第159話 『無慈悲な夜の女王』
ガーディアナ領、アルテミス特別区。ここに恐怖の女王が降り立ってから、一日が過ぎた。
いつもなら盛んに賑わうはずの市場も、全く人通りはない。
やがて自らの領地となる土地の視察を兼ね、女王カトリーヌは数人の配下を従えて街を練り歩く。彼女は昼夜の逆転した生活を続けているため、その活動は専ら夜を中心としていた。
「随分と人が消えたな」
「はっ、どうやらすでに避難が行われたものと思います。我らの戦力を前に、とても敵わないと踏んだのでしょう」
「愚か者。これほどの統率力を見せるアルテミスだ、何かを企んでおると考えるべきであろう。見たところ我らには分からぬ方法で、全国民同時に命令を出している。やはり、これも魔法の類いか」
魔法。魔女の力とも違う、魔力を動力に利用した多岐にわたる実行プログラム。我がソレイユ人はその身一つで強さを追い求めるという姿勢にこそ誇りを持つ民族。よって軟弱なアルテミス人など組み伏せるのはたやすく思っていた。しかし、その相性はことのほか悪いのかも知れない。
「貴様達。私が寝ている間、何か変わった事はなかったか」
「そういえば昼間、やけに街が騒がしかった気が……」
「なんだと……。何故、私を起こさなかった?」
「い、いつもは死んでも起こすなと……」
困った事に、連れてきた部下達は我が闘争にて寄せ集めた肉体派ぞろい。脳みそまで筋肉で出来上がった彼らにそのような機転など利くはずもない。昨晩、勇み足で大使館の魔術師供を全て殺めたのは失敗だった。そのことごとくが同士討ちするとは思いもしなかったのである。
「くっ、昼間に何が起きたのか調べる。ついてまいれ」
カトリーヌはすでに廃墟となった民家を調べ、住人の暮らしぶりを表す情報を集めていった。
この国の照明は色とりどりに光り、音の出る箱からはここでは無い場面が常に映し出されている。しかし画面下の文字には本日の放送は終了しましたとだけ書かれ、こちらに何の情報も与えてはくれない。
「これで命令を伝えていた可能性が高いな。現在は全てが終わった後と見える」
「どういった仕組みでしょう。この中に小さな人間がいるとか?」
「馬鹿者、映写機も知らんのか。過去に撮った映像を映しているのだ。中に大量のフィルムが入っているに違いない」
「さすがはマジェスティ……」
部下達はただ感心するばかり。それに気を良くしたカトリーヌは探偵気分で捜索を続ける。
次に目に付いたのは、誰もが一人一つは携帯している小さな箱、マジフォーン。しかし、何かしらの記号が書かれた文字盤を彼女がどれだけ触ろうとも何の反応もない。
「壊れておるのか? それとも、魔力によって動作すると考えるのが自然か」
カトリーヌはそれの持ち主であったはずの女性の亡骸に、マジフォーンを近づける。もちろんそれでどうにかなる訳でもなく、その行為は徒労に終わった。
「ふん、欠陥品か」
彼女は諦め、それを持ち主の元へと投げ捨てる。すると、とたんに画面に光が灯った。
端末が偶然女性の手に触れたのである。
「おお、持ち主の接触に呼応して命令を聞くのだな。なるほど、これ一つ一つが主人を見分ける忠実な僕というわけか」
カトリーヌの冷ややかな目が部下達へと向けられる。まるでお前達はこの小さな箱以下であると言わんばかりだ。
どれどれと再びそれを拾い、光る画面を自分でタッチするが何も反応しない。彼女はまたかと苛つきながら女性の指を持ち上げ、画面へと触れさせてみた。すると予想は的中。起動画面の後、色んなアプリ(魔プリ)のアイコンの並ぶ画面へと移行する。
「ふむ、ここから様々な命令を下せるのだな。しかし、忠実すぎる僕というのも不便極まりない。どのみち、全ての民は私の下に跪く事になるのだ。ならば、貴様の主人であるこの指も、我が所有物といえよう」
カトリーヌは懐から銀のナイフを取り出し、女性の指をサクリと根元から切断した。傷口から垂れる血を吸い出し、少し萎れた指を使っては、自在に端末を操った。死後もまだ、遺体が微量に纏う魔紋による現象である。
「ふふ、まるでエリザの真似事だな。奴と寝た時に、我も吸血鬼へと感染したのかもしれぬ」
「ぞくり……」
部下達は知っている。吸血鬼などと関わり合う前から、彼女が人の血を好んで嗜んでいる事を。中でも彼女は特段、少女の血を好む。少女の血は若返りの薬。まだ二十歳という若き身空であるが、すでに老化が始まっているとの危機感に、いつも身の回りに少女を侍らせているくらいだ。
「しかし何とも濁った血だ。この娘、処女ではないな」
「あ、すみません。もったいなくて、殺る前につい……」
「ふん、野蛮な。だから男は嫌いなのだ」
そんな彼女は、もちろん魔女を好む。特にワルプルギスの中でも幼い二人、アンネとルールーを人一倍愛でているという話だ。いや、それは周りにとって見れば小児性愛の領域ですらあった。
「ああ、久々のサバト、私も行きたかった……あの純血達は元気にしているだろうか」
「そういえば、ポワゾン様の使い魔からまた手紙が届いておりましたね」
「うむ、毎度ながらペトラもマメな事だ。だが我ら一人に一羽渡された彼女の使い魔……あのカラスの前では、流石の私も身がすくむ思いよ」
そうこう話している間に、カトリーヌは様々な映像が蓄えられている魔プリというものを発見した。
「ふむ、エムチューブとな……マジカル・トランスレート・ユニバーサル・ブロードキャスト・エンチャントメント。分かりやすく言うなら、魔法変換全世界放送術式と言った所か」
「マジェスティ、マジすげーです!」
「お前、処すぞ」
その中の一つ開いてみると、何やら赤髪の少女が派手な召し物へと変化する短い動画が再生される。どうやら再生数ソートで一番上に来るもののようだ。
「ほう、私と同じ赤髪の……。なんと愛らしい事よ……」
『魔法少女姫、ティセ゠アルテミス、ここに参上! 悪い子は、マジカルにお仕置きっ!
』
こちらが恥ずかしくなるような決め決めのセリフ。思わず頬を染める彼女であったが、その一部に、聞き捨てならない言葉を発見する。
「まて、アルテミス……だと?」
早速、様々な意味で気になる少女の名、ティセ゠アルテミスという文字を検索欄に入力してみる。するとズラリと現れたのは、「ティセ王女、アルテミス二十世即位」という最新の動画であった。
「まさか……」
そこには、まさに今日の昼に行われた女王戴冠式の様子と、ガーディアナという脅威に対して行われた非常事態宣言の内容がしっかりと映し出されていた。なるほど、一人一人がこれをリアルタイムで受け取り、各自で避難したとするならば、事は一日で完了もしよう。
「ほう、ティセ゠アルテミス゠ファウスト。史上最年少17歳の女王……ふむ、惜しいな」
その言葉に含まれるのは、後に自ら手に掛ける事となる相手への哀れみか。それとも、自身の即位した年齢である16歳にわずかながら及ばなかった事への余裕か。しかし部下達は知らない。彼女は毒殺により自ら肉親を手に掛け、現在の王位を手に入れたという事を。
『魔法少女姫、ティセ゠アルテミス、ここに参上!』
カトリーヌは再び、小さなティセの魔法少女動画を再生させた。そして繰り返し繰り返し、その姿を刻みつける。
「う……ふっく」
なぜだか、あふれ出す涙を止められない。惜しいという言葉の真意は、この魔法少女に科せられた、10年という過ぎた年月に対する無念であったのだ。
「これは、運命のいたずらか……。時の流れというのは、残酷なものよ」
「マジェスティ・メディア。まさか、このまま引き上げるおつもりで?」
「……この少女はすでにこの世には存在しない。迷うまでもなかろう」
女王の決断が下される。ソレイユ軍は再び大使館へと戻り、待機していた戦士達へと呼びかけた。
「よいか、奴らはとみに発達した情報伝達の手段を持つ! 我らの行動はすでに筒抜けであると心得よ! であれば、隠れる必要はない。こちらから、奴らの本拠へと攻め込むまでの事! その研ぎ澄まされた闘争の血にて、今こそ脆弱なアルテミス人を蹂躙せしめよ!」
「「オオオ――ッ!!」」
その数、精鋭部隊にして200あまり。決して多くはないが、そのどれもが蠱毒を生き抜いた強力無双の男達である。
「女王自ら語った、奴らが逃げ込んだという場所は3つ。まずはその中より、ここから最も近い魔法学園を狙う。元々ここはガーディアナが押さえた魔道兵器が多数保管されているらしく、私はこれを聖典派へと届けるよう言付かっている。ある意味、奴らはこれが何よりも欲しいのだ。当然、残る土地は我々でいただくとしよう」
「いやっほー!」
「腕がなるぜ!」
すでに殺戮の手応えを覚えたのか、血気盛んに猛る男達。カトリーヌはいつものように男達がやり過ぎぬよう付け加えた。
「分かっていると思うが、子供にだけは手を出すなよ。女供は好きにしてもかまわん。アルテミス女王ティセ以外はな」
「はっ! ありがたき幸せ!」
今では彼らの根城となった大使館の片隅には、この地区で集められた子供達が怯えたようにひとかたまりとなっていた。その中でも特に愛らしい子供は、もちろん別部屋行きである。
「では貴様達、私はここで吉報を期待している。いいか、誰も私の部屋の戸を叩くでないぞ。その命が惜しければな」
女王命令によりゾロゾロと部下達が出て行った後、カトリーヌはそこにいる子供達を見つめた。
「……許せよ。お前達は、よりふさわしい国で生きるのだ。真の女王が庇護の下でな」
みな、蛇に睨まれたように立ち尽くすのみであるが、カトリーヌはふと優しげな笑顔を作り、その場から去って行くのだった。
カトリーヌのベッドルーム。司徒ピーターの使っていたであろうその部屋は、少しばかり少女趣味のきらいがあった。ならば都合が良いと、カトリーヌは側へと置くことに決めた美しい少女達をこの部屋に集め、見目麗しい衣服などをあてがっていた。しかし今は真夜中。彼女達は恐怖と疲れのあまり、すでに寝付いてしまっていた。
「今戻った。私の少女達よ……」
仕方ないとカトリーヌはその内の一つのベッドへと腰掛け、先程のマジフォーンを繰り出した。女王と言えど前時代の娯楽しか知らない身、そのどれもがやはり趣向をくすぐる。好奇心に駆られしばらくあれこれと試していると、彼女は再び面白い物を見つける。
「ツインスターグラム……双芒星。ふむ、この国の人間は、どうやら情報を安売りするらしい」
その二つの星型の魔方陣が描かれた魔プリを起動したところ、端末の持ち主の昨夜までの出来事が、写真と共に投稿といった形で綿々と記されていた。
「ふ、まさかこの後に死す事になろうとは思うまいな」
写真の下部にある星マークには、150といった数字が見える。戦争ばかりしているカトリーヌには、この意味する所が勝ち星くらいにしか思いつかない。つまり、この女はこの写真で150の勝利を収めたのだろう。彼女はやがてツイスタを、この数を競うものだと理解するに至る。
「それで、このフォロー、フォロワーとは……。私もフォロワーの数は多いが……」
それらを辿ると、誰もが必ずフォローしている人物へと行き当たる。カトリーヌは思わず声を出した。
「あっ!」
アルテミス女王、ティセ゠ファウストのアカウントだ。
「なんと破廉恥な……」
並んだ写真はどれも、エロティックでありセレブ感に溢れる。そういえばと星の数をすかさず確認すると、その数字は先程の女性とはあまりにも桁が違った。
「いち、じゅう、ひゃく……なっ、10万だと……? 圧倒的ではないか……!」
当然フォロワーの数もそれ以上。つまり、これが彼女に対し盲目的についてくる人間の数を示しているのだとしたら、どれだけ女王の資質に優れているのか窺い知れるというものだ。さらにこれは、この端末を持っているという条件に合致した数にすぎない。
「う、うぐ……思わぬ先手を受けた」
ティセにとってはこの国にいる間の暇つぶしであったツイスタであるが、カトリーヌにとってはこの国の規模を思い知る衝撃となったようだ。
「ぬ、これは、魔法少女ティセ!」
何だかんだ言いつつ、ティセは幼い頃の写真もアップしていた。これがおそらくツイスタ史上、最も星を稼いだ写真であろう。もちろんこの端末でもすでに星が入れられていたが、カトリーヌは思わず星を押してしまう。
「は、しまった、私とした事が負けを認めてしまった……! いや待て、数字は一つ減っているぞ。ふふ、私の勝ちだ、ティセ!」
一人でそんな事をして遊んでいると、そのうち借り物の指が次第に反応しなくなった。かすかな魔力さえも使い切ってしまったのだろう。
「ああ……」
どうやら子供達には高価な物らしく、他にマジフォーンを所持している者はいないようだ。カトリーヌは再び指狩りへと出向くため、大使館の階段を駆け下りる。もうすっかりマジホ依存症である。
その時、子供達のいる広間にて何者かの影が横切った。気を抜けば見落としてた程の一瞬。
部下達が戻ってきたのであろうか。いや、今のはがさつな男達の動きではない。
「何者だ! おのれ、子供らに手を出したら許さぬぞ!」
疑り深い彼女は、子供達の無事を確認すべく広間へと戻った。早速灯りをつけて見るも、子供達は変わらずに隅の方へと寄り集まっている。それ以外におかしな点はないように見えるが……。
「動くな」
「きゃっ!」
カトリーヌは背後をとられていた。男の声と共に、細身の剣がその首筋を捕らえる。まるで一瞬の出来事に、彼女は思わず女々しい声をあげてしまった事を悔いた。
「お、おのれ……」
おそるおそる後方を見ると、煌びやかな聖騎士の甲冑が目に入る。羽交い締めにでもすれば良いものを、出来るだけこちらへ触れないように配慮しているのか、その束縛は甘い。
「貴様が聖典派の送り込んだ刺客だな。それも魔女、という事はワルプルギスか」
「ええい無礼者、離さぬか!」
カトリーヌは強引に振り返り、男の目の前に顔を近づけた。その際、唇と唇が触れそうになり、男は思わず飛び退く。
「うっ……いきなり何をする!」
そこにいたのは、端正な顔立ちをした比較的若い騎士。聖典派より聞いていた、先にこの地へと降り立ったという司徒バルホークであった。その正体を知り、カトリーヌは胸を一撫でする。
「なるほど、そなたであったか。だが女の背後を襲うとは、一体どういうつもりだ」
「それはこちらの台詞だ。ここにいたはずの魔術師達はどうした。それに、この子供達は何だ! 返答次第ではタダでは済まさん!」
「知れたことよ、敵は全て排除した。まあ、我が直接手を下した訳ではないがな。それと子供達は保護対象だ、安心しろ。しかし、何故そういきり立っておる。そなたも同じ目的でここへ来たのであろう」
「あ、ああ……この惨状に俺がどうこう言う謂われもない。ピーターは俺が殺した。後はこの地を制圧するのみだ」
どこか後悔の念をにじませ、バルホークはそれを振り払うように剣を鞘へと収める。
「そう、それが、教皇様の望みならば……」
あのラビリンスという空間において起きた出来事は、現実なのであろうか。いまいちその実感もないまま、バルホークは最下層で待ち受けていたレジェンドとの死闘を繰り広げた。
相手はこれまで出会った中でも、あの黒服の男に次ぐほどの強敵。しかし、不可思議な現象により戦闘は中断された。あらゆる術を繰り出す敵に翻弄されつつ死中に活を求める中、唯一それを破る方法を見つけた時、再びここへと戻ってきていたのだ。戦闘で負ったはずの傷も全て癒えている。まるで、全てが無かった事であるかのように。
「だが丁度よかった。そなたほどの戦士がフォローしてくれるなら、侵略もたやすかろう。どうだバルホーク、私と手を組まぬか? いささか、この国の規模を侮っていたようだ」
バルホークは怯える子供達を見つめた。その存在が張り詰めた心を穏やかにさせる。戦争により親を失った子供達の保護に努めるこの女は、信用に値すると思えた。
「いいだろう。子供を愛する女は、嫌いではない」
そう言うと彼は子供達の元へと向かい、いつも持ち歩いている飴を配り始めた。
「ふふ、それならば結構」
この男は何か勘違いしているらしい。ここにいる少年は皆戦士に育て、少女は妾とするために側へ置いている事に気づいてすらいない。それに、どこか闘争に疲れ切っているにおいを感じる。
(欲しいな、私も。何よりも戦に忠実な、鷹が)
男は闘争してこそ価値がある。その命が燃え尽きるその瞬間まで、綺麗な血花を咲かせ続ける姿にこそ女は欲情するというものだ。
その大きな背中を見つめていると、次第にカトリーヌの支配欲が大きく疼いた。残念だが、この華奢な体に屈強な男達は手に余る。ならば、可愛い可愛い、小さきもの達にてその穴を埋めるまで。
「では私は眠る。決して、戸を開けるでないぞ」
「俺も少し疲れた。ここで、眠るとしよう」
バルホークは子供達をソファなどに寝付かせ、自分も床へと転がった。
対照的にカトリーヌは足早に自室へと戻り、少女達との夜を貪る。
ここに、子供達の未来を願う者と、その未来を食い荒らす者とによる奇妙な共同戦線が敷かれる事となった。
そして動乱のアルテミスに、再び太陽は昇る……。
―次回予告―
争いの犠牲となるのは、常に力を持たぬ子供達。
男は血に濡れた自らの手を見つめる。
ならばこそ、この手はそれを救うためにあるのではないかと。
第160話「聖騎士」