第21章 魔女達の愛 139.ワルプルギスの夜
神聖ガーディアナ教国、首都クレスト。
その中でもとりわけ上層の富豪が住まう区画、コロネット。
ちょっとした避暑地への旅行を済ませ帰ってくるなり、マルクリウス卿の御令孫様はパーティーの催しに大忙しの様子。
女性しか入る事の許されないその集会は、裏ではサバトなどと呼ばれ、若い者を中心に乱痴気騒ぎの場として賑わっている。
みんなが気持ちよくなれるお薬を届けるため、イルマ=グレンデはこうして雌の匂いの充満したサバトへとお呼ばれに預かったのである。
「はあい、マリス。もう始めちゃってる?」
「うん、みんなやりまくりー!」
わざわざこのために建てられたパーティー会場。大きな屋敷のだだっ広い一室では、女性達の嬌声が絶え間なく流れ続ける。その奥、VIPルームとも呼べる個室にて、この騒ぎの主催者であり、我らワルプルギスの総帥、マリスの裏の顔が露わになる。転がっているのは、エグめのおもちゃばかり。相変わらず、趣味が良いこと。
隣のお人形さんは見かけない顔だ。マリスは真性のSであり、いつも相手を務める女性をメチャクチャに扱う。そのくせ潔癖症で、自分の事はあまり触らせない。いつも付き従うペトラなどは、よくもその関係を続けていられるものだと感心するほどだ。
「あ、イルマ。アレ、あるんでしょ。早く早く!」
「魔女の軟膏ね。ご希望通りありったけ持ってきたわ。はい、領収書」
「たっかーい! まあ、それ以上に高く売りつけても飛ぶように売れるんだけど」
「空飛ぶ軟膏とはよく言ったものね」
マリスはさっそくそれを手に取り、パートナーへと塗りつけた。
「ヴァレリア様……、何だかムズムズします……」
「私の名前はマリスよ。何度も言わせないで。ほら、ヴァレリアの事なんか全部忘れて、飛んじゃえ!」
マリスは彼女が跨がる“ほうき”にまで、べったりと塗り込む。これでは空どころか、意識まで飛びそうだ。
「はあ、はあ……。マリ……ス、様……」
少女は息を荒くして、マリスの名前を呼んだ。好きな人の前だと言うのにはしたない行為だが、段々と体が火照り、体が言う事を聞かない。
マリスはだらしなく口を開いた。ピンク色の舌が、行き場の無い欲情を迎え入れる。
「マリエル、おいで」
「ああ、マリス様!」
こちらでも始まってしまった。お人形さんは人が変わってしまったように情熱的にマリスを求めた。珍しいほど相手に体を預けるマリスに、イルマは驚きを隠せない。しかしこの娘、どこかで見たような。
とても聞き出せる雰囲気ではないが、結局あのヘクセンナハトとかいう連中は取り逃がしたという。サバトを開いたのも、その鬱憤を晴らす目的もあるのだろう。おかげで荒れまくっているメンデルの面倒を見なくて済むので、イルマとしても助かった所だ。
「それじゃ、良いワルプルギスの夜を」
これ以上覗くのは下世話なため、イルマは一旦その部屋を立ち去ることにした。
「さて、私好みの子はいないかな……と」
「イルマ様。お久しぶりにございます。パーティーはお楽しみですか」
まったく面白くなさそうな声が投げかけられる。見ると部屋の前では、ペトラが待ち構えていた。今日は珍しくメイド服を脱ぎ、ドレス仕様であった。それなのに、ぶすっとした仏頂面が全て台無しにしている。
「あなたも難儀な事ね。今日くらいハメを外せばいいのに」
「なりません。もし、あの娘がいつお嬢様に牙を剥くか、分かった物ではありませんから」
そうか、どこかで見たと思えば、メアの送る映像の中に彼女はいたのだ。
「やっぱりあれ、イデアの塔にいた?」
「ええ、マリエル=ミゼラブル。マレフィカとしては最高位、第十階層に捕らえられていた女性です。ヘクセンナハトに保護されていましたが、何の間違いかお嬢様に気に入られてしまい、こんな地へと」
「こんな地って……。ここは天国よ。ほら、周りもみな、幸せそうじゃないの」
天国の階段を登る高い声があちらこちらから響く。ペトラは苦々しい表情を浮かべた。
「それで、ワルプルギスにも招集かけたみたいだけど、他には誰が来てるの?」
「それが、皆忙しいらしく……呼びかけに応じたのは貴女と、もう一人」
と、言った後、するりとペトラは身をかわす。すると、示し合わせたかのようにそこへと何者かが降り立った。
「やっほーう、イルマ! 元気してたぁ? ぶちゅー」
「んむっ……」
突然現れた女性に、イルマはいきなり唇を奪われた。
鋭い痛みが口内に走る。唇を噛まれたのだ。流れ出す血が凄い勢いで吸われていく。とてつもない脱力が襲いかかり、危機を感じたイルマはそれを強引に払いのけた。
「こいつ、やりやがったわね……」
「かぷかぷ気まぐれカプリチョーザ。今日のメニューは、腹黒看護婦ー! イルマ、エリザはずっと、会いたかったんだよー」
アホ丸出しの顔でけらけらと笑う、うねり上がった金髪ツインテールの小娘。口周りの血が若者に流行しているような厚ぼったい口紅のようになり、はみ出すほどの牙を光らせては、それをペロリと舐め取った。
「相変わらず、ヒマそうなのはこの人くらいでした。すみません」
「名前を先に言え……。そしたら避けられたのに」
「そんな事したら、面白くないじゃないですか。ふふ、くふふっ」
やっと仏頂面が笑った。相変わらず、笑うとえくぼが出来て可愛い。まあ、吸血娘に自分の黒い血を吸われたくらい、良しとしよう。Mである自分にとっては、噛まれて気持ち良くなってしまった事の方が不快である。
イルマは手荷物から注射器を取り出し、緑色のパックの内容物を自身へと注射した。
「うえっ、マズい薬入れたー。ちゅーちゅーえっち、したかったのにー!」
「栄養剤よ。あなた避けにもなるし、一石二鳥ね」
「一エッチ二チュー?」
「ペトラ、こいつ、ワルプルギスから追い出せないのかしら」
「無理です。お嬢様と一番波長が合うのは彼女ですから」
愚痴を吐きながら清浄綿で口を拭い、止血処置をする。彼女に噛まれると、しばらく血が止まらないのだ。厄介な血吸いコウモリである。
彼女はエリザ=バルタール。一時代前、ガーディアナの領内を騒がせたヴァンパイア一族の末裔。現在の教皇も産まれる前の話なので、一時期ガーディアナは彼らの眷属によって滅ぼされる寸前であったという。リュミエール教皇が現れてからは、いかにヴァンパイアといえども為す術も無く敗れ去り、現在この地に降り立つバカは気まぐれエリザくらいのものだろう。
まあ、魔女であり吸血鬼という特別製、マレフィパイアであるが故の余裕であろうが。
「けれどあなた、暇なはずないでしょ。イデアが陥落した責任を一人被ったレディナの下にいるんだから、今は戦の準備に大忙しなはずじゃないの?」
「そうだよー。だから、ここに来たの。英気? を養うために」
「精気の間違いでしょう」
このように、ワルプルギスのメンバーは各地でそれぞれ目的を持って活動している。その一人、カトリーヌ=メディア。流れるような赤髪の彼女を、イルマの目はせわしなく探していた。
「カトリーヌは相変わらず忙しいの? 私、彼女を期待して来たんだけど」
「はい。今彼女は自身の王国の規模を拡大すべく、アルテミス国への戦いに赴いています。いつまでもガーディアナによる侵略が進まないため、一部、領土とする事を条件に参加されているとか」
「アルテミスか、まあ、地味にウチのセンセも狙ってる国なのよね。この後行ってみようかしら」
「その事ですが……、イルマ様、折り入ってお話が……」
暗い笑みを浮かべ、ペトラはイルマを個室へと案内する。そして、時折聞こえてくるマリスとマリエルの嬌声にこれ以上耐えられないといった面持ちで、逃げ込むようにその部屋へと入っていった。
「なーにー! エリザだけ仲間はずれにしないでー」
一人、その場に残されるエリザ。
また何か裏で企んでいるのだろう。こういう時は決まって、いつもエリザを入れてくれないのだ。女の世界はドロドロすぎて、サラサラ血液が好物である彼女にとっては少し居心地が悪い。
いつもは使徒レディナの率いる騎士修道会にお世話になっているのだが、そこにいる修道女達は心清らかで、そんな清貧を徳とする考えに少し毒されてしまったのかもしれない。
「いいもん、エリザ、ここでたくさん処女の血をもらっちゃうんだから。チュパチュパ血を吸うチュパカブラー! がおー」
「きゃー! エリザ様よ!」
「きゃうーん、私もお吸いになってー!」
「私が先よ! このためにトマトジュースを毎日飲んできたんだから!」
オペラ女優でもあるエリザの周りには瞬く間にファンが詰めかけ、喜んで血を差し出す若い女性の行列ができた。
「これだけの血があれば、ヘクセンナハトなんかには負けないもん。レディナ、待っててね」
血の宴が、彼女の秘めた力をより、強固なものにする。吸血姫エリザは愛する者達のため、その牙を剥くのであった。
秘密の談合のあと、ペトラとイルマは、すっかり満足そうに事を終えたマリスの下を訪れた。よほど責められたのであろう。珍しくも彼女の寵愛を許された愛人、マリエルはその側でぐっすりと眠っている。
吐き捨てるような目でそれを見つめるペトラを、イルマは見逃さなかった。
「凄いのよ、この子。一緒にいると、まるで桃源郷にいるみたい」
「クーロンに伝わる理想郷。一度一緒に、クインに連れていってもらいましたね。あの時は、夢のようでした」
クインとはクーロンを根城に気ままに暮らす魔女。あまり協力的ではないが、強大な力を持つために無理矢理スカウトした。
意地になり、過去の思い出で上書きしようとするペトラ。イルマはその動機が分かるだけに、少し応援しないでもない気分となる。
「マリエルと言ったわね。その子、ワルプルギスに入れるつもり? 真の魔女というより、それじゃ愛玩用よ? 私達は互いに深くは踏み込まないという掟がある。けれど、すでに一線を越えてしまっているじゃない。過剰な愛情は、いつか綻びとなる。この同盟を作るとき、そう言っていたのはあなたではないの?」
「愛玩用……。もう一度言ってみなさい、イルマ」
キッ、と睨むマリスの瞳を、イルマは極力見ないように跪いた。出力最大の支配の力。小水を漏らさないように努めるので精一杯である。ラバースーツの中が水浸しになるのはごめんだ。
「お嬢様、その、私はお嬢様にそういった心を許せる方が出来て、嬉しく思っています。ですが、これから大きな戦になる事は必至。マギアのみが秀でた者を近くに置く事は、お嬢様の弱点が増えるという事。そこで一つ、イルマに提案があるらしいのです。どうか、お聞き届けいただけないでしょうか……」
そういう話になっているとはいえ、全ての責任をこちらに押しつけるペトラに、やはりどす黒い物を感じずにはいられない。取引は取引、イルマは仕方なく頭を下げたまま続けた。
「先日の小旅行、戦利品はその娘と、もう一人かなりの力を持つ魔女がいたそうですね」
「ディーヴァのこと? 興味がありそうね。確かにあなたの好きそうな女だったけど、あいつは嘘をついた。私に従う振りをして、ガーディアナに潜入しようとしたの」
「まさか、もう……処刑を」
「ふふっ、するわけないじゃない。面白いと思ったわ。だから、お爺さまの下へ送り込んでやったの! とびきりの時限爆弾よね! 今頃派手に爆発してるかも」
相変わらず恐ろしい女だ。いつか本当にガーディアナを内側から食い破るかもしれない。イルマはぞくりとした。少しだけ小水が漏れたのを感じる。この女についていれば、間違いはない。だが、さらにこの基盤を磐石にするためには、もう一打、必要である。
「だけど、あなたはみすみす聖女を逃がした。総統直々に出向いて、ずいぶんな失態よね。アリアの事もあんなに執着していたのに、どういう風の吹き回しかしら」
「やけに楯突くじゃない。私は、聖女の事で煽られるのが一番嫌いだって、知ってるわよね?」
「ええ、煽るだなんてとんでもない。あなたが聖女に負けた、なんて。まさか無いでしょ」
ギリギリと歯噛みするマリスを、ペトラは気を失いそうな心持ちで見つめる。今は耐えて下さい、と。必ずやその先に、聖女すら凌駕する存在となる道があるのだから。
「ふぅ……いいのよ。私だって本気じゃなかった訳だし、正直向こうは全軍。私達は二人。つまみ食いよ、あんなの。ねえ、ペトラ」
「はい! それにあちらにはイレギュラーであるヴァレリアがいました。彼女はワルプルギスに迎え入れても良いほどの逸材。しかし、あの厄介な能力がゆえ、断念しましたが」
あんな者を組織に引き入れては、主人の手を噛む所では無い。まさに水と油であろう。
「良いのよもう。ヴァレリアなんて奴らにあげるわ。それにね、聖女は今頃、絶望の淵にいるんじゃないかな。実はね、忘却化したヴァレリアに気を取られていた隙に、あの子にプレゼントを渡してあげていたの」
「お嬢様、まさか、あの力を……?」
「そう。絶望。それは、死ぬまで獲物を追い詰める、最強の力。これを受けた者は、全ての罪を背負い、孤独の果てに自ら命を絶つの。ふふ、うふふっ、うははは!」
堰を切ったように笑い狂うマリス。
「あなた、相手は聖女よ……? 本気なの……? もし教皇に知れたら……」
「ええ、教皇もいつか、この力で消す……! この世の支配者は、私一人でいい!」
この世で最も言ってはいけない言葉を堂々と言い切った。イルマは高まりを覚えずにはいられない。
「素晴らしいわ……マリス総統。このイルマ、どこまでもついて行く事を誓いましょう。でも知ってる? 聖女は一人ではない、という事を」
「なに……?」
「聖女の中には、もう一人、魔女がいる。あなたの呪いは、聖女には通じたかもしれない。けれど、彼女を倒すには、さらに先が必要なのよ」
「どういう事っ!? まさか……」
「そう、セフィロティック・アドベント。彼女も、その被験者。儀式そのものが失敗したという事と、前任のクライネが彼女に関する資料を全て廃棄していた為に、公には知られてはいないけれどね」
「そう……。使徒としても、目覚めていたと言う事ね。くっ……」
イルマにとってクライネは師にあたる存在。いつかは可愛がってもらったが、聖女に固執する彼女とワルプルギスに属する彼女の溝は次第に深まっていく。マリスが聖女を越えたいと思うように、彼女もまた、クライネを越えるという目標があった。
「彼女を越えるには、あなたも、その資格を得るしかない。けれどこの儀式は、自身と波長の合う魔女が必要になる。あなたがもしそれを望むのなら、大事な何かを差し出す必要があるの。あなたに、それが出来るかしら」
マリスは幸せそうに眠るマリエルを見つめた。しかし、先程の夢のような時間を思い返し二、三度かぶりを振って、次にペトラを見つめる。
「マリス様、あなたと一つになれるのなら、それは私の本望です。どうぞ、私の命、お使い下さい!」
ペトラはここぞとばかりに跪き、自分をアピールする。これこそ、彼女の持ちかけた取引。マリエルを出し抜くには、一心同体となるより他はないのだ。
マリスは思案した。確かにペトラでもいい。彼女とは付き合いも長い上、その能力も申し分ない。だが……。
「どう、されました……?」
心の底から一つになる事を願う、けなげな従者。
けれど、彼女を失ってしまうと、ぽっかりと心に穴が開いてしまうような気がした。特に愛しているわけではない。だが、そう、たった一人の友達を失うような気がして、とてもそんな気にはなれなかった。
「う、うう……」
目を、そして耳を疑った。ペトラは初めてマリスの涙を見た。そんなにも苦悩してくれるとは、思いもしなかったのである。
しかし、彼女の思いはマリエルへと向かっていた。性交まで行う事が出来たのは、彼女ただ一人。偽りの力を使う彼女を、初めはただ似たもの同士として可愛がった。だが、やがて自分に欠けた物を持っている気がして、次第に彼女を求めた。
この瞬間、マリスは理解する。それは、いつしか自分が失くした、信じるという心。力の影響下にもないというのに、誰かを信じ続ける曇り無き心にこそ、自分は惹かれたのかもしれない。
自分を拒んだヴァレリアに、この子を渡したくない。もし再び彼女に会えば、支配の力など振り切り、この手を離れてしまうかもしれない……。
長い沈黙のあと、マリスは顔を上げて言い放つ。涙を拭う事もせずに。
「……決めたわ。私はマリエルと、本当の意味で一つになる。そして、聖女を越えてみせるわ」
ペトラの落胆は想像する事もできない。だが、これで良かった。イルマにとっては、突然現れた者に犠牲になってもらう方が傷は浅い。彼女としても、マリスの決定には逆らえないだろう。
「ペトラ……。そういう事だから、少し総統を預からせてもらうわね」
「は、い……」
取引は成立しなかった。明け渡す約束をしたディーヴァの身柄がここにはない時点で、初めから破綻していたのだ。そんな事も知らされていなかったペトラは、自身の立ち位置を自覚し、あまつさえ一つになるというおこがましさを恥じた。
決して自分の憧れが届く事はなく、ヴァレリアを慕う少女は世界から消える。
「もしかしたら私達、似た物同士かもしれませんね……マリエル……」
自分の思いつきが、彼女を絶望へと導いた事に変わりはない。マリスと一体となる彼女への嫉妬はすでに消え失せ、同志への親愛へと変わる。これからは、私が二人分、愛してみせよう。
独善的な笑みを浮かべ、黒髪の少女は深い夜へと消えていった。
―次回予告―
人の世に、神の救いなどありはしない。
ならばこの手を汚すまで。
大いなる矢は、そして放たれる。
第140話「メギドの火」