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第165話 『魔法の国』

 ティンティロティンティン、ティンティロティロリロ♪


 心が弾むような音楽の中、踏み出せばパステルカラーで彩られた別世界。それは、訪れた者全てを幸せへと誘うワンダーランド。


「マジカルランドへようこそ! ここは夢と魔法の国。今日は時間を忘れて、楽しんでいってね!」

「嘘でしょ、ちゃんと営業してる……。国の一大事だってのに」

「ほう、ここがあの有名な魔法の国か」


 カオスの住まう異次元ネビュラから脱出したティセとエトランザは、目的地であるアルテミス・マジカルランドへと到着した。煌びやかに点滅するアーチの中からまず最初に出迎えたのは、マッキーと呼ばれる黒塗りのネズミのマスコットだ。

 エトランザはマッキーが笑顔で振り撒く怪しい粉を浴び、思わずくしゃみをした。


「ぶえっ、何これ、なんか魔力が回復したぞ」

「ヒヒッ、ボクからのプレゼントさ! ティセ様に免じて、君達は顔パスだよ!」

「まつたく。相変わらずね、ここは……」


 目の前にはまるで休日を楽しむかのように人でごった返す、あまりに日常的な風景が広がる。常に戦いの中にあったこれまでとは違う時間が流れているようで、二人は逆に非日常に足を踏み入れたような感覚に陥った。

 それもそのはず、マッキーの撒く粉には一種の気分高揚の作用があるのだ。ここでは嫌なことを忘れて、ただ童心に返ってほしいという心配りである。


「ヒヒッ、エーテル薬を粉末にしたものだから、決して怪しいものではないよ!」

「舐めると、ハッピーニャーンの粉みたいな味がするのよね。猫にあげると暴走するから、トゥインクル起こさないようにしないと」

「大丈夫なの、それは……。邪教団も真っ青ね、お前の国」

「人聞きが悪いな。俺はこの終わりのない悪夢の中で、人々に一時の夢を見せているだけさ」


 続けて、支配人であるメトルがティセを出迎えた。相変わらず背が小さいチャラ男だが、小さくなってしまったティセとしては大きく見上げるばかりである。


「良く来たな、ティセ。向こうでは色々と大変だったらしいが……」

「大変どころじゃないわよ! アタシはこんな姿にされるし、ママ達が……!」

「その事だが、ママは無事だ。先程行われたカトリーヌの声明によると、城はすでにパペットに制圧され、ママは降伏を選んだようだ」

「そんな! じゃあ、国民のみんなは……」

「安心しろ。学園と含め、奇跡的に死者はほとんどいない。何の思惑があるかは知らんが、ヤツは人々の命と引き替えに、ティセを差し出すように言っているらしい。もし下手な事をすれば一人一人処刑していくという条件付きでな。つまり、情けない事に俺は手が出せん状況にあると言うわけだ」

「あいつ……!」


 ティセは悲しみというよりも、むしろ怒りに包まれた。一目見ただけでカトリーヌ自身に戦闘能力はない事は見抜いている。だから彼女には分からない。暴力というものの本当の恐ろしさが。弱者の立場から振るうそれは、過剰な正当性を得る事により狂気の力ともなるのだ。


「ふむ。こいつらを相手取るなら、人質がベストな選択肢だろう。エトだってそうする」

「アンタね、敵か味方かはっきりしなさいよ……」


 しかし、とりあえず皆が無事である事にティセは胸をなで下ろす。パペットは人を殺せないようにできている上、右腕のミハエルの魔力は削られ、バルホークも狂化が解けかけていた。カトリーヌのマギアは未知数だが、依存する力もなければ当分は無力であろう。あとは残されたディーヴァさえ無事なら言う事はない。


「まあ、こちらから何もしない限りは安全とも言えるだろう」

「でも、いつまでそんな状況が続くか分からないわ。あいつは、ためらいもなく人を殺せるヤツよ。パパもアルテミス特別区の惨状は知ってるでしょ」

「ああ、俺もその時に動けていれば良かったのだが、ラビリンスの処理に時間を取られていたからな。だがあの男を救うには、そうするしかなかった……。ラビリンスのサービスを終了させ、いわば命の払い戻しをする必要があったのだ」


 そう言えばと、エトランザはピーターのカオス、ペイトーから聞いた話を思い出す。彼女によると、ピーターは今昏睡状態にあるという話であった。


「そのピーターの事だけど、エトに会わせてくれない? 同じ司徒として、ちょっとケリをつけておかないといけないから」

「同じ司徒だと? ……って、まさか、このガキが女帝エトランザか!?」

「ま、そういう事。ちょっとこいつとはアタシも因縁があってね」

「ふふ、感謝しなさい。エトがいなければ、今頃はティセもどうなっていたか分からないわ」


 エトランザは恩着せがましく自慢しながら、ピーターの魔力を探る。すると、瞬く間にピーターの眠る寝室へと空間を繋いで見せた。


「ここね。お邪魔するわよ」

「ほう、空間にゲートを作るとは、魔法でも容易でない事をやすやすと……」

「パパ、とりあえず危険はないわ。ついてきて」


 ティセに促され、メトルはおそるおそるゲートに足を踏み入れる。するともう、目の前にピーターの眠る寝室があった。持ち前の魔術マニアである彼は、その原理を一人分析する。


「ふむ……これはラビリンスシステムのように、エーテル体だけを転送する物とも違うな。あとはテレポートという魔法もあるが、大型の装置を使って物体を離れた場所に届けるのがやっと。人間が通ろうものなら、一瞬で挽肉になるだろう。だがなるほど、この穴を維持するために反重力が作用しているのか、これは使えるかもしれんな……」

「ふん、魔法なんて、マギアから見れば子供だましみたいなものだ。マギアはそのどれもが、一つの方向に極限まで特化した力だからな」

「確かに……。我が師、賢者ルーン曰く、魔法はより汎用性に長けるようにマギアを模して作られたものらしい。例えばティセに掛けられたマギア、これは時魔法(タイム・クラスタ)に近いものだろうが、クイックやスロウと言った初歩的なものでも使い手は少ない。ママにかけたイモータル、あれは不老不死の魔法だが、不完全なこれでもレベル15。ここまで若返らせるなど、あるとするならレベル20程のシロモノだろう」


 アルテミス一の魔法使いの自分ですらそんな芸当はできないと、メトルはむしろ感心してみせた。賢者ルーンの発明したクラスタ・システムは、引き出す力に制限を加える事によってマギアをより汎用化させたものだ。だがそのしがらみにより、特化した魔法をいくつも習得する事は困難を極める。それを打ち破る事が出来るのは、現在ティセのイマージュキャストのみである。それですら、限界はイメージした術者に依存する。


「ねえ、パパの時魔法で大人には戻せないの? さすがに服もブカブカで歩きづらいし、何より恥ずかしくて……」

「まあ、時間を掛ければ戻せない事もないだろうが、何でだ? すごく可愛いじゃないか。パパは子供の頃のお前しか知らないから嬉しいぞ」

「バカー! それでもアンタ本当に親なの!? そもそも、助けにすら来てくれなかったし! この人でなし!」

「そ、それはだな……」

「フフ、それは、ボクのせいだね。この方は、ボクを死なせないためにここを離れるわけにはいかなかったんだよ」


 ティセの怒鳴り声に、ベッドで眠っていたはずのピーターが起き上がり答えた。見たところ傷らしい傷も見当たらず、すっかり元気を取り戻した様子である。


「ピーター、起きていたのか」

「あはは、さすがにあんなに騒がしければね」


 涼しい顔で言い放つ彼に対して、エトランザは威圧的に詰め寄った。そして、これまでの不満を吐き出すように責め立てた。


「ピーター! あんた教皇様の司徒のくせに勝手に死ぬなんて、このエトに泥をぬる気!? それだけじゃない! アルブレヒトも、マルクリウスも、ジューダスもいなくなって……エトは、エトは……」

「エトランザ……。実を言うとね、ボクも彼らの後を追うつもりだったんだ。司徒という存在は、ガーディアナの在り方を根底から歪めた。人が、人ならざる者になろうとして、不幸をばらまくだけの存在に成り下がってしまったからね。でも安心して、ボクはようやく自分の愚かさを理解した。これからはこの力を使って、本当に為すべき事をやろうと思う」

「……エトは、それが聞きたかった。ガーディアナは一回、壊さなきゃいけない。だから、お前は特別に殺さないでおいてやる」


 ピーターはエトランザが流す涙を指で拭う。これまでは敵でしかなかった司徒達の間にも、長年苦楽を共にした複雑な感情がある事をティセは感じ取る。一度はアルテミスを陥れた原因を作った彼でさえ、生きてて良かったと思えるほどに。


「でもパパ、ピーターって一度死んだんでしょ? 聖職者の魔法なんて使えたっけ。死者の蘇生とか、パメラでさえ……」

「あはは、ボクはそもそも死んでないよ。それにリザレクションなんて、創作の魔法さ。命を覆すなんて、魔法には到底できない事だからね」

「まあ、そういう訳だ。タイム・クラスタのイモータルとリターンを使い、瀕死の彼をなんとかこの状態にまで復元した。しかしまったく、俺のラビリンスを殺し合いの場にするんじゃない! 管理者プログラムまで勝手に書き換えて……」

「ごめんね、レジェンド。ボクとバルホークが本気で戦えば、アルテミスの一画が消滅してしまうのは免れなかった。でもそのせいで、もっと酷い事が起きてしまったんだね……」


 ピーターは肩を落とした。彼にとってもこの事態は想定外だったようで、少しの沈黙の後、頭を整理するように語り出す。


「ボクが眠っている間、ペイトーが情報を集めていてくれたから大体の状況は理解してる。敵はカトリーヌ゠メディア。ガーディアナに属する小国、ソレイユの女王。そして魔女の組織ワルプルギスの一人で、その力は闘争。ボクの異能(マギア)交渉(ネゴシエート)とはほぼ逆のものだ」

「どうだ、お前の力、通用しそうか? この国を平和的に開城した時や、再三にわたるガーディアナの侵略要求をはねのけた時のように」

「それは難しいね……。力は相殺されるだろうし、彼女に操られているバルホークにボクは勝てない。育ててしまったんだ、ボク達は彼女を。そして、彼を」


 それには伝説級のメトルでさえも深く頷く。


「厄介だな。あのバルホークという男、ヤツの存在があまりにも強大だ」

「ねえ……パパでも、勝てないの?」

「お前はどうだった? おそらく、ヤツはもう俺と戦った時とは違う。俺より詠唱の早いはずのお前すらも凌駕する速度、そして、相手を無力化する時戻し。俺の得意とするサンダー・クラスタを持ってしても行けて五分、いや、人質を取られている分、がぜん不利な状況だ」

「そっか……やっぱりアタシ、間違っていたのかな。力を力でねじ伏せようなんて……」


――ティセ……。


 あの時の恐怖を思い出しうつむくティセを、カペラが後ろから抱きしめる。もう、そんな思いはさせたくないと。そう、自分に眠る、もう一つの力を目覚めさせてでも……。


「ですが、カトリーヌは一つ妥協案を提示しています。それはティセさんの存在です。もちろん簡単に明け渡す事は出来ませんが、それが何かしらのヒントになる気がします」

「そういえば、アタシが子供になった途端、あいつ急に優しくなって……。エトランザにもそうだった。あいつ、もしかすると子供には手が出せないんじゃ」

「……その可能性は高いな。ヤツの演説、いつも身の回りに子供達を置いている。これは人質の存在を明示し、我々の気勢をセーブする目的があると思っていたが、ただ単に(はべ)らせているだけとも考えられる」


 ティセはやや赤らんだカトリーヌの扇情的な表情を思い出し、その線の信憑性を確信へと変えた。それには、ノーマルではない指向を持つピーターも同意する。


「ワルプルギス。彼女達は何かしら特殊な人格の持ち主と聞いています。ただの庇護欲か、性愛か……。私が言うのも何ですが、十分あり得る話です」

「エトも知っているぞ。マリスは真性のドエスで、他の奴もドエムだったり、サイコレズだったり、アバズレだったり、ろくなのがいないぞ。そこにペドフィリアがいたとしても何らおかしくはない」

「ふむ、言い方は悪いがティセ、ここはお前をエサに奴をおびき寄せるか。日食はもう終わったが、魔法ランドならば俺の魔方陣により同程度の魔力ブースト効果が得られる。それならばヤツを人質とも切り離せるしな」

「……うん。アタシ、みんなを守るためなら何だってする!」

「ん? 今、何でもすると言ったな?」

「言ったけど、な、なによ……」


 メトルは嬉々として、寝室に設置されたマジカルクローゼットを開いた。防虫、防カビ、防臭の徹底された管理の下、約10年に渡り保存されていたもの。それは……。


「ジャーン! 魔法少女ティセ、プリンセスエンゲージバージョン! ミラクルマジカルステッキ付きだ!」

「げっ! それ、最終決戦で着た露出高めの犯罪ギリギリ衣装! なんでそんなのパパが持ってるのよ!」

「フフ、オークションで競り落としたに決まっている。これにより魔法ランドの収益、約3年分がママの懐に入った。どうやら俺は一生、ママの尻に敷かれる運命らしい」


 しみじみと語りながら、メトルはその衣装を広げて見せた。改めて見ても酷い。こんなのを8歳の少女に着せていたなんて、ガーディアナの文化が入り込んだ今なら通報物だろう。


「ほら、早く着替えろ。ブカブカのローブが邪魔なんだろ。これは紐が多いからな、背中は俺が結んでやろう。ほれほれ」

「さわるな変態バカ親父! あっ、見るのもダメ! この頃の体、みんなから性的な目で見られてたの知って、魔法少女が嫌になったんだからね! そりゃガーディアナに規制されるはずよ!」

「あらら、じゃあボクが着付けしてあげるよ。安心して、ボクは女性に興味はないから。でも、確かに酷いね……。ガーディアナがこの作品を公に禁止したのには、色々な理由があるんだ。もちろん児童ポルノにあたるとか、プロパガンダ作品だからとか、アルテミス国民の拠り所だからとかね。でも、文化の侵略は本来やるべきじゃない。ガーディアナの言いなりになっていた僕も、本当は後悔しているんだ。だから、それを今ここで復活させるというアイデア、ボクは素晴らしいと思うよ」


 ピーターは己の過ちを悔いながら、ティセの大きく開いた背中の紐を編み上げていく。すると彼は次第に、何かのスイッチが入ったように熱い吐息を漏らし始めた。


「……言いにくい事なんだけどレジェンド、ボクにも何かヒラヒラの衣装はないかな? こんなの見せられたら、どうにも体が火照ってしまうよ」

「ん、ではマジカルナイト・レイヤーズの衣装はどうかな。作品の垣根を越え、君もティセの仲間という事にしよう。もちろん俺は魔法少女ティセの永遠のライバル、大魔王デストピア役だ。表現の自由を守るために、甦れ魔法少女!」


 すっかり二人は役になりきり、それぞれの衣装へと着替え始める。


「まったく、バカばかりかこの国は……」

「あれ? なに部外者のつもりになってるのかな。エトもフリフリ着ようねー」

「バカっ、やめろっ、このオカマ! ふぎゃー!」


 すっかりエトランザもゲートキャプチャー・エトラという名で魔法少女デビューする事となったようだ。肝心のシナリオは母譲りのストーリーテラーであるティセが書き上げる。無駄だと思っていた演劇の練習も、この時のためにあったのかもしれない。


――わーい! カペラも混ぜて混ぜてー!


 すっかり女優気取りのカペラも嬉々としてそこに参加する。こうして、魔法少女公演一座はここに復活の旗を掲げるのであった。


――ティセ、もう一度、魔法少女がんばろ! カペラもついてる!

「……うん。ずっと忘れてたけど、魔法少女の力は本来みんなを救うためにあるんだ。だからアタシは、もう一度魔法少女になる! 待っててね、ママ!」




************




 エクリプス制圧下のアルテミス宮殿。

 その日、ほんの少しの空しさを(さかな)に、アルテミス産の銘ワインを口にしていたカトリーヌに衝撃が走る。


「舞台、魔法少女ティセ・ファイナル……!? マジカルランドにて近日公開……残る席はあとわずか。皆様お誘い合わせの上、マジカルライトを持ってお越し下さい……だと……?」


 彼女は思わず玉座から立ち上がり、小刻みに震えるマジフォーンの画面を見つめる。次第に我に返った彼女は、近くに拘束する前女王へと詰め寄った。


「これは一体どういう事だ! 下手な事をすれば命はないと……しかもこれはガーディアナ統治下において規制された作品ではないのか!?」

「さあ? あの子の考える事なんて私には分からないわ。だから、女王の座を譲ったんだもの」


 弱者の代表とも呼べる前女王にまで軽くあしらわれ、カトリーヌは憤慨した。


「くっ、貴様、真っ先に首を()ねられたいようだな……」

「勘違いないで。これはただの舞台公演、反乱などではないはずよ。それに、そんな事をしたら公演は中止でしょうね。ああ、私も見たかったわ……見てよこのPR動画、あの時のティセそのまま……」

「なんと……!」


 前女王は、これを娘からの最後の賭けだと受け取った。そのために自分が出来ること、それは公演準備の為のせめてもの時間稼ぎである。


「そもそもあなた、この作品の履修は済んでいるの? マジビジョン版4クール分と、シネマジカ版総集編劇場版三作品に、最近撮った外伝作品もあるわ。これを見ずして、ファイナルを見るつもり?」

「見るも何も、そもそもが規制されておるではないか!」

「ウチなら、全部あるわ。どうする? この拘束を解いてくれたら、特別に見せてあげてもいいけど」

「はうう!」


 やはり女王としての年季は彼女の方に分があった。カトリーヌは前女王を自由にし、広々とした映写室を貸し切りにして魔法少女ティセを愉しむのだった。




 彼女が映写室に入り、一日が過ぎた。本編で20時間、そして劇場版が計4時間。ほぼその一日を通しカトリーヌは作品に没頭した。そして再び前女王の前に現れた彼女の目は、その真紅の髪のように真っ赤になっていたという。


「まさか、ぶっ続けで全部見るなんて……」

「ふ、むしろ力がみなぎってくるわ。此度エクリプスが成った暁には、この作品を我が国宝にしようぞ」

「それは光栄ね。そんな事より、舞台の日時が正式に決まったみたいよ。どうやら明日の正午らしいけど、寝なくても大丈夫?」

「何っ!?」


 窓から差し込む夕日は、差し迫る時間を示していた。寝不足の脳が、彼女から正常な判断能力を奪う。


「ミハエル、魔法ランドへはどのくらいで着く!?」

「はっ、今すぐ発てば開演には間に合うかと。しかし、これは罠では……」

「違うな、むしろ好機。あのティセが私のために最高の状態で身を捧げる覚悟が出来たと知らせてきたのだ。ここで行かねば、愛とは言えぬ」


 カトリーヌは、まるでそうと信じて疑わないように恍惚の表情を作った。

 それを見て、前女王の顔も少し緩む。ティセがここまで読んでこの作戦を思いついたとは考えにくい。おそらく入れ知恵したのはあの人だろう。それに、嫌いなはずの役に再び応えたティセの成長、それが何よりも嬉しかった。


「よし、早速私とバルホーク、ミハエル、ディーヴァで向かう! 人質にこの女もだ。援軍にはパペットを出せ! 席の人数には含まれんだろう!」

「意外と律儀ね、あなた」

「ふふ、台無しにしたくないのだよ、最高の瞬間(とき)を。全てが終わった時、その時こそ、我が闘争は完結する! 馬を出せい!」


 カトリーヌはその赤髪に茨の王冠を乗せると、真っ赤な外套を羽織り女王の部屋を出た。


「では愛しい子供達よ、行ってくる。ディーヴァ、お前は道中、私の膝の上だ」

「ぐ……」


 捕らえられた子供達を守るように位置する、褐色の少女。ディーヴァもまたティセと同じよう、子供の姿にされていた。


「いいだろう、それでお前の気が済むのなら……」


 子供らの身代わりとして最初の夜に行われた、カトリーヌとの夜伽(よとぎ)の記憶。それを振り払いながら彼女は立ち上がった。密かに甦った闘争心を心に秘めて。


「ふふ、いい姿だ……これが全てのマレフィカのあるべき姿よ。我が闘争の力を克服したのは見事であったが、バルホークの力にまでは抗えなんだな。ホホ、あの小生意気なマリスも幼子に戻れば、少しは可愛くなるやもしれぬ」

「異常者め……貴様が行ってきた虐待の数々、私は決して許しはしない!」

「おっと、子供のくせに何という筋力だ。そんな事を言う口はどの口だあ?」


 歩みを始めた馬上から、水気を含む下品な音が鳴り響く。


「ふぅ……。虐待とは、この世の地獄の事。私は子供達に天国を与えているのだ。真の地獄を知る者は、私だけでいい……」

「貴様……」


 何故かディーヴァには、本気でカトリーヌを責め立てる事はできなかった。10歳程度の体にされたとはいえ、アバドン人の筋力を以てすれば力でねじ伏せる事はたやすい。しかし彼女もまた、暴力の犠牲者だと言う事を長い交わりの中で知ってしまった。ストックホルム症候群。犯罪者を庇う被害者のような心境である。


「ティセ、ああ、ティセ……。好き。愛してる。私が勝ったら、毎日、しましょ……」


 遠征の中、壊れた人形のように、彼女は繰り返す。

 どういう結末が彼女を救うのか、ディーヴァにはまるで想像すらできない。もし、唯一の希望があるならば、彼女の(すが)るティセという太陽のみ。


(今はお前だけが頼りだ。私を超えろ、ティセ……!)


 ディーヴァは暮れゆく城下を馬に揺られながら、彼女へと未来を託すのだった。


―次回予告―

 力には力を。

 無限に広がる円環の中で、一人の少女が出した答え。

 そう、物語にはきっと、世界を変える力がある。


 第166話「ヒストリア」

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