第161話 『狂戦士』
マジフォーンから攻略の手がかりを見つけ、再び魔法学園前へと進軍したソレイユ軍。案の定、その通りは数々の魔動人形により警護されていた。
金属に覆われたフレーム構造のボディに魔法遮断マントを羽織った彼らは、カシャ、カシャと音を立てては、人間のようにキョロキョロと辺りを窺っている。
「あれがパペットか。確かに聖典派が欲しがる訳だ」
ソレイユ軍はもぬけの殻となった住宅地に潜みながら、これを突破するための作戦を練る。今こそ希代の策略家としての腕の見せ所。部下の持ち寄った情報で、カトリーヌはある程度の敵戦力を割り出した。
「ふむ、敵と認識された場合の奴らの行動パターンは、遠距離からの魔法によるもの。そして我らは全て白兵部隊。似た状況として、魔術師の一個師団とやり合うに近いか。だが、人でないのなら、我がマギアは効かぬ。つまりはガーディアナ魔法軍の時のようにはいかんと言う事だ。鬱陶しいな、やはり各個撃破が理想か」
「ええ、一つ一つは大したことはありません。ですが、一つに見つかると、まるで蜂の大群のように一斉に襲いかかってくるんです」
情けない部下の泣きっ面に、カトリーヌは笑った。
「ふっ、なるほど。指示系統が全固体で共有されているというのだな。では、奴らと我らの違いは何だか分かるか?」
「機械と人間って事ですかい?」
「それは些細な事に過ぎん、この戦の勝敗を決定づけるのは、まさに女王蜂の存在よ」
部下達は腑に落ちたように女王を見つめる。まるでその背からは薄い羽根が見えるようだ。さらに、彼女はとっておきの毒針を隠し持つクイーンビー。
「一人、ひとつ、いや、二つは引きつけておけ。その間に、私が内部へと潜入する。優秀すぎる指示系統を逆手にに取った、おとり作戦だ」
部下達をここで使い捨てにしてでも、自分が敵の懐へ潜り込めば勝算はある。そこで嫌な顔をする者達であるならば、女王の手駒として相応しくはない。マリスのような軍隊のごっことは違い、真の主従関係とはそういうものだ。
「正面からやり合うには貴様らでは分が悪い。もちろん命の保証もないが、できるな」
男達は当然であろうといった顔で立ち上がった。
「では、作戦を開始する。いいな、何体かは無傷で確保しておけよ」
「「おおー!」」
合図と共に、男達は勇ましい掛け声を上げながらパペットへと突撃した。
それらとは別方向からカトリーヌも優雅に歩き出す。
「フーンフーンフーン、フフフフフーン」
鼻歌交じりに、爆音の響く通りを抜けるカトリーヌ。彼女には絶対に捕まらない自信があった。女王たる者に必要な物。それは強運。いや、豪運とも呼べる宿命力。これまで彼女はこうして前線の真っ只中をくぐり抜けながらにして、一つの傷も負ったことはない。それはなぜか。闘争の地にて闘争に飲まれない力を持ち合わせているからである。
「あら、ごきげんよう」
一体、はぐれパペットらしきものと目が合う。どうもネットワークで繋がった個体とは違い、それぞれが持ち場を守るタイプのようだ。部下の報告にはなかったが、特に気にする事はない。
「どうか、いたしまして?」
カトリーヌの言葉にパペットはむしろお辞儀をして、すぐ側を通り過ぎていった。
「ふふ、案山子が……」
このように、徹底的に弱者である事。それが逆に闘争を遠ざける事を彼女は知っている。初めから自らで戦う気などなく、常に安全な立場に身を置く。これぞ彼女の進化異能、逃走。
前国王の毒殺事件の際、様々な状況証拠があるにも関わらず彼女が捕まらなかったのも、まさにこの力によるもの。誰も、この女王に弓を引くことなど出来ないのだ。
しばらく進んだカトリーヌの前に、光の当たり具合で現れる不思議な虹色の壁が立ちはだかった。これが例の結界であろう。合い言葉は、ティセ様最強。これを唯我独尊である彼女が言わなければならないのだ。
『国外の方は、セキュリティスペルを詠唱してください』
「さあ、これこそが最大の難関かも知れぬな。だが、秘策はある。ふう……ティセ、ティセ、ティセ……」
その名をつぶやく度に、彼女は幼い頃のティセを思い浮かべた。ああ、何と愛らしいその姿。それぞれのパーツが張り合うように主張する生意気な小悪魔顔。鮮やかな赤のツインテールと甘い香りが匂い立つような後れ毛。子供にしてはエロティックなそのスタイル。何より、その大人に対する媚びを知り尽くしたような仕草。
ガクガクと震えながら、思いの丈を込めてカトリーヌは叫ぶ。
「ああ、ティセ、ティセ! 魔法少女ティセ様、最嬌!!」
軽くカトリーヌをめまいが襲った。ふらついて壁へと激突するも、スルリと抜ける。どうやら無事、アルテミスの民として認められたようだ。
「ふー、ふぅー、お前が可愛いから、イケナイのだぞ……ティセ」
内部はすでに避難した者達によって、簡易的な住居等が建てられていた。さらに空や地中にまでその生活圏は広げられており、この地が災害時のシェルターとしての高い機能を有している事がうかがえた。これは平和を愛し人民を守る事を第一とした、前アルテミス女王が築き上げた成果である。
「これは……認めたくないが、我が国を遥かに超える豊かさだな」
その敷地内は人で溢れてはいるものの、不便さは感じにくい。女王の身分としては、これだけの人間をまかなう食料の問題がちらつくが、どうやら巨大な氷付けの貯蔵庫に蓄えられたものを、魔動装置で一括調理して提供しているようだ。
「魔法とは、かくも便利なものよ……」
ますますこの国を手に入れたくなった。自国の貧相な土地を捨て、全国民でこちらへと移住してもいい。この豊かな自然と豊富な漁場さえあれば、もう無理に他国を侵略などする必要もないのだ。ガーディアナから高い金で食料を買い付けるのも、そろそろ我慢の限界だった所である。
「しかし、そのためには魔法の習得が難だな。この学園には後々世話になるであろう、何とか無傷で手に入れねばな」
ある程度カトリーヌが学園内の探索を済ませると、ビー、ビーという耳障りな音が学園内に鳴り響いた。襲撃を知らせる合図だろう。このタイミングで鳴ったという事は、彼女の軍の勢いが機械人形を上回り、危機的状況に陥ったという証。
人々は規律正しくシェルターへと避難した。パニックを起こし、慌てて行動する無駄を知るよき国民である。
「くくく、いよいよか。では、私も始めるとしよう」
まだ人の多い校庭に向かい、よく通る声が響き渡る。
「力無き者どもよ、聞け! すでにこの場所は包囲された! 貴様らが生き残る方法を教えてやる!!」
女王として幾度となく大衆を操ってきた強権的な言葉に、人々は硬直して耳を傾けた。
「私はソレイユ王国、緋の女王、カトリーヌ゠メディア。これよりこの地は我が領土となる! 貴様等には二つの選択肢がある。戦って生き延びるか、ここに命乞いをするか。どちらの選択も私は受け入れよう。自身の本能に聞き、その声に従うがよい!」
カトリーヌは闘争の力と、逃走の力、二つの異能を解き放つ。
それにより、力に覚えのある者はその場に留まり、力無き者はカトリーヌの下へと集まる。当然、そこには子供達が多く集まった。
「くく、愛い奴らよ。ただの弱者もちらほらと混じってはいるが、貴様らは要らぬ。ここで強者の餌となるがいい」
この国では、男性はもちろん女性も老人も魔法を操る事ができ、そこに力の差はあまり無い。つまり、闘争を可能とする者達であふれているのだ。
カトリーヌは、これから面白いものが見られると舌なめずりをした。もちろん目の前の子供達を我が物とできる事も、その笑みには含まれている。
「勇敢な国民だ。では、これより血のバトルロイヤルを始める! 我が国の民となる資格を持つのは、研ぎ澄まされた力のみ。さあ、アルテミスの道化師供、その命を賭け、見事勝ち抜いて見せよ!」
それだけを叫ぶと、カトリーヌは高笑いをしながら子供達だけを連れ校舎内へと姿を消した。逃走の再選別により残った力なき者達は、人々の豹変した様子に怯えつつその場にへたり込んだ。
「あ、ああ……一体、何が起こるんだ」
「まさか、本当に殺し合うなんて事……」
この国ではむやみに魔法を使う事は禁止されている。使うとしても、日常生活に便利なレベル1程度の魔法に制限されており、それ以上の使用は重罪となる。しかし、使おうと思えば誰もが殺傷能力のある魔法を使える状況、これほど恐ろしい事はない。
「う、うああーっ!」
「ひいいー!」
月の狂気は広がり、人々を破壊の衝動にて支配する。
ついに一人の男は、マギアに抗えずに近くにいた老人へと灼熱の魔法を放った。一般常識として、老人ほど卓越した魔法使いであるためだ。
「うぎゃあああ!」
人の脂を吸い、赤々と燃え上がる炎。それを皮切りに、各所で様々な魔法と共に、人の焼け焦げた臭いと血飛沫とが飛び交う。
「死にたくないぃぃ! 死ね、死ねぇ!」
「俺が女王様の力だああ!」
一度人間性というタガが外れると、人はもはや生き延びる事しか考えられなくなる。力のある魔術師は、より強い力を持つ魔術師によって倒される。力なき者達は何もできずに餌となる。それを繰り返し次々と生まれる死体の山。
人々を守り、己を守る術を教えるはずの学び舎は、その力によっていとも簡単に蹂躙されていった。
「くっ、遅かったか……!」
そんな地獄と化した学園に、一人の男が駆け込んできた。人々の救いとなるべく立ち上がったバルホークである。
「おっと、ようやく来なすったか。二枚目野郎」
結界内ではすでに戦闘が始まっている。しかし、目の前の正門にはパペットを鎮圧したカトリーヌの部下達が、道を塞ぐように待ち構えていた。
「貴様等……そこを退け!」
「いまさらおこぼれに預かろうなんざ、調子が良い事で。司徒だかなんだか知らないが、ここはソレイユ軍のシマだぜ。俺達にはたった一つの掟がある。より強い者だけが、マジェスティ・メディアに仕える事ができるって決まりよ」
奴隷の鎖自慢。自分達は女王にそうやって選ばれてきたと、より太い鎖を見せびらかすようによそ者のバルホークを挑発する。
「ならば、試すか? 血塗れた道を歩む貴様等に慈悲はない。後戻りなど出来んぞ」
「ちっ、二枚目野郎がメディア様と馴れ馴れしくしやがって。ずっと気に入らなかったんだよ! 野郎共、やっちまえ!」
まるで三下の台詞であるが、一人一人が想定外に強い。彼らと幾度か剣を交えたバルホークは、その力強さにある男を思い出す。虹の聖女を救い出すために現れた、黒の剣士ブラッドである。
「なるほど、傭兵上がりの無骨な剣か。ふふ……会いたかった、会いたかったぞ!」
「こいつ、何を……」
途端に勢いを増した二振りの剣が踊る。バルディッシュや、ツヴァイハンダーといった彼らの重量級の武器をしなやかな二刀流で捌き、立て続けに三人の肉体に高速剣が刻み入れられた。
「ぐっへぇ」
「あの男はこんなものではなかった! あれから俺は、何度も何度も奴を夢見て腕を磨いた! それこそ、恋い焦がれるほどになぁ!」
あの時の敗北は忘れようもない。偽りの聖女の処刑という大義無き戦いを背負い、自らの屈辱を払う為だけに向けた剣は、彼に通じる事はなかった。
負けた理由は、大義の差だけではない。その時、己の信仰に迷いがある事を思い知らされたのだ。あの、救世主を名乗る娘が放つ光の拳を受けた時から、どうにも疼き出したこの思い。何よりも大事な信仰に勝るとも劣らないもの。それは己が正義の心であると。
「貴様等に正義など無い! 大義は、我にあり!」
「なんだこいつ、動きが見えねえ!」
高速剣はさらに加速を繰り返す。おそよ半数以上のソレイユ軍を斬り捨てた時、バルホークは自らに宿る妹の力がこれまで以上に輝きを増している事に気づいた。
――お兄ちゃん! 私がついてるからね!
幻像として浮かび上がる、幼い妹の姿。彼はその笑顔に、いつからか復讐の鬼となり、頑なに妹の心と向き合ってこなかった自分を知る。誰よりも近くにいながら遠くにいた兄妹が、心から通じ合えた瞬間であった。
「ああ……これからはいつも一緒だ。キャナリー」
――うん!
閃光と共に、ソレイユ軍は壊滅した。
バルホークにもたらされた更なる力、加速。磨き抜かれた高速剣が、光速剣へと生まれ変わった。おそらく、現時点で彼に敵う人間はいないだろう。その、覚悟の量でさえも。
「命までは獲らん。そこで、自らの罪を思い知るがいい」
男達のうめき声の中、バルホークは正門へと歩を進める。彼はそこに並ぶ屈辱に充ち満ちた顔に、昔の自分を重ねた。しかし、ただ一つ違ったのは、そのどれもが最期に勝ち誇るような笑みを浮かべた事。彼らは女王より賜った銀のナイフを取り出し、迷う事なく自身ののど笛を切り裂いた。
「貴様等……っ!」
「……マジェスティ・メディア、万歳!!」
自決である。闘争の果てに、残るものなどない。だが、戦士としての誇りだけは守り抜いたと、そこに漂う血なまぐささが雄弁に物語った。
「愚かな……」
振り返る事もなく、その足は異常空間と化した学園内部へと辿り着く。闘争による人々の叫びが轟く中、聖騎士として何をすべきか、彼はその答えを探す。
「なんと惨い……これを、奴一人がやったというのか……」
――火が……。もう、燃えるのは、イヤだよ……。
「キャナリー……」
この惨劇の全てを解決する術はこの剣にはない、ならば……と、バルホークは意を決したように剣を収めた。
「キャナリー、この空間全てを逆行させる。いけるか?」
――うん……大丈夫だよ。私と、お兄ちゃんの想いがあれば。
「そうだな……。それに俺にはもう一人の想いも、託されている。そうだろう、ピーター……」
友人、ピーターの最後の言葉を思い出す。宗教とは、人々の幸せのためにあるという訴え。
命を賭け、それを思い出させてくれた友人に、今捧げよう。
「ピーター、これが俺の、最後の信仰だ!!」
全ては逆行する。セフィロトとして覚醒したバルホークの力が瞬く間に結界内を包み、人々は自らの愚かな行為を経験したまま、無実の身へと立ち戻った。
「俺は、どうして……」
「ああ……神よ」
誰かを傷つければ、もう元には戻らない。二度と取り返しが付かないという事実だけを噛みしめ、恐怖し、人々はその場に立ち尽くしていた。
上手く行った事に胸をなで下ろしたバルホークは、近くにいた女性に問いただす。
「この凶事を招いた赤髪の女を探している。奴はどこへ行った」
「は、はい、子供達をつれ、校舎の中へ……」
それを聞いたバルホークは多少ふらつきながら、急いで彼女の後を追った。
「く、随分と消耗が酷いな。キャナリー、お前も大丈夫か?」
――うん……、少し、疲れちゃった。
マレフィカの力というのは、まるで奇跡のようだ。バルホークは改めてその凄まじさを思い知る。しかし、使い方次第では人の世をより良くする事もできるだろう。無闇にこれを迫害する教えも、今では間違っていると言い切れる。……ただし、あの女を除いて。
「必ず、報いを与える。待っていろ、カトリーヌ……」
校舎の内部には激しい戦闘の痕跡が残されていた。カトリーヌのマギアによって仲間同士争い合ったのだろう。半壊した廊下、散乱するガラス。飾り付けられた子供達の描いたであろう絵も、所々が焼け焦げている。平和であるはずの学び舎に刻まれたそれは、より争いの異質さを際立たせていた。
「う、うう」
道すがら、バルホークは教職員らしき人物が倒れているのを発見した。長い髭をたくわえた老人である。身体に異常はない。どうやら逆行によって命は救えたようだ。
「おい、大丈夫か」
「ああ、私はなんという事を……」
「それが敵の術だ、お前の罪ではない。それより、女はどこへ行った。赤髪の女だ」
この老人も、おそらくここで勝ち残った高名な魔導師だろう。となれば、術をかけたカトリーヌの姿も見ているはずである。
「ティセ君のようなあの赤髪でしたら……学園の中枢に」
「案内できるか?」
「はい……。しかし、あなたは?」
軽く自己紹介を交えながら、二人は先へと進んだ。バルホークがガーディアナの騎士である事に驚く老人は、ここの学園長であるとの事であった。
「なるほど、中枢部にあの人形達を制御する部屋があると。奴の目的はそれか」
「それだけではありません。そこにはあらゆる魔動兵器が眠っています。現在、大魔導師であるストラグル様や隠者のミハエル君が守っていますが、力が強いほど操られた場合危険です。ティセ女王がこの場にいないのは幸いですが、急がねば!」
二人が走り出したその時、建物を大きな振動が襲った。
これほどの建造物が揺れるとなると、かなりの規模の地震が発生したようだ。
「これは、大魔法アースクエイク……!」
「くっ、始まったか!」
二人は地下への通路を駆け下り、制御室の扉を開く。
そしてあらゆるパネルと魔動装置が並んだ広い空間の中央に、狂気の源泉とも呼べる赤髪の女王の姿を見つける。彼女は悠然と子供達とパペットを従え、こちらに色目を使った。
「遅かったな、バルホーク。どうだ、面白いものが見られるぞ、近くへ寄れ」
「ふざけるな! 貴様、一体どれだの人間を弄べば気が済む! 戦争とは、戦う覚悟のある兵のみで行うもの! 力無き民を巻き添えにするなど、言語道断!」
「ひっ……」
カトリーヌはその勇ましさに一瞬たじろぐものの、すぐに平静を装い一つのモニタを指さした。
「ふん……ならばこれが見えるか。これは学園外のパペット供の目から見た景色。我が部下が倒れておるな。……どういう訳だ? 私は貴様達に闘争しろなどと命令した覚えは無いぞ?」
「俺の意思で斬った。それにお前の部下となったつもりもない。つまり、もう終わりだ。後は本国で、背負った罪を償うが良い。それとも、ここで俺に倒されるかの二つに一つ」
「いや、貴様は私の部下だ。永遠にな。かわいいかわいい、バルホーク坊や」
「戯れ言を……」
ここで挑発に乗るわけにはいかない。彼女の周りには子供達による盾がひしめいている。さらに今はキャナリーの力も消耗し、ほぼ使えないだろう。バルホークは彼女の様子を伺いながら、もう一つの懸念へと目を向けた。
「気づいたか。そう、どれだけ部下を失おうと、私の駒はまだまだあるのだ」
「く……遅かったか」
「ふふ、見ろ、あの者達を。研ぎ澄まされた魔術がぶつかり合っておる。言わば、この地でのバトルロイヤル優勝者決定戦。これは見応えがあるぞ」
「おお、なんという……」
学園長は地下に開いた大穴の下で、高度な魔術勝負を繰り広げる師弟へと嘆きの言葉を投げる。しかし、すでに退場したはずのプレイヤーが存在する事に疑問を抱いたカトリーヌは、不機嫌そうに眉をしかめた。
「なぜ、その者が生きている? これは、闘争の血を選りすぐるための、生き残りを賭けたゲームであるはずだぞ!」
「貴様の企みは潰えたという事だ。自らは戦わず、光を浴びず、薄暗い影に潜む臆病者め」
「なん、だと……」
始めてカトリーヌの額に青筋が走った。自身の本質を見透かされ、動揺を隠しきれずにいるのだ。
「ほ、ほ、ほほ……、要らん、入らん、いらん! 弱き者など、我が駒には必要ないぃっ!」
弱さへの異常な嗜虐性を見せるカトリーヌは、学園長へ向かって銀のナイフで斬りかかった。
「そこへなおれぇ!」
そのあまりの動きの鈍さに無駄の多さ。カトリーヌは長い丈のドレスを自らの足で踏みつけ、躓きながら子供達の中へと大袈裟に転ぶ。その危険に、逃走の力が働いた子供達が一斉に彼女の近くを離れた。
「お、お前達、どこへ行く……」
「チェックメイトだ。クイーン」
バルホークは再び、カトリーヌの喉元へと剣先を突きつける。闘争の力を使われては面倒であるため、そのまま切っ先をためらわずに喉奥へと押し込んだ。
「ぐふっ、ぐぶぶ……」
鋭い痛みがカトリーヌを襲う。首筋からあふれ出す赤い血が、何よりも恐ろしい死を予感させた。それは、いつか幼い頃に感じた痛み。力への敗北。……あがなえぬ、絶望。
「これを抜けば、貴様は死ぬ。さあ、力を解け。同時に、俺の力で傷を戻してやろう」
「……んぎぎ」
カトリーヌは目を泳がせ、自らのマギアの発動を止めた。
バルホークは彼女から流れる異質な力の断絶を見届け、カトリーヌから剣を抜いた。それと同時に、喉の傷も塞がっていく。
「はあ、はあっ……」
「これで女王ごっこは終わりだ。貴様は本国へと連れ帰り、異端審問にかける」
「ふふ、ふふふ。……いや、ご苦労であった、バルホーク」
「なんだと?」
歪な笑みを浮かべ、カトリーヌは立ち上がった。力を解いた事。それは、地下で行われていた非情な闘争の結末を見届けたからに過ぎない。
「ミハ……エル……」
「氷魔法、レベル14。フリージング・ブリザード……」
寄る年波には勝てず、大魔法で魔力の枯渇したストラグルを無数の氷の剣が貫いた。ミハエルはアイス・クラスタの使い手であり、アース・クラスタの熟練者であるストラグルにとって相性のいい相手ではなかった。土に含まれる水分が凍りつき、逆に力を制御された事が敗因であろう。
「ここで、死ぬ訳には……ティセ様、すみませぬ……」
ストラグルは最後にそう呟き、一人死地へと旅立っていった。
「ストラグルか。良い名だが、それでは勝てぬ。あのミハエルのように、力を統べる者の名でなくてはな」
まるで俯瞰したカトリーヌによる評価を受け、ミハエルの絶叫が響いた。
「う、うわああああ……!!」
彼の愛弟子であったミハエルは、最後の最期に理性を取り戻す。目の前には、自らが殺した師の亡骸。そして、目覚めた記憶からガーディアナ魔術軍の生き残りすらもその手に掛けてしまった事を知る。元々自分を追い詰め世を捨てた心優しい彼に、それを受け止める事など出来るはずもない。
「ソレイユは生まれ変わる。そう、太陽の女王が月の女王に喰われた時、日食は成る。これより、闇が世界を照らす新生エクリプス帝国の世が始まるのだ。ふふ、ふははは、ひひひひひ!」
「……しまった!」
再び逃走の力を発動したカトリーヌは、バルホークの剣からも逃げおおせる事に成功した。それと同時に、バルホークをある違和感が襲う。
――お兄ちゃん……、苦しいよ……。
「なんだ……キャナリー、どうした!」
心臓に移植された妹が、魂に起きた異変を訴える。まるで、肉体と心とが分離していくように、その声は次第に聞こえなくなっていった。
「う、ぐう……」
「我がエクリプスの騎士、バルホークよ。貴様はソレイユの戦士全てを喰らい、その地位へと上り詰めた。そして、アルテミスの戦士の頂点に立つ魔術師、ミハエル。貴様らに、栄えある狂化の力を授ける!」
カトリーヌからおぞましい幻像が浮かび上がった。闘神シャウラ。蠍の外殻を模した鎧に身を包む、かつての王。彼女の針は蜂などではなく、蟲毒を勝ち抜いたサソリの毒針であった。
――いや、いやあああ!
「キャナリィ! ぐあああ!」
幼いキャナリーに覆い被さる黒い影。その心はカトリーヌの力へと囚われた。無数のサソリの脚が、彼女の全身を這い回る。
「甘露……。バルホークよ、貴様の内の少女、しかと私がもらい受けたぞ。貴様らが救われる道は一つ。私と共に歩め。全ての闘争の頂へと上り詰める、その時まで」
「ふぅぅ……貴方の意のままに、マジェスティ・メディア」
バルホークの敗因、それは彼女を追い詰めてしまった事にある。彼女の作りだした闘争のゲームにて頂点に立った者は、狂戦士と化す呪いを植え付けられるのだ。これこそ、彼女の最後の毒針である事を知る者はいない。
「次なる目標は、アルテミス城。ならば、このわたくしが案内させていただきましょう」
「ミハエルか、苦しゅうない。しかし、流石の私も少しばかり疲れた。今日は休むとしよう……。エクリプスの建国を祝う金環日食までは、まだ時間もあるからな」
「はっ、マジェスティ・メディア……!」
ここに、剣と魔法を司る、二人の狂戦士が誕生した。
太陽を食むほどに天へと昇る月の女王。為す術も無く占拠された学園に、高らかな彼女の嗤い声が響いた。
―次回予告―
かつて触れた、暖かな温もり。
いつしかそれは滾るような炎へと成長していた。
熱を失ったこの魂を、再び燃え上がらせるほどに。
第162話「再起」