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第157話 『二人の女王』

 アルテミス宮殿、女王の間。


 司徒バルホークの襲撃があったその日、ティセは母であるアルテミス十九世に進言した。一刻も早く軍を再編し、迫り来るガーディアナに対し迎え撃つべきであると。


「なんですって……」


 女王は突然の事態に憔悴し、その場へと倒れ込んだ。

 無理もないだろう。争いが始まるという事は、愛する国民の命が失われるという事。しかもその皮切りとして、最愛の人が最初の犠牲となったというのだから。


「ああ、ついに恐れていた事が起きてしまった。あの人がいなければ、もう……」


 父がその後どうなったのか、知る術はない。ラビリンスはすでに内側から封鎖され、今は入る事もできないのだ。せめて彼さえ無事なら、母の心の拠り所となったはずであろう。


(ママ……むしろ、今までが上手く行きすぎてたくらいなのよ。アタシは奴らをこの目で見てきたから、こうして戻ってきたんだ)


 やはり平和を愛しすぎるこの人に、戦争など出来るはずもない。ティセは改めて自分が立ち上がるしかないのだと震える脚を押さえつけた。


「ママ、アルテミスの全権を、アタシにちょうだい。アタシが女王になれば、絶対にみんなを守ってみせる。そして、強かったこの国を、取り戻してみせるわ。だから、アタシを、女王アルテミス゠ファウストにしてほしいの!」

「ティセ……あなた……」

「おお……ティセ様」


 幼少よりティセを育ててきたお世話役、ストラグル老人の目に涙が浮かんだ。彼は彼女が赤子の頃から、この子は稀代の統治者になるという確信めいた予感を覚えていたのだ。


「ティセ様……、よくぞここまでご立派になられましたな。これで、ワシも安心して死ねる……」


 この女王の間には、歴代のアルテミス女王の肖像画が並んでいる。しかし、ティセの瞳の赤は、その誰よりも深い紅を(たた)えていた。かつては不良とも呼べるその素行を心配したものだが、彼女はマレフィカ達との旅を経て、誰にも負けない慈愛すらも獲得し帰って来たのだ。

 まさに、真の女王の器を持つアルテミス二十世はここに完成したといえよう。


「女王、確かにその状態での公務はお体に障ります。ここは、ティセ様に任せてみてはいかがでしょう。(きゃつ)らの容赦の無さは、すでに滅びたローランドを見れば明らか。無抵抗で侵略を許せば、アルテミスの歴史そのものが潰える事になりましょう」

「ええ、この方であれば間違いないかと。ここは暫定的にティセ様を女王とする体制を敷き、ガーディアナに立ち向かうべきです。それを本当に継承を行うかどうかを見極める、最後の試験とすべきでしょう」


 いつも試験ばかり押しつけてくる、口うるさい新任のお世話役も続く。冷静な状況分析を得意とするストラグルの補佐である。


「私の見立てによると、今まではピーター様の盾により本国も動けずにいたようですが、どうやら状況が変わったようです。ガーディアナは一枚岩に見えて、実の所、掲げる思想において現在二分しております。一つは“聖典派(カノニック)”。何としてでも教義を広め、絶対的な支配を揺るぎない物にしようという、枢機卿一派による過激な思想です。もう一つは“守護派(プロテクタンス)”。平和を愛するピーター様や、権力を持たない市民に多く支持される、慈しみの思想です。ですが近年では聖典派の力が増し、先日も新たなる勢力がこの地へと送り込まれました。もはや、一刻の猶予もありません」


 何かおかしい。いや、この男は一体何を言っているのか。矢継ぎ早に繰り出される言葉を縫って、ティセはそこに割り込んだ。


「ちょっと待って、やけに詳しいじゃない。まさかアンタ、ガーディアナ側の人間じゃないでしょうね。パメラもよくガーディアナの事喋ってたけど、案の定聖女だったし」


 その指摘に、不敵な笑みを浮かべるオールバックメガネ男。


「流石です、ティセ様。……申し遅れました、わたくし、隠者(ハーミット)のミハエルと申します。今日まで仮の姿としてあなた様のお世話役を演じさせていただいておりましたが、いざという時あなた様の力になるようピーター様より言いつかり、お側にお仕えしていたのです」

「やっぱりスパイじゃない……。ストラグル、どうなってるの!」

「なんと……そんなはずは」


 お叱りを受け、ストラグルは慌てて手にしている書類を確認する。ミハエルの経歴欄には、アルテミスルーンアカデミーを主席で卒業後、今職に就くまでの長い空白期間があった。このガーディアナ統治下において魔術師はすぐに敵軍へと徴兵されてしまうため、それを嫌った者達は世界から身を隠す若年無業者(ニート)となる者も多い。ストラグルは昨今増え続ける職を持たない若者のため、自分なりに救いの手を差し伸べたつもりだったのだ。


「ハーミットと言うと、世捨て人さながら厳しい戒律の下に生きるという修行僧……。まさに権力者の逆を行く存在であるな。ワシも身元は洗ったつもりだったが、そこまでは見抜けなんだ」

「それはそうです、念入りに過去は消しましたから。ですがストラグル師、そんな私などを拾って下さった事、感謝してもしきれません。うう……」


 ミハエルは眼鏡を外し、これまでの事を思い返しては、熱くなった目頭を押さえた。


「実を言うとガーディアナへと徴兵された後、彼らの在り方に賛同できず、そのまま世捨て人となったのです。このような事でしか抗議を示せずにいた私に、ピーター様だけが良くして下さった。……とうに捨てた身分を明かしたのは、忠誠の証。どうぞ! 不信であれば煮るなり焼くなり、使い魔のエサにするなり、どうぞっ、このわたくしめを、どうぞいたぶってくださいっ!」


 さらにミハエルは、なぜかスーツを脱いで上半身を露わにし、一人で自らを抱きしめ(わめ)きだした。どうやら、相当に彼の闇は深そうだ。


「オイラ、こんなの食べないにゃあ……」

「確かにいきなり変なのが出てきたと思ったんだよね……。でもまあ、いいんじゃない? ガーディアナやめたんなら」

「同感ですじゃ。実は、ピーターはワシの昔の教え子でもありましてな。彼の部下なら間違いもないでしょう。ミハエルは魔術の腕も一流ですし、罪に処す理由もないかと。ところでそのピーターだが、今も元気にしておるかな?」


 ストラグルの何気ない一言に、彼の眼鏡が(かげ)りを帯びる。


「その事ですが、司徒バルホークが現れたという事は、もうすでに……」

「そうか……、稀に見る天才であったのだが、惜しい事をした」


 立場は違えど、それぞれに同じ想いもある。それは、この国を、平和を愛したという誇り。ここは太陽の下、燦然(さんぜん)と輝く陽気な国。本来誰の支配下にもあるべき国ではない。ガーディアナとの仲良しごっこはもう終わりにすべきだと、一同は彼の死に誓いを新たにする。


「ティセ様、もはやこの国の要は我々しかおりません。女王様には今一度安静にしていただき、ここは我々で立ち向かいましょうぞ!」

「はい。安い命ですが、私もあなたへと全て捧げる所存です!」

「みんな、ありがとう」


 ティセは顔色の悪いアルテミス女王の汗を拭いながら、優しく微笑みかけた。


「ママ、そういう事だから、後はアタシに任せて。きっと、上手くいくから」

「ティセ、こんな時に、ゴメンね……」

「大丈夫。ママが元気な内に、立派になった所を見せてあげなくちゃね」

「あなた、何故それを……」

「分かるよ……娘なんだからさ」


 母の異変には気づいていた。無理もない。あんなに腹立つほど元気だった姿が、少しずつ弱り始めているのだ。実の所、公務もティセに押しつけていたのではなく、彼女のこなせる分量が減ってしまっただけ。今ここにいる事も、そんな虫の知らせだったのかもしれない。


「そうね、もう隠せないか……。実は私の体は病に冒されていて、今はメトルが魔法で生き長らえさせてくれているの。彼の安否も分からない以上、私もいつどうなるか分からない。だからティセ、この国を、お願いね……。アルテミス十九世より、今ここにあなたへと王位を託します」

「ママ、いえ、お母様……ありがとう。アルテミス二十世の名、有り難く貰い受けます」


 歴史は動く。この瞬間、少しだけ世界が熱を持った。それは、太陽のような少女の、誰よりも熱い決意によるものかもしれない。




************




 ティセが王位を継承した月夜の晩。ガーディアナ大使館では、ある異変が起きていた。


 ピーターからの音信も途絶え、彼の部下達は不安な夜を過ごしていた。ある者達は終わりの時を予感し、愛する者と過ごそうと共に寄り添い合う。


 ここでの暮らし、それは一時の自由であった。ガーディアナ本国において、彼ら同性愛者に居場所などない。見つかり次第異端審問へと掛けられ、その仲を引き裂かれる。一時期は刑罰すら科せられたが、異端審問官が修道女レディナとなってからは地方への左遷程度の扱いとなった。

 ここにいるのは皆、島流しに遭った連中ばかりだ。しかし、そんな僻地へと送られた者達を集め、強力な軍隊にまで育てた男がいた。ピーター゠マルゴ、彼も同じく、同性愛者の司徒である。


 彼らは次第に結束を深め高め合い、やがてその実力からガーディアナにおいて唯一の魔術軍として正式に認められた経緯を持つ。

 そんな存在そのものをくれた恩人であるピーターの死を認められずに、彼らはいつまでもピーターの帰りを待ち続けた。


「やはり、ピーター様はもう……」

「そんな事はない! あの方はきっと帰ってきて下さる!」

「そうだな、すまない……」


 上官達のピリピリとした空気に、若い兵は何とも言えない所在なさを覚えた。その足は自然と、誰かの役に立とうと動き出す。


「アンドリュー、ちょっと見回りに出てくる。いつ襲撃があるか分からんからな」

「レオン、僕もついて行っていいかな?」

「まったく、相変わらずさみしがり屋だな」


 二人の若い魔術師は仲良く警備へと出向く。体格のいい短髪の青年レオンと、なで肩の髪の長い青年アンドリュー。まるで永遠を誓い合うように、その手はしっかりと繋がれていた。


「静かな夜だ。アルテミスらしくもない」

「そうだね。こんな月夜の晩には月の女神アルテミスを祝う喧騒が夜中まで続くものなんだけど。それに加えて三年に一度訪れる日食の日、金環祭も近いと言うのに……」


 確かに、窓の外に見える街はあまりにも静かであった。確認のため、二人は大使館入り口の扉を開く。満月に照らされたアルテミスの街は、薄気味悪いほどに人気が無かった。


「魔力を感じない。いつもなら聞こえる、魔晶石の割れる音も……」

「どうなっているんだ……。まさか、すでに……」


 そこへ、二人の足下へと長く伸びる人の影が降りた。その頭上には、王冠のようなもののシルエットがうかがえる。慌てて二人は大使館のバルコニーを見上げた。


「答えよ。汝らは(おのこ)であるか」


 どこか威厳のある女性の声。部屋から漏れる明かりを背に受け、逆光で顔はよく見えない。


「男か、だと? 貴様、侮辱しているつもりか……!」

「何者だ、名を名乗れ!」


 勇ましくも怯えたその声に、女は鼻で笑い返す。


「ふん。貴様等に名乗る名はないが、そうだな、月の女王、とでも名乗っておこうか」


「言うに事かいて、(アルテミス)の女王だって……?」

精神異常者(ルナティック)だ。こんな夜はよく現れる」

「ホホホ」


 女性は笑う。その美しく高らかな声は、夜の闇に響き渡った。


「貴様の言う通り、月の光は狂気を生む。しかし、この国が本当の狂気に包まれるのはこれから。闘争は私を癒やしてくれる。闘争こそ、男の本能。血化粧に濡れたその体こそ、男の持つ美しさ。貴様等が真に(おのこ)であるのなら、それを我が前へと示して見せよ」


 すると、二人にキラリと光る物が投げ渡される。装飾の彫られた短剣である。高い音を立て歩道へと転がった二つの短剣を、男らは呆気にとられ眺めた。


「こいつ、何を言ってやがる、なあ、アンドリュー」


 レオンは彼女の言動を一笑に付したが、アンドリューは短剣を眺め、小さく震えている。


「おい、アンドリュー、どうした?」

「ダメだ、体が、求めるんだ……」

「おいっ!」


 アンドリューはおもむろに短剣を拾うと、レオンへと斬りかかった。彼は軍の中でも特に気が弱く、刃物などとてもでは無いが振るうことはできないはず。


「体が、闘争を求めるんだ! 君を、ボクの物にしたい! ボク達は永遠に一緒だ!」

「何を……うっ」


 腹に差し込まれた短剣から、熱い血が零れる。それを見た途端、正気であった方も次第に狂いだした。


「ああ、いいだろう。俺も、お前が欲しい……、お前の全てが欲しいぃっ!」


 二人は持ち前の魔術もかなぐり捨て、互いに短剣を深く差し合った。そして、あふれ出す相手の血を自身に塗りつける。そんな愛情表現を、命尽きるまで行った。


「アンド、リュー……」

「レオ……」


 血だまりの中、二人は重なり合って倒れた。その様子を眺め、舌を一舐めする女。


「……終わったか。我がマギア、闘争(コンフリクト)。やはりいつ見ても良い物だ。人の歴史は、争いの歴史。平和など、その波間に生まれる(なぎ)の時間に過ぎぬ」


 どちらかが死に絶えるまで互いを争わせる異能、闘争(コンフリクト)。これを繰り返し繰り返し行う事で、蠱毒(こどく)のように研ぎ澄まされた純粋な力がやがて生まれる。しかし今回のように愛し合う二人に掛けた場合、その多くはこうして相打つ結果となる。愛という相反する力が作用したせいか、せめてもの反逆のつもりか。


「ホホホ、どのみち愛など、個として完成出来ぬ者の防御本能。そんなモノ、我が兵にはハナから要らぬわ」


 女は笑いながら振り返り、大使館から漏れる灯りを浴びる。

 それは、美しき真紅の魔女。赤々と照らされた真紅の髪は全て統率が取れたように後ろへと流れ、その冷酷な顔貌を際立たせる。頭上に抱く王冠(コロネット)はそれ自体が凶器となりそうな、放射状の刃に薔薇の棘のあしらわれた半円状のサークレット。彼女はその細い体に、チェスの駒のような白と黒のドレスと真っ赤な羽根の付いたガウンを羽織り、どこまでも威厳のある佇まいを見せつけた。


「聞け! これより、この地は我がソレイユ王国の領土となる! 戦士達よ、我が闘争により選り抜かれた誇りにかけ、見事攻め落としてみせよ!」


「「……マジェスティ・メディア!」」


 女の威厳のある号令マジェスティ・オーダーに、どこからともなく響く男達の叫び声。それらは街をすでに制圧した、彼女の作り上げた(つるぎ)達の上げた轟きであった。


 カトリーヌ゠メディア。

 ガーディアナ近隣に位置する小国ソレイユの若き女王。あまりにも好戦的な性格で近隣の国をことごとく攻め滅ぼし、ついにはガーディアナにまで戦いを挑むも、あまりの規模の差に敗北を喫し属国となったという逸話を持つ魔女である。

 彼女はワルプルギスの一人でもあり、聖典派との関わりも深い。今回のアルテミス制圧の戦果次第ではこの国の支配権も与えられるとあり、その野心を存分に利用された形だ。しかし彼女にとって、そんな事は些末な謀略。この地で起こる闘争こそが、真の報酬なのであった。


「「マジェスティ・メディア! マジェスティ・メディア!」」


 鳴り止まぬ自身を讃える声を受け、カトリーヌは炎を宿したように紅い瞳を燃え上がらせる。


「一つの地に、女王は二人もいらない。なあ、アルテミス゠ファウストよ……」


 彼女を照らす満月に暗雲がかかり、辺りに(とばり)を下ろす。どこまでも深い闇夜の中、アルテミスを血に染める戦いがここに幕を開けた。


―次回予告―

 襲いかかる敵は、かつての自分自身。

 背負った罪は消せないが、塗り替える事ならできる。

 少女の全てを守るための戦いが、今始まった。


 第158話「非常事態宣言」

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