第17話 『魔法大国へ』
これはティセと出会ってから、少し経っての話。
ロザリー達はガーディアナから身を隠すために、無事国外へと脱出していた。
というのも、あれからティセの従者と名乗る者が現れ、かくまいつつ船を出してくれたのだ。
渡りに船とはまさにこのこと。彼らは家出したティセを探していたらしく、幸か不幸かあの大事件のおかげで発見が早まったのだ。
ティセは従者に対して追ってきた事に怒り、絶対に帰らないとだだをこねたが、すでにガーディアナ全土でお尋ね者となった身である。ロザリーの説得もあって渋々、帰還を了承した。何故そこまでぐずるのか、理由については道中、何も話してはくれなかった。
これから向かう先は海を隔てた島国、魔法大国アルテミス。
それはガーディアナ、フェルミニア、ローランドの三大国に囲まれた、偉大なる海と呼ばれる巨大な地中海に浮かぶ、歴史深い国。中でも、魔法という概念を作り出した祖でもあり、長年にわたり世界の列強国の一つとして君臨している。
そしてそこは、ティセの母国でもある。彼女は複雑な顔で、海の向こうを眺めていた。
一同を乗せた船は港へと停泊し、ロザリーはいままでと全く違う空気を胸一杯に吸い込む。これは、潮風とお日様、そしてどこからか漂う、花のようなアロマの香り。
「うーん、良い空気だわ。やっと外国に来たって感じね」
「ほんと、みんな良い匂いがする。これがアルテミスかあ」
二人は開放感から、田舎者丸出しでその先に広がる都会を眺める。母国を褒められ、ティセは少し得意げに答えた。
「まあ、アルテミスといえば魔法や香水が有名よね。それと、あそこは外せないわ」
「あそこ?」
ガーディアナでは、どこへ行っても信者の持つお香、つまり香木の匂いがついてまわった。それにごまかされ、今まで気づかなかったある事にティセは気づいたようだ。
「くんくん……。やっぱアンタ達、くさいわ。お風呂、入るわよ!」
早速ティセが連れてきたのは、世界でも最先端の娯楽施設、アルテミス大浴場。
ガーディアナでの着の身着のままという逃亡劇も終わりを告げ、ロザリー達は優雅な大理石のお風呂で旅の疲れを癒やしていた。
「ああ、生き返るわ」
「ちゃんとしたお風呂に入れるなんて、久しぶりだね」
「ええ……お爺さんの家で入って以来ね」
「うん……」
季節は春前。寒の明けもまだという中、二人は川や井戸の水で体を洗ったり、野宿をしたりと厳しい生活を続けていた。そこに体を伸ばしながらゆったりと浸かれるお風呂なんて与えられては、まるでお姫様にでもなった気分である。
「アンタたちねぇ、アカがお風呂に漂ってるんだけど。ちゃんと洗ってから入りなさいよね」
「そういうティセも、ちょっと臭かったよ?」
「うぐぐ、だって、家出してたんだし……。汚い噴水に入ったし……」
ティセは念入りに体をこすり、こんな屈辱は初めてだと自分の匂いを嗅ぐ。それに感化されたロザリーとパメラも、お互いの匂いを確認し合った。
「ロザリーのにおい、流れちゃったね。ちょっと残念」
「そ、そんなににおってた!?」
「ふふ。ロザリーの汗のにおい、私好きだよ」
「そ、そう……。でも、パメラからはいつも甘い香りがするわ……羨ましい」
お風呂の中でもくっついて離れない二人に、ティセは少しだけ疎外感を覚える。けれどそこからは、仲が良いというだけではない怪しい雰囲気も感じた。
(もしかすると、こいつら……)
沸き上がる一つの疑惑を確かめるべく、ティセはおもむろに二人の前に立つと自慢のポージングを披露した。
「でさでさ、どうよアタシ。ちょーイケてるでしょ? ロザリーと違ってスリムだし」
ぷるん、とハリのある胸が揺れる。全身泡で隠れているが、下の方も隠す気はさらさらないといった様子だ。
「それは……そうかもしれないけど、私達に見せつけられても……」
真っ赤になったロザリーが目を背けながら答える。
「そのリアクションは、もしかして……照れてる?」
「違うわよ……」
ロザリーの言葉はどこか語気が弱く、ティセは持ち前の嗜虐心がうずうずと刺激された。それに続きパメラも、少しいたずらにロザリーをからかう。
「ロザリーは私の体を洗うときも、あまり見ないようにするの。だから時々、変な所とか触ってきて……」
「そ、それはっ! だって、裸なんてあまり人に見せるものではないし……そういうのは……」
「自分は堂々と尻晒して何言ってんだか」
「尻は関係ないでしょう! 動きやすいからよ!」
「ふーん……」
この慌てよう。ティセは本格的にロザリーの趣向がそっち寄りなのではないかと疑いをかける。普通なら女同士の裸など特に気にもしないはず。それでも少しもこちらを見ようとしないロザリーに、ティセはちょっとだけ意地になった。
「お湯熱いな、足だけつかってよーっと」
ティセはロザリーの前に位置取り、そーっとお湯に浸かるとそのまま縁へと腰を下ろした。大事な部分をタオルで隠し、少し、無防備に脚を開く。チラリズム作戦である。すると、ロザリーは明らかに違う方を見ながら鼻歌を歌い出した。その顔は真っ赤だ。
(ふふん、面白ぉい)
「あー、熱い熱い。ねえね、パメラもこっちおいでよ。のぼせちゃうよ」
「そうだね。ちょっとぼーっとしてきたかも」
ティセは隣にパメラを招き、さらに少しずつ脚を開いていく。目的も忘れ、ティセは興奮していた。もし今見られたらと思うと、湯あたりでもしたかのように全身は火照り出す。
「ふう、真っ赤になっちゃった」
パメラはお湯から上がりタオルで身を隠すと、ティセの隣で膝を抱えた。白い肌がその通り茹で上がっている。ロザリーはつい、それを目で追った。そしてパメラの素足を少し見つめた後、再びどこか違う所に目を移す。ロザリーの胸は高鳴りを隠せない。
(見た見た……。これはガチだわ。仕上げといくかな)
「ねえ、ロザリー。アンタ恋人とか、いるの?」
「えっ! いない……けど」
急な質問に、ロザリーはティセを見つめた。気まずくなって視線を下ろすと、つい、見てはいけないものが目に入る。
「そっか、じゃあ、アタシ……ロザリーの彼女になろっかな……」
「……!」
ビクッ、とロザリーはパメラの方を見た。パメラもびっくりして、ロザリーを見つめる。
(はい、なるほど。やっぱりそういう事か)
「って、冗談冗談。どう? その気になった? 女同士なんてあるわけないじゃん! バッカじゃないの? アハハハッ」
「……」
とうとうロザリーはうつむいてしまった。やりすぎたかな、と、パメラの方を見ると、その目は涙をいっぱいに溜めてティセを睨んでいた。
「ひどいよ……」
(しまった。こっちがマジな方だ)
ティセは特大の地雷を踏んでしまった事に気付く。パメラには一度本気で泣かされているのだ。ここは、冗談でもフォローするしかない。
「あっ、違う、その、あれよ! アンタ達の仲に嫉妬しちゃって、アタシも仲間にはいりたいなーって、つい意地悪を……」
苦し紛れの嘘を信じたのか、パメラの表情がパァっと明るくなる。
「そういう事なら……、うん……」
少しのぼせたパメラは、ティセに寄りかかった。そして、顔をティセの弾力ある胸へと寄せた。心の声直伝の、パメラが甘える時の仕草である。
(あっつ! この子、ほっぺたあっつ!)
これは取り返しが付かない嘘では? ティセは終わりの始まりを予感した。ロザリーはまたどこか違う所を見ている。こちらもまた、ティセの言葉を真に受けているのだ。面倒な事になってしまったと、とめどない後悔が押し寄せる。
「あははー、嬉しいな、あははー……」
************
にわかに騒ぐ少女達の声が男湯にまでに響く。ティセの付き人、ストラグルはその声にほっと一息を付いた。白のフードから覗く顔の下半分が白い髭の八十近い老人で、魔導師と呼ばれる、位の高い魔術師である。
苦闘というその名の通り、彼の顔のシワは全てをもって、主人であるティセへの気苦労を物語る。さらに今回の家出騒動による心労も加わり、彼の寿命はもはや燃え尽きる寸前だ。
「やれやれ。あのお転婆お嬢様も、やっと心許せる友を作って下さったようだ。これで私も、ようやくあの世に逝ける……」
やっと死ねるというのが口癖である老人は、その様子をある人物に報告するため、懐から謎のアイテムを取り出した。
5インチほどの長方形の平たい物体。そこに指で触れ呪文を唱える。すると、機動音と共になにやら絢爛豪華な一室が光を放ち浮かび上がった。
『ストラグル、ちゃんと監視は敷いているようですね』
「ご心配なく、アルテミス女王陛下」
そこに映し出されたのは、派手な格好をした口紅の濃い妙齢の美人である。
アルテミス女王。ストラグルは確かにそう言った。
大浴場では、謎の男達が常にロザリー達を見張っていた。パメラだけはなんとなくそれに気付いてはいたが、自分がガーディアナにいた時も似たようなものだったので、気にも留める事はなかったというのが実情ではあるが。
『いいですか、絶対に、この国から出さないように。頼みますよ』
「はっ、万事ぬかりなく。ティセ様はともかく、あの二人はすっかりこちらを信用しております」
ストラグルは男達に目配せし、監視体制をさらに強めるよう指示した。女王の言葉は絶対である。
『ぬかりなく、ね……。聞く所によれば、あの子はマレフィカとして目覚めたとか』
「はっ、全て我々の不徳と致すところです。運良くあの騎士様が出くわさなければ、誰も止めることは適わなかったでしょう」
『ふむ。マレフィカの、騎士か……』
アルテミス女王はただ、細い眉を上げた。そして満足そうに、身の回りの従者達へと指示を出す。
『今宵は特別な夜になる。今すぐ宴の準備を始めよ!』
『『ははっ!』』
『ではストラグル、あの子を、必ず送り届けなさい。その為なら、何をしても構いません』
「……女王陛下の仰せのままに」
ストラグルはまたも呪文を唱え画面を閉じた。そろそろティセ達もお風呂から上がるようで、同時に監視中の男達もいそいそと動き出す。
「お嬢様、もう逃がしはしませんぞ……」
老人はフードから鋭い眼光を放ち、不敵に独りつぶやくのだった。
ここアルテミス大浴場には公共の福祉施設というだけではなく、庶民の娯楽の場というもう一つの顔がある。
その国民性か大衆娯楽がやけに発展したこの国は、どこか他の国とは違う暢気さがあった。少なくともガーディアナでは、お祭り以外で娯楽らしい娯楽は見ていない。パメラが言うには、娯楽は堕落に繋がるとの教えから規制されやすいのだという。
しかし、ここはすでにガーディアナではない。早速気の抜けたロザリー達は、湯上がりにマジックピンポンという遊技で遊んでみる事にした。
「やった、これで3セット! よっわ! ロザリーよっわ!」
「くっ、魔力の操作にまだ慣れないのよ。そもそもなぜ、光の玉が飛んでいるの?」
「うーん、そういうもんだからとしか言えないんだけど」
このようにアルテミスでは“魔動装置”という技術の発展によって、他国とは少し異なる文化が形成されている。この魔動装置には様々あって、魔法プログラムが擬似的な人格となって人間の相手をしたり、あらゆる仮想的な空間をその場に映し出す事もできるものもある。さきほどの通話器も、マジカルフォンという最新型の魔動装置である。とにかく便利な代物だが、この装置を扱うにはそうとうな魔術の知識が必要なため、他国に出回る事はまずほとんどない。
そして一人、最新型のMRアトラクションで遊んでいたパメラは、興奮した様子で幻想的な世界から帰還した。
「ロザリー、これ、すごいんだよ! まるで夢の中にいるみたい!」
それに向け、優しい笑顔を向ける老人。ティセの従者、ストラグルである。
「我がアルテミスは、魔法という概念が生み出された土地。この程度の事は朝飯前でございますよ。では皆様、おもてなしの準備が整いました。さ、ティセ様、女王陛下がお待ちです、さっそく城へと向かいましょう」
エスコートするように、ストラグルは手をさしのべた。しかしティセはそれを、手にした魔動ラケットで払いのける。
「家には戻らない! アタシ達は、ガーディアナから逃げるために仕方なくこの国に来たんだから! 死んでもお母様になんか会わないからね!」
城? 女王? お母様? 先程から少しばかり聞こえてくるワードがややセレブリティに溢れる。ロザリーはそれらを繋げ導き出した疑問を、ありていにティセへとぶつけた。
「ティセ、あなた、お姫様なの?」
「その呼び方はやめて。あーかゆいかゆい」
するとストラグルが、私が答えましょうと言わんばかりに二人の前に出る。
「はい。この方こそ何を隠そうアルテミス次期女王、ティセ゠アルテミス゠ファウスト様なのです」
「ええっ!?」
「だというのに家出などされるものですから、この国は混乱の極み。ですので一刻も早く戻っていただかねば、私共としても非常に困るのです」
ロザリーもパメラも度肝を抜かれた。こんないい加減で攻撃的で浮ついたふしだらな子が、この国のお姫様だなんてまさに世も末だと。しかし、パメラは自分も似たようなものか、と我に返る。
「と、いうわけで、アルテミス城にてティセ様ご帰還記念の晩餐会を開く事となりました。さあさ、お二方、あなた方はティセ様の恩人です。手厚くおもてなしをする所存」
「どうしよう、晩餐会だって! ごちそう、あるかな!?」
豪華料理と聞いて、パメラはすっかり付いていく気満々でロザリーを見る。まあ、お呼ばれして行かない方が失礼にあたるだろうと、ロザリーはティセをふんづかまえた。
「ほら、おとなしくしなさい。元はと言えばあなたが悪いんでしょう」
「どんな力してんのよこのゴリラ! これからゴロリーって呼んでやる! やめてーっ!」
とりあえず暴れるティセを押さえつけ、一同は陰謀渦巻くアルテミス城へと向かうのであった。
(お労しやティセ様。果たして、どのようなお仕置きが待っておられるやら……ほっほっほ)
―次回予告―
絢爛豪華な舞台での一幕。
魔女達にとっては、滑稽なまでの非日常。
けれど今だけは、少しばかりの現実逃避を。
第18話「ロザリーとティセ」