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第23章 求愛の魔女 158.過ち

 世界最強――。

 現時点でのそれ(・・)は、間違いなく教皇リュミエールにあたるだろう。

 その強さの質はすでに人の器を越えており、神の領域にすら届くものと思われる。


 次に位置するのが女神の加護を受けた、いわゆるレジェンド。そしてカオスを移植された司徒や、覚醒したごく一部のマレフィカとされる。だが、あくまでこれは人の世の話。そのくくりを人ならざる者に広げた場合、この世界は思いも寄らぬ者達がひしめき合っている。


 第一に、魔族。

 魔王が血を分けたかつての人類、蛮人の力を得た者達。さらに彼らの王、魔人(イヴィル)はカオスと同等の力をも有する。


 第二に、亜人。

 人類の別の可能性として生まれた多岐にわたる種族。その中でも、突然変異のような存在が度々現れ、時に世界のバランスを著しく破壊してきた。

 吸血鬼もその一つ。大いなる存在の血を引く彼らは絶対数こそ少なくなったものの、今でも伝承などで恐れられている。


 第三とされるのが、(あやかし)

 これは人でありながら人を捨てた者とされ、霊的な力を備える。九尾とオロチという二つの神獣が、それぞれクーロンとイヅモにて眷属を増やしていったものが祖と言われている。

 妖仙はクーロンに伝わる妖で、負の感情に囚われた人間が妖力を受けて変化する。最終的にその顔は獣じみたものへと変貌するため、その多くが仮面を身につけているという。


 そして、今ここに新たなる妖仙が誕生した。

 負の感情こそが妖仙の源泉。これまで大事に育んできた愛を失った事によって、リュカという妖仙は完成したのである。


「リュカ、初めてだよ! エリザが本気出しても壊れない人間はっ!」

「グゥゥ……まだだ、まだこんなもんじゃねえ!」

「リュカ、激しすぎるよ! これはもう、セックスだねっ!」


 その言葉の何かが、リュカの破壊的な衝動をさらに強くした。


「があぁ! 命兇死衰(めいきょうしすい)!」

「ぐぼお……っ!」


 エリザの心臓めがけ、中指のみが少し迫り出した拳突が襲った。かつてサクラコに放ったこの殺人拳は、本気であれば数秒後に心臓は破裂し、全身の血を口から吹き出して倒れ込むほどの恐るべき技である。

 しかし、彼女の心臓は強靱なゴムのように弾力があり、むしろリュカの拳は弾き返されてしまう。


「んぶっ、んぐ……ごっくん」

「手応え無しか。こいつ、何者だ……」

「へへーん、全部、飲み込んだもんね! 吸血鬼を倒したいのなら、杭でも打ちこまないとダメよ」

「鼻血出てるぞ。無理すんな」

「これは、あなたを見てエロい事考えてたから! エロイムエッサイム、エロエロエッチタイム、我は求め訴えたり。今宵、らぶらぶえっちする相手を……!」


 突然エリザは黒魔術のようなものを唱え出す。もちろんそんな煩悩混じりの呪文は存在せず、不発に終わった。


「あれー? アンネに教わった黒魔術、どんなだったっけー?」


 まともに相手をするのもためらわれるくらいに、彼女はどこかおかしい。リュカは構えを解き、自らの凶器と化した拳を見つめる。


「今さらだが、調子狂うな……あたいは本気だってのに」

「エリザだって本気だよ。ね、試しにキス、してみる?」

「ど、どうしてそうなるんだよ!」


 リュカは思わず顔を隠した。フサフサに生えたもみあげが手に当たる。おそらく、今の自分は獣のような顔をしているはずだ。伝説の英雄、斉天大聖に憧れはしたが、まさか本当にそうなるとは思いもしなかった。


「ちくしょう……こんなんじゃ、もうロザリーに会えないよ」

「大丈夫だよ。あなたはとっても綺麗。ワルプルギスはね、そんな魔女達で一杯。醜い心を仮面で隠す人ばかり。あなたは、その逆だね。それが私には安心できるの」

「お前……」


 エリザは強引にリュカの手を払いのけ、その唇に顔を近づけた。

 血を吸いたい衝動に駆られるが、吸い過ぎると人間は簡単に死んでしまう。サバトで愛してくれた娘達も、おそらく衰弱し余命幾ばくもないはずだ。

 だから、今回は本気のキス。超越者の孤独。そんな同じ感情を共有できる相手と、やっと出会えたのだから。


「ん……んっ……」


 そのやわらかい唇に、リュカの強ばった唇は次第に溶かされていく。


「だめ……だめだ……」


 それは、ロザリーとの初めてのキスを思わせるほど淫靡で、愛おしい交わり。忘れかけていた感情が甦り、リュカの目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「そんなに、愛していたのね……」


 エリザも同じように泣いた。魔女の悲哀をも上回る、その絶望に。


「でも、もう楽になっていいんだよ。これが私の力、吸愛(ラヴァーズ)。仲魔たちにマギアを使うのは禁止されてるけど、あなたには受け取ってほしいの。悲しい片思いはこれでおしまい。あなたはもう、エリザの恋人だから」

「エリザ……」


 目の前にいるのは、ロザリーではない。けれど、例えそうじゃなくても、こんなにも愛をくれるのなら、それでもいいかと思えた。

 しかし、それは純粋な想いとは少し違った。彼女のマギアの力により、ロザリーに対する愛はその向きを変え、そのままエリザへと注がれる。あんなに好きだった人が、遠くなっていく。そして、隣には心から自分を理解し、優しく微笑む、少し背の低い少女がいた。


「りゅーかっ! 元気、でた?」


 戦いの血を、涙が洗い流す。もう、ひとりじゃない。愛に飢えた心が満たされた時、彼女はすでに化け物じみた姿から解放されていた。


「二人で、本当の楽園に行こうね。大好きだよ、リュカ」

「うん……エリザ」



************



 その後、嘆きの森をくまなく捜索したクリスティア達であったが、ついにリュカの姿は見つけられなかった。ただ、あり得ないほどに激しく戦ったであろう跡を残すのみである。


「ムジカ、相手は一人だったのね?」

「うん……、とっても強いコウモリ女。でもムジカは何も出来なくて、リュカがよーせんになって、助けてくれたの」


 大粒の涙を流し、ムジカはうつむいた。いつも彼女から先生先生と慕われるコレットは、思わずその小さな体を強く抱きしめる。


「気にしなくていいのよ。あなたはこの世の(ことわり)から外れた、闇の住人(ダークストーカー)を知らないのだから。普段は明るいあのリュカさんも、その眷属である事に悩んでいた。わたくしが……わたくししか、その思いを受け止める事は出来なかったというのに」


 少しばかり一緒にいたせいか、コレットはリュカにほのかな感情を抱いていた事に気づく。しかし持ち前の自虐心により、恋にまでは発展しなかったのだ。ここに来て、たとえ死人であろうとちゃんと気持ちを伝える事の大切さを噛みしめる。

 それはクリスティアも同じであった。一度は交際を断りはしたものの、ロザリーに振られた者同士、確かに思いを寄せる気持ちは大きい。そのせいか、コレットに対し質問する声は少し震えていた。


「コレット、その闇の住人という者について詳しく教えていただけますか?」

「ええ、人にあって人ではない、突然変異的な種族よ。アンデッドにあたるわたくしも、妖仙であるリュカさんもその一員。そしてそのコウモリ女……、もしかしたらダークストーカーの王たる、吸血鬼かもしれませんわね。だとしたら、まともに相手して勝てる人間は存在しないわ」


 あのエトランザにすら恐れなかったコレットが、ここまで言う事も珍しい。ならばと、かつてそのコレットすら震え上がらせた存在であるパメラが歩み出る。


「それなら……私でも、だめ?」

「パメラさん……。以前のあなたならいざ知らず、今のあなたでは餌になるようなものでしょう」

「う……」


 力になってくれる超常的な存在といえば、皆もう一人心当たりがある。その期待に応え、アリアが一つ歩み出た。


「だったら、ベリアを呼んでみましょうか?」

「呼べるのならそれが一番でしょうけど、アリアさん、出来まして?」

「いいえ……。私も会いたいのだけど、あの子、あれ以来連絡もしないで、お母さんそんな不良に育てた覚えはないわ……」

「まだ産んでもいないでしょう。とにかく、今は守りを固めるしかありませんわね。しばらくリユニオンは外出禁止を徹底し、交易も止めるしかないでしょう。リュカの事はわたくしに任せて、あなた方は街を守りなさい。いいわね」


 打つ手なし。それが彼女の答えだった。新天地へと移住して早くも襲いかかる危機に、皆の浮かれていた気分は地の底へと落ちてしまう。


「やはり、楽園など存在しないのかしらね……グリエルマ」

「いや、それはこれから創る物だ。子供達を導く者として、未来に絶望などは出来ない。きっと新たな法が完成した暁には、ここを攻めようなどと思う者もいなくなるだろう。それに、もし後ろに控えるという軍が彼女のものであれば……」

「彼女?」

「ああ、騎士修道会のレディナ。司徒の中でも穏健派であり、信頼できる人物だ。むやみに戦火を拡大させるような事は無いだろう」

「だとすれば、話し合いの用意をしなければなりませんね。皆さん、ここは一旦帰還します! コレット、心苦しいですが、後は頼みましたよ!」

「ええ。お任せなさいな」


 クリスティアの号令がかかり、小隊は街へと踵を返した。あとは闇の住人をよく知る、不死身の彼女へと託すしかない。その場に最後まで残っていたパメラであるが、たまらず力無くコレットへと声をかけた。


「コレットちゃん、リュカの事、お願い……」

「ちゃん付けはおやめなさい。あなたはもう、上に立つ人間なのですから。こちらこそ、ムジカの事、よろしくお願いします」

「うん……!」

「それからアニエスの事ですが、あなたがしっかりとその手綱を握っておきなさい。彼女はよく使えば、きっと誰よりもよく働いてくれるはずです」

「あ……、私、ちゃんと言うの忘れてた……。アニエスには枢機卿だっけ。そういうのになってもらおうって。人と魔女を繋ぐ、大事なお仕事をやってもらうの」

「フフ、いいわね。早速伝えてあげなさい」


 それを聞いて安心したのか、コレットは深い森の奥へと消えていった。


 みんな、みんな大事な仲間。これから出会う、たくさんの人達も。パメラは遠くを見つめながら、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「セントディアナとして、私にできる事……。それは、みんなを愛する事……」



************



「はあっ、はあっ、はあ……」


 アニエスはぶつける先の無い苛立ちを抱え、ロザリーの下へ走っていた。

 みんなが好きだから、魔女の事が好きだから、自分の中に芽生えた不和の種を、このまま育てるわけにはいかない。

 富と権力を持つ度、すくすくと育つグロテスクな果実。それはこの手で、あの司祭を討ち取った瞬間から植え付けられた、甘美なる復讐という快楽。


 こんな時はいつも、ロザリーの事を想う。自分の原点である彼女だけが、ここまで生きてきた支え。共に手を取り復讐の共犯者となった彼女ならば、きっとこの孤独も癒やしてくれる。


「どこへ行くの? お嬢様」


 砦から少し離れた森の中、あまりにも美しいシルエットがアニエスを遮る。

 それは、白馬に跨がったロザリーであった。騎士の証として、クリスティアから贈られたシュヴァイツァー号。そのたてがみは優雅で、その体躯はたくましい。

 アニエスはまるでおとぎ話の主人公になった気分で、ロザリーへと駆け寄った。


「ああ、ロザリー、ロザリー!」

「泣いて……いるの? 大丈夫、大丈夫よ」


 ロザリーはアニエスを引っ張り上げ、その体を後ろから包み込む。


「何かあったんでしょう。急いで走ってきたのだけど、なぜあなた一人で……」

「私が苦しい時、あなたはいつでも来てくれるね。マギアってやつの力?」

「どうかしら。ただ、森の方からリュカの力を感じたわ。何か、救いを求めるような……」

「敵襲らしいわ。だけど、きっと大丈夫。みんなが助けに向かったから。彼女達はマレフィカだもん、負けるはずがないわ」


 全てを聞き終える前に、ロザリーは再び馬を前進させる。


「ちょっと、どこへ行くの?」

「あなたは誤解をしている。マレフィカは決して無敵の戦士ではないの。今まではただ、運が良かっただけ。パメラが力を失った以上、もう奇跡は起こらない。私達は、常に死と隣り合わせなのよ」


 アニエスは傷を負ったムジカの姿を思い出し、少し押し黙る。年少の彼女でさえ命を賭けて戦っているというのに、何も出来ずにいる自分が情けなくなったのだ。

 だが、それも仕方がない事。自分はただの人間なのだから。いや、力が無いからこそ、人は非情になれるのかもしれない。


「そうね。ガーディアナ……奴らは容赦なんかしない。でも、こちら側は違う。これから、パメラが組織の上に立つ事が決まったわ。だけどあの子には、非情な決断は下せない。このままだと、一方的にやられてしまうかもね。こんなだったら、大人しくアイドルでいてくれたら良かったのに……」

「あなたが引き込んだのでしょう? あの子は、歌が歌えるからと言ってただ嬉しそうにしていた。それを餌に、あなたは政治の世界に引きずり込んだのよ!」

「あなた達にはあなた達の戦い方がある。でも、私にも、私の戦いがあるの! 人の世界で生きていくには、権力という力が必要。私達、このままではガーディアナに対する怒りすらも忘れてしまうわ。だからロザリー、私達だけでも、奴らに復讐しよう……一緒に憎き敵に剣を突き立てた、あの時みたいに」


 アニエスの吐息は熱くなっていた。確かに、幸せの中にいれば、怒りという刹那的な感情は風化していく。だが不思議と彼女といると、逆十字にいた頃の憎悪剥き出しでいた自分を思い出す。数々の戦いを経てロザリーは変わったが、彼女の時間はあの時のまま止まっているのだ。


(アニエス……)


 パメラの選ぶ道が正しいのか、それはロザリーにも分からない。ただ、これまで彼女と共に幸せな時を過ごしてきて、ガーディアナへの怒りが少しずつ薄れていく事に確かに焦りを覚えていた。このままでは愛する人の家族同然の者達に、刃を向ける事になるのだと。ならば、全てを忘れ、これからを共に歩む事を考える方が気が楽だ。


 だが、本当にそれでいいのか。そんな一欠片の疑問が、アニエスの剥き出しの思考に同調する。もしかしたら自分は、少しばかり平和に浸かりすぎたのかもしれない。


「そうね……。私は、復讐に生きると誓った。パメラは優しい子だけど、それが弱点でもある。私が強くなければ、その理想は簡単に壊されてしまうわ。あの赤い光、あれは、私の理想を壊す光だった。もう、絶対にあんなことをさせてはならない……」

「うん、守ろう。私達で、みんなを」


 ロザリーはその場を引き返し、馬をリユニオンの北方へと繋がる出口へと向かわせた。アニエスの狙いは、後方に控えるはずのガーディアナ軍。そんな大所帯が険しい山々を越え、あの森を抜けられるはずがない。

 この辺りでまとまった軍が駐留できる場所といえば、フェルミニアの国境にあるはずの砦。つまり攻めてくるとしたら、こちらの道からであろう。


 二人だけの決死隊。愛の逃避行じみた錯覚が、アニエスの正常な判断能力を麻痺させていく。


「私とロザリーなら、何だってやれる。あの時みたいに……」


 かつて修道女として人々を救った事が、いつしかアニエスの誇りとなっていた。あの時のように勇気を持って行動すれば、みんなが認めてくれるのだ。


「アニエス……」


 それが半ば功に焦った行動だと理解しつつも、ロザリーは彼女の力になる事を決めた。この子は、かつての自分。言っても聞かない事くらいは理解できる。だから、今度はキルやギュスター、そして逆十字の仲間達のように、自分がこの子を守ってあげる番であると。


 それがきっと、新たな道を歩み出したパメラの支えにもなると信じて……。






 街は普段の騒がしさを忘れたかのように、静けさの中にあった。

 戒厳令を受け、ヴァレリアと共に監視塔から偵察中のサクラコは、国外へ向け弾丸のように走り去る白馬を目にする。


「あれは……ロザリーさんの馬? ヴァレリアさん、一体どうしたんでしょう?」

「お姉様の……? よく見えますね、どこへ向かっているんですか?」

「あの道を行くと、確かフェルミニアへと辿り着くはずです。うーん、誰かと一緒のようですが……」

「まさか、あの砦へ? そうか、砦跡に軍がいると睨んで……。サクラコさん、我々も急いで向かいましょう!」

「は、はい! すぐに追いつきますので、先に向かっていて下さい。私はクリスティア様にこの事を報せてきます!」


 ヴァレリアは少し小ぶりな青鹿毛(あおかげ)の愛馬に跨がると、全速力でそれを追いかけた。


「お姉様……! あそこは不吉の地です、どうか早まらないで……!」


 国境の砦と聞き嫌でも思い出すのは、ワルプルギスの策略に掛かり忘却化した悪夢。ロザリーに迫る悲劇を振り払うように、ヴァレリアは楽園を飛び出した。


―次回予告―

 愛してる。

 いや、愛してた。

 少女は溺れる。本当の心を隠して。


 第159話「相反」

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