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第23章 求愛の魔女 159.相反

 ロンデニオンとフェルミニアを跨ぐ山岳地帯。その無数の丘陵を、ものともせずに飛び越える二つの影があった。


 国境にある砦へと帰還する吸血鬼エリザは、その背に新しい恋人を乗せ、まるで鳥のように空を泳ぐ。


「ランデブー、ランデブー。子豚が二人、ランデブー」

「ぷっ、何だよそれ。それにしてもお前飛べるんだな。もう一山越えたぞ!」


 空からの雄大な景色に飲まれ、リュカはしきりに感心する。


「えっ、むしろ逆に飛べないのって感じ。リュカだってきっと頑張れば飛べるよ。飛ぼうとしてないだけだよ」

「確かにそうかもしれないな……。気を上手く操れば、もしかしたら行けるかも。コレットだって飛べるもんな」

「あ、知らない女の名前! はい、1ペナー」

「お前だってすぐにワルプルギスとかいう奴らの名前出すだろー!」

「わあ、嫉妬してくれてるんだ? だーいすき」


 嬉しさのあまり、エリザは急降下と急上昇を繰り返す。


「あっ、おまたがキュンってなる!」

「またキュン好き? 帰ったら、もっと良い事してあげるね」

「う、うん……お手柔らかに……」


 リュカは下腹部の奥から沸き上がる期待を、色めいた声で返した。


「ふふっ、童貞の男の子みたい。リュカってば格好良いし可愛いし、モテないのが不思議だよ。ねえリュカ、良かったらウチに来ない? こっちはこっちで、きっと楽しいと思うよ?」

「……お前の事は好きだけど、仲間は裏切れないよ。あいつらは、ずっと孤独だったあたいを救ってくれたんだ」


 まさかの返事に、エリザの顔色が変わった。自分への愛よりも、リュカをこんな目に合わせた場所の方がまだ大事らしい。


「ねえ、孤独よりも辛い事って分かる? それは、集団の中の孤独。愛を知ってしまったのに、愛されない地獄。さっきまで、あなたはそんな状態だった。それでも、そいつらは本当に仲間だと言えるの?」

「それは……あたいに勇気がなかったから……」

「どうかな? 善良な子豚を飼い慣らして家畜(ゴイム)にするのは、奴らの得意技だよ? ワルプルギスはね、対等なの。みんなそれぞれ、利害関係だけで動いてる。なんの得にもならない義理だとか情だとかは無いんだ」


 滅ぼされた一族の末裔として、エリザの人間に対する不信感は大きい。だが同じような人生を辿ってきたリュカは、反対にそれを笑い飛ばした。


「はは、ヘクセンナハトには義理や情しかないよ。でもあたいは、こっちの方が好きだな」

「……そっかあ。エリザも、もし最初に出会ったのがあなた達なら、仲良くやれてたのかもしれないね」

「それが情っていうんだよ。仲間達の事、大事に思ってるって事じゃないか」

「違うの。こっちでは間じゃなくて魔、“仲魔”っていうんだよ。つまり、これは情じゃなくて、盟約。裏切りは死を意味するの。エリザを殺せる奴なんていないから、私だけ特別に自由にしてるけど。あ、でもあの毒婦に目をつけられたらエリザも危ないかも……」

「パメラに呪いを掛けた奴も相当ヤバかったけど、まだヤバイ奴がいるのか……。でもそっか。組織ってそんなもんだよな、悲しいけどさ」


 リュカも段々と大きくなっていくヘクセンナハトという組織に、少しだけ不自由を感じていた。皆それぞれ自己を実現させるために仕事を頑張っている。だが、リュカとしては以前のように気ままに旅をやっている時の方が楽しかった。だから、何にも縛られずに大空を駆け巡る、エリザの奔放さに惹かれたのかも知れない。


「とかなんとか言ってるうちに、到着ー! まずはエリザのママ、レディナに挨拶しなきゃね」

「あっ、ここは……」


 降り立ったのは見覚えのある風景。以前イデア攻略作戦の帰還中、ディーヴァが残り、自分達を逃がしてくれた砦である。

 たった数刻でこんな所までやって来た事に驚くリュカだったが、そこでせわしなく働く少女達の姿にも驚いた。


「やっほ、グレタ」

「お帰りなさいませ、エリザ様。お連れ様は、もしかしてまた生け贄に?」

「この子はしないのー。へへーん、エリザの新しい恋人(ラヴァー)だよ!」

「左様ですか。あなたにも、神のご加護があらんことを」


 まるで戦闘には向かないであろう濃紺のチュニックとヴェールを身に纏う少女は、リュカに深く祈りを捧げ、再び持ち場へと戻っていく。


「あれ、修道女ってやつ?」

「そうだよー。真面目でお人好しのレディナ率いる、騎士修道会。赦罪節に戦闘は出来ないからって留守にしてたイデアの塔取られて、すぐにでもヘクセンナハトを攻めろって命令が出てたのに、聖地巡礼を日程通りに行って、行軍したらしたで、ここにあった沢山の死体をちゃんと埋めてお墓作ってあげて、霊が浄化するまで毎日お祈りをしてる、ちょっとおバカな人達。エリザ、ついてきたけど暇で暇で、我慢できずに一人で攻めに行ったの」

「そうか、これ、ヴァレリアが戦ったっていう兵の墓だったんだな……」


 リュカは仙者に教えを受けた際に、仙道(シェンダオ)という宗派に属した。本来なら掌と拳を合わせ拝むのだが、その場は修道女達と同じように十字を切って祈りを捧げた。この行為になぜか少しだけ胸がチクリとしたのは、十字というものが誰かを思わせるからだろうか。


 かたや祈るような素振りもなく砦の中へと入っていくエリザ。慌ててそれについていくと、ボロボロの門や、あの時自分達を襲った巨大戦車が出迎えた。


「ヘクセンナハトとマリスが派手にやってくれたせいで、砦も戦車が突っ込んでめちゃくちゃ。あのレディナでさえ少し怒ってるから、まずは謝ってね。そして、ちゃんと交際を認めてもらお」

「あたいがか? うーん、許してくれるかなー」


 この状況、まるでかの有名な戯曲のようだ。対立する間柄において、恋人の母親に会うという緊張に胸が否応にも高鳴る。


「レディナ、いるー?」


 砦の中も、所狭しと修道女達が駆け回っていた。その中の一人、少し器量のいい少女が、エリザを見つけるなり声をかける。


「あ、ディードだ」

「エリザ様、レディナ様は今、沐浴中です。あっ、ですが、いつものようにお邪魔してはいけませんよ! あなたが行っては、身を清める意味がなくなってしまいます」

「待てよ、それ、どういう意味だ。エリザが邪悪なものだって言いたいのか?」

「そ、そういう意味では……」


 コンプレックスを刺激されたのか、リュカはまるで自分の事のように修道女の発言を(とが)めた。


「リュカ、庇ってくれるのね。嬉しい! じゃ、そういう訳で早速お邪魔しちゃおうー。私達汗かいたしね。ここからは、裸と裸のおつきあい。レディナも裸の時は弱いから、グッドタイミングだったよ」

「あっ、ちょっと待てって! は、裸の突き合い……それって……」


 跳ねるように砦の裏手にある水場へと赴く二人。これから起こるであろう惨事に、少女は十字を切って祈る他なかった。


「ああレディナ様、おいたわしや……」




「祈りましょう。多くの(ともがら)のために。愛しましょう。我らを迫害する、(しるべ)無き者達を。捧げましょう。この血肉、全てをかけた信仰を……」


 沸き水を浴び、一人何かをつぶやく女性。

 ヴェールに濡れたその身は白く透き通るように、されどその内に流れる清らかな血は全身をほのかに赤へと色づけている。長い金の髪を伝い流れる水は、少しだけ血が混じっていた。聖理(メンス)の時期になると、彼女はひたすらに沐浴を重ねる。


 一切の穢れを知らぬ聖処女とも呼ばれる彼女はその実、自分がありふれた存在である事を知っている。月に一度このような身になる事は姦通の無い証でもあるが、人の域を超えない証でもある。

 真の聖処女は、メンスすらも存在しないと言われるセントガーディアナをおいて他にはいない。彼女ももう十五。とっくに初潮を迎えているはずであろうが、ついに教皇との婚礼の儀まで聖理は訪れなかったという。しかし、現在はどうしているだろう。それを考えるだけで、彼女は粘度の高い業を吐き出すのだ。


「ああ、ああ……聖女様……少しでも、あなたに近づきたく……レディナは今日まで高みへと昇ってまいりました。けれど、それが仇となり、この戦いを避ける事はついに出来ませんでした。これからあなたに牙を剥く事、どうかお許し下さい……」


 涙の懺悔。一日に倒れそうになるまで神徒の告解を聞く側である彼女だが、自身の抱えるそれこそがこの世で最も深い罪である事は疑いようもない。レディナにとっての神は聖典(カノン)ではなく、聖女である。主は誰にも許しを与えるが、その主に抗うこの身には、許しが訪れるはずもないのだから。


 主を想いながらの沐浴。その瞬間だけは、普段の身の堅さもほぐれ、どこか解放的になる。しかし、そんな楽園に、無邪気な悪魔の手が忍び寄った。


「レーディナ! お風呂一緒にはいろー!」

「え? きゃあ!!」


 全身が脱力していたレディナは、エリザの突然の抱擁にすってんころりんしてしまう。その結果、初対面のリュカとあられもない恰好でご挨拶するのであった。


「あ、お邪魔します。なあエリザ、この人、血が出てるけど大丈夫かな……?」

「は、はひ、はひ……」


 とんでもない姿を見られてしまった。レディナは平静を保つ事も出来ずに、浅く息をするばかり。


「なーにリュカ、聖理、知らないの?」

「うん。昔、蹴りの練習してた時、何かが切れて血が出た事はあるけど……」

「あ、じゃあ膜ないんだ、あれ破るの好きなんだけどな。人間はね、子供を作るために聖理っていう月に一度の禊ぎがあるの。吸血鬼のエリザや、よーせんになったリュカには当然ないよ。だって人の道を外れたからね」

「えっ、あたい子供できないのか!?」


 さらっとショックな事を言ってのけるエリザ。呆然とするリュカの代わりに、今度はレディナが正気へと戻る。


「え、え、エリザーッ! せ、説明なさい! 今までどこをほっつき歩いていたのですか!? それと、この方は一体!?」

「それよりもレディナ、何してたの? もしかして、オナ……」

「ま、まさか、聖職者が煩悩に耽るなど、もってのほかですっ!」

「あはは、レディナはこの道28年になる黙欲(もくよく)のプロだからねー。妄想だけで全然いけちゃう性色者って有名だよ」

「はああっ……その噂、あなたが流したんでしょう! 口、その口、悪魔が憑いています! 次から次に、神を冒涜する言葉を!」


 二人が金切り声を上げ口論する内容は、いつも砦へと響き渡る。そうして、修道女達はレディナへの憧れを少しずつ憐れみへと変えていくのだった。

 エリザはこれが楽しくて仕方が無い。今回はリュカを使ってもっとからかってやろうと考えた。


「言葉だけじゃないよー。口は他にもこうやって使うの」

「んぷっ!」


 エリザは見せつけるようにリュカとキスを交わしてみせた。レディナは真っ赤になってそれを凝視しては、罵倒の言葉を浴びせる。


「んひっ、ふっ、不潔です! 汚らわしい! ど、同性でそのような、神が許しても、この私が許しませんっ!」

「あれ? ガーディアナの神は許すんだ。じゃあいいでしょ」

「いけませんいけません! そんなふしだらな事したら、絶対に戻れなくなる……」

「え、今なんてー?」


 レディナが隠れレズビアンである事などお見通しだ。しかし、彼女は立場上(かたく)なにそれを認めようとしない。多数の同性愛者を裁き島送りにした手前、その事実をばらす訳にはいかないのだ。

 その結果、歪んだ感情は同性愛嫌悪(ホモフォビア)として現れる。エリザはその度に人間とは窮屈な存在だと気の毒に思うのだった。


「ああ、悪魔の囁きが私を苦しめるのです、聖女様、私は一体どうしたら……!」

「エリザ、からかうのはよせよ、困ってるじゃないか。あたいだっていい気はしないよ」

「ご、ごめんなさい……」


 レディナは目を疑った。あの奔放なエリザが人に謝ったのである。それは自分が紡ぐ百の説法より、彼女のたった一つの言葉を選んだという事。相反する感情を抱き、うわべだけの道を説く自分とは違い、この少女は心から正しい道を歩んでいる。その一瞬でレディナはそう確信した。


「お見苦しい所を見せてしまって、申し訳ありません。私はレディナ゠シュヴァリエ。ガーディアナの第七司徒、及びに騎士修道会を取りまとめる者です。どうぞよろしく」


 レディナは立ち上がりヴェールにてその身を隠すと、改めてリュカと向き合う。敵対関係にあるため、リュカはヘクセンナハトとはあえて語らず自己紹介に応えた。


「あたいはリュカ、八仙天龍拳のリュカ。よろしく、レディナさん」

「エリザの新しいフィアンセなんだー。ママ代わりのレディナには認めて欲しいな」

「えっ、でも、やっぱり同性愛は……」

「変態シスターのくせに、そんな事を言うのはどの口だー! だったら真実の口に聞いてみよう、本音が聞けるかも」

「ちょっとまって、そっちは……あっ……」


 その後、レディナは普段の姿が想像出来ないほどに乱れ、仕掛けたエリザでさえ軽く引いた。結局一皮剥けば、人なんてこんなもの。むしろ人を捨てたのなら、貞操を守るための禁欲生活などもう必要ないのだ。

 リュカの中の何かが弾けた。抑えつけてきた時間だけ、研ぎ澄まされた欲望がにじみ出す。


 どんな顔をしていたのだろう。それを見たエリザは、どこまでも淫靡な笑みを浮かべていた。




 砦内の寝室は、マリスが改装したのか優雅な調度品や豪奢なベッドがあつらえてあった。軽い眠りから覚めたリュカは、かろうじて人間の姿をとどめている自分の手を見つめる。


「う、また血が騒ぎやがる……。どうなっちまったんだ、あたい……」


 おかしな熱気に当てられたのか、再び妖仙の血が騒ぐ。エリザは隣でぐっすりと眠っていた。

 初めての行為。よく覚えていない。互いに獣に成り下がり、貪り合った気がする。

 たまに()ぎる初恋の人の影。けれど、彼女はもう遠い場所にいる。だから、こんな罪悪感は必要ないはずなのだ。


「うっ、く……あたいは、あたいは……」


 振り切らないと、駄目になる。もう自分は、人ではないのだから。


「「敵襲、敵襲ー!」」


 そこに、修道女達が騒ぐ声が外から響いてきた。こちら側にとって敵と言えば、ヘクセンナハトを置いて他にはない。リュカは飛び起きた。


「この拳が、向かう先を教えてくれる……。あたいも退路を断てば、お前をもっと愛せるかもしれない、エリザ……」

「うにゅー……」


 可愛らしい寝顔をそっと撫で、リュカはかつての仲間の元へと向かった。

 新しい愛に生きるため、そして、妖仙として死合うために。


―次回予告―

 流れる血は、これまでを生きてきた証。

 その純血に混じる一滴の不純さえも、神を欺く事は出来はしない。


 第160話「血闘」

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