖に打ち震えた。
「あ、あれは……」
――聖女様、だめ……。この巨人は、ロザリーにとって……。
(……うん。タロスの事は知ってる。あの兵器のせいで、ローランドがどうなったかというのも)
聖女の立場としても、その作戦には反対した事を覚えている。しかし、どうしてもローランドの魔女狩りに参加できないという聖女の代わりとして、教皇が有無を言わさず派遣したのだ。パメラにとっても、それは苦い過去である。
「ロザリー、大丈夫。ここは私にまかせて」
前回の戦いにより、皆装備も不十分。ならばとここもまた、パメラが一人歩み出た。それに反応したゴーレムは足を上げ、パメラを踏みつぶそうとする。
「そっちがその気なら!」
――聖女様、おねがいっ!
パメラは光のバリア、戦術護霊を全力で展開する。その光に触れたゴーレムの足はたちまちに崩れ落ち、轟音と共にそのまま崩壊した。その後ろでそれを操っていたであろう黒魔術師達も敵わないと悟ったようで、我先にと散り散りに逃げ出していく。
「ありがとう、パメラ……」
ロザリーの過去を蝕む巨人は去った。気休めに過ぎないが、それでも二人の心の闇は幾分と晴れ、同時に進むべき次なる道が照らし出される。
『レベル30・ゴーレムを撃破。第7階層突破です! さらに、ステージ歴代一位となるタイムレコードを記録しました! アンビリーバブル!』
「うん、もうさ、パメラだけでいいんじゃないかな?」
「いえ、あの子の魔力はもう少ないはずよ。ここからが勝負所ね……」
「残すはあと3階にゃ……。みんな、がんばるにゃ!」
そして、ようやく訪れた第8階層。次は今までと違い、晴れやかな空の下が舞台。そんな見晴らしの良い小高い丘の上に早速、空からバサバサと何かが降りてきた。
鷹のような顔に、獅子のような身体。そして大空を駆ける大きな翼を持つ魔獣、グリフォンである。
「あれはオイラと同じ、使い魔に属する魔物にゃ。でもあれほどの使い魔を使役できる魔術師となると、相当の魔力を持っているはずにゃ」
「背後にとんでもない飼い主がいるって事ね?」
「おそらく、ダンジョンマスターかもしれにゃい……」
「なるほど、ボスのペットか」
知性も合わせ持つグリフォンは、久方ぶりの来客に上機嫌で話しかけてきた。
「ようこそ、ラビリンスへ。ここまで人間が来たのはいつ以来だろう。歓迎するよ」
「紳士にゃ……」
「ねえ、アタシ達早くここをクリアしなきゃならないの。良かったら通してくれない?」
「ふむ。ではその資質があるかどうか、見極めなければね。実力もなくここを通れたとしても、次の魔物に殺されに行くようなものだ」
グリフォンはあくまでも戦うといった様子で、翼をはためかせた。馬すらもひとつかみというその大きな爪に掴まれては、おそらくひとたまりもないだろう。
「みんにゃ、ここはひとつオイラに任せるにゃ。同じ使い魔同士、もしかしたら説得できるかもしれにゃい!」
「ええ、グリフォンは確かアルテミス王家の象徴でもあるのよね。戦うのは少し気が引けるわ。お願いね」
トゥインクルはここが見せ場とばかりにその背中からコウモリのような翼を生やし、グリフォンの所へと飛んでいった。
「にゃあ、にゃ、にゃにゃあ!」
「がう、がう、がおお」
大げさな手振りで何かを伝えるトゥインクル。グリフォンも時折ティセを見ては、何かを納得したように頷いている。
「ねえ、あれって何話してるのかな?」
「さあ。あいつら、ご主人様に聞かれたくない話は獣言葉で行うのよ。まさか変な事言ってなきゃいいけど」
しばらく話し込んだ後振り返ったトゥインクルは、ウィンクと共にこちらに肉球を開いてピースサインをして見せた。そして役目は果たしたとばかりに、ご機嫌でパタパタと戻ってくる。
「どうだった?」
「行っていいらしいにゃ! それから、ダンジョンマスターによろしくって」
「だから誰よそれ……まさか、ママじゃないでしょうね」
「それは秘密だってにゃ」
『説得成功。第8階層クリアです。次はいよいよ最強の魔物との戦闘となります。お気をつけて!』
「ごくり……。最強となると、何がでてくるかおおよそ想像出来てしまうわね」
「にゃあ、さすがにこの装備じゃ無理だから、グリフォンさんが装備をくれるらしいにゃ」
ロザリー達はグリフォンの守る宝まで手に入れた。そこにはなんと、これまでで最強の装備が一式入っている。
「グリフォン様々ね。でも、どうしてそこまで……」
「まあいいじゃん、くれるって言うならさ」
それらに着替えた一行は、まるで最終ダンジョン前の最終装備に身を包んだ勇者達のように見違える戦力となった。おまけに、手に入ったアイテムで全回復まで行うことができた。
「よっし、それじゃあどれだけ強くなったか、もう一度確認するわよ」
ティセは嬉々として「ステータスインフォ」と再度唱える。
――ステータス・インフォメーション――
ロザリー゠エル゠フリードリッヒ 【パラディン レベル38】
【HP】 400 【MP】 100
【力】 200 【防御】 155 【素早さ】 43 【魔法力】 10
【武器】 聖騎士の剣〈攻撃力補整+100〉
【防具】 聖騎士の鎧〈防御力補整+80〉
パメラ゠クレイディア 【セイント レベル50(MAX)】
【HP】 150 【MP】 300
【力】 15 【防御】 35 【素早さ】 28 【魔法力】 ∞
【装備】 聖職者の杖〈攻撃力補整+70 回復力補整×1.2〉
【防具】 セイントローブ〈防御力補整+60 HP自動回復〉
ティセ゠アルテミス゠ファウスト 【ウォーロック レベル38】
【HP】 220 【MP】 250
【力】 30 【防御】 42 【素早さ】 35 【魔法力】 250
【装備】 賢者の杖〈攻撃力補整+90〉
【防具】 ハーミットローブ〈防御力補整+65 魔法防御補整+50〉
トゥインクル 【ファミリア レベル20】
【HP】 50 【MP】 150
【力】 10 【防御】 10 【素早さ】 40 【魔法力】 50
【武器】 魔法ステッキ〈攻撃力補整×1.5〉
【防具】 魔法リボン〈防御力補整+30 MP自動回復〉
【アイテム】
回復薬〈体力回復 小〉 5個
魔晶石〈魔力回復 小〉 5個
エリクシール〈体力全回復〉 1個
ソーマ〈魔力全回復〉 1個
ネクタル〈復活〉 1個
【ラビリンスコイン】 100
――――――――
「ふふん。ここまで来ると、もはや無敵ね!」
「ええ、聖騎士装備だなんて少し大げさだけど……」
「ロザリーさん、似合ってるにゃ。ジョブはレベル10ごとにクラスアップして、クラス4から専用装備が使えるようになるのにゃ。オイラも晴れてクラス3の使い魔になったにゃ!」
そんな中、パメラは一つおかしな点がある事に気づく。
「ねえ、私の魔法力だけど、∞って何だろ。なんだかお尻みたいだけど」
「なんですって!? まさか、お尻から魔法が……?」
「バカ、無限大よ。でもカンストより上あったんだ……、くうう、追いつこうと思ってたのに」
ゲーム内での数値に一喜一憂する彼女達。たかがゲームとバカにしていたが、すっかりハマってしまっている事にも気づいていない。
「ふふ、あれがあの方の……。あなたならきっと最後までたどり着く事ができるはず。どうかご武運を」
次の階へと消えていく彼女達の姿を見つめ、グリフォンは遠い目で一人つぶやくのだった。
そしていよいよ最終ボスの前哨戦となる第9階層。
そこは立っているだけで今にもHPの削られそうな、マグマ吹き出す山の頂。その火口付近には、悠然と巨大な赤褐色のドラゴンが鎮座していた。彼は今までの魔物とは比べものにならない程の威圧感と共に、鋭い眼光でこちらを見下ろしている。
「うん、なんとなく分かってたけど、そもそもクリアさせる気がないよねコレ」
「いや、ドラゴンは話の通じる相手にゃ。もしかしたら……」
トゥインクルはもう一度交渉してみようと、その羽でパタパタと飛んでいこうとする。
「あぶないっ!」
ドラゴンは大きく息を吸い込むと、こちらに向かって炎を吐き出した。危険を察知したパメラのバリアでも全ては防げず、皆の装備は所々焼け、ちりちりと煙を上げていた。
「前言撤回にゃあ! こんなのギブアップにゃあ」
「待って、大丈夫。まずは私が……!」
パメラはすうっと顔色を変えた。それは聖女の顕現。ここに来て、本当の本気を出そうというのだ。ロザリーもティセも、もしかしたらという期待が浮かぶ。
「光、あれ」
まず、浄化の力をドラゴンへと向けるパメラ。光に撃たれたドラゴンは急激に力の減衰を起こし、大幅に弱体化する。
「グオオ……」
「はあ、はあ……なんて体力……」
しかし、それでも倒すには至らない。パメラはバリアと浄化によってかなりの魔力を消費したはずである。そこに再びドラゴンの火炎が襲いかかった。
「アタシだって!」
パメラに負けじと、ドラゴンブレスと拮抗するほどの炎がティセから放たれた。それらは一切互いに譲らず、どちらが根負けするかという火炎勝負の様相を呈した。いくつかの魔力回復アイテムを消費しつつティセが叫ぶ。
「ロザリー、今のうちになんとかして!」
「ええ、任せて!」
ロザリーは手持ちの体力回復アイテムを抱え込み、自身の10倍ほどの背丈のあるドラゴンの懐へと飛び込んだ。手始めに鱗のない腹を狙い斬りつけるが、あまりの弾力に弾かれてしまう。
「くっ、まるで刃が通らない。でも、どこかに弱点があるはず……」
「グゥ……」
ドラゴンはロザリーの存在に気づき、炎をおさめターゲットを変えた。前衛職のロザリーは敵対心を稼ぎやすいのである。
「しまった!」
「ロザリー、逃げてぇ!」
ドラゴンは大きく口を開け、その鋭い牙でロザリーを捕食した。
「ぐああっ!」
逃げ損なった脚へと巨大な牙が突き刺さる。その尋常じゃない咬合力にバキバキと骨までも砕かれ、そのままロザリーは煮えたぎるような口内で喰われまいと一人格闘する。
「いやあっ、ロザリー!」
プレイヤーに対する残虐表現がオフになっているため流血こそ見えないが、次第にロザリーは戦意すらも失っていき、やがて力尽きたのか、かすかな抵抗さえ見せなくなった。
「ロザリー……ロザリィー!」
一瞬の事である。あまりの光景にパメラは慟哭した。終いには奥歯をカチカチと鳴らしながらその場へとへたり込み、まるで自身の光を浴びたかのように脱力していった。最強を誇る彼女の弱点、それは愛するロザリー、そのものであった。
――ロザリーが、ロザリーが……!
それは心の声も同じである。二人分の恐慌状態となったパメラは、まるでそれを見たくないというように目を塞いだ。しかし次の瞬間その手は払いのけられ、目の前に真っ赤な瞳が現れた。
「パメラ! いい? 聞きな。これ飲んで、ソーマ。これで魔力が全快する!」
慌てながらも一つ一つをしっかりと伝えるティセ。その瞳は少し潤んでいた。パメラもまた、その瞳に自分と同じ感情を読み取る。それは、ロザリーへの確かな想い。
――ティセ……?
「パメラ、二人でやるよ! 絶対にロザリーはやらせない!」
「……うんっ!」
パメラは涙を拭き、ソーマと呼ばれる霊薬を一気に飲み込んだ。
「いい? パメラ。ここは魔法で構成された世界。悔しいけど、ここを造った奴の魔力がハンパなくて、アタシの力じゃそいつには勝てない。でも、アンタなら、何にもとらわれないアンタの魔力なら、それを打ち破ってくれるって信じてる!」
「でも、この力は制御が難しくて……全力を出せばいつかのティセみたいに、暴走しちゃうかもしれない」
「だったら、アンタは暴走しないよう力を放つ事だけに集中して。コントロールの方はこっちで上手くやるわ。いいから、この天才にまかせなさい!」
「……わかった。私の全部を、ティセにあげる!」
パメラとティセは、息を合わせるように魔力を重ね合わせる。すると、前方へと強大な力のほとばしりが生まれた。それはまさに、無限大の魔力。リミッターを外したパメラはすでに、聖女そのものと化していた。
「混沌の祖。天上の母。そして地上の子。三位一体が御名のもとに、あまねく全てに等しく降り注ぐ光を……」
「くうっ、なんて力……」
聖女の真の力は、魔力で構成された空間すらも削り取るほどに膨れあがる。その莫大な力を、ティセのコントロールにより目標に向け解き放とうというのだ。
正直、ティセにとっては苦手な分野である。だが、やりきってみせる。このどうしようもない想いの丈を、ロザリーにぶつけるために。
「いくわよ、パメラ!」
「うん、お願い……!」
二人は手を握り合い、精一杯叫んだ。それぞれの、かけがえのない人に向けて。
「「ロザリィー!!」」
光焔の即興曲。二人の魔力は混ざり合うように互いを増幅させ、そのままドラゴンの腹部を貫いた。決して消えない浄化の炎はその体躯へととどまり続け、根源からその魔力を奪い続ける。
「グォオオ……!」
断末魔の叫び。その拍子にドラゴンの口が開く。すでに息も絶え絶えのロザリーだったが、押し寄せる想いの渦に応えるかのように、その身体はもう一度生を求めた。
「……休んでなんて、いられないわね」
ロザリーは復活の薬であるネクタルを消費しながら這い上がると、ドラゴンの鼻先に剣を突き立て、その脚に深く刺さった牙を引き抜いた。そして、かすかに残った力でエリクシールを飲み干す。
「これで、終わりよ……!」
ロザリーはドラゴンの額まで登り、そこへと剣を突き立てた。マグマのような血液が天高くまで噴き出す。それを一身に浴びる姿は、まさにドラゴンスレイヤー。
ズゥンという地響きと共に息絶えるドラゴン。その額から降りてきたロザリーに、すかさずパメラが抱きついた。
「ロザリー! ほんとに死んじゃったかと思ったよぉ……!」
「ええ、復活の薬があったから少し無茶したわ。それにここじゃ死なないのよ、大げさね」
「ううー……バカぁ!」
――ほんとにバカなんだから! ロザリーはいつもいつも……!
身近に再生の力を持つパメラがいた事で、昔からロザリーはどうも無茶をする気がある。心の中のパメラも同じように泣きじゃくった。
――でも、ほんとにありがとう、ティセ……。
これまでロザリーを奪う存在と警戒していたティセへと、心の声は感謝の言葉をつぶやく。彼女も自らと同じ、ロザリーを大切に想う仲間であると。
「オイラは今感動してるにゃ。こんな奇跡ないにゃあ!」
「ふん……奇跡なんて、自分達で起こすものよ……」
ティセがそう決めた所で、ファンファーレと共に最終階層へのテレポーターが光り出した。
『おめでとうございます、レベル50・ドラゴン撃破です! これでラビリンスの創造者、ダンジョンマスターへと挑む権利を獲得しました。それはあらゆる魔法を網羅し、極限まで魔力を高めた唯一の存在。さあ、準備がよろしければ先へとお進み下さい!』
「いよいよね、みんな」
「ええ、ここまで来たらやってやろうじゃん!」
「アイテムはもうないにゃ、でも、みんなならやれる気がするにゃあ!」
「でもこの先、凄い魔力を感じるよ……」
「大丈夫だって、アタシ達、なんたって最強なんだから!」
そして、いよいよ踏み込んだラスト第10階層。そこには……。
「あら、早かったわね」
ティセは目をぱちくりさせた。どう見てもそこは、アルテミス宮殿、それも女王の間。当然そこにいるのは、憎たらしい笑顔を浮かべたアルテミス女王である。
「やっぱりママがダンマスじゃない!」
女王はチッチッチと指を振った。
「違う、私はただ見に来ただけよ。あなたの無様に負ける姿をねぇ! いでよ、ダンジョンマスター!」
すると、魔方陣と共に女王の目の前に現れる謎の影。
「フハハハー! よくぞ辿り着いた、ラビリンスに選ばれし勇者達よ!」
黒いローブをはためかせ、とうとう黒幕であるダンジョンマスターがテンポの早いBGMとおどろおどろしいエフェクトと共に登場した。
「あなたが……ダンジョンマスター……」
ボサボサの前髪が邪魔でよく見えないが、不敵な笑みを浮かべたその顔立ちはどこか若々しく端正であった。金や銀のアクセサリーをふんだんにあしらった豪華なローブに身を包んだ姿からすると、相当な魔導師であろう事が窺える。しかしながら一点だけ難があるとすると、その体躯はややスケール感に欠けたものだった事だろう。
「そう……このオレこそ、何を隠そうダンジョンマスターその人だ! 我がラビリンスは気に入っていただけたかな、お嬢さん方」
「え……ちっちゃ」
「な、なぬ……?」
ティセは臆する事もなく詰め寄り、ダンジョンマスターと名乗る男を思いっきり上から見下ろす。
「フフン、ダンジョンでは酷い目にあったからね。アンタには百倍にして返してやろうと思ってたのよ。覚悟はいい? ちっちゃいおっさん」
「き、貴様、頭が高いぞ! オレはラスボスだぞ、ちょっとは怖がったりしろ!」
「どこをどう怖がれっていうのよ、こんなへんちくりん」
「ぐぬぬ……」
やはりアルテミスの女は強い。女王は溜息と共に、すっかり押され気味のダンジョンマスターに活を入れた。
「あなた、手加減は無用! 打ち合わせ通り、この子を懲らしめて頂戴!」
「あ、ああ、分かっている! お前は口を出すな!」
「は……? あなた? お前?」
やけに親密な二人の関係にティセは疑問を抱いた。そこへ、申し訳なさそうなトゥインクルの説明が入る。
「ティセ、だまっててごめん。グリフォンさんから全部聞いてたにゃ。その人、実はティセのお父さんにゃ」
「は? パパ? このちっちゃいおっさんが?」
混乱が止まらない。どこか大きくて逞しい父親像を描いていたティセにとって、目の前の男は同年代のチャラい若者の様ですらある。
「くっ……そうだ、ずっと言いそびれていたが正真正銘お前のお父さんだ。オレが家を出た頃はまだ小さすぎて覚えてはないだろうがな。ティセ、大きくなったな。よりによって、このオレ様よりも……!」
挨拶代わりと、男は爆炎を放った。それはティセ達を避けるように広がり、宮殿の壁すらも崩壊させた。
「バカなの!? 仮にも親子の再開に何いきなりレベル10の魔法放ってるのよ! 家壊す気!?」
「フハハ! 今のはレベル10ではない。ただのレベル1ファイアだ! それに、ここは王宮の全てを再現した魔法空間にすぎん。遠慮はいらんぞ、全力でこい」
「ほほほー! この人はかの魔王を倒した伝説級の一人、まさに伝説の魔導師。あなたはここでゲームオーバーよ!」
母が母なら父も父。
執拗すぎる嫌がらせの数々に、ティセは頭の血管がブチ切れる音を聞いた。
「上等じゃない、チャラ親父! カッスカスの燃えかすにしてやるわよ!」
ティセもお返しとばかりに爆炎をお見舞いする。しかしそれらはマギアである高速詠唱とすら互角以上に渡り合うダンジョンマスターのファイアと相殺し、軽々とはねのけられた。
「やるなティセ! 流石は俺の娘だ、高速詠唱もすでにマスター済みか」
「うるさいうるさいっ! これはアタシの才能なの! アンタなんか知るもんか!」
次々に繰り出される二人の魔法に、王宮は見るも無惨に崩れていく。
「さあ、あなた達はこちらへ。そんな所にいたら飛び火するわ」
「は、はあ……」
置いてきぼりのロザリー達はアルテミス女王に連れられ、魔法バリアの張られた観覧席にて二人の戦いを見守る事となった。
「嫌な親だと思っているでしょう。別れた夫まで連れ出して……」
「え、あ、はい……少し」
「でもね、あの子にはこのくらいしつけしないと怖いのよ。また、一人でいなくなってしまいそうで……」
さっきまでの威勢が嘘のように、女王は涙する。あまりの展開に戸惑うものの、ロザリーにはその気持ちが分かるような気がした。実際、あのまま港街にて暴走した彼女を止めなければ、きっと破滅の道を歩んでいただろう。
「きっとあの子は負けるわ。でも安心して。あなた達の実力も今回見せてもらったし、旅に出ることは許可するつもりよ。あの子もこれに懲りて、もう無理はしない事でしょう」
「女王……」
「ほら、そろそろ決着がつく頃よ。あなた達も見てあげて」
「にゃあ……」
その言葉通り、ティセはあらゆる面で格上の男に対し為す術もなくやられていた。男の前髪から覗く、燃えるような鋭い瞳が倒れたティセを見つめる。
「ふむ。ここまでされても暴走を見せないのなら、ひとまず合格だ。好き勝手、何処へなりとも行くがいい」
やれやれとダンジョンマスターは玉座へと腰掛ける。身長が足りずに今まで見下されていたティセをやっと見下ろすことができ、その顔はどこか満足げであった。
「っざけんな……。アタシはまだ本気じゃない!」
「ほう、やはり血は争えんな。その負けん気、ママそっくりだ。思えば、新婚当初は些細な事でケンカばかりしていたよ」
「って事は、やっぱ全部嫌になってママから逃げたんだ……。まだ小さいアタシを置いて、一人で……」
「ち、違う! 確かにママには色々無茶をされたが、別れたのは決してそんな理由からでは……」
子供に理解できる話でもないと彼は口ごもった。そして、ありきたりの言葉で怒りに震えるティセをなだめる。
「いいかティセ、夫婦関係というのは複雑なものだ。確かにママとは別れる事になったが、お前の事は片時も忘れた事などない! その証拠に……」
「もういい、そんなの聞きたくない!」
ティセは、自分の事ばかりの大人達に対し無性に腹が立った。大人になるというのは、決して何かを捨てる事じゃないはずだ。そして何より、それと同じように自分勝手に振る舞ってきたこれまでの自分の事こそが、一番許せなかった。
「そうだ……アタシには、全部分かってたはずなのに」
大人になるために、自分が捨ててしまったもの……。そんないつかの自分を取り戻す決意と共に、ティセは観覧席へ向けて叫んだ。
「トゥインクル! おいで!」
「ティセ……?」
「都合が良いって分かってるけど、アンタの力を、もう一度アタシに貸して!」
トゥインクルの力。それは幼い頃別たれた、少女の夢と希望の力。
「ティセ、オイラの魔力を使うって事は……!」
「かまわないわ……、アタシは、絶対にアイツに、勝つ!」
「ティセ……わかったにゃ!」
決意を受け取ったトゥインクルはその手に魔法のステッキを召喚し、ありったけの魔力を込めてティセへと投げ渡した。
「いくにゃあ! ティセ、変身するにゃあ!」
それを手に取ったティセは、少女の頃のような、燃えたぎる瞳で叫ぶ。
「身勝手な大人になるくらいなら、アタシは子供のままでいい! 見てなさい、アタシの、変身!」
燃えさかる宮殿の中、どこからかファンシーな音楽が流れ出す。ティセはその姿を桃色のグラデーションに包み、またもどこからか現れた真っ赤なリボンをポージングと共に身に纏った。それらは形を変え、瞬く間にフリフリの衣装へと変わっていく。
「「ルー、ルルルー、ルルルプリンセスー♪」」
「まさか、まさかこれは……リトルウィッチプリンセス・マジカルチェンジのテーマ……!」
ダンジョンマスターは目と耳を疑った。もう二度と見ることはないと思っていた、魂ごと鼓舞するような劇伴曲をバックに舞う我が娘の姿に。
「さすが私の娘ね……こんな時のために音源を用意しておいて良かったわ」
「まさか女王、こうなる事を全部分かっていて……?」
「フフ。さあ、どうかしらね」
女王の掛けた音楽の終わりと共に、ハイヒールの小気味良い音がレッドカーペットを踏み鳴らした。
「魔法少女姫、ティセ゠アルテミス゠ファウスト! 悪い奴は、マジカルにお仕置きっ!」
これこそが、ティセの真の力。リトルウィッチプリンセスモード。
その魔力は無限大。なぜなら、子供達の夢の力もまた無限大なのだから。
「お、おお……」
我も忘れ、ティセを食い入るように見つめるダンジョンマスター。それは離れて暮らす我が娘の唯一の記録、シネマジカの中で活躍するあの姿そのもの。それこそテープが擦り切れるほど見た晴れ姿である。
「ティセ、ティセっ……!」
トゥインクルも同じように涙しながら見つめていた。いつか置き忘れた、二人の友情の証を。
「行くわよ、トゥインクル!」
「……まかせるにゃあっ!」
ティセは魔法ステッキでハート型の軌跡を描く。それはクライマックスで繰り出す、魔法少女姫ティセ最大の必殺技である。
「来るわ! さあ、あなた達もこのミラクルスティックで応援するのよ! ティセ、頑張ってー!」
「ええ……!?」
「ティセー! がんばれー!」
パメラは女王に渡されたスティックを掲げ、すっかり熱中していた。ロザリーもまた、恥ずかしそうにそれに続く。
「ティセ、がんばれー……!」
その応援が届いたのか否かティセの魔法力は最高潮に達し、灼熱の紅炎となって魔法ステッキから解き放たれた。
「魔法の力は、愛の力! 燃え上がれ! プリンセスラブリーハート、プロミネンス!!」
「な、なにぃ……ぐおおおっ!!」
ハート型の燃えさかる炎が、容赦なくダンジョンマスターを包む。
どこか自ら当たりに行った様にも見えたが、その威力はファンシーとはかけ離れた、まさにとんでもないものであった。
「こ、これ以上はオレといえど……! くっ、ウィッチプリンセス、次はこうは行かんぞ! ハーッハッハァ!」
分かりやすい負け口上と共に、ダンジョンマスターは消滅した。最後に消えゆく彼は、満面の笑みを浮かべていたという。まるで、父が娘のごっこ遊びに付き合ってあげているかのように。
「……ふう。ありがとね、トゥインクル」
「ティセ、凄かったにゃあ……!」
変身を解いたティセは、涙に濡れるトゥインクルを抱きかかえ共に笑い合った。
『ゲームクリア、おめでとうございます! 今ここにダンジョンマスターは倒されました。偉業を達成した勇者達に、1万ラビリンスコインと、プラチナトロフィーを授与いたします!』
こうして、史上二度目のラビリンス踏破は、救世主に続き三人の魔女達によって達成されたのであった。
「よくやったわティセ、流石は私の娘!」
「ねえパメラ、私達は一体何を見せられていたのかしら……」
「そうだね。女の子の夢、かな」
「パメラ……?」
ロザリーは涌き上がる嫌な予感を拭えない。その目は小さい頃に戻ったかのようにらんらんと輝き、ティセの事を見つめていた。
「いいなあ、魔法少女……私もなりたいな」
「あら、だったら次回作を考えておくわ。題名は“魔法少女・無敵なパメパメ”ね」
「パメ……や、やっぱりやめとく! 私、ほんとは人前に出るのとか、苦手だから……」
「そお? 主人公が最強って、いいアイディアだと思うんだけど」
ロザリーはほっと胸をなで下ろす。どちらにしろ聖女を映画などに出せるはずもないが、どうやら自分から諦めてくれたようだ。
「それにしてもあの人、まともに必殺技を受けてたけど大丈夫かしらね……これも親の愛のなせる業なのかしら」
確かに端から見れば、彼もいい父親に見えなくもない。パメラはふと大人の恋愛というものが気になり、女王へとぶしつけに質問した。
「ねえ、おばさん。どうしてあの人と別れたの?」
「そうね……アルテミスのしきたりとして、女王の婿には最も魔力の高い者が選ばれるの。でも、あの人にも色々あってね。見かねた私が自由にしてあげたのよ」
「望んだ結婚ではなかったという事ですか?」
「ううん、愛していたわ、とても。ただ、彼は夢追い人だから……」
つまり、浮気されたという事だろうか。それなら納得もいく。パメラは浮気性の人をずっと見ているのだ。一緒にいてまったく心が安まる暇もない。
「浮気はいけないよ! ね、ロザリー」
「え? そ、そうね……」
ひとまず、これでアルテミスでのドタバタ騒ぎも一段落となった。ティセ達には今回の続編となる、全100階層から構成されたディープ・ラビリンスへの挑戦権がダンジョンマスターにより送られたが、誰がやるかと払いのけた事は余談である。
「いつも勝手なのよ……バカ、親父……」
そうは言いつつも十数年越しに受けた父親の愛情に、少しだけその頬が緩むティセなのであった。
明くる日、今度こそ本当の別れの謁見を済ませ、三人はアルテミス兵達に見送られながら城を出発した。
「はああ、やっと解放されたー。これでこんな国ともおさらばね!」
「でもいいの? お父さんにやっと会えたというのに……」
「いいって! 思い出しただけで恥ずかしい!」
成り行きとはいえ今の年齢で、フリフリの魔法少女となってしまった悪夢。確かにそれは筆舌に尽くしがたい。今回せっかくティセと仲直りできたトゥインクルだったが、結局再び邪険にされ、旅には連れて行って貰えなかった。
「トゥインクル、泣いてたね……」
「ふん……まあね」
そっぽを向くティセだったが、ティセもまた、その瞳を潤ませていた。本心でもある危険な旅に連れていきたくないという親心は、母親譲りのものなのかもしれない。
「きっと、また会えるわ。あなた達は、二人で一人のウィッチプリンセスなのだから」
「だから、それを言わないでって。プリンセスナイト、ロザリーさん」
「二人とも、格好いい名前があっていいなあ」
「よくないわよっ!」
この旅はきっと、疲れ切った心に良い影響を与えてくれたに違いない。ロザリーは微笑みながら、アルテミスという暖かな国を胸に刻みつけた。
「ねえ、次は私のふるさとに寄ってみたいの。この季節は、桜が綺麗なのよ」
「うん、私も行ってみたい。ガーディアナが外でどんな事をしてるのか、気になるし……」
「ふん、ここを出られるなら何でもいいや」
そうして船着き場へと出向いたロザリー達。女王の好意により、これからローランドへと船を出してもらう事になっていた。実のところローランド都市部以外の辺境には、駐留するガーディアナ兵は少ない。ただでさえ各地に遠征している軍隊が広大な一つの領土をそのまま統治できるわけでもなく、今はただ乱立した教会の圧政に苦しむ村々が残されているのみである。
(……じゃあね。アタシの、アルテミス)
低いホルンの音と共に、船はアルテミス港を出帆する。
ティセは、だんだんと遠くなる祖国に別れを告げた。なんだかんだ言いつつ、やはり愛すべき故郷なのだ。
「いつか、絶対にこの国をガーディアナから取り戻すから……まってて、ママ、パパ、それに、トゥインクル……」
ティセは独り誰にも聞こえない声で呟くと、その燃えるような瞳で小さくなる景色をずっとずっと眺めていた。
―次回予告―
人の心は故郷へと還る。
想い出の桜は、変わらずにロザリーを迎えた。
二度と戻る事はない郷愁に、ひととき身体をあずけて。
第21話「故郷にて」