第163話 『血戦の日』
時は金環祭。そしてカトリーヌの示した、決戦の日。
アルテミス城の前に立ち並ぶのは、ひしめき合うほどの魔術師達。これが民兵、義勇兵を含めた、この国の現在の総戦力。
普通ならば号令一つで全てが動くこの状況に酔いしれもするだろうが、ティセの胸騒ぎは収まらない。力に対し力で対抗する事が本当に正しいのか、これこそ敵の思惑通りではないのか。このフィールドでもし負けてしまえば、おあいこ様。もう文句を言う筋合いなど無い。
「ううん、これは必要な戦い。アタシを、アタシ達を踏みにじらせたりしないための」
またも過ぎる言い訳じみた思考を、ティセは振り払った。勝てばいい。勝てば、と。それも、誰を犠牲にする事もなくただ一人で。
「みんな聞いて、この戦い、まずはアタシを先に出させて! 敵は間違いなくマレフィカ。マレフィカの怖さは、アタシが一番知ってる。学園を占拠するほどの力を持ち、情けなんて持ち合わせてない、いわゆる本当の魔女。でもね、アタシだって魔女なんだ! みんなは、アタシがもし負けた時のためにここにいて! 必ず勝って帰ってくるから!」
どよめきが起きるも、有無を言わさずにティセは一人結界内から歩み出した。
そして最後に振り返り、固唾をのむ国民達に笑顔を向ける。
「ティセ、本当に大丈夫にゃあ? まだ修行は途中にゃあ……」
「やるしかないでしょ。散々自称してきた、最強のマレフィカとしては」
「それならティセ、オイラも一緒にゃ!」
「うん、おいで、トゥインクル!」
二人は10年ぶりかの融合を果たし、分離していた魔力が本来の物へと戻った。どこまでも湧き上がる力。修行を経て力を制御出来る今なら、かつてのように暴走などしないはずだ。
「よし、これならいける……」
城内には母を含め、数多くの力を持たぬ民が身を隠している。それを背に、ティセのたった一人の戦いが始まった。
正午過ぎ、辺りがにわかに陰りを帯びる。蝕の始まりである。通常、日が欠け始めてからその姿が完全に隠れるまでには一時間半程度かかる。そしてまた日が現れるまでに一時間半。カトリーヌはこの計三時間の内に、全ての決着をつけるつもりだろう。
「来たっ!」
意外にも、現れたのはたった三人。いや、その後ろには多数のパペットがひしめいているが、ソレイユ兵の姿は見えない。
「ん? あれって、もしかして……」
中央に位置する赤髪の派手な王冠を着けた女がカトリーヌだろう。その両脇にいるのは……ティセはその一人、眼鏡をかけた男を見ては目を疑った。
「ミハエル!」
「ティセ様、お久しゅうございます。あなたの首、いただきに上がりました」
やはり彼はスパイだったのだろうか。いや、これには何か訳があるはず。
「ストラグルは、みんなはどうしたの!」
「残念ながら、私の糧となっていただきました。マジェスティ・メディアの騎士となる名誉と引き替えにね。ヒヒ……」
「あんた、まさか……」
まるで金環蝕のように、彼の瞳孔には金のラインが縁取られていた。そのあり得ない言動も、催眠の力が働いているとすれば納得がいく。さらにもう一人の男も、よく見ると同じ状態である。ガーディアナのマントを羽織った、ただならぬ気を纏う騎士。おそらくラビリンスに現れた司徒に間違いない。
「よりによって、あいつもか……。人を操るマギアね。卑怯者が使いそうな力だわ」
魔力の強いマレフィカであれば、同時にカリスマ性を合わせ持つ者も多い。自分はもちろん、ロザリーやパメラもそうだし、あのエトランザなども邪教徒を意のままに操っていた。おそらくこれは、それを特化させたような力だろう。
「人聞きが悪いな、ティセ。それは私の属する組織、ワルプルギスを束ねるお飾り娘の特技。私は、人が本来持つ獣性の鎖を断ち切ってやっているに過ぎぬ。そして、解き放たれた獣の新たな主人となってあげているのだ。私には分かるぞ、お前も己の獣を解き放ちたい衝動を抑えこむ、月に啼く一匹の狼であると」
一人で来て正解であった。原理はどうあれ、厄介なマギアである事には変わりない。ならば、真っ先にこの女を叩くのみ。ティセは隙を探るため挑発を続ける。
「はぁ? いきなり出てきて好き勝手言ってんじゃないわよ。どこの誰かも知らないアンタに、これ以上この国を好きにやらせてたまるかっての!」
「ふ、私はお前を知っているぞ。純真無垢な幼い頃の姿から、そのように破廉恥に育ってしまった今の瞬間までを。もはやファンと言ってもいい。そう、ファンというのは、熱狂的な、という意味がある。お前を思うと、炎に浮かされたように体が熱くなるよ……」
「あいにく、アンタみたいなの趣味じゃないんだけど。じゃあ、お望み通り熱狂させてやるわよ!」
挨拶代わりに、ティセは掌をかざす。すると、爆炎の渦がうねりを上げて放たれた。
「ひっ!」
会話の途中で高レベルの魔法を唱えるという離れ業に、カトリーヌは急いでパペットから奪った魔法遮断マントで身を守る。業火は彼女達を襲うも、間一髪届く事はなかった。
「ここは私が。アイス・エクステンション!」
続けて同レベルの魔法を周到に詠唱を忍ばせていたミハエルが放つ。彼の魔法はダイヤモンドダストのような景色と共に、焦げるような周囲の熱を冷ましていった。
「アイス・クラスタか……、どっちの温度が勝つか、純粋な魔力勝負って訳ね!」
「果たして、それはどうでしょうか」
「何? 早くも負け惜しみ?」
「今日の日を決戦に選んだ意味、炎使いのあなたになら分かるのではありませんか?」
「どういう事? もしかして……」
ティセは思考する。炎と氷、そこに属性による優劣は無いに等しい。ならば、潜在的な攻撃性の差でティセの有利は揺るがないだろう。術者が賢者クラスの絶対零度でも操れない限り。
「ふふ、我々の使う自然魔法は、現在の環境によって激しく左右される。そして今は日食。灼熱の太陽の下で最も加護が得られる炎属性と、その逆となる氷属性。どちらがより優位か、それはあなたの火を見るより明らか!」
「通りでいつもの勢いがないと……ちっ、初歩的なミスだったわ」
「そう、エクリプスこそが我々に約束された勝利を与えてくれる。月の加護を得た魔術師は、まさに無敵なのです!」
アルテミスが国を挙げて祝う日食という現象。その下では、魔力の大幅な増幅効果が認められる。そこにおいては、両者共に対等な状況なはずである。ティセは持ち前の闘争心に火を付け、根性のみでさらに火力を上げた。
「だけど、月の加護ならアタシにだって……!」
「フフ、未熟未熟! ティセ様、教えた事がまるで出来ていませんよ! 魔法はイメージ! あなたの抱える雑念、それはプログラムでいう所のバグ。今までストラグル様から何を教わってきたのです!」
「……その名前を、アンタが軽々しく口にするなぁっ!」
爆炎と氷嵐。拮抗した魔法による激しい応酬が続く。しかし、ミハエルは魔晶石を仕込んだ杖をその手に隠し持っていた。
「その感情の揺らぎこそが、出力の揺らぎに繋がると申し上げているのですよ。この杖には滅多に出土しない百年魔晶石が埋め込まれています。揺らぎを抑え、大いなる魔力をも与えてくれる。ほら、今にも私の氷があなたの心臓めがけ、一点突破いたしますよ」
「くっ、言わせておけば……」
確かに雑念は多い。仇とは言え、本来味方であるミハエルに対し本気を出す事は難しく、安定して魔法を放てないのだ。
ティセは目を閉じ、ストラグルとの授業を思い出す。いつも自分の癖を見抜き、的確なアドバイスをくれた彼。幼い頃から聞き馴染んだあの口うるさい小言がもう聞けないと思うと、次第にティセの中に怒りがわき上がった。
「ストラグル、お願い、力を貸して!」
そう、彼を悼むこの気持ちは、決して雑念なんかではない。それもこれも、全部含めて、自分の大切な力なのだ。だからこそここで負けるわけにはいかない。彼の教えは、他の誰でもない、自分にこそ色濃く受け継がれているのだから。
「色んな想いを受けて、魔法だって繋がっていく……はああっ、|地炎合成魔法《アース&ファイア・クラスタ》! ……ガイア・バーニング!!」
ティセは自身のファイア・クラスタと、ストラグルのアース・クラスタを混ぜ合わせるようなイメージを作りだした。すると、炎は大地の力を得、やがて煮えたぎるようなマグマへと変わる。
「これはっ、大地と炎の合成魔法だとっ!」
ミハエルから伸びる氷柱は瞬く間にドロドロと溶かされた。さらに押し寄せるマグマの圧力に性能が耐えきれず、ミハエルの魔法遮断マントはボロボロに砕け散る。彼は身を守るために氷の壁を作るも、放つ側から溶けていった。冷気の限界はマイナス273度。無限とも言えるティセの熱に、抗う術はない。
「おいミハエル! 何をしておる、この私に火傷させる気か!」
「で、ですが、この力は……」
杖に仕込まれた百年魔晶石の砕ける音が鳴り響く。ティセの猛攻にとうとう根負けしたミハエルは片膝を付いた。MPゼロ。それは魔術師にとっての投了を意味する。その瞬間、マグマはティセの掌の中へと戻っていった。
「まさか、同時に二属性を操るとは……。しかも、この魔力量……全ての魔晶石を使い切っても、まだ足りないというのか」
「はあ、はあ……魔法対決でアタシが負けるかっての。これが、修行で身につけた新たな力、創造詠唱よ。術者のイメージの力を借りて、どんな魔法でも操る事ができる。さあ、次はどいつ? どこからでもかかってきなさい!」
魔人のような笑みを浮かべ、カトリーヌへと迫るティセ。やはり、この攻撃的な自分こそが、本来の自分。ここに来て、やっと勘を取り戻したような気分だ。
「く、やはり手負いの獣……いや、ケダモノか。ひぐっ、私の愛が理解できんとは……」
「あんた、泣いてんの?」
「違うっ! 啼いているのよ、お前を我が獣に堕とすためにな! バルホーク、奴を大人しくさせろ!」
主のお許しが出た。獣と化したバルホークはニヤリと微笑み、剣を抜く。
「御意……。火を操る魔女よ、我が妹の痛みを知るがいい」
「ふん、来たわね」
ティセは喉を鳴らした。おそらくこちらこそ本命。ピーターを屠り、レジェンドである父とも渡り合ったという強敵、バルホーク。
ジンジンと頭の芯が痺れる感覚が突き抜け、ボルテージは上がり続ける。時は魔力の最も高まるという金環日食。まさに今こそ、最強を超えた力が備わった瞬間である。
「ミハエル! アンタの技、早速使わせて貰うわ! アイス・クラ……」
先制攻撃には覚えがあった。今ならば氷属性が優位と、ティセは早速それを放つ。しかし、彼女の高速詠唱を上回る速度で、稲光のような剣閃がティセの体を駆け抜けた。
「なっ……!」
全身が細切れになるような感覚。しかし、確かに生きている。再び詠唱を始めようとした瞬間、再び体中の感覚が失われ、痛みと共に全身が再生する。
「うああっ!」
何が起きたのかと目で訴えかけるティセへと、バルホークは手の内を語る。種明かしをした所で状況など覆せない事を示すように。
「ピーター、そしてあのレジェンドと剣を交えた事によって、魔術師への攻略法はすでに見切った。どうという事はない、単純に先に斬り込むだけの事。所詮、魔法などというものに頼らなければ、貴様等など無力と言っていい」
「う、そ……」
それは、かつてロザリーと戦った際に彼女も試みた戦法である。その時の結果は圧勝。かなりの剣の使い手であるにも関わらず、まるで相手にもならなかった。
今はその時の自分より遥かに実力も上のはず。それが、赤子の手をひねるような扱い。いや、どういう訳か律儀にも斬りつけた傷を癒やしてくれてさえいる。
「バルホーク、いや、キャナリーよ。決してその犬がティセを噛み殺さぬよう、肉体を逆行させ続けろ。最後の最後、一欠片の希望すら残らぬまでな」
――うう……。
バルホークから浮かび上がる少女が苦悩の表情を見せる。兄が忠誠を誓う以上、彼女に逆らう事など出来るはずもない。
「詠唱が……できない……」
これが、マレフィカと同等の力を持つという司徒の、本当の実力。ティセは何度もその光速剣に喰われ続けた。その度に、あれほど昂ぶっていた闘志が徐々に失われていく。
「い、いやっ……もう、やめて……あああ!」
征服は為した。カトリーヌは揺るぎない勝利を確信し、一方的に弄ばれるティセを憐れむような目で見つめる。しかし、何かがおかしい。暗くてよく見えないが、先程から少しずつティセの姿がだんだんと幼くなっている事に気づいたのだ。
「ま、待て! そこまでだっ! やめろ、やめるのだ!」
叫びを上げながら、カトリーヌはその理由に辿り着く。それは、彼を援護していたキャナリーの逆行の力が強まり続け、退行をもたらす力にまで至ったということ。
「その姿のティセを、傷つけるでないぃっ!」
いや、違う。これこそ、彼女なりの無言の抵抗。カトリーヌは嵌められたのである。
――お兄ちゃん、もうやめて! こんな小さな子を傷つける事なんて、お兄ちゃんには出来ないはずだよ!
「なにっ、子供……だと!?」
ティセの姿に気づいたバルホークは、慌てて剣を収め自らの行いに戦慄した。
そこには打ちひしがれ震える、キャナリーと同年代の小さな少女がいたのである。何より子供を愛する彼にとって、それは悪夢以外の何物でもない。
「うっ、ひぐっ……」
「何という……これは、エクリプスが起こした奇跡か……」
見上げる頭上には、金の冠を頂いた月がそびえていた。この間、わずか10分程度。当然マギアもまた、その力を最も増幅させる黄金期間となる。
「ああ、愛しの魔法少女よ……もう、逢えないと思っていた……」
今ここに、失われたはずの天使が舞い降りた。カトリーヌは涙を流しながらティセへと近づく。
その時、もう一つの異変が起こった。城下に待機していたアルテミス軍が、ティセの危機に際し一斉に蜂起したのだ。指揮するはアルテミス前女王。感知魔法に長ける彼女は、幼きティセの姿を大型スクリーンのように上空へと展開した。
「ティセを何としても守るのです! わたくしも援護します!」
そこへと映し出された痛ましい女王の姿に、大きな咆哮が上がる。
「ぐっ、ミハエル、パペットを向かわせろ! まだ蝕は成っておらん! さあ、闘争の時間だ!」
「はっ!」
一般市民がレベル3程度の魔法力とするならば、マスタークラスで構成されるアルテミス軍は平均でレベル6付近はあるだろう。それに対し、軍用のパペットに搭載されている魔動装置の上限はレベル8。闘争の力を使わずとも制圧は十分可能だろうと、カトリーヌは脇目も振らずにティセの元へと駆け寄った。
「ティセ。さあ、こっちへおいで。子供は国の宝。私と共に、エクリプスの未来を創ろう。私は女帝、お前は女王。そうだ、我らはあの金環蝕のように重なり合うのだ」
「ふえぇ……」
すっかりと心が折れたティセは、差し伸べられた手を掴もうとする。その瞬間、カトリーヌの手は何者かによって思い切り引っ掻かれた。
「痛っ!」
「ティセ、騙されるにゃ! こんな奴の作る国になんて、未来はないにゃあ!」
ティセから再び分離したトゥインクルである。彼も小さな子猫の姿へと変わっていたが、同じく小さなティセをかばうようにカトリーヌへと果敢に立ち向かう。
「黒猫だと……。くっ、猫は苦手だ……バルホーク、払いのけよ!」
猫、それは蠍の天敵でもある。しかし、バルホークは己の行いに苦悩し、聞こえてすらいないようだ。
「俺は……なんという事を……」
「ええい、ペットならば主を守らぬか! 猫にすら劣る愚か者め!」
「オイラはペットじゃないにゃ、相棒だにゃ! 信頼関係のないお前達に、負けてたまるもんか! フシャー!」
「トゥインクル……」
全身の毛を逆立て、必死に立ちはだかる姿に幼いティセは勇気づけられる。だがその姿は、カトリーヌにとって琴線に触れるものであった。弱き者が強き者へと立ち向かう。そんなこと、決してあってはならないのだと。
「おのれぇ! ならば、我が闘争の血に勝てるかケダモノぉ! 野生へと還り、主人と争いあうがいいわ!」
「にゃう……っ」
その力は、ヒトよりもむしろ野生に近い動物にこそ作用する。トゥインクルは魔法生物であるが、そのモデルとなった黒猫の野生が激しく呼び覚まされていった。
『グルル……ティセ……』
「トゥインクル……どうしたの? アタシの事、わかんないの?」
『フギィー!』
「トゥインクル!」
ティセの差し伸べた手を、トゥインクルは爪を剥いて切りつけた。流れ出す赤い血を見て、カトリーヌは思わず舌を転がす。
『シャアア!』
「いいぞ黒猫、そのまま心までも抉ってしまえ!」
まるでいつもの面影を感じない縦長の瞳孔に、むき出しの牙。それは何よりも、ティセの心へと突き刺さる。
「そっか、大人になったアタシは、ずっとこんな風にアンタからは映ってたんだね……」
それでもティセは無防備に近づいた。幼いティセと小さな黒猫。それは、いつかの憧れを再現したかのような光景。ティセは思わず、小さい頃の彼が好きだった歌を口ずさんだ。
「……トゥインクル、トゥインクル、リトルスター。お月様と、キラキラ星。それは、いつも一緒にあの夜空を飾っている。アタシがお月様で、アンタがお星様。そんな事考えながら、アンタの名前、考えたんだよ」
『……フウウ』
ティセの歌により、不思議とトゥインクルの動きが止まった。そしてこちらに向かい牙を剥くトゥインクルを抱きしめる。小さな爪に引っかかれながら、ティセはずっと抱えていた胸の内を吐露した。
「忘れられても無理ないよね。ずっと一緒にって願ってつけた名前なのに、アタシ、ずっとアンタと向き合おうとしなかった。嫌だったの。魔法少女だった過去を超えられない自分が。でもアンタはずっと、そんなアタシの事を心配してくれてた。アンタが抱えていた痛みの方が、ずっと痛かったはずなのに……! トゥインクル、ごめんね……!」
『ティ……セ……』
トゥインクルの獣性は、その言葉によってかき消されていく。猫の習性として、強いストレスを感じると飼い主であろうと突然牙をむく事がある。しかし、それも含めて甘えなのである。トゥインクルはペロペロと、ティセの傷口を舐めた。痛くしてごめんね、と。
「戻っておいで。トゥインクル」
「ふにゃあ……」
安心しきったように眠りにつくと、トゥインクルは光となって再びティセの中へと戻っていった。
「くっ、どうした、私の力がなぜ効かない! ならばティセ、お前の闘争を呼び覚ますまで!」
「よくもトゥインクルを……。アンタにだけは絶対に負けない!」
「ふふ、その健気さ……必ず私の物にしてみせよう!」
真紅の瞳と深紅の瞳が交差する。カトリーヌの力は幼いティセの本能を刺激すべく、その心の内へと狙いを定めた。
「そこまでだ!」
すると目の前の空間が縦に裂かれ、中から現れた女性が目の前でマギアの力を遮る。
「何だ、この裂け目はっ!?」
「いいぞエト、ドンピシャだ」
その声は沈んだ自分を何度も鼓舞してくれた、誰よりも勇ましく、優しいあの声。ティセはそこから現れた女性に抱えられ、その懐かしい香りに深く包まれた。
「……ディーヴァ? ディーヴァなの!?」
「ティセ、遅くなってすまない! エトの奴が寝坊してな」
ディーヴァの目線の先にあるゲートが閉じると同時に、黒髪の小さな女の子も飛び出した。
「フン! エトは成長期だから、たくさん寝なきゃいけないの! それより、良いザマだなティセ。もしかしてエトよりも小さくなったんじゃないのか? ククク」
「アンタは……エトランザ!?」
「なにっ!?」
エトランザの姿を見つけると、カトリーヌは慌てて闘争のマギアを止めた。それは、彼女の知る限り一番刺激してはならない存在。そして、その狂暴性からワルプルギスすらも壊滅させかねないと勧誘される事がなかった、魔女の中の魔女。
「なぜ、あなたがここに……!」
「ふふっ。ザコとおんなじセリフ。エトは気に入らない奴らを、片っ端から殺す事にしたの。もちろんお前ら、ワルギスギスもな」
「わ、ワルプルギスの事か? ……そんな、誤解だ! 私達はただ……」
すっかりカトリーヌの戦意は失われている。まともに戦えば命がない事を知っている、と言うよりも、どこかその眼差しは淡い熱を帯びていた。
「ん? バルホークもいるのか、まずいな。ディーヴァ、どうすればいい?」
「エト、ここはひとまずティセを連れて引け……奴の力は危険だ。ゲートを頼む!」
「そんな事、エトに命令するなっ」
「頼む、このままでは、まずい事になる……」
まともに闘争のマギアを浴び、ディーヴァは己の内なる異変を感じ取っていた。マリスの力はどうにか制御できたが、これは……。
「まって、ここにはみんなも……ママもいるの! 逃げるなんてイヤ!」
「無茶を言うな! 逃げることも立派な兵法だ! 私は、もう……」
「ディーヴァ……一体、どうしちゃったの……?」
「お前、もしかして……。くっ、ゲートオープン!」
ディーヴァは黙ってティセとエトランザを拾い上げる。そして開かれたゲートへと迷わずに放り投げた。
「ティセを頼む、エトランザ……! ぐううっ」
「ディーヴァ!」
ゲートは閉じ、それと同時に日食も終わった。戦いの終わりと共に、太陽の光が再び辺りを照らす。カトリーヌは冷や汗を拭い、冷静な思考を徐々に取り戻した。
「逃げた……いや、行ってくれたか。ティセを逃したのは惜しいが、ひとまず蝕はここに成った。後はこの城を陥落させ、玉座を我が物としよう」
これも全てはバルホークの手柄であるが、肝心の彼は未だ壊れた人形のように放心している。
「ふむ、バルホークは再調整する必要があるな。そして、新たな駒が手に入ったが……この女、どうやら我が闘争の力を制御しようとしているらしい。ふふ、これは面白い……」
上空のビジョンには、無事に逃げ出したティセ達の姿が映し出される。前女王は胸をなで下ろし、次第に制圧されつつある乱戦の城下を見つめた。
「ティセ、信じているわ……。あなたが必ず、アルテミスを取り戻してくれる事を」
その日、アルテミス城は女王カトリーヌの手に落ちる。巨大な月に喰われた太陽は、それを嘆くように雲の中へと姿を消した。
戦況は絶望的。しかし、全ての火が消えた訳ではない。
残された小さな希望は、アルテミス最後の地へと託されたのだった。
―次回予告―
心の宇宙を見つめた時、少女は自分自身の力に出会う。
ずっとそこにいて、ずっと呼びかけていた友との再会。
だから今だけは、争いを忘れて。
第164話「カペラ」