表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
195/214

第156話 『アルテミス炎上』

 時は、ヘクセンナハトによるイデア攻略戦が決起されようという前日。


 初の戦を前に、少女達はかつて共に戦った一人の仲間に思いを馳せる。いつも自信過剰、勝ち気で傲慢な天才、それでいて、ちょっとだけ泣き虫。彼女という存在が、ロザリー、さらにはヘクセンナハトという組織に与えた影響は計り知れない。


 かつてロザリーと共にその中核を担い、一人離別を決意した少女、ティセ゠ファウスト。そんな彼女の歩んだ別の物語には、歴史の転換点とも呼べる、もう一つの戦いがあった。






 ここは魔法国家アルテミス。うわべだけの平和が続くこの国に訪れた、いつも通りの朝。


「ふぁああ……」


 優雅な起床。ティセはほぼ全裸ともいえる格好で伸びをした。

 藁のベッドや安物のベッドとは段違いの、派手派手なボックスベッド。そこへ敷かれたフカフカのマットにシルクのシーツが再び安眠へと誘う。こんな生活をしていては、堕落するのも必然である。

 隣には、その手で眩しい日差しを隠すように丸まって眠るトゥインクル。


「ふふっ」


 パン、と自分のにやけた顔を叩いて気合いを入れる。その音に驚いたのか、トゥインクルも起きたようだ。


「おはよ、トゥインクル」

「んなー……」


 んぱぁ、と口を開いた大きなアクビが漏れる。いつか一緒に大冒険した、使い魔の黒猫。この子も平和の中、ただの飼い猫へと堕落していた。少し太ったようで、お腹からはたるんと、ぜい肉か皮かがぶら下がっている。どうも甘やかして、大好物のニャオちゅるーんをあげすぎてしまったらしい。


「ティセ、何か着るにゃあ」

「何照れてんの。あんた性別ないでしょ」

「そうだけど、オイラ子供の頃のティセばかり見てたから、まだ慣れないのにゃ」


 使い魔に性別はないが、その容姿はオス猫をモデルにしている。父の代わりになってくれるかなという期待を込めたのだが、子猫のまま成長しないため特にオスらしい特徴はないに等しい。


「それくらい別にいいじゃんさ。裸見ただけでキョドるロザリーじゃあるまいし」

「まあオイラはいいとして、女王様から遠視魔法で見られてるかもしれないにゃ。勝手に帰ったりしないように、ティセには厳しい監視体制が敷かれてるにゃ」

「たしかにママ……お母様ならそのくらいするわね。まったく」


 忠告通り、早速肌の露出の少ない真っ赤なブリオーを纏い、朝の沐浴へと出向く。すると扉を出た所で誰かが待ち構えていたようで、すぐにティセへと頭の痛い声がかかった。


「ティセ様、本日のご予定ですが、午前はストラグル様による魔術講義、正午は来賓(らいひん)を招いてのホールでの正餐(せいさん)。午後からは女王様との歌謡、作劇のお稽古とご公務。おそらく、近く開催される金環(きんかん)祭の打ち合わせでしょう。それが終わり次第、ラビリンスにてお父上との実戦稽古となっております。それと、昨日(さくじつ)のような勝手な外出は困ります。あなたは(じき)にアルテミス二十世となられるお方なのですから」


 監視されているというのは事実のようで、従者達がこぞって後についてきた。中でも口うるさい先頭の眼鏡を掛けた若い男は、年老いたストラグルの後任を任されたお世話係筆頭である。彼譲りのくどくどとした小言もさることながら、相変わらずの過密スケジュールにティセはうんざりだ。


「魔術の特訓はいいんだけど、歌や演劇のレッスンまで入ってるのは何でよ? それにアタシはまだ家を継ぐ気はないわ。お母様ったら最近、自分の公務まで押しつけてくるのよ? あれ、さっさと引退してアタシをここに閉じ込めようって腹だわ」


 男はクイッと眼鏡を直し、ティセのちょっとした不満にすらも反論する。


「近年、市民達の暴動により、ガーディアナとの和平にもヒビが入りつつあります。それもこれも、無駄にあなたが国民感情を煽ったからです。もはや穏健派の女王には押さえつける事など出来ないほど、反ガーディアナの動きは加熱しています。ティセ様にはその責任を取っていただくつもりなのでは」

「……はー、めんどくさ」


 ロザリー達と別れ、この地へと帰ってきたティセの最初にやった事。それは、帰還パーティーの席でメチャクチャにガーディアナの悪口を言い、旅の武勇伝を大げさに語ったというものであった。中でも、聖女を味方につけ、ガーディアナの圧政からローランドを救った話には皆熱狂した。ただの自慢話のつもりだったが、さすが単純な国民性、ほっといたら知らぬ間にこうなっていたのだ。


「もしかしたら、ママの撮った姫騎士ロザリーのせいかもね。あれ、暗にガーディアナを敵国として描いてたし」

「さもありなん。あのシネマジカは公開するやいなや、大ヒット御礼で続編を望む声も多数。しかしガーディアナの検閲により、魔法少女ティセシリーズは発禁を受け、上映禁止となってしまいました。残念至極」

「あれでロザリーが聖女誘拐犯だってバレたんじゃない? 本当バカだわ、ウチの国」


 ティセは浴場に着くと、早速服を脱いだ。最近良い物を食べているせいか、肌つやも発育もいい。思わずそれを目に入れてしまい、従者は慌てて部屋から出て行った。


「どうよ? アタシの体。アンタには刺激が強いか、キャハハ!」

「わわわ、私は何も見ておりません! いいですね、講義には遅れないように!」


 遠くからキョドキョドした声が聞こえる。女に興味はないのか、自分に魅力がないのか。まあ、王族の裸なんてまじまじ眺めるのは不敬罪にあたるのだろう。

 ティセは抜群のプロポーションを鏡に映し、その持てあました体に向け、大きくため息をついた。


「はあ……男か……」


 実は旅の途中、17歳になった。いい年頃だというのに、男にもなびかずに貞操を大事に持ち続けている。それは何故か考えた時、自分の性的嗜好はノーマルではないのではないかという答えしか返ってこなかった。どちらかというと、それを茶化していた方だったはずの自分。まだ子供だった自分は、内に眠る本当の気持ちに怯え、必死で否定していたかったのかもしれない。


 何故か自らの瞳に浮かぶ涙を見て、別れ際のロザリーの、同じように涙を浮かべた顔が蘇る。


「あれがアタシの初恋だったとか、笑っちゃうよね……」


 あの日々を思い出す度に、会いたい気持ちが溢れていく。もちろん、ロザリーはパメラのものだ。こうやって強引にチームから離れたのも、そんなドロドロした感情から頭を冷やすためでもある。だが、自分の本当の気持ちに気づかせてくれた彼女は、やはり特別な存在なのだ。


「ありがとね、ロザリー」


 ゆったりとバラを浮かべたお風呂に浸かりながら、ティセはその強い甘さと、華やかに広がる香りを楽しんだ。ロザリーの少し甘い香りを思い浮かべて。


 色んな事があった。同じように、自分がいない間にも色んな事が起きたのだろう。あの人の隣にいられないのは悔しいが、まだ、自分にはその資格もない。

 次に会うときは、あくまでも親友として、対等に。いや、もう追い越しているかもしれない。天才が修行したら果たしてどうなるか。その成果に驚く皆の顔が見えるようだ。


――ティセさん、さすがです!


 あまりにもリアルに聞こえる、そんな声。修行ばかりしていた弱虫なあいつも、少しは成長しているだろうか。


「……次はサクラの花でも浮かべてみようかな。あいつ、元気にしてるといいけど」




************




 その日の午後、ガーディアナ大使館のあるアルテミス特別区では、一人の男がアルテミス港から続く賑々(にぎにぎ)しい通りを歩いていた。


「ふむ、確か、この辺りか」


 ここはガーディアナ領としてアルテミスからその一部を譲渡された、ガーディアナによる自治区。現在、その地区の布教を任され大使館へと駐在しているのは、第八司徒ピーター゠マルゴという男。彼には女王アルテミス十九世に対し、その巧みな政治的手腕をもって無血開城させた功績があった。


 ピーターは元々アルテミス出身であり、自身が生まれ育った文化を愛するがゆえ、自らこの地への侵略を申し出た。魔法という強力無比な力を欲するガーディアナと、可能な限り戦闘を避けたいアルテミスの思惑が合致した結果、奇跡的に和平の道を歩めたといえる。


 しかし、風雲急を告げるガーディアナを巡る情勢に、そんな生ぬるい侵略を良しとしない勢力が近年現れ始める。マルクリウスの掲げる理念のもとに結成された、“聖典派(カノニック)”である。

 彼らはかつてこの世界を強く導こうとした賢者カノンの教えを守り、再び人類による人類のための世界を作り上げるべく、エルガイア大陸の侵略を推し進めている。言うなれば、人の利権にしがみつき、際限なく資源(リソース)を求めるヒルのような者達である。


「聖典派め……。教皇様すらも利用しようとするその姿勢……はなはだ気に入らんが、今はせいぜい踊れ。そう、全ては教皇様の掌の中」


 教皇の命によりこの地に訪れた第四司徒バルホーク゠リッターには、過激になりがちな聖典派の監視も兼ね、アルテミスを今一度武力制圧するという目的があった。そのためにもまずはアルテミスの全権を穏健派であるピーターから剥奪するため、彼のいる大使館へと出向く必要がある。


「しかし、ここは一年中演劇をやっているのか。なんとも平和な国だ。まあ、堕落したピーターの気持ちも分からなくもない……」


 街中には、映画女優らしき若い女性のきらびやかな映像がいたる所で流れている。マジビジョンというらしい。バルホークは少し不機嫌な顔でそれらから目を背けた。


「これはこれはバルホーク様、お早いご到着で。さあ、ピーター様がお待ちです。こちらへどうぞ」

「ご苦労」


 大使館前にはピーターの部下である、ガーディアナ魔術軍の精鋭らしき男達が待ち受けていた。今回の訪問に、(ピーター)ほどの男なら含みを感じないはずはない。当然、何かしらの対策は練っているはずである。案の定、その足は見当違いの方向へと向かいだした。


「何故、地下へと降りる? 執務室は上にあるはずだが」

「はっ、現在ピーター様は地下にあるラビリンスという空間内にて修行中であります。お待たせするのも悪いので、お連れするようにとの事」

「ほう。結界内であれば、被害も抑えられると踏んだか」

「何をおっしゃいます……」


 青く光るラビリンスゲートの前へと男達が並ぶ。その隣には、ロッカーのような物が備え付けられている。その一つに、魔術師のローブが一組、綺麗に折り畳まれていた。


「ではバルホーク様、服をお脱ぎください」

「貴様、からかっているのか?」

「と、とんでもない。これより先は、装備品の持ち込みは禁じられているのです。ピーター様もちゃんと脱いで行かれました」


 眉をピクピクさせ、仕方なく条件を飲むバルホーク。彼は聖騎士たる者のみが纏う事のできる貴重な装備一式をロッカーへとしまい、下着一枚となりゲートの上へと立つ。


「おお……」


 どこか男達の目の色が変わったように思える。その肉体は、ダイヤモンドカットのように端正で無駄が無く、機能美に溢れている。それを見て、心なしか前屈みになる男まで現れたのをバルホークは見逃さなかった。


「早くしろ……!」

「は、はいっ!」


 どうやら噂は本当らしい。ピーターの軍には男色家が多く、ノンケでも構わず喰ってしまう者までいるという話を小耳に挟んだ事がある。しかし、ただで喰われるのなら、武人としてその程度ということ。自分にとっては、どうという事はない。


(この(からだ)、教皇様以外には触れさせはしない。命に代えてもな)


 これを男色家と言われると抵抗がある。自分はあくまで、教皇に身も心も捧げているに過ぎないのだ。それを証拠に、不敬ではあるが彼を思うだけで、ある一部が(たぎ)り出すのを抑えられない。他の男など、特に興味の外である。

 転送されたダンジョンにてパンツ一枚で謎の誓いを立てるバルホークであったが、そこへ同じような下着姿の青年が現れ、その破廉恥な姿を思いっきり目撃されてしまう。


「あはは、やる気まんまんだね」


 クリーム色の癖のある髪を上で束ね、女性のように垂らした細身の美青年が、キラキラとしたグリーンの瞳でこちらへと笑いかける。知らない者が見ると、女性と間違えてしまうような美貌である。


「なっ、ピーターか……」

「こんにちは、バルホーク。どうだい、これがアルテミス名物、ラビリンスだよ」

「不愉快だ、服はどこにある」

「ここへ入ると支給されるはずなんだけど、あれー? どこだろうねー」


 下らない挑発である。彼の腕には、バルホークの支給品である皮の鎧が抱えられていた。


「それは何だ? 返答次第では、生きて帰れると思うなよ」

「ごめんごめん、怒らないで。ここはスライムの洞窟。モタモタしていると服は溶かされてしまうからね。預からせてもらったよ」

「スライム? 確かに這い回っているな。武器はこれだけか、面倒だな」


 バルホークはステータスを確認し、少し錆びたロングソードを受け取る。


「まあ見てて、このくらいなら一瞬だよ」


 ピーターから爆炎がほとばしる。言葉通り、一瞬にしてその階層のスライム達は蒸発し、次の階層へのゲートが出現した。


「相変わらずの技だ。それはそうと貴様、俺の装備まで燃やしたな……!」

「ああ、何てことだ! まあ仕方ないね、裸のお付き合いといこうじゃない」


『第一階層クリア、おめでとうございます! 報酬としてトレジャーが出現しました、ご確認ください』


「なに? そういうのもあるのか、女、早く言え! いや待て、それより貴様、どこから覗いている!」

「あー、これはシステム音声だよ。ここにいるのはボクとキミ、二人だけさ」

「む、それはそれで不愉快だがな……」


 バルホークは出現した宝箱から入手した鉄の鎧を身につける。仕方なくピーターも魔術師のガウンを着込んだ。


「ここは他の冒険者も訪れるから、とりあえず先へ進もう。話はそこで」

「まったく、付き合ってられん……」


 二人は次々に現れる魔物を適当に蹴散らし、奥へと進んでいく。

 そして、あっという間に辿り着いた第八階層、グリフォンの間。開けた平原に、小高い丘がそびえている。遠くに見えるのは、巨大な鳥のような獣。しかし、彼らにとっては怯えるような存在ではない。


「さて、ここならゆっくりとお話が出来そうだね」

「魔物は無視していいのか? あの程度なら俺が」

「いいのいいの。あれは使い魔って言って、魔術師のお供さ。人間に危害を加えるような子じゃない。ボクの使い魔は、ほら、火トカゲのサラっていうんだ」


 ピーターの手から現れたのは、けばけばしいピンク色をしたトカゲ。彼女は突然呼び出され、どこか不機嫌そうである。


「サラマンダーとお言い! 燃やすわよ!」

「このとおり、サラは気性が荒くてね。でも美青年が大好物なんだ」

「ふん、火トカゲだろうと何だろうと、どちらも俺の敵ではない」

「あら、いい男……私の尻尾に火が付きそう」

「もうついてるでしょ」


 そんな軽口を叩く侵入者二人に、その地を守るグリフォンは冷や汗を流した。彼らが普通の冒険者とは一線を画す、とてつもない存在である事を知っているのだ。


「あれは、確か司徒ピーター……それに、もう一人は……。ここは、ご主人様に知らせるべきか……」


 警戒し起き上がったグリフォンに、ピーターは鋭い視線を投げる。


「サラ、少し彼とお話してきてくれるかな? ケンカしちゃだめだよ?」

「さすがにあんな逞しいヒト、手に負えないわ。作ったのはどんな魔術師かしら?」

「レジェンドさ。きっとこの先にいるはずだよ。でも、さすがにこれ以上は迷惑がかかるからね。だからここで、僕らはゲームオーバーにならなきゃいけない」


 その時点で得られる質の良いローブを(ひるがえ)し、ピーターはバルホークへと向き合った。


「長い前振りだったが、ようやく本題に入る気になったか」

「バルホーク、君はアルテミスを侵略するために来たんだよね。だったら、答えは決まっている。全ては、このボクを倒してからだ!」

「良かろう、レジェンドにはいつかの借りがある。お前を倒し、先へと進ませて貰おう」


 対峙したはいいものの、ピーターには戸惑いがあった。改めてバルホークと再開し、こみ上げる思い。訓練時代からの片思いではあるが、それを打ち明ける事もできずに、こんな形で敵対してしまうなど思ってもいなかった。


「どうした、時間稼ぎか。来ないのならこちらから行くぞ」


 バルホークは勢いよく踏み込み、ピーターの間合いへと入った。そして剣を抜くと同時に、鋭い熱がピーターの体内を駆け巡る。


「ぐああっ!」


 剣士に対し先手を取らせてしまった。魔術師として致命的なミスである。だが、これでようやく踏ん切りがついた。


「くっ、魔術師が君の光速剣を相手にしても勝ち目はないからね。サラ! ゲートを!」

「なんだ、この光はっ」


 ピーターは自身の使い魔に指令を送る。先んじてグリフォンに次の階層への移動許可を頼まれていた使い魔サラは、二人を恐ろしい魔物が住む次の間へと送り出した。


「サラとやら、これでよいのだな? しかし、ここはPK(プレイヤーキル)も可能な領域だが、まさか決闘に使うとは……。それも、禁じられたナイトメアモード。ここでの死が、現実での死となる難易度で……」

「ええ、グリフォンさん、ありがとうね。それがご主人様の願いよ。使い魔としては、当然断ることなんてできない。ピーター、どうか無事で……」




 目の前の景色が一瞬にして変わった。バルホークはその焼けるような溶岩の熱に、形勢は逆転した事を理解する。ここは火山地帯。ピーターの得意とする、炎のフィールドだ。


「ピーター、どこに隠れている!」


 緊張に耐えきれず怒鳴ると同時、地の底から咆哮が轟く。すると火口からマグマを押し分けて、巨大なドラゴンが現れた。バルホークは吹き出る冷や汗を拭う。なんと、ピーターはその頭上に鎮座していたのだ。


「くっ……これが狙いか」

「よしよし、良い子だ。ちょっと大きなサラマンダーと思えば訳はないね」


 ドラゴンは大きく口を開き、喉奥から灼熱の炎を覗かせる。


「何も命まで取らないよ。でも、火傷じゃ済まないかもね。最後の忠告だ! バルホーク、アルテミスは諦めて帰還しろ! ボクは、誰一人の血だって流したくはないんだ!」

「ピーター……、貴様……」

「いつからガーディアナ教は争いを生む道具になった? ボク達は、そんな事のために辛い修行に耐え、セフィロティック・アドベントのような非道な儀式にも手を染めたのか? 宗教とは、人々の幸せのためにあるんじゃないのか!? 答えてくれ、バルホーク!」


 それは個人として、確かにバルホークもまた若い頃抱いていた感情。しかし、教皇はそんな彼の葛藤すら見抜き、寄り添い、心の傷を癒やした。ピーター必死の説得であったが、バルホークにとっては、若かりし頃のかさぶたが少し剥がれたに過ぎない。


「黙れ……、教皇様の考えは絶対だ。それに、セフィロティック・アドベントは俺の妹を救った! ならば、この力を以て、ご恩返しせねば道理が立たん!」

「それが、君の戦う理由か。君も儀式によって呪われた一人なんだね。だったらいま、解放してあげるよ……」

「聞く耳など、とうにそぎ落とした。我が耳は教皇様の耳。ここで血祭りに上げた後、貴様を異端審問に掛ける!」


 バルホークはその両手に上質な剣二振りを携え、突き出すように構える。ここまで時間を稼げば十分。ピーターも、長い詠唱を掛けた奥義をもってそれを迎え入れる。


「散れっ! 奥義、エクスキューションサイン!!」

炎魔法(ファイア・クラスタ)、レベル14! ドラゴニック・フレア!!」


 ドラゴンブレスと相まって放たれた爆炎は、その空間の全てを焼き尽くした。

 密かに胸に育てた、小さな想いでさえも。






 ラビリンス第十階層。ダンジョンマスターの待つ最後の間。アルテミス王宮を模した空間である。


「よっし、今日こそぶっ飛ばしてやるんだから!」


 一度ゲームをクリアしているティセは、ここへと好きに訪れる事ができる。日に日に増していく母の用意した公務を終えては、こうして密かに毎日楽しみにしているラビリンスへと向かうのだ。


「ハッハー! 来い、我が娘よ!」

「言われなくてもっ!」


 今日も父との、水入らずの魔術レッスンが始まった。ティセの父はかつて魔王を倒した救世主の仲間の一人、メトル゠ブランドー。現在はダンジョンマスター、または伝説の魔導師(レジェンドウィザード)と呼ばれている。


「確かに腕を上げたが、まだまだそんなものか。はあっ、マジックアブソーブ!」

「あっ、MP吸い取るのは卑怯でしょ!」

「ティセ、オイラの魔力を使うにゃ」

「サンキュ!」


 トゥインクルもこの時は一緒だ。ティセは反撃に転じ、瞬く間に攻撃魔法を展開する。これにはメトルも舌を巻いた。自分の詠唱すらも軽々と追い越し、先手を打たれてしまうのだ。ちなみに娘は一切手加減をしない。

 これ以上火傷が増えるのは父の沽券(こけん)に関わるため、メトルはいつものように一芝居打つ事にした。


「むっ、これは……」

「何がむっ、よ! その手は喰わないんだから!」

「マスター、ご報告が……!」


 そこへ、メトルの使い魔であるグリフォンのグリさんが現れた。丁度ティセの放つ炎の射線上にいたため、鳥の丸焼きとなる三秒前である。


「ひええ……!」

「わあっ、避けてー!」


 すると、同時に転送されてきた、火を纏うトカゲのような生き物がその前に立ちはだかる。間一髪、炎は瞬く間にその体内へと吸収されていった。


「グリさん、大丈夫? あら、毛先がチリチリになって、イケメンが台無しじゃない」

「す、すまない」


 どうもそのトカゲは火を食うと言われるサラマンダーのようだ。しかも性自認はメスらしく、グリさんに色目を使っているように見える。しかし、かなりの上級者でなければそのような使い魔を生み出すことなど出来はしない。

 メトルは謎のサラマンダーを警戒し、慌てて自らの使い魔へと駆け寄った。


「グリフォニア、何事だ!」

「はっ、実は、ガーディアナの司徒と思わしき連中がラビリンスへと侵入しております。現在ドラゴンの間にて、あろう事か決闘を……」

「何……? 司徒同士が争いを……。俺とした事が、ティセの相手をしていて気づかなかった」


 ティセはアルテミス城に何度か交渉へと訪れたこの地の担当司徒、ピーター゠マルゴを思い浮かべる。男か女か、よく分からない容貌の色男である。


「司徒って、ピーターの事よね? あいつ、何考えてるのかわかんない奴だけど、まさか本気でこの国を救うつもりで……」

「ええ。ピーターは様々な覚悟を決して、彼に立ち向かったわ。ティセと言ったわね、今アルテミスにはかつてない危機が迫っている。あなた、この国の次の指導者なんでしょ、だったら、ピーターの代わりにここからはあなたが何とかしなさい! いいわね……!」


 そう言うと、サラの存在が少しずつ薄れていく。使い魔の消失、それが意味するものは……。


「ねえっ、ちょっとアンタ、言いたい事だけ言って消えないでよ!」

「残念だけどお別れよ。そこのネコちゃんも、気をつけて」

「あわわ、ティセ、何か来るにゃあ!」


 女王の間に、突如として青い光が浮かびあがった。


『いよいよ最終階層です。死力を尽くし、ダンジョンマスターへと挑んでください。健闘を祈ります』


 そして聞こえるアナウンス。それは、正式に第九階層を踏破した者の証。

 光がおさまると、ゆらゆらと浮かぶ陽炎と共に、二振りの剣を持つ男が現れた。ススだらけとなった鎧と、ドラゴンの煮えたぎるような返り血にまみれ、怒りの形相でたたずむ青年。


「レジェンドというのは貴様か? アルテミスにおける障害は、もはや貴様一人。その命、ここにもらい受ける……!」

「まさか、お前がピーターを……」


 男は信じられないようなスピードでメトルへと斬り込んだ。その剣は深々とその片腕を抉る。


「ぐはあっ……!」

「パパっ!」

「大丈夫だ! この程度の傷……!」


 無防備に斬られたのには訳があった。メトルはティセのため、その隙に帰還のゲートを開いたのだ。


「お前は城へと戻れ! そして、戦の準備をするんだ!」

「そんな、パパは!?」

「知らないのか? ダンジョンマスターは、無敵だ……!」


 普段はフードと長い前髪により隠れて見えなかった父の顔が覗く。それは若作りをした青年のような顔であったが、その時だけは血にまみれ、どこか貫禄のある風格を纏っていた。ティセは思い知る。これが、父というものなのだと。




 アルテミス王宮、地下。青白く光るラビリンスゲートの入り口へと投げ出されたティセは、下着姿で這いつくばる。


「バカ、親父……」

「ティセ……」


 その脚は震えていた。それは、しばらくぶりに迫る死の臭いへの恐怖か、それとも……。


「ガーディアナ……ロザリーやパメラを苦しめて、まだ足りないっていうのね」

「ティセ、どうするにゃ……? 戦争はゲームとは違うにゃ、今度こそ死ぬかもしれないにゃ」


 不安げなトゥインクルを抱き寄せ、ティセは立ち上がった。


「決まってる。アタシが、この国を救う……! パパの代わりに、絶対!」


 いよいよガーディアナとの全面対決の時が来た。かりそめの平和は脆くも崩れ去り、ティセの瞳には血のように赤い決意の炎がゆらめく。


 しかし、それよりも紅き闘争の炎が今まさにアルテミスを覆わんとしている事を、この時のティセはまだ知る由もなかった。


―次回予告―

 月の国に太陽の女王あり。

 太陽の国に月の女王あり。

 より強き者だけが、この空を永劫に照らし続ける。


 第157話「二人の女王」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ