第18話 『ロザリーとティセ』
ロザリーは、目の前にそびえる宮殿を見てつい息をのんだ。
ティセの従者、ストラグルによって連れられたアルテミス城は、無骨で質実剛健なローランド城とは違い、絢爛豪華な装飾に彩られた殿上人の居城であった。
露出の多いパンキッシュな服装をしたティセとアルテミス城を見比べて、つくづくロザリーはこの国がよく分からなくなる。
「……なによ?」
「なんでもないわ。平和なのね、ここは」
「ふん、そうでもないけどね……、どうしようもない最低な国よ」
ティセが毒づく。ローランドの滅亡を知るロザリーにとっては、とんだ甘えた姫様である。そう、ロザリーはこの国の持つ歪さに気づいてはいなかった。この時までは。
早速きらびやかなドレスに身を包み、というか着替えさせられ、ロザリー達三人は晩餐会の会場に通された。そこでは貴族と思われる紳士淑女達が、思い思いに踊ったりお酒を飲んだりして楽しんでいた。言わずもがな、自分達マレフィカなど完全に場違いである。
「パ、パメラ。私、どこか変じゃないかしら」
「ううん。とっても綺麗だよ、ロザリー」
いつものバンダナやハーフプレートを着けていないロザリーは、まるでどこかの令嬢のように麗しい。聖女であるパメラも当たり前のようにドレスを着こなし、人混みの中ですら可憐な佇まいを際立たせていた。
「ごきげんよう、お美しいお嬢さん」
「ふ、風呂入らん? さっき入ったばかりなのだけど……」
「ありがとう、素敵なおじさま。ロザリー、こっちへ」
パメラは慣れたように人々と挨拶を交す。それもそのはず、彼女は大国の姫、いや、それ以上の存在なのだ。この程度の社交術、お手の物である。同様に身分の高いティセは、ただ一人ぎこちないロザリーを隠すように歩いた。
「ほら、恥ずかしいからキョロキョロしないでよ」
「だって……今まで人目を避けるようにしてきたんだもの……」
そんな三人をストラグルが舞台袖へと案内する。本日のメインイベント、ティセによる挨拶があるのだ。
「ではお嬢様、いってらっしゃいませ。爺はここから見守っておりますぞ」
「何よ……何企んでるのよ……」
ニヤケ顔のストラグルが合図を取ると、盛大なファンフーレと共にパーティーの司会進行が始まる。
「さあ、皆様お待ちかね。ついにティセ゠アルテミス゠ファウスト様のご到着であります! 一同、盛大な拍手と共にお迎え下さい!」
ティセは耳鳴りが起こりそうな拍手の渦へと押し出された。もうすでに半べそである。
「ティセ様、ティセ様だ!」
「おお、麗しの姫君!」
「オーソーレミーオ!!」
「なーにー! もう、やだあー!」
姫であるはずのティセは大観衆の中、子供のようにだだをこねる。それを見て、おお、姫だ。姫様が帰ってきたぞ! と貴族達は多いに盛り上がった。
「えー、それでは、ティセ様から皆様に向け、お詫びの言葉があるようです。どうか静粛にお聞き下さるよう、お願いいたします」
全て強引なまでにシナリオ通りのセッティングがなされている。ロザリーとパメラは舞台袖から、あわあわと見守る事しかできなかった。
「アタシ、こんな国大キライ!!」
突然のその言葉に、わっ、と会場が沸いた。「それでこそ姫様」「尖っておられる」と絶賛が巻き起こる。なるほど、これはきつい。と、ロザリーは半ば同情を隠せない。
「お母様! いるんでしょ! 出てきなさいよ」
ティセは黒幕であろうアルテミス女王を名指しで呼びつけた。恒例の親子ゲンカまで見られると、一同の盛り上がりは最高潮に達する。
「オホホ! いい気味よティセ!」
その言葉を合図に会場の舞台奥、掛かっていたカーテンがおごそかに巻き上げられる。すると照明が一度落とされ、そこにレッドカーペットが敷かれた階段が現れた。その三十段ほどの階段の頂上には玉座があり、何者かがいる。再び下からライトが照らし出されると、そこにはアルテミス女王と思わしき人物が悠然と鎮座する姿があった。
「我らが女王、アルテミス19世のおなーりー!」
「オーッホッホ! 今宵は我が娘ティセのお仕置きショーに、ようこそ集まってくれました! 皆さん、存分に楽しんでいくといいわ!」
高笑いと共に現れるアルテミス女王。確かにティセの母らしく、彼女によく似た気の強そうな顔つきをしている。性格もこの子にしてこの親あり。違うのはケバケバしい化粧と、その豪華な身なりくらいか。
ロザリーは呆れかえったようにパメラへと問いかけた。
「ねえ、こんな馬鹿げた事ってある?」
「ふふっ。こんなに陽気じゃないけど、ウチも似たようなものだよ」
ついこの間、ガーディアナの祭典に顔を出したロザリーはその言葉に少しだけ納得する。むしろガーディアナの方が大規模である分、狂気じみていたとすら思える。しかし、こちらはどこか無理して騒いでいるようにも見えた。なぜか、これだけの事に感極まりむせび泣く者までいるのだ。これがこの国流のエンターテインメントなのだろうか。
「ママ! じゃなかった……お母様! よくもこんな、ふざけた茶番に付き合わせてくれたわね!」
「ほほほーっ! ティセ、あなたは一国の王女として、あるまじき行いを犯しました。ちゃんと謝るまであなたはそこで晒し者のままよ。ストラグル、あれを!」
はっ! と頭を垂れ、ストラグルは用意していた映像装置を特大のスクリーンに投影する。魔法で動く映写機、シネマジカというらしい。カタカタ……と映写機が回り出すと、いよいよ映像が始まる。まず初めに何やら画面の中央を獅子が吠え、続けて軽快なイントロが流れ出した。
「もしかしてっ……」
「「テレレレー、テレレレー、テッテレレー♪」」
画面には、“アルテミススタジオプレゼンツ”、とのロゴ。
「お母様っ、あれだけは、あれだけはやめて!」
音楽を打ち消すようなティセの絶叫が響くが、無慈悲にも映像は止まらない。
「やーめーでー!!」
数秒の暗転の後、「マジカルプリンセス♥ティセ」というタイトルがスクリーンにでかでかと表示される。ティセは絶望に立ち尽くした。
流れるように始まったのは、オープニングアニメという本編の見せ場をセレクトした映像集。合わせて流れるやや幼い声の歌唱は、ティセによるものだろうか。
「「ミラクル・マジカル・コミカル・リリカル♪ プリンセースティセー♪」」
この時点でパメラの吹き出す音が聞こえた。
「あははっ、見て、ティセちっちゃくて可愛い!」
「ええ……これは……」
スクリーン上には幼く小さな頃のティセが、画面を所狭しと動き回る。ぷりっぷりの衣装をこれでもかと可愛らしくたくし上げたり、こちらへ向けてポーズを取ったりしていた。
「「アルテミスエナジー、ライトアーップ!」」
その掛け声と共に、いよいよ魔法少女に変身したティセが登場する。月を先端にあしらった可愛らしい杖をバトンのようにくるくると回し、最後にカメラ目線での決めゼリフ。
「「魔法少女姫、ティセ゠アルテミス、ここに参上! 悪い子は、マジカルにお仕置きっ!」」
ティセは真っ白になっていた。ここまでの仕打ちがあるであろうか。ロザリーは火傷を負わされた事も、様々な暴言も、全てを許していた。
物語は、とある黒猫と出会ったティセが魔法少女として目覚め、大魔王デストピアの支配する世の中の悪と戦っていくという子供向けの道徳ドラマであった。八歳くらいであろうか、小さなティセはノリノリでそれを演じきっている。パメラはもう、キラキラとした画面の中のティセに夢中になっているようだ。
「ティセ……なんだかすごい」
「そうね。でも、皆の様子が少し異様だわ……」
辺りを見回すと、皆が皆、涙を流していた。かつて国策として制作されたそのシネマジカは大ヒットに大ヒットを重ね、もはやティセは国民的ヒロインでもあったのだ。そんなティセの一挙手一投足に、皆が夢中であった訳が今ならば理解できる。
「どう? これで懲りたでしょう。分かったならもう二度と、この国を出ることは許しません! いいですね!」
第一話が終わる頃には、ティセはあー、あー、と、うわごとを繰り返すばかりとなっていた。まさに完敗である。そしてここからは、逆上したティセが魔法で暴れるというお決まりの展開となっていた。それを予期し、ストラグルは魔法遮断カーテンを客席に配って回っている。ここまで来るとティセもいい加減学習しなさいと言いたくなるが。
「ロザリー様。これより、ティセ様の一人魔法ショーとなる予定です。危険ですのであなた方もどうぞ」
「いえ、私はいいわ」
「ど、どこへ……」
ロザリーはストラグルの配るカーテンを拒否し、舞台へと上がった。そして、その場にうずくまっていたティセを抱きしめる。
「ティセ、あなた、大丈夫?」
「ろ、ろざりー……アンタだけには、見られたくなかったのに……」
「どうして? すごく可愛かったわ」
「は……? マジで言ってる?」
ロザリーは優しく微笑みかける。それは嘲笑だとか、冷笑だとか、そんなものは一切込められていない笑みだった。そんな思ってもみない反応に、ティセは思わず涙があふれてくる。
「後は私がなんとかするから、暴れたりしてはダメよ。いいわね」
「えぐっ、どうするっていうのよぉ」
すっかり泣きべそのティセは、ロザリーをすがるような瞳で見つめた。この子はいつかのように、確かに助けを求めている。ロザリーは毅然として、アルテミス女王に向かって叫んだ。
「アルテミス女王、もうティセを自由にしてあげて! この子はあなたのおもちゃじゃないのよ!」
水を打ったように静まりかえる会場。すると次第に、ブーイングのようなものが聞こえてきた。我らが女王に対してなんたる無礼かと、ロザリーに向かって色々な物が投げられる。
「あなた達も! いい大人が揃いも揃って、子供を押さえつけるようなマネして恥ずかしくはないの!? 見なさい、ティセはこんなに傷ついているというのに!」
その真剣な言葉に良心が痛んだのか、ロザリーに物を投げる者はいなくなった。開いた口も塞がらないアルテミス女王は、その顔に泥を塗られた事に腹を立てストラグルをまくし立てる。
「な、何者です! この無礼者は!」
「はっ、言い忘れておりましたが実はこの方こそが、ティセ様をお救いになった姫騎士、ロザリー様その人であります!」
姫騎士……? ロザリーは引っかかった。騎士号は確かに憧れではあったが、私はただの一剣士だぞと。ましてや、もちろん姫などでもない。
「ロザリー……、姫騎士ロザリーか!」
すると女王は態度を一変させ階段をかけ降りてくる。そしてロザリーに向け、まるで反省無しの言葉を言い放った。
「おお、貴女がそうであったか! それならば此度の非礼は許そう。それでお互い、今回は水に流そうではないか」
「わ、私はいいのですが……これはティセの問題で……」
「分かっている分かっている。では姫騎士ロザリーよ、早速だがティセをお姫様だっこしてはくれまいか」
「え……?」
何か、おかしな方向に進んでいる。ティセは、「言うとおりにして」と小声で言った。ロザリーはティセを持ち上げ、女王に向き直る。正直、全く意味が分からない。
「皆の者! この少女こそティセを更正に導き、誤った道から救った英雄、ロザリーである! 真に正しき人物か私も一芝居打って試させて貰ったのだが、その資質は皆が今見た通り!」
大嘘である。しかし人々は女王の言葉に感服し、ロザリーを救世主かのように崇めだした。
「おお、ロザリー様……」
「言われてみれば、なんと勇ましい……」
これはまずい。ロザリーは、これまでティセに向いていた重たい感情が一斉にのしかかってくるのを感じた。
「見よ! 今ここに新たなるヒロイン、姫騎士ロザリーが誕生した! 魔法少女姫ティセ外伝、姫騎士ロザリー~君のためなら死ねる~。新作シネマジカ近日公開! 刮目して待て!」
「「ロザリー様! 姫騎士ロザリー様!」」
大歓声がロザリーを包んだ。ロザリーはあまりの急展開に、ティセに問いかける。
「外伝とか新作とか……一体、何の事?」
「うん、ロザリー、ありがとう。主役交代みたいだから、ま、がんばって」
ティセは諦めたようにそう言った。そして抱えられていたロザリーから降りると、とぼとぼと会場から去って行く。一人取り残されたロザリーは、いつまでも歓声の中をたたずんでいた。
************
新作映画の撮影は順調に進んだ。何度噛み砕いても今何をしているのか分からなかったが、ロザリーはやけくそ気味に与えられた姫騎士を演じきった。
ティセとパメラはその様子を眺めながら、アルテミスでのちょっとした休暇を楽しむ。
「あいつもバカよねー。ママなんか、真面目に相手にする事ないのにさ」
「そんな事ない、全部ティセのためだよ」
「うん……分かってる。……かっこつけんなって事」
「かっこいいんだから、仕方ないよ」
「ふん……」
ティセは騎士姿のロザリーを目で追いながら、ココナッツミルクを飲み干した。
あれからロザリーは女王に掛け合い、ティセを自分に預けてもらうように頼み込んだ。その結果が、今のよく分からない現状である。その理由も、この国の王女であるティセには分からない訳ではない。
「アルテミスってさ、ちょっと変なのよ。巻き込んじゃって、ごめん」
「そうなの? あ、そうかも」
「前は、こんなんじゃなかったんだけどな……」
現在、ガーディアナの侵攻には各国が対応しているが、アルテミスは武力で抵抗する事に対し反対派が多数である。ローランドの現状を見るに、もし敗北でもしようものなら圧政は避けられない。自身も争いを避けたい女王は、最低限の富を維持したいと考える議会と結束し、その侵略を和らげるため属国となる和平の道を選んだのだ。
「ガーディアナ……こうなったのも、あいつらのせいだ。全部、あいつらの……」
「そっか……アルテミスも……」
その後、ピーターという司徒がこの国へと派遣されてから、次第にガーディアナによる血を流さない文化的な侵略が始まったという。結果、魔法は一部規制され、アルテミスの魔術軍もほぼ全てが解体された。
その煽りを受け、ティセが所属していた学園、魔術アカデミーも次代の反逆者を生みかねないとの理由から解体される事となった。ティセはここを今年度主席で卒業し、ゆくゆくは偉大な魔導師になるつもりであったが、その瞬間、彼女の夢も一切が消えた。そして次々と失われていく自国の文化を目の当たりにしても何も抵抗できずにいる母に、ティセは激怒し家を出たのだ。
「アタシだって、ママが悪い訳じゃないって分かってるんだけどさ」
「そうだね。でも、家出したいって気持ちも、私には分かるな」
「アンタもそうなの? まあ、あんな国にいたらそうなるか。あんまり、よその事は言えないけど」
ティセ帰還パーティーでの馬鹿騒ぎも、そういった暗い背景から目を背けたい人々の歪みが生んだものであったとするならば納得がいくだろう。
「現実を見たくないのかもね、この国の人間は。いつまでもシネマジカなんかに夢中になっちゃってさ」
「ティセ、かわいかったもんね。えっと、ミラクル・マジカル・コミカル・リリカル、プリンセースティセー♪ だっけ」
「アンタ、歌上手いじゃない……じゃなくて! 早く忘れて。それか、二代目魔法少女やって。アンタ可愛いんだからさ」
「うーん、やりたいけど……ロザリーがダメって言うと思う」
割と乗り気なパメラに根っからのアイドル気質を感じたティセだったが、この少女の正体を知れば驚くだろう。世界中で愛される本物の偶像、聖女ガーディアナなのだから。そんな彼女がもし、公に姿を現せば大騒ぎになるはずだ。
ロザリーは、それも踏まえて自分一人でやりきるつもりであった。女王はもともとティセを自由にするつもりではあったが、撮影が終われば解放する、と別れを先延ばしにするための条件をつけたのだ。
「はいカットーッ! ロザリーさん、いい演技よ!」
女王自らメガホンを取り、主演女優へと檄を飛ばす。
大人気作の数年ぶりとなる続編、姫騎士ロザリー。その内容もロザリーの実際の活躍に近いものとなっていた。悪の帝国に囚われた魔法少女姫ティセ。それを一人、勇敢にも救い出すロザリー。という体で話は進んでいく。
そして最後のシーンに再びティセの出番があり、成長した彼女と姫騎士のキスシーンで映画は幕を閉じる。どうもこの国ではティセに王子役をあてがう事に抵抗する勢力があり、ずっとラブストーリーだけは描けなかったのだが、相手役がロザリーならば受け入れられるのではないかと女王も興奮気味に脚本を仕上げたという。
ただ、パメラは一人その問題のシーンに焦りを覚えた。ティセは、その性格を補っても余りある魅力的な女性である。それに、自分と同じマレフィカ。ロザリーはきっと邪険にする事はない。さらには大浴場で見せた、彼女のロザリーへの執着……それは、確かな恋心。
「そういえばティセ、最後にロザリーと、キス……するんだっけ」
「あ、ああ、アレね。映画のお約束みたいなものだからねー。アタシは別に、どっちでもいいんだけどさ」
(うそ……)
傷ついたロザリーに、自ら唇を寄せた事を忘れはしない。
「ティセ様、これより最終カットに入ります。ご準備の方を」
「じゃ、そろそろ出番みたいね。これが最後だし、ちゃちゃっとやりますか」
「うん、いってらっしゃい……」
そうこうしている間に、刻々とその時は近づいてくる。ざわつく心。いや、この心のざわめきは自分一人だけのものではない。心にいる、もう一人の自分もまた、焦りを隠せずにいた。
――ねえ、聖女様。
(ん、どうしたの?)
――わたし、あの子、少し苦手だな。ちょっと強引で。
(そう言えばティセがいるとき、あまり出てきてくれないね。ティセは良い子だよ?)
――じゃあ、いいの? このままで。
(……よくないよ。いいわけないよ)
――だったら、なんとかしなきゃ。
(なんとかって、私、どうすればいいか……)
――いいよ。わたしが、どうすればいいか教えてあげる。
そして、いよいよその時がやって来る。キスシーンの撮影前、パメラはロザリーを人目の付かない場所と連れ出した。
「パメラ、どうしたの? 突然……」
撮影の衣装を纏い、舞台化粧をした彼女は、やはりいつもより凜々しい。パメラはもじもじと、上目遣いで答える。
「ロザリー、ティセと……キス……、しちゃうの?」
「仕方ないわ。そういうお話だもの」
「じゃあ、わたしにも……して?」
キスしないで、なんて言えなかった。この人は、自分のものなんかじゃないのだから。
「……ええ、分かったわ」
「んっ……」
パメラはつま先立ちで、精悍な騎士とキスをした。嬉しいけど、少し切ない味。
((パメラ、ごめんなさい……。でも、仕方ないのよ……。これは、ティセを助けるためだもの……))
ロザリーの心が流れ込んでくる。その続きは今聞きたくない言葉。パメラは自分から唇を離した。
するとまたしても、心の声がいたずらにささやく。
――聖女様、このままだと、とられちゃうよ。
(いや……)
嫉妬。それは、初めての戸惑い。
――ロザリーと一度繋がれば、もう抜け出せない。それは、あなたが一番分かってるはず。
(だめ、だめ、そんなのだめ!)
ロザリーの全てを知るのは、自分だけでいい。パメラは思わずロザリーに、光の戒めという呪いを掛けた。それは、魔女の魔力の根源を持続的に封じる聖女の力。指先を離れた光はロザリーの体内へと留まり、次第にその魔力を奪っていく。
「ん……、少しめまいが」
「大丈夫……?」
少しふらついたロザリーをパメラが支える。
「ごめんなさい。多分、慣れない事をして疲れたのね。演技なんて私、初めてだから」
「そっか……。だったら私が、もっと元気あげるね」
それを口実に、もう一度口づけを求める。ロザリーは困ったように応じた。
「ふふ、仕方ないわね」
もう、いつもの感情の奔流は現れない。その贖罪として、失われた魔力の代わりとなる再生の力を注ぎこむ。
――うん。聖女様、これでもう、大丈夫だよ。
「……ロザリー、ごめんね……」
「もう、変な子ね」
撮影が再開する。救出劇の終盤、囚われの姫を演じるティセに、騎士であるロザリーが熱い視線を注ぐ。
「ん……」
ちゅ、と、二人の唇は重なった。成長した魔法少女の衣装はいくぶんか色っぽく、ロザリーの大人びた雰囲気とも合わさり、その仕上がりはどこか官能的な作品と仕上がる。それを見届けた女王は、これ以上ないほど満足げにメガホンを置いた。
キスシーンの後、ティセは「うえーっ」と何度も口を洗ったが、内心、悪い気はしていなかった。むしろ緊張して震えていたロザリーの唇に、積極的に自分から飛び込んだのだ。もう二度とごめんではあったけれど、どこかロザリーへの誤解は加速した気がした。
――ロザリー……キス、しちゃったね。
(うん……だけど……)
彼女が自分以外とキスをした事、そして、それだけではない何かが二人を苛んだ。けれど幼い二人には、それが何かは分からない。今はただ、傷心を互いに慰め合うだけである。
そして、撮影は全て終わった。解放されたロザリーは、いくぶんか女優の様なオーラをまとっている。結構その気になりやすいようだ。
「ふう、やっと終わったわ。待たせてしまったわね」
「まあね、こっちはパメラに魔法教えたりして時間潰してたわ。この子の才能、正直驚きよ。普通、幼児教育の頃に基礎を叩き込まないと、魔法プログラムって理解すらできないのよ。たいしたもんだわ」
「ほら、光魔法レベル1、ブリンク。この光なら安全だって、ティセに教えて貰ったんだ」
パメラのかざした手が、ぱあっと光る。力が奪われない光も出せると、何かと便利だろうとの計らいである。それはパメラの手を離れ、頭上へと浮かび上がった。
「ああ、ラストシーンのスポットライトを思い出すわ。もしこれで人気女優なんかになったらどうしようかしら。サインの練習とかしておいた方がいいわよね。パメラ、街ではちょっとそのライト強めに当ててくれない? 役のイメージを壊すわけにはいかないわ」
「まかせて、姫騎士様!」
「あのねえ、魔法をそんな下らん事に使うなっ!」
その夜、ロザリーは勇み足で街へと繰り出してみた。しかし当然、公開前なので誰も彼女に注目する者はおらず、これでは姫騎士ならぬ秘め騎士だとパメラに泣きつくはめになったという。ちなみにこの話は、後にそれを見たマニアの間で密かに語り継がれる事となるのであった。
明くる日、数週間の足止めを喰らい、ようやく旅立ちの日がやって来た。アルテミス女王は最後の別れを惜しむためのパーティーを開き、そこへとロザリー達を招待する。
「それでは、長い間お世話になりました。アルテミス女王」
「ロザリーさん、この子の事、よろしくね。よよよ……」
大袈裟に倒れ込む女王。それに合わせ、ストラグルも涙ぐんでいた。どこか演技過剰である。
「おーいおいおい。お嬢様、次に会う時には死んでおるかもしれませんが、どうかお達者で……」
「縁起でもない。じゃあ、ガーディアナなんてアタシ達がぶっ潰してくるから。それまで死ぬんじゃないわよ」
「にゃあ……」
そこには、なんと喋る黒猫もいた。映画にも出てきた、幼いティセを魔法少女にした黒猫、トゥインクル。ティセの悪夢の始まりを象徴する、彼女の使い魔である。
「ティセ……あのにゃ……」
「トゥインクル、アンタはお留守番よろしく」
何か言いたげに話しかけるトゥインクルに、ティセはただそっけなく返す。
「ティセ……」
「あーらあら、トゥインクル、ご飯でもほしいのかしら」
女王は不審な動きを見せるトゥインクルを捕まえ、その胸へと少し強めに抱き寄せた。
「ふぎっ……」
「ティセ、最後に一つだけ約束して。あなた、力の暴走を招いたようだけれど、もう二度とそれを起こさないと誓えるかしら」
「え、何よいきなり」
女王は急に真面目な顔でティセへと問いかける。
「誓えるのかと聞いているの」
「ち、誓うけど……」
「そう、それならその証を見せてみなさい」
「証……?」
突然、パーティーに参加していた者達全てがティセを取り囲んだ。さらに次々と何者かが女王の間へと集まってくる。ローブを着込んだアルテミスの魔法兵達だ。
「ティセ様、ここはすでに包囲しております。どうかご容赦願いますぞ」
「ふーん……そういう事」
ストラグルもやはりグルのようだ。結局逃がす気はないらしい。
「またも引っかかったわねティセ、あなたにはこれからラビリンスに挑んで貰うわ! 無事に踏破するまでは、この国を出ることを禁じます! オーホホホ!」
「何よラビリンス踏破って! 撮影が終わったら行っていいって約束じゃん!」
「ええ、ロザリーさん達は、ね」
「騙したな! キスまでしたのにー!」
ティセはそのまま拘束され自室へと連れて行かれた。ポカンとするロザリー達に、とことこと歩み寄ってきた黒猫トゥインクルが話しかける。
「女王も人が悪いよにゃ。あれは絶対にティセを出さにゃいつもりだぜ」
「あ、魔法少女のネコちゃんだ! わー、よちよちー」
ネコと話すというおかしな体験も、アルテミスならなんら不思議でもない。パメラ興味津々にそれを抱き上げた。
「トゥインクルと言ったわね。これはどういう事?」
「うにゃ。女王はティセをマレフィカとしてまだ信用してないのにゃ。ラビリンス、それは難攻不落の魔法ダンジョン。冒険者達も次々に挑みに来るけど、誰もクリアはできにゃい。大浴場や魔法ランドに次ぐ、アルテミスの観光スポットさ」
「ダンジョンって……魔物の生息地の?」
「にゃ。でもアイツ一人じゃきっと無理に決まってる。前挑んだときは、行けても半分くらいが限界だったんにゃ」
どうやらトゥインクルはこの企みを知っていたらしい。果てはティセを不憫に思い、ふるふると涙を流し始めた。
「にゃあ、アイツを助けてやってくれ! アイツはずっとこの国でくすぶってた。大人達を信用できなくなって、不良にまでにゃっちまった。でも、あんた達に出会ってから変わった。あんなに楽しそうにしてるアイツ、久しぶりに見たんだ!」
真に迫るトゥインクルの願いに、ロザリーは胸を打たれる。映画の中で魔法少女ティセを救った、姫騎士ロザリーに今一度賭けようというのだ。未だどこか役の延長にあったロザリーは、もちろんその願いを快諾した。
「ええ、ティセはもう大事な仲間だもの。置いてはいかないわ」
「ロザリー……」
パメラはどこか、ティセに対し後ろめたさを感じていた。ロザリーのティセへの想い。それはただ、仲間への純粋な愛情である。それに対し、嫉妬している自分。
その感情は、一つの過ちを生み出した。今のロザリーは姫騎士などではなく、魔力のない普通の少女。そんな状態の彼女に無理はさせられない。
「うん……。私も、頑張る! ティセのこと、私も好きだから!」
――聖女様……。
彼女に対する思い。そこに偽りはない。
皆は顔を見合わせ、頷いた。
「そうと決まれば、攻略開始にゃ! ラビリンスへは、四人パーティーまで組む事ができるにゃ」
「え、私達ティセを入れて三人しかいないけど、大丈夫かしら」
「いや、ここにもう一人いるにゃ」
「どこに?」
「だから、四人目はこのトゥインクル様にゃ!」
「え……?」
ここまで頼りないドヤ顔があっただろうか。
こうして、魔女三人と使い魔一匹による超難度ダンジョン攻略が今始まるのであった。
―次回予告―
いじわる女王によって課せられた、前人未踏の無理難題。
自由を得るため、少女達は団結する。
それはいつか失った、かけがえのない宝物。
第19話「ラビリンス」




